これは論理的に当然起こる結果だった。そして過去の歴史はそれが不安定な状況を招くに過ぎないことを私達に教えてくれた。氷河の上を安全に歩くためには、足元でいかなる地下活動も行なわれていないと確信できなければならない。中途半端な植民は誤算の温床である。現在の政的世界地図を恒常化させたいと望むのなら、絶えざる管理を行なってその不動性を維持することが必要だった。つまり第一次世界大戦後に出来あがった体制を完全に恒常化させるには、当時我々はドイツの産業や設備、人口、食糧、選挙と言ったすべてを「平和的な分割は不可能である」という名の下に同盟した国々の協力を得てコントロールしなければならなかったのだ。人の生活を賭けた戦争を行なうのなら、相手を徹底的にねじ伏せねばならない。相手が決して立ち上がって報復措置に出ることなどできなくする方法は唯一つ。敗戦国に経済上そして人種上のマルサス主義 [成長抑制] を適用することだ。それは国外移住と生産品の輸出によって実施できなくはない。つまり敗戦国を他国のための生産と奴隷供給の国に還元するわけである。そうするにあたっては、国内潜入という占領手段を用いて、長期間用心深く彼等の監視を続けることも大切だ。ヴェルサイユ条約とは、ドイツをこのような永遠の奴隷国家にしておかなければならない宿命を孕んでいたのだ。ヴェルサイユ条約は我々だけでなく、全世界にドイツを永久管理する義務を課していたのだ。だが我々はその管理を怠った。第一次世界大戦後の二十年間の政治情勢によって我々は、敗戦国の完全な自由と完全な隷属との間には、中庸の道など有り得ないことを見せつけられたのだ。
 ところがニュルンベルク裁判はこの事実を認めることを拒否する。この裁判にとって論理は恐怖なのだ。彼等は「前提」は示した。起訴に不可欠だからだ。だがその後は顔を覆って「結論」に同意しようとしない。子供のように意地を張って、子供のように答える。漠然とした表現を使って我々を煙に巻き、用語を盾に身を隠す。ヴェルサイユ条約体制の抱えていたこれほど重要な問題についてニュルンベルク検察から得ることができる答えといったら、以下のごとき無責任で幼稚な言説だけなのだ。「1920年から30年にかけてドイツが絶望的な状況にあったことは有り得る。またそのためにドイツがあらゆる大胆な手段に訴えなければいけなかったことも正当化されるかもしれない。しかし戦争だけは許されなかった。破綻した国家にはその他のあらゆる手段、説得やプロパガンダ、経済や外交競争の道が開かれていたが、戦争は禁止されていた。」なんのことはない、これは第一次世界大戦後二十年間にわたって私達がドイツとイタリアに繰り返し聞かせてきた言説と何の変わりない:「自国内で押し合いへし合いしながら自らの道を切り開きたまえ! だが我々の庭には足を踏み入れないでいただきたい。」
 わがニュルンベルク裁判の司法家諸氏はここから何の進歩もしていないのであった。彼等は世界地図の境界線を常態化させる古い教義を埃の中から掘り起こしておきながら、そのことがもたらすあらゆる困難に直面して困惑する。そしてその教義が求める手段を最後まで押し通せずにいるのだ。彼等には選択肢がない、いや選択ができないのだ。敗戦国の永続的な奴隷化を堂々と声高に宣言してしまったら、彼等自身の戦争理念に真っ向から反することになってしまうからだ。だが大国というものが自然の法則によって否応なく備えている成長力を、自分達の手で力ずくで阻止することを放棄すると言うのならば、第二次大戦時にドイツの取った選択が正しかったと認めることになる。そしてその場合、戦争責任を彼等自身が負わなければならない。彼等は次のような自明の理に直面しているのだ:伝統的な国際外交理念に従えば、当時ポーランドの分割を容認すれば(そもそもポーランドの分割は今に始ったことではなかった)世界大戦を回避することは可能だった。世界大戦を勃発させることに比べたらエチオピアの併合や [ヴェルサイユ条約によって誕生した国家である] チェコスロバキアの解消という事実は、人類にとって限りなく被害の少ない決定だったはずだ。そのような選択が正しいものではないとした理由は何か? それならば、スラヴ民族の帝国主義を満足させるために[ヴェルサイユ条約によって]ドイツの国土の四分の一を剥奪したことのどこが正しかったというのだろうか? 数百万の人間を家畜のように東奔西走させた四年間の大戦のどこが正しいというのだろうか? 古い時代の為政者は、すべての国家が破滅しかねないほどの深刻な原因がない限り、全体戦争を開始する危険は決して犯してはならないことを承知していた。また自然の否応ない法則を前にした場合には、常に何ものかに譲歩しなければならないことも知っていた。ポーランドを分割することは人類全体を危険にさらすほどの危機だったのだろうか? 民主主義国家の政治家達が自らの手で招いた危機的状況の方が遙かに重篤だったのではないか? 我々が今日置かれた立場の方が遙かに悲惨なものなのではないか?
