夜明け前

一皮剥けそうで剥けない。

正月早々に新年の抱負を述べてから、怒涛の仕事に見舞われてバタバタと過ごすうちにおよそ2ヶ月経ってしまった。持ちうる限りの要領の良さを発揮して長時間労働は回避できているが、心理的な余裕は一切なくて、気づけば心身ともカチンコチンに固まってしまっている。

余裕がないと「地」が出るのが人間なわけで。

それなりの役割を担う人間として器量のあるマネジメントをしたいものだが、余裕がなくてカリカリしてそれどころじゃなくなっていた。結果として、誰かに対して攻撃的になってしまったりだとか、誰かを揶揄するような態度が見え隠れしてしまったりだとか、カッコ悪い感じになってしまっていた。

こうやって余裕のないときほど人間が試されるわけで、良い訓練をさせてもらっているのかもしれない。今回これだけのバタバタを何とかやり過ごせているので、次同じ程度の忙しさなら今回よりは気持ちに余裕もできるだろう。そのときに心に波風立てずに、私心を捨てて物事に向き合えるようにしなければ。

実は忙しくてカリカリしているときに、自分でもよろしくない発想になっている自覚があった。自己憐憫に浸っているというか、私心が出てきて他責にしてしまうようなところがあって、時折ブレーキを踏んでいた。暴走にならなかったのはそういうことだ。しかし分かっているだけでは変われない。一皮剥けそうだけど、本当に剥けるにはまだまだ時間と経験が足りないのだろう。

とりとめのない自省なんだけど、生きてますということで。

February 25, 2021


dogandchopsticks at 00:12


2021年の抱負

あけましておめでとうございます。

依然コロナは落ち着きを見せず、これが政治的にも経済的にも大きな因子になっていることから、今年がどういう一年になるか予想が難しい。ひとつ言えることは、人類がCOVID-19を克服したとしても、それ以前の社会には戻らないということ。テレワークはますます浸透するだろうし、副業やワーケーションも普及し、より個人の自由度は上がっていくと思う。物理的・物質的なものは重く感じられ、より軽快なものが好まれるようになる。どんどん世の中が変わっていくなかで、今までのあり方に拘泥しないことが何よりも大事だなと思っております。

今年の抱負は、盤石化。

年末の振り返りでも書いたけれども、今年は自分なりの経営スタンスを確立したい。年末に振り返ったとき、「経営に対してバリューを出せた」と胸を張っていられるようになれていたらいいなぁ。もちろんその先にはマーケットがあり、その先で世の中にバリューを出せることが大前提だ。

今年からは自分の生き方も変わる。カッコつけすぎず自分らしく思いっきり生きることで未来を紡いでいけたらいい。昔と違って今はいろんな仲間がいて強い味方がいる。

引き続き変化に富む一年で、また頭を悩ませることも多くあるだろうし、覚悟を決めて臨まないといけないこともあるだろう。それらにしっかり逃げずに向き合っていきたい。そして、2020年に積み上げたものを盤石にしたい。

このブログも区切りをつけようと思いながら、バタバタしているうちにそのまま来てしまった。今年こそは別のところで仕切り直して文章を綴っていきたい。いや、今年もバタバタするから未遂に終わる可能性大なんだけど。

リアルな方もバーチャルな方も、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

January 01, 2021


dogandchopsticks at 08:00


2020年の仕事を振り返る

年初に「外に出る」と抱負を語ったけれども、それから想像もしていなかったようなことが次々と起こり、その想いは簡単に反故になってしまった。

昨年の今頃はマンネリ化する仕事に対して能力と時間を持てあまし、転職なり副業なり本業以外でのチャレンジをしたいと思っていた。たとえば医療分野への関心から、1月は医療系ベンチャーに出入りして話したりもしたが、そこから大きく流れが変わっていった。

コロナ流行で社会全体が変化したことの影響はあったけれども、尊敬する人を亡くしたし、新たな重要人物との出会いがあったし、自分の会社での役割が変わったし、それらの方がインパクトがあった。「たられば」は無意味だけど、もし尊敬する人が存命で新しい出会いも会社での役割も変わらなければ、その尊敬する人の会社に転職した可能性もあったかもしれない。しかしそうはならなかった。

会社での役割変更は、非常に刺激的なものだった。

ここ10年を振り返ったとき、海外事業に携わったときに並ぶくらい変化が大きく刺激があった。こう書くとポジティブに聞こそうだが、違う。未知の難題が続いて強いストレスに苛まれたのだ。生きてるって感じ。決してうまくやれている自信はないが、久しぶりに自分で「がんばってるな」と思えるくらいには気張って仕事をしたと思う。だから下半期には「鷹揚にやる」と、肩の力を抜いて仕事をすることを目標を変えることにした。

これまでも戦略人事をなりわいに経営目線で仕事をしてきたから、その応用でやれる仕事も少なくなかった。けれども今まで触ってこなかった仕事、すなわち会社法改正に向けた役員報酬制度の見直しであったり、オフィスを含めたコロナに適応する新しい働き方のホリスティックな整備であったり、海外子会社の投資スキームの見直しであったり、それらは時に青息吐息になりながら対処した。不慣れなわりにはよくやれたと思うが。

大きな反省点が2つあった。

ひとつはマネジメント。とにかく短時間で問題解決をしなければならないことが多く、任せきれずに自分が直接手を下すことがあまりに多すぎた。リーダーシップがあると尊敬されたところもあったが、まったく鷹揚でなかった思う。

もうひとつは経営視点の不足。足元の問題に手をこまねいていて視野狭窄になっていたこともあるが、自分の所掌以外において経営にインプットすることが十分できなかった。特にスタンスをきれなかった。自分だったらこうするという考えを持ちきれず、経営計画の議論をしてしまうところがあった。

任せるべきところは任せ、自分は大上段のコンセプトを練り上げること、そしてそのコンセプトに沿ってブレずに判断をしていくことに時間を使うべきだったな、と反省している。軸となるコンセプトがなかったのでスタンスが切れなかった。スタンスが切れないから経営に口出しできなかった。モチベーションでも何でもいいけど、これは譲るべきでないと信じ抜ける経営判断の軸づくりは課題。

こうして深みのある振り返りができるのだから、今年は充実していたと言えるだろう。仕事以外においても人生で忘れることのできないことがあり、公私に渡って激しい一年だった。来年は安定化を目指しながら、着実に成果を出せるようにしていきたい。

みなさま、一年おつかれさまでした。

December 31, 2020


dogandchopsticks at 16:49


正しさを求める暴力性

まともな人間に憧れて、そういう人に自分もなりたかったのかもしれない。

社員との面談はいつもカジュアルに始まるものだが、今日は違った。Kさんは早々にそう言うと堰を切ったように自身の内省を話し始めた。

いつも自分はハズレ者に思ってきたし、実際に普通でないところがある。仕事を頑張ってそれなりの地位を得たり、家庭を持って社会的な役割を果たしたりすれば、普通の感覚が得られるんじゃないかと思ってきた。しかし実際に仕事でも家庭でもその役割を大いに果たしてきたが、変わることがない。むしろそれなりの地位まで来たことで「これでもダメなのか」と逆に閉塞感が強まっていった。

そういうことで今後のキャリアをどう考えるのがいいかという相談だ。明確な答えよりも話を聞いてほしいように感じられた。

私は普通ってなんだろうねというところから質問をスタートした。二人で雑談するなかで、どうやらそれは「正しいこと」のようだった。科学的に正しいこと、法律的に正しいこと、社会的に正しいこと。彼はそうした正しさを窮屈に思っていた。でも聡い人なので正しい振舞いができることの重要性はわかっていた。そこで彼は葛藤していたのだ。

コンプライアンス違反はよくないので、法令違反はダメだよね、とフォローを言いながら、続けて、他のこともやっぱり正しくないとダメなんですか、と尋ねた。命に関わらなければ、間違ってることがあっても良いじゃないかと。彼自身は心の底からそう思っていると語気を強めた。

彼は世の中の正しさに必要以上にがんじがらめになっているようだった。肩の力を抜いてやりましょうよ、そんなに仕事できるんだったら、多少間違いがあってもむしろ愛らしいくらいじゃないですか、大丈夫ですよ。私はそう声をかけたのだった。

Kさんが会社や家庭で築いてきた正しさのキャリアをいかに切り崩していくべきなのか。私にはそこまでのフォローはできなかった。少なくとも会社では正しさを貫いてほしいと思ってしまった。きっとこういう周囲の思いを汲んで、彼は苦しんできたんだと思う。彼を苦しめることに加担してしまったかもしれない。面談後、私は天井を見上げた後、静かに目を瞑った。

December 29, 2020


dogandchopsticks at 12:09


グレートコンジャンクション

2020年12月22日は時代の転換点だという。

なんだか中途半端な日付だけれども、占星術では土星と木星が重なり、その重なる場所が風エレメントである水瓶座になるグレートコンジャンクションと呼ばれる現象であるとのこと。これまでは土エレメントだったのが風エレメントに変わるのが革命的なことなんだそうだ。

占いというのはバーナム効果があって言われてみればそんな気がするものだ。だからこじつけのようにも思える。ただ、物質的な特徴をもつ土エレメントから、情報や個人主義的な特徴をもつ風エレメントへの移行は、うまく時代を言い当てている。年功序列の崩壊は今に始まったことではないが、副業や複業という働き方へのシフトはその表れに思えるし、今後この傾向は強まっていくだろう。ティール組織は風っぽいと思う。

伝染病の流行も風の時代を表しているとのことだが、これによって移動制限があることは逆行しているようにも思う。ESG観点でもこれからの時代は二酸化炭素排出制限のために飛行機で飛び回ることが忌避されるかもしれない。物理的な移動は土エレメントということかも。

今日を境に何かが変わるわけじゃないそうだ。すでに変化は始まっていて、ここからどんどん進化していく。ここ数年の変化のトレンドは強まっていくのだ。面白い時代の幕開け。こういう変化を楽しめるかどうかで、人生のパフォーマンスは変わってくるのだろう。

