前回のブログで御案内したとおり、9月に開催された『日本線維筋痛症学会』と、11月に開催された『日本全身咬合学会』の双方に対して学会報告を行ってまいりました。

まずは9月29日から東京都内で開催された、『日本線維筋痛症学会』での学会報告の発表内容の概要を記載させていただきます。

≪演題名≫

『下顎位補正試験』により症状の寛解が確認された線維筋痛症10症例の『保存的顎位治療』と歯牙の萌出傾向の先天性素因に関する考察

 

~治療・研究協力医療施設~

東京都 文京区 歯科医院 3施設、渋谷区 歯科医院 2施設、新宿区 歯科医院2施設、千代田区 歯科医院 1施設、板橋区 歯科医院1施設

東京都 新宿区 歯科技工所 1施設、青森県 歯科技工所 1施設、埼玉県 歯科技工所 1施設

 

≪緒言≫

著者は、2016年の『日本線維筋痛症学会』において、『顎位治療』と『咬合診療』の双方を適切に行うことで、呼吸筋のバランス障害を含む全身の疼痛症状を緩解させることができた症例を報告したが、その際の質疑応答で高額な治療費に関する御指摘を頂戴した。重症度の高い線維筋痛症患者においては、就労困難となり経済的にも困窮している患者が多く、数百万円もの費用がかかる保険適応外の治療費を工面することは現実的に困難な場合が多い。また『顎位治療』『咬合診療』は、矯正や補綴・削合といった外科的な歯科処置を伴う集学的治療であり、大きな危険を伴う医療行為でもある。

著者は『日本全身咬合学会』で講演の機会を頂戴した20176月以降、こうした莫大な費用負担をどう抑えるかと加療に伴うリスクをどのように制御するかという2つの問題点に視点を移しさらに研究を進め、天然歯や既存の補綴物には一切の形態変化を与えずに行う『保存的顎位治療』を独自に考案し、良好な成績を得た。

薬物療法で対処しきれない線維筋痛症患者に対する根治的治療法として、有効性を維持しつつ安全性を担保すると同時に患者の費用負担を大幅に抑えた新しい治療法として当学会へ御報告する。

 

≪対象と方法≫

【対象】集計期間は20177月から20183月までの9か月間に診察をし、線維筋痛症の診断基準を満たす患者とした。

当該期間に診療を行った線維筋痛症の診断基準を満たす患者の総数は10名であった。

年齢は14才から70才で平均年齢は46.4才。全例が女性症例であった。

各症例の重症度はStageⅡが5例、StageⅢが3例、StageⅣが2例であった。

合併疾患として顎関節症=4例、橋本病=1例、シェーグレン症候群=1例、間質性膀胱炎=2例、の合併が認められた。

【方法】2016年に当学会へも報告した、口腔領域における三叉神経を介した2種類の脳幹反射である『舌-顎位反射』と『咬筋-顎位反射』を用い、2017年以降さらに改良を加えた『下顎位補正試験』を行い、理学所見に忠実に下顎位を補正し、努力性呼気残量と全身の疼痛症状の変化を観察した。

本試験は患者からの希望があった場合に限り実施し、有効性は患者自身に評価していただく手法を取った。

また試験終了後は使用した補綴物やワックスは全て除去し原状を回復し試験を終了しており、天然歯や既存の補綴物には一切の変化を与えずに行う無害な検査方法を用いた。

次に2017年に改良を加えた『下顎位補正試験』の概要と診療を行った患者の一覧を提示する。

 

≪方法≫

Ⅰ『舌-顎位反射による顎位補正試験』

舌側の歯面にワックスを貼付けることで『舌-顎位反射』を誘発し、『顎位-姿勢制御反射』により基礎的筋緊張を瞬時に良好なバランスへと変化させ、患者の症状の変化を観察する。

正常模型(図1

下顎角の位置補正モデル(図2)  後頸部の基礎的筋緊張のバランスを触診しつつ主に大臼歯の舌側歯面にワックスを貼付け、左右のバランスが拮抗するように厚みを調節する。

オトガイ部の位置補正モデル(図3)  前頸部の基礎的筋緊張のバランスを触診しつつ、主に小臼歯の舌側歯面にワックスを貼付け、左右のバランスが拮抗するように厚みを調節する。

Ⅱ『改良型咬合平面仰角補正試験』

両側の下顎第一大臼歯の機能咬頭を中心に咬合平面の仰角に任意の補正角度を加えられるようにミニスプリントを作成し、上顎第一大臼歯の咬合面にワックスを置き、ミニスプリントとワックスの間で咀嚼時顎位を構築し『咬筋-顎位反射』を誘発したのちに努力性呼気残量を再度測定し検査前と比較し努力性呼気残量が500ml未満となるように調節を加える。

