2010年03月

ずっと仲良しでいてくれた時は思い出の宝箱〜いつまでも振り向けばほら友達

昨日はヒメさんの中学校の卒業式でした。

小学校・中学校ともに小規模校なので9年間ず〜っと学年に1クラスしかない単学級でした。
(途中から転入してきた子もいるから全員が9年一緒ってわけじゃないけどね)

なんていうか本当に男女の別なく、仲良しだけど仲が悪くて、でもなんとなく理解しあえていてっていう兄弟・姉妹みたいな関係。

小学校低学年のころは『AくんがBちゃんにいじわるばっかりする』とか『あんまりあたまにきたからぶっ飛ばしてやった』とかそんな話ばっかりで(笑)
あまりにもお互いに言いたいことばかり言ってお互いを思いやれないことに頭を悩ませた担任が緊急保護者会を開いたくらい。

小5のときに当たった担任はとんでもなくいわゆる“ハズレ”の先生で一時期ヒメの顔から笑顔が消えかけたこともあったっけ。
(詳細は 過去記事 参照ください)
でもおかげでクラスはとってもまとまったと思う。
(この“ハズレ”っていうのはあくまでもワタシの個人的感情であるので他の方にはそうでもなかったかもしれないけれど)

小6になった時に担任が代わり、子どもたちが笑顔を取り戻し何をするにもきちんと取り組むようになった。
『その時 その場 せいいっぱい。』
その先生が小学校の卒業式の日にくれた言葉。昨日の卒業式にも届いていました。

中学に入るときに何人かが私立に行ったり越境したり、また新たに転入してきた子もいたりしたけどクラスの人数が34人になった。
途中で転入してきた子もいて最終的には35人のクラス。
この秋の最後の体育祭は紅白同点で幕を下ろし、仲良しクラスを2分して競技に臨んだ3年生のためのような紅白2チームともに優勝(?)というネタのような結果に。
合唱祭ではさすがに3年生という貫禄を後輩たちに見せることができたっけ。

中学校の3年間って親からすると、『あっという間の3年間だったけれどとてもとても中身の濃い3年間。』そんな印象。

子どもから大人への成長過程の第一段階。
難しくて扱いづらくてわけが分かんない。
自分でもどうしてイイのかワカラナイって言うんだから始末に負えない。
それでも人から聞くともっともっと大変なお家もあるから、ウチの子たちはまだマシなのかもしれない。
(ま、自分の13〜15才なんて目も当てられなかったことを考えると子どもたちに偉そうなことは言えんのだが^^;)

そんなこんなで迎えた義務教育最後の卒業式。
感動モノでした。

35人しかいないから、ちゃんとひとりひとり名前を呼ばれて壇上で証書を受け取る。
セーラー服のスカートのすそを翻して席へと戻るヒメ。
色んなことが頭をよぎり涙が滲んできちゃいました。
その後アカペラで仰げば尊しを男女混声合唱で歌われ日にゃ教科が音楽の担任も出席していた親も来賓の方々もウルウルでしたよ。

そして最後の卒業生退場の前に、担任・副担任への感謝の言葉を言うところでもう・・・ワタシの涙腺を抑えていた堤防は決壊しましたさ。
花粉症の影響で涙よりも鼻水のほうが多くて体育館にワタシの鼻をすする音が響いたのはご愛嬌(笑)
担任も副担任も涙と鼻水でグズグズになってた(^^;)

この担任っていうのが3年間受け持ってもらったんだけど・・・・・。
なんだかワタシとの相性がイマイチっていうか、たぶんにワタシが苦手なタイプの方であまり上手にコミュニケーションが取れなかった。
何て言うか・・・子どもたちのことをわが子のことのように考えすぎて厳しくなってしまうタイプの方。(卒業式の前日の夜に宿題が出たって聞いたときはワロタ)
たぶん子どもたちの『今』には響きにくいけれど『大人』になってから彼女を思い出したときに感謝できる先生だと思う。
いつかいつか子どもたちの心に彼女の言葉や指導の数々がすっぽりと収まる日が来ることを願う。

卒業式の後に教室で最後の帰りの会。
先生の話を聞いた後、あっちこっちで始まる写真撮影。
昇降口を出てからも写真撮影。

明るくてにぎやかにはしゃぐ子どもたちを見てたら、 おニャン子の『じゃあね』 が頭の中にリフレイン。
いつまでもいつまでもキャッキャ言いながらはしゃいでいて校舎から離れようとしない子どもたち。
ずっとずっとそのままの関係でいられるといいね。