自分にとっても大きな転換点が訪れる流れになっている。風に逆らわず自然に乗っていかないと。

December 22, 2020


dogandchopsticks at 08:51


サウナの宇宙に溶けたおじさんの哀歌

すっかり秋も深まってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

9月後半より公私ともにバタバタすることがあってブログのことを失念するくらいでしたが、こうしてブログを書いているということは、言い換えると平穏な日常を取り戻しつつあるということです。四十代は不惑のはずが、「後悔のない人生とは何だろうか」とか色々と考えて悶々としながら、次から次にやってくる鬼のような仕事に対峙する日々。鬼殺隊です。忙しいと言いながら映画はバッチリ観た。

「人は何のために生きているか」という問いについて、私は割と若いときに答えを得られたと思う。20代の終わり頃、何をやっても完全に満たされない自分という存在に悩んだのだけれど、そこで結局は自分のために生きたところで満たされないと悟った。だから、「人は何のために生きているか」と言えば「人を慈しむためだ」と答えるに至った。これは自分のなかでストンと腹落ちするし、30代を充実して過ごすことができたのはこういう観念を軸として持てたからだと思う。

まさか続きがあるとは思わなかった。

「ある人を慈しむとある人が傷つく時どうするか」と考えたときに、自分のなかで躊躇があった。慈しむことと傷つけることは真逆である。一人を傷つけて百人を慈しむなら判断もできたかもしれない。私はトロッコ問題には引っかからないのだ。一人を傷つけて一人を慈しむならどうだろうか、二人を傷つけて大切な一人を慈しむならどうだろうか。どうやら自分のなかでこのあたりに迷う均衡点があるようだった。

ならばと考えたのは「誰も傷つけずに慈しむことはできないか」という問いだ。これが難儀だった。世の中には融和できない対立というものがある。慈しむことそのものが誰かを傷つけるという構図もあるのだなと知って、迷いは深まっていった。そして、これは誰かを慈しむことじゃなく自分の我がままになっていないだろうか、と原点に立ち帰ったりもした。

まだ新たな問いに自分なりの結論は出せていない。

最近サウナによく行く。遅れてきたサウナブームと言われると恥ずかしいのだけど、サウナで深く考え事をしたあと冷たい水風呂に入り外気浴によって整えば、すべての悩みは吹き飛んでゆく。強引に脳内物質によって体を整えるのだが、本当は心までは整わない。気を紛らわしているだけだ。だけど、そんなサウナによく行くぐらいには悩んでいる。

取締役がしつこくゴルフに誘ってくる。前向きな返事でかわすという高等技術を繰り出しているが、ゴルフデビューも近かろう。サウナに行ってゴルフに行って野球を観て酒を飲む。まるで絵に描いたようなサラリーマンおじさんじゃないか。若いときになりたくなかった大人だ。これでは誰も慈しめない。悩みの果てに自分の人生からも降りてしまわないように気をつけなければいけない。

皆様くれぐれもコロナにはお気をつけて。

November 23, 2020


dogandchopsticks at 08:56


楽しくラクして仕事するために

パーキンソンの法則というものがある。

イギリスの歴史学者パーキンソン氏が主張したもので、「仕事の量は完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」というものだ。

この法則に思い当たる節のある人も多いのではないだろうか。多くの仕事において、納期までにどんどん仕事が増えていくし、どんどん人も増えていく。

この法則を逆手に取るのが仕事上手である。

ある戦略策定プロジェクトがあった。期間は半年で、下半期かけて来期以降の戦略を詰めるというものだ。10月に入ってすぐキックオフが行われ、翌週からは早速議論が始まった。

このプロジェクトを主幹する部署のリーダーだったOくんは、最初の議論から情報量の多い資料を仕上げてきた。まるで完成品のようなレベルでいかにも大変だったのが資料から浮かんでくるようだった。

しかしパーキンソンの法則が発動する。

そこから半年間、最初の資料をスタートラインにOくんは膨大な調査と資料作成に追われた。戦略の大筋は変わらないが、来期まで議論の時間があるので微細な論点をほじくりだし、Oくんはそのオーダーに応えるために奔走した。

戦略が定まったのだから、さっさと実行に向けて動き出せばいいのに、会計年度に引っ張られるのは上場企業のよくないところである。会計期間の奴隷になっていることに無自覚な企業のいかに多いことか。

話が脱線した。

私のアプローチは自分で言うのもなんだけど狡猾だった。最初の議論に大した資料を持ち込まなかった。調査もしていたし検討した内容もあったけど、資料としては簡素にした。余白たっぷりの資料は、Oくんの著した資料にいかにも見劣りした。仕事のできない人みたいで恥ずかしかったが、半分ワザとなので気にしない。

のらりくらりしながら年度末近くなって資料をちゃんと作ることにした。のらりくらりとは言ったがプレッシャーはあるので、そこそこの質と量は意識したが。結果として、Oくんに比べて効率的にやれたし、おかげで時間を別の価値あることに使えた。

仕事の早い人はタイムマネジメントが上手だが、時間をうまく使うには過剰品質の罠に陥らないことだ。求められる以上の品質だったり、本当に必要な品質以上のものを作りこむのはムダである。ムダなことをしないのが仕事上手なんである。

もうすぐまた下半期が始まる。来期の話をしていくビジネスパーソンもいることと思う。ぜひパーキンソンの法則にハマらないように気を付けて楽しく仕事してほしい。

September 22, 2020


dogandchopsticks at 12:40


火消しに興奮してはいけない

ショックで打ちのめされそうだった。

ある事案が起こり炎上していたとき、トップから直々に対応を命ぜられた。私はすぐに対処すべきことを洗い出し、方針をトップに報告して取りかかることにした。方針を聞いてトップから、炎上を起こしたやつはどうするのか、という問いを投げかけられ、その場では対応の仕方について選択肢を絞れなかったので宿題として持ち帰ることにした。

会議室を出るとすぐに関係者に連絡をとって、新たな情報を集めながら、対応の検討と実行を指示した。初動はよく鎮火が進むのを見て、私は宿題をどうするか考えていた。

思えばこの時、火事場にあって興奮していたし、鎮火していく状況を見て万能感を覚えてしまっていたところがあったように思う。こういう気持ちのスキは危険の兆候だ。

炎上を起こした犯人をどうするか。自分のなかでは、いつの間にか「犯人」になっていた。炎上は事件かもしれないが事故かもしれない。ただ興奮するなかで犯人扱いする気持ちになっていた。

その炎上を起こしたであろう人の名前を見たときに、まさかこの人が、と思ったけれども、そういう人がやるから怖いのだ、と思ってしまった。視野狭窄になっている自分には気付いていなかった。

自分のなかで盛り上がっていくなか、他のところから違う話が聞こえてきて冷静になった。なるほど、そっちの方が妥当性のありそうな話だった。もしかして自分は勘違いしたまま、この人を断罪しようとしていたのではないか。そう思った瞬間、ショックでうなだれた。人として最低だと思った。

思い込んでいるところで、それと違う話を聴いて冷静になれたのは良かった。固執して誤った道を突っ走らずに冷静になれたのは、せめてもの救いだ。そして冷静になってから自分の誤りを正して回る正直さがあったのも良かった。それが無ければ、酷いことになっていただろう。

でも本来なら「まさか」と思ったときに冷静になるべきだった。普段なら疑いの目をもって見れるものも、興奮する感情とスピーディに対応したいと思う焦りで、止まることができなかった。気持ちがはやる時こそ注意深くなくてはいけないのだ。

この苦々しいショックをいつまでも忘れないこと。それをもって次の有事の際のブレーキにしたい。

September 16, 2020


dogandchopsticks at 09:10


ストレスを抱えない仕事術

「ストレス溜めないように、そのポジションはスーパーハードですから!」

以前お世話になった方と邂逅することがあり、そこで開口一番こう言われた。その方はほとんど人を労うようなことをしない人なので、私はびっくりしてお礼を言うことも忘れ、「急にどうしたんですか?」と訊いてしまった。どうやらその方の知る限り、いま私が担っている役割に就いた人たちは、一様にストレスを抱えて苦しんだところがあるようだった。

確かに自分もストレスは感じている。多忙によって目を回しているし、未知なる仕事を前に暗澹たる気持ちになることもある。だが、そこまで強いストレスを感じているかというとそうでもない。酒に逃げることもなく、夜はグーグー寝ている。

しかし、言わんとすることは、よくわかる。

元来の気質として自分のストレス耐性が高いこともあるけれども、ストレスを過度に抱えないように工夫しているところがある。恐らくこの点がこれまでの歴代の人たちと自分の差なんじゃないかと思う。

工夫はシンプルだ。ゴールを定める。

とにかく大小さまざまな仕事が降りかかってくる。緊急度も重要度もバラバラ。時には知見のまったくないものがあったり、それなのに数日以内で解決しないといけないといったことがある。全社戦略につながるような抽象度の高い仕事もある。こういった仕事それぞれに、明確なゴールを定めて進めるのだ。

仕事をするときにゴールを定めずに仕事をする人は少なくない。ゴールというのは、満たすべき要件のことである。仕事で何を満たしたら完遂なのかが決まり、そこへの道筋が描ければ、あとは走るだけなのだ。

しかしゴールを定めるのは簡単ではない。自分なりにゴールを定めても、それが求められているゴールと一致しているかは分からないからだ。いわゆる要件定義の難しさである。だから、そこまでガチガチにやる必要はないけれども、未知のものであったり、抽象度が高かったりする仕事では、その仕事の要件定義をまずやって発注者なり関係者とすりあわせることが大事。

何度提案しても突き返されると心が折れる。何をやったらいいか分からないと心が折れる。終わりが見えないと心が折れる。ストレスを感じているというのは、そういうことなんじゃないかと思う。

誰かと話すことでストレス解消するということがあるけれども、あれは自分以外の人に話を聴いてもらうことで、自分のなかで曖昧で自信のなくなっているゴールを固めることができるからストレス解消になるんじゃないか。ああ、この人もこのゴールでいいと言ってるから大丈夫なのかな、という安心。本来はそれを酒飲みながらじゃなく、まず始めに要件定義という形でやっちゃえばいいんだと思う。

上述のとおり、ゴールが定まっても道筋が定まらないとストレスは続く。ゴールが定まったら自分で道筋を描けるなら最高だ。そうでないときは、ゴールを示して道筋を描けそうな人を探すのだ。ゴールが決まってることの効能は、「こうことしたいんだけど」と言って人に具体的に相談できることだ。そうすると「あの人に聞いてみたら」となる。なんと2人(2ホップ)で大体は道筋を描ける人に会える。

