2014年10月

歌う小山田壮平見てると無意識に涙が出る。感情の前に涙が出てくるからびっくりする。どんな感情なのかさえわからないけど。悲しくないし、嬉しくないし。ただ心の一番大事なところが擦られる感覚。アンディモリがいたからやり過ごせた瞬間は確かにあるし、小山田壮平がいたことで広がった世界があって、生まれた興味がある。なんであんな風に歌うの。彼は私にとって最高の人間で、知り合ってしまったら絶対にイメージが崩れてしまうって思ってる。それほど彼の存在に夢を見ている。それにしても、7月にライブを見て以降は、武道館ライブにも執着が無く、思い出さない日も多く、既にかつてのものにしてしまっていたのに。今回のライブDVDは今までで一番最高だね。イカれてるけど、穏やかな雰囲気を纏っていて、すごく不思議。頭ボサボサにしながら、なにも背負わずあんなにも清々しく歌って。もともと飾らないプレーンさが魅力なんだと思うんだけど、今までは瞳の奥に言いようのない暗さが見えて、そこがアンディモリの危うさと言われるところだったと思う。でも暗さや危うさなんていらないね。表情に自由があって、全身が表現になってる。1年で頭の中はどう変わったんだろう。今なにを考えて歌っているの。なんでそんなに熱さを持てるの。空が青いってことだけでいくつの歌が作れるの。3人のコーラス、この3人しかできないし、この3人だからこそアンディモリなんだって思う。混じりけの一切ない。その少年性が、私は永遠に女でしかいられないという現実を突きつけるんだよ。イントロで大正解!と思ってしまう曲の多さよ。完全に正解なんだよ。このバンドが好き。

幸せは不幸せがなければ感じない、なんて当たり前のことを人から言われて初めて気づくことなど。iTunesをアップデートしたら、アイコンが赤色になっていて、嫌だなと思った。自分の生活を自分でコントロールしようとしていたけど、もっと流れに身を任せていったらいいと思う。上手に生きたいけど、気持ちが落ちてしまうのは仕方がないことであるし。何度も浮いたり沈んだりしてくんだろうな、いつまでもな。




あと二ヶ月くらい。年末の意味は大きい。始まることより終わることが好き。別に死んでもいい、それはただ諦めの意味しかない。必死さは死ぬことから遠い。死ぬ覚悟で全力を尽くすこと、だって。覚悟もないし全力もないし尽くしていない。私にあるのは諦めなんだ。たくさん諦めてきた。この生き方について添削して欲しい。少しくらい得したいという思い必要なのでは。欲はたくさんあるけど簡単に満たせてしまうくらいのものなので、貪欲さが足りない?




加瀬亮は声もいい。声と立ち姿と目がいい。声と立ち姿と目がいい人は無条件で好きになる。声と立ち姿と目がよくない人は、どんなに尊敬できる人でもいまいち。小山田壮平も、声と立ち姿と目がいい。最近不治さんの見た目について想像している。想像できない。商業的になった瞬間、工程などが見えて、参加する人数も増えて、幻想的でなくなる。そのような想像をさせないものが正解だって思ってしまう。




