2014年06月19日

私信です。


ATMの件、ありがとうございます。
Tさんには、僕も日曜日に電話したのですが、繋がらず困っていました。
お手数をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。

ヤフーメールが仕様変更になり、現在送信等の操作が出来ない状態です。
受信メールも、一度は読めたのですが、再度読むことができなくなってしまいました。
昨日に送信しようとしたメールの文章が何故か?下書きホルダーに残っているのですが、それを送信する事自体が出来ません。
音声読み上げブラウザとの相性の問題だとおもうので、今後使えるか分かりません。
メール使えないのは致命傷ではありませんが、不便になったなぁと思います。

今日はSさんが、ベトナムで言うバインバオ(バインセオ)とサラダを持って、お見舞いに来てくれました。
日本人好みに味付けされていたのか、こんな美味しいバインセオ始めて食べたと思いました。
Sさんは部屋にあった炊飯器の中を見て「井上さん、フチの方に何か一杯こびり付いていますよ。これ、水で洗った方がいいんじゃないですか?」と言われたので、
僕は「いえ、この炊飯器のオカマは買ってから、一度も洗ったことがないんですよ、、、。」と応えました。
Sさんは「まぁ、すごい免疫力、、、。」とほめてくれました。

Sさんが組長の奥さんと流暢な英語で何か話をされていたので、
屋台のオバチャンのことを聞いてもらえないか?と思い、今朝オバチャンが持って来てくれたビニール袋に入った豚肉をSさんに見せて、
「これを毎日持って来てくれているオバチャンがいるんですけど、、、。」と話すと、
Sさんは「それなら、私の所に来ているカンボジア人に聞いてもらいましょう。」と言ってくれました。
Sさんから、電話かメールで連絡があるのではないかと思います。
連絡がありましたら、また報告いたします。

井上
  

Posted by donkyblog at 19:50

2013年08月09日

ベトナム・ショップ1割引中でした。

今日は洗濯を自分ですれば洗濯代の節約になるのではないか?と思い
山本さんに中國拉麺の帰りにモニボン通り沿いのベトナム・ショップに寄ってもらいました。
洗剤や洗濯バケツ等が、1割引セール中で少し安く買えました。
自分で洗濯すれば、多少の運動になるし月5ドル程度の節約になるのではないかと目論んでいます。

《名言メモ》
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 死ぬる時節には死ぬがよく候。 これはこれ 災難をのがるる妙法にて候
(良寛の書簡より)
『生きづらさの正体』/ひろ さちや 著(日本文芸社)

ちょっと一言・・・
全ての出来事を最善と考えるなら、おめでたい生涯をすごせます。
偶然と考えるのが化学、必然と考えるのが宗教とすれば、
脳は常に納得を求めるのに唯物論は答えをくれません。
良寛の有名なこの言葉は不幸にならない為の究極のノウハウかもしれません。

《買い物メモ》
・洗濯洗剤2.5kg4.42ドル
・プラスティック製蓋付きバケツ14l4ドル
・プラスティック製蓋付きバケツ20l4.8ドル
・プラスティック製ゴミ箱1.69ドル
・プラスティック製ゴミ箱1.33ドル
・ラーメン(ノンフライ麺)0.4ドル12袋
・単4電池(2本組み)0.97
・プラスティック製バスケット篭1ドル2個

合計24.01
10パーセント引き価格21.61
  

Posted by donkyblog at 23:02

2013年08月08日

資産の話

一年を10日で暮らすいい男と呼ばれたのは、昔の力士ですが、
今僕は、それより10日も少ないイイ男です。
実は、山本さんもジムで体を鍛えたり、クメ語学校に通って忙しそうに見えますが、利息で暮らすイイ男です。
どこに、いくら預金しているか?は、教えてくれないので分からないのですが、
例えば、あまり信用のないカンボジアの銀行に米ドルで預金すると年利6%、リエル預金で約10%です。
夜越しの金を持たない僕には関係のない話なのですが、
僕の想像では、たとえ米ドルでも1千万円の預金があれば利息で今の山本さんの生活が可能です。
僕の深海魚のような月3万円生活であればリエル預金で360万円あれば利息で生活できる計算になります。
今、世界に流通する物やサービスの中で最も売買されているのは、土地でも金でもなく『お金(通貨)』です。
資産としての確実性は動かないのでレバレッジも効きやすい不動産や流通量に限りがあるデフレリスクが少ない金(ゴールド)にはかないませんが、お金はいつでもお金になります。
ただ、ドル紙幣なら日本の銀行で換金可能(持ち出し規制があるので、大金の外貨持ち出しは出来ません)ですが、
リエル冊を日本の銀行に持って行っても「そんな汚い紙切れ、その辺のゴミ箱に棄てて来て下さい。シッシッ」と言われてしまいます。
経済のボーダレス化が続く限り、宝くじのような株よりは、新興国の現地通貨は長期的に悪い選択でもない気がします。
また、僕のように資金のない人間は仕方がないので労働時間は要りますが、ネット上にタダで持てる資産を作るという方法もありなのかなぁと思います。

《名言メモ》
私達は毎日、すごい世間の重圧のもとで生きています。〜
子供の頃から、「世間の笑い者にならないよーに」「人から後ろ指を差されないよーに」と言われて育って来ました。〜
そしてその結果、私達は自分で自分を縛りつけます。〜
世間の重圧に押しひしがれている人というのわ、もっとわかりやすくいえば、世間からのイジメに会っている人です。〜
おかしな日本の現代社会の中でイジメられている人達〜
 あなたが なぜイジメられるかと いえば、あなたが「まともな人間」になろーとしたからです。
『生きづらさの正体』/ひろ さちや 著(日本文芸社)

ちょっと一言・・・
旅の魅力の一つは、世間というカルマ、日本社会のシステムから逃れられることかもしれません。
もし、その旅が永遠に続くとしたら、、、僕達は、、それを『解脱』と呼びます。

《買い物メモ》
・扇風機18ドル

山本さんに連れて行ってもらい扇風機をもう一つ買いました。
蚊は扇風機の風圧に耐えられないので、蚊よけに体の両面から風をあてようと考えました。
ベトナム製の扇風機なら9ドルで買えるのですが、すぐに壊れてしまうのでタイ製の18ドルもする扇風機にしました。
  

