自尊心をこじらせた中年ほど厄介なものはない

ある中年男性社員に対して、一緒に仕事をしている若手メンバーから苦情が出てきた。評論家のようなスタンスで仕事に取り組んでおり、自分事として仕事に向き合えていない態度が、チームメンバーは許しがたかったようだ。他にも、上から目線でメンバーを小馬鹿にするような発言があるなど、小さな問題が幾重にも連なっていた。

若手メンバーから相談を受けたマネージャーが、その中年社員に対して指導を行うことになった。しかし、指導を行なっても、彼が言い訳をして逃げるだろうことは、想像に難くなかった。そこで、サポートを請われ、私もその指導に同席をすることにした。そして、適切にフィードバックを行い、本人の反省を促し、今後の改善アクションを考えるところまでのファシリテーションを行なった。

その後、どうなったか。

中年社員は、その指導から間もなく、私を会議室に呼び、にわかに辞意を表明した。「自分にも問題があることは理解したが、さすがにああまで言われては心が折れる。鋭く指摘する上長と一緒に仕事をしていくことはできない」と。さらに「これは会社がクビにしたのと一緒だから、会社都合退職にすべきだ」とも主張してきた。

よほど指導されたことが気に食わなかったのだろう。自尊心を傷つけられて許せなかったのだろう。そして、辞意表明して強硬な態度を示せば、周囲が気を使ってくれるとでも思ったのだろう。残念ながらこちらも本気で指導しているので、辞めるならどうぞ、だ。

かくして彼は会社を辞めてしまった。

本当は辞めるつもりがなく、自分より若いやつに指導をされたことが気に入らなくて騒いだだけだったのが、話が進んでしまって後戻りできなくなった。今さら泣きつくことも、自尊心が許さない。会社のせいだと騒ぐことで、少しでも自分なりに尊厳を保とうとしたのではないか。その行為の虚しさぐらい、きっと本人も理解していただろう。

つまらないプライドと意地を守ることで、大事なものを失った中年男性は、さてこれからどこに向かうのだろうか。

さて、自分も中年と呼ばれる年齢になったわけだが、おっさんになると厳しいインプットを受けること自体がなくなる。若手を叱る人はいても、おっさんを叱る人はあまりいないと思う。それが自尊心の肥大を促進するのかもしれない。年老いても他者からの指摘には傾聴し、素直な心持ちで受け止めたいものである。

翌日、社長と仕事をしていたら、社長が私のひとつ上の先輩に対してガンガン厳しいインプットを入れているのを目撃した。それを見て、反射的に「うらやましい」と思ってしまったのと、後で先輩が「ありがたかった」と言っているのを聞いて、こうあり続けたいもんだと願ったのだった。


マネジメント力が成長した理由

我ながらマネージャーとして成長したなあ、と思うことがある。

昔だったら絶対に折り合わなかったタイプの部下を、同じベクトルにそろえて走らせることができるようになった。自分自身の成果にこだわらなくなった。上司からのプレッシャーを受けても、それを部下にぶつけるようなことが減った。まだゼロではないのが、部下に申し訳ないのだけど。

このブログには、自分自身の10年に渡るマネジメントの苦労の歴史的記録という側面がある。前職時代のマネージャーぶりは痛々しくて思い出すのも辛いし、30代になってからだって今振り返ると恥ずかしくなるようなダメダメぶりがあった。

ふと、何を契機に変わったのかを考えてみた。

自分のなかで非連続的にマネージャーのレベルが上がった時期があった。2014年のことだったと思う。それまでは自分の成果を上げるためにメンバーの力を集約しようという思惑が強かったが、この年から徐々にメンバーを育てて成果を上げさせることに注力するようになっていった。

きっかけはメンバーの退職だった。2013年度末、部下から続々と退職意向を告げられた。それぞれの退職理由は違ったし、私に対して敬意を示しつつ辞めていく者もあったけれども、私自身のマネジメントに原因があったのは明白だった。その事実を受け入れるまでには、長い時間が必要だった。

思い出してみると、その前にグローバルで仕事をしていたときにも、同じことが要因で仕事がうまくできなかったことがあった。今なら分かるけれども、当時はなぜ上手くできないか分からず、本当に苦しかった。鬱々とした気持ちで仕事をしていた。上司にも同僚にも助けられず、独りで沼にハマり込んでいったのだが、よく死ななかったと思う。

当時、自分が任された仕事で成果を上げたいと思う気持ちが強かった。意見対立するメンバーは、自分の成果の足を引っ張る人に思えた。自分のイメージする成果と異なる形を求めるメンバーには、苦言を呈した。そんなことをしてたら組織はまとまらないから、どうするかと言うと、自分の優秀さでプレイヤーとして推進していくのだった。横暴な人間ではなかったから付いてきてくれるメンバーもいたし、愚直に仕事を頑張る姿を見て応援してくれるメンバーもいたけど、マネージャーとしては微妙すぎた。

当時、退職意向を告げてきたメンバーのうちの1人、Nくんについては慰留に成功して、チームリーダを任せることにした。これで自分のマネジメントの意識が変わった。任せた以上、自分は必要以上の口出しができなかった。自分の成果を求めて前に出ようものなら、彼はまた退職を言い出すだろう。相次ぐ退職に傷付いて、私はすっかりビビってしまっていた。間違いは指摘したが、基本的には彼のやりたいことを尊重したし、彼がやりやすい環境を整える支援型にシフトしていった。ゆっくり徐々にだけど。

会社視点で正しいことを言っていれば、みんなは信じて付いてきてくれるものだと思っていた。ユーザーのことは考えられていなかったし、メンバーの気持ちも考えられていなかった。それぞれには立場があるし、異なる意見を出すにはそれなりの理由がある。それに共感的理解を示そうとしなかった。無茶振りされた納期を守るために、ちゃんと耳を貸すことをせず、なんでもいいから1秒でも早く案件を前に進めたいと思っていた。ひどかった。

Nくんとの仕事を通じて、マネジメントは深化した。それからも部下が退職することはあったが、ほとんどが「これは辞めるだろうな」と事前に想定していたものだった。今にして思えば、想定できていたなら先回りで動けよという話なので、まだまだ発展途上だったということなのだが。それでも、他者を通じて成果を上げるというマネジメントの醍醐味を体感したのは大きかった。

ちなみに、そうして自分のなかではマネジメントの成長があった時期だったと思うのだが、会社からはまったく評価されなかった。変化の兆しは当時にあったが、実態としての成長はなく、最近になってようやく熟してきたということなのかもしれない。

こんなことを書いているが、きっと数年後にこれを読んだら、あの頃はまだまだだったと思うのだろう。マネジメントという筋肉は、20代のときはあまり育たなかったが、30代も後半になって加速的に育ってきている気がする。

いま育成を担当している若手マネージャーが、部下が次々に辞めるので頭を痛めている。当時の自分を見ているようで、私も気が気でない。来週、自分の経験と学びを話してあげたいと思う。


書評:「あの会社はこうして潰れた」

あの会社はこうして潰れた (日経プレミアシリーズ)
帝国データバンク情報部藤森徹
日本経済新聞出版社
2017-04-11



帝国データバンク情報部の筆者が、実際の企業の倒産理由をまとめた一冊。

倒産する理由は様々で、それこそ会社の数の分だけストーリーがあるのだが、読み込んでいくといくつかの類型に分けられそうなことが分かってくる。先を見誤った過剰な設備投資、時代の変化に追随できずにジリ貧、起死回生を狙って馴染みのない領域にチャレンジして爆死、本業以外の財テクでの失敗など。「変化を恐れないことが、企業としての長生きの秘訣」と本書にはあり、それは間違いないのだが、変化する方向を見誤る場合も危険だと思わされる。

ただ、なかには杜撰な経営をして倒産している会社も多く、驚かされる。会社の金を着服した総務経理部長を解雇しなかった加賀屋のケースは衝撃的だった。

筆者の立場だからこその視点なのだが、倒産リスクのある会社の特徴というのが興味深い。
  • 事業と関連のない人物が経営に関与するとき
  • 取引銀行の数と経営破綻に相関関係がある
  • 営業部長、経理部長が辞めるのは倒産の予兆
  • 売り上げ規模の割に会社の電話がなっていない会社は注意
  • 大量採用・大量離職が起きている会社は要警戒
  • 建設会社が突然、異業種の食品会社と取引するといった手形に警戒

それから、逆説的に長生きする会社の特徴が挙げられていたのだが、これが面白かったので紹介したい。

老舗といわれる「業歴100年企業」には3つの特徴があることが分かっている。1つ目が事業承継(社長交代)の重要性。2つ目が取引先との友好な関係。3つ目が番頭の存在だ。

ビジョナリーカンパニー等で語られている特徴と異なる、現場感のあるポイントである。偉大な会社であることと、長寿企業であることはイコールでないから、長生きだけにスポットを当てるとこの3つになるということなのかもしれないが。一代で終わらせない点では、狂信的規律みたいなものより、取引先や番頭の存在の方が重要だろうなというのは分かる。

これまで、好業績を収める経営から学びを得ようと情報を集めることはあっても、倒産した会社の情報を集めようと思ったことがなかったので、非常に新鮮な気持ちで読むことができた。コラム集であり、大きな学びを得られるようなタイプの本ではないが、類書があまりないであろうという点で価値があるのでは。個人的には面白かったです。