ゴールと道筋さえクリアになれば、あとは走るのみだ。

走るだけと書いたけれども、マルチタスクで多種多様な仕事があるときには数に圧倒されて、それだけでストレスである。片付けても片付けても仕事がある。終わりが見えないと心が折れる。どうすればいいかというと、適度にサボればいい。

人間は常に呼吸しているけれども、終わりが見えないから呼吸が疲れるということはない。それが自然体だからだ。つまり仕事量でストレスに感じるときは、ハイペースが続いていて自然体でいられないとときなんじゃないか。では、そもそも自然体でこなせる仕事量を知ってるかというと、みんな自分のことを知らない。

私の場合は2週間ごとに仕事量を数字化して計測していて、平均でどのくらい仕事できるかキャパシティを可視化している。そうすると、この量を超えてくるとしんどいな、というラインが分かってくる。このラインを超えた分のうち、次の2週間に回せるものは積極的に回して、サボる。2週間で100を超えたら、それより先は必要以上にやらない。だから2週目の金曜日などは夕方前には遊び始めていたりする。

そんなことができるのは仕事をコントロールできる裁量がある人だけじゃないかと言われると、確かにそうだと思う。工場のラインに入っている人はラインの稼働に従うからサボれない。でも上司が次々と仕事を積んできてサボれないとか、同僚に仕事を頼まれてサボれないとか、そういうのは真面目で人が良いことが原因であって、上司や同僚をコントロールして勇気を出してサボればいい。強いストレスを抱えてやるより、トータルで生産性が高くなるのでは。

そんなわけで、スーパーハードでストレス過多なはずのポジションをのびのびやっております。こうやって舐めプしてると、あとで痛い目に遭うのが世の常。肩の力を抜きながらも、真面目にやっていきます。

September 13, 2020


dogandchopsticks at 10:02


叩かれた夜は寝やすい

「叩かれた夜は寝やすい」ということわざを聞いて不思議な気分だった。物理的か精神的か分からないが、いずれせよ叩かれているのだから心中穏やかではいられないのではないか。それなのに寝やすいとはどういうことか。

調べてみると、これは「叩いた夜は寝がたい」ということで、誰かに危害を加えたときは後悔して夜は眠れず、そんなことなら叩かれた方がよっぽどマシだ、ということだった。

最近はネット上で匿名で有名人を叩くのが問題になっている。結果として木村花や三浦春馬といった命が失われている。果たして、攻撃した人たちは夜にどう思って寝ついていたのだろうか。

ここ数年はヘイトスピーチも社会問題となっている。川崎市ではヘイトスピーチ禁止条例まで施行された。ヘイトスピーチは泥仕合だ。叩くより叩かれるので良いという観念を持ち得えないと収まらないのではないか。

しかし「叩かれた夜は寝やすい」とは随分と徳がないと言えない。この言葉を聞いてピンと来ないのだから、まだまだ自分も弱い人間なんだろうな。

August 08, 2020


dogandchopsticks at 23:42


五島慶太のケースに人事を学ぶ

東急の事実上の創業者と言われる五島慶太。戦前から戦時中にかけては国益優先として関東私鉄を合併させ、現在の小田急や京王等を束ねた、いわゆる大東急を作った人物でもある。

五島慶太はもともと鉄道院の一役人だった。それが武蔵電気鉄道の取締役に抜擢されるところから、大東急時代につながっていく。なぜ一介の役人であった彼がそうした抜擢にあったのか。そのエピソードから、私たちは人事において大切にすべき事柄を学べるように思う。

役人だった五島慶太は、当時、高等官七等で課長心得という役職にあった。ところが彼はそれが気に入らない。稟議書に「課長心得」とあるのを、いちいち認印を捺して「心得」を決して上に回していったという。自分は課長と同じ覚悟をもって内容を確認しているのであって、心得は心外だということだったらしい。毎度ながらに心得が消されてるので、ついに当時の次官であった石丸重美がそれに気付き、本当の課長にしたのだという。

その頃、後の東京急行鉄道になる武蔵電気鉄道の立ち上げがあった。渋谷から横浜までの鉄道建設の免許は取ったものの、資金難で建設が難航していた。郷誠之助が新たな社長となり、彼は立て直しにあたって常務を探して石丸次官に相談したという。すると石丸次官は「心得を消してくる面白いやつがいる」と、郷に五島慶太を紹介したのだ。ちょうど役人生活に飽きていた五島慶太がこの話に乗ることで、東急が実現されて今の渋谷の発展へと脈々つながっていく。

石丸重美の人事力がなければ、今の東京は違った形になっていたかもしれない。

まず、「心得」を消して稟議書を回してくるのを「生意気だ」と思わず「面白い」と意気に感じて、実際課長に引き上げる人事があった。そして、課長に引き上げながらも、いざとなると郷に推薦するタフな人事も真似できるものではない。

尖っているものを丸くするのではなく、尖ったものを尖ったものとして活かしていく。五島慶太はその持ち味の「トンガリ」によって、俗に「強盗慶太」と呼ばれるぐらい強引な合併策も取りながら、東京の交通網を整えていく。その強引な手口は当時から賛否があったということだが、それがなければ今の東京の私鉄・地下鉄ネットワークもありえなかっただろう。そう考えたとき、尖ってるものを丸くせずに活かした石丸重美の人事は、真にファインプレーだったのではないかと思う。

ダイバーシティとは言うけれども、性別や年齢や国籍ということだけでなく、こういう尖った人材を活かしていく観点こそが重要なんじゃないだろうか。そういう人事を心がけていきたい。



コロナへの備えは万全に

3月下旬頃から世の中に新型コロナウイルス感染者が増えてきて、いずれ自分の会社の社員にも罹患者が出るだろうと思っていたが、この第二波とも言うべき7月中旬になって、いよいよ感染者が出た。

第一報を受けたときに思ったのは「やっぱり来たか」だった。

その前々週から社員より相談が来るようになっていた。配偶者の勤める会社で感染者が出たとか、子供の学校で感染者が出たとか。その相談内容が徐々に社員自身に近づいていっているのを見て、これは早晩感染者が出てしまうのだろうと覚悟ができていたのだ。

しかし来るだろうと考えていても、いざその時がくると円滑には対応しきれない。保健所との連絡フローは構築できていなかったし、対外公表の方針もゼロベースで考えることになったし、社内の接触者の確認とフォロー方法は考えられていなかったし、事業所の消毒をどうすべきかもあたふたしながら整理することになった。

事前に考え抜いていないと、いざ有事になったときに対応に時間がかかる。

感染者発生が分かったのが夕方だったとは言え、当日中に一次対応すべてが完了できなかったのは大いに反省しなければいけない。ナーバスになっている感染者をケアしながらの進行で、とても慎重に検討した結果なのだけれども、だったら事前に準備しておけよ、という話。それに緊急時に誰がどう対応するかも曖昧だった。問題発生したときに自発的に集まってくるメンバーが多いことに恵まれたが、これが深夜休日だったらどうなっていたことやら。

数週間前からいずれ来るだろうことは分かっていて、来たらどうするんだっけ、というのを関係者の間で雑談ベースで話をしていた。その時にもっと踏み込んで話しておけば良かった。なんとなく、ガチガチに詰めておくことを関係者に提案するのをためらってしまったのだった。情けないなぁ。

必要になるかどうかも分からないものに工数をかけすぎるのもよくない。ジャストインタイムの発想で、必要な時に必要なものを考えるのは効率的なやり方ではある。ただ、半製品もなくゼロから作り始めるのでは遅い。そこのバランスを考えて準備しておくというのは、マネジメントの大事な仕事なんだろうな。

ともかく感染した社員の症状が軽かったのが幸い。次がないことを祈りたいが、もしその時が来たら次こそスピーディにやりきらないとな。


真のゴールにリフレーミングすることの重要性

福利厚生を見直していたときの話。

コロナ禍にあって会社の福利厚生のいくつかの利用率が低下しており、制度としてどう維持継続してくのかを考えることになった。使われないものにお金を払っていては単純にもったいない。担当メンバーといくつかの方向性があることを確認し、それぞれのメリデメとコスト試算をお願いした。

翌日スピーディーにアウトプットが出てきた。こういう機動力のあるメンバーに恵まれているのは幸せなことだ。クォリティとして十分でないところはあったが、メリデメの観点を示してあげるとキレイにまとまった。

コスト試算結果の説明を受けているとき、なんだか違和感を覚えた。そのときは自分でも分からなかったのだけど、なんか違う感。

A案は多少費用はかかるが必要な要素は揃う、B案は費用は抑えられるが必要最低限ギリギリ、C案は費用が抑えられるけど制度改悪していかないといけない。そういうような話だった。

どれがいいと思うのかを聞くと、メンバーの答えはA案だった。多少費用はかかるが必要な要素を揃えたいから、という理由だった。

私はそれを聞いてピンと来たので訊いてみた。「使われないものに払うコストは削減したいけど、私たちが目指すものを毀損してまでコスト削りたいわけじゃないよ。A案で私たちの実現したい世界観を実現できます?」

メンバーは唸りを上げたあと黙り込んだ。1分くらい沈黙があっただろうか。それから口を開いて、「本当はこういうのが良くて、ただそれだと約1億追加でかかってきます」と答えた。

そもそもコストをできるだけ削る方法を考えることに躍起になっていて、コスト軸でのプラン作成になっていた。やりたいことではなく、やれることで考えていた。私はその枠を取り払うことで解放したわけだが、本来は最初のオーダーの時点で枠を嵌めないようにしなければならなかった。情けない。

もちろん現金がカツカツでコスト削減第一で考えないといけないこともあるだろう。この話はコスト削減ばかり考えてちゃいけないということではない。その仕事で目指すものが何かという点で本当のゴールを見逃さないようにいなければならないということだ。

経営リソース、ヒト・モノ・カネというのは人の思考に制約を生む。今回のように暗黙的な制約ができてしまうとき、しっかりリフレーミングしてあげるのが、トップマネジメントの仕事なのかもしれないと感じた。がんばろ。


