命令放送をめぐり、批判的な意見がメディアをにぎわせている。短波ラジオ国際放送で北朝鮮による拉致問題を重点的に扱うよう、総務大臣がNHKに命令したというものである。すでに3月、電波監理審議会への諮問を待たず口頭で要請があったと伝えられる。日本新聞協会や民放は「報道・放送の自由を侵す」などと政府の介入を非難するが、わたしには空々しく聞こえる。国内のテレビや新聞は、命令報道であふれているように見えるからである。

 NHKは総務省による要請の事実が明るみに出て、表向きには抵抗する構えを見せた。今年1〜9月に主にニュースで扱った北朝鮮関連の原稿は約2000本で、うち拉致問題が約700本と実績を強調している。なるほど、『ニュース7』では毎日のように拉致関連の情報が流される。工作員の特定や拉致方法の分析、新しい被害者の認定など…。しかし、これらはすべて自発的に放送されたものだろうか。気のせいか、在日米兵による犯罪事件や米軍再編に向けた動きがあった日に限って、長い時間を割いているような印象を持つ。米国の要請による構造改革によって年間の自殺者は8年連続で3万人を超える一方、拉致された疑いのある日本人はせいぜい100人。国内放送ですら、すでに十分命令されているのではないか。

 命令の疑いを感じるのは、拉致問題だけでない。10月から騒がれ始めた教育問題もそうだ。最初はいじめの問題、次は高校の必修科目の履修漏れ、そしてタウンミーティングでのやらせ質問と続く。一連の報道がたきつける議論の先には、共通して教育委員会制度への批判が待つ。「教育委員会は元校長や教育官僚の天下り職であり、文科省の意に沿うだけの空疎な組織は子どもたちに向き合う役割を期待できない」といった調子である。しかし、突然そんなことを言い出すのはおかしい。いじめが原因とみられる自殺は今に始まったことでないし、履修漏れは1994年と2003年の社会・理科の指導要領改正と週5日制の実施が背景にある。履修漏れはすでに2001年に広島と兵庫で起きており、このときは特に問題にならなかった。折しも現在、米国が教育市場の開放を求めており、昨年亡くなった吉川元忠神奈川大学教授によれば、株式会社の参入を認める制度改正を狙っている。『日米投資イニシアティブ報告書』2006年版には次の文言がある。

 「米国政府は、少子高齢化社会が進む日本において、今後、教育及び医療サービス分野が重要であり、米国企業がこれらの分野において質の高いサービスを提供ができるとして、これらの分野にかかる対日直接投資環境を改善するよう要請した」

 株式会社参入の最大の障壁になるのが、公共心の高い人物で構成されがちな教育委員会である。規制改革・民間開放推進会議は7月の中間答申で、教育委員会の必置規定を地方自治法から外し、首長の責任で教育行政を行うことを選択できることを盛り込んだ。安倍政権は発足直後に教育再生会議を立ち上げている。民放では、教育を考える6時間の特番まで組まれた。教育をめぐる嵐のような過熱報道に、政府が何の関与もしていないと考える方が不自然ではないか。

 権力の介入が疑われる報道は枚挙にいとまがない。相次ぐ談合事件は、世界最高水準の技術を持つわが国のゼネコンを瀕死(ひんし)状態に追いやっている。談合排除のための公正取引委員会の強化は『年次改革要望書』にも明記されているとおり、米国に毎年求められてきたこと。鉄道事故や航空機トラブルは、民営化や自由化と絡ませて報道されることはない。「マッカーサーを叱(しか)った男」として白洲次郎がにわかにもてはやされるが、米軍再編を「片務性の解消」と宣伝する動きと軌を一にする。韓国ドラマは、「日本と他の自由主義極東諸国との間の相互理解を促進する」とのCIAの対日戦略文書と合致する。大リーグ情報は完全にニュースの一部となったが、数年前に書かれた対日戦略の報告書には、「日本人は米国に認められると世界に認められたと思い込んで、そのナショナリズムを満足させるとともに、米国に好意を持つ」とある。占領期以来、ニュースをはじめ歴史番組や海外ドラマ、スポーツに至るまで、テレビが与えた影響を振り返れば、ほぼ全部が米国の命令に思えてくる。

 今騒がれている国際放送は北朝鮮の拉致被害者に向けられるものだが、われわれはすでに米国発の命令放送を見聞きさせられているとも言える。米軍の駐留によって、国民全員が米国に拉致されているようなものだからだ。いつも命令の仲介役を務める政府は今回、放送法を使って合法的に命令しようとしたために物議を醸したにすぎない。ところがこの動きを批判するマスコミは、米国による圧倒的な命令には目をつぶっている。政府の介入を問題視するのは結構だが、外国による要請はそれ以上に大きな問題として扱うべきではないか。