トップの孤独という指標

トップの孤独感は、組織作りのひとつのKPIなのかもしれない。

ある組織の部長がやって来て、不満げに言った。あっちの課の問題について、別部から自分のとこにクレームが入った。あっちの課長のマネジメントに問題があり、メンバーが自分に相談に来る。あれもこれも全部が俺に来るって、どうなんだ。

それは、よくある風景だった。

課長が頑張っていないわけでは無いのだが、彼らが彼らのポジション相応の働きをしている限り、部長は孤独である。課長が部長の目線で仕事するようにならないといけない。

課長の目線を上げることで、課長の成長が促され、マネージャー同士の議論が深まり、組織は厚みが増す。

トップを孤独にしないように、ミドルを引き上げよう。ミドルがトップに甘えてるような組織では、勝ちにこだわることはできない。

August 19, 2017


dogandchopsticks at 22:59


書評:「トヨタ式『改善』の進め方」




効率化を目標に掲げていたメンバーが、トヨタ生産方式を知らなかった。勉強不足なのだが、知らないことを責めるだけでは何も生まれない。本当は大野耐一氏の原著が良いのだが、手っ取り早く読めるものから始めようということで、本書を読むことになった。

トヨタ生産方式の全体像と概要を平易に解説しており、入門書としてはピッタリだ。それで、自分にとっては復習として頭を整理するくらいの期待値で読んだのだけど、意外に改めて気付かされることがあり、奥深さに唸らされた。

トヨタ生産方式は手段、手法だけでなく意識の変革を迫るものだ。

この生産方式を現場に適用するには、現場にいる一人ひとりの意識が変らなければならない。それもちょっとの意識改革ではなく、根本的な考え方を変えなければならない。改革に対して、保守派は抵抗勢力になり、監督者VS労働者という不要な対立構造が生まれることもあるだろう。手法を理解することよりも、むしろ意識を変えることに肝があるんじゃないだろうか。

仕事は権限や権力でやるもんじゃないよ。現場の人たちに対する粘り強い理解と説得なんだ。結局のところ、モノづくりは人づくり、人の指導の仕方いかんなんだ

仕事のやり方を変えるなかで、人をつくっていく。トヨタ生産方式は組織開発手法でもあるということ。人事の目線で読むことで、思わぬ発見があった。奥深い。

トヨタ生産方式の考え方は製造業だけの話ではない。ソフトウェア開発はもちろん、あらゆる仕事にその効率化のためのエッセンスは適用できると思う。効率化の壁に当たったときは、ここに戻ってこよう。改めてそう思えた一冊だった。

August 16, 2017


dogandchopsticks at 19:14


なぜ人は宴席で裸になるのか

同僚が自身の結婚披露宴を思い出してげんなりしていた。新郎側の出席者が裸芸をしたらしく新婦側の親族がドン引きしたのだという。新郎の親族にお偉いさんがいて、彼が突如として部下に裸芸を命じた結果だったという。

その話をきっかけに「うちも昔は忘年会での裸芸が定番ネタだった」とか「伊藤忠はいまだに『お酒様』という裸芸が伝統芸として行われている」とか、宴席での裸芸の事例紹介が次々と行われることになった。

一体、なぜ人は宴席で裸になるのだろうか。

まず考えたのが、宴会ではないが、裸祭の存在である。全国各地の至るところに裸祭は存在しており、そうでなくとも神輿を担ぐ姿はふんどし一丁で半裸だったりする。そこで、「日本人はハレの日に裸になりたがるのではないか」という仮説が浮かんできた。

調べてみると、裸祭とは「生まれたときの姿を清浄無垢の姿と解釈することにより、その姿で神との交渉を行なう神聖なもの」であるという。祝いの席で裸になるのも、清らかであろうという文化の現れかもしれない。

歴史を紐解くと、アメノウズメが天の岩屋戸に隠れたアマテラスをおびき出すために行ったものが、日本最古の裸芸のようだ。アメノウズメの裸芸で八百万の神は大笑いしたという話が、古事記に記載されている。女性の裸踊りだから、別の意味で盛り上がったのではないかと勘繰ったが、シンプルに大笑いを誘ったようである。古事記が編纂されたのは飛鳥時代であり、当時の文化でも裸にセックスアピールはあったため、やはり裸芸だったと考えて良さそうだ。

1000年以上前から、日本人は裸芸を笑っていたわけであるが、なぜ裸であることが笑いにつながるのか。カントは、笑いについて「張り詰められていた予期が突如として無に変わることから起こる情緒である」と分析した。裸になって芸を行うことが、オーディエンスにとって緊張を緩和させる「非常識」な行為であり、それゆえ笑いを誘うというわけだ。

ここで裸祭と裸芸が結びついた。

裸芸は非常識ゆえに笑いを誘う。非常識は非日常で、すなわちハレである。全裸は日常(ケ)では許されないが、ハレの場では清らかであるものの現れとして許容される文化背景がある。裸芸という強力な笑いの手段がハレの場だけでは許される。だから、人々はここぞとばかりに宴会で裸になるのではないだろうか。

岩手県に黒石寺蘇民祭という有名な裸祭がある。この祭のクライマックスで、男たちは全裸になって川に飛び込む。公衆の面前で全裸になれば、公然わいせつ罪に抵触してしまう。そこでこの祭では、そのタイミングで会場のすべての灯りを消して、暗闇にすることで「見えないからOK」として有耶無耶にしているそうだ。ハレの日であれば、ちょっとしたエクスキューズだけで全裸が許容されるというのが、日本の文化ということだろう。

さて、冒頭の話に戻るが、結婚式というハレの日の裸芸も、新婦側親族にはドン引きされてしまったわけである。ハレという概念が現在において薄らいでいるため、時代に合わなくなってきているのだろう。アキラ100%がR-1で評価されたことを考えると、裸芸が笑いを誘うというのは今も生きているのだが、許される場が限られてきているということ。これから裸芸が許されるのは、テレビの向こう側といった明らかな日常の向こう側でしかないのかもしれない。


August 12, 2017


dogandchopsticks at 23:40


ビジョンは遠慮せずに発信しよう

育成担当として、かれこれ2年近く面倒を見ているマネージャーがいる。元々は若手の一兵卒だったのが、今年に入ってマネージャーに昇格し、最近は顔つきに迫力が出始めてきた。

彼とは隔週で1on1を行っているのだが、今日の会の終わりに「これまで話してきましたけど、今日の話をしてるときの姿が、一番キラキラしていて良いなと思いました」と感想を言われた。こそばゆく感じるくらい嬉しい反面、2年近く話してきて、今までキラキラしたものがなかったのか、と複雑な気持ちになった。

何を話したかというと、私個人のビジョンだ。

自分は隠れビジョナリーなので心中には壮大なビジョンを描いているのだが、それを表立って喧伝するような機会はほとんど無かった。今日は聞かれたから答えたのだけど、聞かれなければ自分から語り出すようなことがない。恥ずかしいわけではないし、自信がないわけでもないが、ビジョンの押し付けになるような気がして、どうにも積極的になれない。

周囲の人は、私の行動原理や根底にあるモチベーションが分からず、真意を図りかねるようなこともあるらしい。ビジョンを話したことで、「ああ、そういうことなんですね」と理解してもらえた。そういう側面があるのだということを、ビビッドに感じた。

何よりも、ビジョンを語っているときの自分がキラキラしているのだと言われたことが衝撃だ。ビジョンの押し付けだと、どちらかというとネガティブに感じていた自分の考えとは逆の、ポジティブな印象を与えたのだ。ビジョンを語るということは、自分が思っている以上に、パワーのあることなのかもしれない。武勇伝を語るウザいおっさんのようなイメージだったけど、そうじゃないということ。

マネージャーとして、部門のビジョンを示すことは、もちろんしてきた。それだけではなく、個人のビジョンを示すということも、重要なのだと悟った夜。育成相手に気付かされ、育成してもらう。幸せなことである。


効率的に質の高い仕事をするための秘訣

先日、自分の仕事のやり方を伝えたところ複数名に驚かれたので、あまり一般的でないのかもしれないと思って公開してみる。

私はその仕事のやり方を「ひと筆書き」と呼んでいる。仕事でお題があるときに、それに対するアウトプットの一通りを一気に書き上げる。途中で手を止めて悩むことはしない。とにかく一度、最後までアウトプットを書ききってみる。ただ、それだけである。

この前、社員研修の企画をしたときのことを例にとって説明してみたい。

誰を対象に、どういう目的で、どんなコンテンツを、どんなプログラムで、誰を講師に迎えて実施するのか。ロジスティクスも考えなければいけないし、コストも気になるところだろう。企画を考えるときには、このように考えなければいけないことが色々ある。このとき、ひとつひとつを順番に入念に考えていくのではなく、ラフ案で良いので、とりあえず一通りの項目を一気に埋めてしまう。ラフ案すら思いつかないときは、「悩みポイント」とでもメモしておけばいい。とにかく止まらずに全部を一度埋める。手を止めないルールなので、10分もあれば書き上がる。

全項目を短時間で埋めると、整合性がないところは、どうしたって違和感を覚える。辻褄が合わないところがあれば、一度それは捨てる。次は辻褄を合わせるか、辻褄が合うように企画を複数案に分割するようにして、再度「ひと筆書き」する。ここまでやっても30分あれば十分だろう。

