ある歯医者の独り言

ある歯医者の日常の治療、特に咬み合わせの治療に関する思いを綴る日誌

我が家の愛犬

 昨日夜、我が家の愛犬が永眠しました。18年生きましたが、人間でいえば90歳です。原因は2階の階段から転げ落ちたことです。落ちた当初獣医さんに診てもらいましたが、出血は無かったのですが貧血が酷くあわてました。不思議なことに、出血はまったくなく、奥歯2本が骨ごと抜けていました。又検査の結果、腎臓が悪い事。目が見えない、嗅覚匂いが解らない事が分かりました。あとは4本の足が強く踏ん張れなくなったことです。絨毯の上では歩いていましたが、つるつるの床に行くと歩けなくなり、キャンキャン、時にはキャイーンを連発していました。犬はラティーと呼び小型犬で毛もそんなにふさふさしてないい犬です。転んで歩けなくなった時そう泣いて助けを呼ぶのです:
 足がそんなにしっかりしてないのに。私たちがいると不思議に右回り、左回りをしていました。その1本の足が、カーペットから飛び出るとひっくりこらげ助けを呼ぶと言った風でした。
 随分前でしたがクローズアップ現代というNHKの放送で噛み合わせの話をしていましたが。土管にネズミを2匹入れ、まず両方とも、同じところから水槽に離したところ、2匹とも無事かえって来ました。次に1匹だけ片方の歯全て抜いたところ、抜かれた方は出口まで最後までトドなかったという話をしていました。
 この犬は人気者で、孫たちが来るとすぐ遊び相手にされ。今年も忘年会で孫たち相手につかれたのでしょう。可哀そうなことをしました。

忘れられない二人の女性

 随分前の話になります。私が前の治療所で仕事をしていた頃の話です。おそらく40歳代の女性だったと思います。歯の治療にある写真を持ってこられました。そしてその写真を見せて、この女優さんの前歯の写真のように、歯を作って貰えないかしらという相談でした。私はその当時は大学で習った、矯正治療法しか知らなかったし、下顎の形態が全く違ていたのでお断りしました。
 それから何年かして広島からある患者さんが来られ増した。年齢は40歳ほどの女性でした。こちらっは不定愁訴を治して欲しいと言われて来ましたが、1ほん、1ほんの間に合わず矯正治療を取り入れました。その当時は、矯正専門の治療を、毎週金曜日の最終で京都に行き、土曜日は、朝から基本的な勉強、と基本的な模型実習を受けました日曜日は朝から本格的な矯正の授業と言う風にホテルに入って外にでて、休息出来る時間などありませんでした。土曜日の実習は全員がノルマを達成できなければ、おわらず。就寝も夜中が殆どでした。そんな実習だkら自身を持って矯正治療もできるようになしました・
 実はこの患者さんは、広島から来られ。偶然彼女は帰宅。渡井は仕事で偶然一緒に話が出来たのですが、彼女の法から、「広島でやろうか、随分迷たのですが、こちらに来させていただいて正解でした。身体の調子も良くなり、なんだか私自身も気持ちが赤らくなったような気がします。と言われていました^^

ある一つの発見

 昨年暮れblogを書くとき、珍しく字が小さく見え困りました。眼鏡を変えても同じで、どうしようかと迷っているいるうち。偶然唾を呑み込んだ時、字がはっきり見えたのです。それでこれは身体の水不足だと、コップに水を入れ一気に飲みました。するとどうでしょう、あれだけ小さくなっていた文字がはっきり見えるようになりました。
 結局寒かったので、暖房が効きすぎ、身体が水分不足のため目が見えなくなったのですが、目の玉は目玉の筋肉によって距離の調整をするのですが、筋力が低下すると身体の水不足のため、筋肉の力不足によって近くが見えなくなる、これが仮性近視というものです。水を飲んでからはスムーズに書けました。
 私は子供が検診に来るとき、眼鏡をかけてくる。それも兄弟、もしくは姉妹で来たときは二人共で眼鏡をかけている。おそらく早いうちに手を付ければ治るだろうにと思ってみていました。眼鏡をかけることは何らかのハンディを一生背負くことになります。私の娘、歯科医をしている娘ですが。子供の頃は左目が見えませんでした。それが歯科医になりたいと言って来たときは非常に困りました。そこで高校生の時、矯正をしました。それで治ったようです。心配していた実習も問題なくクリアーしたようです。今でも眼鏡はかけていません。私が他の子供に手を出さないのは。成長途中の子供に眼鏡をかけてしまうと、もう取り返しがつかない状態になっている可能性があるかっらです。
何が起こっているかわからないからです。しかしこれからは、筋力をつけるよう指導してみましょう。
 私の今年の豊富ですが、最近の若い人を見ていると、美男、美女が増えて来ました。そこでもう少し欲張って笑顔を作れる歯科医院を目指そうっと思っています。

