2021年10月03日
KIRINJI 『11』(2014年)
1998年に鮮烈なデビューを果たした兄堀込高樹と弟泰行によるデュオ・ユニット「キリンジ」が活動停止、2014年にメンバーを一新し新たな旅立ちを告げた一枚がこの『11』である。
キリンジ」から「KIRINJI」ヘと名称を変えながらも、アルバム・タイトルは従来からの継承を示す『11』と、新生と継承性が複雑に入り混じるものであった。
新たなメンバーとして、コトリンゴ(ピアノ)、田村玄一(ペダルスチール)、楠均(ドラム)、千ヶ崎学(ベース)、弓木英梨乃(ギター)と多彩なメンバーを迎え、メンバー一人一人の個性を尊重した曲づくりがなされている。
アルバムの冒頭を飾るのは、グループでの新しい旅立ちを高らかに宣言するかのような「浸水式」。アルコールランプ・リズム(?)が軽快な「だれかさんとだれかさんが」を挟み、高樹の変態ワールドが炸裂する「雲呑ガール」と力の入った佳曲が立て続けに並ぶ。アルバムの中盤を構成するのは、新メンバーボーカルによる「fugitive」(コトリンゴ)、「ONNA DARAKE!」(楠均)「シーサイド・シークェンス」(千ヶ崎学)、「クリスマスソングを何か」(弓木英梨乃)やインストなどを挟み、最終曲は、弟泰行に対する多少の皮肉も込めたオマージュソング「心晴れ晴れ」で締めくくる。
「キリンジ」時代の最後は兄弟の閉塞性をある意味感じさせたが、その鬱憤を大いに晴らしてやった一枚とも言えよう。ただバラエティーさを尊重した一方で、高樹、コトリンゴ以外のボーカルはやや不安定。その後のアルバムでは素晴らしいボーカルを見せる弓木ちゃんもこの時期はまだ未成熟でしたね。
この『11』以降、途中でのコトリンゴ脱退を経て、正式に2020年の解散に至るまで、計6枚のアルバムが発表されたが、最もアルバムとしてのトータリティが高かったのは、やはりこの『11』ではないか。その後のアルバムは、当初このメンバーで目指していた音楽ビジョンと、高樹の目指した実験性が次第にKIRINNJIの内実を乖離していったように思う。その意味では、KIRINNJIの解散は必然であった。
キリンジ」から「KIRINJI」ヘと名称を変えながらも、アルバム・タイトルは従来からの継承を示す『11』と、新生と継承性が複雑に入り混じるものであった。
新たなメンバーとして、コトリンゴ(ピアノ)、田村玄一(ペダルスチール)、楠均(ドラム)、千ヶ崎学(ベース)、弓木英梨乃(ギター)と多彩なメンバーを迎え、メンバー一人一人の個性を尊重した曲づくりがなされている。
アルバムの冒頭を飾るのは、グループでの新しい旅立ちを高らかに宣言するかのような「浸水式」。アルコールランプ・リズム(?)が軽快な「だれかさんとだれかさんが」を挟み、高樹の変態ワールドが炸裂する「雲呑ガール」と力の入った佳曲が立て続けに並ぶ。アルバムの中盤を構成するのは、新メンバーボーカルによる「fugitive」(コトリンゴ)、「ONNA DARAKE!」(楠均)「シーサイド・シークェンス」(千ヶ崎学)、「クリスマスソングを何か」(弓木英梨乃)やインストなどを挟み、最終曲は、弟泰行に対する多少の皮肉も込めたオマージュソング「心晴れ晴れ」で締めくくる。
「キリンジ」時代の最後は兄弟の閉塞性をある意味感じさせたが、その鬱憤を大いに晴らしてやった一枚とも言えよう。ただバラエティーさを尊重した一方で、高樹、コトリンゴ以外のボーカルはやや不安定。その後のアルバムでは素晴らしいボーカルを見せる弓木ちゃんもこの時期はまだ未成熟でしたね。
この『11』以降、途中でのコトリンゴ脱退を経て、正式に2020年の解散に至るまで、計6枚のアルバムが発表されたが、最もアルバムとしてのトータリティが高かったのは、やはりこの『11』ではないか。その後のアルバムは、当初このメンバーで目指していた音楽ビジョンと、高樹の目指した実験性が次第にKIRINNJIの内実を乖離していったように思う。その意味では、KIRINNJIの解散は必然であった。