すり合わせは仕事にあらず

Oさんは物腰が柔らかく口調も穏やかなジェントルマンだ。

しかしながら長髪にヒゲを蓄えたラフな風貌を持ち、またベンチャー企業を渡り歩いてきて磨き上げられた熱い挑戦心があって、ジェントルマンでありながらも良い意味で粗野さがある。Oさんは、そんな絶妙なバランスに加え、どんな仕事でも卒なくこなすユーティリティプレイヤーだから、自ずと彼のところには仕事が集まるのだった。

私のところである大きなプロジェクトを立ち上げることになったとき、Oさんも当然のようにそのプロジェクトメンバーとなった。プロジェクトリーダーにはOさんの上司にあたる部長をアサインしていたが、Oさんは殊勝な働きで実質リーダーとしての役割を果たしてくれていた。プロジェクトに関する情報を整理して資料をまとめるなど、Oさんの積極的な動きに、私は目を細くしていた。

しかしプロジェクトというものは非情である。頑張ることが成功を約束しない。

プロジェクトが立ち上がって1ヶ月ほど経過すると進捗の遅れが見えるようになってきた。そこで問題の根っこを確認したとき、Oさんがやや曖昧な回答をしたのが気になった。その場はプロジェクトリーダーである部長が合理的なリカバリープランを説明したので私は納得したが、Oさんへの一抹の不安は解消されなかった。

プロジェクト発足から2ヶ月すると、明らかな進捗の遅れが出ていた。部長が話していたリカバリープランを打ったけれども、それでは足りないくらいの遅れが発生してしまっているようだった。プロジェクトに少し首を突っ込んでみると、ボトルネックはOさんの仕事ぶりにあった。

「すり合わせをお願いします」

Oさんは多岐にわたるプロジェクトのステークホルダーとのすり合わせに時間をかけていた。それ自体は悪いことではないのだけれども、すり合わせた結果がアウトプットにつながらない。すり合わせを重ねれば重ねるほど、五里霧中になっていた。Oさんの柔軟さと挑戦的な性格のせいだろうか。様々な声に翻弄されていた。

「何をすり合わせているんです?」

私は素朴な疑問をぶつけてみた。Oさんから返ってきたのは、「チームで考えている方向性をぶつけてみて、ベクトルが違ってないかを確認しているんです」という回答だった。しかしステークホルダーの声は具体的な話も多く、方向性を確認したいOさんと粒度がずれているし、しかも具体的な話のいくつかはチームの目指す方向性からは外れているようだった。

私はOさんに続けてこういう質問をした。「方向性の先にある具体的なアイディアはどんなもの?」と聞くと、いくつかの考えを披露してくれたが散発的なもので企画は詰まっていると言い難いものだった。私は「なるほどな」と思い、そこで質問を止めて指示を出した。「すり合わせる前に、すり合わせるものを詰めましょうか」

Oさんとしては手堅く少しずつ確認して進めていきたかったようだ。まず大きな方向性にズレがないか、そのあとに大枠の企画にズレがないか、そのあとに企画詳細にズレがないか、そんな感じで一歩ずつ進めていきたかった。そういう進め方も悪くない。ただ今回Oさんにエラーがあったのは、自分の考えを詰める前にすり合わせを急いだことだ。大きな方向性をすり合わせるときさえも、大きな方向性の柔らかいアイディアだけを携えていたのでは不足なのだ。考え抜いていないので他のアイディアに左右されてしまう。

「すり合わせ」とは言うものの、すり合わせるものを持ち合わせていないのだから、すり合わせにならない。すり合わせは本質的には仕事ではなく、すり合わせるものを考え抜くことが仕事なのだ。

Oさんは「もっと早く知りたかった」とうなだれていたが、まだプロジェクトが始まって2ヶ月だ。これから挽回すればいい。けれども、果たしてOさんは考え抜いてすり合わせるものを作れるだろうか。部長もろとも、そこを指南するのがネクストだ。


藤井風を聴きながら終わりに向かっていく

気がつけば5月も終わりが見えてきているわけですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私はと言えば、4月からのこの2ヶ月間はまさに怒涛であり多忙を極めたと言える。久しぶりに真面目に仕事をした。どのくらい真面目だったかというと、テレワークの日々において朝9時前に仕事が始まり夜0時を超えても仕事が終わるまで寝ない。土日もなんだかんだ半分以上は仕事をしていた。ここ数年だと事業計画策定シーズンに1ヶ月くらいバタバタして忙しいことはあったけれども、それでもここまでじゃなかったし、今回はそれが2ヶ月継続しているので、ここ5年では一番かもしれない。

意思決定をする立場になれば、外交も含めて頭は動かせども手は動かさずとも済むから時間の余裕は一定あるのだろうと思っていたし、本来はそうあるべきなんだと思う。しかし現実は厳しいもので、ハイパフォーマーぶりを発揮して忙しい。そして、経営会議に向けてパーフェクトな資料を自分で作って悦に入っているのは、我ながら本当に恥ずかしい。

経営における意思決定は、変化を企図するか変化に適応するために行われる。今はコロナの影響で世の中が変化しているので、適応するための意思決定の機会がとても多い。しかも時々刻々と変わるので、スピーディな判断と行動が求められる。もうね、待ってられない。自分の足で情報集めて、自分の頭で考えて、自分の手で資料作って、自分の口で説明してまわるのが一番早い。有事だからしゃーない。そうやって言い訳しながら、ダメなマネージャーを怪演している。

今回コロナ影響を受けているのは自社だけではないので、当然他社からも情報を集めることにした。ネット上にも情報はあるが、表に出てくる事例は少ない。実際に他社が何をどうしようとしているか、人脈をたどって集めたのだ。

分かったことは「意味がない」ということだった。

自分が考え出した以上の論点を出してきた会社はなかったし、自分が考え出した以上の解決策を出してきた会社もなかった。一部の会社は自分と同じことを考えていたので「ですよねー」と共感を高め合い、一部の会社はそこまで考えてなかったので「参考になりました」とお礼を言われた。結局は「A社もこうしています」という日本人が喜びそうなエビデンスを得ることはできても、本質的に得るものはないわけで、クソ忙しいときに真っ先に切り捨てるべきはこれだな、と確信めいたものがあった。

しかし他社の人からすると違う感じ方があるようで、「記事を読んでいました」とか「登壇していたのを聞いてました」といって嬉しそうにしながら、私の話にじっくり聞き入っていた。承認欲求が欠如しているので何も思わないのだけど、喜ばれると無碍にはできない。

そんな風にバタバタしている間に、気がつけば節目の年齢を迎えていたのであって、これがまた考えさせられる。人生も折り返しだから、色々と抱負があっても良さそうなものだが、バタバタしすぎて何の感慨もない。それでいいのか。多忙を極めて本を読む余裕もなく、自己を見つめなおす機会もない。テレワークによって移動時間がなくなったことで、ぼんやり考える時間がなくなったのも地味に大きい。

このブログを更新するのも、あと数回といったところだろうか。

昨年まで半分以上は腐っていたのに、新たに猛烈な仕事を任されたことで息を吹き返した。それから、人生でこれ以上はないだろうなという憧憬の人との出会いもあった。多忙だと愚痴をこぼしながらも、ずいぶん久しぶりに充実しているのだと思う。我ながら現金なやつだ。人のモチベーションが何で変えられるのかを身をもって学ばせてもらったと思う。それは、本当はこのブログを通じて学びたかったことだった。

6月になったら少しは落ち着く日があるだろうか。このブログに綴った約15年を振り返りたい。


仏作って魂入れずにならないように

人を巻き込むなかで自分の想いを形にすることの難しさを実感している。

小学校の休校に続き、各自治体が保育園の休園や登園自粛を求める動きが加速している。働くパパママの負担は重く、その支援のために厚労省は小学校休業等対応助成金を期間延長を判断した。雇用主としてはこの助成金も活用しつつ、従業員のライフワークバランスをしっかり保つことをしていかないといけない。

目指すべきは仕事と育児の両立だ。家庭で子供の面倒を見ながら仕事をすることは簡単なことではない。だからといって仕事を休んで子育てに専念してください、というのは違うのではないか。そういうなかにおいても、平時と同じように仕事はできないかもしれないけれども、なんとか仕事を続けられるようにする。そういうサポートをしなければならないのではないか。

そう考えた私は、仕事をがんばる子育て世代の社員に対し、助成金の適用範囲において柔軟に有給休暇が取得できるよう制度を整えた。子供がいたら好きに休んでいいわけじゃない。仕事を頑張るなかで時にどうしようもないときもあるから、そんなときには遠慮なく使って欲しいというものだ。この制度がなくても育児は必要だしそれに時間が取られて労働時間は短くなるだろう。こそこそ育児して申し訳なく仕事してもらうより、育児に専念する時はそうしてもらい仕事するときはガッツリやってもらう方が、本質的に事業にプラスになると思う。

実際、これが社員や事業にとってプラスに働いているかはまだ分からないけれども、それなりに利用されている状況を考えると、ゆくゆく何かしらの意味付けはできそうだからホッとしている。

さて、私としては上記のような思想をもって制度を整えたのだが、現場の運用メンバーにはその思想が十分に浸透していなかったようだ。運用メンバーから「義務化されている有給休暇の5日取得を優先してほしい」という話が一部の社員に話されていたのだ。なんということでしょう。

法令遵守のために、小学校休業等対応助成金を元にした休暇ではなく、有給休暇5日取得を優先してもらうべきだというのである。もし特別休暇の取得が優先されて有給休暇の消化が進まなかったらどうするんだというわけである。確かに罰則付きの規定だから、人事担当がそう騒ぐのは理解できなくはない。ただ、有給休暇5日取得と今回の特別休暇はそれぞれ意味合いが違う。子育てのための特別休暇を使いたければ有給休暇5日消化しなさいというのは私の思想には沿わない。

私はすぐにその担当者を呼んで、私の思想を丁寧に話した。彼女はすぐに理解してくれて、喜んで運用改善を約束してくれた。ありがたいことだ。

スピード感をもって制度を整えたので、背景にある思想の落とし込みが甘くなったのだと思う。今後はこれではいけないなと反省。制度の周知をするときに自分なりにメッセージを込めたつもりだったが、それも上手く伝わっていなかった。繰り返しいろんな角度から話をしていかないといけないのだろう。特に現場で運用していくメンバーにはきちんと事前に説明していかないといけない。