ある記事に思う事

 この記事を見てから、大変重要な事だと思いながら、他のすべきことがあり、なかなか時間が取れませんでした、しかし非常に大事な事と思います。
 腰痛の手術をして、術中に患者さんが亡くなられたことです。その結果として。執刀医は医師免許を取り上げられたそうですが、こういう手術が出来る病院なら、色々検査する方法があったはずです。又私のブログを見ていた方ならわかるはずですが腰痛などは殆ど歯科治療で治る病気です。当院でも腰痛を治して、この例では保険の入れ歯で治していましたが、そのうち再発して、手術をし、50歳ほどでしたが、杖なしでは生活できなくなりました。こういう例は一度だけです。1度ある年の10カ月でしたか、その間に治った病気をまとめてみると、腰痛に関しては70人ほどでした。
 今回について言える事は、歯の噛み合わせから色々な病気が原因で起こる病気が解ってから、咬合学会では、内科、整形外科、精神科など随分本も出され勉強しています。ところが医科の方では話をしても、自分の専門分野しかわからない先生が多いのです。腰痛など、治ったのは偶然だろとか歯科で治されると困るといった先生ばかりです。歯科の先生達が勉強しているように、治りにくい脳梗塞、心筋梗塞、うつ病、緊張性不安症等や、お互い治りにくい分野は意見交換出来ればいいのですが、現状では無理なようです。
 私の父親のように、手術をしないと3カ月持たないと言われ、父親の様子を見てこれはおかしいと、私自身が院長に話をし、カルテなどデーターを借りて伝手のある大学の心臓外科の教授に診てもらいました。診断は手術の必要なしという事でしたが、父親がそれでは納得しないので、岡大の教授にもお願いし、直接診てもらい、問題なしという診断を受け父親は納得しました。
 その後父親は、四国の金毘羅さんに参拝した折、一人で徒歩であの階段を上りました。

ある歯科医のコメントから

 先日Youtube を見ていてある歯科医のコメントに興味を持ちました。その内容は、現在日本で行われている治療で、歯が無くなった場合どのような治療法があるかという事でしたが、最後のコメントが気になりました。それは「歯の治療でして欲しくない治療としてして欲しくない治療は保険治療」という事でした。その先生の言いたかった事は、治療に金属を使ってい居る事、これは日本だけですという事です。
 私の長女が大学を卒業して、日本語学校、つまり色々な国から日本語の勉強、仕事のために来ている外国人に日本語を教える仕事をしていました。その中でカナダの女性と特に親しくなり、その女性が下の一番奥の歯を虫歯にしました。それをインレーという金属の詰め物を保険で詰めました。その後その女性の母親が日本に来て、彼女の口の中を見て、「なに、これは」と凄い剣幕でおころました。一応娘の説明でその場は収まりましたが、やはり考えましたが保険治療の限度です。その後フィリピンから来た患者は、歯の痛みを取ってあげると被せとか、入れ歯は国に帰ってやってもらうと言って最後の治療まではさせませんでした。香港から一人、ハワイから一人、中国の大連から二人。来ましたが皆保険外で治しました。あと韓国人が以前は、日立造船があった関係で、町が造った外人ハウスがあった関係で韓国人は結構来ていました。彼らに対応する治療は、船長クラスは保険外他の船員は、保険でやって来ました。
 保険でやるか保険外でやるかの大きな違いは、材料です。以前ある大学の教授が尾道に講演に来られた時、CRという特に前歯関係の虫歯に使う材料です。この新しく開発された材料の為の講演です。この時教授は、初めの挨拶で、「先に断っておきますが、この材料は優れたものですが、私は家族にはこの材料は使いません。」私はこの言葉を聞いて帰りました。私は出来るだけこの材料を使う治療を避けています。この材料を使えば治療も早く時間もかかりません。しかしそのうち虫歯が大きくなって。神経を採るか、歯を抜かなければならなく恐れもあります。そこで文句を言われても仕方ないんです。そういう時保険外にして貰えばよかったものを。被せや詰め物にする金属もピンから切りまであります。私は大学の歯の材料について研究する医局に頼んで分析してもらい最も良いものを保険治療でも使っています。こちらの費用は掛かりますが、それでも何年かして来られて噛み合わせが変わっていることがあります。保険治療の限界を知って下さい。健康は大きな財産です。

