2015年07月

 「五徳庵・フラワーガーデン」で、あたらしい命が誕生していた。メダカの子どもが3匹、餌付け合図時に水面に浮き上がってきた。体長は親の3分の1の10㍉ぐらいだった。10匹のメダカを6月8日に、水槽に飼ってから、約8週間目に誕生したメダカの家族が増えた。まだ、どのメダカが子の親か、見分けることはできない。

▼四季咲きのバラの花が、猛暑が続く夏場にも花を咲かせている。見慣れた自然界の当たり前の光景は、注意して毎日観察していると必ず変化している。

▼深紅の花を咲かせる「ベルサイユーのバラ」と名付けられたバラは、三日前まではすべての葉が落ちていた。心配しながらいたが、このバラにも新芽が根元から出てきた。バラを手掛けて、まだ2年目。全ての育成ノウハウはこれから学んでいく初心者でもある。

▼育成本や、体験者から聞く方法もあるが、実体験から学ぶことも大事なことである。新しい発見の疑問から、枝葉が伸びるように次々と課題が生まれる。この先が楽しみでもある。

▼夏休みになると、NHKのラジオから、小学生からの質問に答える専門家の番組。「夏休み子ども科学電話相談」を時々聞くようにしている。大人でも思いつかない子どもたちの素朴で鋭い質問に、先生たちはユーモアを交じりながら答えている。

▼植物にも命はあるんですか?。小学3年生の男の子からの質問。動物は動きがあるし、生死がハッキリしているから命があることを意識しやすいが、植物となると小学低学年の段階では意識が余りなかったかも・・・と思い出させる質問。先生からは、「植物は動かないから命がないって思わないでね。野菜も食べる時は『命をありがとう』と思いながらたべてね」と一言。

 猛暑日が続く。あいさつにも「こんにちは」が「暑いですね」に変化している。きのうの北陸の空は雲で終日覆われていて、蒸し暑さを体感する一日だった。

▼暑さには「汗」が付きもの。健康的な「サラサラの汗」や動かなくても出る「ジットリした汗」など、汗にもいろんなタイプがある。「手に汗握った」大相撲の名古屋場所で、弱くなった横綱「白鵬」とコメンテーターから言われて奮起したのか、また優勝した横綱から出ている汗は、テレビ画面からも見ていて美しい「流れるような汗」だった。

▼今場所で引退の「旭天鵬」が、最後の花道を去る時に見せた男の「涙と汗」が印象的だった。体調が回復した「遠藤」は、「さわやかな汗」で勝ち越し、来場所が期待される。気になっていた「里山」は、大きく負け越し、「くやしい汗」をかいたに違いない。

▼参院に移された「安保法案」の審議が連日続いている。国民に丁寧に説明する安倍さんは、時々「冷や汗」をかくような場面に出会っている。新国立競技場問題で、文科省の局長が責任を取って辞表をだした。政界には、「ドロドロとした汗」をかかなくてはならないところだと言うが、果たして、五輪に間に合う「いい汗」がかけるのだろうか。

▼「たのしみは 今日も一日汗かいて ほっと一息感謝するとき」。「独楽吟」に出会って「余生を楽しむ」ことに、わたしも毎日、おかげさまで「いい汗」をかいている。

 二日前のコラム「時鐘」に、凡人は「命長らえば恥多し」と結んだ記事が載っていた。先日亡くなった94歳のノーベル物理学受賞者の南部陽一郎さんと、享年77の経済学賞候補の青木昌彦さんの死亡記事からのコメントだった。

▼南部さんは半世紀前から候補にあがっていたのも関わらず、受賞したのは教え子の益川さんと小林さんの3人同時受賞だった。門外漢には皆無の世界の受賞だが、南部さんは「スゴイ」学者だったという。専門雑誌に寄稿文を載せた西村肇氏は、素人にも分かりやすい説明をしていた。

▼パーティーの会食のため、長いテーブルにナイフ・フォークとナプキンが、交互に並べて用意されているとします。座った人が自分の右のナプキンを取るか、左のナプキンを取るかは偶然によりますから、結果はちようど同数になるはずです。しかしこれは人がバラバラにテーブルにつき、バラバラに食事をはじめた時の話です。もし人がすき間なくテーブルにつき、誰かの発声で一斉にナプキンを取り上げる場合、一番早くナプキンを取り上げた人が、右を取り上げたらみんな右、左を取ればみんな左にならざるをえません。人間の体は対称なはずなのに、あらわれる結果は非対称になります。これが自発的対称性の破れです。これを聞いて、「ノーベル賞とはその程度のことか」と思う人が多いかも知れません。これは間違いです。対称性の破綻の発見が南部の仕事ではなく、それが素粒子の質量を決める原因になっているというのが、南部の発見だからです。