もっと違う次元にいってしまいたい。

保ってたものがプツンと切れてしまう、一度だけそんなことが起きた。またそうなってしまうんじゃないかと思う。自分の気持ちを考えるとなにもないのに涙が出てくる。少しでも深みを掘れば悲しい気持ちがぽんぽん出てくる。元気が出ないからmay.eしか聴けない。脳が圧縮されてるような、喉の辺りに不快なものが広がるような、もうなにもしたくなくなる状態。昔と違って、そういうのを冷静に見つめるというか判断する自分がいる。昔と違って、人の前ではそういう部分を隠すことも出来る。いつかの拍子にいきなり外の世界をシャットアウトしたくなって、バイトも行けなくなってしまうのでは。そんな不安はここ3年くらい無かった。私は人と関わるのが好きじゃない。これは治らないらしい。少しの表情の曇りも気になる。バイト中の、お客さんの機嫌にでさえ一喜一憂してしまう。自分自身は他人に不快を与えないように気をつけてるけどそれにばかり労力を使ってしまっている。たくさんの人たちの中にいるのが好きな人もいるんだろうけど、私はそうじゃない。最近は知り合いが増えてしまっている。中学生のときから、遊びに誘われても半分は行きたくないものだった。理由をつけて断ったのもあるし、いつも断りすぎてるから断れなくて誘いに乗ったのもある。人の中にいると無意識に気を遣ってしまうから本当に疲れてしまう。人疲れみたいなの、最近は感じてなかったんだけど、これは弱ってきてしまっているということなのか。疲れると好きなことをして癒やさなくてはいけないから、もちろん勉強なんてできない。なにかに夢中になっているときは、悲しい気持ちがどこかにいってる。覚めてしまったら、こういうふうに悲しくなってしまうのか。そろそろ頑張るときだよ、って言われる。いつまでも頑張れない自分が嫌だし、頑張れないのは別に私のせいじゃないよ、とも思う。目標に向かって生きることを強要されるのが嫌だし、そもそも目標の形を思い浮かべることができないよ。生きていくのが嫌だ。もう楽しいことも気の紛れにはならない。宗教をするしかないのか。人が好きじゃない。ツイッターも見れない。お金使いたくない。全身ユニクロの服を着る。ツタヤで借りたCDを聴く。自分の中でそろそろやばいんじゃないか、と思ってると、察してお母さんが声をかけてくれる。親だからわかるのか。自分から相談することはほぼ無いのに。色々考えすぎる性格のせいで追い詰められるけど、色々考えすぎる性格のおかげでその対処法もわかるんだって思う。それにしてもまた同じことを繰り返してしまうのか。自分のメンタルの弱さに甘えて生きていったほうがいいのか。だったらもっと大袈裟な症状が出て欲しいと思う。 私は保護者的な立場の人に支えてもらわないと駄目なのか。何人かに心配されたことはあるけど、「別に大丈夫だろ」って思ってた。大丈夫じゃないみたいだ。自然が豊かで穏やかな時間の流れの場所で、1日3人くらいの人間とだけ関わり、何にも追われず生きていけたらな。

やあ今日は、はたまた昨日は一日中布団の上にいた。具合は悪くなかったけど。悪い習慣ですね。



不治さんの椰子通信を買った。大切なものをこんなにもちゃんと見ている人がいるんだなと、嬉しくなる。「もっと人を安心させることをしないと駄目になる、と思ったからだった」「こうしてまた、不真面目さを肯定する言葉に助けられてしまった」「恋人ができたら初めて虫を踏みつけたときのことを聞きたいと思った」 好きなものだけじゃなくて、嫌いなものについて、教えてくれるのは良い。嫌いなことについて話そう。文庫本が入ってた封筒には、あの独特な字体の手書きの宛先が記されてて、それだけでニヤニヤしてしまう。



未来のことを考えた。なにもイメージが沸かないままだったら、停滞してしまうんだねやっぱり。今までの人生で目標を立てられたことがない。だからなにもやり遂げられないままなんだよなあって思う。私はなにかやり遂げたいのかなあ。頑張れなんて本当は言いたくないよ。私も頑張りたくないからね。頑張ることを良しとする、努力の先の光景こそが素晴らしいとする、勝手に思う分は構わないが押し付けないでくれよな。そんな私でも、ここまで堕落した生活を送るのは、今までとこれからの自分に対して申し訳ないと思う。まず保険に加入することと、お金を貯めて免許を取ること。大学の勉強はなんだかできなそうだなあって弱腰になってる。ガリガリ勉強はしたくないなあ。知的にはなりたいけど、勉強したくないなあ。だったら良いお嫁さんになる練習した方がいい気がしてる。穏やかにいられるならそれでいい。急激に血糖値が上がらないように気をつけた方がいい。無駄な出費は抑えた方がいい。 賢く生きるべき。音楽はずっと好きでいる。映画は、アンナ・カレーニナと地獄でなぜ悪いを見る。読むのはきよしこと、この間買ったラッセルの本。貯蓄をしたい気持ち。お金は無限ではないよ。