 誰もが今日、1939年8月当時ヨーロッパは未だ美しかったと顧みて嘆く。一連の出来事はショワズルが正しかったことを証明した。政治力とは水や風と同じ自然の力であり、強力で正確な機器を使ってその流れを操作することができないのならば、帆を張り、風に任せて航行するほかないのだ。戦争に勝った後、敗戦国に自然法の一つである隷属を課すことを望まないのならば、相手国を受け入れ、現実的な条約を締結し、力ある民族の繁栄を許さなければならない。結局のところ相手国の成長によって我々が被る不利益は、世界大戦が及ぼす被害とは比較にならないくらい小さいのだから。世界大戦の恩恵に浴することができるのは、我々の文明そのものを脅かそうとしている連中だけである。
 わがニュルンベルク裁判の司法家諸氏は、ドイツの完全な隷属か自由か選びあぐねた末、過去の歴史から中道の教義要素を借用し、それを大いに拡大解釈した。条約は撤回不可能であり、平和分割は不可能ではるが、「しかし…」と彼等は言い添える。「一見あなた方は隷属させられるかのように見えますが、心配は無用です。実際にはこのことによって民主主義世界の基礎が築かれるからです。そしてその世界ではすべての国家が平等の権利を享受し、自由の恩恵に浴することができるでしょう。もちろん皆さんはほんの少しだけ奴隷になりますが、全員が自由になるためにはそれが最善の道なのです。」
  この巧妙な理屈を復活させるために、ニュルンベルク裁判はドイツ側が<弾圧> Diktat などという物騒な表現で非難し、実際に強者の掟の匂いを芬々とさせていたヴェルサイユ条約については、適当に陰に隠しておくことにした。その代わりニュルンベルク裁判は外交用兵器庫の奥を漁って、大変平和的に見える協定を引っ張り出した。それはいかにも黴臭い古めかしいものであったが、自由な合意という考えには概ね合致したからだ。それを掲げて「ドイツが違反しのはヴェルサイユ条約だけではないのですよ」としたり顔をして彼等は告げた。「ドイツは自ら進んで署名したハーグ条約とロカルノ条約、国際同盟協定、ケロッグ・ブリアン不戦条約にも違反したのです。」ここで我々はハーグ条約については深入りしない。特に軍事侵攻という問題に関してはあまりに曖昧だからだ。ニュルンベルク裁判のイギリス人検事ハートレイ・ショウクロスによる次の言葉を挙げれば充分だろう。「こうした初期の協定は戦争を回避したり、または強制的な調停形式を提供するには程遠いものであり、私はドイツがこれらの協定を破る罪を犯したと訴えるつもりはない。」だがロカルノ条約とケロッグ・ブリアン不戦条約は別物だと、我々は繰り返し聞かされてきた。これぞ神聖不可侵の協定、神託に等しい。同じハートレイ・ショウクロス検事は次のようにこれらの条約の本質を定義している:ロカルノ協定は「全面的な戦争放棄を意味し」、ケロッグ・ブリアン不戦条約は、それが締結された日から厳かに、荘厳に「戦争を行なう権利は国家主権から除外される」ことを意味していたのだ。しかも氏によれば、イギリスとフランスがドイツと戦争状態に陥ったのは、この二つの協定を遵守した結果だそうだ。イギリスとフランスは宣戦布告をしたのではなかったのだ。すでに起こっていた戦争状態に引きずり込まれたと言うのだ。「この協定に違反することはすべての署名国への攻撃を意味するため、違反した国は攻撃者として扱われなければならないからだ」。
