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(ジャック・イゾルニ弁護士記)



八時三十分、パリ裁判所の鉄格子前に六台の黒い車が列を成す。死刑執行の公式立会人をフレーヌ監獄に送るためだ。全行程、機関銃で武装した巡査による大掛かりな警備隊。フレーヌに近づくと警備の密度はさらに増す。監獄内の道の両側には国民衛兵の垣。我々は拘留場につながる大通路の入り口となる柵の前で何人かの法人と共にしばらく待った。

九時ちょうど、国民衛兵を背に死刑囚拘留所に向う。政府委員フランソワ氏がロベール・ブラジヤックの独房の扉を開き、恩赦願いの却下されたことを彼に冷たく告げた。

同時に私は、ミレイユ・ノエル女史、監獄付き司祭と共に入室した。ロベール・ブラジヤックは我々三人を一人一人抱擁した後、司祭と二人きりになることを望んだ。二人の看守が彼の鎖を外しに来る。告解、また司祭との対話が済むと、彼は私とノエル女史を呼んだ。私に母親と家族、友人、ノエル女史、また私自身のために書いた最後の手紙を手渡す。

また監獄で書いた詩の原稿と『死を直視しながら』と題された数行をしたためた紙をくれる。時々、子供のような美しい微笑を浮かべて私を見る。彼はすでに昨日、この朝が最後であることを悟っていたのだ。

「熟睡したのですよ!」

と言う。

死刑囚の制服から私服に着替えなければならないため、ノエル女史はその場を立ち退き、私は彼と二人きりになった。

「ええ、どうか私のそばにいてください」

と言う。

そして母親と二人の甥 [妹スザンヌとモーリス・バルデシュの子供] の写真を見せてくれる。それを財布にしまい、これらの写真を胸に死にたいのだと告げた。その瞬間、わずかに動揺し、溜息をついて、涙を流した。それから私の方を振り返ると、まるで謝るかのように「まあ、少し自然なことです。しかしこの後は勇気を失いませんから、どうかご安心ください」と言った。

そして穏やかに、入念な手間をかけて着替え、小さな鏡の前で髪を梳き分け、あらゆることに気を配って、丸いパンの中に隠していた小さな折り畳みナイフと鋏を取り出し、私に渡した。「誰にも迷惑を掛けないように」と説明しながら。

彼は私物を大きな鞄にしまった。この時、喉の渇きを覚え、水筒から水を少し飲む。身支度が終わる。彼は法廷で身につけていた青色の上着を着て、首には赤いウールのスカーフを巻いている。

それから政府委員ルブール氏と話すことを望んだ。

氏が進み出る。気が立って体が硬直し、歪んだ表情は蒼白だ。

くぐもった声でブラジヤックは次のように告げた。

「ルブールさん、あなたを恨んでなどいません。あなたは自分の義務に従って行動したと信じていらっしゃることを知っているからです。けれども私が祖国のためだけを思って行動したことをもう一度お伝えしたかったのです。あなたは私と同じクリスチャンでいらっしゃいます。私達に本当の裁きを下すことができるのは神だけです。一つお願いをしてもよろしいですか?」

ルブール氏は辞儀をする。ロベール・ブラジヤックは言葉を続けた。「私の家族は目下、大変な試練を味わっています。私の義弟 [モーリス・バルデシュ] は理由もなく半年間監獄に収容されています。妹は彼を必要としています。義弟が釈放されるよう全力を尽くすことをお願いします。彼と私は青春時代をすべて共にしたのです。」

政府委員は「お約束します」と返答した。

ロベール・ブラジヤックは最後に言った。「ルブールさん、私と握手することに同意してくださいますか?」

政府委員は彼の手を長い間握った。

ロベール・ブラジヤックはもう一度私を抱擁した。同様にふたたび入室したミレイユ・ノエル女史を抱擁し、彼女に「どうか勇気を失わず、私の可哀想な妹のもとにいてあげてください」と告げた。

彼の準備はできた。自分で独房の扉を開く。待機していた法人達の前に進み、「皆様、ご命令に従いましょう」と告げた。

二人の衛兵が彼に近づき、手錠を掛けた。我々は出口につながる大きな通路に戻る。ある独房の前を通る時、ロベール・ブラジヤックは澄んだ声で「さよなら、ベロー!」と叫んだ。数メートル先では「さよなら、リュシアン・コンベル!」

彼の声は丸天井の下、我々の足音と共に響いた。

護送車の待つ小さな中庭に到着すると、彼はノエル女史の方を向き、彼女の手に接吻をして言った。「スザンヌと彼女の二人の息子をお願いします。」そして「今日は二月六日です。私に思いを馳せていただくことは、十一年前の同じ日に死んだ人々に思いを馳せることにもなります」と付け足した。