この時点で、他の人にレビューしてもらう。アイデアが浮かばなかったところも聞いてしまう。自分にとっても仕上がっていない企画なので、インプットされても何とも思わない。これが考えに考えた後だと、ガードが上がってしまい、修正することに心理的抵抗感が生まれる。どうせ10分で考えた企画である。心に余裕をもって、良い案はどんどん取り入れていく。

レビューを踏まえて、あらためて「ひと筆書き」する。これも10分でやる。それで全項目が埋まって、項目間の整合性が取れていることが確認できたら「清書」する。きれいに体裁を整えるだけでなく、細かいところを詰める。研修プログラムの時間割を10分単位で組んでいき、休憩時間や質疑応答の時間も考慮して、コンテンツ量を調整したりする。この「清書」は時間をかけるが、それでも1〜2時間くらいである。

レビューを含めて、研修企画が固まるまでのプロセスは、2〜3時間程度であった。過去や他社事例の調査で2時間くらいプラスがあったから、実質は4〜5時間くらい。レビュワーを集める関係上、数日に渡っての話ではあったが、積み上げとしては半日の時間であった。

この仕事のやり方が驚かれたポイントは2つあって、「せっかく書いた企画を簡単に捨てて、もう一度ゼロから書き直すなんて」と「そんなスピーディに企画が仕上がるなんて」ということ。前者は典型的なサンクコストだが、そもそも10分しかかけていないのでサンクコスト感がない。後者は手を止めて悩まないことで、これだけ短縮できるということである。時間かけて考えたらクォリティが上がるというのは幻想だと思っている。

こんなこと書いているけど、数年前の自分は非効率の塊だった。最初から丁寧な企画書をこしらえていた。穴の空いた企画書は出せないので、自分が納得できる答えで埋まるまで考え続けた。せっかく書いた企画書がムダになるのが嫌で、なんとかそれを活かす方向で考えようとしてドツボにはまっていた。企画レビューも、自分の案を通すために、質疑応答をシミュレーションして時間を使っていた。今と同じ仕事を3〜4倍の時間をかけてやっていたのではないか。

結局、クリエイティブな瞬間って「ひと筆書き」で概要をまとめているときであって、清書をしたり準備をしたりするときではないと思う。クリエイティブにこそ価値があり、自分の時間に対して、価値を生み出す時間の占める割合をいかに増やすかが大事。10年前に気付いていたら人生変わっていただろうなぁ。

ということで、人によっては当たり前の話だけど、昔の自分や今の周辺で理解がないところがあるようなので、初歩的ハウツーとして書いときました。レッツチャレンジ。


書評:「リクルートのすごい構創力」




リクルートの新規事業は次々と形になっていく。高い営業力を活かした展開によってそれが可能になるのだという話を言う人がいるが、それだけなら他にも新規事業を上手くやれそうな会社はある。リクルートには、営業力以外にも、事業化のための成功ファクターが備わっているのだ。それらを余すことなく紐解いて解説したのが本書である。

リクルート社内で使われている、アイデアを事業化し成長させていくためのフレームワークを、実際の事業(SUUMOやじゃらん、ホットペッパー等)を例にとって紹介していて、分かりやすい。社内のプロセスなので、ワーディングは独特のものがあるが、言っていることはリーンスタートアップ等で言われていることと大差がないと感じた。リクルートの「リボンモデル」は有名だが、要点は「リーンキャンバス」と変わらないように思う。

筆者がBCG代表ということで、タイムベース競争などBCGの理論が持ち込まれていて、思わずニヤリとしてしまった。リクルートだからできる何かがあるのではなく、普遍的で再現できるものだという証左だろう。BCGデジタルベンチャーズのビジネスが、リクルート社内のインキュベーション制度である「New RING」と同等の機能性であることの指摘は、なるほど、と思った。ソリューションとして切り売りできるような機能性が社内に存在しているのは強い。

リクルートの中の人からは色々と組織的な課題感を聞いているので、全面的に礼賛している本書の書きっぷりに首をかしげるところもあるものの、非常に実践的な内容が詰まっており、事業創出の手法を学ぶには最適な一冊だと思う。すでにそうした本を読んでる人も、斜め読みすることで頭が整理されたり、自身の動きを見直す機会になりそう。新規事業やる人にオススメします。


書評:「採用学」

採用学 (新潮選書)
服部 泰宏
新潮社
2016-05-27



企業の「採用」という活動を科学的アプローチで分析して説いた一冊。

結論から行くと学びはあったのだが、期待していたのと違っていたのが、本書のメインフォーカスが新卒採用に当たっていたことだ。中途採用に対する気づきが得られれば良いなと考えて読んだので、ちょっと肩透かしを食らってしまった。書名は「新卒採用学」の方が、適切かもしれない。

近年の新卒採用を取り巻く環境変化の解説に始まり、採用の目的であったり、最新のイノベーティブな選考手法(三幸製菓のカフェテリア採用とか)の紹介まで、内容は網羅的である。新卒採用に関わる人は、熟読すると良いだろう。

そんな新卒採用の書から、中途採用に活きる学びはあったのか。ありました。

IQに代表される知能、創造性、ものごとを概念的にとらえる概念的能力、また、 その人がそもそも持っているエネルギーの高さや、部下を鼓舞し、部下に対して仕事へのエネルギーを充塡する能力などは、非常に変わりにくいとされる。

研究によれば、コミュニケーション能力やリスクに対する志向性は、比較的簡単に変化する能力なのだそうだ。だから、選考では「変わりにくい」項目を見極めるべきだということ。また、変化するものであっても、自社内で育成機会がなければ変わらないので、そういった能力も同様に見極めポイントになる。こういう観点で見極めポイントを決めていなかったので、目から鱗だった。早速、翌日の面接からコミュニケーション能力はほとんど評価し、代わりにメンバーを鼓舞する能力を意識的に見るようにした。

最もショッキングだったのは、自分の面接スタイルが、科学的にはイマイチだったこと。

面接の中でも、標準化された(全員に同じことを聞く)質問をする構造化面接(.51)の方が、候補者ごとに違った質問をする非構造的面接(.31)よりも、将来の業績をより正確に予測するという結果は興味深い。

なかには科学を超えて正確にその後の活躍を予測できる見極め力のある人もあり、筆者も驚いていた。しかし一般的には、非構造的面接は7割の確率でエラーを起こすということ。自分が科学を超える人間洞察力があれば良いのだが、そうでないなら面接スタイルは変えなければならない。

内容が期待していた方向と違い、得られた気づきは多くなかったもののの、少ない気づきのそれぞれが自分にとってディープだったので、非常に役立つ一冊になりました。


書評:「フィードバック入門」




ピープルマネジメントのコミュニケーション手法としては、コーチングが持てはやされて久しいが、実際に現場でコーチングを行えば分かるのだが、あまり効果が上がらないシーンがある。新卒1年目の若手育成では、コーチングによって気づかせようにも、本人に思考の軸が定まっていないから、あまり深い気づきが得られなかったりする。問題行為のあった社員に対する指導をする場面でも、コーチングだけで反省を促せるわけではない。

そんなコーチングの課題を埋めてくれるのが、本書にある「フィードバック」である。耳の痛いことを部下にしっかりと伝え、彼らの成長を立て直すコミュニケーションである。

正しくフィードバックを行うことで、本人が自覚的でない問題を、外部からの情報通知によって認識させ、自分の行動や結果に向き合わせることができる。刺さるようなフィードバックをするためには、「できるだけ具体的に相手の問題行動の事実を指摘することが必要」で、そのために「部下の行動を観察することで徹底的に情報収集することが必要」だという。具体的であればあるほど、ごまかせなくなり、改善も考えやすくなる。

大人が何かを学ぶとき、行動を変容させるときには一定の「痛み」がともなうのです。しっかりと相手に向き合い、このセッションの目的を伝え、そのうえで、ともに改善していこうと誘うのがポイントです。


本書が良いのは、このように実践的なポイントを示していること。フィードバックした相手が逃げようとした場合の対処法、例えば、言い訳ばかりしてくるタイプにはこのように向き合うべき、といったことが解説されている。思わず「分かってるなぁ」という言葉が口をついて出てきてしまったほど。

先日、問題社員を指導する機会があり、ちょうど本書を読んだところだったので、書かれている内容に従ってフィードバックを行なった。これが効果覿面で、それ以降は本人の態度改善がハッキリと現れる形となった。詳細な事実ベースで自覚させ、そのような行動を取った理由を考えさせ、これからどうするのかを話させた。本書にあるとおり、変にトーンダウンさせることなく、最初から最後まで徹底して厳しいトーンを崩さなかった。これで本気度が伝わったのが良かったのだと思う。

基本的にはフィードバックに関する説明とその手法を解説しているのだけど、育成・成長という観点で参考になるような話もふんだんに盛り込まれており、勉強になる。例えば、職場で人が育つためには、「業務支援」「内省支援」「精神支援」の三つ支援が必要だ、とか。目新しさは無いけど、こうやって体系的に整理されると頭がスッキリし、アクションにつなげやすくなって良い。

ここ最近読んだなかで、最も実践的で最も価値を感じた一冊。マネジメントの入門テキストとして、現場のマネジャーに推薦しようと思います。


書評:「チームが機能するとはどういうことか」




Google が昨年、社内の生産性向上プロジェクトでの調査結果として、心理的安全性がチームにあることが生産性のカギであることを発表して以来、この「心理的安全性」は組織開発のホットワードになっている。どのようにして、その心理的安全性のある組織を作るのか、具体的な方法論を求めて本書を手に取ってみた。