また、ミドルマネジメントに思想を落としていくことを自身の仕事として認識させることもしなければならない。制度を整えるなかでマネージャーたちを巻き込んで話していたから、彼らは私の思想を理解していたはず。しかしそれが現場まで落ちなかった。おそらくこういう制度になりますという結果だけを伝えて、プロセスにあった想いを伝えなかったのではないか。私から指示していないので彼らを攻める気はない。今後は気をつけないとな。

ひとつずつ、ひとつずつ、いい仕事をするための学びが積み上がっていく。次に活かそう。

April 18, 2020


dogandchopsticks at 13:33


コロナで意思決定の難しさを学ぶ

マネジメントの仕事は意思決定であるとはよく言われることだが、まさにそれを体感している。

4月から執行役員という大げさな肩書きをもらって仕事をしているのだけれども、たった10日間で意思決定の難しさに直面して青息吐息である。ただでさえ新しい役割でこれまで携わってこなかった業務領域をキャッチアップしなければいけないのに、それに加えて新型コロナウィルスの対応である。日々容赦なく意思決定を求められているのだ。

数ヶ月もすれば慣れてしまって忘れそうなので、意思決定の何に苦慮しているかを書いておこうと思う。

まずもって組織というのは容赦がない。こちらが着任間もなくだというのに、意見を求めてきたり説明を求めてくる。分かるわけないじゃん。監査役へのご挨拶もかねて昨年度の報告をしてください、とか言うんだけれども、ご挨拶が必要な状態なんだから昨年度のことを話せるわけないじゃん。これは取締役に確認した方がいいでしょうか、とか聞いてくるんだけれども、これまでどうしてたか知るわけないじゃん。減るもんじゃないし確認したらいいのに。

そこに加えてのコロナですよ。

従業員の安全管理のために早々に在宅勤務を強く推奨することにしたのだが、当然ルールが未整備ななかでのスタートであり、あれはどうする、これはどうする、というのが矢継ぎ早で発生する。決めろというから決めたら、「いや、こういう論点もある」とか重箱の隅をつついてくる。おい、意思決定を迫っておいて無理に結論を出させておいて、そういう揚げ足を取るのはずるくないか。

難しいなと思うのは、果たしてこれは自分が決めていいものだろうか、というもの。イレギュラーな判断が多すぎて、自分の裁量で決めていいことなのかどうかがよくわからない。独断で決めてしまって後から怒られるのは全然いいのだけど、問題は後からひっくり返されることだ。手戻りが許されない状況で、手戻りが起こりうる立ち位置で、複雑な意思決定をするのは、大変に難しい。

意思決定をするときに自分が意識しているのは、意思決定をしなければいけないギリギリのタイミングまで遅らせて判断することだ。なぜならば、意思決定の精度は往往にして情報量によって決まってきて、情報量というのは時間によって決まってくると考えているからだ。ギリギリまで待って情報をかき集めて判断しようというスタンスである。

ところが、今回のコロナ対応というのは、情報が集まる前に意思決定しなければいけないことが多々ある。感染者が出たかもしれない、とか、政府からこういう話が来た、とか、マスコミからこういう問い合わせが来ている、とか。情報が集まるまで待ってと言えない。情報が少ないなかで意思決定をしていくから、変なことを言ったりするわけですよ。論点ズレちゃったりする。全世帯にマスク配ればいいじゃん的なことを、いつ自分が言ってもおかしくない。

そんなわけで究極に劣勢の環境でのスタートだけど、機会に恵まれて急速に意思決定の筋肉が増している感じは悪くない。

着任後10日でこのくらいやれてるのは、我ながら悪くないんじゃないか。管掌部門のメンバーを見ていると、この状況に対して身動きが取れなくなっている人がそこそこいる。感想は出てくるが、問題解決の方法がわからないから、指をくわえて見てしまっている。それを尻目に、外からやってきた自分がザクザクと意思決定をしているのだから、そこそこ頑張っているのではないか。

こうやって自己憐憫にでも浸らないとやってられないくらい疲弊しているわけですが、こうやって目先の大変さにやられて近視眼的にならないようにしなければならない。コロナに対応していたから事業がボロボロでもしょうがない、トップ交代したから組織がボロボロでもしょうない、にはならない。足元の問題を解決しながらも、中期的に強い事業・強い組織を作れるような動きをしていかないと。




April 12, 2020


dogandchopsticks at 23:32


スーパーウェットなスーパードライ

とても大事な人を亡くした。

私にとって上京後の父親のような存在で、今日に至る自分の社会人生活の基礎はこの人によって作られた。実務的なことは教えてくれなかったけれども、仕事をする上での哲学を叩き込まれたし、人生をどう生きるべきかも叩き込まれたと思う。

ものすごくセクシーでカッコイイ人だった。最初に会ったときに脳天をガツンとやられて、一発で惚れてしまった。この人と仕事をしたら自分は何かを変えられるかもしれない。その会社に内定をもらったことで、ろくに会社を回ることなく就職活動を終えた。名前も聞いたことのない零細ベンチャー企業だったけれども、ここしかないだろう、と運命的なものを感じたのだ。

彼はとにかく社員を可愛がってくれた。実家が狛江の土建屋で、棟梁である父親が毎晩若い大工を連れて飲み歩いているのを見て育ったから、自分も同じようにしていたんだと思う。彼の兄弟が建ててくれたというリビングが20畳はあろうかという巨大な家に、社員を何人も集めて飲み会を開いてくれた。私はそこに内定者の頃から入り浸っていて、ひとしお可愛がってもらったと思う。

彼が自分に目をかけていたのは分かっていた。

よく飲みに連れていってくれたし、新卒入社してすぐに社長のかばん持ちとして取引先に同行させてくれたし、やりたいことやれてるか声かけてくれたし、新卒一年目から社長賞をくれたりした。憧れている人に期待されていることが嬉しくて、はちゃめちゃに仕事を頑張った。

同期入社のヤツらとは違う。そんな驕りが自分のなかにできていたんだと思う。新卒2年目になる頃に大きなミスを立て続けにやらかした。ものすごく叱られた。期待していたからこそ叱ったのだと今なら分かる。だけど当時は青かった。誰よりも頑張ってるのに、なんで自分だけが叱られないといけないのか、といじけた。彼から距離をとってしまった。

しかし、何事においても自責で考えるべしという彼の仕事哲学は、すでに自分の血肉となっていた。逃げられなかった。逃げ出したくなるくらいツラかったけど、人のせいにして悪びれることはできなかったのだ。距離をとった私に対して「あいつはダメだ」と言ってるのは聞こえていたが、それでも逃げずにやりきった。

ダメだと言いながらも彼は私を見捨てていなかった。たぶん期待はそのままだったのだと思う。1年くらい経った頃、部長に抜擢してくれた。その意味が今なら分かるけど当時は分からなくて、思わず断ってしまった。彼は日立ソフトウェアの出身で、当時の最年少課長になった実力者だ。若くして抜擢することは彼のサクセッションプランだったのだと思う。

しばらくして会社の業績が伸び悩んでくると、彼に焦りが見えるようになった。それまで余裕たっぷりでカッコイイ姿ばかりだったのが、些細なことで社員にキレたりしていた。大好きだった彼が落ちぶれていくのを見るのは本当に堪えた。理不尽な判断も増えてきて耐えられなくなって、私は会社を辞めてしまった。

ここまで期待をしていたんだから、絶対に引き留めたかったと思う。だけど、彼はあっさりと私の退職を認めてくれた。頑張れよって。未練がましく追いかけない。それもまた彼の哲学だったのだろう。

退職して数ヶ月後に声をかけあって恵比寿で飲みにいった。以前と変わらず、女の話をしたり仕事の話をしたりして他愛もない時間を過ごしたのだけど、時計の針が12時を回った頃、彼が潰れてしまった。それまでの7年間で彼が潰れたのを見たことがなかったので衝撃的だった。ちょうど緊急対応が入ったので、彼を抱えてタクシーに乗せたあとに自分は朝まで仕事をした。そのときは父親を超えたような充実感があったけど、なんて幼い発想だろうか。彼はきっと想いがあったからいつもより酔ったに違いなくて、それを汲めていなかった。

それから月日が流れること10年。

彼から連絡が来て、銀座の寿司屋に行った。10年前、また会社が元気になったら寿司に連れていってくれと言っていたのを、彼は覚えていたのだと思う。そういう人なのだ。

もうすぐ還暦を迎えようとしている彼は後継者探しに苦慮していた。社内の役員が候補者じゃないのかと聞いたら断れたと。私が今はエンジニアじゃなくて人事をやっているのだと言うと、間髪入れずに「つまんねーだろ、もっと面白いことやれよ」と言ってきた。私は「いや、めっちゃ面白いっすよ」と言い返した。彼の前になると私はただの子供だ。

その日22時過ぎに彼はタクシーに乗って帰っていった。あんなに酒に強かった彼がフラフラになっている。蛍光イエローの眼鏡に、黄色いジャケット。こんなオシャレな爺さん見たことねーよって感じなんだけど、背中がとにかく寂しそうで、複雑な気持ちで見送った。

それから半年ちょっと経った、1週間前、また彼から連絡があった。話したいことがあるから会おうと。戻って来いって言うんだろうなと思って、「4月から新しい役割を担うから戻れませんよ、それでも良ければ」とドライな牽制球を送ったが、彼は明るく「OK」と返してきた。

私は前回飲んだときに人事をやってることをバカにされたのが悔しかった。だから4月から人事執行役員になることを伝えて頑張ってることを示そう、そこまで来れたことのお礼を言おうと思っていた。その報告は、会社に戻れない私なりの彼への恩返しだと思った。

私が執行役員に就任することが開示される日の朝、彼は突然逝去した。

彼の話したいことを聞くことができなかったし、彼に話したいことも話せなかった。私は、棺に収まった彼のセクシーな顔に向かって、ただ謝ることしかできなかった。自分勝手でごめんなさい、と。

彼の家で飲むときに出てくる酒は、決まってスーパードライだった。供養物にもスーパードライがあった。そうだ、そのときから私がビールを飲むときは決まってスーパードライなんだ。ただただ憧れて、ただただ迷惑をかけて、形ばっか真似してんじゃねーよって怒られちゃうなぁ。