Posted by donkyblog at 19:44

2013年08月07日

スシ食べに行きました。

今月始めに、なんと500ドル近くもアフィリ入金があった僕は、
山本さんに『鮨バー』に連れて行ってもらいました。
奢ってもイイと思っていたのですが、なぜか山本さんは「貧乏な井上さんから寿司を奢ってもらう訳にはいかない」と言われ割り勘になりました。
サイゴンに居た頃はアフィリ入金があった日に『鮨バー』に行きマグロ丼を食べ、帰りにカフェオムに行くのが恒例行事になっていたのですが、
ppに来てから『スシバー』に行くのは初めてです。
カウンターの向こうに居た板前が、ちょうど日本語が話せるカンボジア人だったので、注文やお茶をその板前に頼み、板前がウエートレスにクメール語で伝えてくれました。
僕は鉄火丼を、山本さんはにぎり9個セットを頼みました。どちらも税込み6.3ドルです。
中國拉麺館で6ドル以上食べるのは、さすがに僕でも不可能ですが、中國拉麺館にマグロ鉄火丼はないので仕方ありません。
客は50人位いたそうですが、ほとんど白人で、日本人は怪しい中年男2人組い以外は旅行者風のアベックだけだった様子です。
鉄火丼を一口食べて、日本人客が少ない理由が分かりました。
シャリにカンボジアの普通の米を使っている感じです。
寿司に使う米には不適当に思えます。
これだと白人の舌は騙せても、日本人のリピーターはそう多くない気がします。
サイゴンのスシバーは、ベトナムの普通の米ではなく、日本米に近い米をつかっているはずです。
それでもppの店としては白人客で流行っているので問題ないのかもしれません。
フランス生活が長かった山本さんに「パリのスシ屋はどうでしたか?」と聞くと「調度こんな感じですよ。日本と同じレベルを求めるのはムリがあると思います」と言われました。
更に山本さんは「ネタも新鮮じゃないですね。マイナス1度cでキッチリ安定して保存すれば鮮度は保てるはずなんですが、、、」と言われました。
僕は付き一回のリピートも迷う気がしたのですが、山本さんは酒の種類の多さに「スシはアレだけど、酒を飲みに来たい」とはなされていました。

《名言メモ》
飯を食らって、やがて死ぬ
『三国志』吉川英治著|新潮社

ちょっと一言・・・
三国志演義は、言わずと知れた名言の宝庫オンパレードですが、
この言葉は三国志を一読して僕が最も印象に残った凄い名言の一つです。
劉備に「どちらかが付けば天下を取れる」とよばれた三国志の二大軍師、伏龍こと諸葛亮孔明と鳳雛ことホウ統士元ですが、
その鳳雛が就職試験の際に「お前に何が出来るんだ」と聞かれて言い放ったのが「飯を喰い、やがて死ぬでしょう」、、、この達観具合にシビレました。

ぶらぶらしていた鳳雛先生に孫権は「何の芸があるか?」と尋ねます。
ホウ(广に龍)統は答えた。「飯を食い、やがて死ぬだろうよ」。
孫権が「才は?」と訊くと「ただ機に臨んで、変に応じるのみ」とぶっきら棒に答えます。
人生しょせんヒマ潰し、人間しょせんウンコ製造機と言わんばかりの鳳雛先生のニヒリズムがステキです。

《買い物メモ》
・プラスティックのイス(小)1.25ドル
・プラスティックのテーブル6ドル

湯沸し機を置く為の小さいイスとベッド脇に置くテーブルを買いにオルセー市場へ山本さんに連れて行って頂きました。
テーブルは4ドルと5ドルと6ドルの物がありましたが、大きさはほとんど同じで6ドルのテーブルが丈夫とのことでパソコンとかを起きたいので6ドルのテーブルを買いました。
  

Posted by donkyblog at 21:30

2013年08月06日

国籍不明の謎のフランス人


先日からリスペクトしている謎のフランス人ですが、やはり只者ではありませんでした。
本人からその話を聞いた本因坊さんが『本当かよ?』と思いグーグル検索したのですが、
本因坊さんの話では「80%本物だろう」との事でした。
彼に会った某日本人経営者も「もし、彼が偽物だとしても一を言えば十を理解するレベル、ビジネスパートナーとしても十二分に使える」みたいに話されていました。
どうも本物くさい様子で、本因坊さんが「話題性があるので記事にするかも」との事なので、今ここではそのことには触れません。
実は僕の向かいの部屋に住んでいたのですが、彼の友人から500ドル振り込まれた日に、
彼は本因坊さんに手伝ってもらって、山本さんの住んでいるすぐ近くの100ドルのアパートに引越しました。
只者でなかった彼ですが、ストッパーの効かない芸風は相変わらずで、アパートの家賃やデポジットを払い、ベッドや扇風機などの備品を揃え、本因坊さんを高級レストランに招待しました。
レストランから高級バーに梯して大盤振る舞いをしてみせた後、本因坊さんに「僕は、こういう生き方しか出来ないんです」と語った時点で彼の所持金はその日の内に再び底を付いていました。
彼は帰りの交通費のバイタク代も無かったのか、アパートまで1時間も掛けて歩いて行ったそうです。
その後、2日間何の連絡も無かったので、心配になった本因坊さんが3日目の朝に彼のアパートを訪ねてみると、予想通り2日間何も食べていなくて死にそうな顔をしていたそうです。
見兼ねた本因坊さんが、水と食パンを買って来てあげて、「そんな風では、この国で生きていけない」と一席ぶって来たそうです。
フランス大使館とかで彼の正体がわかれば、何とかなりそうな気もするのですが、今後の展開に目が離せません。

《名言メモ》
僕には煙草を 吸わない 人の気持ちがわからない−− そーいう人は、人生の最良の部分、少なくとも きわめて 優秀な快楽を断念するに ひとしいんだからな。僕わ朝 眼を覚ますと、今日も一日 煙草が吸えると思うと嬉しく なるし、食事の際にも、その後の煙草が楽しみで仕方が ない。〜
しかし煙草のない一日なんて、僕には、この上なく味けないね、まったく荒涼とした何の魅力もない一日だな。〜
つまり上等の葉巻があれば、それこそ安泰しごくで、何の不足も感じない。調度海辺で寝そべって いるよーな ものさ。海辺に寝そべっていると、 ただ そこに寝そべっているだけで、その他には何もいらないだろー、仕事も娯楽も。〜
極地探検者も、辛苦を凌ぐのに煙草を十分に用意して行くそーだが、僕わそーいうことを本で読む度に深く感動してしまうんだ。実際どんな艱難を凌がなくちゃ ならないかもしれないからね。−− もし僕が今、大変悲惨な目にあうと仮定すれば、葉巻がある間はなんとか堪えてみせるよ、僕わ。
『魔の山』 (岩波文庫) トーマス マン著

ちょっと一言・・・
古典的名作『魔の山』からの感想がタバコかよ?みたいな、、、。
環境ホルモンとかもそうですが、免疫の概念からは異物として排除されるべき物質を人体が簡単に受け入れ、副交感神経とかの精神に影響するって不思議だなぁと思います。

《買い物メモ》
・電気湯沸し機(1.5l用)12ドル

本因坊さんに貸して頂いた電気ポットが大変に気に入り、もう一つ買って来てもらいました。
水道水でも一度沸かせば飲んでもイイという、子供の頃の3秒ルール(床に落ちたお菓子でも3カウント以内なら食べてイイ)みたいな感じですが、
2個を代わりりばんこに使うと先に沸かした方のお湯は既に冷めているので別にお金を出して飲料水を買わなくても蛇口の水道水オンリーで済むようになりました。
残った冷めたお湯というか水は、5ガロンの水の容器に入れて貯めて置けばいつでも飲めて便利です。
  

