2015年03月

遊びすぎてて日々を振り返る間もなかった。ただ生活をして人達の中にいた。こんなにブログを書かないのなんてかつてない。この頃はなに考えてたんだろう、など振り返るための記録なのに、色々考えが巡っていったのに、もったいないことだ。先週は6日間おでかけしてた。一生分遊んだ気なのでもう家でおとなしくしていたい。お金はもちろんなくなった。まあ、なんとか…やっていこう…。



家族旅行で気づいたけど、私の家族は報告・連絡・相談がないために意思疎通がなっていなく、それによるトラブル(小さいものだけど)がありがちで、今回も何度もあった。このグダグダさが私の深い部分にまで染み込んでいるのであろう。




完全に諦めたものがひょいと手に入ってしまったりしている。欲さえ感じないほどにたくさん諦めてきたのに。手に入っても満たされるとかではない、だってもともと不足を感じてなかったんだものね。 今まで穴が開くほど自分を見つめてきた。自分の内部の変化に最も敏感だった。今では見つめる時間もないほど忙しいこともあったりして、そんな今は人と接したときに自分を見つめることになる。私は変わってきてる。変わらなくならない。やりたい、じゃなくてやりたくない、で昔は行動していた。そりゃゆきどまりにもなる。




音楽に照らし合わせることで感情の流動がわかる。昔は受け入れられなかったのに今はトキメキドど真ん中になっていたり。 




3月は春だった。躁だった。密度が濃かった。口が乾くほど喋ってた。自分の中に潜り込むことがなかった。こうやって感受は死んでいくのか。仕方ないから社会的な人間としてやっていくのかな。

満たされるとむしろ体の中が空っぽになったようになる。不治さんが「今年に入ってからなんか変じゃないか?」って言っていたけど確かにそうだ。変だ。




昔、集団というものがとてもストレスで、みんなに気を遣わなくてはいけないという強迫に首を締められているようだった。昔の方が苦手な人が多かった。だってみんな子供だったんだきっと。今は大人に囲まれているから、安心できるんだと思う。バイト先の人たちに対しては、あまり気を遣わず、偽らず無理せず接することができてるんだな、って感じた。これから出会う人たちに対してはそういられるのかな。私は大人になったし周りも大人だし。経験値をあげるということは本当に大事だなと思う。未知の領域に足を踏み入れる勇気を出すか出すまいか、で道のりが変わる。



私自分の大きさを間違えている可能性はある。私は地味でダサいし、地味でダサいっていう思い込みをしてここまで来た。お洒落でセンス良くなんてなりたくても絶対になれないという葛藤を、完全に諦めきることでどうにかできていたようだったけど。本当になりたいものになりたいよ。まずこの慣れきってしまった自己卑下をどうにかすべきだ。私だって華やかになりたい。自分を死ぬまで研究したい。





集団からドロップアウトしたことで得たもの、失ったもの、に関して考えるけれど。学校に通うことが社会の始まりで、そこからどんどん集団生活というものに順応していくんだろうし、学校を経験した人間たちばかりの世の中だから、秩序の保たれた社会が成り立っているんだろう。学校が存在するから、それに馴染めない人たちが学校を離れたときに新たな価値観を創りだしていくのだろうし。どう考えても人間は社会ありきなんだ、というのを最近は強く感じる。いつか社会のことも許してしまうんだろうな、と思う。歳を取るということは許せるものが増えるということだし。




この世で一番嫌いなものは価値観の押し付け。一年前におじいちゃんがそれを堂々としているのを見てから、おじいちゃんの話を聞くとすごく嫌な気持ちになってしまう。「おじいちゃんもおばあちゃんもなるべく心配かけないようにするから。でもゆかりちゃんはいくらだって心配かけていいんだよ」って言ってくれて、そんだけ優しいおじいちゃんなんだけど。クソって思ってしまう。



お父さんの話に頷いたし、嬉しくなった。私は今両親のことを共に尊敬できている。それがとても喜ばしいことに思う。過去の反省を繰り返したり、我慢が前よりできるようになったって言っていた。激昂する自分は消した、って言っていた。人間が変わったようだ。本当に嬉しかった。こんなに分かり合えるようになるとは思わなかった。仕事に対する向き合い方などの話もしてくれる。私も自分の狭い世界の小さな経験を糧に得た価値観で応酬する。3人で話しているけど、誰も話し合いの相手の考えを批判しない。ユートピアだ。人間的、社会的に常識知らずな人間への苛立ちは共通観念。目指すところが似ていて、どういう行動を取っていくかというのを性格や信念に基いて生きていくのだけれど、その話ができるのが本当幸せなんだ。



みんな成長して大人になったと言うことか。18の私から20の私までの間には本当に大きな葛藤、変化があったから、まったく違う人間になれたようで、これがもしや完成形なのかとまで思ってしまうのだけれど。しかしまた挫折や絶望は現れるのかな。立ち向かうマニュアルはゲットできているんです。次に現れるのは近親者の死なんだろうとは思っている。もしくは自身の体の一部分、もしくはそれくらい大事にしているものの欠損か。