正常模型(図4

咬合平面仰角補正用ミニスプリント(図5

仰角補正モデル(図6

咀嚼位の構成(図7

努力性呼気残量とは最大吸気の後に患者の呼息筋・吸息筋の双方を脱力させた際に、肺内に残存する空気の量をさし、肺活量計を用いて測定する。通常は脱力するだけで大部分の空気が肺内より呼出されるのが理想的な呼吸のバランスとされている。

試験終了後は使用したミニスプリントとワックスを完全に除去し原状を回復し試験を終了しており、天然歯や既存の補綴物には一切の形態的変化を与えずに行う無害な検査方法を用いた。

 

≪下顎位補正試験を実施した10症例の一覧≫

【症例01診断=豊田厚生病院膠原病内科 合併疾病=間質性膀胱炎・シェーグレン症候群・顎関節症・PTSD ADL=寝たきり・離職・羸痩33㎏ 自殺未遂あり 重症度=StageⅣ 努力性呼気残量1260m100ml未満 水平性障害なし 軸偏移なし 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例02診断=池袋内科 合併疾病=橋本病 ADL=杖歩行・離職・生活保護 希死念慮なし 重症度=StageⅡ 努力性呼気残量490ml100ml未満 水平性障害16度  軸偏移6.5度 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例03診断=当科 合併疾病=顎関節症 ADL=離職 希死念慮あり 重症度=StageⅡ 努力性呼気残量450ml110ml 水平性障害なし 軸偏移なし 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例04診断=当科   合併疾病=なし ADL=就労困難 自殺未遂あり 重症度=StageⅢ 努力性呼気残量=1080ml100ml未満 水平性障害17度 軸偏移4.0     下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例05霞ヶ関アーバンクリニック 合併疾病=顎関節症 ADL=杖歩行・離職 希死念慮あり 重症度=StageⅢ 努力性呼気残量2120ml100ml未満 水平性障害25度 軸偏移3.5度 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例06診断=西岡記念セントラルクリニック 合併疾病=なし ADL=寝たきり 自殺未遂あり 重症度=StageⅢ 努力性呼気残量1370ml100ml未満 水平性障害なし 軸偏移2.5度 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例07診断=当科 合併疾病=顎関節症・PTSD・心因性失声症 ADL=寝たきり・離職・生活保護・羸痩34㎏ 自殺未遂あり 重症度=StageⅣ 努力性呼気残量1210ml230ml 水平性障害29度 軸偏移9.5度 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例08診断=静岡日赤病院リウマチ科 合併疾病=なし ADL=要介助 希死念慮なし 重症度=Stage   努力性呼気残量1030ml100ml未満 水平性障害18度 軸偏移なし 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例09診断=当科 合併疾病=間質性膀胱炎 ADL=自立 自殺未遂あり 重症度=StageⅡ 努力性呼気残量800ml210ml 水平性障害36度 軸偏移なし 下顎位補正試験により疼痛軽快

【症例10診断=フジ虎ノ門整形外科病院 合併疾病=なし ADL=通学不能 希死念慮なし 重症度=Stage 努力性呼気残量1150ml100ml未満 水平性障害26度 軸偏移なし 下顎位補正試験により疼痛軽快

 

≪歯牙の萌出傾向における先天性素因≫

『下顎位補正試験』を行った10症例の全症例で疼痛症状の軽快を患者様御自身に御確認いただくことができた。いずれの症例においても効果は瞬時(数秒程度)に発現し、即座に全身性の疼痛症状が軽快することが確認された。また全症例において努力性呼気残量を500ml未満まで低下させることができ、いずれの症例においても努力性呼気残量と『腰痛』の間には強い相関関係が認められ努力性呼気残量を適切な値(500ml未満)に制御することで『腰痛』も軽快することが確認された。

この下顎位を創出するために必要とした咬合平面の歯牙の萌出傾向に対する仰角補正量と、当該下顎位における上顎と下顎の歯牙の萌出傾向における軸偏移の有無を観測したところ、水平性障害を認めた患者は10例中7例で、軸偏移を認めた患者は10例中5例。軸偏移と水平性障害の両方が認められた症例が4例あり、先天性素因を有しないものは2例のみであった。

【補足】10例中1例は顎変形症の診断で顎矯正手術(LeFort1型+LtSSRORtIVRO)の術後合併症として下顎位の異常と全身性の疼痛をきたしており、単純に患者側の先天性素因とは断定できない症例が1例あり、慢性疼痛に対する治療としては他症例同様に有効であったが、全身のバランス障害の解除だけでは解決し得ない症状を呈していた症例があったことも付記しておく。

 