Posted by donkyblog at 17:48

2013年08月05日

山本さん、コンポンチャムから生還

《日記メモ》
山本さんが通われているクメール語教室は強制的にホームステイさせられる仕組みのようで、
山本さんにあてがわれたホームステイ先はコンポンチャムの町から更に車で1時間以上も行った「電気も通っていない家だった」そうです。
コンポンチャムの町を過ぎ、車が民家のある方ではなく、
とうもろこし畑の中に曲がった時は、「こんな所に人の住む家があるのだろうか?」と思われたそうです。
飲み水も体を洗うのも全て雨水、もちろんトイレット・ペーパーみたいなお洒落な物はありません。
桶から掬ったヒシャクノ水で手動ウオシュレットです。
夜は家族全員がひとつの部屋に集まり蚊帳の中で寝ます。
それでも村人達の表情は皆おだやかで「こんな所でも人は幸せに暮らせるんだなぁ」と思ったそうです。

《名言メモ》

神の死は結局のところ絶対者に終りをもたらすと同時に人間自身を抹殺する二重の殺人行為である〜
つまり、人間の死において、 まさに神の死わ完成するのである。
(カント 『にんげんがく』のフランス翻訳本に付した序文より)
フーコー 他のように考え、そして生きるために(神崎繁著 NHK出版)

ちょっと一言・・・
宗教という文化は人々が平和に暮らすための、また不幸にならないために生活の知恵のような長年の間に蓄積されたノウハウだったのかもしれません。

《買い物メモ》
・ココナッツで作った甘味料(300g)1ドル

本因坊さんにシアヌーク通りの健康食品店のようなオーガニック・ショップに連れて行ってもらい買いました。
白砂糖程、甘くないのですが血糖値の上がり方はゆるやかな気がします。
  

Posted by donkyblog at 18:16

2013年08月04日

小野田さん無事帰国

《日記メモ》
今日は、先日まで、プノンペンで大変にお世話になった、
大きな声では言えない話を、大きな声で喋る小野田さんから、
無事に日本に帰国されたとのメールを頂きました。
了承も得ずに勝手に日記に書いてしまい、申し訳ないことをしたなぁと思いました。
ヘタに井上にアウト、あることないこと書かれてしまうと思われたのではないかと思うのですが、
昔から僕の芸風を知る小野田さんなので、許してくれるのではないかと勝手に考えています。
小野田さんにプレゼント頂いた、
電気蚊取り、ありがたく使わせて頂いております。
液体が大分と少なくなって来たので、
山本さんにラッキースーパーまで連れて行って頂き、
お昼に、スペアを2個買ってきました。
中国製電気蚊取りのリキッドタイプは24時間付けっ放しにすると1週間位で消費してしまう様子です。
液体のスペアは1個2ドル弱なので、
今後は、もう少し節約して使わないといけないなぁと思います。

《名言メモ》
学を絶たば憂い無し
(老子-第20章より)
『バカボンのパパと読む老子』(角川SSC新書): ドリアン 助川著

ちょっと一言・・・
近代教育を受けた合理主義的信仰心の厚い特に女性はダブルマインドで子育てする事になります。
日本人の精神的劣化が叫ばれるこの頃ですが、
2400年前の老子のメッセージの真意に現代人はそろそろ気付いていい頃なのでは、、、。
僕もこの日記とかでも書きたいと思っていた事の全てを既に老子が紀元前に語っていたことに、やっと気づきました。

《買い物メモ》
・タバコ8本(ビニール袋入り)200リエル

コンポンチャムから帰って来た山本さんが「こんなの売ってました」と煙草8本入りをくれました。
200リエルなので8本で5円程です。1本の値段は、えーと、、、。
とにかくタダの隣のような強烈な安さと匂いと強さです。
一服しただけで、頭はフラフラ、舌はヒリヒリで結構、気に入りました。
問題はフィルターが無いので、タバコの葉っぱが口の中に入って来る事くらいです。
  

Posted by donkyblog at 18:16

2013年08月03日

久しぶりの餃子館

《日記メモ》

作家さんも、お忙しいのか、僕がある事ない事を書き立てたせいか最近はあまり遊びに来てもらえなくなり、ついにドコか遠くの国に行ってしまわれた様子です。
どこか遠くの国に行かれてもシックスサマナの更新はつづけられるとのことでスゴイなあと思いました。
山本さんも選挙の喧騒をのがれコンポンチャムに遊びに行かれてしまったので、
暇になった僕は、本因坊さんに「僕を昼飯に連れて行って下さい」と電話を架けました。
選挙中は従業員の多くが投票の為に田舎に帰ってしまうので、どこの飯屋やレストランも休業状態です。
本因坊さんは「もう、その件(どこかメシ食える所ないか?という)で、3人も電話かかって来ましたよ。中國拉麺館でさえやってないんですよ」と言われました。
昔オキデーに泊まっていた頃は、よく歩いて行ける餃子館に行っていたのですが、
最近は、餃子館の2件南にも同じような中華料理店が出来たとの事で、仕方がないのでそこに焼き餃子を食べに行きました。
本因坊さんは「こちらのギョーザの方が中國拉麺館よりジューシーで美味しいですよ」と言われました。
中國拉麺の餃子は、焼き餃子というより揚ギョウザなので日本の餃子のイメージには餃子館の餃子の方が近いのですが、どちらの餃子も皮が部厚いので、半分は皮を食べてる感じです。
僕は餃子の皮については中國拉麺館の方がモチモチして美味しいと思いました。
以前に山本さんに、その話をした時に山本さんも「やっぱり手打ちにはかないませんよ」と言われてました。
山本さんはイタリアに住まれていた頃は、いつも1ユーロの手打ちパスタの店に通われていたそうで、
「一度、手打ちパスタを食べてしまうと他は不味くて食べれない」と言われてました。
僕が、いつも中國拉麺館に行くのは手打ち麺が食後血糖値の上がり方がゆるやかと感じるからかもしれません。

《名言メモ》
眠っている時は人はみな純心そのもの覚めた時に初めて善悪に分かれる
善悪は人間本来のものではない多くは教育に原因するものである
(ホーチミン獄中日記より)
ホーチミン伝 ・チャールズ・フェン著・岩波新書

ちょっと一言・・・
アダムとイグはアクの果実を食べたから地上に堕されたのではありません、『善と悪の知恵の果実』を食べたからです。
元々、天上界にいた正義の神様であった阿修羅が前代未聞の二段階カーストダウンをなしとげ畜生界に落とされたのは、正義に執着したからです。
聖書とヒンドゥ教のこの2つの物語は同じ教えを言っているように思われます。
今も多くの不幸が正義という名の『業』と教育という名の洗脳によって行われている気がします。