今夜のスーパードライは、いつにも増して苦い。

March 29, 2020


dogandchopsticks at 23:20


病気を診ずして病人を診よ

これは東京慈恵会医科大学の創設者である高木兼寛の言葉で、医療従事者にはよく知られた言葉だそうだ。その言葉の意味するところを、当大学のサイトから引用する。

この言葉は、病んでいる「臓器」のみを診るのではなく、病に苦しむ人に向き合い、その人そのものを診ることの大切さを表しています。


この言葉は何も医療に限った話ではなく、他の仕事にも非常に示唆的であろうと思う。

ロジカルシンキングが持てはやされて以来、世の中の仕事の多くは、論理的思考力によって原因を突き止めて対応策を講じる問題解決型の仕事になっている。戦略コンサルティングを筆頭に、さまざまなコンサルティング業務はほぼこの型にはまっているのではないだろうか。そうした仕事のやり方に一石を投じるのが掲題の言葉である。

問題を解決するためのスマートな戦略があっても、それは実行されなければ意味がない。業務改善のためのシステムを導入しても、それが活用されなければ意味がない。つまり、その問題の当事者たちが腹落ちして動くことが大事なのだ。

企業において競争上の問題を起こしているのは往往にして人間である。この人間にアプローチしない問題解決は片手落ちである。問題を診ずして問題に関わる人を診よ、ということだ。

しかし人事をやっているとしばしば逆の事象に出会う。つまり、病人ばかり診ていて病気を診ず、だ。人に向き合うのは良いのだけれども、寄り添うばかりで一向に問題が解決しない。優しさだけでは問題は解決しない。問題解決するだけが優しさではない。両方のバランスが重要なのだ。

March 21, 2020


dogandchopsticks at 22:50


自分自身への期待値を上げすぎていないか

空回りしている。

新年度の新たな役割に向けた引継ぎを受けつつ、早くも巻き込まれて慣れない業務を行い始めている。一方でこれまでの役割を引継ぎながら、今のミッションも遂行している。四足のわらじだ。

新たな役割に向けて期待があるかというとそんなことはなく、不安しかない。知らない人と知らない仕事をする。責任に対して知らないことが多い。心理的安全が低い。

成功するリーダーは不安がちだという話も聞くけれども、それは不安から先回りで考える思考様式があるからだろう。今の不安は、考えることに繋がらない不安。単に焦るような不安。

新しく自分のメンバーになる人と話をしていて、なんとかフィードバックをしているけれども、自分がズレたことを言ってる気がして悶々とする。自分は邪魔を入れてるだけじゃないのか。バリューが無いんじゃないのか。

一方で現在の役割については後任体制も整いはじめており、自分が前に出るより後ろから支えることを意識している。結果として、意識が引いてしまっており、コミットメントが落ちていることを実感する。引継ぎするときは、いつもこうなる。自分の悪癖だろう。

ただただ不安に苛まれながら、給料分のバリューもなく空回りしているように感じ、それでまた焦って不安になるネガティブスパイラル。思い返せば、異動も転職もいつも同じように不安だった気もする。つまり、なんとかなるんだと思う。じゃあ何を不安がっているのか。

自分自身に対する期待値に自分が届いていないことへの居心地の悪さなんだと思う。

期待はなくて不安しかないと書いたが、実は自分自身への期待はあるんだと思う。強いリーダーシップ、冴えるデシジョンメイキング、しなやかなマネジメント。それに対してパキッとしたビジョンも戦略も編み出せていない今の自分。もちろん知識やノウハウとして学ばないといけないことはある。でもそれが不安なわけじゃない。自分の期待に対して自分を適応させられるかどうかのチャレンジなのかもしれない。

でも、そもそも期待することが間違ってる説もある。選ばれて任されたのだから、今のままで良いという考え方もある。気負わずに、真面目になりすぎないようにしよう。

March 18, 2020


dogandchopsticks at 09:11


ずっと自分を騙し続けることはできない

ある若手マネージャーが役職を自ら退いた。

そのマネージャーをMくんと言う。Mくんは新卒で入社して以来、絶妙なバランス感でもって何をやっても結果を出してきた、言わばエリートだった。私との付き合いは、彼が初めてマネジメントを担ったときからで数年になる。彼がすごい勢いで成長し、すごい勢いで出世するのを、目を細めて見ていた。

変化は急に訪れた。来年度に向けた組織編成と要職の人選を議論しているとき、Mくんからギブアップ宣言が出た。もう、このポジションは続けられないから降ろして欲しい。この議論をすることもキツイ、と。

Mくんがしんどくなったのは、今でも周囲の期待に応えられていない感覚があるのに、期待がドンドン上がっていくことに強いストレスを持ったからだった。何をやっても上手くやれる、やっぱり優秀だ、という他者評価は実態とは異なっていたのだ。その裏にあった彼の苦悩は、隠れて見えなくなっていた。

今回のギブアップを聞いて思い出したのは、今期のはじめ頃に彼が漏らしていた言葉だった。

「やることが膨大にあるんです」

忙しそうにしていたので声をかけたときに、こう答えたのだ。何が大変なの、と聞いてみたが、「とにかく色々あるんですよ」と濁された。私が煙たくてごまかしたのではなく、自分でも何をやらないといけないのか分かってなかったのだ。まるで雲を掴むように話していた。

やるべきことの全体像が見えていない。全体像が分からないと、進捗度合いが測れない。人間のモチベーションは、ゴールに対して進捗しているというフィードバックによってもたらされる部分がある。彼は仕事すれどもゴールに近づいている感覚を持てておらず、これでは疲弊感が募ってどこかで潰れてしまうのではないかと危惧して、私は「膨大だけど、やること棚卸した方がいいかもね」とフォローした。

その後、Mくんは知見のあるシニアメンバーを集めて、彼らをして業務整理して戦略をまとめていった。Mくんが全体像を示す代わりに、メンバーの積み上げ結果を全体像としたのだ。彼自身がビジョンを持ち全体像を具体化することは不十分なように感じられた。

周囲からは、Mくんがスマートに戦略をとりまとめたように見えた。やはり優秀であると、評価はさらに上がった。しかし彼のなかでは、まだ雲を掴んでいるような部分が残っていたのではないだろうか。そんな状況でリーダーシップを十分に張ることはできない。できていない自分のことは彼自身がよく分かっていたのだ。ギブアップ宣言につながる苦しみが深まっていったのは想像に難くない。

Mくんは、奥様にカッコイイ自分を見せていたい、と家庭でも強い自分を振る舞おうという意識が強いやつだ。会社で出世することで奥様に褒められること、安心させることに価値を感じていた。だから本当はできてないし苦しいけれども、会社ではスマートに振る舞ってしまった。プライド優先で自分に蓋をしてしまったのだ。Mくんは泣きながら振り返っていた。

騙しだましやっていくのは、問題の先送りだ。あとで必ず大きな問題となって返ってくる。今回のMくんの一件で、そのことを改めて実感した。

それにしても人前で泣いて自戒できるのはひとつの強さだと思う。私にはできない。騙しだましやっているのは、私自身も同じなのかもしれない。

March 12, 2020


dogandchopsticks at 13:06


大人の階段ののぼり方

「11年で初めてのワガママを許してください!」

その前日に、ある部長から「うちのマネージャーが悩んでいるから話してもらえないか」と打診され、Oくんという中堅リーダーとの面談を組んだのだった。予定を入れた瞬間、Slackで面談を組んだことへのお礼メッセージが飛んできた。私は、これは相当苦しんでいるなと感じた。

当日面談を行うミーティングルームで待っていると、Oくんはニコニコしながら入ってきて椅子に座るでもなく、にわかに冒頭の訴えをした。びっくりした。おいおい、ゆっくり聞くから、まずは座ろうか、と着席を促した。

彼のワガママは異動させて欲しいというものだった。11年間、会社に言われたことを粛々とやってきたが、いま本当に耐えられなくなってしまった。他ならどこでもいい、自分のできることで貢献するからお願いします、と。

彼の異動希望には思い当たる節があった。

Oくんは入社11年目の今年、初めてマネージャーにチャレンジしたのだった。面談の冒頭で私の意表をつく発言をしてしまったことにも現れているが、少しコミュニケーションに癖があり、正直なところマネジメントには苦戦していた。来期体制を考えたとき、マネージャーを継続させるのは難しく、プレイヤーに専念させる方針になっていた。役割変更でしかないが、見方によっては降格だ。

その読みは当たっていた。しかし、それは契機であって、本当の理由はもっと深いところにあった。

Oくんの2つ上の上司は、Oくんとは新卒同期入社だ。しかも新卒一年目で同じ部署にいた。ある種のライバル関係である。ただ、成果には大きな差があり、2人の評価は時間に比例して広がっていった。それでもOくんは腐らずに、同期がスター扱いされる組織で、粛々と業務に勤しんできたのだった。Oくんは「悔しいけど彼は結果を出してるから。自分は成果を出してないからやるしかない」と、ひたむきだった。

ところが、Oくんがいよいよマネージャーになって情報量が増え、色々と見えるようになったことで、心が揺れた。同期の上司のダメなところを見てしまった。他者から見てると、ダメはダメでもそこまでの話じゃない。ただ、ずっと黙って耐えてやってきたのに、こいつが評価されて自分が評価されなくて、こいつは来期も続投なのに自分は降格で、もう耐えきれない、と。

Oくんは強がっていた。「アンコントローラブルな組織課題に直面している。逃げかもしれないが、自分でどうこうできる話ではなく、自分が別のところに行くしかない」といった表現だったが。私が「同期のやつ」と一言添えたら、「ちょっとの嫉妬心はあります」と言って、眼鏡を外して、涙をぬぐった。

ここまでの苦しんでいたOくんを、これまでフォローしてやれなかったことを、私は悔いた。彼のタフなひたむきさに油断していたし、見ないようにしていたところもあったかもしれない。

私は、Oくんが嫉妬を認めたのを聞いて、誰がなんと言おうが異動させようと決意した。

深夜、OくんからSlackが飛んできた。「ガキですみせん」と。いいんだよ、まだ大人になるには早すぎる。自分に正直になったOくんは、今から大人の階段をのぼっていく。


March 06, 2020


dogandchopsticks at 09:51


やらかしマネジメントの話

久しぶりにマネジメントでやらかしたので、自戒を込めてまとめておく。

ある従業員から異動の相談があった。かねてより私が話をしてきた社員で、異動希望は甘えからくる逃げだった。そのマインドで環境を変えても本人のためにならず、異動先の部門も困るのは明白だった。私はメンバーにそれまでの経緯を伝え、ひとまず話は聞いても異動は置きにするように言った。