私はモンルージュ城塞に向う車に彼と同乗した。彼は落ち着いて腰をおろし、私の手を取った。これを最後に彼は一切口を開くことはなくなった。

銃殺刑用の柱は、芝生の茂った丘の下に立てられている。十二名の兵士と一人の下士官からなる銃殺隊は、私達に背を向けた。ロベール・ブラジヤックは、私を勇気付けるように私の背を叩きながら私を抱擁した。彼の表情は澄んだ微笑に輝き、眼差しは不幸なものではなかった。そして、非常に落ち着いた、くつろいだ様子で、微塵の震えも見せずに銃殺刑用の柱に向った。私は公用人のグループから少し離れた。彼は向きを変え、柱に背をもたせた。そして私の方を見る。「これでお終いです…」と言うかのように。

銃殺隊から兵士が一人進み出て、彼の手首を縛る。けれども気が焦ってうまくいかない。中尉の命令を受けた軍曹が彼に代わる。秒針が進む…。大尉の声が静寂を破るのが聞こえる。「軍曹!…軍曹!…」

ロベール・ブラジヤックはゆっくりと左右を見渡す。口には皮肉っぽい微笑が浮かんでいる。二人の兵士はようやく隊に戻った。

ロベール・ブラジヤックは銃殺刑用の柱に縛られている。頭を誇り高く上げ、真っ直ぐ立っている。赤いスカーフに比べ、顔は真っ白に見える。裁判所書記が上告の却下された旨を読み上げる。

ロベール・ブラジヤックは力強い声で銃殺隊に叫んだ。「勇気を出すのだ!」そして空を見上げ「フランス万歳!」

銃声が響く。上半身が柱から離れ、天に向うように見えた。口元が歪む。軍曹が駆け寄り、止めの一撃を撃った。静かに彼の体が地面に崩れ落ちた。九時三十八分。

ポール医師が進み出て、死亡を確認した。司祭と私も続き、彼の上に屈む。体は無疵のようだ。私は、彼を愛する者達のために、額に流れる大きな血の滴を採取した。

                                  1945年2月6日パリにて
                                   ジャック・イゾルニ




「我々は時に看守の目を盗んで、監房が階をなして並んでいる大回廊に抜け出すことができた。死刑囚用の独房は隔離された区画に置かれているわけではなく、第一区画の地階の一部にあった。扉ののぞき穴に近づいてロベールに会いに行くことは可能だった。そうやって彼は、ウェル・アロ(今日フランソワ・ブリニョーの筆名で知られている若いブルトン人のことだ)、私の弟ベリーヌ、そして私たちと様々な収容所や監獄を共にした縮れ毛のレジスタン、小さなイヴ・モローに会うことができた。私自身もまた、どんなものであったか医務上の口実を用いて、第一区画との境界を越すことに成功した。そうやって私は生涯に今一度、一瞬間だけ、ロベールの大きな瞳が喜びに輝くのを見ることができた。彼はあまりに勢いよくのぞき穴に駆けつけようとしたために、小さな机の角で門歯を欠いてしまった。2月3日、最後に私にくれた手紙の中で、イゾルニ弁護士から、リュドミラ・ピトエフの末娘スヴェトラーナから心のこもった手紙を受け取ったと書いていた。私達は戦前まだ子供だった彼女を知っていた。彼の ”威厳と責任を負う勇気、そして志の高さ"を尊敬しますと書いたスヴェトラーナの手紙を彼は書き写し、”とても友情のこもった運命からの徴だ” と添えていた。」
(モーリス・バルデシュ『思い出』)




死を直視しながら…

 私にその暇が残されていたならば、フレーヌ監獄の死刑囚用の独房で過ごした日々について、この題名の文を書いただろう。死と太陽は、直視することができないと言う。それでも私はそれを試みた。私はストイックな人間とは程遠く、愛するものから引き剝がされるのは、辛い。それでも私を慕ってくれる人々、私を目にする人々に不名誉な姿を残さないよう試みた。

 日々、特に最後の日々は豊かで充実していた。控訴の却下は予想されていたものとはいえ、それが本当に却下された後は、私はもはやたいした幻想は抱いていなかった。アンドレ・シェニエについて書き始めた小品を完成させ、その他、何篇かの詩を綴った。一度だけ辛い夜を過ごした。朝、私は待っていた。しかしそれに続く夜は、安らかに眠り、最後の三晩は福音書を読んだ。毎晩、四人の使徒のものひとつずつ。祈りに多くの時間を費やした。祈りが私の眠りに安らぎをもたらしてくれたことを、私は知っている。朝、監獄付きの司祭が聖体拝領を持ってきた。私は愛する人々、人生で出会ったすべての人々にやさしく想いを馳せ、彼等の悲しみを思って、悲しく思った。だができるかぎり 受け入れること を試みた。

                                 
ロベール・ブラジヤック