2021年09月28日
矢野顕子『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』(2013)
あるミュージシャンが自分のリスペクトするミュージシャンの楽曲をカバーすることはよくある。近年では、アルバム丸ごと他人の楽曲をカバーするのも珍しくない。一方で、あるミュージシャンの楽曲を多数のミュージシャンがカバーするトリビュート・アルバムも増えてきた。カバー・ブーム、トリビュート・ブームの昨今だが、ある一人のミュージシャンが、特定(一人)のミュージシャンの楽曲のみカバーするアルバムは、実はさほど多くないのではないか。
過去のアルバムで思い出すのは、ハイ-ファイ・セットがユーミンの楽曲をカバーした『シングス・ユーミン』、工藤静香による中島みゆきカバー『MY PRECIOUS -Shizuka sings Miyuki』などである。ただハイ-ファイ・セットは、ユーミンの『卒業写真』『冷たい雨』をはじめ何曲もシングルを出している。同様に工藤静香も「FU-JI-TSU」をはじめ数多くの楽曲提供を受けているので納得性は高い。
それらに対し、今回紹介する『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』は、一見さほど接点の多くなさそうな二人だけに不思議な感じがしなくもない。
しかし、矢野顕子にとって忌野清志郎との「ひとつだけ」のデュエットは格別の思いを抱いていたようだ。本アルバムのプロモーション・ビデオでも矢野顕子はそのようなことを語っている。もしかすると、矢野顕子にとって大切な曲である「ひとつだけ」は、忌野清志郎と共に歌われることにより、この曲の持つ本質がより強いメッセージとして伝えられることに直感的に気づいたからに違いない。
このアルバムは清志郎の死を悼む追悼アルバム的な側面もあるだろうが、単に清志郎の曲を単純にカバーしていないところに、矢野顕子に清志郎に対する真の意味でのリスペクトを感じることができる。
とりわけ冒頭曲の「500マイル」は出色の出来である。ピーター・ポール&マリーの原曲に清志郎が日本語訳を付けた楽曲を矢野顕子は大胆に現代音楽風に脱構築する。これはまるで青森出身である矢野顕子が、再び清志郎に会うために、恐山のイタコの力を借りて冥府に向かうための楽曲と感じられる怪曲である。
この曲以外も全編、同時代を同志として過ごした忌野清志郎のリスペクト愛に溢れているアルバムだ。繰り返し何度も聴きたくなる。
過去のアルバムで思い出すのは、ハイ-ファイ・セットがユーミンの楽曲をカバーした『シングス・ユーミン』、工藤静香による中島みゆきカバー『MY PRECIOUS -Shizuka sings Miyuki』などである。ただハイ-ファイ・セットは、ユーミンの『卒業写真』『冷たい雨』をはじめ何曲もシングルを出している。同様に工藤静香も「FU-JI-TSU」をはじめ数多くの楽曲提供を受けているので納得性は高い。
それらに対し、今回紹介する『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』は、一見さほど接点の多くなさそうな二人だけに不思議な感じがしなくもない。
しかし、矢野顕子にとって忌野清志郎との「ひとつだけ」のデュエットは格別の思いを抱いていたようだ。本アルバムのプロモーション・ビデオでも矢野顕子はそのようなことを語っている。もしかすると、矢野顕子にとって大切な曲である「ひとつだけ」は、忌野清志郎と共に歌われることにより、この曲の持つ本質がより強いメッセージとして伝えられることに直感的に気づいたからに違いない。
このアルバムは清志郎の死を悼む追悼アルバム的な側面もあるだろうが、単に清志郎の曲を単純にカバーしていないところに、矢野顕子に清志郎に対する真の意味でのリスペクトを感じることができる。
