独断と私見

私が実際に買った本、外食のあーだ、こーだデス

2017/06

・『田中角栄vs竹下登』


1983(昭和58)年12月18日投票された、
第37回衆議院総選挙から
1986(昭和60)年9月までの
日本の政界の動向を政治評論家の著者が描く。

当時、自由民主党内最大派閥の
田中角栄率いる田中派が、
政界を牛耳っていて、
しかも田中は”刑事被告人”でありながら
”闇将軍”として、
政権を作っていた。

第一次中曽根康弘内閣では
田中の絶頂期と同時に、
田中派内の不満が出てきた時期で、
竹下登と金丸信のコンビが
田中派の”乗っ取り”を
画策するのが進行していく。

自民党総裁任期切れ間際に、
田中派の二階堂進が福田赳夫、鈴木善幸に持ち上げられ、
「二階堂擁立構想」(第三章)が出てきたが、
金丸が話し合いで治めた。
その論功行賞で金丸が幹事長を射止める。
ここから田中の凋落が始まる。
この事件は、
当時野党だった民社党、公明党も巻き込んだ
大掛かりな仕掛けで、
田中に近いとされていた公明党も一枚噛んでいて
当時の委員長と書記長の会話(P222)は、
意外な感じがする。

この頃は、
次世代のリーダーとして
竹下、安倍晋太郎(福田派)、宮澤喜一(鈴木派)が挙がっていた。
それぞれ、派閥に所属していてまだ親分が健在という状況、
個々の政治家の思惑が絡み合って、
この時期の政治家は
”寝業師”が多かったなあと思う。

竹下は、創政会を立ち上げるが、
田中派内の派閥だけあり
田中逆鱗に触れ、切り崩しにあう。
が、その心労と不摂生から
田中は脳梗塞に倒れる(第五章)。

政治家の健康は、
最大の死活問題である。
以降田中の影響力は落ち、
田中派は徐々に数を減らし竹下派へと変貌していく。
そして、中曽根と竹下・金丸、他派閥の
新たな権力争いが始まる(第六、七章)。

権力争いは醜いものだが、
第三者の目線で読むと
これほど人間臭さいものはないと思う。

『シマゲジ風雲録』


シマゲジ風雲録―放送と権力・40年
島 桂次
文藝春秋
1995-02-01


著者は、NHK会長を務めた島桂次(1927~96)。
読んでても、政治家との交流や
NHKの人事で自分が影響力を持ったことなど、
自慢話があら胸くそが悪い。

が、2004年から出てきたNHKの不祥事とは、
直接関わるものではないが
NHK的体質が伺えて面白い。

NHKの予算に関する記述(第2章)には、
腹立たしい限り。

島自身もNHK改革の必要性に気づき(P175)、
会長就任後も推し進めたようだが、
如何せん政治に足を突っ込み過ぎたようだ。
島が田中角栄に近かったことから、
田中が病で倒れると
次第に竹下派経世会から睨まれ
会長職を追われる。
なお、のちにNHK会長となった、
海老沢勝二氏が竹下派経世会に近いことが
本書で再三指摘されてある。 
(2011年8月9日記)

『川路聖謨』

川路聖謨 (人物叢書 新装版 214)
川田 貞夫
吉川弘文館
2020-11-20


幕末の人物では、地味なほうに入ると思う。
川路聖謨(1801~68)は、
幕府への忠誠ぶりが評価され
順風満帆に出世する。

一番輝いていたのは、
ロシアの使節で
海軍中将エフィム.ワシリエビッチ.プチャーチン
との外交交渉であろう。

井伊直弼の出現で川路の人生は暗転し、
桜田門外の変で井伊が暗殺されると、
一時的に幕政に復活するものの
もはや川路が必要である時代ではなくなっていた。

川路は優秀な役人だったが、
それは幕府の中でしかも
"縁の下の力持ち"という存在であった。

残念なことに、
生まれた時代が遅かったようだ。
川路は忠誠を誓った徳川幕府とともに、
この世を去る。

その死に方は、ピストル自殺で
日本人として始めてとされている。
(2011年8月9日記)

『決定版 私の田中角栄日記』



長年田中角栄の秘書を勤めた著者の抜粋日記。

田中に心酔しつつ、冷静に見る
複雑な心境もうかがえる。

田中の秘書と言えば、早坂茂三だが
著者の見方は厳しい(P93)上、
案外田中も評価していなかったのかとも
思われる点(P75)も見受けられる。

のちの、"椎名裁定"が佐藤栄作の画策(P158)
というのは、ありそうでちょっと疑問がある。

田原総一郎氏が書いた
「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」
(『中央公論』1976(昭和51)年7月号)の記事を
田中が、肯定したのは驚く(P251)。
(2011年8月11日記)

『徳川将軍家十五代のカルテ』



内容は、書名どおり。
プラス結城秀康、松平忠輝、
徳川光圀の死因を探っている。

"死"は誰でも避けることができない。
だから、どのように死を迎えたかは
多少興味がある。

著者は、医師(整形外科)であり
作家であるから、病気の診断は
納得するものがある。

九代将軍家重を
"知的にすぐれた脳性麻痺"
としているところには注目する。
家重というと"小便公方"というのを
思い浮かべるが、
著者の見解をとれば
別な見方も出来る。
(2011年8月9日記)
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