本書のスコープは、機能するチームを作り上げるためのリーダーシップ行動全体であり、心理的安全性はほんの一部に過ぎない。ただ、心理的安全は、成功しているチーミングの4つの行動として挙げられている、「率直に意見を言う」、「協働する」、「試みる」、「省察する」アクションを支える重要な要素であり、大きなテーマとして本書全体に横たわっている。

組織がどうなるかはリーダーシップによるというのが本書のスタンス。管理による効率の良い実行を求める代わりに、メンバーを支援し柔軟性に着目するリーダーシップを取ることで、組織は学習し革新することができるようになるという。もはや常識的になってきた感はあるが、不安によって支配するマネジメントは有効ではない。

心理的安全がある職場では、意義のある対立が起こり、また、メンバーが失敗を隠さずに報告し、その失敗から学ぶことができるようになる。それこそが学習する組織につながっていくのである。

では、心理的安全を高めるリーダーシップ行動とはどのようなものか。

  • 直接話のできる、親しみやすい人になる
  • 現在持っている知識の限界を認める
  • 自分もよく間違うことを積極的に示す
  • 参加を促す
  • 失敗は学習する機会であることを強調する
  • 具体的な言葉を使う
  • 境界を設ける
  • 境界を超えたことについてメンバーに責任を負わせる


大事なことは、こうした行動をリーダーが一度だけではなく常に意識的に行ない、空気を醸成していかなければならないということだ。不安を取り除くことは、簡単なことではない。肝に命じよう。

心理的安全性、学習する組織など、最近の組織開発で話題のテーマが盛り込まれており、非常に読み応えのある一冊。翻訳本らしいバタ臭さがあるのは気になるものの、多方面で気づきが得られる良書。リーダーにおすすめします。





自尊心をこじらせた中年ほど厄介なものはない

ある中年男性社員に対して、一緒に仕事をしている若手メンバーから苦情が出てきた。評論家のようなスタンスで仕事に取り組んでおり、自分事として仕事に向き合えていない態度が、チームメンバーは許しがたかったようだ。他にも、上から目線でメンバーを小馬鹿にするような発言があるなど、小さな問題が幾重にも連なっていた。

若手メンバーから相談を受けたマネージャーが、その中年社員に対して指導を行うことになった。しかし、指導を行なっても、彼が言い訳をして逃げるだろうことは、想像に難くなかった。そこで、サポートを請われ、私もその指導に同席をすることにした。そして、適切にフィードバックを行い、本人の反省を促し、今後の改善アクションを考えるところまでのファシリテーションを行なった。

その後、どうなったか。

中年社員は、その指導から間もなく、私を会議室に呼び、にわかに辞意を表明した。「自分にも問題があることは理解したが、さすがにああまで言われては心が折れる。鋭く指摘する上長と一緒に仕事をしていくことはできない」と。さらに「これは会社がクビにしたのと一緒だから、会社都合退職にすべきだ」とも主張してきた。

よほど指導されたことが気に食わなかったのだろう。自尊心を傷つけられて許せなかったのだろう。そして、辞意表明して強硬な態度を示せば、周囲が気を使ってくれるとでも思ったのだろう。残念ながらこちらも本気で指導しているので、辞めるならどうぞ、だ。

かくして彼は会社を辞めてしまった。

本当は辞めるつもりがなく、自分より若いやつに指導をされたことが気に入らなくて騒いだだけだったのが、話が進んでしまって後戻りできなくなった。今さら泣きつくことも、自尊心が許さない。会社のせいだと騒ぐことで、少しでも自分なりに尊厳を保とうとしたのではないか。その行為の虚しさぐらい、きっと本人も理解していただろう。

つまらないプライドと意地を守ることで、大事なものを失った中年男性は、さてこれからどこに向かうのだろうか。

さて、自分も中年と呼ばれる年齢になったわけだが、おっさんになると厳しいインプットを受けること自体がなくなる。若手を叱る人はいても、おっさんを叱る人はあまりいないと思う。それが自尊心の肥大を促進するのかもしれない。年老いても他者からの指摘には傾聴し、素直な心持ちで受け止めたいものである。

翌日、社長と仕事をしていたら、社長が私のひとつ上の先輩に対してガンガン厳しいインプットを入れているのを目撃した。それを見て、反射的に「うらやましい」と思ってしまったのと、後で先輩が「ありがたかった」と言っているのを聞いて、こうあり続けたいもんだと願ったのだった。


マネジメント力が成長した理由

我ながらマネージャーとして成長したなあ、と思うことがある。

昔だったら絶対に折り合わなかったタイプの部下を、同じベクトルにそろえて走らせることができるようになった。自分自身の成果にこだわらなくなった。上司からのプレッシャーを受けても、それを部下にぶつけるようなことが減った。まだゼロではないのが、部下に申し訳ないのだけど。

このブログには、自分自身の10年に渡るマネジメントの苦労の歴史的記録という側面がある。前職時代のマネージャーぶりは痛々しくて思い出すのも辛いし、30代になってからだって今振り返ると恥ずかしくなるようなダメダメぶりがあった。

ふと、何を契機に変わったのかを考えてみた。

自分のなかで非連続的にマネージャーのレベルが上がった時期があった。2014年のことだったと思う。それまでは自分の成果を上げるためにメンバーの力を集約しようという思惑が強かったが、この年から徐々にメンバーを育てて成果を上げさせることに注力するようになっていった。

きっかけはメンバーの退職だった。2013年度末、部下から続々と退職意向を告げられた。それぞれの退職理由は違ったし、私に対して敬意を示しつつ辞めていく者もあったけれども、私自身のマネジメントに原因があったのは明白だった。その事実を受け入れるまでには、長い時間が必要だった。

思い出してみると、その前にグローバルで仕事をしていたときにも、同じことが要因で仕事がうまくできなかったことがあった。今なら分かるけれども、当時はなぜ上手くできないか分からず、本当に苦しかった。鬱々とした気持ちで仕事をしていた。上司にも同僚にも助けられず、独りで沼にハマり込んでいったのだが、よく死ななかったと思う。

当時、自分が任された仕事で成果を上げたいと思う気持ちが強かった。意見対立するメンバーは、自分の成果の足を引っ張る人に思えた。自分のイメージする成果と異なる形を求めるメンバーには、苦言を呈した。そんなことをしてたら組織はまとまらないから、どうするかと言うと、自分の優秀さでプレイヤーとして推進していくのだった。横暴な人間ではなかったから付いてきてくれるメンバーもいたし、愚直に仕事を頑張る姿を見て応援してくれるメンバーもいたけど、マネージャーとしては微妙すぎた。

当時、退職意向を告げてきたメンバーのうちの1人、Nくんについては慰留に成功して、チームリーダを任せることにした。これで自分のマネジメントの意識が変わった。任せた以上、自分は必要以上の口出しができなかった。自分の成果を求めて前に出ようものなら、彼はまた退職を言い出すだろう。相次ぐ退職に傷付いて、私はすっかりビビってしまっていた。間違いは指摘したが、基本的には彼のやりたいことを尊重したし、彼がやりやすい環境を整える支援型にシフトしていった。ゆっくり徐々にだけど。

会社視点で正しいことを言っていれば、みんなは信じて付いてきてくれるものだと思っていた。ユーザーのことは考えられていなかったし、メンバーの気持ちも考えられていなかった。それぞれには立場があるし、異なる意見を出すにはそれなりの理由がある。それに共感的理解を示そうとしなかった。無茶振りされた納期を守るために、ちゃんと耳を貸すことをせず、なんでもいいから1秒でも早く案件を前に進めたいと思っていた。ひどかった。

Nくんとの仕事を通じて、マネジメントは深化した。それからも部下が退職することはあったが、ほとんどが「これは辞めるだろうな」と事前に想定していたものだった。今にして思えば、想定できていたなら先回りで動けよという話なので、まだまだ発展途上だったということなのだが。それでも、他者を通じて成果を上げるというマネジメントの醍醐味を体感したのは大きかった。

ちなみに、そうして自分のなかではマネジメントの成長があった時期だったと思うのだが、会社からはまったく評価されなかった。変化の兆しは当時にあったが、実態としての成長はなく、最近になってようやく熟してきたということなのかもしれない。

こんなことを書いているが、きっと数年後にこれを読んだら、あの頃はまだまだだったと思うのだろう。マネジメントという筋肉は、20代のときはあまり育たなかったが、30代も後半になって加速的に育ってきている気がする。

いま育成を担当している若手マネージャーが、部下が次々に辞めるので頭を痛めている。当時の自分を見ているようで、私も気が気でない。来週、自分の経験と学びを話してあげたいと思う。


書評:「あの会社はこうして潰れた」

あの会社はこうして潰れた (日経プレミアシリーズ)
帝国データバンク情報部藤森徹
日本経済新聞出版社
2017-04-11



帝国データバンク情報部の筆者が、実際の企業の倒産理由をまとめた一冊。

倒産する理由は様々で、それこそ会社の数の分だけストーリーがあるのだが、読み込んでいくといくつかの類型に分けられそうなことが分かってくる。先を見誤った過剰な設備投資、時代の変化に追随できずにジリ貧、起死回生を狙って馴染みのない領域にチャレンジして爆死、本業以外の財テクでの失敗など。「変化を恐れないことが、企業としての長生きの秘訣」と本書にはあり、それは間違いないのだが、変化する方向を見誤る場合も危険だと思わされる。