数日後、別のメンバーがその従業員の話を聞いて異動調整していると報告してきた。

は、なにを言ってるんだ?というか、説明したのと別のメンバーが動いてるのはなんで?思わず「話してたのと違うじゃん、それだと困る」と強めに言ってしまった。

やらかしてしまった。

そんな言われ方をしたら、メンバーは萎縮してしまい、今後は言われたことしかしなくなってしまう。それでは思考力は養われないし、やりがいも無い。およそ最低最悪のメッセージだった。

2つの間違いがあった。ひとつは最初に相談を受けたときに目的を伝えなかったこと。もうひとつは報告を受けたときにも目的を伝えなかったこと。リーダーの仕事は、やり方を指示することでも、率先垂範することでもなく、目的を伝えることだ。

少し時間をおいて、メンバーを呼んで謝った。その子は気にしてないと言っていたが、どうだろう。この先の仕事ぶりを見て、フォローを考えないといけない。リーダーのやらかしは、代償が大きいのだ。

まだまだ青い。精進します。



February 23, 2020


dogandchopsticks at 20:13


自分で自分に応援メッセージを送ろう

もうすぐ役割の変わる自分に向けて。

もう5年前になる。自分が不本意ながら人事領域に異動したとき、事業部に残してきたメンバーの一部に衝撃が走った。自分としては「私がいなくなるのだから残った君たちで頑張れよ」と思っていたのだが、彼らとしては「あの人がいなくなったら学びもないし、ここでやる意味もない」と思ったらしく、数ヶ月後にはひとりずつ退職していった。そのとき退職したメンバーは、その後民泊ビジネスで時流に乗って活躍しており結果は良かったのだと思う。ただ、自分の異動が退職契機になったことは引っかかる。

もう7年前になる。自分が落下傘で事業責任者ポジションに着任したとき、新しいリーダーの変革についていけないメンバーの一部が離脱していった。そのときに残って一緒にやりきったメンバーは、今では社内の各事業でマネージャーを担っているし、外資系大手が資本投下するベンチャーでCOOをやっていたりする。ポテンシャルある人材が残ったのだから結果は否定すべきものでないが、自分の異動が退職契機になったやつがいるのは引っかかる。

自分が影響力のあるすごい人間だなんて思ってもいないが、20年近く仕事をしてきて、自分の異動や退職を契機に、少なくない人が退職していることを考えると、今回もまた同じことが起こる可能性は否定できない。

自分の後任のリーダーが引き続き尊敬されるように丁寧に引き継ぎを行わなければならない。自分が着任して方針転換に拒否反応を示して既存の優秀人材が離脱しないよう、これまでの組織のカルチャーを尊ばなければならない。改革してやるんだと鼻息荒くするだけがリーダーではない。そうは言っても、改革が許されるのは最初の1年だけ。どこでアクセルを踏むかをちゃんと考えないといけない。

最も意識的にならなければいけないのは、仕事内容だ。

これまで偉そうに経営論だのリーダー論だの語ってきているが、自分は経営者然とした仕事が苦手である。超人的な仕事力でもって最下層の泥臭い仕事から最上段の経営までを一気通貫し、組織の上下の断絶を起こさずビジョンを達成できるというのが自分の強みである。次の役割では、さすがにそのやり方でカバーしきれないと思う。

昨日、会長とコーヒーを飲みながら話をしているとき、会長から「マイクロマネジメントによって自己効力感が失われ、従業員は仕事に熱中できなくなっているのではないか」という仮説を相談され、まったく同意するとともに、自分にもその言葉が刺さったのだった。次は、ワクワクする立派なビジョンを繰り返し示すこと、そこに至るための鮮やかな戦略を示すこと、あとは大胆に任せて責任だけ取ること。そういう仕事をしなければならない。

必要なのはスキルではなくセンスだと思う。

最近、歴史的な偉人の生き様を記した本を読んだり、そういう人の辞世の句を読み解いたりしているしているのだけれども、まさにそういうところから学ぶべきものがありそう。手元の短期目標にスキル伸長が記してあるが、変わらなくちゃ。

こうやって考えていくなかで、少しずつ実感が湧いてきている。重職を担うことに対してビビってるんじゃなくて、今までと違う組織・違う仕事になるということに対して不安があるんだということも分かった。あと1ヶ月、センスを磨こう。


February 22, 2020


dogandchopsticks at 15:15


不惑を前にした最後の惑い

金曜日の夜、取締役2人に呼び出され、来期のアサインについて内示を受けた。

呼び出された瞬間にそういう話をされることは分かっていたが、話を聞いて驚いたふりをして持ち帰らせてもらった。本心では受けるつもりでいたけれども、悩んだ上で受けたのだ、という演出が必要だと本能的に感じたからだ。安い女だと思われないようにじらすのと一緒だ。

しかし持ち帰ってみて考えてみると、思ったよりも懸案事項があった。いま自分が担っている役割を誰に引き継ぐのか、新しい役割は自分が本当に適役なのか、将来のキャリアを考えたときにデメリットにならないか。週末の時間を使って、ひとつひとつに丁寧に答えを探していった。

これまでも要職は歴任してきたつもり。カンパニー制をとったときのカンパニー役員を担ったり、海外に行ってPMをやったり、落下傘で基幹事業のビジネスサイドを取りまとめたり、当時もそう思ったし今振り返っても思うけれども、無茶振りをヒーヒー言いながらこなしてきた。今回もその系譜ではあるのだけれども、少しばっかり重さが違う。

別に社長をやるわけでもないのに、何を縮こまってるんだと自分でも思うのだけれども、なんとなく感じる重責の予感に、夜の眠りが浅くなっている。自分にも不安に思うときがあるんだと思って、我ながら可愛くなってしまった。

会社を辞める気マンマンで迎えた2020年だったけど、2ヶ月も持たずに前言撤回。まだやりきっていないことがあったことを思い出した。もう一回、会社を自分事にしなければいけない。そこのネジを巻きなおすことが、ここからの1ヶ月でもっとも重い仕事になりそうだ。

いや、しかし何を書いてるのかよくわからんな。4月をお待ちください。


February 16, 2020


dogandchopsticks at 23:26


大人になると仲良くなるのに時間がかかる

「むかしは今よりもギラギラしていて恐いなって思っていたんですけど、一緒に仕事をするようになってから、実はこの人は結構面白い人なんじゃないかと思ってました」

会社の後輩と深酒をするなかで、こんな話が出てきた。その後輩と近くで仕事をするようになって5年も経って、今さら何を言っているんだろう。でも、そのくらい以前の自分は迫力があって恐かったのだという。丸くなったとは言え、今もちょっとは恐いらしいんだけど。

一方で、自分もその後輩のことは気にかけていた。利他的でいつもサポーティブな役割で組織貢献を果たしている黒子役だった。目立つことはないが、こいつがいるから組織が回っているんだよな、と感じていたので一目置いていたのだった。クソみたいな仕事も多いけど、ほとんど文句も言わずに懸命に働いていた。こういう奴をちゃんと報いてやるのが自分の仕事だと思って、たまに話すことがあったときには、意識的に労いと感謝の言葉をかけていた。

恐いと思っていた先輩は、実は面白いところがあったし実は弱いところもあった。タフに縁の下の力持ちを担っていた後輩は、実は不満を思っていたし実は弱いところもあった。「ああ、なんだそっちも弱かったんだ」と二人で気付いて笑いあってから、ぐっと距離が縮まったように思う。

でも、こうやって気付いて深酒するまでに5年かかった。

必死の形相で仕事をしていて恐さを身にまとっている自分が、後輩に弱さを見せるわけにいかない。献身的に働いてキャリアを築いてきたのに、そのことで先輩に悪態をつくわけにはいかない。お互いに、自分が作り上げてしまった「他人から見えるだろう自分」というビジョンに囚われて、本当の自分に蓋をしてしまっていた。もし他人にとって意外な姿を見せてしまって幻滅されてしまったらどうしよう。明確にそんなことを思っているわけじゃないけど、心のどこかにそんな不安があったから本音を出すことが憚られていたんだと思う。

5年という長い時間をかけなければ超えることのできなかった憚り。なんてヘタクソな生き様だろう。きっと他にも踏み込んだらシンクロできるような仲間がたくさんいるかもしれない。でも、時間をかけて駆け引きしながら深みを目指す演出を楽しむ、というのが大人という舞台なのかもしれない。

なんかよくわかんないな。人生において親友と呼べるような仲間がひとり増えたってとこです。

February 08, 2020


dogandchopsticks at 22:36


あの頃、死ぬほど忙しかった自分は間違っていたと思う

時間に追われることが減ってきているような気がする。

数年前までは寸暇を惜しむほど忙しかったけれども、「一体あれは何だったのだろうか」と思うほど今は余裕がある。時間を持て余して、週末はなんとなく「鬼滅の刃」のアニメを一気に見た。ストーリー展開の速さと世界観が良い。大正ロマン。

さて、時間を持て余してなんとなく時間を使ってしまうことには罪悪感を覚えてしまうが、そういうところは根っこの性格が変わっていない証拠である。では、何が変わって余暇が増えたのだろう。「働き方改革」の機運に対してひとつのヒントを与えられるかもしれないな、と思ったので考えてみた。

そもそも以前は何に忙しかったのだろうか。

20代の頃は、エンジニアとデザイナーの二足の草鞋を履いていたのが忙しさの理由のひとつだった。学生時代に専門スキルを磨いてきたわけではないので、勉強しながら仕事をするしかなかった。それを2つの職種でやっていたのだからタフだった。それでも頑張っていたのは、「ものづくり」という熱病に冒されていたからだ。

30歳前後になると、専門スキルを磨く代わり、本を読むようになり汎用ビジネススキルを磨くことになった。ロジカルシンキングやファシリテーション、会計、心理学、戦略論など幅広く学んだ。勉強しながら仕事をするのは変わっていないが、二足の草鞋は脱いでいた。代わりに、家庭を持ったことでライフワークバランスというテーマを持っていた。