とりわけ冒頭曲の「500マイル」は出色の出来である。ピーター・ポール&マリーの原曲に清志郎が日本語訳を付けた楽曲を矢野顕子は大胆に現代音楽風に脱構築する。これはまるで青森出身である矢野顕子が、再び清志郎に会うために、恐山のイタコの力を借りて冥府に向かうための楽曲と感じられる怪曲である。
この曲以外も全編、同時代を同志として過ごした忌野清志郎のリスペクト愛に溢れているアルバムだ。繰り返し何度も聴きたくなる。
2021年09月25日
ダン・フォーゲルバーグ『スーべニアズ』(1974)
彼が活躍していた70年代には、その存在は知っていたものの、特に音楽に接することはなかった。
イメージとしてはウエストコーストサウンドの人、ジャクソンブラウンの弟的存在くらいの感じだったろうか。大学のクラブの部室に後輩がこのアルバムを持ち込んでレコードかけていたのも覚えている。ジャケットが印象的だったのですね。
なので、このアルバムをしっかりと聴いたのは今回が初めて。数年前に購入していたものの、ほったらかしだったのですね。聴いてみて驚いた。「なかなかいいではないか!」ジャクソン・ブラウンというよりも、ひとりイーグルスかもしれない。曲によっては、ひとりクロスビー&ナッシュ&ヤングかもしれない。いずれにしても、あの当時、西海岸に流れていた爽やかでありながらセンシティブな雰囲気がそのまま閉じ込められている。
「ああ、あの時聴いておけば良かった」とは思わないが、聴いてよかったなと実感できる。自宅でスピーカーに向かって聴く音楽というよりは、アメリカのフリーウェイをドライブしながら聴いてみたいなと感じさせる音楽である。大学の卒業旅行で走ったサンフランシスコからロサンゼルにつながるフリーウェイ101をもう一度走りながら聴いてみたいなあ。
Dan Fogelberg, "Part of the Plan"
イメージとしてはウエストコーストサウンドの人、ジャクソンブラウンの弟的存在くらいの感じだったろうか。大学のクラブの部室に後輩がこのアルバムを持ち込んでレコードかけていたのも覚えている。ジャケットが印象的だったのですね。
なので、このアルバムをしっかりと聴いたのは今回が初めて。数年前に購入していたものの、ほったらかしだったのですね。聴いてみて驚いた。「なかなかいいではないか!」ジャクソン・ブラウンというよりも、ひとりイーグルスかもしれない。曲によっては、ひとりクロスビー&ナッシュ&ヤングかもしれない。いずれにしても、あの当時、西海岸に流れていた爽やかでありながらセンシティブな雰囲気がそのまま閉じ込められている。
「ああ、あの時聴いておけば良かった」とは思わないが、聴いてよかったなと実感できる。自宅でスピーカーに向かって聴く音楽というよりは、アメリカのフリーウェイをドライブしながら聴いてみたいなと感じさせる音楽である。大学の卒業旅行で走ったサンフランシスコからロサンゼルにつながるフリーウェイ101をもう一度走りながら聴いてみたいなあ。
Dan Fogelberg, "Part of the Plan"
dogmoon33 at 11:44|Permalink│Comments(0)│
2021年09月23日
葡萄畑『SLOWMOTION』(1976)
1970年代に活躍した日本のロックバンド葡萄畑は、10ccやスパークスの類似性がよく語られるが、楽曲を聴いた印象として一番近しいのは、同時代バンドでありかつ今も現役バンドとして活躍するムーンライダーズ鈴木慶一の『火の玉ボーイ』だ。このセカンドアルバム『SlowMotion』では1976年7月発売。『火の玉ボーイ』は1976年1月なので、内容的には欧米の洋楽に影響を受けた同時期シンクロと言っていいかもしれない。
10cc的なプログレッシブな趣と同時に時折顔を覗かせるヨーロピアンテイスト、『火の玉ボーイ』「午後の貴婦人」と本アルバムの「ナックルボールは恋の味」「お嬢さんお手やわらかに」の類似性は記しておいた方がいいだろう。「夕陽に泣いた少年の伝説」の武松克敏のR&B風シャウトも鈴木慶一そっくりだし。
