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去年ニューヨークに行ったとき、電車内でスマホを使っている人はほとんどいなくて、逆に分厚い本を読んでいる人を何人か見かけた。

「電車内でスマホを使っていたら簡単に盗まれてしまうからだ」とある人は言っていたけど、そうなのだろうか。

こないだ香港に行ったら、電車内のほとんどの人がスマホを使っていた。7人がけの席があったら、7人全員がスマホでビンゴするような感じ。要するに日本と同じくらいの比率だ。日本も香港も、電車内で本を読んでいる人は全然みかけなくなった。もしかしたらスマホで本を読んでいるのかもしれない。

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書籍のデザイナーと電子書籍の話をすると、みな一様に嫌悪感を示す。
露骨ではないのだが、電子書籍の台頭によって自らの仕事が奪われていく懸念を抱いているのだろう。

装丁の仕事のうち、かなり大事なのが、どんな紙にするかだと思う。
大量にある選択肢のなかから、1枚の紙を選ぶ。それによって本の印象が大きく変わってくる。
電子書籍にはそれがない。すべて1つのモニターで完結してしまう。
おそらくこのまま行くと、紙の質感などどうでもいい、というところに一旦落ち着くと思う。

でもそれはデジタルカメラが一度はフィルム以下の画素数で甘んじていたのと同じで、
一旦は電子書籍という、触覚的には貧しいインターフェイスに甘んじても、
これからは触覚に訴えるなにかがコンピュータの進化で出てくるようになるんじゃないだろうか。

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冷たい飲み物を手にしている人は、対話した相手を冷たく感じる傾向があるらしい。
逆に、温かい飲み物を持っていると、そのときに会った人をあたたかい人だと感じるという。

また、かたい椅子に座っている人と、柔らかい椅子に座っている人では、
やわらかい椅子に座っている人のほうが相手を信用しやすい。

ホントかよ?と疑いたくなるけど、もしこれが本当だとすれば、
紙の書籍で読む場合と、電子書籍では読書の印象も変わってくるはずだ。
触感的に貧しいスマホで読む人がつまらないと感じても、
紙の質感を感じながら読んだ人は面白いと感じる。

ぼろぼろの紙質の古文書を慎重に読み進める人は、その古文書の重要性をひしひしと感じるが、
電子化されたデータを流し読みする人は、その古文書をウィキペディアと同じ感覚で読む。

「で、だから何?」と思うところで終わりにしておこう。
ちなみに「So,what?」と言ってかっこよいのは、他の誰も「So,what?」と言っていないときだけだ。
歴史を紐解くと、他の全員が「だから何?」と思うようなことを、独自にやっている人が未来を切り開いている。