続きまして、11月16日から新潟で開催された、日本全身咬合学会での学会報告の概要を記載させていただきます。

≪演題名≫
Arai式マウスピース』を用いた保存的顎位治療により症状が寛解した線維筋痛症の1症例と治療指標としての努力性呼気残量の有用性

 
≪緒言≫

著者は2018年の日本全身咬合学会で、Arai式マウスピースを用いた線維筋痛症患者の治療報告を行った。
今回歯科診療歴がないにもかかわらず自然発症し、通学困難な状態に陥っていた『若年性線維筋痛症』患者の治療に協力する機会があり、歯牙の萌出傾向に関する2種類の先天性素因を考慮し、歯牙にまつわる三叉神経を介した2つの脳幹反射である『舌-顎位反射』と『咬筋-顎位反射』を用いた『下顎位補正試験』を実施することで、瞬時に『顎位-姿勢制御反射』を導出し、適切な下顎位を創出することで良好な姿勢を獲得し全身の疼痛症状も寛解することが確認された。

さらにArai式マウスピースを用いた保存的顎位治療により患者の理学的所見に忠実に加療を行うことで短期間で『線維筋痛症』に伴う全身の疼痛症状が寛解し、通学が可能になるなど患者のADLの大幅な改善が確認され良好な治療結果を得たので、若干の考察を加えて報告する。


≪症例≫
【症 例】15歳 女児 【主 訴】全身性の疼痛
【既往歴】特記すべきことなし 【家族歴】特記事項なし 【外傷歴】特記事項なし 
【歯科診療歴】過去に歯科での治療歴なし 

(幼少のころから学校検診などで不正歯列を指摘されていたが、御家庭の経済的な理由により自費での高額な歯列矯正を受けることができなかった)
【現病歴】
2018年頃から、前胸部痛を訴えるようになり症状は次第に全身へと広がるようになる。全身性の疼痛のため中学校への通学も困難となり、小山市民病院を受診したところ線維筋痛症との診断を受け、プレガバリン200/Dayの投薬を受けるも症状は寛解せず、通学不能な状態が継続していた。プレガバリンを増量したところ消化器系の副作用が出現したため、『Arai式マウスピース』を用いた顎口腔領域での加療を希望し当科にお問い合わせを頂いた。


≪初診時の圧痛点と理学所見および姿勢分析≫

【初診時の圧痛点の分布状況】

当科での診察でも12/18か所の圧痛点で陽性所見(図1)を認め前医の診断の妥当性が確認された。身体前面においては両側の下部頸椎・第2肋骨・肘外側上顆の合計6カ所、身体背面においては両側の後頭部・僧帽筋・棘上筋の6カ所で圧痛を認めたが、いずれの圧痛点においても痛みの程度に左右差を認めなかった。

【初診時の理学的所見】

①後頸部では左右の基礎的筋緊張のバランスに左右差を認めなかった

②前頸部では左右の基礎的筋緊張のバランスに左右差を認めなかった

③安静脱力時の頭位は前屈位

④肺活量は1860mlで努力性呼気残量は900mlであった

【初診時の姿勢分析】正面像では体軸の正中線は生理重力線に一致し、左右の肩の高位にも左右差は認められなかった。側面像では重心のバランスが若干前方にシフトしている所見を認めた。(図2

上記の所見より本症例に左右のバランス障害はなくPureな前後のバランス障害により症状を呈している症例と考えられた。臼歯部の高位の低下と下顎位の後方偏位が同時に起こる際の理学所見に該当することから、下顎位補正試験を行った。