書評:「学習する組織」




複雑性が増して不確実性が高くなっている現在の状況に求められる組織のあり方は「学習する組織」であると言われている。本書では、この「学習する組織」について説明するとともに、「学習する組織」を作り出すリーダーシップのあり方、業績のいい組織の特徴から目標設定や評価のあり方などを解説している。

「学習する組織」という点では、特に目新しい話はなく、基礎的な内容だったのだが、周辺議論で出てくる組織系の話が興味深かった。

強い組織は、こういった上位にあるミッションやビジョン、バリュー、ゴールといったものと、事業部の事業計画、部・課の事業計画、個人の目標といったものが、「一気通貫」に通っている。

とか

エンゲージメントの強さは三つの要因で構成されているということである。それは、自分が組織の活動を通して組織や社会に役立っているという「貢献感」、組織が自分らしい場所だと感じる「適合感」、お互いに共感できる人々が組織にいるという「仲間意識」である。このうち貢献感と適合感が特に重要である。この2つが低いと、ハイパフォーマーといわれる優秀なメンバーが組織から流出してしまう可能性が高い。

とか

どのような職歴を経たかではなく、誰の下で働いたことがあるかということが、高いキャリアを積んで高いパフォーマンスを発揮している人に影響しているのではないだろうか。だから特定の人物の下から、あるいは特定の研究室などから優秀な人材が輩出されるのだと思う。

本書のテーマからすると小ネタなのだろうが、個人的にはこのあたりは気付いていないポイントだったので、参考になった。人は仕事で育つからとOJTでの育成をしているが、やっぱり育成する側の人も重要だということ。すごく腹落ちした。

2番目に引用したエンゲージメントの話は、リテンションの話である。よく言われるのは、「仕事内容、給料、人間関係のうち、2つ以上不満があると辞める」という話だが、ここでは別軸で、「貢献感、適合感、仲間意識」という概念が登場してきている。仲間意識は先の人間関係とイコールで、貢献感と適合感は仕事内容を分解したものか。貢献感を覚えさせる方法はなんとなく分かるが、適合感をどのように演出すべきかは悩ましい。意識してみたいと思った。

ということで、「学習する組織」についての知識を蓄えるとともに、組織マネジメントに関する知恵も得られる一冊。人事やマネジメント上級者におすすめです。


書評:「会社の老化は止められない」




みんなが目をそらしたいと思う厳しい現実に対して、空気を読まずに正論をぶつける人がいる。そういうシーンを見るとハラハラして落ち着かないが、本書を読んでいる最中はずっとそんな気分だった。「あーあ、言っちゃったよ」という鋭い指摘のオンパレードに、ぐうの音も出ない。

会社は永遠に成長を続けていくものという考えは幻想であり、会社も人間同様に老化していき、問題を抱えて弱体化していくというのが本書の指摘である。「エントロピー増大の法則」の理論を援用したり、「グレシャムの法則」を応用しながら、組織が一方通行で非効率になっていくことを解説している。

実際にありがちな組織の老化現象を、人間心理の本質を突いて説明するので、とにかく納得感がある。例えば、一度得たものは手放せないとか、手段が目的化するとか、自分中心に考えるといった、人間心理の不可逆プロセスによって、前例主義やリスク回避といった大企業病の症状が進行していくという。

特に「思考停止」に関する警鐘は印象的であった。

手段の目的化は思考停止を招き、思考停止はさらに手段の目的化に拍車をかけるというサイクルに入っていくため、この流れはさらに加速していく。手段は目的より見えやすいために、その方が頭を使って考える必要がなく、楽だからだ。

組織の老化がすすんで思考停止が進行してくれば、会議でも業務でも、何かと「わかりやすさ」が求められる。つまりは具体性である。このことがさらに社員のソウゾウ力を奪っていき、思考停止に拍車をかけるという悪循環に陥っていくのである。


老化が老化を呼び、組織はどんどん弱体化していく。しかし老いない人間がいないように、会社も老いから逃れる術はないという。この点を明確にするスタンスを取った点がすごい。老化の進行を抑える手段ということで、いくらかの対策方法は述べられているが老化防止策ではない。

筆者が老化した会社の存続に関して提案しているのは、世代交代によるリセットである。

パラダイムという軸足のシフト、つまり「古い船の中を改革する」のではなくて、「新しい船を作ってそこに乗り換える」ことで老化をリセットする必要があるのだ。

経営陣の若返りではなく、組織を作り直してDNAを受け継ぐしかないということだ。これは人間でも一緒である。なるほど、ここまで来て、会社を人間に見なすアナロジーは的確だなと感心した。

最近、大企業病に罹っているのではないかと憂いていて本書を読んだので、刺激は十分すぎるほど受けた。これを読んで、「じゃあ新しい船を作ろう」と動き出すのは難しくとも、老化していくカラクリは理解できたので、それを踏まえたアクションは取ることができる。大企業病に危機感を持っている人にオススメしたい一冊。一緒にがんばりましょう。

May 21, 2017


dogandchopsticks at 18:43


大企業病はこうして起こるという実体験

ここしばらく、恐らく年単位で、仕事に物足りなさを感じていた。

自分もいいおっさんである。若い頃のように伸び代がたっぷりあって、どんな仕事を通じてもグングン成長することはない。どんな仕事であっても、そこに見たことのある景色を重ねられる部分があり、これまでの経験を活かして対応することができるから、成長よりも成果にシフトする働き方になってきている。安定感は増したが、新鮮さはないといったところか。人生経験を積み上げているのだから、そんなもんだろうと思っていた。

今でもそれが物足りなさの原因の半分を占めていると考えているが、それだけではないことに気がついてきた。どうも一緒に仕事している連中がヌルくて歯応えがないのだ。

自分を甘やかしている。課題解決がうまくできていないことを、しょうがないと外部環境のせいにして終わらせてしまう。自分が悪かったと強烈な反省をすることがない。そして、周囲もそれを許してしまう。みんなで傷を舐め合うように、「しょうがなかったよね」と言って、当たり障りのない表層的な改善施策を考えて終わらせようとしてしまう。ここまでクッキリ浮かび上がっているわけではないが、大体こんな感じ。

今かなり余力をもって仕事をしている。扱う仕事内容も仕事量も、そこそこではあるが、自分の経験からすると、気合いを入れずとも流しでこなせるような内容だ。冒頭のとおり、そんなもんだろう、という側面もあるが、もうひとつは流しでやっていても誰にも何も言われないことが背景にあるのではないか。

余力があるなら自分から仕事を取りに行けばいいのだが、それをしなくても咎められることもないし、むしろ逆で今の状態でも十分に評価されてしまっている。結局は周囲の人間の目線が低く、自分に対して痺れるインプットができておらず、自分もそれに甘んじているということだ。カッコ悪い。

組織がダメになるときの末期症状が現れているのではないだろうか。組織内部で「俺たちは悪くないよね」と傷を舐め合って、自己否定の強烈な反省が行われない。甘えていたいから、他の人も甘やかす。それでも業績影響がないくらい経営環境は安定しているから、フリーライドしている人間がいても許容されてしまう。ただ、こういう人たちが積み上がって、いつか大企業病が蔓延して組織は壊死してしまうのだ。ゾクッとする。

翻って自分自身である。自分が思っていたよりも、周囲に刺激を受けて張り切ってこれた部分があったということだろう。周囲がヌルくなったことで自分もヌルくなるというのは恥ずかしいことだ。そして、自分は周囲のメンバーに対して刺激的でいられているか、傷を舐め合っていないだろうか。これまで自分から見て圧倒的に優秀で自分に刺激を与えてモチベーションになってきた人たちのように、自分はメンバーに対して振舞えているのだろうか。

成果にこだわり結果に厳しく、必死にならないといけない。


書評:「ヤフーの1on1」




自身、部下との1on1ミーティングを定期的にやるようになったのは、いつからだろうか。少なくとも3年前に複数事業を見ていたときには、週次でメンバーと話す場を設けていた。それから今に至るまで、やり方の試行錯誤はあるものの、組織が変われど、役割が変われど、1on1ミーティングは続けている。その1on1の質を上げる一助になればと思って、本書を手に取ってみた。

ヤフーの1on1は有名である。5000人超という規模で、全社的に上司と部下との1on1ミーティングのルールを取り入れたので話題になっていたし、メディアでも何度か取り上げられていた。一過性ではなく現在も続いているので、施策として上手くいっているのだろう。その肝はなんだろうか。

「1on1は部下のために行う」を上司が理解できるかどうかが、1on1導入の成否を決定します。感覚的に言うと、管理職の9割はこのことを理解できません。1on1導入事例の失敗の多くは、上司が1on1をわかったつもりでも、実際には、上司が伝えたいことを伝える場になっているというパターンです。

上司は部下のために何ができるか、というコンセプトである。事業の進捗報告をさせるのでもなく、懸案について議論をするためでもなく、成果に対してプレッシャーをかける場でもない。あくまでも部下の成長のため、キャリアのために行っているという。

事業の話をしない面談なわけであるから、直接的に事業に影響を与えないような話だが、この取り組みの結果として事業は伸びているという。事業を進めるのはヒトであり、ヒトに投資をすることが、間接的に事業の成功確率を上げるというカラクリである。

細かいテクニックの話も登場するが、基本的には「部下のために行う」という点が本書の肝だろう。だから、ティーチングよりもコーチングであり、部下へのフィードバックを重視することが、繰り返し訴えられている。

本書を読んで、自分は部下との1on1で指示を出したり報告を受けることが結構あって、部下のための1on1にできていないなー、と反省した。そういう気付きを得られたのは大きなプラスだったと思う。