 かくなる解釈は精査の必要があるが、とにかく天晴れな詭弁である。英仏の方から宣戦布告した問題を実にエレガントに解決している。簡単な主張だ。最初の一発を放った者は、全世界に対して戦争を開始したに等しいと言うのだ。だがドイツの歴史家からすれば、何故すべての署名国の中でイギリスとフランスの二国のみが戦争に引きずり込まれてでも協定を遵守しようという熱意に燃えたのかという疑問が浮かぶはずだ。「そんな疑問を持つのは根性が曲がっているからだ、きっとハートレイ・ショウクロス卿に私怨があるに違いない」と答えておこう。だがそれだけではない。この解釈が表している政治的観点とは以下のような見事なものである。その裏に確固たる一つの教条の控えてることがわかるはずだ。「ドイツはこれらの条約に署名することによって、超国家の仲間入りすることを認めた。その時点でドイツは国家主権の一部を放棄したのだ。従ってドイツには前言撤回する権利はもはやない。署名は撤回不能であり、この条約はドイツを起訴するためにいつでも引き合いに出すことができる」と言うものだ。歴史的に言えばこの見方には様々な異議を唱えることができる。ドイツは国際同盟を脱退しており、国際同盟の活動や決定にはもはや束縛されていなかった。またドイツはロカルノ条約を放棄している。1934年に五年間延期したのを最後に更新していないのだ。つまりロカルノ条約にも縛られていなかったわけだ。ケロッグ・ブリアン不戦条約にはそもそも破棄を認める条項はなく、ドイツはこれを放棄してはいなかったが、エチオピア戦争[原注1]でこの条約は執行不能であることが露呈されており、この条約を真に受ける者など誰もいなくなっていた。だが「そんなことはどうでもいい」とニュルンベルク検察は言う。「ドイツによる破棄は一方的なものだったため、我々にとっては意味をなさない。国際同盟を脱退していたドイツは、加入していた場合と同じくらいに我々の目には有罪に見える。ロカルノ条約は一度も糾弾されたことがないに等しい価値があるし、ケロッグ・ブリアン不戦条約は、エチオピアが問題の場合にはまったく意味を持たないが、ポーランドが問題となれば、ヨーロッパのすべての国が何が何でも戦争に突入しなければいけない義務を意味するのだ。」いやはや国際条約にはどこか聖職的な色彩が備わっているものである。どちらも永遠のためと称する犠牲を要求するのだ。
 しかしこの件の歴史的観点は今の私達の関心事ではない。とりあえずはケロッグ・ブリアン不戦条約がヴェルサイユ条約と同質の 条約 であることを認めることにしよう。大国や世論がこの条約を本気にし、ドイツはそれを破ったことにしておこう。重要なのはあらゆる条約の中でもこの一つだけが突然大変な価値を置かれた事実である。取って付けたように格上げされ、その 本質 が変容したことだ。ケロッグ・ブリアン不戦条約は一夜にして他の協定とは一線を画す神の法に成り変ったのである。
 まさにここでニュルンベルク検察の基盤となる システム がその素顔を現わすのだ。とりわけこのシステムの統合性が明らかになってくる。ニュルンベルク裁判の第一の起訴項目(共同謀議罪)で検察は「普遍的な世界の良心」なるものが存在することを告知していた。それは森羅万象を司る「国際モラル」だそうだ。そしてこの「国際モラル」は、ある特定の形の政治活動を禁じた。ところが今やこの「国際モラル」はただ存在するだけではなく、道具を所有し、信任されたスポークスマンや立法権すら持ち、その強制力は国家の立法権と肩を並べるものだということが知らされたのだ。「国際同盟は戦争を禁止しているため、貴国は戦争を行なってはならない」と検察は言う。「それは貴国の代表者が署名を行なった立法文書によって定められている。」このような見方をすることによって初めてケロッグ・ブリアン不戦条約は戦争は良くないものだと主張するただの宣言書から戦争を禁止する勅令にその性質を変えるのだ。ケロッグ・ブリアン不戦条約にこの地位を持たせるには、国際同盟が実はリシュリュー宰相と同等の存在であったことを認めなければないことになる。