≪下顎位補正試験≫

.必要に応じ臼歯の舌側歯面にワックスを置き(3)後頸部と前頸部の左右の基礎的筋緊張が拮抗する状態を常に保つ。.咬合基準面に仰角補正を行わず上顎第1大臼歯の咬合面にワックスを置き咀嚼位を構成し努力性呼気残量を測定すると900mlから560mlに減少した。仰角補正用ミニスプリントを用いて下顎第1大臼歯に仰角補正を置き咬合位を構成したところ角度補正量に比例して努力性呼気残量が低下し、21度の補正で210mlに減少することが確認(4)された。この作業により身体背面の6カ所の圧痛点の疼痛の消失が確認されたが、この状態では身体前面の6カ所の圧痛点の疼痛の残存が確認された。.前後の位置を患者自身に微調整して頂き、安静脱力時の頭位が正中位となるように維持していただいた。この作業により身体前面の6カ所の圧痛点の消失が確認された。患者にとって理想的な全身の基礎的筋緊張のバランスが得られ全身の疼痛が消失していることを患者自身が確認し咬合採得を行い咬合器へマウントし状態を観察したが上顎と下顎の歯牙の萌出傾向に軸偏移などは観測されなかった。 (5)

試験終了後は使用した全ての補綴物を完全に除去し、原状を回復し試験を終了しており、天然歯や既存の補綴物には一切の形態的変化を与えずに行う無害な検査方法を用いた。


≪治療後の経過≫

2019320日よりArai式マウスピースを用いた保存的顎位治療を開始。マウスピースの装着後は月に12回程度の通院を必要とし、患者の症状に応じて、①下顎角の左右の位置、②オトガイ部の左右の位置、③下顎位の前後の位置の3点に関して安静時顎位に対する微調整をマウスピースに施した。治療後の経過より安静時顎位を適正な状態に維持することで症状の寛解も維持されることが確認された。またプレガバリンの内服も休薬が可能となり、6月には通学も可能となるなどADLに顕著な改善が認められた。

初診時の咀嚼位と下顎位補正試験により得られた下顎位および治療に用いたマウスピースを提示する。(6)

また治療後の姿勢分析画像の側面像では足関節外果前方と耳垂とが生理重力線に一致し、理想的な姿勢のバランスが得られていることが確認された。

 

≪努力性呼気残量 胸郭の運動と脊柱の変化≫
努力性呼気残量の変化が姿勢に及ぼす影響を治療前と治療後の姿勢の変化を赤色レーザーを用いた姿勢分析画像で提示する(78)。成人の脊柱は矢状面において頸部と腰部でLordosisを示し胸部と仙骨部でKyphosisを示すことは周知の事実である。努力性呼気残量が適正化した治療後には胸椎に適度なKyphosisが生じている。努力性呼気残量は胸椎の彎曲の適切性の度合いの指標であると同時に頸椎や腰椎を含む脊柱全体の彎曲性の指標となる。著者が本領域の治療を行ううえで脊椎の彎曲を形成する後頸部・背部・腰部の諸筋群の緊張性に関する指標としてこの数値の導入を推奨する由縁である。数値が適正化し胸椎に適切な後湾が生じることで脊柱全体の彎曲にS字カーブが創出される。

努力性呼気残量とは最大吸気の後に患者の呼息筋・吸息筋の双方を脱力させた際に、肺内に残存する空気の量をさし、肺活量計を用いて測定する。通常は脱力するだけで大部分の空気が肺内より呼出されるのが理想的な呼吸のバランスとされている。

【胸郭の運動における骨格の変化】胸郭を動かす原動力は肋間筋や斜角筋などで、吸息時には胸郭は前後方向および左右方向ともに拡大する。この胸郭の運動が可能であるのは、①肋椎関節の可動性、②肋軟骨の弾性、③胸椎の彎曲の変化の3つの因子による。(解剖学アトラスより抜粋)


≪全脊椎レントゲン撮影≫

努力性呼気残量の変化量が大きかった症例の全脊椎Xp撮影を提示(910)する。

仰角補正量に比例して努力性呼気残量が低下し()、数値が適正化することで胸椎にKyphosisが生じ、結果として脊椎全体にS字カーブが創出されることがXpでも確認された。

 

