グロテスク
桐野 夏生
文藝春秋
2003-06-27


 どもどもー。今回は第31回泉鏡花文学賞受賞作「グロテスク」でございますよー。(・◇・)ゞ

 裏には「圧倒的な筆致で現代女性の生を描ききった、桐野文学の金字塔」って書いてありますよー。

 2001年から2002年にかけて連載されたってので、まー古いですわな。

 15年前? まあ、なので今更感ありありなんですけど、金字塔っていうくらいですからね、知ってますか? 金字塔って、ピラミッドのことですよ? この「グロテスク」はあの巨大ピラミッドのように素晴らしい作品だと言うことで。読みました。


 まあね、古いとは言いますけど、私に言わせりゃ、小説ってのは古くなったらダメなんですよ。ラノベとかね、流行廃りでゴミの山を築いていくようなクソはエコじゃないんですよ。時代を感じられるってのと、古いってのは違いますからね。

 いい小説はウイスキーと同じで、寝かせた年月分の深みが味に出てくるってもんなんですよ。長い時間は、いい小説を選抜してくれるって言ってもいいですね。ゴミ屑は消えていきますから。

 で、この「グロテスク」もつまんねーから、早晩消えることになると思うよ。

 
 何だろうねえ、この作家は。「顔に降りかかる雨」江戸川乱歩賞をとったときは、それなりにいい読み味の小説を書いていくんじゃないかなと思ったんですが。



 あれはちゃんと「書いた」んでしょうね、いま思うと。ちゃんと書かなくなったらこの有様かと思うと、まあ、げんなりです。この「グロテスク」もひどかったし、「東京島」はもっとひどかった。

東京島 (新潮文庫)
桐野 夏生
新潮社
2010-04-24


 なに、あれ? 女の腐ったような男、という表現がありますけど、この人も相当腐ってますね。なんつーか、たぶん、この人が本当にやりたい事って小説を書くことじゃない気がする。文化人になりたい、みたいな、そんな腐った匂い。だってほんとつまんねーんだもん、「グロテスク」。


 そりゃ、いつも言うように「小説として破綻はしていない」けど、それはイコール面白いって事じゃねえからな! このクソが! 

 「グロテスク」は何かと言えば、「長いウンコ」です。これは、「静かなるウンコ」の仲間です。分厚い上下巻(文庫版)のウンコ。長い。マジで長すぎる。

 もちろん、そう感じるのはつまんねーからで、面白かったらこんなぶつくさ言わないよ。むしろ、もっと読みたいもん。ほんと、ま・じ・で!つまらんの。(゚皿゚メ)

 あと、一人称がド下手。全然引き込まれねえ。これだったら、湊かなえの方がましってレベルで下手くそ。まほかるの「ユリゴコロ」もあんま面白くないって言ったけど、「グロテスク」よりは全然まし。そのレベルでつまらねえ。

 長々と一人称語りだけで続けてさ、ほんと下手くそなんだよ。だから、すげえ長いって感じちゃうの。


 またさあ、一人称の語りって、つまりその人の感情が入ってて「事実」とは違うわけじゃん? 

 この小説も、合計4人かな、語り部がいるんだけど、一人称語りには、それぞれの語りが食い違う面白さってのがあるはずなんだよ。それが、ない。ってか、レベルが低すぎて、もうどうでもいい。( ・Д・)


 もう下手くその例を挙げるとね、まず、構成がおかしい。

 語り部が4人と言いましたけど、上巻では始まりから半分までが「わたし」の語り。
 次が短い一章分、わたしの妹「あたし」の語り。
 で、「わたし」に戻って上巻ラストまでって感じなんですが……。

 バランスが悪い。下巻もぐちゃぐちゃと構成が乱れます。


 あのさ、ここにも微妙に三浦しをん問題が顔を覗かせているんですが、この「グロテスク」という物語全体に作用する主人公を「わたし」とするなら、ほかの3人の語りは「わたしと同じ語り」同列のものではなく、違う形にしなきゃだめなんです。また、そうでないとしたら、4人の重さを同列に扱わないとおかしなことになる。