かくしてリシュリュー宰相が決闘を禁止したように国際同盟は戦争を禁じ、リシュリュー宰相がモンモランシー・ブットヴィルを断頭台に送ったように、国際同盟はリーベントロップ外相を絞首刑にすることができるのだ。国際同盟とは実は立派な支配機構だったことになり、ドイツはその憲章を破ったことにされたのだ。そのためにイギリスとフランスだけでなく、国際同盟を認めたすべての国家は自動的にドイツに対して戦争状態に置かれたことになるのだ。もしもカリフォルニアがアメリカ合衆国連邦政府に反旗を翻した場合、アメリカ合衆国連邦を構成するすべての州が自動的にカリフォルニアと交戦状態に置かれるようなものである。

 「国際モラル」の権力と統合性の度合いが徐々に明らかになってきた。その呼び名は「普遍的良心」でも「国際モラル」でも構わないが、とにかくそれはれっきとした権力に成り上がり、まるで連邦法がアルコールの密輸団体を禁じ、暴動を取り締まるがごとくに権威主義的国家主義を禁じ、戦争行為を処罰するのである。「普遍的良心」の地位がかくのごとく押し上げられる事実を見ることで、私達はニュルンベルク裁判の新たな司法精神をより深く理解することができる。ニュルンベルク裁判の第二起訴項目(平和に対する犯罪)は第一項目(共同謀議罪)としっかり噛み合っているのである。
 ニュルンベルク検察の態度は、実在するものの存在を否定し、実在しないものが存在すると主張することにある。彼等にとっては、国際モラルなるものは実在する。しかも文書化されていようがいまいが、それは各国の法律に優先されなければならない。同様に今は既に消滅している国際同盟も未だに存在していることになり、そればかりかかつて一度も手にしたことのなかった警察権すらどこか絶対的世界において国際同盟は所有していることになり、それは神の手に等しく、いかなる場においても一度も宣言されたことがないにもかかわらず王権に匹敵する法の力を所有することになったのだ。実に巧妙な遡及的視点である。かくしてニュルンベルク裁判は超国家の名の下に判決を下すことになったのだ。1945年の時点で国際連合を信じると仮定した場合にはある意味で超国家のようなものが存在すると言えなくもないが、少なくともそれは1939年の時点ではまったく存在しなかった。まるで亡霊を呼覚ますようなものだ。そして何よりも「純粋な本質」の勝利である。今後はあらゆる一般概念に裁きの剣が与えらたのだ。空に浮かぶ雲が法を定め始めるようなものである。「我々は実在し、しかも実在するのは我々だけだ!」と雲達が叫び始めた。まさにプラトンの洞窟である。我々が現実と思っていたもの、我々が現実の法だと思っていたものは影でしかなかった。逆に我々が影だと思っていたものが現実であり、法であることにされてしまった。普遍概念の勝利である。現実とは実在するものだと思ってきた私達は、突然解き放された抽象概念を前に呆然とする。
 このことがいったい私達をどんな世界に導くのかを知る必要がある。ニュルンベルク裁判はケロッグ・ブリアン不戦条約を卑劣に曲解することで、ドイツの戦争が法に違反するものであったと主張し、それを理由にドイツ軍の行なった すべて の軍事行為がもはや 軍事行為 ではなく、刑事犯罪だったのだとすり替えた。しかし私達が問題としているのはそのことではなく、雲の支配がもたらす世界とはどんなものかということだ。雲の世界に支配されることになったあらゆる国家は本質的に、国際条約に署名しようがしまいが国際社会を優先するために国家主権の一部を放棄しなければならないことになったのだ。すべての国家は「道徳」に司られることになったからだ。これが来るべき未来世界の基盤であり、私達は毎日のようにそれに慣れるように指導され、今ではすっかりこの考えは普遍化した。だがすでに二十年も前にリトヴィノフが「絶対的な国家主権と国家の行動の自由は、国際世界の義務に従わない国にしか存在しない」と表現していた。
