正観世音菩薩様・聖なるお言葉

正(聖)観世音菩薩様がお語りになります聖なるご啓示を掲載しています。 Divine-Scenario

開眼

正観世音菩薩であると申しましょう。

人類は難関をいただかれながらも
昇華の途にあると申しましょう。
難関は終えんではなく、
限界の向こう岸への到達こそが
精進であり、また進化であると申しましょう。

開眼とは心の境界を越え、
大意に目覚める開きであると告げましょう。

難多き世であることは、
開眼の蓋しであると伝えましょう。

難こそはただ苦ではなきものと
心を澄まされますことです。
それを難と捉えられますか、
可能性への境界であると捉えられますかによって
道は余りにも違われましょう。

我等は人の難を難とは解し難く、
人の喜びは余りにも個的であるならば、
それは余りにも寂しきと告げましょう。

我等は常に如何なる試練でありましょうとも、
それが創造主なる大元が
我等に越えうるために与え給う道ならば、
我等は光を見据えて越えゆくことを
真の我等の喜びとなし、
また次なる難をも待ち遠しいとも伝えよう。

何度も繰り返し繰り返し申しますには、
越えられなきものは何処にも存在はしないと
告げましょう。

この宇宙には真なる終焉というものは
真には実在なきものであり、
しかし我等は果敢に難所を越えゆくことこそが
使命なりと申しましょう。

歩まれますよう。
歩まれますよう。

いかにして降りかかる難所が多くありましょうとも、
その奥に広がる光なる平野を見据えて参られますことです。

死して後をも昇華の道はどこまでも続くものである故ならば、
しかし今の難所に決して負けすぎることなく、
限界をこそ越えられますことです。

越える度にどうして宇宙はそのままに
あなたをそのままに放置する筈はなきと申しましょう。




具体化

何事をも具体化なることを進めるには、
三次元世界におかれましては
必ずや時間は要すると申しましょう。

正観世音菩薩であると伝えましょう。

この三次元世界において、
真実の悟りとはまた具体化まで果たすことであると
告げましょう。
目標は夢見て終えるものではなく、
現実化にのみ昇華がなせると申しましょう。

自らが出来そうであり、しかし果たせないものは
真には皆様が意識されます以上にはないと
告げましょう。

そしてこの世におかれましては、
必ず時間や労働、また金銭なるものも
真実のミッションにおいては
必ずやそれらの投資は必須なるものと告げましょう。

自らの理想をただ願い、或いは念じ確信するのみで、
何をも投資せざるして、何をも果たせないのは
必然であると告げましょう。

自らを根底から聖なる使命へと駆り立てられますものならば、
真にはその使命のための必須なる投資を得て
それがやがて成就するということは
三次元の世界におかれては
道行であり、
また摂理なると告げましょう。

理想や願いはある意味その方向へと
近づけてはゆくものの、
実現に自己投資や行動をなくして、
真実の具体化は真になきものと告げましょう。

故に、成すというならば、
全身全霊において、
その使命の方向へと自己のあるべき
すべてを投資する意向を持たれ、
そして必ずや創造主は育みのために
必要なる失敗や試練を与え来ることが慈悲故に、
それを幾度も超え続けることを自らが常と成されますならば、
叶わぬ道は無きと告げましょう。

たとえ計画のままに行かずとも、
回り道を成すと感知されたとしても、
それは成就への最短であり、
真実の道への切符を手にされます
最もすみやかなる手法であると申しましょう。

故に何事かを成してゆく者々は、
成さざるものを遥かにすべての有り様において、
上回りゆくものであり、
その投資の如何なるものかの現実を捉えずして、
成す者々を非難されますことは、
真実の自己の成功をふさがれていくと申しましょう。

立ち上がられますことです。
この世は精神のみでは成就はできぬと伝えましょう。
真の理想を、真実の具体化へと実現果たすことこそ、
成就を超えた遥かなる何をかが
自らのみならず全体へと返りくると
道理を告げましょう。

ーーーーーーーーーーー

私達は正観世音菩薩様をはじめ
宇宙の神聖、高次の方々をメンターのようにし、
聖なるお言葉をとらせていただくばかりでなく、
裏面ではいつも真実のミッションの実現化へ向けて
それまでの人生を日々練磨し、また道をつけて来ました。

その成果がようやく開始しはじめています。

本日、『 正観世音菩薩様 聖なるお言葉 』関連のすべての
ホームページやブログ一切の
私達に関する情報のブロックを告げられました。

それは、今後私達が別の分野で
別のカタチで活動をしていく上で、
大切な儀式のようなものとなります。

既に私達は、全く違う名前で活動を開始し、
その成果は目をみはる程なのです。

正観世音菩薩様は私達のミッションにおいて、
私達が真実の大きな成功を実現し、
そこから貢献の編みこみをする計画ですが、
ほとんどの道筋が成立するまで、
このラインの背景に正観世音菩薩様がいらっしゃることを
伏せたままの遂行となる見込みです。

私達は飛躍的に皆様が全く想像をされない分野で
活動を展開はじめていますが、
観音様とのご縁は一切お伝えしないで、
宇宙の様々な方を正観世音菩薩様をはじめとする
このラインに関連の聖なる方々から、
導き合わせていただき、高次的な指導を日々受けていますが、
外側では全く異質な分野で結果を生み出しはじめています。

この場で仔細をお伝えできないことに
胸が痛くなりますが、
しかし宇宙の力は限界を知らず、
私達が本当の使命に出会えたならば、
そして、それが真実の貢献へとリンクしていくならば、
無限な導きとノウハウ、試練を乗り越えるための
メンタルな指導等、
心の奥底からの声は、とどめることなく知恵や超えるための
ありとあらゆる何かを誘導してくれるものだと実感しています。

大きなことを実行していくにはそれなりの
投資や覚悟、そして何よりもメンタルな部分での
大きな補強がいつも必要になります。

私達メンバー共に、皆劇的に進化を遂げていますが、
休むことなく、遂行を継続して、
やがて規模は本当に大きくなる見込みです。

今、それまでにお目にかかる筈もない
第一線のエキスパートの方々と交流いただき、
世界へ向けての準備を行っているところです。

そして、霊的なことが通じにくいと思われる世界で、
貢献での果たしを規模を宇宙的に進行していく
第一段階が成立できたことは、
何よりも神聖の方々のご意図であり、
私達のミッションは私達個人のミッションではなく、
それを超えたところで私達の予想を超えたコンセプトや計画が
既に生まれる前から用意されていての事と、日々その全容の
大きさを感知しています。

皆宇宙と繋がっているのですから、
どの方にも真実のミッションがあり、
その扉が開くと果てしない可能性とチャレンジが開かれていることを
実感としてお伝えさせていただきます。

正観世音菩薩様は、このお言葉の発信については、
拡大することを本当に意図されていらっしゃらず、
ですから、このお言葉を長くご覧くださる方があるとするなら、
それは私達とはまた違う意味で、
観音様とのご縁が本当に深くていらっしゃる方のなだと
確信しています。

私達はある一つの宇宙の計画を実現するために
ここに生まれてきましたけれど、
また皆様にもきっと何かがあるのだと、
それを既に生きていらっしゃる方、
まだ探していらっしゃる方、
もしかしたら、来世非常に大きな貢献があるために、
今世は学びの時間である方も少なくはないと思われます。

いずれにしましても
今この時期にお読みくださる方々は
私達とは別の意味で、観音様とご縁が深いのだと確信します。

ですから何かを読み取られて、
受け取られてくださることを
心から願います。

今度いつお言葉を発信されますかは未定です。

でもいつも正観世音菩薩様は地球を引き上げ、
実行部隊に位置していらっしゃいます。

私達も次元を超えた新しい活動を
宇宙の叡智と共に飛躍していくことを信じています。

心から尊びを込めまして。


再興

正観世音菩薩であると申しましょう。

この世は真には消滅されていく仮想なる体験であるものの、
その体験は心理に於いては非常なる轍となると申し上げ、
その経験の意識への浸透が遺伝となり、
その昇華への担い手となる後の後継者へと手渡されることが
多いと申しましょう。

この世はまだ力の構図であり、
真には叡智への開花の手前の段階であると申し上げ、
真なる叡智とは、慈悲への啓蒙であるとも告げましょう。

人はまた金銭を手離されません。
金銭とはただお金であることを非常に超えた現実を含むものであり、
それは命の存続や、この世に関する力や磁場とも関連し、
どの階層の人々であれ、
真にはこの金銭こそが深層の問題であることが概ねでありながらも、
そのことは認証せず、横に置くことがしばしばであり、
その金銭こそ、この世の踏み絵になるとも申し上げましょう。

世を再興するには、
深層の意図を世の全体の昇華へと方向づけられ、
そして金銭・物質・肉体・そして節理と共に、
人のみならず世のすべての調和へと
真実の使命を果たされますことですと告げ、
いかにしてこの世は偏りと不調和を
未だ好まれ、歪みたる礎の元であるかを
深層で見通されますことですと申しましょう。

偏り無くすべてを見通し、
我がことのみではなく、
全体の調和へと大きな意図を持たれ、
自己の限界を超えられますことこそが
真実の再興への轍となると告げましょう。

しかし未だ真実の轍はかき消され、
人々は未だ表層の願望や不安に突き動かれますことが概ねであり、
もし自らは既にもう大丈夫であると見据えておられますならば、
その自らの自己への判断こそが
歪みではないかと省みられますことです。

その繰り返しと真実の大志との狭間のなかで
せめぎ合いながらも
自らのみならず、世を再興させゆく
大いなる大志こそ大事であり、
しかし未だ小さな自己が常に
勝手なる解釈で自らに承諾を成していないかと、
それこそを厳しく問われますことです。

他者へよりも自己にこそ
厳しくなさり、
そこにのみあなた様の扉があると伝えましょう。

立ち上がりゆくことを


正観世音菩薩であると伝えましょう。

常にこの地上は破綻と再生を繰り返していると申し上げ、
それは震災であれ、争いであれ、
自然が成すこと、生物が成すこと、それがどうであれ、
物質界におかれましては常なる現状と告げましょう。

災いが高次的見地から見通し、
その被災者や生命をなくされますことは、
罪や何かであることなどではなく、
またこの国であるならば、
畳の上にて死すことが大往生と申します計りは
どこにもなく、
真に奥深きところでは開きゆくための流れなるものであり。
一概に全てを一に申し上げますことは不可能なれども、
真実は真に光なりと申しましょう。

しかし当事者にとられましては
傷みなるものこそが敵となり、
打ち勝つは我が心なりと告げましょう。

真に立ち上がりゆくことを申し上げ、
その力、叡智なきことなどはなく、
たとえ今真に力尽き果てられましょうとも、
その枯渇・憔悴の真底からまた息吹返り来ることを
悟られますことです。

我等高次なる者は、
今のみの連帯を越えた連帯が真には
この世には必須であり、
このことの尽きぬ間は幾度となく、
再生と破壊を繰り返しつつ
真に返上の昇華へと
非常なる時間を使いて歩みゆくことと
申しましょう。

真実の慈悲あらば、
自らに成せる最大の使命をこそ、
立ち上がらせられますことです。
それがもし今目の前に困り果てたる方の
何事にならずとも、
真実の使命こそ、その昇華への礎になると伝え、

今もし、自らが災いの中に居て、
しかし省みず他者の救済を果たされます方ならば、
そこにあなた様の真実の使命が宿されておられますと伝え、

ある意味すべての地域、時代に、
災いは常にあるものであり、
その困難が我が身に振りかかってでも
成しゆけるものがあるならば、
そこに自己の生かす道があると告げましょう。

今途方に暮れ、自らは真に省みず尽くせないならば、
そのことは咎められるというよりも、
真に我が身に代えてでも
捧げゆける何かに出会われますことを
年齢も条件もつけられます事なく、
たどられますことですと告げましょう。

真に自己を立ち上げられますこと、
そのことがあなた様のみならず、
すべてのありとあらゆる万物の
昇華にこそなれ、
今何を成すかは、
自己の深層に問われますことですと
申しましょう。

己の内を立たしめて
他者を責められなきことですと
申しましょう。


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東日本大震災では
多くの方々や生物、自然が今も尚
大変な困難の中におかれていらっしゃいます。

正観世音菩薩様のお言葉がいつ降ろされてこられますか、
私共は自己の使命に着かせていただきながらも、
ようやくお届けすることができました。
何度も「正観世音菩薩様・聖なるお言葉」に
お訪ねしてくださいました多くの方に・・・・、
今、お伝えさせていただきます。

私共が語るより、
お言葉がすべてだと思います。

どうか立ち上がられます力のあることを
私達は互いに信じあい、
どれほどに大きな困難でありましょうとも、
また光が必ずそこにあることを忘れないで、
歩んでまいりましょう。

私達のなかに
力はあります。

新しき段階


正観世音菩薩であると申しましょう。

新しき段階とは
ひとつの成果を生まれた後に
また始まり来る次なる課題であると伝え、
その繰り返しこそが
この宇宙の新陳代謝であるとも
伝えましょう。

目的は果たすためにあるものの、
しかし到達感はない方が昇華は早いものです。

あなた様は幾重にも連なる
創造主からの育みに
いつまで段階を超えていけるかの毎日であり、
それは死して後も、
また我等のような位置においても
途絶えることのない終焉のない道行であり、
それを幾つ超えられますかが、
あなた様の真実の磨きとなると告げましょう。

幾重も幾度も種々な角度から
引き寄せられます課題や難儀こそが
創造主からもたらされてくる慈悲なる導きであり、
たとえそれが如何に重たき淵でありましょうとも、
しかし何れは開かれます扉のなき道行はないものと
告げましょう。

叡智を広げ、
真摯に自らへと課せられた難関をこそ
幾度も超えて、
自らの手や足でそれを超越した創造を果たされますことです。

真には理に適わぬ事柄はいつしか
問題となりて大きな割れを生じます。
しかしまた、小さく無難に生きながらえようとしても、
常にせせこましい道行きばかりで、
何をも実感のない人生となりゆくと伝え、
真に誠実に生きるならば、
時に難関な導きでありましょうとも、
それを超えるほどに力は湧き出でると申しましょう。

ただ成功を追うばかりでなく、
難関を他者へわかつことのない知恵を生まれ、
この低き地球の住まうあり方を
真に調和に満たされた高次的な世界へと
果敢に創造を繰り返されますことですと申しましょう。

すべては超えるために存在しているものです。
終焉はまた始発であるものならば、
恐れられずに、幾重も幾度も
難所なるものを超え、
しかし他者に難所を与えぬ生き方を皆様が選びゆくならば、
この地上はもはや次元昇華となりて、
より慈悲慈愛の何たるかに、
朝焼けの如くに、広がりていけることを申しましょう。

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お変わりないでしょうか。
正観音様のお言葉は、今までは年に数度のお届けとなり、
大変貴重なお導きとなりました。

しかし私共では、日々高次と連携して取り組みを果たし、
それまでは思いもしない歩みへと轍をつけています。
貢献とは、一代で大事業を創業することと同じか、
それ以上の道行となります。

私共は宗教的でも、精神世界的でもなく、
ノーマルに社会に根付いた貢献の道を歩むことを導かれて、
もちろん正観音様のご存在のあることも告げずにそれをお力とせず、
しかし真実の高次的な貢献への土台を築き、
始めは現実的には不可能ではないかと不安を抱きましたが、
今では自分達の限界を幾つも超えて、確かに奇跡的に
道は可動しはじめました。
ここまで来れば引き返すことの出来ない道程となりました。

正観音様がおっしゃいますように、幾度も
限界を超えていくことが、可能性となります。

私共はそれまでにないカタチの貢献を長き年月をかけて
必ず大成することを確信し、創造しています。

今はあえて知る人のみが知るのような、
実際は観音様のなかでも本筋にあたられます
正(聖)観世音菩薩様の神聖とご一緒させていただいておりながら、
余りにも細々としたような公開の在り方に、
これで良いのかと自問することもありますが、
しかしこれも正観音様のご示唆なのです。