自我の危機だった。私などが言いたいこと苦しいことをブログに書いたように、46年前に二十歳だった子もそうしていた。 生きることは闘争だ、というイデオロギー、怖い。みんな生きている意味が知りたくて、なにかに求める。革命、脳みそ筋肉野郎ならば良いだろうが、感受の細やかな女の子まで、その必要性を感じていなければならないような社会の空気。




姿勢よく真面目に取り組んで、他人に対してはヘラヘラしているのが理想。人間関係、適度に楽しくあしらえるようになったら成功。まじでOrange Juiceはやる気あんのかよ…って爆笑しそうになるから最高。

いろんなことが立てこんできて、いろんなことが立てこんできた…と思ってる。そして便秘。便秘になると自分の値打ちが五割引きになる。今更になって家族で泊まりがけの旅行をしようだなんて言い出した。私が暇だったときには誰もかまってくれなかったのに、今更だよ。弟は春に家を出て行く。二年前にもし私が受験していて、大学に行くとなっていたら、諸々のお金は出せたのだろうか。 多分無理だったはず。なんなんだ。なんて言っても仕方がない。全てこのタイミングだったんだ。はあ。




今日は浮き沈みが激しかった。「自分の行動を実況中継すると、鬱になりにくい」って健康系口コミが好きな母親が言っていた。確かに、自分が今どんな状態なのか認識しようと試みるようになってからは、色々改善された。図々しい人間は最悪で、どんなときも軽蔑しているのに、私もそうなってしまった。発端は疲れていたからで、安らぎが一切ない地獄みたいな場所だったからで。しかしあれは良くなかった。私の中のクソババアの片鱗が覗いた。不細工な小太り青年の冷ややかな視線を受けた。私はもう駄目だ、終わりだ、って思った。悲しくて、甘い小麦粉を大量に摂取した。身体中の血管が締め付けられる感覚で、糖尿病を想像した。逆ギレの気持ちもあり、そのあとちゃんと電車に乗って、図書館に行って、教材を読んだり本を借りたりした。安らぎがあった。YMOにハマっていて、イントロですでに、ニヤける。色々思い出してテンション上がったり、考えこんでテンション下がったりしてた。もう今日は最悪だった。なんで穏やかにいられないんだろう、みんな全員穏やか(に見える)のに。ここでいう穏やか、というのは、悲しいなら悲しいまま、嬉しいなら嬉しいまま、ということ。ギャング・ギャング・ダンスのメンバーのソロアルバムは一言で表すと、ストレスって感じなんだけれど、気分にベストマッチだった。ストレス、イライラ時にフィットする音楽なんて良い。不治さんのブログを読んで心が苦しくなる。高野悦子さんという20歳で自殺した方の手記を読む。自我の危機である。自我の危機は私の人生のテーマなのかもしれない。もう抜け出したのだけれど。あとね、数時間前から右足の甲がつってる。




1日のうちでこんなにも気持ちがクルクル変わるようでいいのか…。射撃音や爆発音に満ちた音楽作りたい。

朝から台風なのかよってほど暴風が吹き荒れてて、不機嫌になった。

悲しみから学びを得た人間にしかない深みがあり、それこそ真理だと思う。

欲しいもの、なりたいこと、高みに到達したいけど、それは社会的にという意味ではなくて。「SNSのせいで、誰もがすごいことをやるべき、何者かになるべきという強迫観念を持ってしまっている」というような内容の文章を読んだ。音楽を作ったり、思想に共感してもらったりしてみたい、とは思う。私が大好きで尊敬している人は、存在がそのまま表現になっていて、なにをやっても強烈な個人でしかない。格好良さが皆無で、悪趣味にかわいい。凄いなあって思う。


自立したい気持ちがかつてないほど強い。今私にできるのは家事手伝いだ、という気持ちで前より積極的に手伝っている。母になりたい。人間を育てたい。母の適性はあると思う。根拠はない。

かつてと受験と勉強と隠れたい理由と周囲の人間との関わり方と私が私であるところ、それらはどんなときもうっすらと脳内を覆っている。かつては、不安じゃなかったときがなかった小学生時代と、自分を見失ったけどくだらないことで笑えていた中学生時代と、挫折と憎悪を繰り返した高校生時代のこと。受験は私が今までの人生で一度も立ち向かっていない出来事。勉強は、近づきたい。隠れたい理由は、自信がなかったから。容姿やセンスや生い立ちに関しての自信が皆無だったから。周囲の人間は、顔色を伺うことをやめて、私が居たいようにいて、怒りたいときは怒って、基本的には攻撃をせず、変に値踏みもせず、いればいいんだと思う。なかなかね。私が私であるところ、とは、自分を薄めて生きているつもりが、他人から見たらそれは個性だったりするところ。悪目立ちしたくないし、歩幅を合わせることで社会をこなしていきたい、なんて今更言えないのかもしれない。だから自分を薄めないことにする。

