2007年09月
2007年09月20日
マナカナは偉大だ
長嶋さんの奥さんが亡くなられてしまいましたね。
長嶋さんの奥さんは、野村さんの嫁みたいに表舞台にしゃしゃり出てこなかったので、その人となりはよく知りませんが、でもそここそが有名人の嫁のスタンスとしてぼくが一番好きなスタンスなのでね、それとなくは好意的に思ってはいましたね。
ですから、亡くなられた事に関して、なにか寂しい気持ちみたいなのは沸いてきますね、はい。
しかしあれですね、ピンクレディーの振り付け師も亡くなりましたし、阿久ゆうさんもお亡くなりになって、次々と昭和という時代を代表する方達やその人達に近かった人が亡くなっていきますね。
こうなるといよいよ昭和も終わりですわ。
ぼくなんかは昭和生まれではありますが終わりの方だったんでね、昭和に対して何の思いもありませんが、昭和が青春、もしくは全盛期だった人達は今どんな気分なんでしょうね。
やっぱり寂しいんでしょうかね。
まあ、知ったこっちゃないですけど。
しかしこれだけひとつの時代を愛せるってのは凄いことですよね。
恐らく平成生まれの人間にとっての平成と、昭和生まれの人間にとっての昭和ってのは、その時代に思い入れがあるかどうかという、要は意識的なものの差が相当あると思いますよ。
やっぱりそこの差はなんなのかって言うと、時代を代表するスターがいたか否かってことになると思うんですよね。
例えば昭和には、石原裕次郎、美空ひばり、長嶋茂雄、王貞治、野村克也、松田勇作、と、まあ色々いますわ、伝説的な人物が。
じゃあかたや平成はどうだ?
となった時に、そういった伝説的なスターなるものがいるかっていうと、正直いませんからね。
そこはやっぱりでかいでしょうね、時代を語る上で。
まあ、敢えて私的な考えで言いますと、イチロー、松井秀喜、木村拓哉辺りは平成を代表するスターだと思いますよ。
でも果たして昭和の人が思うそれと、平成の人間が思うそれとでは、一緒なのか否か。
ぼくはそこは否だと思いますね。
もうこれはあれなんでしょうね、懐古趣味と言いますか、人間ってのは昔を美化したがるものですからね。
ですから、いまいち現存する人物に対しての評価や思い入れが低いと。
また、昔の人物を変に神格化してしまうと。
もうこれに尽きるんでしょうね。
でもあれですよねえ、昭和生を生きた人ってのは正直羨ましい感じはありますよね。
なんせ、全く関係の無い人物が死んだって泣けるんですから。
例えば石原裕次郎が亡くなった時にいくらの人間が泣いたか。
これは死ではないですが、長嶋茂雄が引退した時なんかは日本中の男が泣いたって言いますけど、ぼくはそれがあながち大袈裟なものとは思えませんからね。
つまり要は、そこまで思い入れられる人物がいるってことが羨ましいんですよ。
イチローが引退した時に日本中の男が泣くかって言われたら、「そこは大袈裟だろう」って思っちゃいますもの。
そこがなんか長嶋さんの時と違いますよね。
そんな、昭和生まれ平成育ち駄目そうな奴は大体友達、のぼくが、この人が亡くなったら泣くだろうと思う人を挙げてみたいと思います。
まずは【明石家さんま】ですかね。
やっぱり、小さい頃からTVに出ているのが当たり前の人ですし、常に明るく笑いを振りまいてくれる人なわけですから、まあ恐らく泣きますわ。