いつしか具体的に貢献が別の方向から公開され、
世に可動していく頃、このような真実が芽を吹いてくるかも知れません。

いずれにしましても神聖の方々は、個々の存在を推されますよりも、
この地球上に真実の貢献こそを導こうとなさっていらっしゃいます。

それぞれの唯一の個性が個人のミッションであり、特質となります。
それを最大に発揮することこそが人としての使命であり、
そのために神聖の方々は別に宗教的な派閥を創り競われるようなことは
一切ないというよりも、高次の真実は真反対であり、
皆個々の聖なる特性の光を放射されて、どの神聖も常に聖なる
ミッションに着いていらっしゃいます。
そしてやがては私達人間も同じような真実のミッションとミッションの
連携を具体化することで、次第に融和的な社会へと幾度もの難所を越えて
進化していけることだと、導きのなかで教わり、気づきはじめています。

この正観世音菩薩様の聖なるお言葉に触れに
訪れてくださいます方々に心から尊びを捧げます。
そしてご自身の可能性と真実のミッションを
この地球上で開花させていただき、
具体的な行動に移してくださいますよう。

ここではノーマルに社会に貢献する、
新しい高次的な歩み方を実際に聖なる高次のご指導によって
導かれています。
今はそのために必要な具体化を図ることを
実現と共に拡充している最中です。

奇跡は何処にもなく、私達のなかに
宇宙の主と同じだけの無限の可能性が存在しています。
潜在的な特性を明らかに、イデオロギーを超えて
融和的に貢献へと歩みだすことを、ここでは導かれています・・・。

長くなりました。

どうぞご自愛くださり、
この可能性を繋ぐ輪に深い感謝と尊びを捧げます。

思いがけぬ道

正観世音菩薩であると申しましょう。
轍とは、行動の道行でもあると告げましょう。

すべての成り行きは、
表層ではない深層の意図と
宇宙の法である創造主からの引き合わせにより、
思いもかけない事象が差し出されてくると伝えます。

思いもかけないところが
自らの深層と創造主からの引き合わせであると
簡易に告げましょう。

つまり、自らが想像できる範囲で生きていくならば
何の進化も得られないものなのです。

人のみならずすべての生物は、
思いもよらない事情を与えられてこそ、
自己の限界を超えていけるものと告げましょう。

故に創造主は常に
あなた様やすべての存在に等しく
思いもよらないけれど、
しかし常に必要な事象が差し出され、
世の中はいっせいに等しく均衡に育まれていると告げましょう。

道を歩まれますよう。
道はしかし受身にでは歩めないと告げましょう。

自らの深層を開いてこそ、
共時はよりあなた様を思いもかけないけれど
あなた様をより飛躍的な歩みへと
いざなわれていくものと告げましょう。
その折、限界を超え行くことを
恐れなきことですと、真に伝えます。

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お久しぶりです。
正観音様からのメッセージをお届けしました。

あれからも日毎育みを受けています。
私共のお役目はこうしてメッセージをお届けすることではなく、
自分の使命の位置に着くこと。
限界を超えながらも、随分遠くまで行き着いて来たと実感しています。
もう少しお届けする機会があるといいのですが、
これも高次による指導がなければ、思っていても橋を架けることはできません。

皆様も日々ご自身を磨かれていらっしゃることと思います。
ハードルは高くても、志はいつも高く
奇跡は奇跡ではなく、超えていける扉ですから・・・。

感謝と尊びを込めまして。

扉とは
飛躍への基点であると申しましょう。

人のみならず自然であれ同じこと。
限界に到達したところが基点であると伝えましょう。

限界は分かれ目であり、
そこを超えるか超えないかは選択の在り様です。

もうできないということはなく、
もうできないという選択であることが概ねであり、
自らがそこをとどめゆくならば、
すべての宇宙はそれを循環するのみであると
申しましょう。

扉とは
限界を超えていくことであり、
それは飛躍への転機であると告げましょう。
しかしそこを超えるには跳躍が必須であり、
超える意図や決意のみならず、
真には実行の転換であると
この三次元であるならば告げましょう。

皆進化の轍であり、進化とは行動を司る
すべての系脈の跳躍であると伝えましょう。

この星はただ存在するのみならず、
何を行動で示すかが跳躍への道であると伝えましょう。

悟りをただ精神のよりどころとなさらなきこと。
行動でそれを立証なさることが
遥かに難儀であり難解であり、
故に有意義で尊いものと伝えます。

扉は幾重にも用意されており、
真に果たすか果たさないかは、
超越への扉を
如何に決意と覚悟を持って
理想へと実際に歩みだすか、
その基点であると真に告げましょう。

この世の務め

この世は仮初めの世界なれど、
真に大事なるは
肉体を用いて自らを使命へと使わされることと
伝えましょう。

頭で如何に理想を掲げられても、
それが如何ほど高徳であられましょうとも、
実現に向かわしめておられないものならば、
真にはこの世の務めをお果たしになったことには
ならぬと伝えます。

悟りとは頭のみの把握にては半開きであると申しましょう。

精神の向上は見開きを高めるものの、
その上で現実化を果たせないものならば
真には悟りきってはおられぬと告げましょう。

またこの世とは
すべてのこの世のことであり、
自らの感知にて、
世間を平らかに受け入れられず、
全体を目の前に据え置かれた視野ではなく、
極端な理想や何かの対象を認知しないという前提の
不均衡な精神や視野からは、
真実の務めや生き方は成せないことも申しおきましょう。

すべては同じひとところから生じているものであり、
それが如何に受け入れられがたい事実であろうとも
それを観ようともせず、
個人の勝手なる解釈のみで
如何に世をゆがみた視野で決定づけられましょうとも
宇宙の節理や道理は
すべてを均衡に公平に司っているものであり、
途上の地球における精神的進化の段階においては
どれほど公平に現実を見据えられますかこそが
自らの扉ともなりゆく唯一の進化の極みの方向であると申しましょう。

自ずと何を果たし何を成すべきかは
ゆがみたる意識や視界を公平なる現実に添わされた道へと
軌道修正なさる果てに見えてくるものであるとも
伝えましょう。

この世の務めは
現実の世の中に納めゆくことにこそ
悟りにも通じ行く開きがあることを申しましょう。

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リズより

正観世音菩薩様のお言葉は
期間を空けてのお届けとなっています。

それは精神的な昇華は
ただお言葉を伺って果たせるものではなく、
如何に実現を果たすかにあるということです。

実際にこのお言葉をとる者をはじめ
関連の者たちは
精神世界という枠組ではなく
実際の社会のなかで
これらのことを伝えるということではなく、
実行によって別の使命へと
道をつけはじめています。

それはそれまでの個人ではとても果たせない試みであり、
精神的な向上と共に、
実行を伴うとき、新たな道行は宇宙から開かれていきます。

しかし決して容易なものではなく、
それらの経緯はここでお伝えするよりも
別の角度で実行し、
それを果たすまでは何もしていないことと同意と
正観世音菩薩様は指導しておられます。

つまり個人によって
学問・スポーツ・研究・芸術・・・等
基に持ってきている特性があるならば、
それを通しての昇華や貢献が開きの道となり、
本来の個人の本筋に添っての
貢献の道を指導していかれます。

お読みになり
皆様はご自身の真実の特性とは何かを見つめられるのなら、
それは公平な視野に立ち、
ご自身も他者も均衡に見通されますとき、
自ずとご自身の特性に出会われるでしょう。
そこから扉は
意識の向上がある限り、
幾重にも果敢に開いていける可能性が
広がっていくものなのです。



種を蒔くということ


種を蒔くということは
自らの行動によって
根のない地面に可能性という芽をいづらせていくことと
告げましょう。

種とは結果への導きそのものであり、
しかしそれらは自らが蒔くことによって
現実となると告げるものです。

種がありましても、
それを蒔き育くまなければ
実りには到達はありえないものであり、
しかし自らの手によってそれを育てられますものならば、
可能性は現実となると伝えましょう。

今、真理や道理を言葉で悟られましょうとも、
この世では自らが種を蒔かなければ
実りを得ることはかなわないものです。

この世は、自らがどのように生きていくかが
悟りのすべてであると告げましょう。

先ずは、どのような種を蒔かれますかであると申します。

種は実りの行く先を既に持っているものであり、
自らに縁のない種を幾ら育まれましょうとも
それらは到達を運んではこないと伝えます。

種は何でも宜しいから蒔くものではなく、
自らがその種によって確実に進歩を促すことのできるものでなければ、
無味乾燥な在り様となると伝えます。

また蒔く時期や土壌もすべては共時しあい溶け合うと告げましょう。

真実の種を蒔かれますよう。
それはあなた様を確かな人生へと、
意識の成長へといざない続けていくでしょう。

ただただそれを申しておくと伝えましょう。



地盤

何事も自らの根本にあるものが、
すべての事象と関連をもたれます。

それは表層で整えられるものではなきことを悟られ、
如何に自己というものは、
日々刻々と紆余曲折のなかで
根本にありて動きにくいものを
創造主は動かしておられますことを
心で気づかれますよう。

何事も表層で捉えておられます間は
真には自らの何たるかも見通してはおられなきものです。

そして人々は口々に縁起をかつがれたり、
悩まれたりなさいますが、
そのいずれも真底にあるものを捉えられずして
表層にあるものでの判断であることが
概ねであることに気づかれますよう。

短い生涯で、
ただ自らの小さな営みを安定されることが
本来の成就ではなく、
人はより多彩な使命を持たれています。

しかし概ねは三次元での価値のなかでの判定であり、
それを超えていこうとなさらない限り、
自らの根本の存在意義や職務には
決して到達しないことを告げましょう。

根本にある価値とは
この地球上での価値を超えた
聖なる愛に基づくものです。

地上では通りゆくことが
聖なる次元では通用しないことが
真実であることを悟られ、
この世のみで自己が存在なさると感知されますならば、
自らの昇華をとどめられるでしょう。

真実を悟られますよう。

そのことが最もこの次元の意識には、
難しいことなのです。

高次の意識リズです。

私達は広域な宇宙に永遠に存在しています。
それは高らかな聖なる存在ばかりでなく、
折り重なるようにして
意識の存在は数多に存在し、
あなたという一つの小宇宙のような
複合的な在り様も形成しています。

私達の真実の使命は、
大元の宇宙の根源への回帰にあります。

しかし生み出された宇宙には
回帰のための乗り越えなくてはならない
幾つかの関門が用意されているものです。
それは私達全体をあまねく養育し
総体的な昇華へと導くために。

私達は永遠に旅をつづけているものです。

ここに今正観世音菩薩の縁を受けていますが、
それもまた私達は果てしなく統合し、
全宇宙の調和と昇華を確実とするための
与えられたひとつの回路なのです。

地球の存在だけが存在ではありません。

真実はどの次元にもありますが、
真理は大元の聖なる根源である
聖なる父の元にあるものです。
真理とは覆すことのできない
宇宙の軌道の方向です。

私達は聖なる職務に就いています。
人が人に付属する
様々な欲望や葛藤・・・を超えた
本来の自己にたどり着いたとき、
この星の次元を昇華していくものです。

それは3次元を超えた高らかな価値観であり、
聖なる希望であり、聖なる職務への
開幕なものです。

そこにたどり着くかどうかは、
意識の深層が決めていくものです。

概ね3次元意識の主張が先行しています。
まだ少数の人々が
高次との真理的な語らいを
はじめている段階にすぎません。

少数では生き難いこの地球で、
しかし確実に聖なる礎は築かれつづけています。

私のような使命も、
その礎を築くため、
こうして引き合わされてきています。

遠い星の彼方より、
美愛の橋を渡しましょう。

我等神聖の意図することは

我等神聖の意図しますことは、
この地球であるならば、
人のみならず地球総体の進化への真理に添う導きを
果たしつづけることであり、
人々はまだ幼い英知でこの星の舵をとり続けていることに
気づかれぬ、夜明け前の覚醒への指導であるものです。

覚醒とは、
真実の愛への目醒めであることです。

人々は感情と五感を超越する域ではありません。
それらを超えた高次的な目醒めにこそ、
矛盾からの脱却がはじまっていくと申しましょう。

我等神聖はただ語りかけているのみではありません。
既に我等はこの星でも
果たしつづけていることに
気づかれますよう。

神聖は限りなく真理へと
人々を後押しをするものでしょう。

高次的な目醒めは、
それまでの価値を倒置するのみならず、
歩みの方向を変換させていくものです。

我等は既に交信の通じゆく人々とは
古より共にハタラキつづけているものであり、
この現在においても
我等はこの国のみならず、
我等は我等と共に通じゆく人々との
共働は続いていることを申しましょう。

しかしそれらは決して
人の夢を叶えるという創造ではないことです。
根源の手足となり、
真理に開かれた意識で
もっとも根源へと仕えるべく回路をひたすらに
歩みゆくというものです。

それらには栄光もあれば、賞賛に至らぬ
密かな回路もあるものです。

我等は価値を表層で判定することはありません。
絶対的な価値は常に深層の真髄の意識にこそ
放たれるものと申しましょう。

我等はこの回路を通しても
貢献の最中であり、
今はまだ泥沼の淵にありましょうとも、
我等はそこを離れることなく
光を灯しつづける意図を持つものと告げましょう。

やがてこの泥沼に
美しい蓮の咲きゆくことを
既に見通すものとも告げましょう。

我等は我等の意図において、
ひとつの創造を築きゆく意図を
我等の道行に掲げています。

それは真実の愛への価値の開花であり、
人のみならず、意識総体の融和を実践させゆくことを
伝えましょう。

人々よ。
真理に目覚められ、
新しい真実の愛の価値によってのみ、
総体的に世界は開かれゆくことに
気づかれますよう。

個人が個別に夢を叶えても
根本的な進化は織り成せないことを悟られますよう。

高次は美しい連携のなかで、
大いなるひとつの目的を真理に添って
総体的にハタラキ続けていることに気づかれますよう。

主導は高次にあり、
個々が自らの真実の自己へと
尋ねられますよう。

人はみな高次と繋がりておられます。
我等に縁ある方々は我等と共に。
または、自らの高次の縁が他の神聖や
大いなる連帯にあるならば、
その縁へと目醒められますよう。

真実の貢献とは
個人の域を遥かに超えて、
総体的に連ねていくことであることに
気づかれますよう。

まず今の時代の人々に
真理へと目醒められますようと
告げゆくものです。

我等はぬかるみであろうとも、
灯明を差し出しつづけていくものなのです。

富裕と貧困

我等は伝えるものです。
富裕と貧困には格差のないことを。

金貨や財産によって価値はかわるものではなく、
また英知も学校に行かなければ開かないと
いうものではありません。

種々な英知があり、
優しさやいたわりに関る知恵は
学校というより、
生きること全体で開いていくものと
伝えましょう。

人の価値は愛へと
辿り着くものでしょう。

やがて格差はこころの貧しさの具現であることに
気づくでしょう。

与えられるものをすべて与えてこそ、
また自らに返りくることを悟るでしょう。

人々にとり必要であることは、
見栄でも虚勢でもなく、
ただ純真な愛の伝導であることに
気づかれるでしょう。

如何ほどに生きにくい社会を
人々が英知を絞り築いていることかを悟られましたら、
遠回りをせずして、
暮らしやすい世界を築かれますことと
告げましょう。

大切であることは
真実の価値に触れられ、
それを築かれますことです。

世の中を複雑なまま
放置なさらぬことです。

純真にただ必要なものを
互いにめぐらせて参られますよう。

それ以外にどうして道はあるものでしょうか。

限界に辿られましたならば、
人々よ。
生きる道を変えられますよう。

あなたの手で
開かれますようと
伝えましょう。

灯明

我等があえて貧しさを掲げゆくことは、
そこにすべての存在の共有の苦や恐怖・
この星に生息するあらゆる不確かさが凝縮されていることを
明らかにすると申しましょう。

貧しき者のみに貧しさがあるものではなく、
しかしその在り様を据え置く
世界の心にこそ、また貧しさは鏡となりて
反映することを伝えゆくと告げましょう。

人々は自らの不安や恐怖にかられておられます間は
決して他者を心底より請け負われます余地のないことは
明らかであるものなのです。

この星の謳歌は、
個々の意識の淵に住む不安を恐怖を
紛らしておられますことが大半であり、
総勢で真に安泰の世を大地に隅々にまで築きゆくことを
まだ臨まれていない現実は、
大半の人々の在り様が未だ真の意識の枯渇を超越していない証であることを
我等は繰り返し告げゆくことを我等の慈悲と成すと伝えましょう。

我等がただ安らぎある世を導き、
今の限界を慰め、
ただただ癒しゆくのみならば、
決して進化は早められなきことを諭すものでもあります。

我等のみならず、
人々・動植物、
ありとあらゆる存在が常に限界に突き当たりながら
飛躍を遂げておられますことが、
根源の創造主よりもたらされます
養育の術であることを悟られますよう。