しかし、その肝だけであれば、もっとページ数は少なくても良かったわけで、ちょっと冗長な印象の読後感だった。とりわけ筆者と関係者のインタビューは無駄が多く、水増し感が強かった。立ち読みでざっと読むくらいがちょうどいいのかも、と思う一冊でした(ちゃんと買って読んだ感想です)


書評:「N字回復」

N字回復
飯田 元輔
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2013-08-13



本書のタイトルを見て、「V字回復ではなくN字回復とは視点が新しい。どういう分析と理論だろうか」と興味を惹かれて読んだのだが、想像していたのとはまるで逆の内容だった。理論ではなく実践、知ではなく力。期待していたものとは違ったが、それはそれで感じるものがあった。

「N字回復」というのは、企業のライフサイクルにおいて「第二創業期」に至るプロセスを表した言葉だという。創業期から成長期、成熟期を経て衰退期に至り、そこから再び伸びていく変革のプロセスを線で描くとN字形になる。

読む前は「N字回復する企業とそうでない企業の差はどこにあるのか」という観点で、分析結果と一般化された理論が書かれているものを期待していた。しかし本書に書かれているのは、第二創業期を自らくぐりぬけ、またコンサルタントとして中小企業の第二創業期を泥臭く支えてきた、著者の実体験に基づく生の声だった。

自分は変わらなければと覚悟し、自分と二人三脚でやっていく右腕的人物(幹部)の必要性を認識できた経営者だけが第二創業を迎えることができる。

ワンマン経営から脱却できるかどうか、任せられる幹部を立てられるかどうか、これが第二創業期を迎えられるか否かの分かれ目だという。経営者が自らの仕事を幹部に任せることでできた時間は全て、次なる未来戦略を立てることに充てることができ、それが第二創業期を加速するのだという。また、変革時には古参の守旧派のベテラン社員や幹部が辞めていくことがあるが、そこで怯まずに改革を断行することができなければいけないと説く。

見てきた事実から導かれた結論。このあたりの生の迫力こそ、本書の価値だろう。

一方、本書に書かれている内容は、筆者が体験してきた中小企業にのみ当てはまる話だと思う。昨今、家電メーカーなどで衰退期に入っている大企業も多いが、そうした企業にこの手の話が当てはまるようには思わない。

前職時代は自分も顧客も中小企業のみで、本書にある世界観のなかだけで生きていた。だから読後は凄く懐かしく甘酸っぱい気持ちだった。逆に今ではそうした世界とほとんど関わることがない。別に中小企業と関わらなくなったわけではないので、本書にあるような中小企業ネットワークとは別のところにいる感じなのかもしれないが。

ということで、個人的には若い頃を思い出して感傷的になれる要素があってポイントが高かったが、様々なケースに応用がきく一般理論ではなく、ビジネス書としてはイマイチという印象。関西のリクルートのノリが好きな人には良いのかも。


書評:『人を動かす人の「質問力」』




会社の読書好きな若手ホープにおすすめの一冊を聞いたところ、この本を紹介されたので読んでみた。

邦題だと分かりづらいが、リーダーシップ論を説く一冊。原題は「Good Leaders Ask Great Questions: Your Foundation for Successful Leadership」であり、なぜ邦題からリーダーという言葉を除いたのか不思議でならない。

個人としての成熟は、自分の将来を見通すことだが、リーダーとしての成熟は、自分のことよりも他の人たちのことを先に考えることなのだ。

この一節にあるとおり、リーダーはメンバーのために何ができるのかを考えるべし、という点を繰り返し指摘している。新鮮さは無いけれども、本質的な点なので思わず自分のリーダーシップを省みてしまう。自分はこのことを意識しているつもりだが、それでも完璧とはほど遠い。

個人的に共感すると共に勇気付けられたのは、後進リーダー育成において、筋が悪いヤツであれば「手を引いてかまわない」と断言していることだ。リーダーでなくメンバーであっても、チャンスを与えても変わらなかったり、信頼を裏切るようなヤツに、いつまでも付き合っていられない。育成のROIを考えて、適切な人に時間を使うべきだと言い切っている。むしろダメなヤツは早く切り捨てろくらいな勢いである。そういう断行こそ大事だということである。

リーダーシップについて新たな学びがあるような一冊ではないものの、本質的なポイントが整理されているので、マネージャーが自身のリーダーシップをセルフチェックするのに向いている一冊だと思います。

なお、これを読んでも「質問力」は上がりません。リーダーシップを洗練させることできる「質問」を知ることができるだけ。やっぱりタイトルが紛らわしい。


大事MANブラザーズにごめんなさい

自省のために書いておこうと思った話。

とある事業のこと。当初から紆余曲折のあった難産のプロジェクトであり、立ち上がったあとの成績も芳しくなかった。プロジェクトは途中での方針変更と手戻りが何度もあり、メンバー間の役割もハッキリせず混乱していた。体制変更を何度もするなかで、責任者も途中交代となった。私がこれまで見てきた経験からすると、典型的な失敗案件のパターンだった。

メンバーは頑張っていたものの、ユーザーの支持は得られず、思うように数字は上がってこない。リクープは愚か、単黒も見えてこない。そんななかプロジェクトに突きつけられたのは、「来月末にこの数字が達成されなければ終了にする」という命題だった。それを聞いて、私は厳しいと思ったし、その命題を突きつけたリーダーも「難しいだろうね」という感想だった。

結果はどうなったか。

プロジェクトは見事にその数字を前倒しで達成し、いまや当初の事業計画を上回る勢いで伸びている。このままで推移していけば、早晩リクープもしそうである。素晴らしい。

事業のポテンシャルを正しく判定せずに、これまでのプロセスからダメだろうと決め付けてしまったことを反省した。そして何より、期限を切って目標設定してプロジェクトに任せる判断をしたのに、ダメ前提でいたことを反省した。常に意思決定はフラットに行われるべきだし、任せると決めたのなら信じなければいけない。信じられないのに任せるのは、単なるリソースの無駄遣いである。

大方の予想に反して逆転勝ちした理由は何だったのか。それもリーダーさえ難しいと思っているような逆風の環境である。プロジェクトメンバーに聞いて返ってきた答えは、意外だった。

「共通の敵ができて、チームがひとつになれたから」

厳しい条件を突きつけてきたリーダーが、チーム共通の仮想敵になった。あいつをギャフンと言わせようという思いから、これまで一体感に欠けていたチームがひとつになった。細かく見ていくと、そこまで一枚岩にはなっていなかったが、前後比較では相当マシになったようだ。その結果として、上手くいったとのこと。

そうか、そういうマネジメント方法もあるのか、と目から鱗だが、もちろん真似はしない。これからは最後まで信じ抜いて、メンバーの努力が成功につながる確度を上げられるよう、支援をしていくマネジメントをしなければいけない。信じ抜くこと、それが一番大事。


なぜ浜松と宇都宮の餃子消費量は多いのか

昨日の「アド街ック天国」の特集先が浜松だった。それでふと思い立って、以前から気になっていた疑問、「なぜ浜松と宇都宮の餃子消費量は多いのか」に答えるべく調べてみた。

疑問に感じていたのは、浜松と宇都宮という都市には共通点がないからだ。海沿いで浜名湖もあって水資源が豊富な浜松と、山合いの内陸地である宇都宮。位置関係も離れていて、気候も異なる。この2つの都市が餃子の消費量で競っているのは、よく考えてみると不思議だ。

その答えにはふたつの要因があるようだ。

どちらの都市も、戦後に満州から引き揚げてきた人たちが餃子を広めたのが普及のきっかけだった。その引き揚げ組が多くいたというのが、ひとつめの理由だ。もうひとつは、餃子に使われる食材が豊富であるということ。浜松はキャベツ産地が近く、宇都宮はニラ産地が近い。身近にあふれる食材を活かして料理を作ろうとした流れで、餃子が自然と選ばれてきたのではないだろうか。

実際、満州からの引揚者が多かった都市は、餃子消費量が多い傾向があった。当時、引揚者が多かった港の上位2つは、九州と京都舞鶴である。実際に九州は、博多で戦後に一口餃子が生まれて名物になっているし、宮崎や鹿児島は消費量のランキング上位である。また、京都は餃子消費量の多い都道府県の第3位で、その原動力のひとつとなっている「餃子の王将」は、創業者が満州兵だったようだ。

いまや国民食と言っても過言でないくらい我々の生活に入り込んでいる餃子だけど、戦争の犠牲の副産物としてその状況が生み出されたという事実を知ると、なかなかに複雑な思いである。

ここまで供給サイドの話だけをしているのだが、元々は餃子消費量の話であって需要サイドの話である。これが供給サイドの話で解決してしまうところに、自分なりの気付きがあった。つまり、供給されるメニューが定着化して市民の好みになっているということだ。人々が餃子好きだから餃子が発展したのではなく、そこに餃子があったから市民が餃子を好んだのだ。

とかくバリエーションの多い現代である。今後、この餃子のように新しく市民のメニューとして定着するようなものは生まれにくいのではないだろうか。逆に言えば、ゴリ押しで提供するメニューを絞り込めば、それが需要になる世界を再現できるということでもある。どっちがいいのか分からないけど。

餃子ひとつで、こんなに考えることがあるとは思わなかった。今夜は餃子とビールだな。


地頭が良いとは何か?

