★将棋Tシャツ作りました

ドカベンアイランドスタッフのヤムヤム君。
彼の知り合いにTシャツが作れる人がいる、
ということを知ったので、さっそく作ってもらいました。

将棋Tシャツ、全5種類。

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「盤上のボーイズ・ライフ/王座は堅持」Tシャツ

2012年秋に行われた王座戦。
当時、自分は
「羽生さんが渡辺さんから王座を奪取したら
 このTシャツを作る!」と宣言しました。
結果、見事に奪取成功!
少し遅れましたが、実際に作りました。
「戦場のボーイズ・ライフ/小沢健二」のパロディです。

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そして、「羽生マジック」Tシャツ。
王座奪取記念に。
わかりやすいフレーズのTシャツから
スタートしてみました。

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こちらも羽生さんシリーズ。
「伝説の5二銀」Tシャツ。
NHK杯における、羽生さんの伝説の一手です。
街中でこのTシャツを目撃したTシャツは
ニヤっとくることでしょう。
しかし、なぜニヤッとしたのか、
その時一緒にいる人に説明するのは面倒だと思うのです。
そのあたり、モヤモヤしてもらえれば。

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今度は、銀は銀でも「超速3七銀」
こちらは戦法の名前です。
ここ数年の戦法名で、
もっともかっこいいと思います。
名付け親となっている棋士は
「もうちょっと考えればよかった…」と
言っていますが、いやいやかっこよいです。


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「恋の藤井システム」Tシャツ。
将棋の戦法の中で
「恋の」をつけてもっともしっくりくるのが
この藤井システム。
次は「恋なんていわば後手一手損角換わり」
Tシャツを作ろうと思います。


★人間のくず

清水市代女流王将をやぶったコンピュータ
「あから2010」の仕掛け人、松原仁さんは
「人間に勝つコンピュータ将棋の作り方」(技術評論社)の
プロローグでこんなことを書いている。

「コンピュータ将棋の研究がコンピュータチェスに比べて遅れたの
 コンピュータにとって将棋の方がチェスよりもむずかしいという理由だけではない。
 欧米ではチェスが知性の象徴として人工知能の「立派な」例題として
 当初から尊重されていたが、日本では将棋は遊びと見なされて
 長い間に渡って研究の例題として認められなかったのである。
...  筆者も1980年ごろにある大学の先生にコンピュータ将棋の研究をしたい
 と言ったら「人間のくず」と罵倒された経験がある。」

…「あから2010」が女流棋士に勝つ、30年前の出来事。

ツイッターにこのことをちょこっとを書いたら、
フォロワーの中にプログラマの方がいて

「時代がそうだったのかと思います。 
 今の時代に同じように言うとやらせてくれるでしょう。
 しかし時代はバブル期。そのころの「情報工学」はというと、
 組み込みや汎用機の全盛期。 「遊び」と思われたのかもしれませんね。」

とリプライをくれた。

2005年、ボナンザ登場。

「大量のプロ棋士やトップアマチュアの棋譜データから
 統計的に学習することにより、
 将棋の知識を必要とせずに誰でも機械学習によって
 評価関数を作れるようになった。
 コンピュータ将棋は、また飛躍的な進歩を遂げることとなった。
(「人間に勝つコンピュータ将棋の作り方(技術評論社)p26」

評価関数のパラメータの自動学習ができるようになったことで、
コンピュータは常に「強くなるための鍛錬」ができるようになった
今日、ゲーム番組にお招きしたプロ棋士の遠山雄亮五段の言葉を借りれば
「コンピュータは寝なくていい。24時間ずっと自分を強くすることができる。」