すべての存在は儘ならぬものを戴かれてこそ、
この地上では目を覚まされ、
肉体的・精神的にも多大なる昇華を遂げられます
本質的な方向付けを運命づけられていると伝えましょう。

ストレスや限界にただただ葛藤するものではなく、
その根源よりもたらされます大いなる養育の意図を見通され、
表層の簡易なる一時しのぎ的な安定に身をとどめることなく、
自らを奥深くより目醒めさせられまして、
この地上で今世の生命のある限り、
真実に覚醒し、
そして自らの本来の果たしへと遂行なさいますことを
申しましょう。

今いかに我等の音色に
耳を傾けられます人々の少なき現状であろうとも、
我等は末広がりていくことを既に見地していることを
申し伝えるものなのです。

真実の覚醒とは、
個一人の到達であるはずもなく、
すべての一連なりの昇華に尽きることを
理屈を超えて感知なさいますよう。

我等は今まだ我等の音色に耳を傾けることのない
しかし我等と一連に高次に連なりをもたれます人々へと、
本来の幸せとは、
自らが自らをこの大地に立たしめ、他者との関連において
表層でない深層においての互いの相乗の根底からの目覚めに
両者が共に引き上げ行くことこそに喜びは鳴り響くものであり、
個を中心とした表層の安泰や優越の感知ではないことを
身にしみてひと時でも早々に
この星に生ある間に真理を悟られますことを
ただただ導きつづけると告げましょう。

我等の道行きも尚、
真理を伝えゆくことにおいて
任務は果てしなきことを明らかとするものですが、

灯明は絶えることなく、
明明と
真実を照らしゆくことでしょう。

展望

さあ、瞳をしっかりと未来へと開いていかれますよう。
それはあなたの限界を遥かに超えた美しい光景であることが
大切であるものです。

今いかに歩みゆくことが困難で立ち止まられましょうとも、
しかし常に調和的な未来へと進行をつづけられますことが大切であるものです。

思いは思いのままにとどめているものではなく、
例え手足がその方向へと身軽に動くものでなくても
進行することをとどめては
何事も真実は開かれないことを告げましょう。

我等は常に大志をもたれます人々の背を押すものです。
そして、その行動が決して個人にのみ安らぎや確かさを与えるものではなく、
広く世界に開かれた有り様であることを
強く意図するものなのです。

同じことを繰り返し伝えゆく、そのことは真に重要であることです。

大きな未来を描かれますよう。
しかし他者へと開かれますよう。
それはあなた様が最も見向きをしない方向までをも
そこに受け入れられますことを望むものなのです。

行動を起こしつづけるその連続が、
やがて大きな人生の展望を真実の道行きへと
培っていけることを悟られますよう。

重たき手足を動かされ、
自らも最も高らかな崇高な意図に添われますよう。
それは自己保身でも自己陶酔でも他者への見せしめでも
あるはずもなく、
協調と平和と安定のなかの聖なる確信を持たれた
大きな功績を実現することを告げましょう。

高らかな意図とその意図による行動こそが、
この世界を最も求道することを悟られ、
その方向のみへと歩み参られますことを
告げましょう。

我等は共に
常に歩みゆく者を
真に導きつづけることを伝えましょう。

真実の道

意識が辿る道行は、
根源より分かれ出でて、また昇華の融合へと帰することであります。
それはこの地球上で何を学び開き自らが根源に等しく
大いなる高らかで愛あふれゆく真理の意を
どれほどに引き裂かれた小さな分身で
感知されますかにあるとも申していくものです。

道は決して途絶えることなく、
真理へと常に調整されていくものであり、
それらは誤魔化しようもなく常に共時の角度で
引き合わされますけれど、
しかしそれらを目先のみで判定なさっては
本意は計り知れないものとなります。

我等は何度も繰り返しますものの、
分かち合いの分離された在り様が、
この次元の常に淵となっていることを
深き懐で悟られますことが必要であることです。

我等高次の意を顧みられず、
ただ自己の思いのみで歩かれようとも、
この星の価値の判断は真に分離を好み、
力の軍配で歓喜に溺れようとも、
それらは何をも愛を確かなものとせず、
常に優勢と劣性、勝利と敗北の熱気に酔われて
真実の道は塞がれつづけていることを忘れられないようにと
告げましょう。

自らはこうしたい・ああしたいと、
それはそれで宜しいでしょう。
しかしそれより高らかなより清まされたあなた様の意識は
その願望をも遥かに超越したより多くの全体に開かれた英知を
常に奏で続けていることを忘れられないことですと
伝えましょう。

この星に如何に愛の進化のあまりに緩やかなる轍に
しかし常に我等はその幼い所望を超えて
より高らかな聖なる公平さを身につけられまして、
世の中の無情や矛盾を
あなた様の行動によって
明るさへと引き上げられます繰り返しを
継続なさいますことに
大いなる道行きがあることを申しましょう。

小さな戸惑いや失敗にさいなまれますことなく、
大いなる意図へと近づいて参られますことです。

あなたはより公平さを身につけられ、
世の中の如何に傾きたる実情の多くがあることに
慈愛をもたれて制していかれますとき、
自ずと自らも他者も自然そのものが
癒しを超えた浄化を持たれますことに
触れられますよう。
 
愛の無いことに立ち止まられ、
愛を極めることを諦められないことですと
申しましょう。

他者の痛みにより敏感になられ、
自他共に協調的な根本の歩みへと
常に近づいて来られます努力を怠らないことですと
告げましょう。

何度も申し上げますならば、
弱いところに溝ができます。
弱さを互いに救われますよう。
強さを誇ることよりも、
弱さの超越と、他者との根本的な架け橋を
築かれますことに意義を見通され、
強さではなく、弱さをこそ守られますようと
口先のみではなく、それを行動へと変えられますようと
真摯に繰り返し続けてゆくものです。

強さを誇るは、
やがてはそこに壁を築かれましょう。
大切であることは
協調であり、調和であり、
共に全体と常に歩んでいかれますことです。
真摯な姿勢であることは、
自らの自己本位なる夢や希望ばかりを追い求め実現なさいますよりも、
遥かにどれほどに高次的には貴重なるかを
この星の人々は、全体の底辺に立ちて
それらを感受なさいますようと伝えましょう。


無題

リズ・メッセージ

リズです。
私は高次意識の聖域から
遠く次元を隔てた皆様へと
特性に添ったメッセージをお伝えしています。

正観世音菩薩様は、
仏界(宇宙の仏界)での精神的昇華を
意識的な悟りという境界を超越した
行動・貢献によって
人と人との社会だけではなく、
地球の環境・総体的な進化をも含めた全体への
大きな使命があることを常にご提示なさっています。

それは、
仏教界を超え各宗教という三次元的な間を超えて、
複合的な意識の統合へと地球規模でいざなわれていくことを
強く提示なさっています。

高次的には各宗教間に隔たりは無く、
それは道程や手法の相違であり、
またそこに停滞することなく、
複合的な調和を互いにはかり歩みよっていくことに
大きな扉があり、希望に満ち溢れていくことはご理解されるでしょう。

皆様は、ただ悟るためにそこにいるものではなく、
その手足を使われ、
自らを愛に進化させるために、そこに送られています。

まずこの地球では生きること、自己の確立がなければ
大変厳しいものですが、
本当は互いを助け合い、共同し支え合うだけではなく、
高次的な世界を実現するということが
まず一時的な愛の進化への一歩なのです。

お金も文化も教養も、
本来は共に分かち合い、
総体的な愛に満ちた建設が行なえることが第一歩です。
これは政治的な主義や、思想的なことをお伝えしているものではなく、
ごく当たり前の地球にとっての大きな目標であり、
高次的な意義なのです。

それらの提示は
観音菩薩様のみが行なわれているものではないこともご承知でしょう。
つまり、私は観音様のグループに位置するもので
それを特に正観世音菩薩様の明示に添ってお伝えしますが、
より高次ではこれらのことは中心的な方向であることに変わりはありません。

なぜ助け合えない・共有できないのかが、
三次元的由縁であり、課題です。

高次的に意識が昇華しますと、
このごく自然で当たり前のことが
この三次元意識が主流となる世界では
分離・亀裂・画策・葛藤等、
信頼と相反する道行きばかりが先行していきます。

これをどうにかして
コンタクトのできる人々から、
高次的な思考だけではなく、
その高らかな本質による信頼の行動や貢献が
より簡単にできないものかと
私達高次の存在は
日々この地球の皆様へと
大きな総体的な連携を保持しながら
任務についているものなのです。

成仏とは、より三次元意識を超越する意図を持ちますが、
既に人でありながらも、
高らかな意図に添った生き方をしている人々も決して少なくはありません。

完璧でなくても、
共存や調和・平和への深層からの行動や貢献は、
この星の総体的な次元を高次へと変更可能にするものなのです。

高い意図を持ち、
調和のスタンスで物事を公平に見ることから、
次第にバランスは取り戻されていきます。

皆様はその肉体をフルに活かされて、
本質へとより磨きをかけてくださいね。

     正観世音菩薩様・リズ・メッセージ

無題

正観世音菩薩であると申しましょう。
我等はこの世界の恩寵なる平和を意図するものであり、
そのハタラキに従事し続けるものであると告げましょう。

個々の暮らしの安定は広く世界への貢献の土壌となります。

本来如何なる暮らしが
人に据え置かれているものか、
それは田を耕し、稲穂を実らせ、その実りで多勢をまかない、
また共に豊作を祝われますように、
すべては一同に連ねての連帯であることが安定であり、
恩寵であるべき平和の土壌であるものです。

個人の追及は自己を他者より凌がせることではなく、
この地球全体との調和をはかるためにあるものだということを伝えましょう。

また高次とはただお伝えするだけのハタラキではありません。

我等もまた常に自らの成せる最大を如何にして実現できるかに
特にこの地球では、物質的なものをも伴いながら、
引き受けながら果たしつづけていることも告げましょう。

人の世は皆個々の思い通りにはなりません。
しかしまた高次においても
人々に如何にして説きつづけようとも、
その意図は完全に具体化されないことは明らかです。

ここに人の最も根本の道行きがあるものです。

人のみでは進みきれない力が宇宙にはあります。
しかしまた高次にはその人をも動かしきれぬ引き合わせがあるものです。

故に我等もまたこの地上にて、真の御悟りの極みへと自らも
導かれていることを尊ぶものであることです。

人が高次を、或いは仏を、或いは神を恐れずして
自らのみの思い通りになりたいように生きつづけるという轍を歩まれましても、
真実の慈悲なるもの、安泰なるもの、恩寵なるものへは
到底近づけないことは我等から見通すならば明白であるものです。

しかしそれでも生きたいように生きたいのが人の概ねであり、
自らにとって輝かしいことこそが高次的であると感知されますことが
常に多い現状は、今も古も変わりはないことです。

我等は、ただひとりでありても、
真実の道を極めようと、
三次元的回路を越えたところに
本来の自己への到達とハタラキがあることは明らかであり、
そのことに気づかれぬうちは何度転生を繰り返されましょうとも、
自己に甘き講釈をつけられて、現実的には
自らの真実も、他者の愛をも、この星の安定をも
それほどに思われていないことを気づかれますよう。

我等は不滅の意識の高次に位置するものであり、
この我等の言葉に
人々が多く尋ねられましょうとも、
また常に誰をも耳を貸されずとも、
そのことで、何かを弛めることはなく、
我等は我等の意図を持ちて
ここに集われし方々へと
説き続けるものであると告げましょう。

高次の言葉は何語になろうとも、
または説法的な用語になろうとも、
その内なる意図には変わりなきことを
告げましょう。
まして大元はただ一つであるものならば、
どのように語りゆこうともその奥なる意図には
変更はないものです。

我等の言葉を自らの癒しのために使用されますものならば、
それを超えて参られますよう。
菩薩とは、女神とは
ただ慰みの大元のみではなく、
それを大海へと押し出しゆく大河でもあるものです。

今ひとたび自らの本筋を問いかけられ、
道を極められますようと告げましょう。

貢献をなさずして、自らのみを
慰められましても、儚き安泰にしか過ぎなきことを悟られますよう。

この星に枯渇あることは、
連帯の表層的な繋がりの余りにも重視されますことにあります。
真底で繋がることよりも、
表層の困難や非難を恐れ、
真底を表にだされず、真底(心底)を濁らせてでも
表層的な在り方を余りにも重視され、
未だにその枠から超えられません。
それが楔となりて、
様々な社会の根底を濁らせておられます。

悟りとは、自己のみの安泰でなきことは明らかであり、
社会の根底の愛に勤められますことを申しましょう。

先ずは、如何に見たくない自己の現実であれ、
自己の根底にあるものをこそ、
表に出されて参られますよう。

浄化とは、
一息に成せるものではありません。

噴出してくる自らの現状を直視されながら、
表層ではなく、深層で対処を続けられますことを
先ずは、一歩となさいますよう。

我等は、常にあなた様より純粋であります故に
高次において自らを位置させることが可能なのです。

無題

正観世音菩薩様を主とします高次的な指導にアレンジを加えず、

お言葉をブログに載せる日も、また休む日も、

ランキングに掲載しますことも、またそれに拘らずに進むことも

ある意味、出来る限り高次の意図に忠実でありたいと心がけてきました。


正観世音菩薩様には日々多様にご指導をいただいています。

お言葉を長くお休みされ、どうされるのかと思っていましたが、

近頃は、他の高次の方も編制にお関りくださっています。

その高次的な指導の方針や導きに今後もより純心でありたいと思います。

決してお休みしていますものではなく、

日々忙しくしております。


どこまでも限界はないものだと痛切に感じさせていただいています。

ここにお尋ねくださいます皆様に心より感謝を申し上げます。

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正観世音菩薩様は、どのようにすれば

人々の多くが摂理と真理に見合う生き方や価値に気づかれ、

そして果てしなく互いが和合していけるかを導かれる高次の存在です。

私も共に宇宙の次元に位置を置き、

そしてエネルギー的・整調的に今この星に働きかけを持つものです。


高次的な意図により、

この「正観世音菩薩様・聖なるお言葉」の展開も大きく変わりました。

先ずはリンクのすべてを一端外し、

既に競争的なブログでの展開とは逸脱を続けていましたことを明快にしました。


そして、より循環へと和合を持ち、

展開する運びへといざないつつあることをお知らせいたします。

並びに聖なるシナリオ等につきましても、

大きく方向を転換することを

私達高次の意識が連携を持ち、

正観世音菩薩様の明示・意図・指導を

潤滑に現実(三次元)世界に灯火できますことを

よりチームを編成し、

展開を徐々に始める意図を持ちます。


  変容エネルギー局         リズ

潜在能力

極めるということは、
限界の果てに辿りゆくことであります。
それは個人の超越でもあると伝えましょう。

その領域にはどなたをも迎え入れる
意識の層があるものです。

共有の感覚は安心であり、希望であるものです。
希望とは開放であり、エネルギーの流れ来る方向に
いざなわれていくことであると申しましょう。

自己のなかに眠る才能を絶やすことなく
開き続けていくことは、
やがて共有の希望なるものを
他者へと提示し導き行くこととなるでしょう。
すべては超越的な方向にあります。

どのようにして開くかは
あなた様を阻んでいる小さな自己に気づかれますことです。
この世で自らを阻んでいるものは
自らに過ぎないことを悟り、
より細やかに自己の習癖や感情の方向を
お捉えになりますことです。

あなた様はあなた様であるための限界を
超えていくことに意義を見通されますよう。
限界を知ることは大事ですが、
それを超えることに真実の存在の意義があるものです。

自己を小さくし、習癖で固めているのは
あなた様に過ぎず、
それを超えられますことは、決して困難ではないものです。

細胞の隅々へも行き渡らせて参られますよう。
あなた様はあなた様の高次的なる本質を
大事になさいながらも、
あなた様のなかの寧ろ不必要な感覚や感情・行動は手放され、
より自らがこの世界で全体と調和を保たれ、
あなた様があなた様であることの難関さを超えて参られますよう。

必要であることは、
自己にも他者にも、互いの真に良き方向を見通し
建設的な轍を新しく踏みしめられますことです。

全ては建設的に生きていくことによって、
循環していくものです。

自らを最も活かしていく歩みにこそ
扉はあるものであり、
潜在能力というものは
どこまでも伸ばすことは可能であることを悟られますよう。

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( ハイヤーセルフ )