《買い物メモ》
・インスタントラーメン(51袋ダンボール1箱)6.5ドル
・粉ミルク5.8ドル
・ヘッドホン7ドル
  

Posted by donkyblog at 16:30

2013年07月18日

インドシナ某刻から見えた呪術師


昨夜、作家さんから「インドシナ某国に10年以上住まれている方がお見えになっている」という連絡を頂き、待ち合わせのレストランまで本因坊さんに連れて行ってもらいました。
その宮古さんには以前に、一度お会いしたことがあり、その際に名刺も頂いたのですが、ちゃんとしたお話をお聞きさせてて頂くのは始めてでした。
宮古さんについては、作家さんが何かの形にされると思うので、僕は軽々しく喋れないのですが、
今も微妙に興奮が冷めやらない状態です。世の中には、スゴイひとがいるなぁ、ここにも『忘れられた日本人』が居たと思いました。
「井上さんが某国に見えたら、井上さんのタイプのネーチャンを用意して置きますよ」みたいなことも言って頂き感激しました。

宮古さんは「井上さん、あのドブ池で毎日、沐浴されていたんですか?」と尋ねられました。
実は、あのフラッシュ映像は作家さんが当時に僕がすんでいたベトナム僻村に遊びに来て頂いた際に、
僕の日常風景を撮りたいという事で、dvdカメラを持って犬の散歩に付き合ってもらった事がありました。
途中にドブ池があったのですが、僕が「このドブイケで、よく子供達が水浴びしてるんですよ。ハァハァはっ」と笑いました。
その時、作家さんがピタッと足を止めて、「井上さん、お願いがあるんですが、、、」と嬉しそうに言われました。
僕は一瞬、映画『地獄の黙示録』の巻頭シーンが頭を過りました。
『きょ、巨匠、、、そ、そんなご無体な、、、』と思ったのですが、黒沢監督のお願いは、
『ドブ池の中からヌーッと顔を出してくれ』ではなく「ちょっと泳いで見てくれませんか」という事だったので安心しました。

宮古さんに『アメリカの喉元に刺さったトゲ』と呼ばれた頃のキューバ時代からの過激な人生をお聞きしてキューバ政府から授与された勲章も見せて頂きました。
インターネットも無い時代だったので、僕達は、こんなステキな日本人がいたことも知りませんでした。
かつて『キューバ危機』の影で暗躍した日本人青年がいたことを歴史の闇に葬り去ろうとしていたのです。
作家さんや本因坊さんと一緒に夕食をご馳走になり、更にお土産まで頂いて帰りました。

(以下、昨日の日記です。)

今朝は本因坊さんが、昨日にお願いした洗濯物を持って来てくれました。
昨夜は、深夜1時、2時に何度ネット接続を試みても出来なかったので、
僕がパソコンの設定を知らない内にイジってしまい接続出来なくなってしまったのではないか?と考えていました。
その事を本因坊さんに話すと、このghに泊まられている他の人も昨日はネット接続出来ていないとの事で、取り合えず安心しました。
ただ、このようにネット接続が出来ない状態が長期間続く場合は再引越しなどの対策を考えないといけないなぁと思いました。
この部屋は、居心地がイイだけに引越しは避けたいのですが、、、。

お昼頃、山本さんが遊びに来てくれました。
山本さんは毎朝、語学学校に通われているのですが、過去にイタリアやフランスにすまれた経験から
「クメール語も12月位までには、簡単な日常会話程度なら話せるようになるだろう」とのことです。
インドシナに関わって、もう10年以上になるというのに何語も話せない僕とは大違いです。
今回も山本さんは、フランスに行く予定だったのですが、出発前に、たまたま本屋で作家さんの『裏アジア紀行』を発見して読んでしまい、
フランスに行く前にppに立ち寄ったのが運の尽きで、そのままppに住み着くことになってしまいました。
山本さんも僕よりは若いのですが、いい年なので「ppがラスト・パラダイスになるだろう」とはなされています。
山本さんの知り合いとかは皆フランスに行ったと思っているので、「友達から写真を送ってくれと言われ、送ったら『なんで、そんなに日焼けしてるんだ』と言われた」そうです。

今日、山本さんが語学学校に行く途中の警察宿舎の隣のアパートで、シャブ中の白人の腐乱死体が見つかったとかで人集りが出来ていたそうです。
集まっていた近所の住民達の話によると、その辺りは、何日もまえから、悪臭がたちこめていたらしいのですが、
毎日通っていた山本さんは、まったく悪臭に気付かなかったそうです。
カンボジア人は、思考能力はアレだけど、そういう危機管理能力というか五感は安全な先進国の人間より、はるかに高いのではないか?と話されていました。

日本ならテレビ・ニュースにでもなりそうな事件ですが、
ここppでは新聞の片隅にでも宣ればいい方で、この程度だと大抵は人だかりが出来て終わりです。
それを考えると、かつて「pp一バイオレンスな男」と呼ばれた頃のカシン師匠のカンボジア全国紙のトップ一面をを飾った、あの日本人が街中オフロードバイクで水平射撃みたいなデンジャ過ぎる事件は
並のキチガイには、ある意味なれていて驚かないカンボジア人も(カシン師匠は、僕にとっては恩人ですが)、あの弾丸の仲をオフロードバイクでツッ走った日本人というのはさすがに衝撃だったんだろうなぁと思いました。
カシン師匠は、重症を負ったその事件より、その後どくだみ荘で起こったあの事件の方がはるかに怖かったとはなされていました。
にがい想い出なのかメッタに話されないのですが、もしバリケードを突破して本気で向かって来たら、「本当に引き金引いていたかもしれない」と呟かれたことがありました。

昼過ぎに山本さんと近くの3000リエルの安食堂に行ったのですが、時間が遅かったのか?今日は、おかずが品切れとのことでした。
それで、また近所のベト風平民食堂に行きました。
今日は小エビの入った煮物をチョイスして食べているととなりの席にすわっていたカンボジア人の客が食べかけの豚肉を僕にそっと恵んでくれました。
どうも今の僕は、貧乏オーラに加え失明しちゃったカワイソ・オーラを発散している様子で、あわれみを乞うには最強レベルに達したと思われます。
食べかけの豚肉をそっとプレゼントしてくれたカンボジア人のやさしさに、僕は昔、オールドデリーで乞食にお金を恵んでもらった時以来の感動を受けました。
前回に食べた、豚の角にスープ付きは4000リエル(約1ドル)でしたが今日のシーフード煮物は5500リエルもしました。
僕が後で、作家さんにその話をすると途中まで「いい話じゃないですか」と聞いていてくれたのに『5500リエルもした』と言うと「それだと別の話になってくる」と言われました。