採用基準のひとつに「地頭の良さ」がある。

学校教育でいくら偏差値が高くても、地頭が悪ければ、仕事で成果を期待しづらい。単にお勉強ができるだけでないか、レールの上を走るのが速いだけの人物でないか、それを判断する軸が「地頭の良さ」という基準である。

しかし、この「地頭の良さ」は曖昧なところがあり、何がどうだったら良くて、何がどうだったら悪いのか、という点が明確でないのではないか。そんなことを若手マネージャーに指摘されたので、私の考える地頭の良さの条件を整理してみた。せっかくなので、ここでも共有しようと思う。

私が考える「地頭の良さ」は4つの要素に分解される。

  1. 構造化して考えることができる
  2. 抽象化して考えることができる
  3. 単純化して考えることができる
  4. 目的思考で考えることができる

構造化して考えるというのは、バラついた事象を整理して論理的に考えられるということだ。極論すれば MECE に考えられる力と言ってもいいだろう。一般的にはこの点をもって「頭が良い」と言うことが多いような気がする。

抽象化して考えるというのは、具体的な事象から帰納的に答えを導き出せるということだ。ある出来事に遭遇した際、地頭の良い人はそれを抽象度を上げて捉えることで本質をつかむことができる。地頭の良くない人は、対症療法しかできない。

単純化して考えるというのは、複雑難解な事柄をシンプルにまとめて簡潔に表現できるということだ。池上彰さんの解説が分かりやすいのは、この点が優れているからである。以前、中東情勢をさらっと3分くらいで簡潔にまとめて話しているのを聞いて、たまげた。

最後、目的思考で考えることができるというのは、ゴールから逆算して考えられるということだ。これは思考力よりはテクニックかもしれない。これができる人は、結論から考え仮説を立ててから仕事を進めるので、圧倒的に効率が良い。

これら4つの要素を兼ね備えているのが、地頭の良い人である。地頭が良いと、答えのない問いに答えを出せるようになる。仕事で直面するのは、大抵が答えのない問いである。ユーザーは何を求めているか、競合の次の一手は何か、組織強化のために何をしたらいいか。それぞれアイディアは浮かぶだろうが、数学のような明確な単一の答えがあるわけではない。こうした答えのない問いに答えを出していくことが、仕事においてバリューを出していくということであり、そのための重要な能力が「地頭の良さ」というわけである。

こんな話を若手マネージャーにしたところ、彼から返ってきたのは「ひとつ追加したいです。思考体力があるかどうかは重要な要素だと思います」という言葉だった。答えのない問いに答えるには、考え抜くための脳のパワーが必要だという。確かにそうだ。ということで、5つ目の要素として、「思考体力があること」を追加しておきたい。

さて、これらの要素を備えているかどうかを採用面接の場で見極めるにはどうしたら良いか。それについては、また後日解説してみることにしたい。


書評:「リーダーのための伝える力」




キヤノン電子社長の酒巻さんによるリーダー論。

ドイツに行って不利な交渉を気迫で成功させたり、松下幸之助に怒りの手紙を送って支援を受けていたり、スティーブ・ジョブズと対等に仕事をしていたり、出てくるエピソードのレジェンド感がハンパない。凄すぎて一瞬事実か疑ってしまうレベルだ。

この感覚はうちの監査役の話を聞いたとき以来である。監査役は一介のサラリーマンなのに、スペインで工場を立ち上げて、アメリカで大学を立ち上げたと言っていた。監査役は、某老舗プロバイダの社長を務めた人で、昭和38年生まれ。酒巻さんは昭和40年だから、同世代である。日本の高度経済成長を支えた戦士たちの武勇伝は、凄すぎて嘘くさいらしい。

さて、そんなレジェンドの語るリーダー論。金言にあふれまくっているのと、圧倒的に正しい言葉が並んでいるので、読んでいて襟が正される。

利益を出せる強い組織へと部下とチームを成長させることがリーダーの役割だという。社員が自律的に動けるのが強い組織であり、そのためにリーダーは社員が奮い立つようなテーマを伝えていかなければいけない。

リーダーが掲げた夢と目標が達成できるように、彼らがやりやすい環境を作ると同時に、途中で挫けないように「お前ならできる。絶対に諦めるな」と鼓舞し続けることが大切である。 その際、リーダーに必要になるのが「目配り、気配り、口配り」だ。


この「目配り、気配り、口配り」は、酒巻さんではなく、帝国ホテルの会長・小林哲也氏の言葉だそうだが、マネジメントの要諦を凝縮している素晴らしいスローガンである。目配りができるから気配りができる。気づくからこそ、支援のためのアクション(口配り)ができるというわけだ。

このほか、「何かを全社的に行う場合は、そうやって一つの成功事例をまず作ること」とか「基本を忘れるな。手抜きをするな。一手間を惜しむな」とか「悪い情報が上がってきたときは、自分の想像より10倍深刻な大問題が発生していると考え、対応すべき」とか、テクニック的な考え方があふれている。

そうした手法論も当然参考になるのだけど、酒巻さんの人間への興味の強さを読み解くのが本書の良い読み方ではないかと思う。とにかく人のことを考えているし、人に優しい。社員の向こう側にいる家族への愛情が大きいし、部下を想う力がとても強い。帰り際の背中で社員の状態を把握するなんて、よほど人間に興味がないとできない。技術屋なのに営業が上手で、そしてリーダーとして結果を出せているのは、この人間への興味の強さ故ではないだろうか。

実はこの本は刊行された当時に読んだのだけど、書評を書くのを忘れていて、思い出しがてら最近読み直したもの。これが2回目なのにハッとするところがあって、あらためて本書の深みを感じた次第。またいつか3回目を読もうと思います。


書評:「商店街再生の罠:売りたいモノから、顧客がしたいコトへ」




まったく興味ない領域の本を読んでみようシリーズ。

関心もなく仕事でも関係ないと、その界隈の情報は入ってこないし、そこでの論点や考え方を捉える機会もない。すなわち、興味ない領域には自分の知らないことが多く、それだけに学びが多いはずで、引き出しを増やすには良いのではないだろうか。元々そういう考えで色んな分野の本を読んできたが、最近は関心ある領域の本を読んでも既視感が強く、より意識的に冒険をしていこうと思っている。

ということで、衰退する商店街にスポットを当てた本書を読んでみた。大手量販店に押されてシャッター通りに成り果てる商店街のことは知っている。小さな世界の栄枯盛衰である。興味が湧かなかったので、読んでみた。いやぁ、天邪鬼です。

商店街が衰退している理由を想像してみると、人々が利用しなくなったからだろう。なぜ利用しないかと言えば、高くて品揃えが悪い。量販店であれば、あれもこれも一度にまとめて買い物ができるが、商店街ではあっちこっちを巡らないといけない不便さもある。そんな仮説を思い浮かべて本書を開いたところ、同じ指摘をしていて、「商店街が見捨てた地元市民のニーズを、大型店が満たした」と。

なぜ商店街はニーズを満たせないのか。量販店ならではのスケールメリットはあるだろうが、本書の指摘でショッキングだったのは、商店主がニーズを満たすために頑張ろうと思わないということだった。一言で言えば、やる気がないのだ。

自治体からの補助金に漬かって役所を向いて考えていたり、地主で不動産収入があるから商売を頑張る必要がなかったり、顧客のことを知らず知ろうともしなかったり。要するに、やる気がない。商店街の衰退を憂慮しているのは自治体であり、だから補助金を出してなんとかしようとするが、商店主はやる気がなく、「補助金がもらえるならやろうか」という温度感なわけである。そりゃあ不動産収入があって、頑張らなくてもお金が入ってくる、行政の言うことを聞けば補助金がもらえるなら、モチベーションは上がらないだろう。

なかでも、自分の利益だけを考える地主が商店街を破壊するという指摘は衝撃的だ。風俗店やパチンコ店といったが地代が大きく取れる業態に貸すので、商店街の風紀が乱れ、その商店街には地元市民が寄り付かなくなるという。しかも、自分の居住地の近辺(駅の反対側)にはそうした業態の進出をさせていない。こうした自分本位の選択が積み上げで、まともな商店街ができるわけがない。

自治体の体質の問題も大きい。本書を読む限り、予算を使うことが目的化しており、商店街再生や街づくりという結果にコミットしていない。市民目線もなく、他での成功事例を思考停止してそのままコピーしてしまう。商店街再生が成功しようが失敗しようが、給料が変わらないのだから、それっぽい仕事でお茶を濁すことになるのも当然か。

商店街の再生策は利用者が創る、その鍵を握るのは女性と若者というのが、筆者の意見だ。上記の商店街衰退の要因の裏返しである。つまり、私益より公益を想う心があり、前例主義でないアイデアがあり、試行錯誤を重ねる行動力が必要だということだ。

顧客や地元市民の声を聞きながら「顧客・地元市民が主役として、自分のコトとして関与できる取組」が、商店街の再生に繋がるのです。

商店街の再生が自分にとって相対的に利益(お金に限らないメリット)が大きい人でないと、「自分のコト」にならない点は注意が必要だ。また、彼らの頑張りが既得権益のある人たちに吸収されることも、公平性の観点から避けねばならない。顧客や地元市民が頑張ることで地主が儲かる構図では続かないのだ。やる気のない人たちを追い出す、民衆蜂起的な動きがなければいけないのではないだろうか。

さて、本書からの一番の収穫は、「頑張らなくてもお金が入ってくる状態になると人間はダメになる」という事実を再確認したことだ。なぜ公務員がお役所仕事をするかというと、その働き方が給与と連動していないからである。なぜ商店街の店主が商売の努力をしないかというと、そんなことしても補助金で飯が食えるからである。システムや制度を考える際には、この人間の特性をきちんと考慮すべきだ。頑張ったヤツが報われる、そういう制度に絞っていかないといけないと、人事マンは思うのでした。