良い映画ってたくさんあるし、この間もジャージーボーイズを見て、心から感動して、良い気持ちになれた。でもその映画についてなにか言いたいかって言ったらそうでもなくて、感動した、の一言で尽きる。それは音楽でも同じで、この間の森は生きているとオウガの対バンや、今年春のミツメのリキッドルームワンマンなど、いまだに感想のまとめられないライブもある。まとめられないというか、言葉が出て来ないというか。多くの感想が生まれることと 、心に響くこと、必ずしも同一ではない。なんでだろう。私のコンディションの問題なのか。考えたけど、なにか発見できたとき、新しいものが見えたときにしか感想は生まれないみたいだ。好きなバンド何度も見に行くけど、見に行く度に進化しているし、いつも新しい発見がある。だから何度でも見に行きたくなる。ただ単純に曲が好きなだけだったらライブに行ってないかもしれない。




サッドティー。恋愛を題材にした物語なんだけど、結婚、性、愛などの重いワードはひとつも出てこない、平成の今現在にその辺にいる若者の恋愛模様といった感じ。登場人物の中で恋が実る人間は1人もいないし、ロマンチックさも皆無で、現実的。 単純に、「好き」ってどういうことなのかって疑問の上にお話がある。 




主人公の男性、両方の彼女に事実を知られながら二股をしている。その時点でどうしようもないんだけど、そのうえ鈍感でデリカシーが無くて、人の、というよりか女性の気持ち、そして自分の気持ちにまで全く気づかない。天然なのか考えなしなのか。それでいて最終的にはどちらの彼女も好きじゃなかったという結末。やれやれにも程がある。そのほかにも数人の男性が出てくるんだけど、一途すぎる人、心から好きじゃないなら付き合ってはいけないという信念がある人、束縛の激しい人、など様々で、恋愛観って本当にひとつにくくることができないな、って思う。女の人もそう。男女の違い、というより完全に一人ひとり違ってくる。 「空気読もうぜ、恋する人たち。」っていうレビューがあったけど、みんな自分本位で相手の気持ちなど気にもとめなくて、そこが面白い。実際の恋愛ってこういう感じなんだろう。恋愛を美しくまとめたがるのはおかしいし、その理想が現実を困らせたりすると思う。





いくつか部屋が出てくるんだけどどれもインテリアがかわいくて、カーテン替えたくなったし、ソファが欲しくなった。カーペットも替えたくて、丸いテーブルが欲しい。登場する女性はみんなお洒落で、男性は微妙にダサくて、そんなところも味があるって思う。この映画に出てくる女性たちみたいな、かわいらしい、ふわふわの服が着れたらな。華奢じゃなきゃ似合わない。





あと会話の間隔。これがあまりにも自然だった。今まで私が観てきた演技はどんだけわざとらしかったんだよ、と思ってしまうほど。ひとつも大袈裟では無かった。




そしてトリプルファイヤーが合ってたよおお。この映画にしかトリプルファイヤーは合わないといっても過言ではない。情や温かみが1ミリも感じられないところなど。 トリプルファイヤーまた見たい。






なぜか、生活をちゃんとしようと思った。捨てられるものは捨てようと思った。 清々しい気持ち。

私の意欲ってなにに奪われたのかな。電子機器と砂糖かな。義務感ばかりで充実感を感じること少ないなと思う。



全然違う時代の全然知らない国で安全には一生暮らせない。




毎日クタクタになってる。





思考を言語化しなくては、という半ば強迫的な思い。




文字も産業もない感覚と意思疎通だけのそれだけのときの人間。




初対面で苦手だな、と感じる人間、のちに中身を知ったときに他人の粗探しをして陰で批判したりする人間だったりすることが多い。初対面でさえわかってしまうのか。その心の淀みが。私もそういうことをするけど、個人を攻撃したりはしないよ。そういう人間は他人の失敗にばかり目につかせ、その人の芯の部分なぞには目もくれないんだろう。





表現者に永遠に憧れる。あわよくばなりたい。私に術はあるのかと考えても見つからない。見つかったらそれに必死にしがみつきそうであるし、生きて行く上での気ままさが失われそう。なにかを産める人、私が好きな人たちはみんなそれ。才能ばかりに惚れる。




南へ南へ南へ南へ行きたい。陰湿さにうんざりしているなら、出て行かなきゃいけない。常に頑張り続けなきゃいけない雰囲気に殺されてしまう。



不治さんの紙のラジオ、読者からのお便りへの返信で「〇〇さんの生きている環境がどんなものかまったく分からないけれど大体の人間は地獄をみるし心が安定していないから、一緒にもっとへらへらしましょう。」ってあり涙してしまった。感激屋なのかすぐに泣いてしまうよ。それだけ心がよく反応するんだ、と良い風に捉える。