ただ、なかには杜撰な経営をして倒産している会社も多く、驚かされる。会社の金を着服した総務経理部長を解雇しなかった加賀屋のケースは衝撃的だった。

筆者の立場だからこその視点なのだが、倒産リスクのある会社の特徴というのが興味深い。
  • 事業と関連のない人物が経営に関与するとき
  • 取引銀行の数と経営破綻に相関関係がある
  • 営業部長、経理部長が辞めるのは倒産の予兆
  • 売り上げ規模の割に会社の電話がなっていない会社は注意
  • 大量採用・大量離職が起きている会社は要警戒
  • 建設会社が突然、異業種の食品会社と取引するといった手形に警戒

それから、逆説的に長生きする会社の特徴が挙げられていたのだが、これが面白かったので紹介したい。

老舗といわれる「業歴100年企業」には3つの特徴があることが分かっている。1つ目が事業承継(社長交代)の重要性。2つ目が取引先との友好な関係。3つ目が番頭の存在だ。

ビジョナリーカンパニー等で語られている特徴と異なる、現場感のあるポイントである。偉大な会社であることと、長寿企業であることはイコールでないから、長生きだけにスポットを当てるとこの3つになるということなのかもしれないが。一代で終わらせない点では、狂信的規律みたいなものより、取引先や番頭の存在の方が重要だろうなというのは分かる。

これまで、好業績を収める経営から学びを得ようと情報を集めることはあっても、倒産した会社の情報を集めようと思ったことがなかったので、非常に新鮮な気持ちで読むことができた。コラム集であり、大きな学びを得られるようなタイプの本ではないが、類書があまりないであろうという点で価値があるのでは。個人的には面白かったです。


書評:「学習する組織」




複雑性が増して不確実性が高くなっている現在の状況に求められる組織のあり方は「学習する組織」であると言われている。本書では、この「学習する組織」について説明するとともに、「学習する組織」を作り出すリーダーシップのあり方、業績のいい組織の特徴から目標設定や評価のあり方などを解説している。

「学習する組織」という点では、特に目新しい話はなく、基礎的な内容だったのだが、周辺議論で出てくる組織系の話が興味深かった。

強い組織は、こういった上位にあるミッションやビジョン、バリュー、ゴールといったものと、事業部の事業計画、部・課の事業計画、個人の目標といったものが、「一気通貫」に通っている。

とか

エンゲージメントの強さは三つの要因で構成されているということである。それは、自分が組織の活動を通して組織や社会に役立っているという「貢献感」、組織が自分らしい場所だと感じる「適合感」、お互いに共感できる人々が組織にいるという「仲間意識」である。このうち貢献感と適合感が特に重要である。この2つが低いと、ハイパフォーマーといわれる優秀なメンバーが組織から流出してしまう可能性が高い。

とか

どのような職歴を経たかではなく、誰の下で働いたことがあるかということが、高いキャリアを積んで高いパフォーマンスを発揮している人に影響しているのではないだろうか。だから特定の人物の下から、あるいは特定の研究室などから優秀な人材が輩出されるのだと思う。

本書のテーマからすると小ネタなのだろうが、個人的にはこのあたりは気付いていないポイントだったので、参考になった。人は仕事で育つからとOJTでの育成をしているが、やっぱり育成する側の人も重要だということ。すごく腹落ちした。

2番目に引用したエンゲージメントの話は、リテンションの話である。よく言われるのは、「仕事内容、給料、人間関係のうち、2つ以上不満があると辞める」という話だが、ここでは別軸で、「貢献感、適合感、仲間意識」という概念が登場してきている。仲間意識は先の人間関係とイコールで、貢献感と適合感は仕事内容を分解したものか。貢献感を覚えさせる方法はなんとなく分かるが、適合感をどのように演出すべきかは悩ましい。意識してみたいと思った。

ということで、「学習する組織」についての知識を蓄えるとともに、組織マネジメントに関する知恵も得られる一冊。人事やマネジメント上級者におすすめです。


書評:「会社の老化は止められない」




みんなが目をそらしたいと思う厳しい現実に対して、空気を読まずに正論をぶつける人がいる。そういうシーンを見るとハラハラして落ち着かないが、本書を読んでいる最中はずっとそんな気分だった。「あーあ、言っちゃったよ」という鋭い指摘のオンパレードに、ぐうの音も出ない。

会社は永遠に成長を続けていくものという考えは幻想であり、会社も人間同様に老化していき、問題を抱えて弱体化していくというのが本書の指摘である。「エントロピー増大の法則」の理論を援用したり、「グレシャムの法則」を応用しながら、組織が一方通行で非効率になっていくことを解説している。

実際にありがちな組織の老化現象を、人間心理の本質を突いて説明するので、とにかく納得感がある。例えば、一度得たものは手放せないとか、手段が目的化するとか、自分中心に考えるといった、人間心理の不可逆プロセスによって、前例主義やリスク回避といった大企業病の症状が進行していくという。

特に「思考停止」に関する警鐘は印象的であった。

手段の目的化は思考停止を招き、思考停止はさらに手段の目的化に拍車をかけるというサイクルに入っていくため、この流れはさらに加速していく。手段は目的より見えやすいために、その方が頭を使って考える必要がなく、楽だからだ。

組織の老化がすすんで思考停止が進行してくれば、会議でも業務でも、何かと「わかりやすさ」が求められる。つまりは具体性である。このことがさらに社員のソウゾウ力を奪っていき、思考停止に拍車をかけるという悪循環に陥っていくのである。


老化が老化を呼び、組織はどんどん弱体化していく。しかし老いない人間がいないように、会社も老いから逃れる術はないという。この点を明確にするスタンスを取った点がすごい。老化の進行を抑える手段ということで、いくらかの対策方法は述べられているが老化防止策ではない。

筆者が老化した会社の存続に関して提案しているのは、世代交代によるリセットである。

パラダイムという軸足のシフト、つまり「古い船の中を改革する」のではなくて、「新しい船を作ってそこに乗り換える」ことで老化をリセットする必要があるのだ。

経営陣の若返りではなく、組織を作り直してDNAを受け継ぐしかないということだ。これは人間でも一緒である。なるほど、ここまで来て、会社を人間に見なすアナロジーは的確だなと感心した。

最近、大企業病に罹っているのではないかと憂いていて本書を読んだので、刺激は十分すぎるほど受けた。これを読んで、「じゃあ新しい船を作ろう」と動き出すのは難しくとも、老化していくカラクリは理解できたので、それを踏まえたアクションは取ることができる。大企業病に危機感を持っている人にオススメしたい一冊。一緒にがんばりましょう。


大企業病はこうして起こるという実体験

ここしばらく、恐らく年単位で、仕事に物足りなさを感じていた。

自分もいいおっさんである。若い頃のように伸び代がたっぷりあって、どんな仕事を通じてもグングン成長することはない。どんな仕事であっても、そこに見たことのある景色を重ねられる部分があり、これまでの経験を活かして対応することができるから、成長よりも成果にシフトする働き方になってきている。安定感は増したが、新鮮さはないといったところか。人生経験を積み上げているのだから、そんなもんだろうと思っていた。

今でもそれが物足りなさの原因の半分を占めていると考えているが、それだけではないことに気がついてきた。どうも一緒に仕事している連中がヌルくて歯応えがないのだ。

自分を甘やかしている。課題解決がうまくできていないことを、しょうがないと外部環境のせいにして終わらせてしまう。自分が悪かったと強烈な反省をすることがない。そして、周囲もそれを許してしまう。みんなで傷を舐め合うように、「しょうがなかったよね」と言って、当たり障りのない表層的な改善施策を考えて終わらせようとしてしまう。ここまでクッキリ浮かび上がっているわけではないが、大体こんな感じ。

今かなり余力をもって仕事をしている。扱う仕事内容も仕事量も、そこそこではあるが、自分の経験からすると、気合いを入れずとも流しでこなせるような内容だ。冒頭のとおり、そんなもんだろう、という側面もあるが、もうひとつは流しでやっていても誰にも何も言われないことが背景にあるのではないか。

余力があるなら自分から仕事を取りに行けばいいのだが、それをしなくても咎められることもないし、むしろ逆で今の状態でも十分に評価されてしまっている。結局は周囲の人間の目線が低く、自分に対して痺れるインプットができておらず、自分もそれに甘んじているということだ。カッコ悪い。

組織がダメになるときの末期症状が現れているのではないだろうか。組織内部で「俺たちは悪くないよね」と傷を舐め合って、自己否定の強烈な反省が行われない。甘えていたいから、他の人も甘やかす。それでも業績影響がないくらい経営環境は安定しているから、フリーライドしている人間がいても許容されてしまう。ただ、こういう人たちが積み上がって、いつか大企業病が蔓延して組織は壊死してしまうのだ。ゾクッとする。

翻って自分自身である。自分が思っていたよりも、周囲に刺激を受けて張り切ってこれた部分があったということだろう。周囲がヌルくなったことで自分もヌルくなるというのは恥ずかしいことだ。そして、自分は周囲のメンバーに対して刺激的でいられているか、傷を舐め合っていないだろうか。これまで自分から見て圧倒的に優秀で自分に刺激を与えてモチベーションになってきた人たちのように、自分はメンバーに対して振舞えているのだろうか。

成果にこだわり結果に厳しく、必死にならないといけない。


書評:「ヤフーの1on1」




自身、部下との1on1ミーティングを定期的にやるようになったのは、いつからだろうか。少なくとも3年前に複数事業を見ていたときには、週次でメンバーと話す場を設けていた。それから今に至るまで、やり方の試行錯誤はあるものの、組織が変われど、役割が変われど、1on1ミーティングは続けている。その1on1の質を上げる一助になればと思って、本書を手に取ってみた。