書評:『「バカな」と「なるほど」』




成功する経営戦略には「バカな」と思える差別性と、「なるほど」と思える合理性の両方が必要であるという論を中心に据え、企業経営のあり方を説いた一冊。この「バカなる」の話を一貫してするのではなく、成功企業の分析を通じて判明した他のキーファクターにも触れており、ちょっとタイトルとの期待値の差があった。

さて、「バカなる」とは何か。

差別性とは、多くの企業がとっている常識的な戦略とちがう戦略、つまり非常識な戦略である。平たくいえば、「バカな」といわれるくらい他社とちがう戦略である。 もう一つの条件は、合理性である。よく考えられていること、理屈に合うこと、論理的であることである。平たくいえば、「なるほど」と納得のできることである。


実際は合理的な戦略だけれども、それが非常識に見えるから、その戦略が成功するまで他社は模倣せず、その間に創業者利益をあげることができる。この両者が共存していることの強さを、旅館やメーカーの実例を通じて紹介している。

だが、この理論には怪しいところがある。筆者が正直に告白しているのだが、「バカな」と思える非常識な戦略を取って成功している企業について、なぜそれで成功しているのかという「なるほど」が分かっていないケースが複数出てくる。もしかしたら本書で取り上げられていない、「なるほど」とは別のファクターの方が重要という可能性もある。

この「バカなる」という話には面白さがあり、意外感があるから気付かされることがあるけれども、ポーターの競争戦略論とかのような本質的な理論まで昇華されておらず、面白い話の範疇を超えないなと感じた。

その他の話では、おっと思う話が多く、勉強になった。

  • べき論にたたずに予測論にたって世の中の変化を見る
  • 戦略の伝達方法:口頭、文書、人事、予算、組織、日常の言動
  • 新事業が軌道に乗る前の苦難期には、カラ元気のリーダーシップも必要
  • 15歳以上年が離れると日本語が通じなくなる
  • 社長の仕事は、みんなが納得する危機感を探し出して自覚させること
  • 若手に新しいやり方を考えさせると、必ず今よりも良い方法を考え出す
  • 安全運転の人を評価するのではなく、リスクに挑戦する人を評価する
  • 革新計画の立案は、締切期限を設け、忙しい者に任せるべき


最後の説はユニークである。創造的なアイデアを考え出すような仕事でも、切羽詰まった状態で、短時間に一気にしあげるほうが、良い結果が出るのだという。忙しく時間制約が強いときの方が、人間は良質なアイデアを数多く考え出すというのだ。

これも「バカなる」論のひとつだな、と思ったけれども、「なるほど」と感じる根拠が本書には示されていなかった。こういう爪の甘さが本書の弱いところだろう。いや、もしかして全部を語らないことで読者に考えさせ、この理論の理解を深めさせるために、わざとそうしているのだろうか。もしそうなのだとしたら、この本そのものが「バカなる」である。





書評:『人間の闇 日本人と犯罪〜猟奇殺人事件』

人間の闇 日本人と犯罪 猟奇殺人事件(角川oneテーマ)
一橋 文哉
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-03-10



宮崎勤による東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件、附属池田小事件、酒鬼薔薇事件、秋葉原通り魔事件、世田谷一家殺人事件、秋田児童連続殺害事件、新宿渋谷エリートバラバラ殺人事件など、近年に話題となった凶悪殺人事件を解説するとともに、犯人の心の闇を生み出したものに迫る一冊。

5年前に発刊された本で、取り上げられる事件がどれも古く感じる。それで読み始めた当初は、「ああ、こんな事件もあったな、懐かしいなー」というぐらいの感覚で読んでいたのだが、凶悪犯を生み出した背景を明らかにしていゆく本書の気迫に次第に圧倒されていった。

大量殺人や猟奇殺人を行う犯人に共通するのは、育ってきた家庭環境に問題があったり、強烈なコンプレックスを持っていたりして、社会で孤立しており、自身の存在を社会に気付かせるために殺人を行なっている。2008年には無差別殺人が多く、そこに至る変遷について本書は次のようにまとめている。

自分の存在感を確認するために引き起こした「動機なき事件」から、自分の存在感を社会に刻むためなら相手は「誰でもよかった」事件に変遷し、そこに自殺目的や自暴自棄的犯行が加わって、次第に過激になっていっても不思議ではあるまい。


各人の存在感が薄まるという点では、今後より一層深刻化するのではないだろうか。人工知能の発展も伴って、我々を取り巻く環境はこれまで以上に電脳化し、他者との関係性がなく生きていく時間が長くなっていくだろう。AIに仕事を奪われ、独身で孤独に生きる人が増えていく。存在感が希薄になった人たちが、存在確認のためにスイッチを入れることになるなら、今後そのリスクはより高まっていくことになるのではないだろうか。

副題には『日本人と犯罪』とあるが、本書の後半では、外国人による凶悪殺人に触れている。未だ犯人がつかまっていない世田谷一家殺人事件も、筆者は外国人による犯罪ではないかと見ている。あまりに残忍な手口は、人をモノとしてしか見ていないようなものであり、外国人が犯罪者だと考えると、民族が異なるために、実際に同じ人間と見ていなかった可能性は大いに考えられる。

警察庁が発表している来日外国人の犯罪検挙数の統計を見てみると、意外にも過去10年は減少傾向にある。検挙人員数も10年前のピーク時の半分で1万人程度となっている。日本人の凶悪犯罪のリスクは高まる可能性があるが、外国人によるそのリスクは抑えらているようだ。ここの減少は興味深く、あらためて理由を調査してみたい。

「人間の闇」というタイトルから、何か人間理解につながるものが得られるかもということで読み始めたが、思ったよりも重いものに気付かされる結果となった。だいぶ内容が気持ち悪いので、グロテスクなものが平気で、人間をサイエンスすることが好きな人は、読んでみても良いと思います。


書評:「ヒットの崩壊」




ヒット曲が生まれなくなった。音楽業界が直面する「ヒットの崩壊」の背景にある構造的な問題を考察する一冊。

所有から体験へ。マスメディアからソーシャルメディアへ。ウォークマンからスマホへ。音楽を取り巻く価値観やデバイスといった様々な変化が、ユーザーの消費行動の変容を生み、いわゆる国民的なヒット曲が生まれづらい構造になっているという。個々の話は目新しくはないのだが、こうしてひとつの文脈のなかで見直すことで、「ヒットの崩壊」の理由として十分に腹落ちできるものになっている。ここに本書の価値があると思う。

ところで、先日のレコード大賞はびっくりだった。大賞が西野カナで、最優秀新人賞がiKONという韓国のユニットだった。以前からレコード大賞は業界のゴリ押しで決まっていると言われており、それを確信するような受賞結果だった。しかし、誰の何の曲が受賞すれば納得できたかというと、自信がない。オリコンの年間上位はAKB48、乃木坂46、嵐で占められているが、いずれもヒット曲という感覚はない。まさに「ヒットの崩壊」を体感する出来事だった。

しかしヒット曲が無くなったわけではない。グローバルではワンダイレクションやADELEといったスーパースターとメガヒットが生まれている。そのことを本書は次のように説明する。

世界のエンタテインメント産業の趨勢は「ロングテールとモンスターヘッドが二極化した状況」に向かっている。グローバルなポップ・ミュージックの市場は、無数のニッチと、ごく一部の突出したメガヒットとの両極に分断されつつある。ストリーミング配信とSNSの普及がそれを加速していく。


これまでのヒットの方程式は崩れてしまったが、これまで以上のメガヒットが生まれる可能性がある時代になっているということだ。ここは押さえておきたいポイント。細分化して多様化すればするほど、逆に収束したがるのが世の常なのだ。ピコ太郎のグローバルなヒットにもそれが見える。歌が上手いとか、リズムが面白いとか、踊りが楽しいとか、人間にとってすごく単純な要素で共感できるものに、みんなが集中、収束していくのではないか。

テクノロジーやデバイスの進化は、流通を変革し、消費行動を変化させ、既存のヒットの方程式を変えてしまう。私たちはインターネットによって自由を手に入れ、ロングテールの世界で個別の好みを尖鋭化させてきたが、同時にそれによって共感したいという社会的欲求の存在を確認したように思う。新たなヒットの方程式は、YouTubeやInstagramのようなソーシャルメディアを通して消費できる形態で、個別化された世界のなかで最大公約数として共感できる単純もしくは王道なコンテンツなのだろう。

本書の舞台は音楽業界だが、それまでのヒットの方程式が通用しなくなっているカラクリは極めて本質的であり、他のコンテンツやプロダクトにも通ずる話だ。音楽に興味がある人はもちろん、そうでなくてもコンテンツに関わる人、マーケティングに関わる人は、ぜひ読んでもらいたい。良書です。


社員の向こう側にコミットできるか

人事にとっての顧客は社員である。

時に励まし、時に叱りながら、社員の心に火をともして前進させる。徹底的に社員に向き合うのが人事の仕事だが、社員にフォーカスを当てていると忘れがちなのが、その社員の向こう側にいるその家族の存在だ。

機会あって社員の家族と接すると、単なる個人と会社との労使関係を超えた大きなつながりを持っていることに気付く。両親や兄弟がいて、配偶者や子供がいる。100人の社員の向こう側に、何百何千の人たちの生活がつながっている。