もしかすると、善意の食べかけの豚肉の皿を間違えて?加算されている可能性があるので、次回に来た時に、その辺りの仕組みを確認してみないといけないと思いました。
多少ボラレテモ「ノープロブレムよ〜ん♪」みたいな人はイイのですが、
積み重なると死活問題の僕には多少の差がインポタタンとだったりします。
かつて外国人が一度もきたこともないような田舎や場末の平民食堂でボラレルことは、まず無いのですが、
平民食堂の本場ベトナムでは、外国人客にはわざと間違えてボルのは普通のことです。
知り合いが昔、フォングラーオに泊まられていて毎日通っていた平民食堂で、一度だけ注文の前に値段を聞いて確認する事を忘れて、
「唯一、その時に一度ボラレた」と語られたこともありました。
かつてバックパッカー受難の地とよばれたハノイは、もっとスゴくてドロボーやスリやナイフ強盗はいても、乞食はいなかったそうです。誰も乞食に恵んでくれる人がいないからです。
ピストル強盗がウロウロしていた昔のppでさえ、僕はなぜか緊張感みたいなものを抱くことはありませんでした。
その頃のppでは、強盗にピストルを突き付けられた人が「20ドル持っているけど、これを盗られるとバイタクでホテルに帰れなくなってしまう」と強盗に訴えるとホテルまでバイクで送ってくれた親切な強盗もいたそうです。

先日、田辺さんにプレゼント頂いた22リットル入りの水がなくなりかけていたので、取り合えず予備の水と思い、1.5lの水を
山本さんとフロントで1本づつ買い、部屋に戻りました。
山本さんも年は僕より少し若いくらいと思うのですが、南アフリカや南米の危険地帯を渡り歩いて来た強者です。
外人パブで知り合った中国人ネーチャンを追っかけて、何度も中国のとある青島に行き
そこで高利貸しの商売をしようとした処、ネーチャンの兄さんや親が警察官で、「この青島で、そんなことをしたら、地元のマフィアに瞬殺される」と脅されて諦めたそうです。
仕方ないので少し離れた土地で、やることにしたのですが、
ある朝、ネーチャンに「あなた、早く逃げて、、、」と起こされました。
ホテルの窓から外を見ると、その筋と思われる3人の男が歩いて向かって来ていたそうです。
山本さんは『まだ宣伝も何も、始めて無いのに、もう来たのか、、、』と思い、
あわててタクシーをホテルに玄関付けさせて、腰を低くして乗り込み空港の近くのホテルに隠れ翌朝、即効で日本に逃げ帰ったそうです。

インドネシアでは実際に高利貸しをしたのですが、担保が牛とかニワトリとかで、エサ代もかかり全然、儲からなかったそうです。
そのかわり、毎日、新鮮なタマゴが沢山食べれて、毎朝に新鮮な牛乳も飲めたので良かったそうです。
ネパールでは、異常に目の綺麗な美女に出会い、入れ込んだのですが、「スゴく美人なんだけど、よく知り合ってみると、純粋というかヤバイくらい無垢というか異常に素直過ぎる感じで怖くなっちゃって、、、みたいな女だった気が、、、」そうでした。
山本さんの逸話は書ききれない程、数多いのですが今、日記に書いてイイことなのか?が分からないので後日、本人の承諾得られれば、また何か書くかもしれません。

山本さんは、日本では安定剤飲まないと精神が安定せず、怒りっぽくなってダメなんだけど、
「抗躁剤を飲むと妙に心が広くなってしまい、本来なら怒らないといけない場面にまでも怒ることが出来なくなってしまって困る」みたいに言われました。
「日本では精神安定剤と胃薬と睡眠導入剤は必需品なんだけど、ppに来てからは不思議と要らない」と話されます。
僕が「日本に行くと急に重力が重くなった様な気がしませんか?」と尋ねると「します」と答えられたので、
「どれくらいですか?」と聞くと「当社比で2.5倍くらいです」と応えられました。
僕は、いい感じでアジアンジャパニーズ向きだなぁと思いました。
実際、スモウデ言えば「バンコクまでが土俵ギリギリで、それより外には落ちたくない」と言うタイプの人はインドシナの他国では厳しかったりします。

夜になり、本因坊さんが知り合いの大橋さんと遊びに来てくれました。
僕は大橋さんにお会いするのは始めてですが、IT関係のアウトソーシング会社で働かれているとのことでした。
従業員も多くの「カンボジア人を1時間1ドルで雇っている」そうで、
質は玉石混交でプノンペン大学に通うような学生から、桑しかもったことしか無い田舎の百姓の倅まで色々だそうです。
カンボジア人は応用力はないけど、日本人では考えられない程の根気があるので結構使えるそうです。

僕は、先日に会った、日英仏語を自在に操る国籍不明の謎のフランス人のことが異常に気になり、その後の詳細を本因坊さんに尋ねました。
「彼はその後2日間水道水だけで過ごしました。その後に、彼の別の友人から500ドル送金してもらえる事になり、語学学校で働く予定になりました」との事でした。
僕は、「さすがの彼でもクメール語は喋れないでしょう?学校で教えるって大丈夫なんですか?」と聞くと、
「彼が務めるような学校の授業は、むしろ英語なら英語オンリーでクメール語は一切喋らないでほしいレベルの生徒達なので問題ないらしい」そうです。
サイゴンからバスに乗り、所持金0円でppに来た超あつかましい彼は、バスを降りると同時に偶然、別の人と待ち合わせていた本因坊さんと奇跡的にめぐり会うという幸運に恵まれ(僕も人のことは言えないのですが)つくづく人生成り行きに任せて生きていても何とか成るもんだなぁと思いました。