ヤフーの1on1は有名である。5000人超という規模で、全社的に上司と部下との1on1ミーティングのルールを取り入れたので話題になっていたし、メディアでも何度か取り上げられていた。一過性ではなく現在も続いているので、施策として上手くいっているのだろう。その肝はなんだろうか。

「1on1は部下のために行う」を上司が理解できるかどうかが、1on1導入の成否を決定します。感覚的に言うと、管理職の9割はこのことを理解できません。1on1導入事例の失敗の多くは、上司が1on1をわかったつもりでも、実際には、上司が伝えたいことを伝える場になっているというパターンです。

上司は部下のために何ができるか、というコンセプトである。事業の進捗報告をさせるのでもなく、懸案について議論をするためでもなく、成果に対してプレッシャーをかける場でもない。あくまでも部下の成長のため、キャリアのために行っているという。

事業の話をしない面談なわけであるから、直接的に事業に影響を与えないような話だが、この取り組みの結果として事業は伸びているという。事業を進めるのはヒトであり、ヒトに投資をすることが、間接的に事業の成功確率を上げるというカラクリである。

細かいテクニックの話も登場するが、基本的には「部下のために行う」という点が本書の肝だろう。だから、ティーチングよりもコーチングであり、部下へのフィードバックを重視することが、繰り返し訴えられている。

本書を読んで、自分は部下との1on1で指示を出したり報告を受けることが結構あって、部下のための1on1にできていないなー、と反省した。そういう気付きを得られたのは大きなプラスだったと思う。

しかし、その肝だけであれば、もっとページ数は少なくても良かったわけで、ちょっと冗長な印象の読後感だった。とりわけ筆者と関係者のインタビューは無駄が多く、水増し感が強かった。立ち読みでざっと読むくらいがちょうどいいのかも、と思う一冊でした(ちゃんと買って読んだ感想です)


書評:「N字回復」

N字回復
飯田 元輔
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2013-08-13



本書のタイトルを見て、「V字回復ではなくN字回復とは視点が新しい。どういう分析と理論だろうか」と興味を惹かれて読んだのだが、想像していたのとはまるで逆の内容だった。理論ではなく実践、知ではなく力。期待していたものとは違ったが、それはそれで感じるものがあった。

「N字回復」というのは、企業のライフサイクルにおいて「第二創業期」に至るプロセスを表した言葉だという。創業期から成長期、成熟期を経て衰退期に至り、そこから再び伸びていく変革のプロセスを線で描くとN字形になる。

読む前は「N字回復する企業とそうでない企業の差はどこにあるのか」という観点で、分析結果と一般化された理論が書かれているものを期待していた。しかし本書に書かれているのは、第二創業期を自らくぐりぬけ、またコンサルタントとして中小企業の第二創業期を泥臭く支えてきた、著者の実体験に基づく生の声だった。

自分は変わらなければと覚悟し、自分と二人三脚でやっていく右腕的人物(幹部)の必要性を認識できた経営者だけが第二創業を迎えることができる。

ワンマン経営から脱却できるかどうか、任せられる幹部を立てられるかどうか、これが第二創業期を迎えられるか否かの分かれ目だという。経営者が自らの仕事を幹部に任せることでできた時間は全て、次なる未来戦略を立てることに充てることができ、それが第二創業期を加速するのだという。また、変革時には古参の守旧派のベテラン社員や幹部が辞めていくことがあるが、そこで怯まずに改革を断行することができなければいけないと説く。

見てきた事実から導かれた結論。このあたりの生の迫力こそ、本書の価値だろう。

一方、本書に書かれている内容は、筆者が体験してきた中小企業にのみ当てはまる話だと思う。昨今、家電メーカーなどで衰退期に入っている大企業も多いが、そうした企業にこの手の話が当てはまるようには思わない。

前職時代は自分も顧客も中小企業のみで、本書にある世界観のなかだけで生きていた。だから読後は凄く懐かしく甘酸っぱい気持ちだった。逆に今ではそうした世界とほとんど関わることがない。別に中小企業と関わらなくなったわけではないので、本書にあるような中小企業ネットワークとは別のところにいる感じなのかもしれないが。

ということで、個人的には若い頃を思い出して感傷的になれる要素があってポイントが高かったが、様々なケースに応用がきく一般理論ではなく、ビジネス書としてはイマイチという印象。関西のリクルートのノリが好きな人には良いのかも。


書評:『人を動かす人の「質問力」』




会社の読書好きな若手ホープにおすすめの一冊を聞いたところ、この本を紹介されたので読んでみた。

邦題だと分かりづらいが、リーダーシップ論を説く一冊。原題は「Good Leaders Ask Great Questions: Your Foundation for Successful Leadership」であり、なぜ邦題からリーダーという言葉を除いたのか不思議でならない。

個人としての成熟は、自分の将来を見通すことだが、リーダーとしての成熟は、自分のことよりも他の人たちのことを先に考えることなのだ。

この一節にあるとおり、リーダーはメンバーのために何ができるのかを考えるべし、という点を繰り返し指摘している。新鮮さは無いけれども、本質的な点なので思わず自分のリーダーシップを省みてしまう。自分はこのことを意識しているつもりだが、それでも完璧とはほど遠い。

個人的に共感すると共に勇気付けられたのは、後進リーダー育成において、筋が悪いヤツであれば「手を引いてかまわない」と断言していることだ。リーダーでなくメンバーであっても、チャンスを与えても変わらなかったり、信頼を裏切るようなヤツに、いつまでも付き合っていられない。育成のROIを考えて、適切な人に時間を使うべきだと言い切っている。むしろダメなヤツは早く切り捨てろくらいな勢いである。そういう断行こそ大事だということである。

リーダーシップについて新たな学びがあるような一冊ではないものの、本質的なポイントが整理されているので、マネージャーが自身のリーダーシップをセルフチェックするのに向いている一冊だと思います。

なお、これを読んでも「質問力」は上がりません。リーダーシップを洗練させることできる「質問」を知ることができるだけ。やっぱりタイトルが紛らわしい。


大事MANブラザーズにごめんなさい

自省のために書いておこうと思った話。

とある事業のこと。当初から紆余曲折のあった難産のプロジェクトであり、立ち上がったあとの成績も芳しくなかった。プロジェクトは途中での方針変更と手戻りが何度もあり、メンバー間の役割もハッキリせず混乱していた。体制変更を何度もするなかで、責任者も途中交代となった。私がこれまで見てきた経験からすると、典型的な失敗案件のパターンだった。

メンバーは頑張っていたものの、ユーザーの支持は得られず、思うように数字は上がってこない。リクープは愚か、単黒も見えてこない。そんななかプロジェクトに突きつけられたのは、「来月末にこの数字が達成されなければ終了にする」という命題だった。それを聞いて、私は厳しいと思ったし、その命題を突きつけたリーダーも「難しいだろうね」という感想だった。

結果はどうなったか。

プロジェクトは見事にその数字を前倒しで達成し、いまや当初の事業計画を上回る勢いで伸びている。このままで推移していけば、早晩リクープもしそうである。素晴らしい。

事業のポテンシャルを正しく判定せずに、これまでのプロセスからダメだろうと決め付けてしまったことを反省した。そして何より、期限を切って目標設定してプロジェクトに任せる判断をしたのに、ダメ前提でいたことを反省した。常に意思決定はフラットに行われるべきだし、任せると決めたのなら信じなければいけない。信じられないのに任せるのは、単なるリソースの無駄遣いである。

大方の予想に反して逆転勝ちした理由は何だったのか。それもリーダーさえ難しいと思っているような逆風の環境である。プロジェクトメンバーに聞いて返ってきた答えは、意外だった。

「共通の敵ができて、チームがひとつになれたから」

厳しい条件を突きつけてきたリーダーが、チーム共通の仮想敵になった。あいつをギャフンと言わせようという思いから、これまで一体感に欠けていたチームがひとつになった。細かく見ていくと、そこまで一枚岩にはなっていなかったが、前後比較では相当マシになったようだ。その結果として、上手くいったとのこと。

そうか、そういうマネジメント方法もあるのか、と目から鱗だが、もちろん真似はしない。これからは最後まで信じ抜いて、メンバーの努力が成功につながる確度を上げられるよう、支援をしていくマネジメントをしなければいけない。信じ抜くこと、それが一番大事。


なぜ浜松と宇都宮の餃子消費量は多いのか

昨日の「アド街ック天国」の特集先が浜松だった。それでふと思い立って、以前から気になっていた疑問、「なぜ浜松と宇都宮の餃子消費量は多いのか」に答えるべく調べてみた。

疑問に感じていたのは、浜松と宇都宮という都市には共通点がないからだ。海沿いで浜名湖もあって水資源が豊富な浜松と、山合いの内陸地である宇都宮。位置関係も離れていて、気候も異なる。この2つの都市が餃子の消費量で競っているのは、よく考えてみると不思議だ。

その答えにはふたつの要因があるようだ。

どちらの都市も、戦後に満州から引き揚げてきた人たちが餃子を広めたのが普及のきっかけだった。その引き揚げ組が多くいたというのが、ひとつめの理由だ。もうひとつは、餃子に使われる食材が豊富であるということ。浜松はキャベツ産地が近く、宇都宮はニラ産地が近い。身近にあふれる食材を活かして料理を作ろうとした流れで、餃子が自然と選ばれてきたのではないだろうか。

実際、満州からの引揚者が多かった都市は、餃子消費量が多い傾向があった。当時、引揚者が多かった港の上位2つは、九州と京都舞鶴である。実際に九州は、博多で戦後に一口餃子が生まれて名物になっているし、宮崎や鹿児島は消費量のランキング上位である。また、京都は餃子消費量の多い都道府県の第3位で、その原動力のひとつとなっている「餃子の王将」は、創業者が満州兵だったようだ。

いまや国民食と言っても過言でないくらい我々の生活に入り込んでいる餃子だけど、戦争の犠牲の副産物としてその状況が生み出されたという事実を知ると、なかなかに複雑な思いである。

ここまで供給サイドの話だけをしているのだが、元々は餃子消費量の話であって需要サイドの話である。これが供給サイドの話で解決してしまうところに、自分なりの気付きがあった。つまり、供給されるメニューが定着化して市民の好みになっているということだ。人々が餃子好きだから餃子が発展したのではなく、そこに餃子があったから市民が餃子を好んだのだ。

とかくバリエーションの多い現代である。今後、この餃子のように新しく市民のメニューとして定着するようなものは生まれにくいのではないだろうか。逆に言えば、ゴリ押しで提供するメニューを絞り込めば、それが需要になる世界を再現できるということでもある。どっちがいいのか分からないけど。

餃子ひとつで、こんなに考えることがあるとは思わなかった。今夜は餃子とビールだな。


地頭が良いとは何か?