病に倒れてしまった社員を看病する奥様や、傷ついてしまった社員を心配する母親。そういう人たちと話して、自分が人事としてコミットしなければならないのは、その社員だけでなくその社員の向こうにある全てのつながりに対してなのだと思い知った。

ちなみに、適当にかわせば社員の家族と対峙することもなく仕事をすることだってできる。深入りするのは面倒くさい話だ。本気で向き合って、自分で追いかけるからこそ得られるものがある。そこの一歩を踏み込んでやるかやらないか。同じ仕事をしていても、そこから得られる気づきが違うのは、そこのマインドによるのだと思う。

雇用すること、その人事を采配することの重さは、かくも重いものか。今さらながらに、ずっしりと、しっかりと責任の重さを感じる、仕事初めの新春の日。今年もバンガロウ。


2017年は変化を楽しむべき一年

あけましておめでとうございます。

2016年は、格差社会の生み出したポピュリズムがナショナリズムを刺激して、国際情勢と世界経済が大きな転換点に差し掛かった。それから、IoTやAIをはじめとする未来のテクノロジーが実生活や産業に適用されるようになり、インダストリー4.0はドイツの標語ではなく世界標準語になりそうな気配である。今年はそうした流れが加速して後戻りできないところまで進む、変革の一年になりそうだ。自分なりの毎日を過ごしていると気がつかないが、間違いなく今、歴史的変化のなかを生きている。ぜひ視野を広げて楽しみたい。

世の中が変わるタイミングなので、自分も色々と変化を探りたい。

昨年は無気力にダラダラとクズ人間の生活を送ってしまったが、今年は同じクズでも気力あふれるクズでありたい。これまでと違ったジャンルの本を読んだり、違った場所に行ったり、違ったアクティビティに挑戦したり、いかにこれまでと違うことをやるか、同じことでも違ったやり方でやるか。変化に倒して、変化を楽しみたい。

ただ、「フルマラソン完走」という昨年の目標はそのまま据え置きで。体調不良や怪我で実現しなかったこともあるし、ことごとく抽選に外れて機会を得られなかったこともあるが、やりきってない感がハンパないので、今年こそ走り抜きたい。不健康な人間がフルマラソンを走るロックさね。本当にいい大人になっちまったんだけど、大人になりすぎちゃいけないよなと思う今日この頃。

ということで、リアルな人もバーチャルな人も本年もよろしくお願い致します。


2016年の仕事を振り返る

今年の仕事納めは29日だった。

最終日のオフィスには同僚の半分もいなかった。ワーカホリックな部下は出社していたが、自分が夜の会議が終わって席に戻ると、周囲はみんな帰ってしまっていた。静かなフロアで後片付けをしながら、昔はいつだってこういう役回りだった、久しぶりだなと感慨にふけってしまった。

運気では大殺界と八方塞がりが重なる最悪の一年ということだったが、結果的には大きなトラブルなく過ごすことができた。厄除けの効果があったのだろうか。ただ、良かったことも無かった。一方で大問題ではなかっただけで、問題はいくつもあった。あんまり運気が良くなかったのは確かだったようだ。

序盤には、風邪から肺炎、インフルエンザを経て、咳のしすぎによる骨折という体調不良のミラクルコンボがあった。中盤は比較的に落ち着いていたが、後半3ヶ月は大きな出来事が怒涛のように押し寄せてキリキリ舞いだった。そこでの仕事は目新しいものばかりだったが、二度と発生しなさそうな仕事だけに、プラスの経験でもない。将来のためではなく今を生き抜くための仕事をして、気付いたら年末を迎えていた。

人事の仕事はやっぱりワクワクすることがなかった。後半は人事の枠組みを大きく超えた仕事もあったが、それとて楽しいと思うことはなく、ずっと「やるべき論」に従って使命感だけで動いていた。

昨年に続いてそんな感じなので、第一印象としては「ダラダラとみっともない仕事ぶりだったなー」であった。しかし、よく考えてみれば、難易度の高い仕事を最小失点で対応してきた。気持ちが入ったときの仕事との相対感で自分は残念に思うだけで、周囲からは重宝された。

自分が物足りないと思う自分の働きに対して、会社や周囲が必ずしもそう思わない。このギャップに苦しんだ1年だったのかもしれない。気持ちが入りきらずに仕事をしたことで失った信頼関係もあったわけで、このままではダメだと決意できたのが、一番の収穫なんだろうな。

来年の振り返りでは、きちんと何かに熱くなって走り抜けたことを報告できるようにしたい。まずは何に燃えるのか、心と向き合わないといけない。いやぁ、青いおっさんだわ。

ということで、一年間おつかれさまでした。


書評:『ニコニコ哲学』




ドワンゴでニコニコ動画を立ち上げ、現在はカドカワ代表取締役である川上氏の脳内を垣間見る一冊。思考の独立性が高く、彼のフィルターを通すことで見えてくる物事の本質にハッとする。同じように考えられるようになることは恐らく難しいが、本質を知ることだけでも十分に価値があると思う。

ニコニコ動画の運用を通じて、プラットフォームに対して特に鋭い視点があると感じた。「コンテンツをつくらない企業がやっているプラットフォームでは、コンテンツは単なるプロモーション材料に堕落する。」という指摘が的確だ。そして、プラットフォーマー企業がコンテンツを作ろうとすると、どうしてもプロモーション材料としてのコンテンツが仕上がりがちである。めちゃくちゃ腹落ちした。

また、プラットフォームの競争戦略についてはこう整理している。

新しいプラットフォームが競争を仕掛けていくときっていうのは、ひとつはコンテンツそのものの値段を下げて消費者にアピールする。もうひとつは、クリエイターの配分比率を上げて、クリエイターにアピールする。この2つのディスカウントで勝負する


プラットフォームが、マッチングやネットワーク外部性といった機能性を発揮するためには、そのプラットフォームに乗るユーザー及びコンテンツを集めなければいけない。いずれも他から移ってもらわないといけないから競争になる。そのための方法が、2つのディスカウントというわけだ。

ただ、他にもエクスクルーシブ案件で、そこでないと見れないコンテンツを用意するといった差別化戦略があるし、カテゴリを絞って検索コスト削減するニッチ戦略もある。ポーターの競争戦略万歳という話ではない。カワンゴが意識している競争がこれだということが真相だろう。

ディスカウント勝負は血みどろの戦いだ。カワンゴはそういうタイプではない。

起業で成功するためには、競争相手を減らすことが重要です。オープンなマーケットで、ライバルがたくさんいるようなところにいくのはほんとバカだと思います。起業がやりやすくなった時代こそ、起業なんかやっちゃダメに決まってます。


ということで、競争しないことの重要性が分かっていらっしゃる。常に逆張りで判断して生きてきた人だ。マーケットの流れは無視して、自分の頭で考えて正しい方向に進む。どうしたらそういう考え方ができるのかまでは読み解けないが、その価値がよく理解できる。

もうひとつ本質的な指摘だなと思ったのが、コレ。

オープンなマーケットで、みんながコンテンツをつくれるようになるほど、コンテンツの実質的な多様性は減るっていうのが僕の持論です。数が多いということは、ある解に向かって自動的に収束していくってことですからね。


数が多い方が裾野が広がって多様性が増えると考えるのが普通だけど、視点を変えるとそういう見方もあるのだと感服した。絶対数としての多様性は増えるはずだけど、それ以上に割合としての多様性は減るということを指摘しているのだと思う。その発想はなかったけど、確かにそう。顕在化されたユーザーニーズに寄せて、人気のあるものを模倣したコンテンツが溢れる状況は、容易に目に浮かぶ。

言われてみれば確かにそうだ、そんな考え方はしたことがなかった、という指摘をバシバシしてくるので、読み進めるたびにドキッとした。これを読んだから明日から仕事の生産性が上がるといった類のものではないし、真似できるような類のものでもないが、見方のバリエージョンが増えるので視野が広がるのは確か。常識に凝り固まった人に、素直な心で読んでもらいたい。


書評:『ヤンキーの虎』

ヤンキーの虎
藤野 英人
東洋経済新報社
2016-04-15



地方を本拠地として、様々な業種で多角展開する地方土着の企業や起業家を「ヤンキーの虎」と名付けて、その生態と特徴を分析して解説した一冊。言われてみれば確かにそういう人たちがいて、それを「ヤンキーの虎」というラベリングでまとめた、その着眼点こそが本書のハイライトだろう。

ヤンキーの虎には三つの共通するキーワードがあると感じました。それは、「事業意欲」「仲間意識」「スポーティ」です。


強い成功意欲があって、流行に敏感でチャレンジ精神が旺盛。複雑なものよりシンプルなものを好む。占いが好き。地方から上京してでも経営者セミナーに参加したりする。社員を含めて共同体の仲間を大事にしている。ギラギラよりもキラキラしていて、非常に健康的でスマートで真面目。

こうしたヤンキーの虎の特徴を並べてみると、前職時代に取引させてもらった若手経営者たちの顔が思い浮かんだ。浅黒い顔に白い歯を浮かべて大きく笑う様から、若い頃はヤンチャしていたことが窺える経営者で、ドラッカーを信奉し著名な経営者のセミナーに足繁く通い、IT投資にも積極的で、神仏を大事にしていた。取引先の若造でしかなかった私にも、「この本が良いんだよ、読んでみなよ」と勧めてくれて、仕事関係を超えて人間同士を意識させるような人たちだった。