合理的に考えないと物理的成功はないのは分かるのですが、僕は、「人生にこんな目標を持ち、こういう計画を立て、こんなに努力して成功しました」みたいに語る人の言葉をあまり信用しません。
それで幸せだったのか?と思ってしまうし、利己的遺伝子の乗り物にすぎない人間が、頭で考えて(顕在意識で)出来ることは限られていると思うからです。
昔、『徹子の部屋』というテレビ番組があり(今も有るかもしれないのですが)、黒柳徹子が
「番組でいろんな著名人に会ってきたけど、自分でそうなろうとして成功したとか有名に成ったとかという人はほとんどいない」みたいなことを語られたことがあるそうです。
「本当はやりたくなかったんだけど、人に言われて仕方なくやったら、偶然うまくいった」とか「自分でも何で、こんなにうまく行ったのか?こうなったのか?良くわからない」みたいな人が、ほとんどと言うのです。
上場会社の創業者でも神頼み的、非合理的信仰をしている人は少なくありません。
人生何事も、そうしようと頭で考えて、そうなる事は実は少ないんじゃないか?とおもっています。
何故そういう目標や目的を持ったのか?何故そういう計画を立てたのか?何故そういう努力をしたのか?意識の二番底、三番底に本人でも説明できない又は説明したくない深層心理が潜んでいる可能性があるのではないかと考えています。
僕はアフィリエイトを始めて半年語には月収20万円を超えていました。
アフィリをやった事のある人なら分かると思うのですが、アフィリを始めて20万円というか1万円でさえ稼ぐ人の割合はそう多くありません。
僕は単に運が良かっただけなのに、僕にはエロいセンスとかエロの才能みたいなものがあると勘違いしました。
たまに「どうすればアフィリで稼げるの?」と聞かれることがあります。
もし、その時に聞かれていたら「僕にはエロいセンスとかエロの才能みたいなものがある」と『説明』していたと思います。
本当は出所後、僕にあった資産は1台のオンボロ・パソコンだけでした。
アフィリをやってみたらどうだろう?』という直感みたいなものがあったのは確かですが、
実際は『アフィリでも、、、というかアフィリしか無かった』のです。
偶然にうまくいった、そのライブドアのエロ情報提供サイトは、その半年後に何故か突然消えていました。
半年間20万円以上あった収入は、見る見る間に激減しました。
その後、僕は『夢よ再び』と、サンプル動画閲覧サイトを作りそれまでの何倍も必死に頑張ったのですが、月収は10万円を超えれば良い方で、大抵7万円程度でした。
6年近くの間、動画サイトを更新し続けたのですが、売上は変わらず、その代わりベトナム僻村生活という、それなりに幸せな時期を糖尿病で失明するまで過ごしました。
失明の為、動画サイトの更新は出来なくなってしまったのですが、不思議なことに何もしていないのに月収は少しづつしか減らず、その後に低いレベルで安定してしまったのです。
安定した収入になったのは、最初にライブドアで作っていた情報さいとではなく、その後のサンプル動画を見せるサイトだからの芸風なのではないか?と思います。
もしかすると、僕は動画サイトを更新し続けていた6年弱の間に一生(最貧国の最底辺でゴキブリの隣のような生活であれば)飢え死にしない資産をネット上に造ってしまったかもしれないのです。
アフィリ売上はリアルタイムで分かるので、来月入金予定は既に300ドル確認できています。
これは、来月の入金は最低300ドル、普通に考えて400ドル、うまくすれば500ドルが望めるという意味です。
昨日、無料ボランティアに来てくれた山本さんに「今、僕は幸せなんでしょうか?」と尋ねてみました。
山本さんは「普通50才で本当はしないといけないのに何の心配もしないで、せめてカンボジア語の勉強でも少しくらいするのかと思ったら毎日ヒマつぶしにパソコンでエロ小説をニタニタしながら聞いているだけで、按摩の修行でもすりやあイイのに、まったく働く気ゼロで、そうやってパンツ一丁でベッドに寝転んでピーナッツ食べながら無駄口を叩いているだけの日本人はそう居ませんよ。どちらかといえば幸せの部類の方にはいるんじゃないですか」と言われました。

僕は20世紀末のプノンペンに出会えたという幸運、逮捕という不運、アフィリ月収20万円でサイゴン悦楽生活という幸運、サイト消滅という不運、動画サイト作成でベトナム僻村生活という幸運、失明帰国という不運、作家さんとカシン師匠に助けて頂きタダでppに奇跡の復帰という幸運と僕の人生は幸運と不運を変わりべんたんに繰り返して来た気がします。
しかも、その幸運は前の不運が無ければありえなかったし、次の不運は前の幸運が無ければあり得なかった気もします。

僕は本因坊さんから、その厚かましくも適当で幸運なフランス人の後日談を聞いて自分も、、これからも『やりたくないことはしない、面倒くさいことは人まかせ』、『人生、思い付きと適当』で生きていこう、全てはアッラーの神様の思し召しのままという意をいっそう強くしました。

作家さんが、なんとカタギのさいとsixsamanaに僕のことを少し書いてくれました。

電子書籍 シックスサマナ 第4号 発売しました! “お布施で暮らそう アジアで活き仏になってみた” http://sixsamana.com/?p=7898

昨日、山本さんが「井上さん、sixsamanaに記事が出てましたよ」と教えてくれました。
僕は「えっ、sixsamana.ってカタギのサイトじゃなかったんですか?」と聞くと、
山本さんは「そう、sixsamanaはカタギのさいとですよ。太った怪しい中年男の写真が載っているページ以外は、、、」と言われました。
実は、僕はsixsamana.をほとんど読んだことが無かったのですが、昨日拝見して、一辺のエロも一切の広告も載せず、サイト運営経費は電子書籍からのみという運営方針に作家さんの潔さを感じました。
ppネーチャンのsexyショットでも載せれば、何かを勘違いして電子書籍を買ってくれる人もいるかもしれないのになぁ?と思いました。
  

Posted by donkyblog at 14:49

2013年07月14日

ハードディスク買いました。

今朝、またネット出来なくなり、本因坊さんが出勤前に部屋に寄ってくれたので、
その旨を伝えると、どうもココのワイファイは時々、切断するので、その度に別の電波を拾い直すとイイとのことでした。
本因坊さんは出勤前で、時間が無いらしく、慌てて部屋を出て行かれました。

しばらくすると大きな声では言えないことを大きな声で話す小野田さんが、見えて、「帰国するのであいさつに来た」とのことでした。
小野田さんが定年語にppで始めえられる事業は、利益を目的にしていないから暇潰しと雇用創出が出来て、損しなければイイみたいな話をされました。
次にお見えになるのは数ヶ月後になるとのことで、しばらくは、ちょっと寂しくなります。
お昼頃、山本さんが見えたので、また中國拉麺にお昼を食べに行きました。
中國拉麺館では、席に着くといつもコップに入った熱いお茶がデます。
僕たちはこんな熱い国で、更に熱いお茶を飲むのはツライので、毎回コップのお茶に氷を入れて貰うように頼みます。
今日は、注文を取りに来た店員が、なんと既に氷が入ったお茶を持って来たのです。
僕が氷を頼まなくて済むことを喜んでいると、
山本さんが「もう十回位この店に着てるんですよ、さすがのカンボジア人でも、そろそろ憶える頃でしょう」と言われました。
更に「井上さん、カンボジア人の学習効果を甘くみてはいけません。
一回出来たからと言って油断していると、次に来た時には必ず又『ヨウ・ダッコー(氷くれ)』と叫ぶ事になります」と言われました。
いつもの牛肉ラーメンと餃子を食べ終わり、山本さんが店の前の駐輪場にバイクを取りに行く間、僕は街路樹に掴まって山本さんを待っていました。
すると白人のネーチャンが僕に、ネーチャーな英語で何やら話掛けて来ました。
グロバリッシュデサエ聞き取ることが厳しい僕に、同国人と話すような生の英語で話かけられてもなぁ?と思いながら、
口をポカンと開けていると、ネーチャンは僕が頭の温かい人だと思ったのか、どこかに行ってしまいました。
山本さんがバイクを取って来て、「井上さん、さっき白人のネーチャンに道を聞かれていたじゃないですか、何て答えたんですか?」と言われました。
僕は一昨年から、まったく目が見えないのですが、アキメクラなので目が見えないように見えません。
一応、話をしている人の方角には目を向けていて、つまり、一見すると目が見えるように見えるのです。
僕は、東西南北も分からない盲の僕に道を尋ねられてもなぁ、、、?と思いました。
失明して以降、今まで会った人の中で、説明してないのに一発で盲と見抜いたのは、モトツーちゃん食堂のツーチャンだけでした。
ツーチャンは会った瞬間に、「イノさん目どうしたの?病気?」と聞きました。
さすがに修羅場をくぐって来た人だなぁと思いました。

ghに戻る途中、僕が十数年前に住んでいたアパートに立ち寄って頂き、大家に「安い部屋を探している」と山本さんに伝えて頂くと
「2日語にデル人がある」とのことで、3階の狭い部屋だけど月60ドルとのことでした。
大家の奥さんが来て「目が見えないんじゃぁ、3階は落ちたら危ないわ。1階なら大丈夫だけど、、、」みたいなことを言い出しました。
それで、1階の部屋が空いたら連絡してもらうことになりました。

