多治見市にある廃墟・通称「古虎渓ハウス」を訪れた。というか、古虎渓ハウスが建つ県道は今まで何度となく通っていたが、車を停める場所がないのでなんとなく素通りしていた。

 今回は愛岐道路沿いの古虎渓公園に車を止め、そこから徒歩で近づくことにした。この公園も寂れており、寛げない雰囲気がある。眼前は市之倉川の渓谷、背後は断崖絶壁となっている。
 右の写真は公園のはしっこから見た市之倉川。ここだけ見るとまるで秘境みたいだ。古虎渓公園              
市之倉川






 
 公園を出て、県道を川の上流に向かって歩く。道が大きく左へカーブする。このカーブの先に古虎渓ハウスがあるが、あえて右手にある歩行者用道路を歩いてみる。九十九折を登ると、素掘りのトンネルが現れ、少々驚いた。こんな所にトンネルがあったとは。トンネルを抜けると料亭の真下に出るので、今度は川の下流方面へ歩く。素掘りのトンネル
上流側より下流側より







  道路右側に古虎渓ハウスが見えてくる。最初にこれを目にしたときの異様な衝撃は今でも忘れ難い。ネットで画像を見てはいたのだが、正確な場所を知らなかったこともあり、それは運転中の私の目に突然飛び込んできたのだった。
 こうして徒歩で建物の真下まで来ると、その激しい荒廃ぶりに絶句する。ここが廃業したのは1974年頃だったと何かに書いてあった気がするが、その後長きにわたってここは荒らされ続けてきた。心霊スポットなどと噂され、蹂躙され、侵され、挙句にボヤ騒ぎまであったらしい。
 しかもこんな荒れた姿となっても尚、このような車通りのソコソコある県道沿いに存在し続けている。

 私は廃墟道を始めてまだ日が浅いが、廃墟に残る生活の匂い・人の痕跡・かつて人で賑わっていたであろう夢のまた夢のような過去の日々、そうしたものに心動かされる。古虎渓ハウスのように、人為的に荒らされた廃墟からは夢の日々が消され、代わりに蹂躙された歴史が積み重なっていく。酷だがそれも廃墟の1つの宿命かもしれない。帰りの道すがらそんなことを考えた。