高次にいくほどに共有の場となります。
開かれた視野とは、
小さな自己を超越した広き感知であり、見取り図であるものです。

自らを活かし、素質を引きあげることは
自らを役立たせることへの轍となります。

潜在能力を引き伸ばされますことは、
不可能を可能とさせ、
自己の行動の幅を広げ、柔軟さを養っていくものです。

その能力は、
何ごとも諦めずにその先の到達へと向かい続けることによって
時を経て必ずや機会が巡り来ることでしょう。

変わらずに向かい続け、
好機が来たあとにも向かい続けることにより、
やがて新しき可能性を身に着けていけることになると
告げましょう。

引き続き試みられますことです。
その意図が宇宙の摂理に適うものならば、
その意図はまた高らかに実現化を伴い続けるものと
申しましょう。

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      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆可能性も不可能も自分のなかに

ふたつの扉

どのような時でも扉はあるものです。
もうそこが限界であると塞がられたならば、
そこに二つの岐路があることを悟られますよう。
それを選んで参られますのはあなた様次第であられます。

限界というものは、真に疲弊を伴われますものですが、
そこにあなた様をとどめるか、
道が無くてもそこからあなた様を活かされますかは、
あなた様の選択にあると申しましょう。

常にその選択は折ごとに
あなた様の目の前に置かれます。

それを人々は不幸であるとか、
運命が下がり来ると語られます。
しかし真実はそうでしょうか、と問いかけましょう。

感情のままに表層で心地良いものだけを幸福と名付け、
真底では見開きでありましょうとも表層では苦きものを
不幸である、縁起が悪きものと捉えられますものならば、
真実の宇宙の根源からの愛の育みをも
見通しきれずにおられましょう。

人々は真実よりも、自らが他者にとり
どのように捉えられますかを
中心に据えおかれますものならば、
真実の道は、真理よりも他者の顔色を中心とした道となり、
自己の本質をも活かされなきと伝えましょう。

人々の慣わしや慣習も、人中心の文化の流れであられます。
真理とは遥かに全世界・すべての存在に公平なる開きを伴い、
すべての摂理的なる道理であるもの。
人々は余りにも他者の顔色を気にしすぎて、
互いに信じきれぬままにおられます。

自らを全うすることは
すべての宇宙の摂理に添うこととなり、
文化やその地域のみに通じる慣習を遥かに超えていくものです。
しかし人々は頭ではそれに気づかれながらも
現実は常に他者の顔色を伺われての自己を
如何に取り繕うかに終始しておられますことも
非常に多いと申しましょう。

自らの限界に至られましたならば、
そこで閉じられますものではなく、
必ずや扉のあることを見通されますよう。
それが宇宙の根源からの押し立てであるものです。

人のみならず全ての生命は限界の際にて昇華を果たされます。
如何にその折には苦しくとも、そこにとどまられませず
道を探られますよう。

それは常識も慣習も超えた真理への階であるものです。

自らをとどめていたものは他でもなく
小さな自己の何故かの捉われであることが多く、
また社会や他者への不信から
自らの生命をも手放されますことも少なくはないものです。

他者や社会というものは、あなた様の意識の反映にすぎず、
自らが真に真実を全うなさいますことを
打ち立てられますものならば、
必ずや例え今ただ独りであられましょうとも、
宇宙はあなた様を見放すことはないと申しましょう。

迷われますものならば、
他者を救われますよう。
その他者が信じられずとも、社会が厳しくとも、
その心を先に慈愛へと打ちたてられますものならば、
自らの価値を見出され、
あなた様の存在の意義は、
宇宙のなかで確定的なるものとなりましょう。

先ずは他者ではなく、
自らが自らの価値を掲げられますことです。
そしてその自己を最大に活かすことは
自己のみならず他者を活かし引き上げゆくことに於いて
他に道はなきことを悟られますよう。

-----------------------------------------------

どのような時でも扉はあります。
例え独りきりでも自分を活かし続けるものならば
道は後から開いてくるものです。

諦める必要は何もない。
そして常にサポートはあるのですから。
必ず宇宙は答えてくれる。
そう実感できるこの頃です。

チャレンジは幾つになってもできます・・・と
正観音様はお伝えになります。
例え体が動けなくなっても、チャンスが無くなっても
自らを活かすことは可能であると。
人を支え引き上げることも可能なのですと。

深刻な時、
惑う時こそ扉はあると・・・。

自己も他者も活かすという扉を開いていきたいものですね。



       心より 尊びを込めまして。

------------------------------------------------

      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆どこにでも希望はあります。

多様性

自らを活かすということは、
自己の本来の意思に添うことです。
それはあなた様の本当の気持ちを超えた
精神のなかに辿りゆくこととなるものであり、
どこまでも追求すれば遥かに高次の次元へと
辿られましょう。

活かすということは、バランスへと添うことでもあり、
バランスとは調和や協調のみならず
あらゆる縦割り的な分野にもより限界を超えて
柔軟になれる方向であるとも告げましょう。

スペシャリストが
別なる分野では何をも開眼されなきことは
多々あるものです。

しかし本来の自己と言うものは大いなる全体とより共時し、
その全体に捧げる方向であり、
より柔軟に全てにわたり自らを活かすのみならず他者をも活かし、
互いの向上となるものですと申しましょう。

柔軟であることは多様性でもあり、
ひとつの事に対する対応から
より幅を広げて仔細に対応可能となる方向でもあると
伝えましょう。

またそれは人としての多様性を開花させ、
他者や自然との調和・共生を
可能としていくものであると申しましょう。

多様性とは、高次的には器の広さを指すものです。
多様性とは、意志薄弱な方向にあるものではなく、
自在に多岐に渡る適性の開花の方向でもあることを
申しましょう。

バランスとは、安定的な意識による
多様性の開眼の方向にあります。
調和や共生・平和・融和なるものは、
多様性に開かれた意識によって柔軟に
道を育まれましょう。

本来精神というものは縦割りでは総括できない
広大さのなかにあるものです。
自在であるということは、多様性でもあり、
またすべての全体にたいする柔軟性でもあることを
告げましょう。

真実の道行きとは、バランス的に
歩まれますことによって
他者との間に種々なる貢献の轍が
刻まれましょう。

心を柔軟に開かれますよう。
そのことは自らも他者をもどのような在り様でも
自在に難所を越えていける方向に
英知も可動するというものですと
申しましょう。

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心が柔軟であると
体も安定します。
無理をしているようでも、
統制がとれてきます。

今日も柔軟で、そして軽やかな
時間を過ごせることに、心から感謝を捧げます。


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      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆最も心が軽やかであるよう柔軟になる。

お金というもののなかに

人々は表層的には金銭に
節度を持たれて接することを快しとしておられます。
しかし内なる心では、金銭を尊ばれずとも金銭の
生存における絶対的な力を超えられずにおられましょう。

自らは金銭には潔しと告げられましょうとも、
現実的に人は金銭を超越し、それらをも互いに
分かち合うものとしてまでは成熟しておられないことを
悟られますよう。

現実的に最もお金を希求する人々へとそれらは行き届かず、
寧ろ過剰なところへと傾斜をかけて流れていることを
伝えましょう。

真の豊かさとは富ではないものです。
心の在り様であることを悟られますよう。

人々は未だ根底から分け与え合うという段階へと
到達しておられません。
いかにして自己をこの生き難い世で全うさせるか、
それは自己のみの安泰な暮らしであるものではなく、
摂理に添われ、真理に等しく昇華の途を
歩み続けることにあると告げましょう。

お金というものを超えていかなければ
社会の底辺は変わらないものです。
この世は未だに不信や疑心に苛まれています。
人を信じることよりも、お金や物質による安泰を
求められますものならば、
それは真には貧しきこととなります。

人々は愛するという使命のもとに
この世におられますものの、
表層の未成熟な感情に皆が皆溺れ、
真実の価値を見失われたままであることを
思い返されますよう。

内心におかれてお金を中心とした世を
いつまでも据え置かれておられないことです。
お金とは互いにどこまでも行き滞ることなく
巡り巡っていくことに意義があるものです。

モノは足りないところへと駆け巡っていくことに
意義があるというものです。
モノもゴミも自然の摂理に添われて循環していくことに
尊びと再生の回路が巡りゆくことを告げましょう。

バランスを灯されますよう。
あなた様を活かされますように、
他者もモノも活かされますよう。

この世は全体に等しく巡りあわれて
はじめて悦びが奏でられます。

自らを差し出されますよう。
自らの小さな砦を越えられて、
真実の勤めを果たされようとなさいます時、
自己の意義を悟られましょう。

春の日に、
他者を自然をすべての存在を
慈しまれて参られますよう。

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春の日を迎え、意識も行動も芽吹いていく時です。
皆さまにとられましても、
夢を現実に変え、
そして共に生きていることがすばらしいと
実感できる毎日をお過ごしくださいますよう。

本日も心より感謝を申し上げます。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆実現することはすばらしい。

指針

世界は格差のなかに
混迷の鍵を落としています。
格差とは、人が人を区分けすることであり、
その意義は、不信なものからの脱却であり、
人は底辺を築くことによって安心を得ておられます。

底辺を引き上げることが平和への礎であることを忘却され、
底辺と頂点の開きを築きゆくことに安定を見渡されますならば、
それは恐怖の心絵であり、それをそのまま実現しておられます。

自らが根底から安泰を望まれますものならば、
世の中にある底辺を引き上げられますことです。
頂点を極める事のどれほどに意義があるかと
個々に確認なさいますよう。

頂点とは人が人を掻き分けることでもあり、
それらはまたどこかで敗者を生み出されておられます。

勝敗の如何に重大であるかを尋ねましょう。
それにより何を得られましょう。
そして真理は誠に勝者のみを讃えるものでしょうか、と
また問いかけましょう。

人々は野獣の如くに自らを勝たしめることが
生き抜く自己存在の意義であると未だに拘られますものならば、
未だ轍は戦場と化すでしょう。

人々は協調や調和・共生というものを学ばれて
はじめて人という品格が備われましょう。
勝敗に勝利されますことが優秀なものではなく、
それは用意されました肉体の遺伝子の特性とも重なりましょう。

大事であることは、特性をただ活かされますことではなく、
共生・融和なる意識へと如何に育まれますかであると
申しましょう。

平和というものは簡易である筈もありません。
平和というものは、最も難易度の高い道行です。
戦い・他者を貶めても、それは何をも安泰を生み出さぬことは
明らかなるものなのです。

平和というものを本心で取り組まれますものならば、
自らの限界をも超え、
社会の境界をも難解をも超越の方向に向かい続けられますことは
明白です。

心の安泰を図られながら、
これ以上、人が人をまたは自然や他の生命を
不幸にされてはなりません。

格差を縮められますよう。
人は皆近しくなりてこそ、調和は図られます。
今目の前に非常なる格差が据え置かれますものならば、
摂理的にも厳しい在り様は引き合わされましょう。

自らが既にあるものを差し出され、
自らに足りなきは戴かれますよう。
あなた様の行く道に他者との共存の道行きを
開かれますよう。

その事なくして、真実の平穏はもたらされ無きことを
告げましょう。


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( ハイヤーセルフ )


人は根底からの愛に見開かれましたならば
可能性は存在の数だけ広がるでしょう。

しかし共有なさいますことが前提であるものです。
より格差を縮めるように、同じ階層や民族や思想を伴う方を超えた
バランス的な集合のなかで
培われていくものがあることを伝えましょう。

格差の広がりというものは 一方に優越を、
他方に劣性を引き出し決定づけていくものです。
そのことはまた遠い先に巻き戻しの時間を必ず
必要とするでしょう。

公平な視点に立つことから、
それまでにはない物の見方や感じ方は
始まるものです。

互いが互いのために、
多くの人々が無私な働きに
喜びを感じられますとき、
賛歌は鳴り響くでしょう。

向かわれますよう。
自己を超えて捧げるという道行に。
それはあなたを幸福や希望に変えることはすれ、
孤独や不信へと導くことはないでしょう。


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 本年も、愛に近づく年となりますよう。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆格差とは、互いを引き離すだけで益はないものです。

 

時代の展望

大きく人々の意識は変容をむかえられましょう。
時代の体制は行き詰まりを顕わにして参られましょう。
それは次なる時勢の流れを運びくるものです。

人々はより全体の調和のなかでこそ
恵みが巡りくることを悟られましょう。
物質的なる富裕というものに、
真実の幸福は叶えられなきことを悟られましょう。

力というものが、威圧や富ではないことを
気づかれましょう。
限界の奥底から、地上の社会の底辺から
新たなる知恵の息吹が巡らされましょう。

個人のみに固執した幼さは色褪せて、
他者への貢献にこそに光を見出されることでしょう。
愛というものは情愛の彼方にあるものではなく、
人類愛を超えた宇宙的な全体を尊ぶ大きな心に
循環がくることを やがて多くの人々が
次第に気づきはじめられますことでしょう。

価値という価値に、
愛の物差しを置かれます時が近づいているものです。

勝敗や勝ち続けるということの
如何に空しきかを悟られましょう。
謳歌というものは、成熟の意識の進みゆく方向ではなく、
枯渇した幼き魂の欲望にすぎないことを悟られましょう。

地上が未だに勝敗の構図にある間は、
真実の愛や思考というものは
表に立ち上がることは共時されなきものです。

しかしそれは対岸のかけはなれた距離にあるものではなく、
すぐ近くにまるで背中合わせの如くに、
真実への扉は近づいていることを告げましょう。

高次的な意識というものは
三次元を遥かに超越した見通しのなかに
常に愛を提示し続けるものです。

しかし悟られますよう。

真実と申しますものは、
個を超越した愛であることを
見通されますよう。

我が身ひとりに構われておられます間は、
真実である全体の構図が見通されません。

全体のなかにこそ、
人が人として全うすべき在り方と
道行があることを
真摯に提示しつづけて、
新しき時流の扉を
個々に見開かれますようと
伝えましょう。

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2008年があと少しで終わろうとしています。
同じ時代に学びを得られますこと、
課題をいただきますこと、
すべての循環に心より、
感謝と尊びをお捧げいたします。

時代の展望が鮮やかな
個々の生きる意義や目的・使命を
輝かされることを
心から、お祈り申し上げます。


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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆ 時代というものは、必ず次の扉を向えます。

実現するということ

自己のためにのみ生きることを
超えられたならば、
世界を融和へと移行するかに
自己を遣わしていけるものです。

文化も研究も、芯の部分に世界の真の貢献を
意図されますものならば、
世の価値は大きく移行することが可能となるものです。

世界の渦に溺れ、
多勢のなかで巻かれていくことを
安泰とお捉えになる間は、
真実の貢献へは歩み出せないものであると
伝えましょう。

持ち来たりておられます肉体の意識が
強く頑丈であるものならば、
それは三次元意識の幅を利かせて渡りきる
ことも可能でしょう。

しかし、もしも脆弱な肉体のみを持ち合わされ、
高き意図をお立てになりましょうとも、
なかなかに進めないものならば、
その間にある今に
どれだけの大きな扉がありますかにお目覚めになり、
開かぬ扉を見開こうとなさいますよう。

実現とは現実に於ける事象を伴ってこその
轍であるものですが、
必ずしも実現のみが成果ではないことを伝えましょう。

脆弱な器の意識で、それを超越なさろうと
試みられますことに大きな社会の変革への
扉があるものです。

遺伝子というものは概ね三次元的には
占いではないものの、その存在の行く道を
決定づけることも可能であると申しましょう。
概ねこの世界の在り様は弱肉強食の連動で
あるものです。

しかし人々はこの轍を超越なさいますことが
肝心であることを見通されますよう。
DNAに添われ、ただ自らの限界を超えずに
そのままに如何ほどに灯火をなさいましょうとも、
結果は何をも変容をもたらされません。

弱者は概ね優しい存在でもあるものです。
または英知に切り込んでゆく発想の展開や、
粘り強さや諦めのなさを持ち合わせていないものでは
ありません。

ある意味引き受けることが強い存在でもあるとも
伝えましょう。
しかし自らを勝たしめていくことに譲りゆく
弱さがあるとも伝えましょう。

しかし勝敗は真実の愛をいつまでも
この世界に実現しないことは明らであると
申しましょう。

弱き者は強くなることによって見開かれていくものです。
強きものは分かち合い、自らは譲ろうとなさって
世界を救済することが可能となるものです。
DNAのままに生き進まれても何ごとも根底からは
変わらないものなのです。