   いったいこの国家主権の委譲はどのようにして起こるのだろう? まずはこれが通常の主権放棄ではないことを抑えておこう。ある国家がその主権の幾つかを放棄することは有り得る。例えば聖地に住む国民の保護やスエズ運河管理権の執行、あるいはドナウ川航行の規正を第三者に委ねる場合である。しかしここで問題とされる権利の委譲こうしたものとは別の次元のものだ。国家が今要求されているのは次のような信じ難い権利の放棄である。何を支持し何を支持しないかを決定する権利、許容するものとしないものとの間の境界線を決定する権利、つまり国家が高等機関に譲渡するよう要求されているのは、実質的に自らの主権なのだ。いったい他者に侮辱され、弾圧されながら「もうたくさんだ!」と席を立つ権利のない統治者になんの意味があるだろう?もはや統治者の本質は何も残されていない、一介の個人となんら変わりない。統治者はまさに個人に還元されたのだ。それも侮辱者に向って「法廷というものが存在すること、王の法廷 が存在することをお忘れなく!」としか返答することのできない個人だ。王を認める者は、もはや自らは統治者ではない。国家は主権の一部を放棄したのではない。主権そのものを放棄し、世界覇権帝国の一市民でしかなくなったのだ。各国はその帝国が新たに定めた法を受け入れるだけでなく、市民としての義務さえも請け負う。それほど新たな主従関係は明確なのだ。とりわけ「民兵」の義務という、支配者に対する最も本質的な市民の義務を負うことになった。つまり国際社会の一市民に過ぎなくなった国家は、その評議会の決定する命令に従って監視塔に登り目を光らせ、総司令官に美辞麗句を並べ、軍事動員に同意するのだ。ルイ・フィリップ時代の国民のように今後各国家は国際社会の国民軍としての役割を果たすことになったのだ。
 以上述べたような国家主権の放棄がどれほどの規模であるかを私達が意識するには、ニュルンベルクの第一起訴項目で述べられた内容を思い出す必要がある。国家は何を許容し何を拒否するかを自ら決定する権利を放棄するだけでなく、実際には何が正しく何が不正であるかを判断する権利すら放棄していることがわかる。国家の利益が侵害されているかどうかを判断する権利ばかりか、国家が道徳に従っているかどうかを判断する権利すら、今や国家自身ではなくや他者の手に渡ったのだ。国家は何をするにも許可を求めなければいけない。戦争をする権利、しない権利、どんな方法なら国力を増強することが許されるのか、政権を交替するべきかどうか、どのような法律、どのような輸入規制法を採択したらいいのか。国家の通貨、通商、予算、軍備、民主主義の度合いについてさえ外部から 勧告 の行なわれることはもはや驚くには値しない。これらすべてはニュルンベルク裁判の精神に含まれていたのであり、そうした勧告が行なわれなかったとしたらむしろ驚くべきである。
 こうした事実上の 干渉 は、私達に許されている政治的権利について語られているうちは巧妙にベールに包まれ、ただ抽象的に扱われているだけだったが、国際政治の分野に移行するやたちまち法的に明確になり、組織や文書によって確定される。ケロッグ・ブリアン不戦条約をただの条約から勅令に昇格させた手段は、国際機関が有する裁判権を明らかにし、国家が一市民に還元され、その主権を奪われたことを明示した。私達が目下体験しているこうした劇的な変容は、新たな支配権力が樹立する過程に特有な性質をすべて示している。