採用基準のひとつに「地頭の良さ」がある。

学校教育でいくら偏差値が高くても、地頭が悪ければ、仕事で成果を期待しづらい。単にお勉強ができるだけでないか、レールの上を走るのが速いだけの人物でないか、それを判断する軸が「地頭の良さ」という基準である。

しかし、この「地頭の良さ」は曖昧なところがあり、何がどうだったら良くて、何がどうだったら悪いのか、という点が明確でないのではないか。そんなことを若手マネージャーに指摘されたので、私の考える地頭の良さの条件を整理してみた。せっかくなので、ここでも共有しようと思う。

私が考える「地頭の良さ」は4つの要素に分解される。

  1. 構造化して考えることができる
  2. 抽象化して考えることができる
  3. 単純化して考えることができる
  4. 目的思考で考えることができる

構造化して考えるというのは、バラついた事象を整理して論理的に考えられるということだ。極論すれば MECE に考えられる力と言ってもいいだろう。一般的にはこの点をもって「頭が良い」と言うことが多いような気がする。

抽象化して考えるというのは、具体的な事象から帰納的に答えを導き出せるということだ。ある出来事に遭遇した際、地頭の良い人はそれを抽象度を上げて捉えることで本質をつかむことができる。地頭の良くない人は、対症療法しかできない。

単純化して考えるというのは、複雑難解な事柄をシンプルにまとめて簡潔に表現できるということだ。池上彰さんの解説が分かりやすいのは、この点が優れているからである。以前、中東情勢をさらっと3分くらいで簡潔にまとめて話しているのを聞いて、たまげた。

最後、目的思考で考えることができるというのは、ゴールから逆算して考えられるということだ。これは思考力よりはテクニックかもしれない。これができる人は、結論から考え仮説を立ててから仕事を進めるので、圧倒的に効率が良い。

これら4つの要素を兼ね備えているのが、地頭の良い人である。地頭が良いと、答えのない問いに答えを出せるようになる。仕事で直面するのは、大抵が答えのない問いである。ユーザーは何を求めているか、競合の次の一手は何か、組織強化のために何をしたらいいか。それぞれアイディアは浮かぶだろうが、数学のような明確な単一の答えがあるわけではない。こうした答えのない問いに答えを出していくことが、仕事においてバリューを出していくということであり、そのための重要な能力が「地頭の良さ」というわけである。

こんな話を若手マネージャーにしたところ、彼から返ってきたのは「ひとつ追加したいです。思考体力があるかどうかは重要な要素だと思います」という言葉だった。答えのない問いに答えるには、考え抜くための脳のパワーが必要だという。確かにそうだ。ということで、5つ目の要素として、「思考体力があること」を追加しておきたい。

さて、これらの要素を備えているかどうかを採用面接の場で見極めるにはどうしたら良いか。それについては、また後日解説してみることにしたい。


書評:「リーダーのための伝える力」




キヤノン電子社長の酒巻さんによるリーダー論。

ドイツに行って不利な交渉を気迫で成功させたり、松下幸之助に怒りの手紙を送って支援を受けていたり、スティーブ・ジョブズと対等に仕事をしていたり、出てくるエピソードのレジェンド感がハンパない。凄すぎて一瞬事実か疑ってしまうレベルだ。

この感覚はうちの監査役の話を聞いたとき以来である。監査役は一介のサラリーマンなのに、スペインで工場を立ち上げて、アメリカで大学を立ち上げたと言っていた。監査役は、某老舗プロバイダの社長を務めた人で、昭和38年生まれ。酒巻さんは昭和40年だから、同世代である。日本の高度経済成長を支えた戦士たちの武勇伝は、凄すぎて嘘くさいらしい。

さて、そんなレジェンドの語るリーダー論。金言にあふれまくっているのと、圧倒的に正しい言葉が並んでいるので、読んでいて襟が正される。

利益を出せる強い組織へと部下とチームを成長させることがリーダーの役割だという。社員が自律的に動けるのが強い組織であり、そのためにリーダーは社員が奮い立つようなテーマを伝えていかなければいけない。

リーダーが掲げた夢と目標が達成できるように、彼らがやりやすい環境を作ると同時に、途中で挫けないように「お前ならできる。絶対に諦めるな」と鼓舞し続けることが大切である。 その際、リーダーに必要になるのが「目配り、気配り、口配り」だ。


この「目配り、気配り、口配り」は、酒巻さんではなく、帝国ホテルの会長・小林哲也氏の言葉だそうだが、マネジメントの要諦を凝縮している素晴らしいスローガンである。目配りができるから気配りができる。気づくからこそ、支援のためのアクション(口配り)ができるというわけだ。

このほか、「何かを全社的に行う場合は、そうやって一つの成功事例をまず作ること」とか「基本を忘れるな。手抜きをするな。一手間を惜しむな」とか「悪い情報が上がってきたときは、自分の想像より10倍深刻な大問題が発生していると考え、対応すべき」とか、テクニック的な考え方があふれている。

そうした手法論も当然参考になるのだけど、酒巻さんの人間への興味の強さを読み解くのが本書の良い読み方ではないかと思う。とにかく人のことを考えているし、人に優しい。社員の向こう側にいる家族への愛情が大きいし、部下を想う力がとても強い。帰り際の背中で社員の状態を把握するなんて、よほど人間に興味がないとできない。技術屋なのに営業が上手で、そしてリーダーとして結果を出せているのは、この人間への興味の強さ故ではないだろうか。

実はこの本は刊行された当時に読んだのだけど、書評を書くのを忘れていて、思い出しがてら最近読み直したもの。これが2回目なのにハッとするところがあって、あらためて本書の深みを感じた次第。またいつか3回目を読もうと思います。


書評:「商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ」




まったく興味ない領域の本を読んでみようシリーズ。

関心もなく仕事でも関係ないと、その界隈の情報は入ってこないし、そこでの論点や考え方を捉える機会もない。すなわち、興味ない領域には自分の知らないことが多く、それだけに学びが多いはずで、引き出しを増やすには良いのではないだろうか。元々そういう考えで色んな分野の本を読んできたが、最近は関心ある領域の本を読んでも既視感が強く、より意識的に冒険をしていこうと思っている。

ということで、衰退する商店街にスポットを当てた本書を読んでみた。大手量販店に押されてシャッター通りに成り果てる商店街のことは知っている。小さな世界の栄枯盛衰である。興味が湧かなかったので、読んでみた。いやぁ、天邪鬼です。

商店街が衰退している理由を想像してみると、人々が利用しなくなったからだろう。なぜ利用しないかと言えば、高くて品揃えが悪い。量販店であれば、あれもこれも一度にまとめて買い物ができるが、商店街ではあっちこっちを巡らないといけない不便さもある。そんな仮説を思い浮かべて本書を開いたところ、同じ指摘をしていて、「商店街が見捨てた地元市民のニーズを、大型店が満たした」と。

なぜ商店街はニーズを満たせないのか。量販店ならではのスケールメリットはあるだろうが、本書の指摘でショッキングだったのは、商店主がニーズを満たすために頑張ろうと思わないということだった。一言で言えば、やる気がないのだ。

自治体からの補助金に漬かって役所を向いて考えていたり、地主で不動産収入があるから商売を頑張る必要がなかったり、顧客のことを知らず知ろうともしなかったり。要するに、やる気がない。商店街の衰退を憂慮しているのは自治体であり、だから補助金を出してなんとかしようとするが、商店主はやる気がなく、「補助金がもらえるならやろうか」という温度感なわけである。そりゃあ不動産収入があって、頑張らなくてもお金が入ってくる、行政の言うことを聞けば補助金がもらえるなら、モチベーションは上がらないだろう。

なかでも、自分の利益だけを考える地主が商店街を破壊するという指摘は衝撃的だ。風俗店やパチンコ店といったが地代が大きく取れる業態に貸すので、商店街の風紀が乱れ、その商店街には地元市民が寄り付かなくなるという。しかも、自分の居住地の近辺(駅の反対側)にはそうした業態の進出をさせていない。こうした自分本位の選択が積み上げで、まともな商店街ができるわけがない。