夕方近くになり、ふらっと作家さんが遊びにみえました。
作家さんは「井上さんが先日まで居たghの駐車場に、バイクも何も1代も止まってませんよ」と教えてくれました。
どうやら僕が、前に泊まっていたghは僕だけでなくすべての部屋を空けた様子です。

カシン師匠が昔、よく「作家さんは聞き上手」と言われていたのですが、
今日、作家さんと雑談していて『あっ、師匠が言いたかったのはコノことか』と気づきました。
普段なら、絶対に口にしないような話でも、あの神業的ツッコミを『あっ、そのツボ痛い』みたいな絶妙のタイミングで持ってこられると、ついポロっと喋ってしまうのです。
dvdカメラが回ってない気楽な雑談の場だからこそ黒沢マジックの本領が発揮されるのではないか?と思いました。

 作家さんは、僕がサイゴンでやっていたアフィリエイトをppで、もう一度やっってみたいとは思わないか?と聞かれました。
その瞬間に思ったのは、まったく同じやり方では盲になった今、物理的にムリという事でした。
音声読み上げソフトがあるので、画面上のテキストを読んだり、書いたりは出来ます。
音声もきくことが出来ます。
ただ画面上の絵を見ることが出来ません。
今どこにマウスポインターのカーソルがあるか?がわからないのです。
絵が見えないのに動画を扱うことは不可能ではないかと思います。
パソコンの操作も簡単なことでも、見えた時の10倍は時間が掛かります。
ドッグイヤーと呼ばれるネット業界で、この遅さは致命的に思えます。

もしも、それがppでできるものなら、最初から又は途中からでもppに来てやっています。
その頃、ベトナムの自分の部屋では、通常7台、最大8代のパソコンを(光回線にするまでは)大手プロバイダー3社4回線のADSLを常時フル回転で繋いでいました。
使える資源は、パソコンのCPU(当時は1第のパソコンで1個の石が普通の時代でした。今なら同じ仕事量は数台で出来ると思います。)とアップとダウンの総量と考えていたのでそれらを常時フルで使うようにしていました。
高い回線使用料を払っていたので、24時間、モデムのランプが、点滅していないと何か損しているような気分になりました。

その頃は、回転するイスに座り、自分の周りを8台のパソコンが取り囲む配置にしていました。
何度か8台のパソコンを同時に操作することを試みたのですが、
それをやると『私は誰?ここはドコ?』状態になり、
自分でシャット・ダウンしたパソコンの画面が消えているのを見て、また壊れたのか?と驚いたりしていました。

毎日のルーチン業務はダウンロードしたエロ動画をエンコードして動画共有サイトにアップする事とサイトの更新でした。
動画共有サイトは、当初ユアファイルホストで当時、同さいとはflvではなくwmpファイルで再生させて見せていました。
その後、FBIに捕まったメガアップロード等にUPするようになり、最後の数ヶ月はFC2動画に上げることを検討して実際に多少UPもしていました。
fc2動画に上げるようになった頃、それまで6年半無我夢中でやって来たアフィリエイトというもののシッポをやっと掴んだという感触がありました。

2011年3月くらいから、糖尿病性網膜症で、いい感じに目が見えにくくなって来ていた事もあり、
東日本大震災をツゥさんに聞いて、初めて知ったのは地震発生1週間後の3月18日でした。
その頃、ヤフーメールで、いつも地震情報とかが出ていたので、最近の日本では自信が増えているのかなぁ?程度の認識はありました。
近所の人に、「日本のイノの実家は流されなかったのか?」みたいな事を聞かれても、何を言っているのか?さっぱり分かりませんでした。
自分の目の負担を軽減する為に、主に僕はダウンロードとエンコードをして、
アップロードを大家の娘に、サイトの更新をトゥさんにお願いするようにしました。
2人共、それまでキーボードを触ったこともなかったネーチャン達です。
アップロードする動画は、既に40テラ程あったので、これが財産だと思っていました。
同じペースなら僕やネーチャン達が毎日、必死に上げ続けたとしても数年はかかる料でした。
それは、人とパソコンとサイトも増やして売上も増やそうと目論んでいたからでした。
2011年8月に失明して、帰国費用捻出の為にパソコンと30台程のハード・ディスクを売ました。
それまで必死にダウンロードして貯めてきたハード・ディスクを売るのは、まるで、別れたネーチャンの写真を燃やすような断腸の思いでした。

大家の娘は時々、アップロードを間違えましたが、トゥさんは完璧でした。
僕が作った日本語のテキストをトゥさんがhtmlに組み込んで毎日、5つのサイトを更新していました。
当時、僕の日本語サイトの更新を毎日、日本語がわからないベトナム人のネーチャンがやっていたとは誰も気づかなかったと思います。
5つのサイトのアフィリ収入の合計は、最低7万円程でした。
毎月、2テラのハード・ディスクを買い足していました。
ネーチャン達の人件費は1人100ドルの計200ドル、毎月買うハード・ディスク代が約100ドル、僕の生活費200ドル、余ったお金は新しい高速エンコードできるパソコンを買う為に貯めていました。

ネット代1チウ、電気代は、毎月3チウ(1.5万円)は、掛かっていました。
もし、これと同じやり方を電気代がベトナムの3倍の日本とほとんど変わらないppでやった場合、収入異常にランニングコストが係ってしまうのではないか?と思います。

ただ、世界のアフィリえーたーの中にはパソコン1台で労働時間が1日数時間とか月数日で月収100万円以上みたいなお洒落な人はザラにいると思います。
現実に僕は、かつて作っていたサイトからの僅かな収入で今も生活している訳で、実質労働時間はゼロです。
もしかすると、このアフィリ収入はサイトがWebサーバ上に生きている限り、僕が死ぬまで続くかもしれません、ひょっとすると死んだ以降も、、、?
僕は拘置所から出所語、最初にライブドアで作ったブログが偶然に月収20万円以上の売上ました。
これは運良くゴーグルがキーワードを拾ってくれたからです。
1日1回数時間の更新をしているだけで良かったのですが、売上に気を良くした僕は欲を出しました。
もっと収入を上げようとして狂ったように、1日に何度も更新を繰り返したのです。
それがスパムと思われたのか?ベトナムに行き半年もしない、ある日、突然ブログが消えていました。
新たなサイト創設に迫られた僕は、イキの長いサイトを作りたいと考えました。
その頃、フラッシュ技術の進歩により、動画共有サイトが爆発的に増えていました。
エロ動画を見せるサイトは問答無用にアクセスが集まります。
それで、そういう動画共有サイトを利用してサンプル動画を見せて、エロ動画を売というやり方を考えました。
僕は自分のサイトを作るのに、他のサイトを参考にすることはまったくありません。
少し面倒で効率は悪いのですが、他のサイトをマネしても楽しくないからです。
後に、僕のサイトをそのままコピーしているだけの中国語サイトを見付けましたが、そこまでくると生き方の問題にまで関わってくると思いました。

