2015年02月

近くにいなくてもいいけどずっと生きていて欲しい人はいる。




心をすり減らしながら働いている人を見ていると最悪な気持ちになる。他人に雑に接するしかできない人を見ているとそれも最悪な気持ちになる。携帯ショップとか本当に大体が本当に最悪だと思う。あたたかみのあるところにいたいよ。ずっとそう。攻撃された訳ではないのに、彼たち彼女たちの態度ひとつで、くそ野郎だ…としか呟くことしかできないような次元に陥る。 人間、態度が一番大事なのでは。最悪なところに身を起きたくないよ…。
 



私は内側からしか自分を見たことがないのに、生きてきたこれまで、私以外には、私のことを外側から見続けた人間しかいないの怖いし気持ち悪い。耐えられない。外見、他人から持たれるイメージ、などが私には耐えられない。 平静なときはなにも思わないのにスイッチが入ってしまうと、他人が完全に無理になる。私自身という、私しか知らない、私という存在、それ自体が気持ち悪い。神様になってこの世の中すべてと照らし合わせたときの絶対的な他者になりたい。私自身を放棄したい。私が私でいる限り、なにを考えても私の考えになるし、私の頭の中で起こることは全部私の頭の中で起こることでしかなくてそれ以上でもそれ以下でもない。個人の呪縛から抜け出せない。私が自分の考えで体を動かすからそれが行動となって性格となって表れて他人に分析されて自分自身からは完全に離れたところに私というイメージが出来上がって、私のことなのに、私はそれがどういうものなのかはっきりと認識することができず、他人が私に対してどのような態度を取るのか、そこからしか汲み取れない。




機嫌の良し悪しなどがあるんだし、自分もそうだし、嫌悪や好意だけが人の行動を決めている訳ではないってわかっている。わかっているけれど、わかっていない自分がいる。影響を受けやすいのは本当にそろそろやめたほうがいいと思う。感じにくい人であれば楽だ。ぶすっとしていようがいまいが、そんなことは関係ない、と人を簡単に睨みつけたり簡単に敵に仕立てあげたりできる人ならば。思い上がりではない。思い上がっているけど。誰のことも見下げていない。馬鹿にしてるけど。全体的に終わってる。最近調子良かったのにな。




そういうときにはpredawnだけになる。処方箋だ。優しくされるかされないか、ではなくて、抜け出せるか否か、だ。もう、そういう段階らしい。頭がきゅうっとなるよ。

色々思うところはあって、下書き重ねるけど更新までは至らない感じ。




手に入らないから諦める、そんなことばかりなんだと思った。私には似合わないから、って避けて通ってきたものの多さ。自分に相応しいもの、肩肘張らずに受け入れられるものばかりを選んできたけど…。本当のところはどうなりたくて、なにが欲しいんだ。悟ったような気になってしまっていた。そんなの嘘だ。まだ生きてる年数が足りないし、経験が浅い。攻略本は薄い。すごく久しぶりに、漠然とした不安、なにもないところに吊り下げられている感覚。諦めることだけは上手になって、そうしたら生きやすくなったような気がしてたんだけど。生きやすさ、を求めることが正解ではないのだろう、まだ私にはわからないよ。なにも無理をしていないし、気楽な身分だからなのかもしれないけど。




はっきりと分析されると、足元が揺らぐんだけど、それは刺激だし影響。このままで満足してそういう風に老いていくところだった。たまには指摘されないと、脳が腐るんだきっと。





いつだってなんだって私の主張は私に都合の良いものなんだろうよね。ああ。でも私のせいじゃなくて、そういう脳の作りをしていますから、人間だから…。これも自分にとって都合が良くてね、ずっとそんな感じなのかな。




憂鬱質の人間は抱きしめたいと同時にここから一緒に抜けだそうよ、と言えたら、いいのに。他人に悪影響を与えるのは簡単なのに、良い影響を与えるのはなぜにこんなにも難しいのか。 悲しみへ堕ちていくスピードは早いのに、喜びを掴みとるにはどれだけの忍耐が必要なんだ。

気持ちの居所を調整すると良い。冷静になれる。あと5ヶ月。時の流れを意識していないと、いつの間にか置いて行かれて、幼稚な中年になってしまう。優雅に品よく歳を取りたい。理想の年寄りになれるのか私は。どんなに嫌なことが起きてもマイナスにはならないと思う。どこまでもゼロ。




ナンセンスなセンス光る人が好きだ。ヘロヘロな人も好きだ。意味のさしてなさそうなことに情熱をかける人が好きなんだ。私の情熱はどこ。情熱ずっと探してる。経験が足りない。辺りを見回してみたら、「行動」をしている人が多くて驚いた。楽しいことが好きだから、今の状況を変えたいから、「動く」という人たち、想像以上にたくさんいる。表現をしている人もたくさんいる。みんな自分の足で歩いているから格好いいな。




私は世界の捉え方をどうするか。それだけ。




二年前の自分がキラキラしていた。見た目は芋の極みだけど。なんというかその浮遊感、もう今の私にはないな。自由で、自分なりの信じるものを頑張って探そうとしていた。ちゃんと見つかったかな?どう?みんな自分の経験を偉そうに押し付けてきたりするんだけど。それに惑わされない頑固さも必要。狭い世界の常識を当然だと言い張る人はたくさんいるよ。




最近は体の仕組みとか、原因と結果などを信仰していたんだけど、気分が移ろいできた。他人の熱に浮かされてうつろな目をしてるんじゃなくて、自分自身が熱になりたい。

体調が良くない。ぼうっとしてる。快活でいたいけど流れに飲み込まれてしまう時は仕方がない。どうせなら熱を出したい。醒めたときに生まれ変わったような心持ちになるから。 しかし熱なんて一年に一度出るか出ないかである。弱りたくない。弱ったなあってなりたくない。居心地の悪い空間にいることが一番の毒。瞳と声色と立ち姿と歩き方が人間の全てだと思っているけど、街を見渡してもそれらすべてが良い人は滅多にいない。立ち姿と歩き方さえも、良い人は少ない。良い人は存在の仕方に煌めきがある。



やっぱり精神的に高みにいる人、尊敬している。様々な人間のこと、中身を推測して好き嫌いで判断して勝手に値踏みをしている。まあもうわかっているけど性格が良くない。私は。 参ってしまったとき、ツイッターで「ヒカキン キモい」「カップル垢」って検索したりしてる。芸能人のゴシップを漁る。どうしようもない。そういうもので心を慰めるしかないひどく危険な状態。
 



体の中から変わってきているようで、気持ちが追いつかない。 初めて承認欲求というものに気づいた…。これは本当に恐ろしいな...。でも躊躇しないようにする。と、思う。たぶん。みんなこんなもの抱えているから行動できるのか。 どうしよう。なんか勝手に押しつぶされそう。「ただ吐き出したいから」じゃなくて、「他人に自分という人間のことを示し表したいから」、行動するなんて今まで絶対したことなかった。どうしよう。2012年のガリレオガリレイのアルバム聴いて苦しい。「伸びきったテープみたいに 幸せはいつでも半音下がりで このままじゃ あ いけないよって 起き抜けの君が歌うように言うんだ」って。やめて。

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