私の足の経過

 私は足腰の強さには常に自信を持っていました。それは子供の頃、裏山を遊び場にしてよく走り回った結果だろうと思います。私は身長160センチ、体重が50キログラム。実をいうと、足が短ったコンプレックスがありました。然し高校2年生の時学校で計測したところ、50メートル走は6・5秒、100メートル走は12秒台を切っていました。ゴルフも300ヤードほど飛ばし、あのちっこい体でと初めて一緒に回る人をびっくりさせていました。足腰には自信がありました。ところがある時ラウンド中足裏が痛いことに気が付きました。次のラウンドでも足裏が痛くなり、とうとう病院に行きました。
 その病院ではあちこち科を回され、落ち着いたところは皮膚科でした。診断では水虫菌が皮膚の中に入っているという事でした。そこで通院の必要があることを告げられ、その後「薬についてですが高価のと安値のとがあるのですが、どちらが良いか聞かれ、どういう事だと思いながら、結局高井方をお願いして通院しました。1カ月程して肝臓の検査をして、検査結果が悪いから治療は中止。皮膚の中にある水虫菌の件はどうなったんか、聞きたかったですが、看護師だけの応対で聞けませんでした
 そこで一応次も皮膚科に行きました。そこでは薬がどうのこうの言いませんでしたがやはり検査もせず薬での治療でしたがやはり肝臓の検査が悪いので1カ月ほどして治療は中止になりました。それから、人に聞いたりして、広島、福山、岡山、大阪、名古屋といったところをまわりました。特に整形などは名古屋では病気はどのようになっているかわかるが治療の方法が分からない程度でした。
 そこで結果は前にも書いた接骨医です。解剖的なことは何もわからず、腫れているところをマッサージで地に巡りを柔らかすするならまだしも渾身の力を込めで指圧されました。逃げようにも逃げられなかったのです、ベッドが小さく暴れようにも暴れられまえんでした。けっきよく炎症を起こしている物を力ずくでなおるもんですっか。
 次の日はまともに歩けず、明日からの人生を失いました。然し私は今の医療事情、救える人が簡単に亡くなっている現状にまだまだ尽力したいのです。