強き者は力を与えられますよう。
弱き者は力を授けられますよう。

その昇華にこそ、平和というものは
現われてくるものであると申しましょう。

強き者は強きをそのままに実行するものではなく、
自らの強さをゆるやかになされて、弱きを引き上げ
世界の調整をはかろうと貢献なさいますことです。

本能のままDNAのままに誇りゆくことが、
高次的栄華ではないものです。
全体の統制こそが、最も大事なる果たしであることは
明らかなるものなのですから、
全体を如何に融和するかに真摯に真向かわれますようと
申しましょう。

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行動することを中心に据えますと、
ブログの更新等、進まない日々が多くなりました。

しかしどの様な時でも続けられますよう、
とご示唆をいただきます。
好転するときもそうでないときも、
変わらず続けられますようと伝えられます。

今は三次元世界のなかで
どうすれば愛の共生を開始し、融和的な貢献が
できるかの一色に心は向いています。

気の合う方々との共生を超えた、
社会から隔絶された方々との互いの愛の共生に
どのように橋を架けていくかに、
日々向かわせていただいています。
それは言葉で申し上げるほど簡易ではありませんが、
また出来ないものではないことを見据えています。

そしてそれは大きなものではないかも知れませんが、
また決して小さく意味のないものでもないと
確信しています。

皆個々に聖なる特性と使命を携えて
生まれてきていらっしゃいます。
今世では花開かない方もあるものですが、
実現するかどうかということを超えて、
導かれていく方向に、大切な課題や大きな扉が
あることは確かです。

高次の意図はつかみ切れないものですが、
しかし家族だけではない大きな聖なる家族を実現し、
孤独者を根絶する、そのような生き方があっても
良いのではないかと感じています。

実現できない限り、本当の信頼や循環は
巡らないとも学んでいます。
先ずは私達が出来ることを独自に開始していく、
その果てに何かが
巡り始めてくるものではないかと、
感じています。

本日も心より尊びをお捧げいたします。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆本来のハタラキとは自己の限界の超越に巡り着ます。

次元を超えるということ

次元とは特異であるものではありません。
それは愛の見開きの度合いであり、
開かれた意識は三次元的な拘束に
捉われつづけるものではありません。

次元とは幾重にも連ねる意識の回路であり、
次元次元によりて共通の傾向はあるものです。

次元を超えるということは、
三次元意識の跳躍であるものです。
三次元意識とは常に閉塞的な視野で
個人を捉えすぎているものです。

個人という存在は真には幻影であり、
全体との融合のなかに真実の自己の意識は
明らかとなるものです。

次元を超えるということは
この地上では、個の存続から
全体の昇華を担う方向にあり、
全体とは遥かに人類愛をも超えたものです。

全体を見通しきれない三次元意識に、
どれほど全体のなかで存続し、全体を愛し尊ばれますことほど
大切なるものはないことを唱えましょうとも、
それは伝わりきれないものとなります。

次元を超えることは、
限界を悟り、個ではなく
宇宙へと自らを返されましたときに、
その翼は得られましょう。

この世の現実は、
愛よりも亀裂や分断のなかにこそ
真実を見出そうとする視界のなかにあり、
永遠不滅の魂の本質に
触れられますことこそが幻想であるかの如くに
捉えられています。

はじめから真実を否定されたような視界のなかで
真実を如何に語り継いでも
人々は経験なくしては何ごとも悟られはしないものと
申しましょう。

真実はより高き次元にこそ明らかであるものです。
三次元世界が如何に分裂や不理解のなかに
置かれていましょうとも、
高次は空高く真実の道筋を伝えつづけることを
告げましょう。

謙虚になられますよう。

自らの視界がすべてではないことに
気づかれますものならば、
より心眼を開かれまして、
愛というものを高次的に捉えなおされていかれますよう。

人々の道徳・美徳なるものも、
未だ限界のなかにあることを伝えましょう。

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( ハイヤーセルフ )

次元によって価値感は
明らかに違っていきます。

見開きつづけることは
全体への貢献となります。

しかし地球上では、
具現をしなければそれを果たされたことには
なりません。実現は簡易ではないものです。
人々はやがては分かち合われます。
自らの持てるものを与え、互いを引き上げるでしょう。

そのことは愛の世界にとって基本であるものです。
奪い合うこと、競い合うこと、
その必要はどこにもないのが高次の在り方です。

未だ摂理的なことがこの地上では通りません。
愛の道理・生きる本質を説いても、
通じないことがあります。

自己本位であることが時には美となり、
全体を愛することが奇異なものとなることが
多いものです。

それでも本筋を指し示しましょう。

今はまだ高次の伝言が直接的に届かなくても、
真実はやがて次第に現実となるでしょう。
それまではまたひたすらに遥かな時間をかけても、
私達高次の在り様は、この地球に愛の指針を
提示していくと申しましょう。


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      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆ 真実は届かなくても、提示し続けることが高次的な生き方です。

愛という力

真なるものは愛であり、
それは最終まで継続し残りつづけるものです。

どれ程に裏切り合い憎しみ合われましょうとも、
殺戮が絶え間なく繰り返されましょうとも、
意識はより深い愛へと目醒めゆくものです。
そのための激しい回路は繰り返されましょう。
しかし終には愛の意識はより鮮やかに深みをますものなのです。

愛というものを知るには、
それは小さな分離された出会いではなく、
全体の統制・融合のなかにこそ
本来の愛という光はあります。

この地上おいては小さな自己による
分離的な愛であり、
それは如何に充実した家庭を築かれましょうとも、
真なる愛というものは、
決して分離されるものではないことを申しましょう。

この地上に引き裂かれたる孤独者があるものならば、
それは全体の愛への見開きの足りなさの実現であります。
孤独者とは、独身であるとか家族がいないという意味ではありません。
それは真実の愛への閉鎖された意識の存在であるものです。

三次元的な愛欲の高揚は、
真実の愛に似て、しかしそれは
分離を伴われるものであるものです。
それらを否定するものではなく、
その高揚を超えたところにこそ、
愛の絶対的な確かさは存在しています。

しかしそのことに肉体を伴われます人の意識は
目醒められないものなのです。

真実の愛は人類愛を超えた遥かに
宇宙的な強大さを灯しています。

小さな分離の小さな個人的な幸せに
ゴールがあるものではありません。
それは一時的な学びの巣であり、
しかしそのことも大事ではありますものの、
それが成果ではないものです。

本来の愛へと人が目醒められますものならば、
すべての世界の在り様は
確実に分離を生み出さぬ
統合への尽力や叡智の傑出となりましょう。

この地上の未だ途上なる愛の見開きに
高次的な指導は、個々の内なる神聖から
やがてはより確かな真理への目醒めを
徐々に 徐々に 打ち立てていくと告げましょう。

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(ハイヤーセルフ)

如何に地上に溢れるばかりの
家族が個々に存在されましょうとも、
その昇華の彼方には、
すべてに境界は何一つないことを
伝えましょう。

そのことの実現は三次元世界に於いては
難しいものです。
しかし家族のみの扉を
他者へと広げてまいられますよう。
そのことが徐々に
あなたの本質を目醒めさせていくものなのです。

すべての存在は
一繋がりであることは確かですから、
あなたという光を他者へと差し出され、
そこから真実の家族とは如何なるものかを、
見通していかれますよう。

大いなる自己はすべての他者と深く既に
交わりていることを知るものです。

あなたの本来の愛とは、
細切れに不公平に差し出していくものではありません。

真実の愛への扉はあることを悟られ、
その大いなる力を自らに授けられますよう。

本当の愛というものを
実現していく轍を刻まれますよう。


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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆本来の愛は宇宙の愛です。

仕事というもの

真実のハタラキは
生活のためにあるものではありません。
仕事なるものは愛の献身であることが本筋であり、
この世の循環はまだその域に至られてはおられません。

自らの生活の確保のために、
常に戦場の如くに
強者と弱者が位置されますことに、
疑問とそこに大いなる未知なる扉があることを
気づかれますよう。

分かち合いいたわり合えぬ地球の次元は、
真の愛には見開かれておられません。
自らのために他者を切り捨てていくことの
意味のなきことに気づかれますことです。

他者を支え自らも打ちたてられ、
そして互いにより全体を担われます方向への
歩みの連続に大いなる意義はあるものです。

仕事なるものは献身であり、奉仕であり、
愛そのものの表現であるものです。
仕事で何を競い合われましょうとも、
本筋を違えておられますものならば、
全体が整わぬことを悟られますよう。

世界の一部分ではなく、
世界の全域を調和させ、個々の特性を活かされます
叡智の差出しに光の道筋は整われます。

多勢が仕事の確保のためのみにはしり、
生きることのままならぬ在り様の
如何に意味のなきことかを悟られますよう。

それらの格差や闘争は、何一つとして
調和を生み出されなきことは明らかなるものです。

多勢が苦しみのなかにいて
少数が優越のなかにおられましょうとも、
その両者とも真実の安泰へは導かれなきことは
明らかなるものです。

どちらにも橋を架けられますよう。
全体が循環をなされますことに
真の意義があるものです。

全域を潤わされますよう。
潤わされずして、
まばらなる循環を継続なされましても、
そのことに真の価値は見出されないものなのです。

豊かさを差し出されますよう。
差し出されますことを受けられますよう。
受けられましたならば、また自らも
次なる方へと差し出されますよう。

差し出し、差し出し・・・・
その方向に自らも全体もバランスへと
調和へと、いざなさわれていくものなのです。

愛という架け橋を
他者へ他者へと繋がれますよう。

-----------------------------------------------------------

労働者の解雇が深刻な問題となって
きています。
そしてそのなかで、
現実的に家をなくし路上に
暮らす方々もまた増えてきました。

私達が全体でありながら、
個々のためのみに生きつづける、
そのことがまた誰かを引き割いているかも
知れません。

世界中の貧困というものは、
愛でない感情的な不安や恐怖、または
無邪気に優越を求める思いから、
同じ存在としてすべての方々と分かち合い、
助け合っていくことに蓋をしているのではないでしょうか。

勝ち続けることよりも、
分かち合い助け合い
より弱き存在に手を差し伸べようとする、
そのあり方にこそ、高い意義と価値があるのでは
ないでしょうか、と思います。


   キリストの降誕の近くなります頃に。

    心より感謝と、そして助け合うということを

      より実現できる社会となりますよう。

   
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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆真の貧しさとは所有の少なさではなく、愛の足りなさです。

世界は一連なりであるということ

すべての在り様は一連なりであり、
どこにも切り離されたものなどありません。
共時性のないものなど何一つなく、
しかし見開きに必要な引き合わせをいただかれます。

問題の根源にあるものは、
概ね誰もが共有できるものなのです。
孤独であれ、不安であれ、恐怖でありましょうとも、
それはすべての存在のなかに混在なさいましょう。

愛されることに幸福があるものではなく、
ただひたすらに愛しあたえることに
意識の本質への方向があります。
それは摂理であり、真理であり、極めへの道行きです。

無条件なるものは、
根源の創造主様の意図なるものです。
常に根源は無条件にすべてを同時に
いざないつづけておられます。

この星の自然や社会の形成も
皆一連なりであり、
如何にしてすべてに平穏であり、安泰であり、
限りなく極めつづける在り様を
具体化なさいますかにあると申しましょう。

すべての地域(国)が連携して、
地球に平和をもたらされますよう。
すべての地域の特色を活かされて
全体で豊穣をきずかれますよう。
広く資源を大事になさり、
バランス的な歩みを行なわれますよう。

全域で見取り図を書かれますよう。
すべての地域を活かされますよう。
そして分かち合われますよう。
互いに
金銭のある者はそれを与えられ、
愛深き者は愛を授けられ、
救済の必須なるものはそのことを与えられますよう。

豊かなる地域はその豊かさを分け与えられ、
豊かさのなき地域には、その足らざるものを
豊かさを必要とするところを中心に集めて参られますよう。

それが摂理であるものです。
それがバランスであるものです。
より細やかなる地域についても同じであるものです。
すべてに融和の実現への橋を架けられますよう。

そこに高らかな使命は放たれましょう。

-------------------------------------------

高次的な視野は
常に全体を見通していきます。
縦割りの構造ではなく、
全体へのバランス的な循環にあります。

より多くの方々が世界への無私な働きかけや
貢献に費やされていくことの大切さを
実際に体験されますように。

無私な働きと働きが、
愛というものを循環していく、
そのような社会をより実現するために、
限りない道をお与えくださいますように。

    感謝と尊びを込めまして。

     -----------------------------------------------

      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆地球は全体で一つです。

共生・融和の在り様

共生とは必ずしも同じ敷地のなかに
暮らされる意味ではなく、
しかし全体と共にあるというなかに
存在の意義を見通していくものです。

人もお金もモノもゴミも摂理をも
共に分かち合われますことにこそ
すべては慈悲慈愛へと整われていくものであると
告げましょう。

足りぬものは補充の方向へと、
多くあるものは徐々なる差しだしへと、
全体を通して調整をはかられますことに
バランスである世界の融和は具体化なされていくものです。

バランスのなき世は、格差を生じさせてゆきます。
そのことが、不公平感や不信・優越を生み出し、
その感情による展開は一連なりであるはずの世界に
亀裂や分裂、そして孤独を生み出されます。

人々は家族を主となさいますが、
それらをも超越して、互いに引き上げあわれますことに
精神の交流のみならず、
実際に現実的に分かち合われましてこそ、
愛は次々に巡りめぐられますことを伝えましょう。

真実の貢献とは、
愛を世界へと差し出されますことです。
全体を通して創造なさいますことに、
個を超えた多くの存在との連なりが深められます。
その折、呑み込めない対象をこそ愛されますよう。
そのことこそが まだ自らが経験なきものへの尊びとなられましょう。

超えられますよう。
実現なさいますよう。
真実の道行きとは、
果てしない創造であるものです。

元は無限の意識の存在であられます。
この地球に折角に参られましたものならば、
肉体をお使いになられ、物質をすべての融和の貢献へと
巡らされますよう。
お金は高次には存在しないものです。
我等からすれば、それも物質に過ぎないものなのです。
人々が余りにもそれを求められました。

超えられますよう。
築かれますよう。
愛の創造のみがすべての存在を
引き上げられてゆかれますものなのです。

あなた様を愛されますように、
全体を慈しまれ、
共に救済へと歩まれますよう。

---------------------------------------

高次と繋がらせていただきましても、
それだけでは具現にはならないことを
経験と共に今学ばせていただいています。

はじめはブログ等で
お伝えすることが使命ではないかとさえ
感じていたものですが、
最初から「融和の具現ですと申していました」と
おっしゃいます通り、今現実社会で動き始めて
未熟さや小ささを感じます。

私の場合、三次元意識のままでは、
正観世音菩薩様の手足となることはできません。
三次元世界では、高次の意識は共時しません。
宇宙は公平ですから、見開きの等身大で
ゼロからまた再度歩みはじめることを
押し出されています。

これはどの世界の方も同じですが、
何かを完成しようと試みることは、
流れのない期間は非常に進みにくいものです。
しかし、そのこともこの世に生まれた意義ある経験ですから、
今は非常に有難く思われます。

融和の具現とは余りにも大きいテーマです。
しかしまた副題として孤独から愛の共生というテーマを
いただいています。

精神的な共生の方が今すぐにでも可能です。
私達は常に共に存在していますと・・・。
しかし家族を超えて、深刻な問題から目を逸らさずに
共に愛で共生するようと、日々押し出され、
今ご報告のできる段階ではありませんが、
常に模索はつづいています。
現実的な灯火は文章にするよりも大変です。

私共は、意識的な昇華がゴールであるとどこかで
勘違いをしていました。
また現実社会への実現だけが頂上ではありません。
高次的見地から見通せばあらゆる方向に
バランス的でない具体化はあります。
しかしそれを調整するのに、現実的に橋を架け、
方向を転換し、流れを昇華させる必要があります。

政治や福祉的な活動も、
高次的な見開きも皆一連となってはじめて
世界はバランス(平和・融和)的に可動できるものです。

真理に添う循環こそが平和を築くと言われます。
人もモノもお金もゴミも、
摂理的な方向に添いながら流れ出して
はじめて自然の環境も世界の安泰も築かれていくと伝えられます。