個々の楽曲にはところどころ光る部分はあるのだが、やはりこのアルバムの一番の弱点はヴォーカルの弱さだろう。卓越した表現能力を備えたボーカリスト鈴木慶一を有するムーンライダーズと一番異なるところはそこだろう。
「恐怖のこまわり君」などというキッチュな楽曲で話題性を取ろうとしたところも結果として、このバンドの寿命を縮めてしまったのではないか。いずれにしてもまだこの時代は、日本のロックはまだ受難期でミュージックシーンでもマイナーな存在だった。このアルバムはそんな時代の試行錯誤を表した一枚であったと言えるかもしれない。
葡萄畑「ロデオに遅れたカウボーイ」
10cc的なプログレッシブな趣と同時に時折顔を覗かせるヨーロピアンテイスト、『火の玉ボーイ』「午後の貴婦人」と本アルバムの「ナックルボールは恋の味」「お嬢さんお手やわらかに」の類似性は記しておいた方がいいだろう。「夕陽に泣いた少年の伝説」の武松克敏のR&B風シャウトも鈴木慶一そっくりだし。
個々の楽曲にはところどころ光る部分はあるのだが、やはりこのアルバムの一番の弱点はヴォーカルの弱さだろう。卓越した表現能力を備えたボーカリスト鈴木慶一を有するムーンライダーズと一番異なるところはそこだろう。
「恐怖のこまわり君」などというキッチュな楽曲で話題性を取ろうとしたところも結果として、このバンドの寿命を縮めてしまったのではないか。いずれにしてもまだこの時代は、日本のロックはまだ受難期でミュージックシーンでもマイナーな存在だった。このアルバムはそんな時代の試行錯誤を表した一枚であったと言えるかもしれない。
葡萄畑「ロデオに遅れたカウボーイ」
カーネーション『Suburban Baroque』(2017)
最新作を現在レコーディング中であるとも聞くが、カーネーションの最新アルバムにして最高傑作アルバム。「カーネーション」、「ムーンライダーズ」、「キリンジ」の3バンドが私の好きなジャパニーズ・バンドだが、それぞれ個性が際立っているところがどれか一つに縛れないところである。ムーンライダーズは日本最古のロックバンドとして、鈴木慶一の人間的魅力あふれるリーダーシップで緩やかにだけど強固に繋がる個性派ミュージシャンの集団だ。キリンジは、兄弟バンドから固定バンドとなり、現在はスティーリー・ダンと同じく、ドナルド・フェイガンならぬ堀込高樹によるプロジェクトとなったが、センス溢る楽曲が魅力だ。カーネーションは、初期の5人から3人、現在は2人となって久しいが、バンドの個性を象徴するのはやはり直枝政弘だ。直枝のハスキーボイス、文学表現的歌詞、骨太なロックミュージックが、大人になりきれない大人のロック世界を構築している。タイトル『Suburban Baroque』とジャケットの夜のゲームセンターが表現しているように、このアルバムに通底するイメージは、ややくたびれたような成熟を迎える郊外都市の寂寥感ある夜の風景である。明るいロックではなく、心象風景のロック。心の内実に深く入っていこうとする粒揃いの楽曲が揃っている。
このアルバムの魅力的な楽曲は「Shooting Star」「Peanuts Butter &Jelly」「VIVRE」の3曲かな。どれを聴いても胸がきゅんとする切ない楽曲だ。太田さんがリードボーカルを預かる「Little Jetty」も楽曲構成にアクセントを加え、アルバム全体を豊かなものにしている。
このアルバムの魅力的な楽曲は「Shooting Star」「Peanuts Butter &Jelly」「VIVRE」の3曲かな。どれを聴いても胸がきゅんとする切ない楽曲だ。太田さんがリードボーカルを預かる「Little Jetty」も楽曲構成にアクセントを加え、アルバム全体を豊かなものにしている。
2021年07月18日
ママレイドラグ『ママレイドラグ』(2002)
何を今更ながらという感じではあるのだが、実際のところ今まで聴いていなかったのだから仕方がない、というか後悔しきりである、ママレイドラグ。なんで聴いてなかったんだろう!