これと同じ現象は十六世紀のイタリアで国家が封建領主を法的支配下に置こうと試みた時にも見られたものである。オルシニ家、マラテスタ家、コロンナ家といった領主は自分の領土内での法治権は自分の手にあるものと信じて疑っていなかったため、ヴェネチア共和国や法皇が何故彼等に対して刑事訴訟を起こせるのか、わけがわからずにいた。彼等は自分達の権利の正しさを確信し、敵は戯言を語りながら体よく自分達を始末しようとしているのだと信じて死んで行った(そしてそれは本当だった)。この二例を比較することによって、ニュルンベルク裁判が新たな法制度の支配する世界の最初の表明であることが結論できる。二百年後にはその法制度はごく当たり前のものとなっているのかもしれない。だがまず明らかな事実は、オルシニ家、マラテスタ家、コロンナ家といった領主がまもなく支配者として消滅したことである。彼等の子孫は法皇とトスカーナ大公の従順な臣下に過ぎなくなった。ニュルンベルク裁判が来るべき世界の法制度を表し、ニュルンベルク裁判が現在国際法に与えている支配的立場が今後持続的なものとして確立することになるならば、我々の国家はイタリアの封建領主達と同じ運命をたどることになるだろう。ニュルンベルク裁判の文書は、国家の隷属化による消滅を決定しているのだ。
 ここまで分析したところで、来るべき支配体制の全体像が私達の目前に広がりはじめた。言ってみれば一種の置換が起こっているのだ。条約を撤回不可能なものと見なし、平和的な国土分割を不可能であるとしたことは、そうしたことが本来招くはずの国家の服従や成長抑制、管理、占領といったただならぬ結果こそはもたらさなくなったが、これらに等しい現象は緩慢に実施されているのだ。服従という事実は、許容可能な婉曲表現に言い換えられているに過ぎない。そうやって私達をその事実を慣らそうとしているのだ。今後私達は服従するのではなく、干渉されるのだ。管理されるのではなく、計画されるのである。成長抑制を課される代わりに、輸出を調整されるのだ。占領などとんでもないが、国際会議によって私達の民主主義度に関する診断が下されることになるのだ。会議の円卓には全員が顔を揃え、投票用紙を手にしている。そこでは勝者も敗者も存在しない。全員が息をすることのできる自由世界だ。だが息をすると言っても、心肺による呼吸ではない。吸うことが許される酸素の容積が賢い技師によって制限されている深海潜水艇や軽航空機の中で呼吸するようなものだ。イスラム教徒がモスクに入る前に履物を脱ぐのと同じように、全員が会場の入り口で幾つかの不都合な観念や余計な主張を放棄させられ、民主主義の原則を永久に尊重することを誓わされ、その代償として自由を受け取ったのだ。つまりはアメリカの憲法を何よりも優先して、これに従うことを約束したわけである。これこそがこの世の幸せではないか? これこそが先述した我々の行く手を遮る二件の障害に対処するための幸せな妥協ではないか? かくして解決不能に思えた問題が解けたのだ。ドイツが断罪されるのは、ヴェルサイユ条約に違反したためだからだけではなく、「普遍的良心」の精神とそれが下す勅令に本質的に反する行動を取ったためであり、つまりは民主主義に反したためなのだ。だがドイツが今後は牙を向けた女神に対して忠誠を誓うのなら、再び自由国家の仲間入りをすることが許される。
