大企業病はこうして起こるという実体験

ここしばらく、恐らく年単位で、仕事に物足りなさを感じていた。

自分もいいおっさんである。若い頃のように伸び代がたっぷりあって、どんな仕事を通じてもグングン成長することはない。どんな仕事であっても、そこに見たことのある景色を重ねられる部分があり、これまでの経験を活かして対応することができるから、成長よりも成果にシフトする働き方になってきている。安定感は増したが、新鮮さはないといったところか。人生経験を積み上げているのだから、そんなもんだろうと思っていた。

今でもそれが物足りなさの原因の半分を占めていると考えているが、それだけではないことに気がついてきた。どうも一緒に仕事している連中がヌルくて歯応えがないのだ。

自分を甘やかしている。課題解決がうまくできていないことを、しょうがないと外部環境のせいにして終わらせてしまう。自分が悪かったと強烈な反省をすることがない。そして、周囲もそれを許してしまう。みんなで傷を舐め合うように、「しょうがなかったよね」と言って、当たり障りのない表層的な改善施策を考えて終わらせようとしてしまう。ここまでクッキリ浮かび上がっているわけではないが、大体こんな感じ。

今かなり余力をもって仕事をしている。扱う仕事内容も仕事量も、そこそこではあるが、自分の経験からすると、気合いを入れずとも流しでこなせるような内容だ。冒頭のとおり、そんなもんだろう、という側面もあるが、もうひとつは流しでやっていても誰にも何も言われないことが背景にあるのではないか。

余力があるなら自分から仕事を取りに行けばいいのだが、それをしなくても咎められることもないし、むしろ逆で今の状態でも十分に評価されてしまっている。結局は周囲の人間の目線が低く、自分に対して痺れるインプットができておらず、自分もそれに甘んじているということだ。カッコ悪い。

組織がダメになるときの末期症状が現れているのではないだろうか。組織内部で「俺たちは悪くないよね」と傷を舐め合って、自己否定の強烈な反省が行われない。甘えていたいから、他の人も甘やかす。それでも業績影響がないくらい経営環境は安定しているから、フリーライドしている人間がいても許容されてしまう。ただ、こういう人たちが積み上がって、いつか大企業病が蔓延して組織は壊死してしまうのだ。ゾクッとする。

翻って自分自身である。自分が思っていたよりも、周囲に刺激を受けて張り切ってこれた部分があったということだろう。周囲がヌルくなったことで自分もヌルくなるというのは恥ずかしいことだ。そして、自分は周囲のメンバーに対して刺激的でいられているか、傷を舐め合っていないだろうか。これまで自分から見て圧倒的に優秀で自分に刺激を与えてモチベーションになってきた人たちのように、自分はメンバーに対して振舞えているのだろうか。

成果にこだわり結果に厳しく、必死にならないといけない。



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