同じような理由で【タモリ】さんが亡くなった時も泣きますでしょうね。
このお二方は、TVにあまり興味が無い自分にとっては「TV=このお二方」みたいなんがありますからね、そりゃまあ泣きますわ。
そこのとこたけしは違うんですよね。
正直あまり見て育ったわけでは無いですから。
これはもう親の影響やなんやもありますね。
あとはなんと言いましても【長嶋茂雄】さんですよ。
このお方が亡くなった時はもう、確実に泣きますよ。
なんでしょうね、この人は昭和のおっさん達にだけではなく、そのおっさん達の息子世代にとっても大きな存在の人なんじゃないですかね。
下手すりゃあ天皇よりもぼくにとっちゃあ大きい存在かもしれませんわ。
これもやっぱり親の影響でしょうね。
ぼくの父親なんかは長嶋茂雄が神様だと思ってるぐらいの人でしたからね、その影響はやっぱりありますわ。
他に誰かいるかって言うと、うーん…、正直いないですかねえ、
いやまあ、幅広く見ましたら、太田光やSMAPの誰かが亡くなっても泣きますよ。
でもそこはまだ早いと言うことでね。
その、なんて言いますか、50オーバーの人ってことで言いますと、やっぱり明石家さんま、タモリさん、長嶋茂雄ってことになりますかねえ。
野村さんが死んだ場合はこれ微妙ですな。
泣くかもしれないけど、泣かないかもしれない。
恐らく泣くだろうけど、案外泣かないかもしれない。
という、まあなんとも曖昧な感じですわ。
取り敢えず言えますのはね、全く関係の無い人まで泣かす事の出来る有名人。
寂しさを募らせる有名人。
これはもう偉大過ぎますわってことです。
少なくとも安倍さんが亡くなったってなんとも思わないですからね。
ということはつまり、一国の長である首相なんかより、よっぽど芸人やスポーツ選手の方が偉大であり大事だってことですわ。
福田がなろうが麻生がなろうが知ったこっちゃないわい。
長嶋さんの奥さんは、野村さんの嫁みたいに表舞台にしゃしゃり出てこなかったので、その人となりはよく知りませんが、でもそここそが有名人の嫁のスタンスとしてぼくが一番好きなスタンスなのでね、それとなくは好意的に思ってはいましたね。
ですから、亡くなられた事に関して、なにか寂しい気持ちみたいなのは沸いてきますね、はい。
しかしあれですね、ピンクレディーの振り付け師も亡くなりましたし、阿久ゆうさんもお亡くなりになって、次々と昭和という時代を代表する方達やその人達に近かった人が亡くなっていきますね。
こうなるといよいよ昭和も終わりですわ。
ぼくなんかは昭和生まれではありますが終わりの方だったんでね、昭和に対して何の思いもありませんが、昭和が青春、もしくは全盛期だった人達は今どんな気分なんでしょうね。
やっぱり寂しいんでしょうかね。
まあ、知ったこっちゃないですけど。
しかしこれだけひとつの時代を愛せるってのは凄いことですよね。
恐らく平成生まれの人間にとっての平成と、昭和生まれの人間にとっての昭和ってのは、その時代に思い入れがあるかどうかという、要は意識的なものの差が相当あると思いますよ。
やっぱりそこの差はなんなのかって言うと、時代を代表するスターがいたか否かってことになると思うんですよね。
例えば昭和には、石原裕次郎、美空ひばり、長嶋茂雄、王貞治、野村克也、松田勇作、と、まあ色々いますわ、伝説的な人物が。
じゃあかたや平成はどうだ?