アフィリエイトは、広告を踏んでくれた人が商品やサービスを買ってくれればいいだけなので、閲覧者の室を求めるのか?量か?みたいなノウハウはアフィリエーターのカズだけあると思われます。
ベトナムでは、パソコン、電気代、人件費などが日本に比べ非常に安かったので、それを活用するやり方をしていただけです。
同じやり方はムリでも別のやり方は無限にあると思います。
多分、最大の問題は僕が怠け者過ぎて真面目に働く気力がないことではないか?と思います。

夜になり、仕事を終えた本因坊さんが、また立ち寄ってくれました。
僕は、「今日、始めて黒沢マジックの恐ろしさを実感した」ことを話すと。
本因坊さんが「そうなんですよ井上さん、インタビューの時とか作家さんは自分一人で撮影とか全部やろうとするから、カメラ位置とか色々が気になって実力の半分も出せていないんですよ」みたいな話をされました。
今日、本因坊さんはいろんな所に行き、いろんな人に明い凄く疲れた旨を語られました。
僕は、こんな熱い国で毎日テンパって働いているのに、いつまでも「地獄部屋」とか「金を払って泊まる牢獄」みたいに呼ばれる安宿暮らしでむくわれない本因坊さんをちょっと不憫に思いました。
僕も、その一人だったりする訳ですが、人の良い本因坊さんは、ヘタにクメ語ベラだけにいろんな人にいろんな事を頼まれてしまうんだろうなぁと思いました。

僕みたいにクメ語は挨拶だけ、ベト語は30単語が限度、これ以上1個でも憶えようものなら2個は忘れるよ位の勢いだと誰も何もアテにしないので楽なのになぁと思います。
もしクメ語ベラの、本因坊さんが、いつも傍に居てくれたら便利なんじゃ?と思い、ぼくが「ベッド1つ空いているんで、、、良かったら」と言っても首をたてに振られません。
住めば都とは言うけれど携帯電話はカースト・アップしたのに住まいの方は、、、なぜか本因坊さんは、その噂の地獄部屋を大変に気に入って見える様子です。
本因坊さんは「俺は井上さんみたく一日中、部屋の中に居る訳じゃないし基本寝に帰るだけですから、それに俺は、寝る前に蚊が一匹でもいると、寝れないんですよ。それで、拾い部屋だと蚊を追っかけるのが大変じゃないですか。パチパチいう蚊取りラケットが手を伸ばして届く狭い部屋がいいんです。」と言われました。

お疲れの本因坊さんを更にコキ使うべく、
僕は「外付けハード・ディスクが欲しい」と言いました。
本当はパソコンが、もう1台欲しいのですが資金的余裕がありません。
仕方がないので、外付けハード・ディスクに図書データのバックアップだけでも取りたいと考えました。
手持ちのお金が無いので、まずは本因坊さんに近くのATMに連れて行ってもらう事にしました。

ATMに向かう途中、フランス人に日本語で声をかけられました。
そのフランス人は日本に20年住んでいたとの事で、僕は初めて会ったのですが、本因坊さんは彼がサイゴンから来たバスから降りた一昨日に別の人と待ち合わせをしていて偶然会って話した事がありました。
フランス人はクメール語はもちろん話せませんが、日本語や英語は流暢に話ます。更に、なんとフランス語も話せるそうです。
そのフランス人は、サイゴンでビザを取った時点で、所持金が5ドルになってしまい、
サイゴンからppに行くバスに「5ドルしか無いんだ」と財布を引っくり返して店、普通10ドル位かかるバス代を5ドルに値切ってppまで来たとのことでした。
当然、ppに着いた時点で、そのフランス人の所持金は0円です。
僕もカシン師匠に「所持金1200円でポチェントン空港に降りて、いきなりクライマックスを迎える日本人を始めて見た」と言われた男ですが、0円だなんて厚かましいにも限度というものがあります。僕は上には上がいるもんだなぁと関心しました。
それで親切な本因坊さんは、そのフランス人に安食堂でブッカケ飯を奢った上に「香港の友人から送金がある」と言うので、ATMまで連れて行ってあげたそうです。
ATMで30ドル程を引き出したフランス人は「これで安心だ」と言って、8ドルのghに意気揚々と消えて行ったそうです。
更に本因坊さんは、そのフランス人に「語学学校のバイト先を紹介する」とかで明日も会うと言われていました。

本因坊さんが、僕を連れて行ってくれたATMはシンガポール系の銀行でした。
ppのATMは手数料が4ドルもかかります。
100ドル引き出しても、1000ドル引き出しても4ドルかかるのです。
その銀行のATMは、「一度に1000ドルまで引き出せる」との事でATMによっては、もっと小学しか引き出せない銀行も多いとの事でした。
その銀行のATMの機械は1000ドルまで引き出せるのですが、僕のカードの残高の方が、そんなにはありません。
NAXの350ドルを引き出してパソコン・ショップに向かいました。

350ドル全部使えばパソコンが買えるのですが、そうすると今月の生活が出来なくなってしまいます。
本因坊さんに「1テラのUSVから電源を取るタイプの外付けハード・ディスクが欲しい」旨をパソコン・ショップの店員に説明してもらい、「87ドル」との事でした。
日本で買うのと変わらないか、少し高い位かなぁと思う程度の金額でした。
サイゴンでは、ハード・ディスクの中身だけ(外部電源を取るタイプのケースを既に持っていたので)ですが同じ位の値段で2テラが変えます。
本因坊さんが、他のパソコン・ショップに行き同様機種の値段を聞いて来てくれたのですがその店より少し高かった様子で、その店で買う事にしました。
サイゴンでハード・ディスクを買った時は必ずフォーマットしていた事を思い出した僕は、ちゃんとセットアップできるか?不安になり、
本因坊さんと部屋に引き返してノートパソコンを持って来て、店でパソコンがハード・ディスクを認識するか?どうかを確認することにしました。
ハード・ディスクのUSVを繋ぐと、あら不思議、、、フォーマットも何もしていないのに、パソコンがハード・ディスクを認識しました。
まるでUSVメモリーを接続した時と同じ感覚です。
本因坊さんが以前にppで外付けハード・ディスクを買った時も同じ用に簡単だったとの事でした。
  

Posted by donkyblog at 09:57