≪考察・結語≫

①下顎角の左右の位置、②オトガイ部の左右の位置、③前後の位置、④下顎角とオトガイ部の高位差、⑤咀嚼高位といった下顎位に関する5つの因子に対しそれぞれ独立した治療指標を設けて加療を行った結果、安静時顎位を適切な状態に維持することで良好な全身の基礎的筋緊張のバランスが創出され、全身の疼痛症状の寛解も維持されることが確認された。口腔由来の下顎位を介した『三叉神経-姿勢制御系』が本症例の症状の根本的な原因であることが判明し脊椎全体の彎曲性の治療指標として努力性呼気残量の有用性が確認された。本症例の検査結果・治療結果より、人体が下顎位により影響を受ける前後のバランスには『オトガイ部と下顎角の高位差』と『前後の位置』の2つの因子があり、二重に支配を受けているのは明白ではないかと考えられた。真に理想的な姿位を獲得するには、この2つの因子を適切に制御し、『脊椎のS字彎曲』と『前後の基礎的筋緊張のバランス』の両方を創出する必要があるのではないかと考えられた。

天然歯や既存の補綴物に形態変化を与えないArai式マウスピースを用いた『保存的顎位治療』により、本症例のように先天性素因の強い患者でも、比較的短期間に安全かつ安価に加療を行うことができ、経済的に困窮する患者にも過大な費用負担をかけずに症状を寛解させることができた。本領域の治療は微細な変化が全身に多くの不定愁訴を引き起こす病態であり、加療に際しては患者の健康状態に配慮するため医師の協力体制のもとに細心の配慮が必要なのではないかと思われた。また矯正や補綴・削合といった後戻りすることのできない侵襲的な加療を行う前に、可能な限り侵襲のない安全性に配慮した手法により加療を行うことが望ましいのではないかと考えられた。


≪日本線維筋痛症学会にて≫

著者は本年10月に開催された『日本線維筋痛症学会』において、20177月から20193月までの21か月間に『下顎位補正試験』を行った線維筋痛症患者19症例の全例調査によるケーススタディを報告しており、本学会へも19症例の一覧を提示しておく。今回報告した症例は次に示す一覧のうち症例18に該当する症例であるが、一覧に示す通り著者が提唱する口腔由来の下顎位を介した『三叉神経-姿勢制御系』の存在は全症例で確認され、全例で疼痛の軽快が確認され、全例で努力性呼気残量の治療指標としての有用性が確認された。

水平性障害を認めた患者は19例中14例で、軸偏移を認めた患者は19例中10例。軸偏移と水平性障害の両方が認められた症例が7例あり、先天性素因を有しないものは2例のみであった。また重症度はStage2例、Stage10例、Stage4例、Stage3例と比較的重症度の高い症例が多かったが、寝たきりや杖での歩行を余儀なくされていた患者においても全例が自立歩行が可能となり、通院の継続が得られた症例に関しては、適切な安静時下顎位を維持することでADLの大幅な改善に寄与することが確認された。

歯科診療が直接発症の原因となっている症例が多数を占めたが、19症例の中には本症例のように全く歯科での診療歴のない若年性線維筋痛症の症例や、患者自身が過去に受けた歯科診療の不具合に気がついていなかった症例も含まれている。線維筋痛症の責任病巣は下顎位の異常に伴う全身の基礎的筋緊張のバランス障害である可能性が高いと考えざるを得ない。


≪下顎位補正試験を実施した19症例≫

10月の日本線維筋痛症学会でのスライド提示


御注意

今回当学会へ御報告させていただいた『Arai式マウスピース』を用いた治療法は、著者が長年の研究の末に全く独自に考案した新しい治療法で、矯正や補綴・削合など、天然歯や既存の補綴物には一切の形態変化を与えない『保存的顎位治療』であり、 マウスピース・支援システム・スプリントは特許庁の認可を取得した新しい治療技術(特許第6499793号)です。

Arai式マウスピース』を用いた治療法に関するお問い合わせを頂く際には、著者の勤務先である戸田中央総合病院まで御連絡をいただきますようお願い致します。