龍神の雨 (新潮文庫)
道尾 秀介
新潮社
2012-01-28


 やー、どーも、私です。(・◇・)ゞ

 今日は寒いので?さっくりと道尾秀介の「龍神の雨」と最近観た映画、イギリスフランス合作の「ターゲット」についてつらつら書こうと思います。


 まず、本当にさっくりと「龍神の雨」の感想ね。うん、あのね、身近に殺人鬼がいると大変だよね、みんな。って感想です。はい。

 以前も書きましたけど、道尾秀介ってどーしてこんなにこんなんなんだろ? はて? 

 なまじ、雰囲気のある文章を書きながら、まったく中身がそれに伴っていないよね。だからすげえ肩透かし。文章は読めるし、最後まで飽きはしないんだけど、なんつーかな、食べログの情報だとここの料理はもっと美味しくていいはずなんだけど、どうもそこまでの味じゃないよね、みたいな? 画竜点睛を欠くような? いまいち決め手に欠けるぼやけた味というか、まあ、言っちゃうと、文章は書けても小説家としての才能がないんだろうなっていう感じ。最後の最後のところで、才能ってものに行き着くのかなーと思います。ほんと。

 でもね、私、とても身勝手無責任に道尾さんの再就職先はこれがいいんじゃないかってのを見つけました。それは、テレビドラマの脚本家。

 あのね、この作本はテレビドラマにぴったりだと思うんですよねー。小説向けではない感じ。

 いや、巻末でね、道尾さんが「小説を読まない作家」みたいなこと言っててね、「人と話したり呑んだりというところから生まれる」みたいなこと言ったっつー話が載ってまして、それでかーと思ったんですよ、私は。

 どういうことかっていうと、どうもこの人、小説の流儀を踏まえてないというか(逆にそれでここまで書けるんだから大したもんだとは思いますが)、今回の小説もね、龍神の雨というタイトル通り、作中で雨がずっと降ってるんですね。

 でも、小説的にどうも雨が降ってる感じがしないんですよ。龍神というモチーフにうまく物語を乗せられてない。雨がキーワードなはずなのに、ちっとも雨が降らないんですね、小説の中に。で、それは読者に雨を意識させるポイントを押さえてないからだと思うんですよ。それで雨が降らない。

 むしろ、私の中に描かれてるのは夏の海なんですよ。この夏の海、回想シーンが繰り返し描かれるんですけど、そのせいで「いま」雨が降ってることを忘れちゃいそうになる。どうもそっちの天気につられちゃうというか。それほど繰り返しだし、印象に残るのが夏のほうになっちゃう。

 でもさ、テレビドラマなら視覚的にずっと雨降ってるし、小説にできない人にあってると思うんですよねー、そして小説ではちょっとひどすぎる結末も、(レベルの低い)テレビドラマ界では相当高尚な方になると思いますし。本気でね。

 だってさー、伊坂幸太郎じゃないんだし、殺人鬼がふつーに身近に出てこられてもなんなの?っていうか、冷めるだけっていうか、あれ、こういう話だったっけ?みたいな? はいはい、よかったですね、殺人鬼ですよ。伊坂幸太郎みたいな世界観じゃ別だけどね、ミステリの解決に殺人鬼!は安直すぎでしょ。まあ、殺人鬼ってより、変態サイコパスなんですけどね。誘拐して監禁してる少女の部屋の鍵を、うっかりかけ忘れてしまうという、とてもお茶目なサイコパス。

 まあねー、他人の見えない部分はわからないっていう話はそこそこ面白いのかなとは思いましたけど、にしてもレベルが低いというか、もっとうまく書けるはずというか。はい、そういう気持ちでございます。「龍神の雨」終わり。

ターゲット [DVD]
ビル・ナイ
Happinet(SB)(D)
2011-12-02


 で、イギリスフランス合作映画の「ターゲット」なんですけど、コメディ映画なんですけど、これが結構面白かったのでご紹介。

 よくできていたと思います。コメディって間が重要だから、小説は難しいんだよね。これは映画の特性をうまく使ったコメディでした。また、これを見ることで、「文化の違い」という一言で言い表せながらも難しいものを感じることができたのも、とても大きな収穫でした。

 ほら、年末の浜ちゃんの黒塗り問題あったじゃないですか。あれが私の心にずっとくすぶっていて。あの問題に対する結論としては、擁護側も批判側も説明が間違ってんなってのが感想ですけど、日本人にとってあれは差別じゃないんですよ。

 白人はね、本当に黒人を差別してるから(ぶっ殺したりトイレ分けたりするほど)、そしてその差別を乗り越えたという歴史があるから、日本人のあれをみて「まだこの(後進国は)差別をしている!」と言うわけです。