私が今闘っている病気

   私人生で最も大きな失敗は、ある接骨医と出会って。そもままにしておけばいいものを、出会いがどこだったか忘れましたが一緒にゴルフをしていっそう関係が深くなりま知った。彼はワゴン車にのって、ベッドも載せて各家庭に治療に行っていたようです。そこで私のおせっかいがでたのです。治療した患者さんの経過を診てもらうために何人か紹介しました。そのうち私も治療を受けましたが、殆ど勉強してないことがわかりました。私はその頃軽い足底筋膜炎にかかっていましたが、それを治すのに、ゴルフボールを足裏に転がせとか、砂浜をはだしで歩くと言いとか、芝生の上を裸足で歩くといいとか言ってましたが、ゴルフボール硬すぎる、砂浜をあるく、芝生の上を歩く、これは整備された芝生ではいいですが何が落ちているかわからない。砂浜は息と帰りで斜面が違う、どれも無視しました。
 私の足は治療用の靴が悪かったのではと思っています。治療用の靴、普段はく靴、ゴルフ用の靴と履き替えていました。それが悪かったのではと思いました、それで今はスニーカーに変えました。
 しかし私は、まず愛知学院、ここの教授は原因がさっぱりわからんと、次は大阪の病院で。うちでは治せないと言われました。接骨医のところもまわりました。広島、福山色々まわりました。しかし毎日来てくれないと治せないとか、接骨医の中にはよく勉強されていた先生もおられました。私自身も勉強になりました。
 そうこうしているうちに、彼がやって来ました。運悪く彼が来たとき私は受付にけに居ました彼の話が始まり、「おかげさまでオフィスをことが出来ました、そこで実はある機械を買いました。」ということですそこでお祝いを持ってオフィスにいきました。その時は彼の妹さんが施術をしてくれました。その日はそれでよかったのです。ところがあることがあって行ったとき、私は電磁波をかけられました、電気には波動波と電磁波と言うものが有って。治療用に使うのは波動波でした。大変なことになりました。やらせている途中もが気もしましたし、足の裏は揉んではいけません。然し逃げようにも野球で鍛えたわんりょくで、つかまれていても逃げられません、みぎあしの甲はけいれんをお起こしていました。このため私は楽しみにしていた、これからのたのしみにぃた人生を無くしました。私は次の日から満足に歩けなくなっていました。もちろん好きなゴルフが出来ない仕事も出来ません。
 この話は未だあります。これのとこのに壁にはスポーツーナー野球と言う文字が出ていました。これから先これら野球少年たちがつぶれる恐れがあります。現にカープいた野村陽選手が退団、少年たち。高校生は夢を持って頑張っているのです。だから私はこのような機械や。足裏のマッサージ絶対なくすようアピールするつもりです。「わが人生最大のミスです」。これからは私自身も夢が買うようにがんばります。

あるTV番組の話から

 今日お昼の食事時TVを見てみると、番組の中で一人の女性が大勢の人の前で話をしている場面でしたが、いきなり交通事故の話でした。「こういう事故が絶えないのは、事故死した人の解剖をしないからだ」という話でした。それを見て私には感じることがありました。私も以前からそういう思いを持っていたからです。以前バイパスや、高速道路道路で、反対車線に入り込んで正面衝突した事故が270件、最近の報道では40件増えています。こういう事故は、運転手の妄想か居眠りしか考えられないのです。これは私の経験ですが、以前昼の食事が済んで、その日は昼から休診だったので仮眠するために精神安定剤を飲みました。飲んですぐ、歯を磨くために洗面所で歯を磨いて、横になる前に煙草を吸いかけました。するとすぐ手に熱さを感じました。もうすでに睡眠状態に入っていたのです。驚いて煙草を揉み消しましたが、手に落ちてないと大変なことになるところでした。
 もう一度は、一時うつ病になった時、ゴルフの帰りに、気が付いたらうとうとしていました。そのtp機は運よく後ろから来る車もないうちに気が付きました。又福山から帰りの途中で妙に眠くなり、これはいかんと家に電話して、仮眠出来そうなところに止めて、一時寝て帰った事もあります。
 一度内科を変えましたが、その時痛み止めの薬の中に、催眠性があるのを見つけ、これは大丈夫か聞いたことがあります。「答えは、休みの日に試してみたら」という事でした。結局私はその薬は飲みませんでした。
 その内科で出ていた薬でもっと大変な薬を呑まされていました。麻薬のように依存性があり、筋力が落ちる、フラフラする。妄想が出る。一度転んで頭を打ち、他の病院に行って分かったのですが、調度車の調子が悪くて、車の運転が出来ず、家でおとなしくしている日が続きました。転んで痛い目をしましたが、そのおかげで、助かりました。あのままその薬を呑んでいたら、今頃どうなっていたことやら。皆さんも病院にかかって少しでも異常を感じたら、インターネットで調べたり、特に腰など痛くて痛み止めなど呑んでの車の運転は止めてください。 