名前は知っていたのだが、実際に耳にする機会もなく、最近、ディスクユニオンでこの1stを発見、帰って聴いたところ、「なんて名盤なんだ!!!」と驚愕した次第である。
発表は2002年だから、この名盤の存在を19年も知らなかった事になる。後悔しきりであるが、しかし、こうやって出会えたことにも感謝である。コツコツと中古CDを買う楽しみはこんなとことにもあるねえ。
さて、このアルバムは、ママレイドラグのファースト。第1作目に制作者の想いの全てが詰まっているとは、良く言われるけれど、まさにこれはそうしたアルバムだと思う。
まずなんといっても特筆すべきは、ボーカル田中拡邦の声の良さだ。声質は、大滝詠一をよりソフトにした感じ。特に鼻濁音の感じが大滝さんにそっくりでもある。「悲しみにさよなら」の出だしなど、一瞬、大滝さん?と間違石ちゃうくらいだ。
メロディラインもいいですねえ、70年代のアナログテイストがそこかしこに感じられつつ、転調具合などは、当時の空気公団やキリンジと同じ方向性を感じることができる。
今は、ソロプロジェクトになっているようですが、これからコツコツとママレイド・ラグのCDを集め、聴き続けていきたいと思った次第である。
名前は知っていたのだが、実際に耳にする機会もなく、最近、ディスクユニオンでこの1stを発見、帰って聴いたところ、「なんて名盤なんだ!!!」と驚愕した次第である。
発表は2002年だから、この名盤の存在を19年も知らなかった事になる。後悔しきりであるが、しかし、こうやって出会えたことにも感謝である。コツコツと中古CDを買う楽しみはこんなとことにもあるねえ。
さて、このアルバムは、ママレイドラグのファースト。第1作目に制作者の想いの全てが詰まっているとは、良く言われるけれど、まさにこれはそうしたアルバムだと思う。
まずなんといっても特筆すべきは、ボーカル田中拡邦の声の良さだ。声質は、大滝詠一をよりソフトにした感じ。特に鼻濁音の感じが大滝さんにそっくりでもある。「悲しみにさよなら」の出だしなど、一瞬、大滝さん?と間違石ちゃうくらいだ。
メロディラインもいいですねえ、70年代のアナログテイストがそこかしこに感じられつつ、転調具合などは、当時の空気公団やキリンジと同じ方向性を感じることができる。
今は、ソロプロジェクトになっているようですが、これからコツコツとママレイド・ラグのCDを集め、聴き続けていきたいと思った次第である。
2018年10月01日
スカート「20/20」(2017年)
最近気に入っている若いミュージシャンの筆頭がスカートだ。世代的には息子世代と言えるが、妙に70年代ミュージック・ポップな香りを放っている。しかしノスタルジーではなく、きちんと今の音を身に身に纏っているところが素晴らしい。
中学校時代に母親から「これを聞きなさい!」と渡されたのがXTCの「Drums & Wires」だとか、ムーンライダーズやカーネーションを聞いていたとか、幼少からのひねくれPOPSファンぶりが窺える。
「20/20」はデビュー3作目であり、初メジャー・デビューアルバム。まず、この哀愁をかなでるようなジャケ・デザインが良いですね。冒頭の1曲目「離れて暮らす二人のために」は、まさにジャケを表現したようなもの悲しい正統派ポップ・ソング。メロウな歌詞も胸がきゅんとする。2曲目「視界良好」も軽快なギター&ドラムが印象的。どの曲もなんだか聴いたことがあるような郷愁感を感じさせつつも、一方で新鮮なコード進行、魅力的なメロディーラインを備えている。POPSマジックとはこのことだろう。シンプルなギターポップ・アルバムに仕上がっている。
山下達郎、大滝詠一をPOPS第1世代、フリッパーズギターなどの渋谷系を第2世代だとすると、スカートはPOPS第3世代だ。先行世代が得た経験と蓄積を濾過し、さらに純化させたような味わいがスカートからは漂ってくる。
中学校時代に母親から「これを聞きなさい!」と渡されたのがXTCの「Drums & Wires」だとか、ムーンライダーズやカーネーションを聞いていたとか、幼少からのひねくれPOPSファンぶりが窺える。