 でもさ、日本ってぶっちゃけ全部ひっくるめて「外人」じゃん? 白いか黒いかって違いはあるけども、どっちも外人じゃない。そう言われると、(差別意識のどうしても残る)白人は「黒人と一緒にされるなんて!」ってショックを受けると思うけど、実際そうだよね。

 だってこの頃は見かけることも多いけど、日本は東の果ての島国、どっちもあんまり見たことないし。でも、別にぶっ殺したりしないよね。トイレ分けないよね。同じ飲食店にいても不快じゃないよね。島国の悲しさで、上に見ることはあっても、見下すことはないよね。その「差別」って言葉の意味するところが白人様方と違うってのが、まず一点。


 で、二点目として、日本の笑いとあちらさんの笑いが違うということ。これはどういうことかというと、日本のコメディアンは「笑われる」のが仕事。あちらさんの(アメリカ)コメディアンは「笑わせる」のが仕事だということ。これは大きな違いです。

 以前、日本の女芸人が「女芸人はブスじゃないと認められない」みたいなことを嘆いてたって話を聞いたことがありますが、それは日本文化を考えれば至極当たり前のこと。「笑われる」対象がすげえ美人ってのは無理があるでしょ?そういうことなんですよね。

 で、それを前提にすると、「浜ちゃんが黒塗りをしている」という事実に対して、我々が笑っているのは「黒塗りにされた浜ちゃん」であって、決して(この場合の)エディ・マーフィーを笑っているわけではないということ。つまり、黒人を笑っているわけではないし、そもそも「黒人を笑う」っていうことが、白人にとってはよおく理解できることであったとしても、日本人にとってピンとこない感覚だということも書いておきます。


 で、三つ目というか、その他たくさんの複雑な要因ね。まず、エディ・マーフィーの面白さだよね。

 彼がなぜ日本で有名かというと、やっぱ山寺宏一のアテレコでしょう? あのすげえハイテンションで面白いやつ。だから、日本でいうエディ・マーフィーは山寺宏一とも言えるよねw。ここには声優文化も絡んできますわ。

 もう日本のエディ・マーフィーは黒人とか俳優とかそういうんじゃなくて、山寺宏一的人格も混じった、ただ面白いやつなんですよ。だから、もし山寺宏一が白人の面白いやつをやってたら、今回の(黒人差別)騒動は起きなかったとも言えますね。いや、大真面目に。つまり、犯人は山寺宏一………w?

 またね、いまのダウンタウンの位置ね。大御所なのに顔になんか塗られてぞんざいな扱いを受けているという面白さ。


 つまるところね、これは文化の違いだと思うんです。黒塗りにされた浜ちゃん問題は。……というとね、「でもそれによって傷つく人がいるんだから!」と言われると思います、はい、想定内の批判です。ホリエモンです。

 でもでも、ここでよくよく考えてみてほしいんですよ。もし、「それによって傷つく人がいる」、という理由が通るのならば、「面白いことを差別だと言われて傷ついた人」はどうなるんでしょう。黒塗りに笑ったことを「不謹慎だ」と責められて、傷ついた人もいるはずです。

 これは悲しき日本人の性で、何を隠そう、私もそうなんですけど、白人様に言われたことが正しいと思って傷ついてしまう。でもその正しさってどこにあるんでしょう? それは文化や歴史が生み出した価値観から生まれるものです。

 でも、それなら「傷つく人がいる」のは当たり前ですよね。国と国に限らず、個人個人で文化は違う。ある事象に対して、「傷つく人がいる」というのは当たり前なんです。それが大きいか小さいかの違いだけで。


 そうはいっても、人間は自分の文化の外のものには想像力が働かないものです。そこで、一例をば。

 例えば、タイでは子供の頭を撫でるのはいけないことだそうですね。そんなことをしたら怒られるそうです。ああ、そうなんだ、と思った方。知ってるよ、と思われた方。では、タイの風習を知って、「子供の頭を撫でるのは良くないことなんだ、じゃこれから子供の頭を撫でるのはよそう」と思いますか?「親戚の子が来ても、頭を撫でないでいよう」と思います?