となった時に、そういった伝説的なスターなるものがいるかっていうと、正直いませんからね。
そこはやっぱりでかいでしょうね、時代を語る上で。
まあ、敢えて私的な考えで言いますと、イチロー、松井秀喜、木村拓哉辺りは平成を代表するスターだと思いますよ。
でも果たして昭和の人が思うそれと、平成の人間が思うそれとでは、一緒なのか否か。
ぼくはそこは否だと思いますね。
もうこれはあれなんでしょうね、懐古趣味と言いますか、人間ってのは昔を美化したがるものですからね。
ですから、いまいち現存する人物に対しての評価や思い入れが低いと。
また、昔の人物を変に神格化してしまうと。
もうこれに尽きるんでしょうね。
でもあれですよねえ、昭和生を生きた人ってのは正直羨ましい感じはありますよね。
なんせ、全く関係の無い人物が死んだって泣けるんですから。
例えば石原裕次郎が亡くなった時にいくらの人間が泣いたか。
これは死ではないですが、長嶋茂雄が引退した時なんかは日本中の男が泣いたって言いますけど、ぼくはそれがあながち大袈裟なものとは思えませんからね。
つまり要は、そこまで思い入れられる人物がいるってことが羨ましいんですよ。
イチローが引退した時に日本中の男が泣くかって言われたら、「そこは大袈裟だろう」って思っちゃいますもの。
そこがなんか長嶋さんの時と違いますよね。
そんな、昭和生まれ平成育ち駄目そうな奴は大体友達、のぼくが、この人が亡くなったら泣くだろうと思う人を挙げてみたいと思います。
まずは【明石家さんま】ですかね。
やっぱり、小さい頃からTVに出ているのが当たり前の人ですし、常に明るく笑いを振りまいてくれる人なわけですから、まあ恐らく泣きますわ。
同じような理由で【タモリ】さんが亡くなった時も泣きますでしょうね。
このお二方は、TVにあまり興味が無い自分にとっては「TV=このお二方」みたいなんがありますからね、そりゃまあ泣きますわ。
そこのとこたけしは違うんですよね。
正直あまり見て育ったわけでは無いですから。
これはもう親の影響やなんやもありますね。
あとはなんと言いましても【長嶋茂雄】さんですよ。
このお方が亡くなった時はもう、確実に泣きますよ。
なんでしょうね、この人は昭和のおっさん達にだけではなく、そのおっさん達の息子世代にとっても大きな存在の人なんじゃないですかね。
下手すりゃあ天皇よりもぼくにとっちゃあ大きい存在かもしれませんわ。
これもやっぱり親の影響でしょうね。
ぼくの父親なんかは長嶋茂雄が神様だと思ってるぐらいの人でしたからね、その影響はやっぱりありますわ。
他に誰かいるかって言うと、うーん…、正直いないですかねえ、
いやまあ、幅広く見ましたら、太田光やSMAPの誰かが亡くなっても泣きますよ。
でもそこはまだ早いと言うことでね。
その、なんて言いますか、50オーバーの人ってことで言いますと、やっぱり明石家さんま、タモリさん、長嶋茂雄ってことになりますかねえ。
野村さんが死んだ場合はこれ微妙ですな。
泣くかもしれないけど、泣かないかもしれない。
恐らく泣くだろうけど、案外泣かないかもしれない。
という、まあなんとも曖昧な感じですわ。
取り敢えず言えますのはね、全く関係の無い人まで泣かす事の出来る有名人。
寂しさを募らせる有名人。
これはもう偉大過ぎますわってことです。
少なくとも安倍さんが亡くなったってなんとも思わないですからね。
ということはつまり、一国の長である首相なんかより、よっぽど芸人やスポーツ選手の方が偉大であり大事だってことですわ。
福田がなろうが麻生がなろうが知ったこっちゃないわい。
2007年09月12日
転校生がまた転校してっちゃった
安倍さんが辞任を表明しましたね。
ぼくは詳しい事はわかりませんが、取り敢えず安倍さんにはなんか可哀想なイメージを抱いちゃいましたね。
とことん色んな人からいじめられて、結果心が折れて朝青龍状態になっちゃったみたいなね。
いや、別に鬱病とかでは無いんでしょうけど、なんとなくそんなイメージです。
けど実際そんな安倍さん自体は悪いことしてないと思うんですよね。
お金だなんだっていう問題を抱えた馬鹿な政治家が多すぎだって話なだけでさ。