「20/20」はデビュー3作目であり、初メジャー・デビューアルバム。まず、この哀愁をかなでるようなジャケ・デザインが良いですね。冒頭の1曲目「離れて暮らす二人のために」は、まさにジャケを表現したようなもの悲しい正統派ポップ・ソング。メロウな歌詞も胸がきゅんとする。2曲目「視界良好」も軽快なギター&ドラムが印象的。どの曲もなんだか聴いたことがあるような郷愁感を感じさせつつも、一方で新鮮なコード進行、魅力的なメロディーラインを備えている。POPSマジックとはこのことだろう。シンプルなギターポップ・アルバムに仕上がっている。
山下達郎、大滝詠一をPOPS第1世代、フリッパーズギターなどの渋谷系を第2世代だとすると、スカートはPOPS第3世代だ。先行世代が得た経験と蓄積を濾過し、さらに純化させたような味わいがスカートからは漂ってくる。
STOMU YAMASHITA「GO TOO」(1977)
1977年作、ツトム・ヤマシタの『GO TOO』である。発表された当時のアルバムジャケットは、ヌードになった男女の肉体に「GO」のロゴマークがペイントされたもので、なかなかクールなデザインだったのだが、その後の再発では湖畔に浮かぶ和船と葦というけっこうジャパニーズなデザインに変更されてしまい、大分イメージが変わってしまった。
このアルバムは、ジュリアード音楽院を卒業し、当時欧州を中心に活躍していたパーカッショニスト、ツトム・ヤマシタのリーダーアルバム。今回改めて気がついたのですが、ツトム・ヤマシタは「TSUTOMU YAMASHITA」ではなくて、「STOMU YAMASHTA」なんですね。この方がローマ字読みよりも実際の発音に近いのでしょうか。
このアルバムは、1976年『GO』『GO LIVE』に続くGOシリーズの第3弾。
音楽の内容は、当時の言い方で言えば、クロス・オーバーとかフュージョンのジャンルに属するのでしょうか。プログレッシブ・ロック的な香りも多少残っている。フュージョンにオリエンタルな香りをまぶした感じか。そこが内省派ロックたる所以でしょうか。
アル・ディメオラ、ドニ・ハーヴェイ、ポール・ジャクソン、ブラザー・ジェイムスなど一流のセッション・マンを起用したスリリングな演奏に、当時このアルバムをNHKーFMで聴いて、あわててレコード屋に駆け込んだ記憶がある。リンダ・ルイスのキュートでパワフルな歌声が印象的だ。
残念ながらこの後、ツトム・ヤマシタの活動はぱったりと途絶えてしまったのだが、もう少しこの才能を楽しみたかった気もします。
このアルバムは、ジュリアード音楽院を卒業し、当時欧州を中心に活躍していたパーカッショニスト、ツトム・ヤマシタのリーダーアルバム。今回改めて気がついたのですが、ツトム・ヤマシタは「TSUTOMU YAMASHITA」ではなくて、「STOMU YAMASHTA」なんですね。この方がローマ字読みよりも実際の発音に近いのでしょうか。
このアルバムは、1976年『GO』『GO LIVE』に続くGOシリーズの第3弾。
音楽の内容は、当時の言い方で言えば、クロス・オーバーとかフュージョンのジャンルに属するのでしょうか。プログレッシブ・ロック的な香りも多少残っている。フュージョンにオリエンタルな香りをまぶした感じか。そこが内省派ロックたる所以でしょうか。
アル・ディメオラ、ドニ・ハーヴェイ、ポール・ジャクソン、ブラザー・ジェイムスなど一流のセッション・マンを起用したスリリングな演奏に、当時このアルバムをNHKーFMで聴いて、あわててレコード屋に駆け込んだ記憶がある。リンダ・ルイスのキュートでパワフルな歌声が印象的だ。
残念ながらこの後、ツトム・ヤマシタの活動はぱったりと途絶えてしまったのだが、もう少しこの才能を楽しみたかった気もします。
2017年08月11日
SOGGY CHEERIOS『1959』(2013年)
1959年生まれのミュージシャン同士が2013年の54歳に初めて邂逅、意気投合して作成したのが、このアルバム、ソギー・チェリオス『1959』である。
初めてと言っても、ワールドスタンダードの鈴木惣一朗と、カーネーションの直江政広という二人だ。片や鈴木は細野晴臣のワールドスタンダードレーベル出身、直枝はムーンライダーズ系のメトロトロンレーベル出身だから、家柄と血筋はごく近しいと言っていいだろう。