 多分、思いませんよね。それはなぜですか? 科学的でないから、根拠がないから、そういう答えが返ってくると思いますが、私は断言します。それはそういう風習のある国がタイだからです。

 これがアメリカだったら? ヨーロッパだったら? てめえら日本人は「不謹慎なんだ」といって子供の頭を撫で無くなるはず。

 いい例が「おいでおいで」のジェスチャーや中指を立てるというジェスチャー。あれはあちらさんではよくない仕草だということになってるので、日本人は自然とやってないはず。同じように根拠のないことにもかかわらず。

 どうですか、他文化と他文化がフラットになりましたか? そして、いかに欧米(と一緒くたにしちゃダメだけど)の声が大きいか、確認できましたでしょうか。


 そこで、私はこの論をもう一歩進めたい。今の時代、「違う」ことは当たり前ですよね? 障害者はいうまでもあらず、LGBTやらなにやら、「違っていい」時代です。そうですよね。それを侵せば人権侵害です。

 で、それは個人だけの話じゃないと私は強く主張したいんですよ。それぞれの文化も尊重されるべきだ、ということを主張したい。つまり、外国に日本の文化をけなされるいわれはないってことですよ。

 我々には、我々の文化があると言っていい。文化という、それほど大きなものが侵されながら、個人が尊重されるわけがない、そうでしょう?

 あいつらは(特にアメリカ人は)自分の国のことしか知らないんです。自分たちの文化しか知らない。他国の文化なんか、それこそタイの「子供の頭を撫でる」ような、バカみたいなもんだと、頭から否定している。だから、日本に意見してくる。で、白人を追いかけてきた日本は、それが「正しい」と、自分たちが培ってきたものを捻じ曲げて捨てようとしている。

 私は別に愛国者じゃありませんが、それはとても悲しいことだと思う。私は、タイの人は子供の頭を撫でなくていいと思う。マレーシアの人は激辛カレーを子供に食べさせていいと思う。韓国の人は、すべての起源が韓国にあると主張し続ければいいと思う。

 これはまったく皮肉ではなく、それが彼らのやり方なのだから、私たちはそれを認めるべきだと思う。はっきり言って、他文化には私たちの信じられないような価値観が存在する。でも、それを私たちが信じられないからと言って、どうして強制的に変えさせる理由になる?

 中にはそれが重大な人権侵害(強姦や殺人)であることもあって、それは止めなければいけないことだと思うけれど、そうではないこと――「傷つく」という理由だけで、あなたは他文化を侵害してはならない。それはつまり、理解が欠けているだけなのだから。あちらが「傷つく」と主張するならば、私たちも「侵害しないでくれ」という権利があるはず。

 でも、日本人はそういうの、苦手ですよね。いままで他民族と関わってこなかったから。でも、言っていいんだと、私はここから声を大にして言いたい。この問題に関して、「日本は遅れてる」と傷ついた日本人が、「そんなこと言われる覚えはない!」と言いながらも傷つき、右翼のような言動に転じる日本人が、私は本当に哀れだと思う。心からかわいそうだと思う。なので、こんな長文を(いつのまにか……)書いてしまいました。

 日本はもっと誇りを持った方がいい。というと、なぜか戦争の話や右翼の話に結び付けられるけど、それは違う。戦争とはただの政治手段で、また、現代に正義の御旗を掲げる戦勝国は、戦敗国よりも多くを殺したからこそ戦勝国となった、そうではありませんか? また、左翼の方々は感情論を拠り所にするべきではない。もっと崇高な理想がそこにはあるはずだから。


 とまあ、なんかごめんね、道尾秀介! ばばあ、熱くなっちゃうところがあるからさーなんつーか、こんなに書く予定じゃなくて、さくっとやるつもりだったんすよ、まじで。まぢ、ごめん。

 あー、それでターゲットの話だったよね。いや、あれがフランスの笑いなんだろうなって思ってさ。そうやって文化の違いを考えたときに、あの風刺絵出版社がテロリストに襲われた事件を考えてさ。

 実は、私、「嫌な人がいるんだから書かなきゃいいのに」って思ってたんだよね、当時。でも、それは違うなって結論に行き着いたのさ。あれがフランスのやり方であり、それをマジに受け取っちゃう人はいたけども、でもそこで折れないのがフランスの誇りであり、いままであのヨーロッパを生き抜いてきた人々のやり方なんだって感じたんですよ。で、それは尊重しなければいけないと思ったんです。

 ってか、自分は自分、人は人。よそはよそ、うちはうち。日本は日本、フランスはフランス、アメリカはアメリカ。そう考えると単純に相手を尊重できるんじゃないでしょうか。

 少なくとも、遠いアフリカから黒人を輸送して、奴隷にして、いまもぶっ殺している人たちのトラウマを、我々日本人が負うことはない。それはそちらの問題だよ、そう言ってあげればいいと思います。もっと自分に誇りを持って!

 ちなみにターゲットでの私のお気に入りは、彩りのオウムです。最終的に色がくすんじゃってるところが大好きです。ってか、こういうのもアメリカでは批判の対象だと思いますよ。でも、いいじゃない。それが違うっていうことなんです。そして、私はとても笑った!

 ということで、次はまた書評で会いましょう。ばいばい!(*・ω・)ノ