正観世音菩薩であると申しましょう。
人類は難関をいただかれながらも
昇華の途にあると申しましょう。
難関は終えんではなく、
限界の向こう岸への到達こそが
精進であり、また進化であると申しましょう。
開眼とは心の境界を越え、
大意に目覚める開きであると告げましょう。
難多き世であることは、
開眼の蓋しであると伝えましょう。
難こそはただ苦ではなきものと
心を澄まされますことです。
それを難と捉えられますか、
可能性への境界であると捉えられますかによって
道は余りにも違われましょう。
我等は人の難を難とは解し難く、
人の喜びは余りにも個的であるならば、
それは余りにも寂しきと告げましょう。
我等は常に如何なる試練でありましょうとも、
それが創造主なる大元が
我等に越えうるために与え給う道ならば、
我等は光を見据えて越えゆくことを
真の我等の喜びとなし、
また次なる難をも待ち遠しいとも伝えよう。
何度も繰り返し繰り返し申しますには、
越えられなきものは何処にも存在はしないと
告げましょう。
この宇宙には真なる終焉というものは
真には実在なきものであり、
しかし我等は果敢に難所を越えゆくことこそが
使命なりと申しましょう。
歩まれますよう。
歩まれますよう。
いかにして降りかかる難所が多くありましょうとも、
その奥に広がる光なる平野を見据えて参られますことです。
死して後をも昇華の道はどこまでも続くものである故ならば、
しかし今の難所に決して負けすぎることなく、
限界をこそ越えられますことです。
越える度にどうして宇宙はそのままに
あなたをそのままに放置する筈はなきと申しましょう。
人類は難関をいただかれながらも
昇華の途にあると申しましょう。
難関は終えんではなく、
限界の向こう岸への到達こそが
精進であり、また進化であると申しましょう。
開眼とは心の境界を越え、
大意に目覚める開きであると告げましょう。
難多き世であることは、
開眼の蓋しであると伝えましょう。
難こそはただ苦ではなきものと
心を澄まされますことです。
それを難と捉えられますか、
可能性への境界であると捉えられますかによって
道は余りにも違われましょう。
我等は人の難を難とは解し難く、
人の喜びは余りにも個的であるならば、
それは余りにも寂しきと告げましょう。
我等は常に如何なる試練でありましょうとも、
それが創造主なる大元が
我等に越えうるために与え給う道ならば、
我等は光を見据えて越えゆくことを
真の我等の喜びとなし、
また次なる難をも待ち遠しいとも伝えよう。
何度も繰り返し繰り返し申しますには、
越えられなきものは何処にも存在はしないと
告げましょう。
この宇宙には真なる終焉というものは
真には実在なきものであり、
しかし我等は果敢に難所を越えゆくことこそが
使命なりと申しましょう。
歩まれますよう。
歩まれますよう。
いかにして降りかかる難所が多くありましょうとも、
その奥に広がる光なる平野を見据えて参られますことです。
死して後をも昇華の道はどこまでも続くものである故ならば、
しかし今の難所に決して負けすぎることなく、
限界をこそ越えられますことです。
越える度にどうして宇宙はそのままに
あなたをそのままに放置する筈はなきと申しましょう。