地元に、携帯ショップとコンビニエンスストアとビデオレンタル屋のフランチャイズを経営しているグループがある。シナジーのない多角経営で、そこに戦略なんて無いんだろうと思っていだが、本書を読んで理由がわかった。流行をキャッチして新しいアイデアや商材をどんどん取り入れるのが彼らの戦略であり、流行りに応じてポートフォリオの新陳代謝をするのだ。労働集約的な仕事が多く、人が必要になったら地元の仲間をつかって集め、資金が必要であれば、地産地消を応援したい地元の信用金庫や地銀の支援を得る。そういう構造があったのだ。面白い。

高邁な経営理論や戦略がなくとも勝ち抜ける経営がある。その背景には、気合いと根性というヤンキー的精神論があった。かつてナンシー関が日本人の半分はヤンキー気質であると喝破したが、国の根底に流れるヤンキー精神が日本経済の強みであることに、我々はもっと自覚的であるべきなのかもしれない。


書評:『有名企業からの脱出』




元産業再生機構、現IGPI CEOの冨山和彦氏が、日本企業に勤めるサラリーマンに鳴らす警告の一冊。雑誌「ゲーテ」の連載をまとめたもので、たまに立ち読みしていたこともあって手に取った。「ゲーテ」は、若者向けに見えて、ほどよく硬派なところがユニークだと思う。

日本企業にありがちな共同体のムラ社会にダメを出し、出世競争のレールに乗るだけで自分なりに考えることのないサラリーマンに警鐘を鳴らす。その主張に新しさは無いものの、JALをはじめ数々のダメ企業の再生支援を行なってきた人の発言として聞くことの重みがあった。修羅場をくぐってきた人の言葉だから、本質に感じられて心に刺さるものというのはある。

ポジションを取って白黒をハッキリさせる物言いをする迫力がある。それが気持ち良い一方、二面性あるはずのものもバッサリと言い切ってしまうので驚くことがある。個人的にも、ソニーの出井さんを委員会設置したからと持ち上げていたのはびっくりした。概ね正しい論理のなかに、妙な話を織りまぜるのは罪深いよなぁ。あと、最後に「最近の学生は勉強熱心」となぜか若者を持ち上げているのも気持ち悪かった。バサバサと斬りまくったあとにフォローするところがそこかよ、的な。昔から勉強熱心な学生はいたし、最近もウェーイな奴ばっかだよ。

さて、本書の副題にある「あなたの仕事人生が犲蠱戮讚瓩砲覆訌阿法廚箸いε世悗慮正擇、まさに本書のハイライトだと思うので触れておく。その前に何をすべきかというと、「自分の成功や幸福の尺度を自分の中に持つこと」だと説く。役職が上がることや給料が上がることは会社が用意した尺度であり、それに則ると年齢を重ねていくうちに限界に達して苦しくなる。だから自分なりに考えるべきだという。

正直な自分として、何をもって成功の尺度と考えるか。実は歳を経ていくと、これを試される局面が次々に出てきます。この時、多くの人は混乱する。なぜなら、ずっと自分ではない仮面をかぶってきたからです。


仮面をかぶってきた人だけでなく、何も考えてこなかった人もいるんじゃないだろうか。あなたにとっての成功とは何かを問われて即答できるだろうか。ドキッとする。

自分の成功や幸福が何かを考えるためのヒントも書いてあるが、詳細は本書に譲る。自分の心に正直であろうという啓発書みたいな話だけでなく、生きていくためにはお金も必要という話に触れられていて、そういうなかのバランスに言及されているところが、すごく良い。

何気なく手に取った一冊だったが、タイミングとして妙に刺さるポイントが多かった。やっぱり読書は楽しい。


効率の先にあるのは紙文化なのか

最近、弁護士の方とお仕事をする機会があって、その優秀さに舌を巻いている。

キングジム2冊くらいの資料なら一晩で頭に叩き込んでくるし、3時間ぶっ続けでハードな聴取をする。深夜にメールでやり取りしていて、早朝からまたメールが来る。

効率的な仕事の仕方を知っている奴等が、長時間労働なんだから、その仕事の進みっぷりったらハンパない。自分は若い頃に、「誰よりも質の高い仕事を、誰よりも長い時間やる。それ、すなわち最強」と唱えて地獄のような働き方をしていたが、それが当たり前の世界が弁護士のようだ。

彼らはアナログである。

紙文化であり、数kgのキングジム資料を持ち歩き、メモは筆記である。人に会ったときに名前の漢字を聞く。それで、これですか、あれですか、みたいなやり取りをする。変換すれば一発の話に時間をかけるから、そこは非効率である。

しかし以前、戦略コンサルタントと仕事をしたとき、彼らも紙文化でメモは筆記だった。一様に同じノートを使っていて、会社でいくらでも支給するのだそう。それにモリモリと議事録を書いていた。

自分はペーパーレスのスタイルにして久しく、年に数回、契約書の正本にしかプリンタを使わないが、本当の効率を突き詰めると紙文化に辿り着くのかもしれず、まだ甘いのかもしれない。

もうしばらく弁護士との仕事が続きそうである。以前、戦コンとの仕事を通じて成長があったので、今回もその仕事術を盗んで糧にしてみたい。


書評:『物語戦略』

物語戦略
岩井 琢磨
日経BP社
2016-04-07



企業が持つ強みを象徴する物語「シンボリック・ストーリー」を経営資源として、戦略的にビジネスに活用することを提案する一冊。

シンボリック・ストーリーとは、次の3つの要件を満たす物語だという。
  1. 企業の強みを象徴している
  2. 企業の戦略方針に合致している
  3. 思わず人に話したくなる

3つ目の要素の重要性が高いと思うのだが、人に話したくなるような物語のプロデュース方法についての実用的な言及はない。このあたりが本書の残念なところ。内容的にはストーリーマーケティングと大差なく、向こうの方が具体的なテクニックが開陳されていたりするから実用的だろう。この本の価値ってなんだろうな。

「ストーリーとしての競争戦略」のような戦略論を期待して読んだのだけど、まったくもって期待はずれ。企業戦略の実効性を高めるために物語が使えるという話であって、物語が戦略の軸になることはないから、それでこのタイトルを付けるのは如何なものか。最近読んだビジネス書で一番クソでした。


書評:『心が折れる職場』

心が折れる職場 (日経プレミアシリーズ)
見波 利幸
日本経済新聞出版社
2016-07-09



メンタルヘルスの専門家が、不調者が続出する職場の特徴を解説した一冊。アカデミックな話だけでなく、現場で数々の知見を得てきた筆者だからこそ語れるリアルな内容で、新書らしく実務的である。

飲み会が開かれないから、メンバーの心が折れたり、メンタルに不調をきたしてしまう人が発生したりするのではなく、皆の心が折れやすいような職場だから、自発的な飲み会が開かれないのです。

序盤のこの一節でぐっと引き込まれるわけだが、不調を生み出す原因とは、仕事や人間関係など色々なものを一人で背負いこまされるような環境だというのが、本書で繰り返し指摘されることだ。苦しいときに誰かが助けてくれたり、辛い気持ちを吐露できる相手がいなかったり、不調者を生む職場は、メンバーそれぞれが孤立している。だから飲み会は開かれないのだ。

業績が絶好調だから大丈夫でもないし、一方で残業時間が多いから危ないわけでもない。業績が良くても社員のことを省みない職場では不調者が出るし、仕事そのものを楽しいと思っていれば残業時間が多くても不調にならない。こういう本質的な指摘がポロポロ出てくる良書。ページをめくるごとに、「なるほど、確かにそうだな」と納得するエピソードが盛りだくさんだ。

様々なエピソードがあるなかで、自分が一番面白いと思ったのは次の指摘。

SEの不調の原因が多い背景として、「その人の技術の水準が、求められる技術レベルまで達していないから」というケースが多かったのです。

この一節を読んだ瞬間に、いくつかの顔がすぐに浮かび、深く頷いてしまった。昔はあれだけ輝いていた人が、最近の技術トレンドを追いきれずに輝きを失い、そのままメンタル不調に陥ってしまうケースを何度も見てきた。不調者はそろって「キャッチアップできない自分の問題」だと言っていた。求められるスキルの変化や進化が早いSEだからこそ、こうした問題が特徴的に出るということなんだろう。時間はかかるけどキャッチアップしてくれるはず、と期待することが、逆に本人にとってストレスになり心が折れることもあるだろう。エンジニアと接するときには、この話を少しでも意識しておきたい。

復職に際して職場が気をつけることや、メンタル不調の再発防止といったことまで、守備範囲は広い。組織を持っているマネージャー、特にメンタル不調者を出したことのあるマネージャーには是非読んでもらいたい。


糸が切れた人の雑記

人間、これほどまでにモチベーションが下がることもあるのか。

十数年も仕事してきて最大のデモチに、自分自身で驚くとともに、戸惑いから正直言って混乱している。怒りや悲しみ、無力感といった様々な感情が重なり合って、ひどく気落ちしている自分がいる。いい年をしたおじさんが、恥ずかしい。

ずっと我慢して責任感だけで人事の仕事をしてきた。その我慢が限界に達して爆発した。自分が思っていたよりも我慢していたようで、爆発力は桁違いだった。契機は些細なもので、刺激は何でも良かったのだと思う。心が破裂して、パンドラの箱よろしく災いの全てが飛び出した。

・何で俺がこんなことやらなくちゃならんのか?
・これまで我慢してきた時間は何だったのか?