そしてそんなはしゃいでいる女子集団に近づく一人の男子が・・・・・・・。


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布団の中で開幕戦の巻

はいはい負け組のどんぐり母さんですよ


木曜日、なんとなくのどがイガイガで頭痛がする
金曜日、花粉だけではないと思われるほど蛇口全開のお鼻
土曜日、咳が出始め・・・夜にはゼイゼイヒューヒュー状態
日曜日、、、、、、発熱orz



木曜日に公立の一般入試の合格発表があり、特色で受かった子もこの日に手続き関係の書類をもらってくる。

帰宅後にヒメからその書類を預かり『これで受験が終わった〜』とホッとして気が緩んだんだなきっと。
(決して中に入っていた今週中に収めなきゃいけない数万円や説明会の日に購入しなければならない教科書代やら体操服代やら入学までにそろえなければならない制服代やら書かなきゃならん書類の数々のせいで頭痛がしたワケではないと思いたい^^;)

日曜日朝『おとなしく寝ているように!』と8時過ぎに家を出たオット殿からきつく申し渡され薬を飲んで12時半までぐっすり。
なんとか起き出し昼食をとり(食欲は何とかあった)薬を飲みもーろーとしたまま布団に入ってTV&スカパをON。
真っ黄黄の日立台を見て『行きてぇぇぇぇぇ!』とだみ声で叫んでみたら兄ちゃん&ヒメに『うるさい』と叱られる。
解説の関塚さんがバラをべた褒めしているのを聞いてなんだか息子を褒められているようでなんだかこそばゆいくらい嬉しくなる。(←親ばかモードw)
フランサがフランスベッドよりすごい(←なんのことか分かんない人は3/5のキタジのブログを読んでくれ)
タナジュンガンガレ!
ってかキクチ怖いよ〜〜〜。
ってか韓国人怖いよ〜〜〜。
って思ってたらやられたorz

でもここで勝てたことは大きいよね。

さてさて来週の栃木はどんな布陣でしょうか。

楽しみでワクワクしてきた。

チケット買った?

年チケ以外のみなさんもうチケットは買いましたか?

我が家は年チケじゃありませんのでいそいそとロッピーに行くのですが・・・。
先週の時点で余裕で購入できちゃってます。
鳥栖戦に至っては毎度毎度瞬殺だったALが買えちゃいました。

ホント今期は1万超える試合少ないんじゃないかと心配になってきた(^^;)

スタジアムへGO!!したくなるような試合してくれれば増えるかな?

大宮の塚本選手

他サポなわけですし、正直彼には『やられた〜』という印象しかなかったわけですが・・・。

ニュースを聞いたとき普段は無神論者というか現実主義のワタシですが『神様って残酷な試練を与えるんだな』って思った。
本人がつらいのはもちろんだけれどクラブ関係者や周囲の人、ご家族の心中を思うと本当に・・・。

大好きなサッカーを仕事にした息子。
子どものころからずっとそれを支え続けた親御さん。
(ホント少年サッカーをやらせるのって大変なんだから!)
こんな形でプロとしての道が終わるかもしれないなんて思ってもいなかったろう。

本人の会見を聞いて心中を察して余りあり涙がでてきた。

そして『手術しなくても大丈夫だよ』って言ってくれる病院を一緒に日本中捜し歩いたという親御さんの気持ちを思ってもまた泣けてくる。

ワタシだったらと考えてみる。
子どもの思いをかなえてやりたい。
でも命をなくすようなことにはなってほしくない。
だけど子どもの歩む道を進みたがっている道をなんとかみつけてやりたい。
でもやっぱり生きていてほしい。
でもだけどでもだけどでも・・・。
『あきらめろ』
言葉は簡単だけど口に出すのはそれこそ振り絞るような思いでなければ言えない。
『生きていてくれ』と。

塚本選手の会見を聞いた。
記事でも読んだ。
ひとつひとつ言葉を選んで涙ながらにも感情をなんとかコントロールしようとしていて・・・。
とてもとても立派で素晴らしい会見だった。
親御さんは誇りに思っていい。
素晴らしい人に育ってくれたと。

でもね。
立派じゃなくてもいいの。
誇らしくなくてもいいの。
素晴らしくなくてもいいの。
生きていてくれさえすれば。
親のエゴだと言われてしまえばそれまでだし、『その通りですごめんなさい』としか言えないけれど。
そこにいてくれさえすればいいんだ。

骨肉腫という病気は現代医療をもってすれば手術の成功と予後の治療によって寛かい率はとても高いとのこと。

これから先つらいことが現実としてたくさんあるだろうけれど、家族の笑顔の中に塚本選手がいることを、そしてまた自分自身が輝ける道を歩めることを、応援するチームは違うけれどサッカーが大好きなものとして願ってやまない。

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