まあ、それを選んでしまった安倍さんにも問題はあるんでしょうけど。
でもなあっていうね、なんかいじめを想起させんなあって感じですね。
それに大体安倍さんがやめたからって何かが変わるとは思いませんし、逆に辞めなかったら何かが変わったかもしれないとも思いますしね。
大体そんなもんたかだか一年で何がわかるっていう話ですよ。
会社員だって三年やってみて転職を考えるって言いますし、その三年っていうのは要は、新入社員が仕事を覚え会社内のかってを知って仕事の抜きどころ等をわかって、それで合わないと思うからやめるとかの考えに至るものなんだと思うわけですよ。
野球選手だってサッカー選手だってなんだって、一年やって結果出なかったから解雇っていう、そんなとんでも話ありませんし、逆に一年結果を出したからといって次の年も結果を残せるかというわけでもない。
ですから、物事を計るのに一年なんていうのは全然足りなくて、何かを決断したりするのには早いってもんですよ。
それで、安倍さんが今回辞めるに至ったのは結局マスコミやなんやが批判し過ぎたからなんだと思うわけですよ。
先輩にいびられて新入社員が辞めちゃったっていう構図ですよ。
だからぼくはなんか、いじめられちゃって辞めたっていう風に感じたというわけです。
いじめられっ子がいじめに負けて転校しちゃったみたいな。
転校して来た子がうまく打ち解ける前にまた転校していってしまったみたいな。
それでそういう場合は、いじめっ子達やクラスメートは後悔するって展開に大体相場は決まってんですよ。
「あの子はこの学校に楽しい思い出なんて無いんだろうなあ」「あの子はこの町を好きになってくれたかなあ」「ぼくたちはあの子にとって嫌な思い出でしかないんだろうなあ」っていう風にね。
まあ、一国の首相と新入社員と転校生を一緒くたに語るのはあまりにも馬鹿な話なんですけどね。
ぼくは詳しい事はわかりませんが、取り敢えず安倍さんにはなんか可哀想なイメージを抱いちゃいましたね。
とことん色んな人からいじめられて、結果心が折れて朝青龍状態になっちゃったみたいなね。
いや、別に鬱病とかでは無いんでしょうけど、なんとなくそんなイメージです。
けど実際そんな安倍さん自体は悪いことしてないと思うんですよね。
お金だなんだっていう問題を抱えた馬鹿な政治家が多すぎだって話なだけでさ。
まあ、それを選んでしまった安倍さんにも問題はあるんでしょうけど。
でもなあっていうね、なんかいじめを想起させんなあって感じですね。
それに大体安倍さんがやめたからって何かが変わるとは思いませんし、逆に辞めなかったら何かが変わったかもしれないとも思いますしね。
大体そんなもんたかだか一年で何がわかるっていう話ですよ。
会社員だって三年やってみて転職を考えるって言いますし、その三年っていうのは要は、新入社員が仕事を覚え会社内のかってを知って仕事の抜きどころ等をわかって、それで合わないと思うからやめるとかの考えに至るものなんだと思うわけですよ。
野球選手だってサッカー選手だってなんだって、一年やって結果出なかったから解雇っていう、そんなとんでも話ありませんし、逆に一年結果を出したからといって次の年も結果を残せるかというわけでもない。
ですから、物事を計るのに一年なんていうのは全然足りなくて、何かを決断したりするのには早いってもんですよ。
それで、安倍さんが今回辞めるに至ったのは結局マスコミやなんやが批判し過ぎたからなんだと思うわけですよ。
先輩にいびられて新入社員が辞めちゃったっていう構図ですよ。
だからぼくはなんか、いじめられちゃって辞めたっていう風に感じたというわけです。
いじめられっ子がいじめに負けて転校しちゃったみたいな。
転校して来た子がうまく打ち解ける前にまた転校していってしまったみたいな。
それでそういう場合は、いじめっ子達やクラスメートは後悔するって展開に大体相場は決まってんですよ。
「あの子はこの学校に楽しい思い出なんて無いんだろうなあ」「あの子はこの町を好きになってくれたかなあ」「ぼくたちはあの子にとって嫌な思い出でしかないんだろうなあ」っていう風にね。
まあ、一国の首相と新入社員と転校生を一緒くたに語るのはあまりにも馬鹿な話なんですけどね。