≪マウスピースを用いた保存的顎位治療≫

下顎位補正試験を行った10症例のうち患者の希望にもとづき9例に対しマウスピースを主体とする『保存的顎位治療』を実施した。マウスピースには著者自ら独自に考案したマウスピースである『Arai式マウスピース』(図8)を7症例に、既存のマウスピースである『Hiraoka式マウスピース』を2症例に、各症例の重症度や年齢、先天性素因の有無や程度、口腔内の環境、経済状況など、個別の患者の状況に応じて導入した。

いずれのタイプのマウスピースの場合でも装着開始後には個別の患者の症状に応じて安静時顎位に対する微調整が必要で3~6ヶ月間程度の通院を要する。

『保存的顎位治療』を実施した9症例のうち1症例は経済的要因や地理的要因など患者側の理由で通院の継続が難しくマウスピースによる適正な下顎位の維持は困難であったが、他の8症例に関しては適正な下顎位を維持することで全身の疼痛の大幅な緩和が得られ、杖での歩行を余儀なくされていたものは全例が杖なしでの歩行が可能となり、一日の大半を床上で過ごし外出には車椅子を使用していた患者や、初診時に独力で立位を維持することすらできず寝たきり状態に陥っていた患者も自立歩行が可能になるなど、ADLの大幅な改善が認められた。
 

≪考察≫

歯科との連携を要する治療であることから、今回当学会へ報告した症例は発症の原因が直接的あるいは間接的に歯科診療を契機に発症した症例が多く、10例中9例で歯科診療が『線維筋痛症』の発症の原因となっていた。ただし中には学童期に特になんの歯科治療を受けていないにもかかわらず自然発症し、『若年性線維筋痛症』と診断されていた症例もあった。そうした症例においても『下顎位補正試験』と『保存的顎位治療』は顕著な有効性を示したことから、『保存的顎位治療』は発症の原因を問わず『線維筋痛症』患者に対し有効性を発揮する可能性が示唆された。

また今回報告した症例の中には『間質性膀胱炎』の診断病名を有するものがあった。水分負荷試験後に尿意が切迫する際の1回排尿量が100ml未満と極端な頻尿傾向を示したが、加療後には400ml程度の蓄尿が可能となり頻尿傾向も消退するなど、排尿障害に対しても大幅な改善が認められ加療により患者に有益な副次的効果をもたらすことも確認された。

線維筋痛症の根本的な原因は下顎位の異常にあるというのが、かねて著者が関連学会で主張してきたことであるが、本領域における治療は適切な加療が行われれば、全身の諸症状の改善に極めて大きく寄与するが、逆に不適切な加療が行われた場合の全身の諸症状の悪化も極めて重大なものとなる諸刃の剣のような治療である。本領域における加療を進めるにあたっては、矯正や補綴・削合といった後戻りすることのできない不可逆的な歯科処置を行う前に、可能な限り保存的な加療を行うことが望ましいのではないかと思われた。

 

≪結語≫

医師が歯科診療界と協力し『下顎位補正試験』を行った10症例の全例で全身の疼痛症状の軽快を認め、マウスピースを用いた『保存的顎位治療』を実施した9症例中8症例において、呼吸筋を含む全身の筋肉のバランス障害を解除することで、全身の疼痛症状の改善を認めた。

歯牙の萌出傾向の軸偏移や水平性障害といった先天的な素因が10症例中8症例に観測され、咬合平面の水平性障害が、重度の呼吸筋の基礎的筋緊張のバランス障害に直接関与していた。水平性障害例に対する治療の指標として呼吸機能検査(努力性呼気残量)が有用な指標となることが確認され、本領域の加療を行ううえでの有用性が示唆された。

マウスピースを用いた『保存的顎位治療』は、矯正・補綴・削合といった実際の侵襲を伴う歯科処置を行う外科的な『顎位治療・咬合診療』に比べ短期間で症状の改善を得ることができ、天然歯や既存の補綴物には形態変化を与えずに行われることから、高い安全性が確認され、患者の経済負担も大幅に抑えることができた。

また歯科治療に起因せず自然発症した若年性線維筋痛症発症に対しても有効性を発揮し、マウスピースを用いた『保存的顎位治療』は発症の原因を問わず有効性を発揮する可能性が示唆された。

マウスピースを用いた『保存的顎位治療』は『間質性膀胱炎』の排尿障害に対しても大幅な改善が認められ、加療に伴い患者に有益な副次的効果をもたらし得ることも確認された。

御注意

今回当学会へ御報告させていただいた『Arai式マウスピース』を用いた治療法は、著者が長年の研究の末に全く独自に考案した新しい治療法で、矯正や補綴・削合など、天然歯や既存の補綴物には一切の形態変化を与えない『保存的顎位治療』であり、『診療用ガイダンスシステム』とともに、現在特許出願中(特願2018-150927)です。

Arai式マウスピース』を用いた治療法に関するお問い合わせを頂く際には、著者の勤務先である戸田中央総合病院まで御連絡をいただきますようお願い致します。