強くなるぞ、って思うと力が湧く。強くなる。

明晰な思考を見せてくれる友達、尊敬している。考えを教えてくれるってことがとても嬉しい。興奮する。 

いろんなものを拒否して、その上に自分らしさを創りだしてたような気になっていたんだけれど、拒否ってそれは可能性を潰すことに繋がるのかもしれないってちょっと思った。ちょっとね。可能性と伸びしろを訳もなく信じているから、だから生きていけてるんだよ。私の場合。なんでも否定をしない努力をしたい。自分と違うものを全て否定してしまったら、本当にただの人間なんだよ…。そりゃただの人間なんてことは分かっているんだけど、なにか特別を持ちたいんだ。全てを受け入れることが一番近いような気がしたから、目指したい。

寝れないし悲しくなってきた。雨が降ってる。悲しい時にしかブログが書けない気がしてる今。すぐ気分は変わる。ミスドのゴールデンチョコレートの味、数日前から舌の上に感じてる。だから食べたい。ドーナツめちゃくちゃ好きだったけど、最近はそうでもなくなってきた。体に悪そうだし。早く時間が過ぎればいい。何が慰めてくれるか、思いつかない。may.eもpredawnもnohtenkigengoも今は違うかも。アメーザさんのブログにはとても慰められた。張り詰めてる気持ちがハタリと倒れてそのまま眠れそう。最近はドラムがドタバタした曲ばかり聴いてる。ドラムがドタバタした曲を聴くと、すごく嬉しくなって一人でニヤニヤして変な声が出る。最近はずっとそんな感じだった。調子が良かった。でも今は違う。言葉遣い、それが字面だったとしても、他人への気遣いができないところ、手に取るようにわかる。それを見て萎えた。ここ一ヶ月ほど全能感があった。自分の能力を過信できてた。寄り掛りたくなってしまう。桜餅が食べたい。

それから の主人公、社会から逃げ続けた結果破滅してた。破滅したくない。自己内部を大事にし続けた結果、金銭、家族、友人のすべてを失って気狂いに陥ってた。すべてを捨てる覚悟で愛を選んだかにも見えたが、それさえ手にできなかった。なにもなくなった。もう。破滅したくない。内側ばかりに篭もるのをやめよう。せっかく機会もあるんだし。 理想だけでは生きていけない、生きる意味を追求しているだけでは生きていけない、辛い。代助にほんの少しでも自分と似た点を認めてしまっては、えいえい、ここから抜けだせ、と尻を叩かれた心持ちだ。社会に対する消極的な気持ちなくそう、それは私が破滅しないためにだ…。 動悸がしてきた。絶対に社会的役割を果たすぞ。私の幸せは社会が与えてくれるものでは絶対ないと思い込んでいたけれど、拒絶の結果がこれとは…。トホホとしか言いようがない。破滅したくない。




私は調子に乗ると、自分の考えの完全な正しさを強く主張してしまうんだけど、そこに疑問とか否定を投げかけてくれる人が必要だ、と思う。ぽかんとされると(お母さんみたいに)暴走したまま、そのままになってしまう。良くないよ。




2月が終わった。結構色々考えこんでしまっていた。勉強に対する気概は芽生えたので、そこは本当に良かった。人生の展望がようやく見えてきた。いろんなことに対する執着がなくなってきた気がする。自分のことは客観視できないと駄目だと思っていたけど、客観視というか、棚にあげているだけで、だからこそ偉そうに発言できたりするんだなって思った。当事者意識が低すぎる。自分が隠しつついるところを暴かれると、焦るし、冷静でいられなくなる。隠れていたい、って思うのは、当事者になりたくないからか。他人に対して、誠実な自分自身でいることを放棄している。しかし2月は、最後の最後でサイコー!ってなっていろいろ忘れることができた。誰もさして考えていなさそうな空間にいること、昔は嫌で嫌でたまらなかったけど、普段はきちんとしている人たちがあえて何も考えずにいられる空間というのは、それはそれでアリなのかもしれない。ずっと同じところに居続けるのは悪だから、成長して段階を進めていくのはもちろんだけど、昨日と今日と明日で違うところに行くのも大事なんだなって思った。昔はなにも考えてなさそうに楽しんでる人間に対して、嫌悪と怒りしか湧いてなかったけど、嫌いって思うのは自分はそうなれないから妬んでいるだけなんだ。かわいいギャルが嫌いなのも、自分にはなれないから。なれないって、少しはなりたいって思っているからなれない、っていう思考になる訳だし、拒否しているものは本当は欲しいものなんだどうせ。私が求めているのはいつだって、今とは違う私だし、新鮮な気持ちという刺激をずっと感じる努力をしていきたい。恥をどんどんかいていく。




3月は、10月あたりに目線を定めて生きていこうと思う。3月を直視すると死ぬ。



 

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