総合的にあらゆる位置から、
バランスへと見開き修正を差し入れていくことで
私達はそれまでかつて経験したこともない
愛の創造へと近づいていけるものです。

共に大きな意味で連動してくださいますよう。
また私自身もそこに参加ができますよう。
融和な世界の創造に、希望と愛を見通します。

  本日も最後まで心よりありがとうございました。
  尊びをお捧げいたします。

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      すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆世界はあらゆる方向から愛の意識で変容されていきます。

融和的総合

この世に存在するすべてのものが
融和的に総合なされます方向に
真理への夜明けがあります。

無宗教も含めて、宗教すべての叡智や教義が
高次的監修により総合なされますならば、
バランス的な真理へと近づき始めてゆくものでしょう。

しかしそれでも絶対的であるものではありません。
真理とは地球のみに手渡された真実ではないものです。
この地球の次元を超えた広さ深さ高らかさのなかに
ゆるがぬ絶対的なるものがあります。

真摯に宇宙の広大さを尊ばれ、
境界のない心で臨まれますよう。

真理とは表層で辿りつく回路ではありません。
内底にある心の回路こそを
重要視なさいますよう。

そしてこの星の聖なる愛の実現に
自らを差し出され無き限り、
現実は変わらないことを悟られますよう。

それらの轍は
寝ている間にロボットか魔法が
仕立てていくものではありません。
その肉体と精神をお使いになられてこそ、
真なる極め・昇華への回路があることを
悟られますよう。

我等は精神のみの向上では、
現実的には深き開眼とはなられなきことを
見通し申しゆきますものです。

濡れ手に粟なるものは、
必ずやその意識の浅さに自らを封じられましょう。

すべての在り様を尊ばれますことに、
時代の見開きがあるものです。
融和なるものを現実に具体化なされてこそ、
真実の愛というものは巡りはじめられます。

愛を現実化なされずして、
如何に高らかなる言葉を発しられましょうとも、
真実の見開きへは辿れなきことは明らかなるものです。

たとえ聖なるものに触れられずとも、
他者への献身を忘れぬ行動者がそこにあられますものならば、
その意識は、言葉のみ光を放たれます存在よりは
明るみに立ちておられます現実を悟られますよう。

何を日々具現なさっておられましょう。
完璧であることを求められますものではなく、
個人個人には特性やまた足らぬところがあられます。
しかし個々それぞれに自らの限界を超えつづけられます育みが、
新しき愛への回路を展開しつづけてゆくことを見通されますよう。

何のための肉体であり、生きておられますのかを
問われますよう。
例えその肉体が思いのままに動かせずとも、
その在り様にもあなた様への存在の意義の問いかけがあり、
それら全体を受け入れながら、活かされようとなさいますことが、
真実への極めであることを伝えましょう。

歩まれますよう。

この世はただ精神のみにて生きることではありません。
枯渇したものに愛を灯され、
この世を融和へと個々に打ち立たれ導かれますようと
申しましょう。

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精神修養よりも
実行を伴った
社会への貢献への意義を何度もお伝えになります。

真理とは、
教義で覚えるものではなく、
行動や体験・実感や体感を通して
言葉を越えたところで悟っていく方向であるとも
何度も伝えられます。

そして実際に行動を伴っていくと、
言葉ではいえないような
あたたかな体験をいただいています。

マザー・テレサも布教を超えた
愛の奉仕へと自らを差し出されていらっしゃいました。

現実的な社会の困難さに
向かうとき、
人は限界を超えて
歩き出せるものかも知れません。

地球上に解消されない問題があります。
しかしそこにも愛の扉があり、
私達は共にすべての存在を尊び互いに引き上げていくことが
大切です。

貢献の場には、
高次意識では共時がなくても、
他者のことを思いやり
非常に愛情豊かで惜しまない献身を
続けていらっしゃいます方々が少なくはありません。

それでも進み切れない問題はたくさんありますが、
より多くの心豊かな方々が、
他者へと奉仕されますとき、
世の中は変わり始めてくると感じます。

  本日も感謝と共に、尊びをお捧げいたします。


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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆現実的な献身に、愛への扉があります。

真実の貧しさ

貧困である状態が
心の貧しさではないものです。
豊かな生活のなかに
心の貧しさがあることを伝えましょう。

他者の痛みを無関心で素通りできることができるならば、
それは貧しさの現われです。

他者の救済をするのに
充分なものがあっても
それを躊躇する心は
貧しさの現われであると伝えましょう。

貧しさは表層の貧困ではなく、
深層にある心の乾きであり、
それは貧富に関らず両者のなかに
豊かさと貧しさは混在していると申しましょう。

真実の貧しさ・豊かさというものは、
心を指していうものであり、
この地上に未だ種々な格差が存在し、
分かち合えない事情が多くあるならば、
それは貧しさの現われであると伝えましょう。

豊穣の暮らしが決して
豊かさではないものです。
この世に恵まれない人々が多くあることを知りながら、
自らが富めることに邁進していくならば、
痛みを分かち合うことを循環しきれない
心の貧しさであることは明らかなるものです。

真実の豊かさとは
共に分かち合う心であり叡智であるものです。

独りよがりな贅を楽しまれますことは、
即ち貧しさであり、
極められます意識というものは
全体のなかの私として、
すべてを受け入れ引き上げていく方向に差し出すものであると
申しましょう。

この地上には数多に貧しさが
混在しておられます。

自らの貧しさ・他者の貧しさに
光を差し入れられ、
共に手を添えられますようと
申しましょう。

栄光を謳歌なさいますことは、
真なる成就ではなく、
幼き意識の轍であるに過ぎないものです。

悟られますよう。
真実の在り様に。

表層の捉われを超えられ、
すべての存在が共に現実的に
愛の暮らしを打ちたてられますよう、
世の光ある変容へと歩を進められますよう。

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本当に困った状況に陥った時ほど、
人々は離れていくと伝えられます。

貧困や精神的な病等、
最も差し出して欲しいときに、
他者は皆離れていくことが多いと
お伝えになります。
それが地球に住む私達の見開きの度合いかも
知れません。

他者の痛みを請け負うことは、
たやすいものではありません。

誰もが希望ある明るいところへは群がり、
展望のない困難な状況からは
背を向けていきます。
それは好き嫌いの感情ではなく、
それを背負うだけの余裕がなく、
逃げていくといった方が現実的かも知れません。

貧困や困難さを多く生み出せば生み出すほど、
救済は困難になります。
多勢で一人を引き上げていく必要があります。

それほどに深刻な問題は
一対一では解消できにくいものです。

しかし私達は真実の愛に目醒め、
共有しようとするとき、
循環の流れが変わっていきます。

お金というものも、
自分のために確保するものという考えが、
貧しいとお伝えになります。

いかに他者へと巡らせ、
支えあっていけるかに
扉はありますとお伝えになります。

私達が私達の心のなかの貧しさに光を当て、
全体で生きようとするとき、
この星は変わり始めると思います。

   本日も尊びを込めまして。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆真実の豊かさを共に分かち合いましょう。

他者を担うということ

自己のみに拘り、
自らのみの救済を望む者は、
自らの淵にたたずむばかりで、
真実の昇華へは辿れなきことは明らかなるものです。

自己を超えて
他者を担われますとき、
あなた様の本領が発揮されます。

他者を担うということは、
自己の限界を超えて
無私なるものへと同化していく回路を
辿られます。

無私なるもののなかにこそ、
真実の深き愛は存在をはじめましょう。
自己のみの固執のなかには、
自らへの真実の愛も
差し出せなきことは明らかなるものです。

他者を担いゆけることに
また大いなる尊びと喜びが
あふれられます。

他者を担わずしてこの星は
決して平和にはならぬことを伝えましょう。

他者に関らぬ意識というものは、
また自らの器の小ささであり、
他者に無関心なる在り様は、
真には意識の貧しさであると申しましょう。

他者とは真にはまた自己そのものであるものです。
真実の自己とは遥かなる在り様であり、
この星の一人の存在を超えているものです。

この地上の安泰は
互いに他者を自らの如くに慈しみ、
分かち合われますことによって
築かれていくことを
伝えましょう。

安泰なるものを
根底から築いてゆかれますよう。

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私達は
他者への関心や思いやりが
互いに希薄であることを伝えられます。

それが心の貧しさであると
教えられます。

心の貧しい私達は、
世界中にある深刻な共通の課題を
我が事として共有できません。

それを共有しようと試みるとき、
無私なるものへと見開かれていくと
お伝えになります。

実際自分よりも深刻な状況にある
方々にお目にかからせていただきますと、
逆に励まされることが多くあります。

それはただ深刻な事態は闇であるものではなく、
その状況によって意識は必ず昇華の途を
辿っているからです。

共に他者へと差し出し、
また差し出されます喜びに感謝を捧げます。

本日も心よりありがとうございました。
    尊びを込めまして。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩


☆どのような環境にも、愛の養育があります。

活かしあうこと

互いの聖なるものを尊ばれますよう。
そして真の特性を活かされますよう。

出会いとは表層的に繋がりゆくのみでは
心の真底からの昇華とはなりません。
互いの真実の個性や特性を見通され、
互いに尊ばれながら、活かされますことに
深い意義がありますことを伝えましょう。

諦められます必要はありません。
独りでは果たせないことも、
協調してゆくならば、
道は切り開かれていくものなのです。

見通されますよう。
人々の真実の愛が芽生えられましたならば、
必ずや道はしっかりと切り開かれていくものなのです。

信頼を捧げられますよう。
すべての人々は互いを支え合えるものなのです。

築かれますよう。
築かれますよう。
大いなる意識で、他者と共に歩まれますよう。

垣根のない生き方にこそ、
幸福はめぐらされましょう。

すべての存在はただ独りでは何をも成しきれないものなのです。
自らを他者へと捧げ、そして自らを
全体へと捧げてゆかれますよう。

そのことで存在に光は灯されましょう。

融和なるもの、
その意義の果てしなき慈悲慈愛の遥かなる躍動を
悟られますよう。

そこにすべての
確信への轍があるものと伝えましょう。

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橋がかけられていくことに
感謝を捧げます。

どのような繋がりにも、
お互いを昇華させ、引き上げ、
道を切り開いていくことは可能です。

互いを活かしていく生き方にこそ、
力づよい愛は巡ります。

諦めない限り、私たちには限りない可能性が
広がっていくものです。

本日も巡りあわせに心より感謝と尊びをお捧げいたします。


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☆真実の個性や特性を活かしましょう。

融和の道

すべての引き合わせに
意味を見通されますよう。
巡り会いに偶然というものはないと
伝えましょう。

たとえその引き合わせが
互いに居心地悪く、
不和をもたらされましょうとも、
その関係はまた鏡合わせであると
申しましょう。

あなた様の存在の意義を
対面されます他者のなかに
確認なさいますよう。

それはあなた様のすべてであるものではありません。
あなた様の一部であるけれど、
しかしあなた様が格別に気になさいますものは、
あなた様の今の扉であったり、課題であるものです。

すべては感情を超えたところで
紐解かれていくものです。

見開かれますよう。
対面なさいます対象のなかに
あなた様の融和への道を刻まれますよう。

融和とは他者に擦り寄るものではなく、
相容れない心のなかに
慈悲慈愛の共時の轍を切り開いてゆく
経緯であることを伝えましょう。

すべての対面のなかに
真には果たせなき融和というものはないと申しましょう。

自らが相容れない相手こそ、
自らの淵を照らされます鏡なのですと
伝えましょう。

見開かれますよう。
あなた様の閉鎖された心の方向に
融和の道を切り開かれますよう。

より高らかに多くの存在を許し迎えられますよう。
必ずや道はあるものなのですと伝えましょう。

どれほどに憎しみ戦火の絶えない関係でありましょうとも、
そのところにこそ、大いなる昇華の扉は存在するものです。

橋を架けられますよう。

すべての存在を認め許し、
そして共生の輪を築かれますようと伝えましょう。

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( ハイヤーセルフ )

すべての巡り会わせに尊びを捧げられますよう。
あなたに共時のない出会いはどこにもなく、
またあなたが拒み、また拒まれます存在というものも、
真には連なりのなかに存在しています。

心の通わぬものがあるものではなく、
心と心に橋を架けられますことに
尊びを捧げられますよう。

すべての人々は
互いに関連しあい、
互いを互いとすることが
本来の喜びであることを
悟られますよう。

苦手なるものを克服するというよりも、
そこに融和的な橋を架けられ、
互いの限界をカバーし、
それぞれの光の特性を活かされますよう。

そのためにすべての存在の意義があるものです。

尊びをお持ちになり、
出会われました人々を
互いに活かして
歩まれますよう。

  可能性と希望の扉に 感謝と尊びをお捧げします。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆ 全ての人は和解できるものです。

慈悲慈愛の絆

人々が表層の連なりを超えて
全体と常に共に在る現実に気づかれましたとき、
境界を越えた愛の連動がはじまりてゆくと伝えます。

これは私のもの、あれはあの人のものであると
常に境界のなかに身を置いて過ごしゆく暮らしのなかでは、
無私なる愛は実現しないものなのですと申しましょう。

愛とは無条件であることが真実の在り様です。
無私なる御心と御心の引き合わせのなかの循環に、
言葉や感情を超えた確かさが築かれましょう。

お金や物質・条件で愛を形づけることなど
決してできないものなのです。

真実の愛に目醒め悟られますものならば、
あなた様のなかに絶対的な光が芽生えてこられましょう。

無条件のなかにあるもの、
見返りのないもの、
公平であること、
そのことの崇高な生き方に開かれてゆかれますよう。

条件のないもののなかに叡智があるものです。
それは未だ開かれていない世界への扉でもあるものなのです。
公平さのなかにやすらぎがあるものです。

すべての存在は共に歩まれますことに於いて
はじめて平和の鐘が響きわたることでしょう。

志の彼方にこそ、愛を灯されますよう。
愛以上に豊かなるものも、
力づよきものも、
他には決してないことでしょう。

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ホームレスの方の自立支援をするために
設立されているビッグイシューという
雑誌があるのをご存知でしょうか。

イギリスで創設されましたが、
日本で5年を過ぎました。
野宿者の方でなければ販売はできず、
東京・大阪・札幌・福岡等の都市の街角で
他の方の通行の邪魔にならない配慮をされて
売られています。

共時が来られたなら、一度ご覧になってください。
とても良い雑誌です。
1冊が300円で、その内160円が
野宿者である販売員さんの直接の収益となります。
販売員さんの心に触れられますと、
励ましをいただかれますことも
多くあることでしょう。

まだご存知ない方も多いのではと思います。
世界のトップアーティストからNPO、
ホームレスの方まで幅広くバランス的な英知を灯す
雑誌です。

これから野宿者の方にとられて
過酷な冬が来ます。
野宿者の方が非常に多いのは日本の特徴のようです。
アメリカ等、政府によって
家の保障を設けられている国は少なくはありません。

社会にある事象は、
私達の意識の鏡でもあります。
私達が真実にこころが豊かであるものならば、
より他者へと心を向かわせることができるはずです。

愛は深刻なところから、光の扉が開かれていくものです。

       本日も心より、尊びをお捧げいたします。


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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆愛に見開かれたならば、超えられない問題はありません。

希望というもの

希望というものは、
克服であることが多いものです。

何かの不足を軽減するばかりでなく、
乗り越え、別なる道行きへの岐路となることも
よくあるものです。

希望というものは、
心地良い在り様への道標となるものではなく、
本来あるべき方向への道標となるとき、
それははっきりとした真理を灯しだすことを
伝えましょう。

根元の部分から打ち立てない限り、
真実の轍は決して見通せるものでも、
また辿り着けるものでもありません。

意識の根源が意図する方向に、
真実の生き方があり、
本来の自己がカタチづくられますものです。

あなた様の本質に添われます方向に
希望の明かりを灯されますよう。
それはただ謳歌するため、
自己をひたすらに研磨するためといいますよりも、
真実の自己への引き合わせは、
自己を超えて
全体のなかにある矛盾を
ふるいにかけてゆくようなものであると申しましょう。

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( ハイヤーセルフ )

希望というものは
個人を超えた明かりであるものです。
それは個人的な志向を押しつけていく道ではなく、
真髄のなかの統合のようなものであり、
一言では伝えきれないものです。