2007年、このボナンザは将棋界最高峰のタイトルのひとつであ
「竜王」を連覇中(現在も)の渡辺明竜王に挑み、善戦するも敗れた。

ここまで進化してもなお、プロ棋士は立ちはだかるのか…

記憶が正しければ、羽生三冠は当時
「コンピュータ将棋が強くなるには、もうひとつブレイクスルーが必要だと思う。」
と語っていた。

そのブレイクスルーは、意外にも早かった。

「あから2010」は
コンピュータ同士が良い手を話しあい、
多数決で指し手を決定する「合議制」という形をとり、
清水市代女流王将をやぶった。
これで、コンピュータ将棋の新たな進化の可能性を見ることができた。
(「合議制」自体はその時点で新しいものではなかったが
 「うまくいく」とは思われていなかった。
 しかし、それをもってして女流棋士に勝利をあげた。)


「人間のくず」は、いいキーワードかもしれない。

「くず」というのはおそらく
「人のやらないこと〜やらないのはやらないなりの理由があるんだ!〜」
というところからきたのだろう。

研究や仕事などの「試み」について、
「そんなことをやるのは人間のくずだ」と言う人がいたら、
きっと、大いに心ゆくまでやってみたほうがいい。
それはきっと「やったほうがいいぞ!」という合図。

「あいつのやっていることは、くずのようなことだ」
そのような思いを抱いていても、
はっきりめんと向かって誰かに言う人は少ない。
だから、言ってもらえたら
心から「ありがたい言葉」をもらったと思って、やってみたほうがいい。
今のコンピュータ将棋がその証明だ。
「くず」と言われながら着実に一歩一歩進めば、
進化を遂げることができるはず。空もとべるはず。



★ラブリー
倖田來未さんの新曲「ラブリー」(小沢健二のカバー)
プロモーションビデオを見ました。
まあ、PVについていろいろと言っている人もいますが、
それはそれとして。

倖田來未さんの歌う「ラブリー」を聴いて思ったこと。
「小沢健二の『ボーカル』はやっぱりいいな」ということ。
これは倖田來未さんの歌がダメだということではなく、
‐倖田來未さんの声で聴いたから
 小沢健二ボーカルのよさに気づけた‐ということ。
...
「音程を外さない」「何度歌ってもきちんと同じように歌える」
といったことに関しては、
小沢健二よりも倖田來未さんのほうがきちんとできることでしょう

ただ、「同じように歌うことはおそらくできない、再現不可能」な感じが、
「ラブリー」という曲であり「LIFE」というアルバムに
リアリティを与えているような気がするんですね。

おそらく、「ここの音が怪しい」とか「もっといい表現が」とかいうのは
小沢健二の歌にはたくさんあると思うのです。
アルバムに収録されているものですら。

だけどまあ、それがリアルな「LIFE」なんじゃないかと。
日々の生活はまるで毎日同じようだけど、
「まったく同じ1日」は過ごせない、絶対に。

「生きていく」ということはつまりそういうこと。
常に躍動している。踊っている。リズムをとっている。ゆらいでいる。

その「ゆらぎ」こそ、LIFE。
「ゆらぎ」はいつか止まる。すなわち「死」。
小沢健二の歌は「多幸感」だけでなく、
幸せがあるがゆえに別れがあること、
終わりがあることをきちんと伝えている。

以前、「ボーカロイドは息をしている感がなくて、生きている感がない」
(ブレスの音を入れているけれど、
 やはりどうしても「ブレスの音を入れているだけ」という感じ)
と書いたけれど、同時に「死ぬ感、死への思い」が感じられない、
とも思うのです。

小沢健二の歌は、きっちり歌うよりも、
ゆらいでいたほうがそれっぽいんじゃないか、
つまり、小沢健二のあの歌い方、あの歌こそ、
「小沢健二の歌」においてはベストなのではないか。

そんなことを倖田來未さんボーカルのラブリーを聴いて思ったのです。
倖田來未さんは人間なのでまだ何か感じられるものがありますが、
「ボーカロイドの小沢健二」には、何か感じることができるのか・・・
もし、機会があればきいてみたいものです。

サニーデイサービスにも同じことが言えるんですよね。
演奏のうまい・下手で聴いていたんじゃないんです。
サニーデイの昔の曲は、
どんなテクニックがなかろうとあの演奏こそが
その曲にとってベストであって、
うまくやってもたぶん面白くないんじゃないかな、と。