当時、仕事でアウトプットするために必死でインプットしなければならなかったので、正直ライフワークバランスどころではなかった。今でも迷惑しかかけていないけれども、家族に迷惑をかけた。でも家族を顧みては仕事にならないくらい、当時のスキルに対して求められるスキルが高かった。唐突にアメリカに飛ばされて、半泣きで英語と多様性を勉強したのも拍車をかけた。

つまり、仕事でアウトプットを出すためのインプットに時間が取られていた。家族の優先度が下がるくらいにはインプットに必死にならなければならなかった。これが多忙の理由のひとつだ。

もうひとつ振り返っていて思い出したことは、過剰品質の問題だ。求められている以上のアウトプットを出すことに必死になっていた。それで業務時間のすべてを使っていたので、インプットはプライベートを犠牲にせざるを得なかった。

例えばエンジニア時代。保守性を高める名目でフレームワーク化やライブラリ化しようと余計に工数を使っていたように思う。OOPを追究して設計したが、その後の運用フェーズでの開発は限定的で、自己満足だった。求められていないのに、自分の美学のためにリファクタリングもした。

自分でやらなくても良いことまでやっていたのも、一種の過剰品質の問題だと思う。任せてうまくいかなかったら困ると思って、リスキーなところは自分が介入していた。事業責任者がクエリを書いて分析する組織は変だし、事業責任者がプロダクトマネージャーを飛び越えて仕様を詰めるのも変だ。そんなことをしていたら忙しくなるのは当たり前だ。

人事の仕事をするようになって、こういった脂が落ちた。

もちろん勉強はしているが必要なだけである。仕事のアウトプットも割り切っていて、部下に大胆に任せるようにした。今でも時折介入してしまうことがあって、そのときは後悔をする。それで成果に差があるかというと、自分がやるのと実際は大きな差異はない。結局のところ、仕事で忙しくすることで得られていたのは高い成果ではなく大きな自己満足だったのだと思う。

冒頭で「時間を持て余してなんとなく時間を使ってしまうことには罪悪感を覚えてしまう」と書いたけれども、これは自己満足への努力をサボることへの忌避感ということだ。誰かのためではなく自分のため。人生にとって無駄なことはひとつも無い。それならば、なんとなく時間を使っても、自己満足のために時間を使っても、いずれにしても自分のためになっているのだから、そんなに罪悪感を覚えるべきものではないのではないか。

働き方改革でタイムマネジメントの重要性が相対的に増しているけれども、ポイントは「アウトプットの過剰品質を抑えること」、そして抑えた時間を使って「最低限必要なインプットだけに時間を使うこと」の2つじゃないだろうか。

とはいえ、こうやってサッパリと言えるのは、過去にあれだけ忙しくしてきたからであって、努力してきていなければこうは言えなかったと思う。若い時にもっと遊んでおけば良かったと思うことも多いけれども、若い時にあれだけやっておいて良かったと思うことも多い。

ちなみに子供が大きくなってきて子育てがラクになってきたのも、時間に追われることが減った一因だと思う。子供の成長ってのは、あっという間だな、マジで。

January 13, 2020


dogandchopsticks at 17:31


人事戦略とは何か

とある人事メンバーから「人事戦略を策定できるというのは、何ができていれば良いのでしょう?」と質問された。人事戦略の定義についてその場でハッキリと答えられず、そのメンバーはもちろん自分もモヤモヤが残ったままだった。それは、正月に時間ができて真っ先に考えをまとめようと思うほどのモヤモヤだった。ということで、自分なりに「人事戦略」の定義を考えてみた。

人事戦略のアウトプットは以下の4つだ。

  • 人事制度(就業規則、評価報酬制度、福利厚生など)
  • 人材・組織(求める人材、勝てる組織のデザイン)
  • 人員計画(要員と人件費マネジメント)
  • 組織風土(目指すカルチャーの規定)


これらに一貫性があるように設計したものが人事戦略である。では、その人事戦略はどのように考え出されるべきで、どのように評価されるべきか。それには2つのインプットがある。

  • 社外環境(市場環境・経済動向・法制度・社会機運)
  • 社内事情(企業理念・経営戦略・財務状況)


つまり、人事戦略というのは社内外の要請に基づいて策定され評価されるものである。しかもインプットを包括的に加味しなければならない。例えば、働き方改革法案の施行というインプットだけで就業規則を考えるのでは片手落ちで、自社の企業理念や経営戦略とどのように合致させていくべきかも考えていかないといけない。

サクセッションプランや採用戦略というのは、人事戦略には入らない。それらは人事戦略の実行戦術のプランニングだからだ。

経営の競争力を生み出すために、どのような人たちを集め、どのような動機づけで活かすか。それが人事戦略の目的である。人の集め方であったり、動機づけの方法論というのは手段であって、目的とは別であるべきかと思う。

戦略人事という仕事は、社内外の事情と人事戦略を有機的に結びつけることで事業に資する仕事だと思う。そういう意味で、戦略人事と人事戦略は、渾然一体でなければならない。似た単語が集まって何がなんだか分からなくなってきたが、それでいいのだ。やるべきことの大枠に大差はない。

まとめてみて感じるのは、対応範囲が非常に広域に渡っているということ。正しくインプットを得るのに、3C分析やPEST分析といったスキルが必要だろうし深い自社理解も必要になるだろう。そのインプットを統合して制度やカルチャーに落とし込むというのは、言い換えればハードとソフトの両面であり、人事専門性の理解もさることながら人間的感性も求められる。なんだよ、無理ゲーかよ。

いろんな会社のHRBPにどんな仕事をしているか聞いてきたが、どこもやっていることが違う。上記のような広範な対象領域に対して、どこからアプローチするかの違いということなのかもしれない。目指す究極の姿は上記のとおり。なるほど、ひとつ自分のなかで理解促進のためのフレームワークが仕上がったかもしれない。

January 04, 2020


dogandchopsticks at 17:01


2020年の抱負

あけましておめでとうございます。

暦どおりの余裕のある年末年始を過ごせており、一ノ蔵をチビチビやりながら考える時間を取ることができている。贅沢な正月だ。

2020年は世の中に大きな変化が押し寄せるような気がする。2019年は意外と変化に乏しかった。AIやCASEの技術発展であったり、米中対立であったり、2019年初頭に言われたことが変わらず2020年になっても言われている。つまり2019年に大きな潮流変化はなかったということ。さすがに今年は潮が満ちるのでは。経済的にも政治的にも節目が多い年である。

自分も時流に絡めて変わっていきたい。

昨年だいぶ表舞台に出たことで戦略人事のキャリアは決定的になったが、それはゴールではなく柱のひとつでしかない。その柱を深めながら、元々の柱である事業や技術といったセンスを活かして幅を出せるように。

今年の抱負は、外に出る。

具体的なことはこれから考えるけれども、副業や転職など、環境を変える選択肢を取る。あとは本を書くとかでも良いが、個人として何かをしていきたい。

自分はサラリーマンスキルが高いので会社員である方が相互に幸せだと思っているが、依存しないようにしていかないとなとは思う。ここ数年のキャリア的モヤモヤは、会社と自分を重ねたいのに重ねたくない矛盾にあったように思う。ここの距離を適切にするのはチャレンジ。

ということで、環境を変えていくなかでアウトプット機会が増え、結果的にさらにここの更新頻度が落ちていくかも。ここのあり方も見直す時なのかもしれない。そこも今年のテーマのひとつということで。

リアルな方もバーチャルな方も、今年もどうぞ宜しくお願い致します。



January 03, 2020


dogandchopsticks at 14:39


2019年の仕事を振り返る

年初に今年の豊富として「表舞台に出る」と書いたが、まさに有言実行で、仕事においても表舞台に立つ一年であった。

上半期は表舞台に立つ準備期間だったため露出したのは主に下半期になったが、メディアへの登場が3回に、イベントの登壇が3回という結果。年明けにも2つの媒体に出るし、来年もしばらくは露出が多くなる。これだけ目立つ動きをしたのは人生で初めて。セルフプロデュースが苦手な人間なので、そういうのが得意な人にお願いしたのが良かった。正直途中で面倒くさくなることもあったが、プロデューサーに牽引してもらってやりきることができた。

表舞台に出たことで何が変わったか。

実はあんまり変化を実感していない。LinkedIn経由でのスカウトが微増した気がするが、思いも寄らないところから声がかかるようなことはなかった。社内での扱いも変わらず、良くも悪くも同僚はこれまでと変わらず接してくれる。なぜ変化しなかったかの仮説はあって、表舞台に出たことをセルフブランディングしていないからだと思う。SNSから一歩引いているので、個人アカウントでアピールするようなことがなかった。考えてみると、SNSに存在しないなら外部から声のかけようもないよね。ここの仮説検証は来年の課題。

変化は無かったけれども、表舞台からの学びはあった。世間に向けてアウトプットするのに適当なことは言えないから、きちんと自分の考えをまとめたり、曖昧になっていたところを調べたりした。それを通じて自分の暗黙知が形式知化され、その過程において自分自身が改めて気づいたり学んだりすることがあった。自分の知恵を世に還元したいという想いだったが、むしろ自分に返ってきた。自分のためにも、来年もこういう機会を定期的に設けていきたいなと思う。

さて、本業について。

戦略人事の実践ということで事業経営に食い込んで仕事をしていくという点で、昨年の延長上に位置する一年だった。つまるところ新しいチャレンジではなく、これまでやってきたことを固める感じ。おかげで、あらゆる仕事が昨年よりも効率的かつ高品質に行えているように思う。昨年に「次はこうしよう」と思っていたことをやるわけだから、焦ることなく心に余裕をもって取り組めたことが多かった。

仕事をする上で悩みが少ないと、余計なことを考えてしまうのが人間のサガである。これまで必死がゆえに見えなかった悪しきものが見えて辟易するようなことがあった。それでデモチしてしまったりもした。ただ、その悪しきものを放っておくとどうなるかは学んだところもあるので、ちゃんと言語化して形式化していきたい。そして、そういう悪しきものに対して正義として立ち向かえるようにならないといけないのだ。

本業で必死になれなかった分、表舞台に立つことに必死になれたのは救いだった。決して本業をサボっているわけでもないし超重要な役割を担っているから落とすわけにいかない。主従逆転にならないように気をつけなければいけないが、本業以外でバランスすることを来年も意識しよう。なんだろうな、例えば本を書くとかね。

December 31, 2019


dogandchopsticks at 23:35




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