希望というものは
存在の数だけ溢れているものであり、
すべての表層にあるものではなく、
深層に共時してくるものに
大いなる意義が見通されるものです。

真理というものも、
より全体と共時できるものであるという視点に立つならば、
真理は未知な大いなる可能性であるものです。

受け入れがたいもの、
理解できないものの奥に
共有できる確かな感覚は存在しています。

共有できるところまで
歩みだせたならば、
希望を分かち合い、
互いに同じ未来を創造することが
可能となっていくでしょう。

   本日も最後までお読みくださり、
   心よりありがとうございました。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆分かちあえる希望はあります。

愛による昇華の轍

成せぬものなど何ひとつないことを告げましょう。
あなた様がその意図を手放されなき限り
進みゆくことを伝えましょう。

もうこれ以上出来ないという限界の淵から
打ち立ちゆくものがあることを
伝えましょう。

ただ諦めないことではなく、
しっかりとした意図を持ちつづけられますよう。

他者へと捧げゆくことは、
自らの愛なる意識であり、
捧げられますことを躊躇われます間は、
高らかなる意識のまだ打ちたてられない最中であることを
伝えましょう。

互いに互いを支え合われますことの
より親密なる連動は、
この地上に分かち合いと思いやりの
無私なる愛の循環をめぐらされます。

競われます・比較されます・勝敗を決められます…、
それらの幼き循環は、
もとはひとつである全体を分離し、
愛と相対するものを常に育みつづけられます。

見開かれましたならば、
未だこの地球の概ねの領域に
真実の愛の法則が実現なされていない現状に気づかれ、
真実の使命や果たしというものが
如何なるものかを見通されますよう。

人は精神と肉体の両面をお使いになりて、
はじめて昇華の轍を越えて参られましょう。
無論意識の見開きは、
開かぬ扉の鍵をあけられます。
しかし高次的な叡智や循環と申しますものは、
公平に分配なされますことに於いて、
より高らかなる指針が示されていくことを申しましょう。
見開かれましたならば、
実現に向われますよう。

この地上には真実の幸福を実現なされておられなきことが
数多にあることを告げましょう。

あなた様の愛を行動に移され、
実現なさいますことで、
この地上の変容はすすめられていくと伝えましょう。

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( ハイヤーセルフ )

真実の眼を開くと
至るところに
愛の必要性を見通されますでしょう。

ただ一方的に与えるものではなく、
互いに無私なるものを与え授けられてこそ、
愛の循環は果たされますものです。

見開かれれば見開かれますほどに、
如何に多くの人々は
愛でないものに価値を与え、
そのことで結果として互いを
疲弊しておられます構造にあるかに気づかれましょう。

見通されますよう。
あなたの内にも外にも
愛こそを具現なさいますよう。

愛こそに価値を与え、
いついかなる時にも
愛を優先させ、
それを行動へと移しつづけることに、
開かれた世界の始まりゆくことを伝えましょう。

あなたの深奥に
愛を築くすべてのものがあることに気づかれ、
それをただひたすらに果たされますよう。

本日も最後までお読みくださり、

    心からありがとうございました。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆精神と肉体を使って愛を創造しましょう。

無私なる愛の捧げ

競争や比較なるものは 愛の対岸にあるものです。
自らが勝ち残られますものならば、
必ずやどこかで敗者が存在するものです。

その轍はいつまでも平和で協調的な世界を
構築しないものであることを伝えましょう。

人々は勝ち残ることよりも 分け隔てなく
循環なさいますことの 如何に崇高であるかを
悟られますことが 慈悲慈愛の扉となります。

他者を凌いでいくことよりも、 融和なるもの・共生なるものは、
この星の隅々へと新しい芽生えをさし入れられます。

人々の価値は自己を守ることに固執され、
他者との境界を越えることを 閉ざされておられます限り、
無条件の愛というものを 遠ざけられます。

真実は、 無私なる愛の捧げにあり、 それはああしたい、
こうしたいという 感情や希望をも超えて、
本来進むべき在り様に 自らをも他者を
もいざなっていくことに あると伝えましょう。

本来進むべき道行きと申しますことは、
無私なる愛の捧げであり、 純粋な極めにあるものです。
人々は愛の社会を創造なさいますよう。
それはかつてなき聖なる喜びや躍動を培われます。

それはしたいことを成すありようから、
ひたすらの献身と極めの道を築かれます。           
自らのために生きる道から、他者のために捧げあわれます
ありようへと、意識の方向を高らかに引き上げられ、
すべての価値に光を灯されますよう。 

したいことのみをする生き方から、献身へと捧げられますよう。

捧げられますことを拒まれます限り、真実の愛は自らへも
世界にも巡り来られなきことは明らかなるものです。

あなた様の愛こそが希望であるものです。

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勝敗ではなく、分かちあいや共生にこそ、
私達が望みつづける愛に満たされた世界への入り口
があるのだと気づきます。

公平であることが安心や安泰、平和の礎となることも気づきます。

そしてそれは私達の意識次第で実現できるのだと。

三次元的な高見へいく方向に愛や融和はなく、
最も深刻な問題に多勢で向かうことに鍵があることを、心より感じながら。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

尊びを込めまして。

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     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆他者へと捧げる道が本道です。

業というもの

人々の奥深くに潜まれます心の襞は、
この世の事象や行動を引き合わされます。
しかし人々が判断をくだされます
幸福というものには、
必ずしも高次的な意図が汲まれてはいないと
申しましょう。

仏陀であれ、キリストであれ、
その道行きは
通常的な幸福とは逸脱したものです。
しかしそこに共時性を見通されますよう。

古も今もそれほどに
変わるものではありません。
根本は表層的な豊かさではなく、
真底から溢れくる愛の泉であるものです。

表層を追い求め如何に人々から評価を得られ、
表層的な幸福というものを揃えられましょうとも、
その行いが愛や光であるが故に与えられましたものでは
ないことを見据えられますよう。

表層的な豊かさや恵みは、
はたして愛に比例しているものかを
あなた様の深奥の眼によりて
確かめられますよう。

概ねの人々が信じて疑われない
表層的な幸せというものは、
たとえその一族にとられまして
輝かしいと日常に感じられましょうとも、
真実は全体と共に存在する大いなる自己は、
偏りのある現状を決して光であるとは
悟られなきものです。

人々は真実に出会われますまでは、
文明というものを
きらびやかに飾られ、
あらゆる創造を展開され、
謳歌という謳歌を試みられましょうとも、
終にはシンプルな愛に辿られますことでしょう。

今は途上であるものです。
見開かれますよう。
宇宙の真実に。

数多くが手を挙げられますものに、
真理が添うとは限らないものなのです。

真実の生き方はシンプルであるけれども、
深遠であるものです。
その到達にはより深奥を見開かれましてこそ、
育みゆかれましょう。

歩まれますよう。
自らの真実に。
その愛の泉は、如何に飾りもなく、
如何に純粋であるかを悟られましたときに、
この地上に変容はもたらされましょう。
高次の視野で見通されますよう。

----------------------------------------------

実現への遂行ということばに背を押されて、
ようやく釜ヶ崎の地を訪れることができました。
野宿を余儀なくされていらっしゃる方々の
多く住む町です。

しかしそこで学ぶことは、
問題は奥深く深刻であり、
現実的に一から学ばなければ何の役にも立ちません。

その地では0からのスタートであり、
正観世音菩薩様も私のハイヤーセルフも
一言も助言をかけていただくことはなく、
ただ自分で一から学び自らが扉を開くことをいざなわれます。
痛みを共有できないことの実感は、
心の浅さの発見です。

現実に生と死の間のなかにいらっしゃる方々、
またそれを支えられます人々。
つかの間の旅人にしかすぎない私。

悟りや覚醒という言葉に溺れがちになりますが、
現実に無私に他者を救おうとされていらっしゃる
人々の言葉には理屈を超えた真実があります。
高次的なことには無関心でいらっしゃっても、
そこに無私なものを感じさせていただきます。
自己と他者との境界の非常に少ない存在は、
どのような立場であられても、高次的です。

今言葉にすれば浅くなり控えますが、
私達は現実やお互いの真実を知らないために
大きな誤解や幻想を生み出していることに
気づきます。

釜ヶ崎の町は思う以上に
他者を受け入れる意識に非常に開かれているようです。
他の町なら遮断をしてしまうでしょう。
民間の支援の方々や宗教であるならばキリスト教の方々。
市民の方。市や府の福祉関係の方々がそこに根付いておられます。
それでも全く人手は足りません。

しかし対岸にいて痛みを共有できない間は
何の役にも立たないことに
気づかされます。
痛みと愛は一連にあるものではないでしょうか。
覚醒や悟りという真理の極めは、
キリストや仏陀が試みられました
本質へと立ち返っていくことに
あるのではないかと感じながら。

  新たなる原点をいただきましたことに、
      尊びを捧げながら

----------------------------------------------------

    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩


☆互いを知ることは誤解を超えていきます。

愛の具現

完璧な実現というものは
この地上にはないものです。
今最も完成したと見通せるものであれ、
すべては進化の最中にあり、
決定づけられますものは何一つないことを伝えましょう。

教義と申しますものも
見開きと共により深みを増してゆくものであり、
それは法律や憲法であれ、
何ごともとどめられますものではないことを
伝えましょう。

文章と申しますものは、
鮮やかに叡智等を刻まれますものの、
しかしそれを至高としてしまうものならば、
進化の轍を封印することになります。

常に見開きはつづきゆくものであり、
人々は何ごとも決定づけられず、
更なる叡智の回路を常に置かれますようと
申しましょう。

深み・奥義なるものは
果てしなくあるものです。
悟っていると感じられたその時から、
未だ悟られていないことが据え置かれます。

常に真摯な極めの旅をつづけられますよう。
見開かれますと、
そこで意識は方向を違えられますものです。

最も大事でありますことは、
見開きの継続であり、
すべての宇宙は
無限に昇華をつづけています。

この地球で申し上げますならば、
意識というものが時代や世界・社会を
形成しているものです。
意図に添った進化を肉体も果たしています。

共生の星へと歩まれますよう。
愛の具現は
生存競争を築きません。

人々は戦いや競争・比較に
光のないことを見出されますよう。

分離ばかりを生み出されますものならば、
孤独な世を築かれましょうと申しましょう。

いずれ必ずや愛に帰還なさいます。
それまで分裂はつづかれましょうとも、
気づかれました人々は
この世の在り様を
愛へと還されますよう。

-----------------------------------------------------

こうしてお言葉をお届けさせていただいていますが、
具現であると常に伝えられ、
私達は導きをいただき、
模索を開始しはじめています。

世界にある深刻な問題を取り上げても、
それは余りに深く迷路のようです。

ホームレスの方にしても
個性は個々に違われ、
環境も状態もひとくくりには全く出来ません。

手つかずにされている問題は、
人々にとって大きな負担となる問題です。
しかしそれらは社会が循環していないところに
集約されています。

今社会に滞っているものは愛であり、
愛の滞りは公平を欠く不均衡な世をつくりだしています。

この社会を変えるには並大抵ではありません。
しかし使命を鮮やかにしていくならば、
私達が愛の発信者となり、
愛を創造していくことが
可能となります。

社会の根底にある共通の淵が、
手つかずの大きな問題となっています。
言い換えればそれ以外の方が取り組みやすいということです。
人々はしやすいものばかり実現・実行していきます。

しかし本当に取り組むべき大きな課題は、
先送りされても、そこに大きな愛の扉があることに
変わりありません。

人々は何れ先送りした問題を目の前に据え、
皆が一連となり取り組んでいくときが必ず来ると思います。
私たちの難題のなかに真実への大いなる扉があるものです。

  本日も心より尊びをお捧げいたします。

    ----------------------------------------------------

    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩


☆愛に帰還いたしましょう。

意識の本質

流行を追いかける・またはそれを築かれますことも、
ひとつの学びであり具現であるものです。
しかし真底に流れているものは
ただひとつの真理であるものです。

真実なるものは、
浮き沈みを如何にすり抜けるかの叡智ではありません。
如何なるときにも貫きつづける
確信であり、平安であるものと伝えましょう。

真なる生き方と申しますものは、
貫いていく力なくして何をも可動しません。

表層の社会の流れに擦り寄られていては
真実の生き方なるものは決して見通せるものではありません。

実現するということは
真理を悟り体感し、
それを貫き行動に移しつづけることで
ようやく光が仄かに遠くに灯りはじめてくるものと
告げましょう。

人は途中で何かを決定づけられますが、
そのような判断は
生まれる前からも死後にても
出来かねることが真実です。

何故ならばすべての意識は根源から
連なっているものだからです。

自らの深奥に耳を傾けつづけられますことです。
深奥の声はなかなかに届くものではありません。
自らの低次の声を高次と違えられますことも
しばしばであると伝えましょう。

人々は自らに都合よき夢を叶えられたくなられます。
しかし深層の聖なる声は非常に公平であり、
自己ばかりに固執されず、
はっきりとした真理に添う決断をなされます。

全体を目の前におけぬ間は
愛というものには出会えないものです。
真実の愛は全体に等しい遥かなる大きさを
放ちゆきます。

あなた様の深奥の意図を貫かれますよう。
たとえ今声が聴こえずとも、
また低次の声ばかりを奏でられましょうとも、
自らを公平さへと導かれますよう。

そのことでバランスは灯されてくるものです。

歩まれますよう。
真実の生き方に。

貫かれますよう。
真実の声に出会われますよう。

どこまでも極めつづけることが
意識の本質であると申しましょう。

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人生のなかには、
理解できないもどかしいことも
あります。

しかしそのことに戸惑い迷う意識の深奥に、
高らかな視点で自己の生きる道・
自己の本来の在り様や意図を
しっかりと提示しつづける
高次的な意識はあるものです。

それは夜空に輝く北極星のようです。

その高らかな自己のあることを知り、
その自己へとどこまでも近づこうと
旅をつづけますことが悟りであり、
極めとなるのだと思います。

その延長に宇宙の根源である創造主様も
いらっしゃいます。

どこまでも私達は成長することができ、
いつまでも私達は意識の深く果てしない極めの旅を
つづけていることに気づきます。

    本日も 心から 尊びを込めまして。

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    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩


☆何ごとも貫いていきましょう。

真実の貢献

大いなる全体とは、
あなた様の真実の根源であるものです。
すべての存在は皆大元でひとつであります。

本来のハタラキというものは、
その全体への貢献であり、
この地球上であるならば、無私な愛の奉仕でありましょう。

あなた様の真実のハタラキや人生というものは、
小さな自己へと捧げられますものではなく、
全体を通しての貢献です。

真実の貢献というものは、
決して少人数で果たせるものではありません。
なぜならば、地球上に必要な数の存在が
引き合わされておられます。
平和というものはすべての存在の力を要して
ようやく実が結ばれますように出来ているものです。

しかし皆散り散りであり、
概ねの存在が大いなる全体を
見通すことが出来ずに歩まれます故に
いつまでも深刻な課題が先送りとなります。

愛の目醒めとは、自己のみならず、
他者への思いやりを超えた尊びやハタラキをしたいという
純粋な献身の芽が出てくることを申します。

たとえ如何に自らは叡智や才能に恵まれましても、
自己の確立のみに捧げられているならば、
真実の悟りや見開きには至らないことを伝えましょう。

融和というものは、個を超えた
一体感や共生というものを
互いに共有していくものです。

この社会に必要なるものは、愛を築き、
愛のみによる循環を織り成されますことに
あります。

人々は互いに互いの恐怖や孤独・不信を埋める
如くに、密接にならなければなりません。

それは表層で手を結ぶということではなく、
み心の奥深くで、この地上の限界を共有し、
しかしそれを共に超えられますことにあります。

すべての存在は愛の宝庫であり、
そこに個性溢れる特性を持ち合わせておられます。

自らを活かされますよう。
そして広く他者や自然・他の生命へと
自らの愛を捧げハタラカれますよう。

この星に必要なるは、融和なる見開きです。
すべてはひとつの家族でありますが故に、
互いを助け合われ、無私なる愛のみで
営みをなさいます世への移行こそが、
真実の使命でありますことを伝えましょう。

あなた様を貢献へと差し出されますよう。

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実行や具現は短期間では
カタチにならないものですが、
意図を持ちつづけることが
実現や事象を
やがて引き合わせていくことを確信します。

その意識を育みつづけること、
どのような時でも貫きつづける心が
大切だと気づきます。

    心より尊びをお捧げいたします。


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    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆すべての存在は愛の宝庫です。