自治体の体質の問題も大きい。本書を読む限り、予算を使うことが目的化しており、商店街再生や街づくりという結果にコミットしていない。市民目線もなく、他での成功事例を思考停止してそのままコピーしてしまう。商店街再生が成功しようが失敗しようが、給料が変わらないのだから、それっぽい仕事でお茶を濁すことになるのも当然か。

商店街の再生策は利用者が創る、その鍵を握るのは女性と若者というのが、筆者の意見だ。上記の商店街衰退の要因の裏返しである。つまり、私益より公益を想う心があり、前例主義でないアイデアがあり、試行錯誤を重ねる行動力が必要だということだ。

顧客や地元市民の声を聞きながら「顧客・地元市民が主役として、自分のコトとして関与できる取組」が、商店街の再生に繋がるのです。

商店街の再生が自分にとって相対的に利益(お金に限らないメリット)が大きい人でないと、「自分のコト」にならない点は注意が必要だ。また、彼らの頑張りが既得権益のある人たちに吸収されることも、公平性の観点から避けねばならない。顧客や地元市民が頑張ることで地主が儲かる構図では続かないのだ。やる気のない人たちを追い出す、民衆蜂起的な動きがなければいけないのではないだろうか。

さて、本書からの一番の収穫は、「頑張らなくてもお金が入ってくる状態になると人間はダメになる」という事実を再確認したことだ。なぜ公務員がお役所仕事をするかというと、その働き方が給与と連動していないからである。なぜ商店街の店主が商売の努力をしないかというと、そんなことしても補助金で飯が食えるからである。システムや制度を考える際には、この人間の特性をきちんと考慮すべきだ。頑張ったヤツが報われる、そういう制度に絞っていかないといけないと、人事マンは思うのでした。



書評:『「バカな」と「なるほど」』




成功する経営戦略には「バカな」と思える差別性と、「なるほど」と思える合理性の両方が必要であるという論を中心に据え、企業経営のあり方を説いた一冊。この「バカなる」の話を一貫してするのではなく、成功企業の分析を通じて判明した他のキーファクターにも触れており、ちょっとタイトルとの期待値の差があった。

さて、「バカなる」とは何か。

差別性とは、多くの企業がとっている常識的な戦略とちがう戦略、つまり非常識な戦略である。平たくいえば、「バカな」といわれるくらい他社とちがう戦略である。 もう一つの条件は、合理性である。よく考えられていること、理屈に合うこと、論理的であることである。平たくいえば、「なるほど」と納得のできることである。


実際は合理的な戦略だけれども、それが非常識に見えるから、その戦略が成功するまで他社は模倣せず、その間に創業者利益をあげることができる。この両者が共存していることの強さを、旅館やメーカーの実例を通じて紹介している。

だが、この理論には怪しいところがある。筆者が正直に告白しているのだが、「バカな」と思える非常識な戦略を取って成功している企業について、なぜそれで成功しているのかという「なるほど」が分かっていないケースが複数出てくる。もしかしたら本書で取り上げられていない、「なるほど」とは別のファクターの方が重要という可能性もある。

この「バカなる」という話には面白さがあり、意外感があるから気付かされることがあるけれども、ポーターの競争戦略論とかのような本質的な理論まで昇華されておらず、面白い話の範疇を超えないなと感じた。

その他の話では、おっと思う話が多く、勉強になった。

  • べき論にたたずに予測論にたって世の中の変化を見る
  • 戦略の伝達方法:口頭、文書、人事、予算、組織、日常の言動
  • 新事業が軌道に乗る前の苦難期には、カラ元気のリーダーシップも必要
  • 15歳以上年が離れると日本語が通じなくなる
  • 社長の仕事は、みんなが納得する危機感を探し出して自覚させること
  • 若手に新しいやり方を考えさせると、必ず今よりも良い方法を考え出す
  • 安全運転の人を評価するのではなく、リスクに挑戦する人を評価する
  • 革新計画の立案は、締切期限を設け、忙しい者に任せるべき


最後の説はユニークである。創造的なアイデアを考え出すような仕事でも、切羽詰まった状態で、短時間に一気にしあげるほうが、良い結果が出るのだという。忙しく時間制約が強いときの方が、人間は良質なアイデアを数多く考え出すというのだ。

これも「バカなる」論のひとつだな、と思ったけれども、「なるほど」と感じる根拠が本書には示されていなかった。こういう爪の甘さが本書の弱いところだろう。いや、もしかして全部を語らないことで読者に考えさせ、この理論の理解を深めさせるために、わざとそうしているのだろうか。もしそうなのだとしたら、この本そのものが「バカなる」である。





書評:『人間の闇 日本人と犯罪〜猟奇殺人事件』

人間の闇 日本人と犯罪 猟奇殺人事件(角川oneテーマ)
一橋 文哉
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-03-10



宮崎勤による東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件、附属池田小事件、酒鬼薔薇事件、秋葉原通り魔事件、世田谷一家殺人事件、秋田児童連続殺害事件、新宿渋谷エリートバラバラ殺人事件など、近年に話題となった凶悪殺人事件を解説するとともに、犯人の心の闇を生み出したものに迫る一冊。

5年前に発刊された本で、取り上げられる事件がどれも古く感じる。それで読み始めた当初は、「ああ、こんな事件もあったな、懐かしいなー」というぐらいの感覚で読んでいたのだが、凶悪犯を生み出した背景を明らかにしていゆく本書の気迫に次第に圧倒されていった。

大量殺人や猟奇殺人を行う犯人に共通するのは、育ってきた家庭環境に問題があったり、強烈なコンプレックスを持っていたりして、社会で孤立しており、自身の存在を社会に気付かせるために殺人を行なっている。2008年には無差別殺人が多く、そこに至る変遷について本書は次のようにまとめている。

自分の存在感を確認するために引き起こした「動機なき事件」から、自分の存在感を社会に刻むためなら相手は「誰でもよかった」事件に変遷し、そこに自殺目的や自暴自棄的犯行が加わって、次第に過激になっていっても不思議ではあるまい。


各人の存在感が薄まるという点では、今後より一層深刻化するのではないだろうか。人工知能の発展も伴って、我々を取り巻く環境はこれまで以上に電脳化し、他者との関係性がなく生きていく時間が長くなっていくだろう。AIに仕事を奪われ、独身で孤独に生きる人が増えていく。存在感が希薄になった人たちが、存在確認のためにスイッチを入れることになるなら、今後そのリスクはより高まっていくことになるのではないだろうか。

副題には『日本人と犯罪』とあるが、本書の後半では、外国人による凶悪殺人に触れている。未だ犯人がつかまっていない世田谷一家殺人事件も、筆者は外国人による犯罪ではないかと見ている。あまりに残忍な手口は、人をモノとしてしか見ていないようなものであり、外国人が犯罪者だと考えると、民族が異なるために、実際に同じ人間と見ていなかった可能性は大いに考えられる。

警察庁が発表している来日外国人の犯罪検挙数の統計を見てみると、意外にも過去10年は減少傾向にある。検挙人員数も10年前のピーク時の半分で1万人程度となっている。日本人の凶悪犯罪のリスクは高まる可能性があるが、外国人によるそのリスクは抑えらているようだ。ここの減少は興味深く、あらためて理由を調査してみたい。

「人間の闇」というタイトルから、何か人間理解につながるものが得られるかもということで読み始めたが、思ったよりも重いものに気付かされる結果となった。だいぶ内容が気持ち悪いので、グロテスクなものが平気で、人間をサイエンスすることが好きな人は、読んでみても良いと思います。


書評:「ヒットの崩壊」




ヒット曲が生まれなくなった。音楽業界が直面する「ヒットの崩壊」の背景にある構造的な問題を考察する一冊。

所有から体験へ。マスメディアからソーシャルメディアへ。ウォークマンからスマホへ。音楽を取り巻く価値観やデバイスといった様々な変化が、ユーザーの消費行動の変容を生み、いわゆる国民的なヒット曲が生まれづらい構造になっているという。個々の話は目新しくはないのだが、こうしてひとつの文脈のなかで見直すことで、「ヒットの崩壊」の理由として十分に腹落ちできるものになっている。ここに本書の価値があると思う。

ところで、先日のレコード大賞はびっくりだった。大賞が西野カナで、最優秀新人賞がiKONという韓国のユニットだった。以前からレコード大賞は業界のゴリ押しで決まっていると言われており、それを確信するような受賞結果だった。しかし、誰の何の曲が受賞すれば納得できたかというと、自信がない。オリコンの年間上位はAKB48、乃木坂46、嵐で占められているが、いずれもヒット曲という感覚はない。まさに「ヒットの崩壊」を体感する出来事だった。

しかしヒット曲が無くなったわけではない。グローバルではワンダイレクションやADELEといったスーパースターとメガヒットが生まれている。そのことを本書は次のように説明する。

世界のエンタテインメント産業の趨勢は「ロングテールとモンスターヘッドが二極化した状況」に向かっている。グローバルなポップ・ミュージックの市場は、無数のニッチと、ごく一部の突出したメガヒットとの両極に分断されつつある。ストリーミング配信とSNSの普及がそれを加速していく。


これまでのヒットの方程式は崩れてしまったが、これまで以上のメガヒットが生まれる可能性がある時代になっているということだ。ここは押さえておきたいポイント。細分化して多様化すればするほど、逆に収束したがるのが世の常なのだ。ピコ太郎のグローバルなヒットにもそれが見える。歌が上手いとか、リズムが面白いとか、踊りが楽しいとか、人間にとってすごく単純な要素で共感できるものに、みんなが集中、収束していくのではないか。

