「1つの時代を象徴するような出来事が起きることがある。そうした出来事は、自ら、あるいはその他の力によって爆発し、最終的に法執行機関が関与することになる。一部の出来事は情報として大規模に広められてゆき、それによって新しい様相を帯びる。すなわち、情報の発信者や受け手によって拡大されたり誤って伝えられたり、消化されたり、消化されなかったりする。栄光に満ちた人生だろうと恥ずべき人生だろうと、最終的には同じように紙面に載せられたのち、瞬く間に忘却のかなたに消え去ってゆく。存在とは、我々一人ひとりが墓場までもってゆく束の間の錯覚にすぎない。我々が伝記を読むとき、あらゆる事柄とそれに反することが述べられる。このことは、どんな出来事やニュースが明らかにされる場合でも同じだ。そしてこの20年間に普及した新しいコミュニケーション・チャンネルによって、客観性というものが以前にもまして幻影的になった。人間は、動物同様、誕生して生きて死ぬ。その痕跡は、草原の真ん中に咲いている一番小さなデイジーが残す痕跡と変わらない。喜びや痛み、功績や失態はバーチャルな観念であり、彼らの記憶のみに存在する現在だ。1996年に見出しを飾った百万ものニュースは、今ではもう忘れられているし、明日になればさらに忘れ去られる、1996年に生まれた、あるいは1996年に生きていた人々の中には、今も生きている人もいる。しかし、心臓の鼓動が止まってしまった人々の大多数に関しては、残っているものは何もなく、墓場に刻まれた名前あるいは、地下室の奥のどこかに埋れている古い新聞に書かれた名前になる。そうした大きな虚無を忘れさせてくれるのが、今現在味わう強烈な喜びだ。建設的なものであれ、破壊的なものであれ、喜びやエクスタシーは、虚無に対する解毒剤としての役割を果たす。愛、芸術、ダンス、戦争、スポーツは、地球上での短い滞在時間を正当化してくれるようにも思える。」


「虚しくなることあるよね、でもそういうときこそ闘いですよ」って私がなにも言わないのに言う。ありがとう。