土井泰昭の麻雀マージャン

カテゴリ : 私が愛した日本プロ麻雀協会

「夏といえば最強戦」。最強戦の加盟店のオーナーが言ってくれた言葉だが、僕も夏が来れば最強戦だった。
近代麻雀の最強戦読者大会が行われたが、今年でやめるとの情報を得た僕が「じゃあ、最高位戦でやる」と、近代麻雀に開催店の広告を載せて、そのお金で読者大会をやるということになった。
とにかく、フリー雀荘がこわいものと、あやしいものと思われた時代である。そこへ大会で初めてフリー雀荘にくる。ここでフリー雀荘の内側を知り、ああ安心して遊べるんだと客になる。、大会によって新規の客を得ることができるのだから加盟店は年々増えていった。
こうして、最高位戦ではじめ、僕が日本プロ麻雀協会をおこして日本プロ麻雀協会が継ぐことになったのだが、第1回最強戦読者大会は思い出深い。
甲子園の開会式のようにひとりずつスポットライトを浴びせ、紹介してから卓に着くという形式をとった。100人以上いるのだが、リハーサルで時間を測ったら5分程度。これならいいやと、本番を迎えたところ、5分はとんでもなく長い。3分あたりでいいかげんやめようよという気持ちになった。そこへ竹書房の担当者が僕のところへ近寄り、ひと言。「来年はやめてね、これ」。仰せの通りにございます。いやー、先に卓に着いた参加者が待ちくたびれるのがわかる展開。まぁ、それも懐かしい思い出だ。
地方予選もすごかった。昼12時に参加者が会場にはいる。それまで立っていたフリーの卓はここで終了。
メンバーが常連に声をかける。「大会にでませんか」と。
常連は「出ないよ。何時からフリーやるんだ」と言うと「予選3回、そのあとは準決勝、決勝とありますが、予選が終わったらフリーも再開しますので、3,4時間待ちですかね」と答える。
常連は「中途半端な時間だな。寝れもしないよ」。だから、メンバーは「大会に出ませんか」と勧める。こうして、常連が時間潰しに入り、優勝してしまった。
「本大会は東京であります。旅費は当日会場で」と僕が言うと「行かないよ」と常連。ほんとに時間潰しで落着してしまった。
本大会ではある出場者が旅費をもらった瞬間、会場から消えた。旅費で東京観光に行ってしまったのだ。
ま、いろいろあって、初期の最強戦読者大会は面白かった。
僕が一番印象深かったのは長崎予選だ。予選そのものより、長崎という街が気に入ったのだ。だから2年連続で行った。当時は2泊3日まで認められていたので、会場係もある意味観光旅行も兼ねていたわけだ。ちょっと贅沢。

さて、どいーんの名曲アルバムをはじめることにした。というわけで、長崎の名曲はコレ↓です。

「私が愛したウルトラセブン」というNHKの傑作ドラマがある。このタイトルはそのパクリです。
まぁ、この企画をやれば、単に自慢話に終始するのだが、自分のブログでもあるし、許してチョンマゲ。
いいなぁ、懐かしいフレーズだ。ま、自分に対して自分にだから、とくに許す。
さて、いまから11年? それくらい前に最高位戦の専務理事を務めていた土井が「女流最高位戦をやろう」と提言する。しかし、最高位戦の理事会で反対される。女流だけのプロも認め、リーグ戦には参加できなくても、ジャンジャン入れちゃえの発想が抵抗を受けた。点数計算もおぼつかない打ち手をたとえ女流プロといっても認めるのはどうかということだ。そりゃそうだけど、これからは女流プロを中心にちょっとした麻雀プロブームが起こる。ただでさえ見向きされない麻雀プロ業界が女流プロによって注目され、その結果男子プロを見てもらえればよいと考えたものだ。結局、それはボツ。「土井さんがやりたければ土井さん(エルマガジン・土井の会社)でやれば」とのこと。
そして、その夏、島根県浜田市の海に息子と出かけ、砂浜に寝そべり、空をみつめながら思った。「そうだ、新団体を作ろう」。まるで「そうだ、京都へ行こう」のノリで日本プロ麻雀協会を作ることに決めた、決めたったらそうに決めたになったのである。
そして、ひとりで新団体発足宣言。これに協力してくれたのがバビロンの馬場社長。バビィでいっかな。
まずは毎日コミュニケーションズ(]現・マイナビ)を攻略。新団体の行く末は他の団体の例をあげるまでもなく、茨の道だ。メディア攻勢をかけて、協会をメジャー団体として扱ってもらうしかない。
次に仕掛けたのが、モンドの「プロ最強位戦」だ。プロ連盟の協力を仰いだ。そして、恩人である森山副代表の賛同を得る。恩人というのは、トップ・プロである小島武夫プロ、荒正義プロ、伊藤優孝プロ、そんな名だたるプロがガチで協会の女流プロである初音舞プロ、手塚さきくプロと打ってくれるというのだ。これは本来ありえないことだろう。テレビでガチで打つことに、こちらにリスクはないが、少なくともプロ連盟にはリスクがある。
結果、森山プロの優勝となったわけだが、こういったメディア攻勢があって協会はハナからメジャー団体として扱われ、雀王もメジャータイトルとして扱ってもらえたわけである。だからそれを仕切ってくれた森山プロは恩人なのである。その企画を縁の下で持ち上げてくれたはバビィも恩人である。
最高位戦のBリーグを中心に構成された雀王戦Aリーグをメジャーとして扱うことにはさぞかし最高位戦は煮えたぎる思いを持ったにちがいない。そんな誤魔化しも戦略のひとつだ。最高位戦の気持ちは痛いほどわかるが、これも協会を発信地にしたメディア攻略のためだ。
とにかく、そうして、協会はメジャーにしてもらった。次に雑誌などのメディア攻略がはじまる。


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