雑誌「レコードコレクターズ」のポール・マッカートニー『ラム』対談で初対面となった同世代が意気投合し、アルバム作成に至ったというが、同年齢で、音楽の好みも似通っているということもあるせいか、新ユニットとしての違和感は感じられない。
音楽的には飾り気のない、シンプルなフォークロックだ。まさに出会いの契機となった『ラム』的というか。一部ゲストミュージシャンもいるが、殆どの曲は二人の手で作詞、作曲、演奏が行われている。
出色なのはラストの『とんかつの唄』だろう。細野晴臣、鈴木慶一をゲストボーカルに迎え演奏されるこの曲は、1963年公開、『喜劇とんかつ一代』主題歌で森繁久彌が歌った曲だ。この曲を大トリに設定するあたりがベテラン・ミュージシャンたちの風格とふところの太さと言ってもいいんじゃないだろうか。
初めてと言っても、ワールドスタンダードの鈴木惣一朗と、カーネーションの直江政広という二人だ。片や鈴木は細野晴臣のワールドスタンダードレーベル出身、直枝はムーンライダーズ系のメトロトロンレーベル出身だから、家柄と血筋はごく近しいと言っていいだろう。
雑誌「レコードコレクターズ」のポール・マッカートニー『ラム』対談で初対面となった同世代が意気投合し、アルバム作成に至ったというが、同年齢で、音楽の好みも似通っているということもあるせいか、新ユニットとしての違和感は感じられない。
音楽的には飾り気のない、シンプルなフォークロックだ。まさに出会いの契機となった『ラム』的というか。一部ゲストミュージシャンもいるが、殆どの曲は二人の手で作詞、作曲、演奏が行われている。
出色なのはラストの『とんかつの唄』だろう。細野晴臣、鈴木慶一をゲストボーカルに迎え演奏されるこの曲は、1963年公開、『喜劇とんかつ一代』主題歌で森繁久彌が歌った曲だ。この曲を大トリに設定するあたりがベテラン・ミュージシャンたちの風格とふところの太さと言ってもいいんじゃないだろうか。
森は生きている『森は生きている』(2013年)
またまた久しぶりのブログ投稿である。
さあ、久しぶりに何のアルバムを紹介しようかと思って、真っ先に思い浮かんだのがこの「森は生きている」の1stである。
もう何年前になるだろうか。東京駅前の丸善書店でこのアルバムが流れていて、なかなかいいなと思い、そのご近所にあるココナッツ・ディスクで買い求めたものだ。若い店員さんに「このアルバムいいですよねえ」と話しかけたら、まったく無視されてしまったのが残念でした。思い切って若い人にすりよったのに・・
さて、このアルバム、他の評にも書かれているとおり、フォーク的というか、カントリーロック的なゆるーい浮遊感を感じるこの音楽は、はっぴいえんど的でもあるし、ビーチボーイズのペットサウンドにも通じるところもある。男性版の空気公団みたいでもある。
ボーカルの男性の声が、ちょっと裏声的で頼りなさげなところがいいのである。「昼下がりの夢」「雨上がりの通り」「光の蠱惑」など、なかなかの佳曲揃いだと思う。
しかし、この後もう一枚アルバムを発表したが、どうやら2015年には解散してしまったみたいである。勿体ないことである。
さあ、久しぶりに何のアルバムを紹介しようかと思って、真っ先に思い浮かんだのがこの「森は生きている」の1stである。
もう何年前になるだろうか。東京駅前の丸善書店でこのアルバムが流れていて、なかなかいいなと思い、そのご近所にあるココナッツ・ディスクで買い求めたものだ。若い店員さんに「このアルバムいいですよねえ」と話しかけたら、まったく無視されてしまったのが残念でした。思い切って若い人にすりよったのに・・
さて、このアルバム、他の評にも書かれているとおり、フォーク的というか、カントリーロック的なゆるーい浮遊感を感じるこの音楽は、はっぴいえんど的でもあるし、ビーチボーイズのペットサウンドにも通じるところもある。男性版の空気公団みたいでもある。
ボーカルの男性の声が、ちょっと裏声的で頼りなさげなところがいいのである。「昼下がりの夢」「雨上がりの通り」「光の蠱惑」など、なかなかの佳曲揃いだと思う。
しかし、この後もう一枚アルバムを発表したが、どうやら2015年には解散してしまったみたいである。勿体ないことである。