底抜けたようですね

いつも喧嘩の内容は同じで、落とし所のないお互いの思想についての話。違いを顕著にするだけの話し合い言い合い喧嘩はもう意味がないからしなくていいと思う。今までで一番大きな喧嘩をして、お互いが違うということはわかっていたけど、その譲れなさに疲れてしまった。思想や考えを守ることが恋人と一緒にいることより大事、そんなニュアンスの発言に私が沸点を超えた。私がかまをかけたところもあるけど。そういう言い合いを深夜のチェーンの居酒屋でして、最終的に無意味になって千円置いて一人で店を出てった。電車もない時間だけどベンチで始発待つかとかキレながら駅の女子トイレに入ろうとしたら追いかけてきた恋人がいて、肩をばっと掴んで「ちゃんとまた話し合おうよ」って言ってて、追いつくタイミングとか色々ドラマみたいだなって思って面白かった。いつも危機の時には、「これから先何十年も一緒にいることを考えたら、こんなことで喧嘩してられないでしょ」って向こうは言う。お互い、話をするというより自分の思っていることをポロポロこぼした。綺麗な関係を壊したくないなんて思ったことはなくて、綺麗ではないし人に見せられるものでもないけど一生懸命手作りの砂の山だかなんだかを、協力して作ってる気持ち。一緒にいてくれ、心配したんだよ、一緒にいて、私の中でももう恋人の存在がでかいけど、向こうにもそうなんだって思う、感じる。愛されていることが惚気とかではなくて、愛されていると生きてるうちに実感できること、愛していると思えること、その感情に久々に身体がいっぱいになった。最近の虚無としての膿、ブチギレたことで出せた気がするし、一連のことを考えていたらなかなか幸せなのか、私は、と思った。言葉で傷つくし傷つけられるけど、言葉で分かり合えるし赦せることを、とてもありがたく思う。

原因がないのに職場で泣いてしまってストレス溜まってるのかなと思った。元来ストレス耐性はあまりない。落ち込んでるわけでもないんだけれど心が疲れた。締め切りに追い立てられることがかなり苦手。やらなければいけないことがずっとあるだけでよくわからなくなる。職場だと、本音と建前がストレス。みんなほんとに思っていることだけ言えばいいのに。裏でぐちぐち言わないでほしい。聞きたくない。左側が痺れるの、なんでだろう。病気だったら嫌だ。恋人と一緒に眠りたい。一番幸せなこと。一緒に眠ることを考えて脳を溶解させる。

モヤモヤしていて雲が晴れない。酵母菌は厳しい状況下に置くととても強くなって良い働きをするらしいんだけれど、私も厳しい状況下の方が強くなって良い働きをする。心が燃えてた頃に戻りたいってとても贅沢な問題だけど、情熱やなんやらが今は無くなってしまっていて、もっと鮮烈に光になりたい。光が差し込むような出来事を掴みにいくしかない。パラサイトを見た日はとても興奮していた。みんながみんな良いと口を揃えていうものに対しての反感が強い。そんなにいいか!?と怒ってしまいそうになったけど寝て起きた翌日、確かに面白かったと思った。ストーリー性とかの良さがあまり私はわからないらしい。良い文章を書く友達は本当に良い文章を書く。心を動かすのをやめないことだな。化石になってきている。

「1つの時代を象徴するような出来事が起きることがある。そうした出来事は、自ら、あるいはその他の力によって爆発し、最終的に法執行機関が関与することになる。一部の出来事は情報として大規模に広められてゆき、それによって新しい様相を帯びる。すなわち、情報の発信者や受け手によって拡大されたり誤って伝えられたり、消化されたり、消化されなかったりする。栄光に満ちた人生だろうと恥ずべき人生だろうと、最終的には同じように紙面に載せられたのち、瞬く間に忘却のかなたに消え去ってゆく。存在とは、我々一人ひとりが墓場までもってゆく束の間の錯覚にすぎない。我々が伝記を読むとき、あらゆる事柄とそれに反することが述べられる。このことは、どんな出来事やニュースが明らかにされる場合でも同じだ。そしてこの20年間に普及した新しいコミュニケーション・チャンネルによって、客観性というものが以前にもまして幻影的になった。人間は、動物同様、誕生して生きて死ぬ。その痕跡は、草原の真ん中に咲いている一番小さなデイジーが残す痕跡と変わらない。喜びや痛み、功績や失態はバーチャルな観念であり、彼らの記憶のみに存在する現在だ。1996年に見出しを飾った百万ものニュースは、今ではもう忘れられているし、明日になればさらに忘れ去られる、1996年に生まれた、あるいは1996年に生きていた人々の中には、今も生きている人もいる。しかし、心臓の鼓動が止まってしまった人々の大多数に関しては、残っているものは何もなく、墓場に刻まれた名前あるいは、地下室の奥のどこかに埋れている古い新聞に書かれた名前になる。そうした大きな虚無を忘れさせてくれるのが、今現在味わう強烈な喜びだ。建設的なものであれ、破壊的なものであれ、喜びやエクスタシーは、虚無に対する解毒剤としての役割を果たす。愛、芸術、ダンス、戦争、スポーツは、地球上での短い滞在時間を正当化してくれるようにも思える。」


「虚しくなることあるよね、でもそういうときこそ闘いですよ」って私がなにも言わないのに言う。ありがとう。

大晦日だ。後半は休みなく9連勤とかしたけど、体調悪くなりそうなところも持ち直して無事やり遂げてよかった。今年はここ10年くらい欲しいと思っていたもの、状況、すべて手に入った。毎年年末には、最悪な年だったけど最高も同じくらいあった、とか思っていたけれど、今年は何も最悪なことなんてなかった。来年は勉強をたくさんしたい。興味があることについて。恋人が最初から最後まで最高だった。全てが赦されて、全てが受け止められて、わたしは私でいられた。ありがとう。終わるものもあるけど、どうせ死ぬ私たちに死ぬ以外の終わりはない。いたいようにいれる場所に来れてよかった。父親がボーナス100万もらったらしく、貧乏なんだからで育った私は本当に嬉しすぎて晩酌しながら号泣した。なんだって良い方向に行った。信じられないくらい。

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