▼ここ50年間、素粒子理論の研究のすべての面で、先鞭をつけ、研究全体をリードしてきたのは南部氏。南部陽一郎の名を抜きにしては、現代の素粒子理論のどの面も語れません。クォークが多次元の「ひも」で結ばれているという「ひも理論」も、湯川秀樹の中間子理論を大きく進化させた「色の量子力学」も、素粒子の質量を決める理論である「ヒッグス機構」も、そのどれを取っても最初の発端は南部のアイデアです。

▼ペットボトルで風車を作り、扇風機で回しながら、なぜ回るのだろうと、「フト」思った凡人には、異次元の世界の話だった。 

 温暖化現象で地球の温度が上がると、さけばれたのは、もう十数年前と記憶している。その影響なのか、近年、雪が少ない冬になっての、暖かい日が続くと、ありがたいと思うが、夏場の猛暑日はこたえる。

▼きのうの暑さはさすがに参った。2時間ほど駐車して、再出発した車内はチンチンの熱さだった。ハンドルも握られない状態。日中、日当たりしているアルミ・ドアの取っ手が、火傷しそうな熱さだった。

▼猛暑体感は過去にもあったが、きのうの熱さは異常だった。子どもの頃には、体感しなかった夏になるのかと思うと、生活習慣を変えなければ病人がもっと増えるだろうと思った。赤道近くの熱帯地区の島国では、太陽が照りつける日中は、島民は誰も外出しないという。

▼南洋の島での暮らし方のノウハウは持ち合わせていないが、「常夏の島」で、椰子の葉陰でのんびりと、ウクレレに合わせて踊る民族舞踊の「フラダンス」。そんなハワイを想像してしまった。

▼「ウクレレ」の語源は「ノミが跳ねる」という。楽器に無縁であった人生に、「天からの啓示?」を受けたようにウクレレを弾いてみたいという思いに火がつき、「ウクレレ教室」を探していたら、近くにあった。

▼「こっそり習って、皆を驚かせる」時間もない余生だから、「有言実行」型で教室を訪ねてみた。「習うより、慣れろ」のコトバに後押しされての約2時間は、異次元の世界だった。音楽的素質の有無より、やってみる「やる気」を前出しの気持ちが「トライ」だ。

▼まだ、この気持ちが残っている。猛暑に負けていられない。いつの日か、ウクレレを弾きながら童謡を口ずさんでみたい。

 「地球は凄くきれいだった」。宇宙から父親との初交信での会話だった。「あの子の子どものころからの夢が叶って、うれしい」と、ロケット発射地のロシアで見送った父親も感無量だった。今、話題になっている「中年の星」宇宙で輝く。45歳の油井亀美也(ゆいみきや)宇宙飛行士が話題になっている。

45歳を中年という枠組みに入れての快挙だろうが、定年を60歳と設定していた頃の話だろうと思った。わが身を基準にして、当時より10歳以上は若く、皆元気である。ちまたでは、現年齢の八掛が相場という。

▼油井氏の快挙に水をさすつもりはない。45歳を中年という枠組みに苦言する。アスリートの世界では「レジェンド・葛西紀明」が有名であるが、彼は、まだ41歳。サッカーの三浦知良47歳。野球の山本昌49歳。テニスのクルム伊達公子43歳。これらの選手はまだ現役である。大相撲では、幕内最年長の旭天鵬40歳もがんばっている。

▼政治の世界では、娑婆で幾多の体験をして来た人でも、60歳をすぎて国会議員に初当選した人を「一年生議員」と称して、「使い走り」役だと聞いたことがある。

▼織豊時代の「人生五十年」が、最近は「人生百年」になって来た。算数での中間は45歳あたりが妥当であるが、人生での中間地点は「いろいろ」ある。自分に例えると折り返し地点は、60歳かもしれない。

▼「亀のようにゆっくり」と基礎勉強して、誰もがなれない宇宙飛行士に也(なり)、『地球は美しかった』と、名付け親に報告した。「亀美也」の名の通りの人生を成し遂げた、「中年の星」に拍手したい。

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