私の行動は私の価値観に由来してる?三大欲求のことしか頭にないよ。そういうときってぼんやりしていて半分眠っている。それら以外の楽しみなこと作るとわりとよくなる。




行けないけれど明日はアンディモリの武道館だね。



これからもたくさんの良いものに出会えるんだ、って思ったら前向きな気持ちになれた。ジャージーボーイズ。フォーシーズンズはすごいバンドなんだな。人生の最高体験だよ。鳥肌たって涙は流れて、体全体が嬉しがった。1日経ってもずっと考えてる。何度もどん底に突き落とされるし、悲しい別ればかりであるのに、音楽は絶対に幸福にさせてくれるね。

人の心のことだったらなんだって許せる。なんだっては言い過ぎか。キチガイって言われる人だってそのような頭の働きしかできないようになっているというそれだけ。主観的になると自分だけが感情な気がするし、気持ちでいっぱいになるのが心地よい。癖になる。でも上手くやり過ごすには客観視する必要がある。自分の視点で見るだけではいつまでも同じところを行ったり来たりするだけだよ。





悲しいことが起こることが、私を悲しくさせるわけではないんだな。嘘だよ、悲しくなるよ。熱がずっと浮かせてるんじゃん。現実逃避をしすぎていて、どこが現実なのかわからなくなってる。ずっと前からね。どのようにして辛さから逃れるか、が私の人生の目標になっていて、そんな消極的でいいのかよ、と遠くから眺める立場の私は思う。




気持ち悪い虫に刺される夢を見たけど嫌だった。大勢が手を繋ぎ合って大きな円を作ってた。私もその円の中にいた。マイクがあった気がする。マイクを左手で持った。そういう感じ。 




「人は完全に意欲をくじかれたと感じるあまり、一切の満足を求めようとしないで、気晴らしと忘却のままを求めることがある。活動的に生きることをやめることで、生活をなんとか耐えられるものにしようとするわけだ。」 そこからまたどのようにして意欲を生んだらいいんですかね。ただ甘えてるだけなのかどうなのかわからない。私に有り余っていた意欲はいつからか地の底レベルになっていてさ。根深いなあ。私はいつまでなの。




格好いい音楽やってる人たちを見てると、一方的に許された気持ちになれる。音楽を演奏している人たちをいくら凝視しても、普段の生活でうんざりしている事柄が浮き出てきたりしない。その人たちはやはり私の日常とはまったく違うラインで生活していて、そう、生活しているはずなんだけど、生活の色が一切に見えないから私は安心して寄りかかれる。





お腹いっぱいだとやっぱり何も考えられなくなる。 金属の上に塗られていたペンキ、剥げてパリパリになって地面に落ちて足でぐにぐにしたら粉みたいになる?


正義感がクソほど強い人笑ってしまうわ。なんであんなにいるんだろう。ずるい人間を許せない心が彼女たちを攻撃的にさせる。私は事なかれ主義だ。というより干渉したくないよ他人にそこまで。誰かを傷つける行為は本当に許せないから加害者を敵と見て攻撃的になってしまうと思う。でも誰も傷つくことのない些細なズルは見過ごしてしまうよ。





社会で集団行動を強要されないような佇まい、そのような生き方。






母親と祖母を殺した女子高生、しつけが厳しくて逃れたかった、って、これは許してしまうなと思った。人を殺すことが許される訳はないのだろうけど、親が一方的に子供を苦しめるのはこの世で一番許し難くてダメだ。






いつなにが起こるかわからないのに安定した生活を欲しがるの馬鹿みたいだな。安定した幸せが欲しい。グラグラしてるのは辛い。波は打ち合うけど海は平面で、海がパッカリわかれたりはしない。だから、社会も世界もそんな感じで、何処かで何かが起こると知らない何処かに響いて波ができてその波が波をつくってでも海はひとつで、みたいなこと。うねる。日付が変わることで変わるこの世の仕組みや誰かの心や季節や自然が私の運勢に影響を与えてる。私はそれで悲しんだり嬉しんだりする。





森は生きているとオウガの対バン、良い時間だった。森も良かったけど、オウガはやはり最強だった。あのバンド以上は存在するのかな。今月前半、あとはサッドティーとジャージーボーイズを観にいくだけや。

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