実行

実行とは、
現実社会への灯火であるものです。

精神的に如何に理屈で見開かれましょうとも、
現実的にそれが応用できなければ、
この世で成すというところへは至らなきものです。

しかし今我等は成功や結果をお出しになられますようと
申し上げているものではありません。

現実を変えゆくほど難儀なるものはありません。
他者を変えることはできなくても、
自らを打ち立てられ、
使命に辿られましたならば、
そこから引き合わせの出会いや果たしが参られます。

それは決して楽なるものではなく、
紆余曲折なる道行が
どの方にも用意なされていて、
年月と共に大事だと思われますことも
みな変わりこられますことでしょう。

成功や結果もみなある意味
一時的な視野で見通されますことが概ねであり、
真実は非常に深く無限なる意識にて
はじめて見通されますものなのですと申しましょう。

みな打ち立たなければ混迷の渦に呑まれてしまわれます。
そこに飛躍の扉はあるものの、
また自己を見失われたりもなさいます。

実行とは自らの高らかな意図の具体化であり、
その高らかさも永続して見開きつづけられますが故に、
何かを成されて極められたとは
言い切れないものです。

長い目で見通しつづけられなければ、
端的に一喜一憂なされていても、
真実の貢献や具現へはなかなかに到達されなきことが
多くなられますことを申しましょう。

常に寛容であられ、
これしかないと言い切られますよりも、
自己への確信のなかで模索をつづけられますよう。

人のみならず全ての存在は過ちをおかされます。

それをはじめから受け入れておられますことです。
自らも今最高であると信頼なされておられますことも、
また次なる日にはくすみゆくこともしばしばあると申しましょう。

間違いはすみやかに修正を加えられ、
そして自らの悟りを深めつづけて参られますよう。

正解も否もないものです。
気づかれた時に修正を加えられますと、
道はいつでも永遠に純粋なるままにつづけて参られましょう。

歩みつづけられますことです。
自らの深奥の真なる声に添われますよう。

しかしその声が一色でないことも明らかなるものです。
いつまでも見開きつづけられ、
そして具現を果たしつづけられますことに、
ただひたすらの道はあるものなのです。

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好調・不調は
誰にもあります。

しかしそこでそう思いきらずに、
好調なときも、不調なときも、
どちらへも思い入れずにバランスのなかで
歩んでいくと、
まっすぐに高次的な轍を歩みだすことが
できるものです。

できる限り、
結論を勝手につけずに
歩んでいきたいと思います。

今、不調でも好調でも、
そのことよりも、
長い目でほんとうにするべきことを
ただ捉えつづけていることが、
いつの間にか迷路を少なくし、
ひたすらに純粋に歩めるのではないかと
思います。

本日も心よりありがとうございます。

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    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆確信の中で歩みましょう。

継続の力

道が途絶え、
自らに力の湧きいずられなき時でも、
ただひたすらに歩まれますよう。

心が萎え、
自暴自棄になられますその淵からも
自らの高らかな意図を打ちたてられますよう。

限界というものは、
あなた様のこころ次第で
超えられますことは常に可能なるものです。

何ごとも物事に真摯に取り掛かりて
参られますものならば、
調子づくときも、安定せぬときも参られましょう。

そのどちらでありましょうとも、
傾斜をなさらずして、
中心に身を置かれ、自らの真実の歩みを貫かれますよう。

あなた様の真実の歩みというものは、
長い迷路の果てに築かれていくようなものです。
何ごとも熟成の期間を得て
それらはようやくカタチになるものであり、
熟成されたものは貫きの強さを持つものです。
あなた様の本質に添われますことです。

あなた様は今どれほどに揺れられましょうとも
あなた様の迷いの淵から打ちたてつづけて参られますよう。
必ずや一つの峠を越えられましたものならば、
安定した意識が開かれてゆくものです。
峠を越えることに意義のあることを見通されますよう。

そのとき一つの轍をきざまれておられましょう。

すべての存在は幾度もの限界の淵をいただかれながら、
打ちひしがれた意識から超えて参られますよう。

峠を越えることの昇華にこそ、
人は育まれていくものです。
あなた様の本質へと近づかれてゆくことを継続され、
力づよく生きられますようと伝えましょう。

------------------------------------------------

人は幾度も試練をいただきます。

峠を越えたときに、
必ず意識は成長しています。

その最中は辛く長い毎日であっても、
超えたときには、
その痛みは過去のなかにあり、
次の扉を開いているものなのです。

他者と比べず、
長いトンネルのような日々を
超えていくとき、
また晴れ渡るときが必ず参ります。

それを確信していると
どのような淵に立たずもうとも、
そこから光が差し入れられます。

生と死、闇と光・・・、
それらを繰り返しながら
私たちは皆確実に育まれていきます。

     尊びを込めまして。

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    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆真実の歩みを継続しましょう。

歩み

人々は結果で評価をなさいますが故に、
結果をだせない間は
何をも進まぬように一見みとおされましょう。

しかし先ずは意図であるものです。

平和には平和の意識の保持者のみがその構築に
具現を差し入れられますと申しましょう。
しかし平和の意図を見開かれますまでが
真には難儀であられ、
もしもその意識に辿りつかれましょうものならば、
道は独りでに進みゆかれますものなのですと申しましょう。

人は肝心な意識を見開かれないままに
具現に移行されますことが概ねであるものです。
しかしまた真実を見開かれますには
一生ありても足らぬこともあられます。

我等は同時になさいますことも宜しいと伝えましょう。
今成せることを果たされながらも、
より大いなる大志をいだきつづけられますことが
最も大事なるものです。

歩みやすきところへと進まれますことも宜しいものの、
どこかで極めへの岐路に立たれ、
自らの心へと問われますときも参られましょう。

最も尊き在り様と申しますものは、
自らは何も望まず掴まず、
ひたすらに聖なる道具となられ、
この地上の混迷する他者へと捧げられますことです。

このことがお出来になられますものならば、
皆聖なるものを見開かれてまいられましょう。
しかし道半ばで、
欲なるものや、
無関心や恐怖が湧きいづられ、
しばしば非常なる遠回りをなさいます。

極められますことは容易ではないことです。
しかし基本は
無私なるもののなかに
本来の崇高さは甦られます。

いかに表層で美しくまたは
実力を唱えられましょうとも、
こころの奥底で
欲望を掲げられておられます間は
真実の愛や使命へは遠くなられます。

この地上で如何に多くの存在が
そのことを忘却しておられましょうとも、
真理というものは違いなき道程であるものです。

やがていつの時代にか
人々は贅沢の重たさに気づかれましょう。

価値というものは常に一定ではないものです。
評価も好みも変わられましょう。

大事なることは真理であり、
それは地球の創誕から常に一貫した意図を
放ちつづけられているものです。

今多くの人々は遠い回り道をしながら、
ほんとうに大切であるものを探しだそうとしておられます。

表層の輝きにはない
深層にある愛の不動なる確かさに
出会われますことが大事なるものです。

表層に惑わされずして、
自らの深奥を見開かれ、
真実の道程へと歩み出られますよう。

-----------------------------------------

高次の神聖との出会いから、
奉仕への道行をいただきました。

今はじまりましたばかりですが、
高次の意図へと添い、
皆様と連携しながら、
細い絹糸を縦・横に織り上げていくように、
明け渡しで進ませていただいています。

丁寧であること・
バランスのなかにいること・
融和のこころでいることを
指導されます。

奉仕を受けられます方も
奉仕をされる方も隔たりはなく、
共に互いを支え合うことを基本にいたします。

それぞれが個性をお持ちで、
それぞれに役割がおありですから、
それを生かせる体制を
意図するものです。

自由で、個性を尊重した
融和の出会いとなれますよう。

また貧しさや孤独へと向き合う
道を織り続けていきます。

独りではできないことを互いに痛感し、
しかし行動の大切さと、
そしてその経緯を積み重ねることにより、
後により動き出せることを見通しています。

  本日も最後までお読みくださいましたことに、
  心より感謝と尊びをお捧げいたします。

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    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆心の真底から動かされる道程の極めに愛があります。

融和

融和とは
勝ち負けのない世界です。
融和とはすべての存在の個性の尊重でもあるものです。
しかしまた全体への尊びでもあり、
全体との協調でもあるものです。

融和とは、
この地上の矛盾のなかにあるものです。
白か黒かではなく、
足してその数で割るものでもありません。

相対するもろもろの
矛盾のなかに、
すべての存在の共生への道はあるものですと
申しましょう。

たとえば敵対しあう
決して相容れない精神の二方の深奥にある
共通の真理にかかり来る絶対的な意識の領域に
融和への扉は開け放たれていることを伝えましょう。

融和とは、
勝ち誇ることではありません。

融和とは、
ただ従順につき従われますことでもありません。

融和には相対するすべての存在が関りてこられます。
複雑なる地上の在り様からの慈悲慈愛への目醒めであるものです。

融和へのシンプルな道行は愛であるものです。
しかし愛への到達は非常に奥深く複雑さを伴われます。

如何に道行きが見通されず、
歩むことが非常に険しくてあられましょうとも、
進まれますことに意義があり、
また進まなければ意識は淀むものです。

融和へと向かわれますよう。
それは矛盾を多くいただかれます。
好きなることばかりに囲まれてはおられません。
しかし融和とは嫌いなるものへの克服ではないものです。
それを超えた寛容なる受け入れであり、
即ち慈悲慈愛であるものです。

真実の愛とは、
相容れないものをも受け入れていくことにあり、
矛盾の中にこそ、
まだ人々が見出されておられなき扉はあるものです。

融和へと向かわれますよう。
そこにすべての存在の生かされます道行きが
あられましょう。

新しい世界へと自らをより押し出されて参られますよう。

------------------------------------------------------------

この地球上に真実の平和や融和が訪れるには、
互いに受け入れられないものを許し尊び、
そして自己の個性を生かしていく必要があるようです。

好き嫌いという感情では、
愛には辿れないことを学びつづけます。

高次の自己は好き嫌いを超えた
全体の尊びのなかに既にいます。
しかしまた、この地上ですべての存在と
三次元的感覚で手を結び合うことでもないと
伝えられます。

意識の深奥で深く繋がり、
現実的には自立や、成長を促しながら、
緊急の時には互いに分かち合い共に超えていくという
そのような回路であるように学んでいます。

まだ見開き足りないところもあると思います。
本当はより複雑なものを受け入れ、互いに消化していく
道程なのでしょう。

     本日も最後までお読みいただき、
     心より、尊びをお捧げいたします。

---------------------------------------------

    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆融和とは愛の到達です。

介護

人に尽くされますことは、
あなた様の本質を豊かになさいます。

しかし介護とは、あなた様の意のままに
尽くされますことではありません。
またその対象の意のままに
振る舞われますことでもないものです。

介護のとき、互いに限界を共有なさいますことも
しばしばいただかれましょう。
介護なさいます方が
先に疲弊を伴われますことも少なくはないものです。

介護というものを
何か特別なものであるとか、
または非常に苦であるものとお捉えになられますならば、
日々労苦の連続となられましょう。

しかし、それらは最も摂理的なハタラキのひとつであり、
辛苦に耐えざるものになされなきことを申しましょう。

人は過度に最も摂理的なる
病や死を忌み嫌われ、
その状態によりては、
そのことで差別的なる傾斜を生み出されます。

元気の良い、
明るい、
それらを吉兆なる調べの如くに捉われて、
苦痛や
心身の消沈を忌まれますならば、
最も誰もが最後に通られます道行に
光を閉ざされますことを伝えましょう。

心の持ちようで幾通りもの光を
いただかれますことは可能です。

介護というハタラキは
崇高なる調べを、
介護をいただかれます方にも介護を果たされます方へも
共に差し出されますものなのです。

人々は元気の良さや
明るさという
三次元的な解釈のみによって、
それらに準じる仕事場やハタラキを
意識しすぎてゆかれますものならば、
摂理的なる静寂や休息を
光ではなきように捉えてしまわれます。

時には寡黙であることが
人を支え自らをも引き上げられますことも
あるものです。

何が良い・悪いと決めつけられずして、
サイクル(人生)の流れに添われながら、
その相手の最も高次的に意図されますことに
添われようと努められますよう。

それはわがままを只聞き届けるものではなく、
しかし時にはひたすらにその相手へと差し出され、
バランスを灯されて、
互いの豊かなる時間へと導かれますことを
促しましょう。

-------------------------------------------------------------

介護は特別なものではなく、
そこに他者との真底でのつながりがあり、
互いに互いを必要としますことを
与えられます。

この地上では特に人は、
最初と最後は見守られますものです。
たとえ独り旅立たれます方があっても、
その深奥には多くの高次の意識によるいざないが、
確実に届けられていきます。

互いにたとえ苦しみや痛みを
いただかれましょうとも、
それを分かつことに
この星に生まれ来た愛の意義をいただくものです。

すべての存在に尊びを捧げながら。

---------------------------------------------

    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆介護とは決して一方的な差しだしではありません。

それぞれの適性

ひとりの存在が多くをなせるものではありません。
自己の適性を発揮なさいますよう。

既にすべての存在は世界中で
循環を伴われておられます。

あなたを知る、またはあなたが知っているかではなく、
既にすべての存在は深い連なりのなかにおられます。

あなたを必要とされる回路がどこかにあり、
あなたの適性が生かされますものならば、
その方向へと先ずは歩みだされますよう。

自己と全く同じ道行きではない他者を
違和感で見つめられますものではなく、
様々な道行があることに世界の大きさを受け入れられますよう。

共感を求められます必要はなく、
ただひたすらに自己の聖なる意図に添われますよう。

あなたの適性は、あなた自身が
誰よりも知りつくしているものです。
自己の真実はみ心の奥深くに高らかにあり、
そこへ辿られます道行が何よりも
あなたの極めとなられます。

天命や使命への道行きは、
あなたが如何なる意識の在り様かを
あらわになされます。

他者や社会からたとえ
あなたを受け入れられますことが少なくてあろうとも、
今あなたの真実へと向かわれますことが
唯一の昇華の道であるものです。

長い夜を超えてまいられますよう。
長き冬を超えてまいられますよう。
それは厳しさではなく、
摂理的に用意された滋養の期間であるものです。

不屈にして歩まれますよう。
自らの聖なるものはこの次元の果てを迎えても
朽ちることの無い永遠の在り様であることを
悟られますものならば、
道半ばで結論をお出しにならなきことであると
伝えましょう。

歩まれますよう。
あなたの本質を生かされますよう。

たとえ今何をも芽が出ずとも、
今世にそれが何であるのかもわからずとも、
あなたの真実を辿ることを曲げられてはならないと
申しましょう。

すべての存在に明らかなる高らかな特性があり、
それを磨かれずして道行の極められなきことを悟られ、
他者を共に受け入れながらも、
自らの行く道をひたすらに磨かれますよう。
諦められます必要はないどころか、
そこに向かわれますことで
真なるものは明らかとなると申しましょう。

----------------------------------------------------------------------

小さな視線で生きると
自分のことだけで精一杯になりますが、
広い視野で生きるならば、
多くの方々と共に深いところで歩みつづけることができます。

捧げることによって
より捧げられますことは確かにあり、
幾つもの扉を開いていくことができます。

より深い行動を伴い、
自己を超えて
他者に差し出すことが可能となりますよう。

それは決して
気配りや顔色を伺うものではなく、
三次元意識であるならば
曖昧にして通りすぎることを、
自己を極めるために道行がすれ違うことも、
矛盾を伴うこともありますが、
個性を極めることで
この星は昇華をつづけていると感じます。

争いや衝突の間に
慈悲の扉があるように感じます。

不和や無関心・無理解のなかにも
和解や融和への階(きざはし)があるように見通せるものです。

何のために生きるのかではなく、
生きることを押し出されている力が既にあり、
そのことに素直に歩をすすめようと思います。尊びと共に。

   本日も最後までお読みださり、ありがとうございました。
      
 ---------------------------------------------

    すべての方のブログに対して
     正当な評価を意図するものです。 正観世音菩薩

☆認められる、られないに関らず適性を磨きましょう。

 宇宙的大志を抱きましょう 

ー3つの聖なる指針ー

○真理とは万物すべてに共通
 の法であります。      .

○愛とは万物すべてを引き上
 げることであります。    .

○万物にとって昇華の道を切
 り開くことが聖なる平和です。


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