テクノロジーやデバイスの進化は、流通を変革し、消費行動を変化させ、既存のヒットの方程式を変えてしまう。私たちはインターネットによって自由を手に入れ、ロングテールの世界で個別の好みを尖鋭化させてきたが、同時にそれによって共感したいという社会的欲求の存在を確認したように思う。新たなヒットの方程式は、YouTubeやInstagramのようなソーシャルメディアを通して消費できる形態で、個別化された世界のなかで最大公約数として共感できる単純もしくは王道なコンテンツなのだろう。

本書の舞台は音楽業界だが、それまでのヒットの方程式が通用しなくなっているカラクリは極めて本質的であり、他のコンテンツやプロダクトにも通ずる話だ。音楽に興味がある人はもちろん、そうでなくてもコンテンツに関わる人、マーケティングに関わる人は、ぜひ読んでもらいたい。良書です。


社員の向こう側にコミットできるか

人事にとっての顧客は社員である。

時に励まし、時に叱りながら、社員の心に火をともして前進させる。徹底的に社員に向き合うのが人事の仕事だが、社員にフォーカスを当てていると忘れがちなのが、その社員の向こう側にいるその家族の存在だ。

機会あって社員の家族と接すると、単なる個人と会社との労使関係を超えた大きなつながりを持っていることに気付く。両親や兄弟がいて、配偶者や子供がいる。100人の社員の向こう側に、何百何千の人たちの生活がつながっている。

病に倒れてしまった社員を看病する奥様や、傷ついてしまった社員を心配する母親。そういう人たちと話して、自分が人事としてコミットしなければならないのは、その社員だけでなくその社員の向こうにある全てのつながりに対してなのだと思い知った。

ちなみに、適当にかわせば社員の家族と対峙することもなく仕事をすることだってできる。深入りするのは面倒くさい話だ。本気で向き合って、自分で追いかけるからこそ得られるものがある。そこの一歩を踏み込んでやるかやらないか。同じ仕事をしていても、そこから得られる気づきが違うのは、そこのマインドによるのだと思う。

雇用すること、その人事を采配することの重さは、かくも重いものか。今さらながらに、ずっしりと、しっかりと責任の重さを感じる、仕事初めの新春の日。今年もバンガロウ。


2017年は変化を楽しむべき一年

あけましておめでとうございます。

2016年は、格差社会の生み出したポピュリズムがナショナリズムを刺激して、国際情勢と世界経済が大きな転換点に差し掛かった。それから、IoTやAIをはじめとする未来のテクノロジーが実生活や産業に適用されるようになり、インダストリー4.0はドイツの標語ではなく世界標準語になりそうな気配である。今年はそうした流れが加速して後戻りできないところまで進む、変革の一年になりそうだ。自分なりの毎日を過ごしていると気がつかないが、間違いなく今、歴史的変化のなかを生きている。ぜひ視野を広げて楽しみたい。

世の中が変わるタイミングなので、自分も色々と変化を探りたい。

昨年は無気力にダラダラとクズ人間の生活を送ってしまったが、今年は同じクズでも気力あふれるクズでありたい。これまでと違ったジャンルの本を読んだり、違った場所に行ったり、違ったアクティビティに挑戦したり、いかにこれまでと違うことをやるか、同じことでも違ったやり方でやるか。変化に倒して、変化を楽しみたい。

ただ、「フルマラソン完走」という昨年の目標はそのまま据え置きで。体調不良や怪我で実現しなかったこともあるし、ことごとく抽選に外れて機会を得られなかったこともあるが、やりきってない感がハンパないので、今年こそ走り抜きたい。不健康な人間がフルマラソンを走るロックさね。本当にいい大人になっちまったんだけど、大人になりすぎちゃいけないよなと思う今日この頃。

ということで、リアルな人もバーチャルな人も本年もよろしくお願い致します。


2016年の仕事を振り返る

今年の仕事納めは29日だった。

最終日のオフィスには同僚の半分もいなかった。ワーカホリックな部下は出社していたが、自分が夜の会議が終わって席に戻ると、周囲はみんな帰ってしまっていた。静かなフロアで後片付けをしながら、昔はいつだってこういう役回りだった、久しぶりだなと感慨にふけってしまった。

運気では大殺界と八方塞がりが重なる最悪の一年ということだったが、結果的には大きなトラブルなく過ごすことができた。厄除けの効果があったのだろうか。ただ、良かったことも無かった。一方で大問題ではなかっただけで、問題はいくつもあった。あんまり運気が良くなかったのは確かだったようだ。

序盤には、風邪から肺炎、インフルエンザを経て、咳のしすぎによる骨折という体調不良のミラクルコンボがあった。中盤は比較的に落ち着いていたが、後半3ヶ月は大きな出来事が怒涛のように押し寄せてキリキリ舞いだった。そこでの仕事は目新しいものばかりだったが、二度と発生しなさそうな仕事だけに、プラスの経験でもない。将来のためではなく今を生き抜くための仕事をして、気付いたら年末を迎えていた。

人事の仕事はやっぱりワクワクすることがなかった。後半は人事の枠組みを大きく超えた仕事もあったが、それとて楽しいと思うことはなく、ずっと「やるべき論」に従って使命感だけで動いていた。

昨年に続いてそんな感じなので、第一印象としては「ダラダラとみっともない仕事ぶりだったなー」であった。しかし、よく考えてみれば、難易度の高い仕事を最小失点で対応してきた。気持ちが入ったときの仕事との相対感で自分は残念に思うだけで、周囲からは重宝された。

自分が物足りないと思う自分の働きに対して、会社や周囲が必ずしもそう思わない。このギャップに苦しんだ1年だったのかもしれない。気持ちが入りきらずに仕事をしたことで失った信頼関係もあったわけで、このままではダメだと決意できたのが、一番の収穫なんだろうな。

来年の振り返りでは、きちんと何かに熱くなって走り抜けたことを報告できるようにしたい。まずは何に燃えるのか、心と向き合わないといけない。いやぁ、青いおっさんだわ。

ということで、一年間おつかれさまでした。


書評:『ニコニコ哲学』




ドワンゴでニコニコ動画を立ち上げ、現在はカドカワ代表取締役である川上氏の脳内を垣間見る一冊。思考の独立性が高く、彼のフィルターを通すことで見えてくる物事の本質にハッとする。同じように考えられるようになることは恐らく難しいが、本質を知ることだけでも十分に価値があると思う。

ニコニコ動画の運用を通じて、プラットフォームに対して特に鋭い視点があると感じた。「コンテンツをつくらない企業がやっているプラットフォームでは、コンテンツは単なるプロモーション材料に堕落する。」という指摘が的確だ。そして、プラットフォーマー企業がコンテンツを作ろうとすると、どうしてもプロモーション材料としてのコンテンツが仕上がりがちである。めちゃくちゃ腹落ちした。

また、プラットフォームの競争戦略についてはこう整理している。

新しいプラットフォームが競争を仕掛けていくときっていうのは、ひとつはコンテンツそのものの値段を下げて消費者にアピールする。もうひとつは、クリエイターの配分比率を上げて、クリエイターにアピールする。この2つのディスカウントで勝負する


プラットフォームが、マッチングやネットワーク外部性といった機能性を発揮するためには、そのプラットフォームに乗るユーザー及びコンテンツを集めなければいけない。いずれも他から移ってもらわないといけないから競争になる。そのための方法が、2つのディスカウントというわけだ。

ただ、他にもエクスクルーシブ案件で、そこでないと見れないコンテンツを用意するといった差別化戦略があるし、カテゴリを絞って検索コスト削減するニッチ戦略もある。ポーターの競争戦略万歳という話ではない。カワンゴが意識している競争がこれだということが真相だろう。

ディスカウント勝負は血みどろの戦いだ。カワンゴはそういうタイプではない。

起業で成功するためには、競争相手を減らすことが重要です。オープンなマーケットで、ライバルがたくさんいるようなところにいくのはほんとバカだと思います。起業がやりやすくなった時代こそ、起業なんかやっちゃダメに決まってます。


ということで、競争しないことの重要性が分かっていらっしゃる。常に逆張りで判断して生きてきた人だ。マーケットの流れは無視して、自分の頭で考えて正しい方向に進む。どうしたらそういう考え方ができるのかまでは読み解けないが、その価値がよく理解できる。

もうひとつ本質的な指摘だなと思ったのが、コレ。

オープンなマーケットで、みんながコンテンツをつくれるようになるほど、コンテンツの実質的な多様性は減るっていうのが僕の持論です。数が多いということは、ある解に向かって自動的に収束していくってことですからね。


数が多い方が裾野が広がって多様性が増えると考えるのが普通だけど、視点を変えるとそういう見方もあるのだと感服した。絶対数としての多様性は増えるはずだけど、それ以上に割合としての多様性は減るということを指摘しているのだと思う。その発想はなかったけど、確かにそう。顕在化されたユーザーニーズに寄せて、人気のあるものを模倣したコンテンツが溢れる状況は、容易に目に浮かぶ。

言われてみれば確かにそうだ、そんな考え方はしたことがなかった、という指摘をバシバシしてくるので、読み進めるたびにドキッとした。これを読んだから明日から仕事の生産性が上がるといった類のものではないし、真似できるような類のものでもないが、見方のバリエージョンが増えるので視野が広がるのは確か。常識に凝り固まった人に、素直な心で読んでもらいたい。




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