ゴルフと歯科治療

  私は大学時代野球部に居て、ゴルフは5年生の実習が終わるまでゴルフはやらせて貰えませんだ。私の実習の、のるまが終わってやっとゴルフをやらせてもらえるようになりました。私のは初ラウンドは私の大学のゴルフ部が早朝のキャディーをやっているおかげで、普通のお客さんが回れば無料でした、ただゴルフクラブは自分で担いでしなければいけません。ゴルフバッグを担いで走ってやりました。然しそこでラウンドボールの方がよく飛ぶことにきがつきました。そうして次のラウンドでは、公式ボールは球が右にふける度合いが少ないことに気が付きました。ゴルフ練習場のボールが擦り減ってまっすぐ打ったつもりの球でも右に吹き上がる。それを無理やりまっすぐ飛ばそうとすると、ますますボールの行くえがわからなくなる。そこで私は、コースではま直ぐなたまは、うちなくなりました。それを信じて3うウド めには100台を切りました。半年で90台を切るスコアが出ました。それでは球を曲げるのはどうするかと言うと、くらぶのフェースを目標に向け、肩はボールが飛んで出る方向に向けr訳です。ボールはフェースの向いた方に行きますから、わたしはいつからか、ブーメラン打法と寄れるようになりました。
 アプローチやパターもそうです、まがっているラインは、曲がりが強いライン、例えばフックラインとしましょう。ボールネック側に置きインパクトの時体重を足の後ろ側にかけます、そうするとラインがストレートラインに近くな仕ます。まだゴルフを優しくするノウハウがありますが皆さんやって下さい私は練習中によく声をかけられます教えて欲しいという事です
 私が書きかったのは、ゴルフの話ではありません。ジャックニクラウスですが世界を代表する選手ですが、ゴルフは頭が2、体力が8と言ってました。
 私は何人も若い先生を使って来ましたが治療の上達が早い先生はゴルフも上達が早かったです。いい歯医者を選べるならゴルフのうまい先生、これは間違いないでしょう

ある不思議な体験

 私が50歳の時急に身体の調子が悪くなり名古屋の大学病院に行き入院しました。そこで色々検査して頂き。うつ病と診断されました。そうこうしている内・私の主治医が亡くなり退院することになり。帰郷して治療を受けることになり、私の後輩の先生からいい先生がいるからと、そこに1カ月の一度通いましたが、もうあんたには出す薬がないと、拒否され、仕方なく薬剤師である友人の紹介である病院を紹介で、根深な繊維で薬をあれ来れ見てくれました。あれこれ変えたのはその当時脳の薬の転換期でした。それまでは。脳細胞に直接作。用する薬でしろが新しい薬は。脳細胞と脳細胞をつなぐ細胞に働きかかける薬としては
いいものだったようですあれこれ薬を変えて押させたようです。
 そうしているうち、長女が、福山にすごいお坊さんが居るようよ。一度行ってみない。と誘ってくれました。長女の車で行きましたが。人でいっぱいでした。
 ようやく順番が来ると先ず和尚さんの前に座らせられました。そこ一応私の症状言うと「背中を見せなさいいといわれ、背中向きになり姿勢を正していると、和尚さんが背中をさすりだしたのです。そのうち、背中が火傷したかのように熱くなりだしたのです。和尚さんが大丈いまのたは。きっと元気担になります。背中がこれだけあつくなるのは社会があなたを求めているからすよといわれましたました
 それから山に本山があるから、そこで瞑想)座禅をしなさいといわれ。私は11月の寒くなるときに行きました7・行ってみると人は少なく、ガランとした感じで私わ誰のいないどちらもおお間にすわれされ:一人瞑想して帰る事を、来る返しました。11月寒かったですよ。
 しかし、背中をさすれた時はほんとにあつかったですよ。しか終わった時はどちら気持ちが良く必ず病気を治すぞと言うきなりました:。そして最終的には鬱病は治りました。



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