非常に大きなイシューが発生しているし、重要なプロジェクトをオーナーとして推進しているし、代わりのいない立場で仕事をしていたが、この爆発があって気持ちの糸が切れてしまい、その日は仕事が手に付かなかった。それから翌日も、責任感と義務感で最低限の仕事はできたが、モチベーションの欠片もなく力無い仕事をするばかりとなった。

やりたいこととやるべきことは必ずしも重ならない。時にやりたいことよりもやるべきことを優先せねばならないことがあるし、人生においてそういう時間の方が長い人もあるかもしれない。それを左脳で理解していたが、心は納得しておらず最後に制御を失った。やるべきことで、それが自分のできることで、周囲から感謝され求められても、やりたくないことだとダメなんだな、と自分の身をもって知る。

そして、いま頭が痛いのは、やりたくないことは明確になったが、やりたいことが明確でないということだった。自分の気持ちを抑えすぎて、気付けば自分のやりたいことを野望として抱くことを忘れてしまっていた。それもまたショックだった。

後から振り返ったときに、あそこが分水嶺だったなと思うところに、今立ったのではないだろうか。仕事が手につかず、精神的にもソワソワして、結論を急ぎたがってしまう心の未熟さが嫌になる。そうではなく、これはきちんと考えねばならないタイミング。

転職していく社員はみんなこんな気持ちを経てるのかな。この経験も仕事に昇華しちゃいそうなのが自分らしい。


私が採用面接で確認している大事なポイント

前回のエントリ「人材育成と人材活用のための、とっておきの方法」で、その人を受け入れることの重要性を書いた。この話の応用として、私が採用面接で確認するポイントについても書いておこうと思う。

採用面接で見るべきポイントはいくつかあるのだが、私にとって重要なもののひとつは、その人の成功パターンである。そのために、多くの面接でその人の過去の成功体験について質問するようにしている。新卒採用であれば学生時代の成功体験(多くの場合は大学受験か部活の話である)であり、中途採用であれば現職での成功体験(問題解決やプロダクトの成功エピソード)を訊くことになる。これまで非常に多くの面接をしてきたが、幸い今のところ「成功体験はありません」という人には出会っていない。

成功体験の話から、その人が何らかの課題に取り組むときの行動パターンを抽出する。

例えば、新卒採用の場合。勉強でも部活でもコツコツ積み上げて、結果がついてこなくても諦めずにコツコツ積み上げて成功する人がいる。コツコツ勉強するにも、一人でやる人もいれば、友達と一緒にやる人もいる。一方で、三年の夏まで部活三昧でロクに勉強してこなかったが、要点を絞って勉強して要領良く結果を出す人もいる。

例えば、中途採用の場合。大きな課題にぶつかって、自分の頭で考えて解決への道筋を作る人もいれば、周囲を巻き込んで解決する人がいる。論理的に解決しようとする人もいれば、ガッツで解決する人もいれば、立場を利用して解決する人もいる。

ここで明らかになる行動パターンは、その人が私たちの会社に入社したあとにも実行される可能性が高い行動パターンである。人間はこれまで成功してきた方法をまず試す。これまでの人生をそれで上手くやれたのだから、同じようにやるのは自然であり、そこから抜けることは早々できない。前回同様に、この行動パターンが変わらない前提に立ってどうか、を考えるべきである。

どの行動パターンが良いといったことは無い。各人がそれまで成功を収めているのだから、むしろ全ての行動パターンが正解なんだろう。ただ、ポジションやミッションによって相性はある。私が面接後の評価で考えるのは、この相性のところである。ということで、私の面接に備えて成功パターンを用意してきたところで合格できるわけではありませんので、悪しからず。

ちなみに、この成功体験に捉われて行動パターンが決まることは、「ビジョナリーカンパニー3」で企業について書かれていることの個人版であり、これに捉われて変化適応性がなくなり傲慢になると、人も衰退するということではないだろうか。行動パターンが変わらない前提で考えるべき、というのが本エントリの主張なわけだが、実は変えないとサバイブできないのかもしれない。

ということで、今後は、過去に危機に瀕して行動パターンが変わった、つまり変化適応した事例について、面接で質問をするということをしてみるのも面白いかもしれない。





人材育成や人材活用のための、とっておきの方法

人材育成や人材活用のカギは、その人を受け入れることに尽きると思う。

新入社員でも中途社員でも、20年も30年も生きていると、その人なりの上手く生きるための手口というのが定まっているものだ。生まれ持った性格はもちろんのこと、生存戦略としてそれぞれが身につけた価値観や観念は、簡単には変えられない。

何か問題があったときに、まずは状況把握して分析して思慮深い人がいる一方、とりあえず第一歩を踏み出して周囲を巻き込んで何とかしようとする人がいる。前者に「行動力が足りない」とか、後者に「考えが浅い」とか指摘することがあるが、その指摘は意味がない。その人たちは、これまでそのやり方で生き延びてきているから、他人から軽々しい指摘をされても変えられない。こういう価値観が変わるのは、相当なインパクトのある出来事が起こらないと適わず、例えば東日本大震災といった生死に向き合う出来事や、大きなライフステージの変化である。

だから、性格改造を求めるようなインプットをするのではなく、その性格が変わらない前提に立って改善策を求めるべきだ。例えば、思慮深すぎる人に対しては、「考えるのを止めて、まずは動きなさい」と言う代わりに、「動き出しが遅くならないように、考えるスピードを上げなさい」と言う方が、現実的に有効である。

若い子で先輩からのアドバイスに真面目に応えようとするあまり自己否定的になる人がいるが、そういう人こそ、自分自身は変わらないのでその上でどうしたら問題が解消できるかという考え方をすると良い。高所恐怖症の人が高所での仕事をしなければならなくなったとき、高所恐怖症を治そうと考えるのはナンセンスで、高所恐怖症でもやれる方法を考える方が良いだろう。そういう話である。

この考え方はベテランのマネジメントでも変わらない。

先日、自分のチームに40代のベテラン社員が入ったときのこと。実績も経験も十分ある人だったが、入社してすぐに周囲のメンバーと衝突した。これまでチームにとって正しかったやり方ではなく、独自のやり方で動き始めたことに、周囲が不安になったからだった。当人もチームのやり方に賛成できずにストレスを感じていた。私がマネジャーとして行ったのは、チームに対して「我々の求めているものは結果であってプロセスではない。その人のやり方を尊重するように」と伝え、当人には「あなたにとって成果を出すのに最短のルートがチームのやり方と違うなら、それはそれで良い。あなたのやり方で存分にやれば良い。ただ、チームのやり方を否定して敵を増やさないように」と伝えた。その後、入社した社員の成果が出始めるとチームも理解を示すようになったし、本人も余裕ができて共存するようになった。この話も「変わることを求める代わりに、変わらずにどう上手くやるか」を考えた例である。

これは仕事に限らず、幸せに生きるための秘訣だと思う。サボり癖のある人はその上でどう生きるか考えればいいし、潔癖な人はその上でどう周囲と付き合うか考えればいい。人に関して本質に近づけば近くほど、なんだか宗教的な色味を帯びてくるんだな、というのが最近の気付き。



商売の仕方は進化する、それが和菓子屋でも

あんまきのだるまや

先日ふらっと吉祥寺に立ち寄った際、駅ナカのデパートの催事場にこちらのお店が出店していた。どら焼きのような感じなのだが、どら焼きが二枚の皮で餡を挟むのに対して、こちらは一枚の皮で餡を巻き込んでいるから「あんまき」である。

こういう催事場に出店しているお店は、百貨店のバイヤーが、全国の人気店を呼んできていることが多い。このお店がどこから来たのか聞いてみると、なんと無店舗営業であった。つまり、全国の百貨店やスーパーの催事場に特化した営業スタイルということだった。

この時代なので無店舗営業は珍しくない。インターネット販売専門店もあるし、フードトラックのような屋台型もあるし、固定の場所に店を設けずとも商売をする方法はたくさんある。そもそも古くから行商という形で無店舗での営業スタイルは確立されたものがあった。それでも今回驚いたのは、催事場に特化するという発想が、逆転の発想で面白いと感じたからだ。

まず、主催者側の意思で決まるはずの場に、自分たちの意思で喰いこむ営業力がスゴイ。公式サイトを見ていると、カレンダーの隙間なく全国の催事場を巡っていて忙しそうだ。しかし仮に営業が失敗に終わり出店できない期間があっても、それが問題になりづらいビジネスモデルなのが強みになっている。機会損失はあるけど。

催事場のマージンが抜かれる分は薄利だが、無店舗ゆえに固定費が非常に小さい。薄利多売のビジネスだが、売れなくてもコストはかからずリスクが無いのである。「あんまき」という商材だから固定費を最小化できているのだが、商材の選択も戦略的に行われたのではないかと思えてくる。

考え方としては、流行の分散型メディアと同じ考え方になるだろう。人のいるところに店を開こくとするのは賢いやり方だ。今回のケースがさらに賢いのは、人のいるところに店を開けなくなってもリスクヘッジできる商材の選択、及びビジネスモデルになっていること。これが鮮魚のような生物を使った商売だったら成立しない。

ところで、催事場はホットな場所なのだろう。催事.JPという、売りたい人と場所をつなぐマッチングサービスが存在していた。今後、この「だるまや」のように、無店舗型で催事場特化の商店は増えていくのかもしれない。よく見かける北海道物産展はナマモノが多いので違う。日持ちのする菓子や乾物のようなものを扱うのであれば成立するだろう。




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