 この新たな位置関係がもたらすあらゆる結果を検討する必要がある。国家の条件を一介の個人のものと同じレベルにまで削減することから生じる第一の結果は、富の分配が 現在 の状態で神聖化されることだ。社会的不公正が国家単位で再現されるということだ。そして司法機関との力関係がそれを決定する。言い換えれば、市民は自らを弾圧する不平等を守護する番人に任命されたのだ。本来都市国家においては、このような静止状態は政治闘争よって常に修正され、社会契約は間断なく見直され続けてきた。だが市民に授与されてきたこのような政治活動に相応する国家レベルの活動とはどのようなものだろうか。国家単位の領域ではあらゆる政治活動は戦争、あるいは戦争への序奏を意味し、現在の新たな体制下においては、戦争とは世界大戦でしかありえない。
 「あなた方は自由です」と言われる。だが与えられた割当てを受け入れることが条件なのである。あなた方には他国と同じ権利が認められるが、他国はみな、本質的な問題を提起する権利を放棄していることを知らなければならない。これは陰険なやり方でマルサス主義を再び導入することと同じだ。ちょうどケロッグ・ブリアン不戦条約がヴェルサイユ条約を補強したのと同様、国連憲章は貧困を補強する役割を果たしているのだ。これまでは強制権の発動によって得ることのできた結果を獲得するためには、もはや国土併合の必要もなければ強制権そのものすら必要ない。民主主義精神を受け入れさせれば良いのだ。富める者達は「ホザンナ!」を叫ぶ。そしてポトマックへの賛歌を歌った後に恩赦を与え、この勝利が正義と平和の勝利であると主張する。素晴らしい。もはや 悪魔 を喚起する必要さえない。悪魔は消滅した。彼等の植民地を奪って代わりに搾取する必要はない。彼等にはもう植民地はないのだから。戦艦をレンタルするために彼等の海軍を奪う必要もない。彼等はもう戦艦など所持していないのだから。デトロイト製の鍋やデトロイト資本がドイツのエッセン市で製造した鍋を彼等に暴利で売りつけるために彼等自身の工場を破壊する必要もない。彼等に工場など残されていないのだから。今のこの状況が素晴らしいものである、これこそが回避しようのない運命なのだと彼等に信じさせれば良いだけの話だ。国連憲章による経済政策とは、弾圧経済と同じである。ケロッグ・ブリアン不戦条約を手にしたからには、ヴェルサイユ条約など子供騙しである。世界の民主化と常態化。これこそが我々のスローガンである。これこそが古今東西最上の体制であり、毟り取られた者達にさらに正しい人々の財産の見張りをするよう促すのである。
 ここにおいて一見異なる分野であるように見える道徳と経済とが出会い、融合するわけである。ニュルンベルク裁判は平和を保証すると主張している。だが平和と普遍的良心は共に最高天に君臨することになったとは言え、ちょうどモンテーニュが「王座に就いてると言うが、実際には尻の上に座っているに過ぎない」と表現した王のようなものなのである。つまり純粋不可侵な理念は支配者の座につくことによって、政務という不純な行為に手を染めなければならなくなったのだ。そして最終的に行なわなければならない政務は富の分配である。地上の政務に関わることなく精神界の政務だけを執ることはできない。精神界の支配者から富を奪うことは、必然的 地上の富を奪うことになる。土には必ず根が張っているからだ。「純粋なる不可侵なる理念よ、そなたの大臣を務めるのは一体誰なのか?」と私達は彼等に尋ねよう。「いったい自ら手を下さないためにいかなる地方長官、宰相、王太子付貴族に地上の執務を委譲したのか? いったい私達を統治しているのはどのような聖省なのだ。そなたは我々に監視を命じるが、それならばいったい何を前に監視を行なうのか知りたいものだ。門の前で敬礼を命じるのならば、いったい内側には誰が腰掛けているのか知りたいものだ。」だがニュルンベルク裁判は、この第二起訴項目においては、まだ返答を行なってはくれない。これまでに我々が詳述してきた原則を提示するのみで満足し、私達はそれが意味する我々の未来を読み取ろうと試みる。

第六部に続く