 つまり、三浦しをん問題というのは、作者が物語全体が見通せていないことで起こる悲劇です。

 
 まあ、一応「グロテスク」では、「わたし」の語りが大部分を占め、そのほかの3人の語りは手記という形で出てきます。

 でも、それが全然手記っぽくない。ふつーの、「わたし」と同じ語りになってるし、だいたい、誰が「語り」の手記を残すんだ。

 そういうとこも不自然だし、それを突然、「わたし」の章の最後で「お読みになっても絶対信じないでください。ほんとに全部嘘です。この手記の内容を信じないとお約束してくださるのなら、お見せします」とか、ほんと、唐突に読者に語りかけてくんの。

 あんた、そういう設定だったっけ?(☆゚∀゚)


 で、手記が終わると、またフォローみたいに「わたしの話も聞いてください。ユリコにこんな嘘ばかり書かれてしまっては、口を挟まずにおれません」とか言ってくる。

 これ、ちょっとご都合主義過ぎやしませんかね? だってこれ、ラストは「私は(中略)ではないかと目を凝らしました」で結んでるわけ。

 もし、この物語が読者に向かって語られていたのなら、このラストはおかしいでしょう。だから、途中の「信じないで下さい」うんぬんは、作者の都合なんです。

 手記をどんな風に出すか、というより、そもそも、「わたし」以外の語りをどういう風に小説に組み込むかと考えたときに、手記ってアイディアしか出なくて、じゃそれを本文に入れるときどうしようって思った時に「読者に語りかけてる体にしちゃえ」ってそこで決めたんですよ、たぶん。

 だから、ラストとちぐはぐ。で、それは小説のルールから外れてると思う。

 そう考えると、この小説はクソと罵ってもいい気がしますね。これだけでも作者が「物語」のためではなく、「自分の都合のいいように」書いただけの紙くずだと言うことがおわかり頂けたでしょう。マジ、長いウンコですよ。構成のことだけでも。

 そしてもちろん、構成だけじゃなく、文章にも惹かれないし、話もクソつまんねえ。

 どんな話かというと、「わたし」にはすっげーきれいな妹とコンプこじらせ系空気の読めない友達がいるんですが、その二人が過程は違えど結果的には娼婦になってて、あまつさえ同じ男に殺された、と。で、それはなぜか的な?

 えー、ネタバレしますと、べつになんつー理由もないです。「~~~だったのかもしれません」みたいな雰囲気責めで終わる感じ。
 
 なんかこれね、元になった事件があるらしくて、「昼の顔はキャリアウーマン、夜の顔は娼婦」の女性が殺されたって事件らしいんですけど、それのオマージュ?的な?

 その事件は知らないけど、まー、スポーツ新聞や下世話な雑誌辺りが好んで憶測をかき立てそうな事件ですわな。で、桐野夏生も下世話な記者よろしく、いっちょ小説でオマージュってみた、みたいな。まー、完全な失敗作だと思うけど。

 これだったら、たぶんスポーツ新聞の憶測記事の方が面白かったんじゃない?えっろいやつ。はっきりいってこの小説、何が書きたいんだかわかりませんからね。無駄に長いだけで。


 色々書いてますけど、こういうのはあれじゃないですか、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってやつ。いろいろ書いときゃどれかは持ち上げられるだろう!みたいな魂胆じゃないですかね。

 まーそれか絶望的に構成力がないかのどちらか。二択ですよ、もう。はい、まだ短ければいいけど、長いクソを読まされて鬱憤溜まりまくりですよ。


 「OUT」は実は読んでない(と思う・もしくは下らなくて忘れた?)んだけど、読む気しねーわ、こんなん読んだら。

 ああ、そういえば、「東京島」もそうだよね? 実際の事件を元にしたやつ!

 ……ほら、この作者、ちゃんと書く気がないんじゃないですか。一から考える気ゼロ。ちゃんと考えればいいのに、人に乗っかってるばっかりだからつまんねーんじゃねえの? 毎日奇抜な事件探してWiki巡りですか? ご苦労様ですね、作家様ってのは。


 ……とまあ、散々言いましたから、読む人はいないと思いますけど、ウンコは触ったら手につくからやめようねってお話でした。それでは、また。アデュー!(*・ω・)ノ

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今日は何位になっているかな?(´∀`)

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