世にはマナーと呼ばれるものが多いが、意味のあるものなのか甚だ疑問に思うものがある。端的に言って、マスクのことだ。その一方、ろくに問題にされない行動様式が少なくない。

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上越新幹線(「ビーウェーブ」様より拝借)

 昨年、帰省して東京に戻る際、新幹線の車内で、平気で携帯通話している男がいた。乗車人数が少ないとはいえ、二列後ろの反対側で、普通の大きさの声でどうでもいい話を続けている。周囲に対し、何の抑制もない。これだから上越新幹線は嫌だ。車掌が来たので注意を促すと、ただ振り向き、「してないよ」と即答された。男が察知して、声を止めただけなのに。車掌は席にも行こうとしない。そのくせ、私に言い放った。

 「お客さん、マスクしてください」

 思わぬ切り返しに私はICレコーダーを取り出し、反論する。

 「法的根拠は何ですか」
 「それこそマナーでしょう。きちんと守ってください」

 大企業職員だけに、マスクを強制できる法律がないことを分かっているのだろう。それでも、釈然としない気持ちが充満した。本当に迷惑を掛けているかどうかが問題なのだから。

 私は出くわしたことがないが、マスク警察もいると聞く。飲食店では店員からしょっちゅう、私がマスクを着けてないことをとがめられ、警察を呼ばれてきた。しかし、マスクに感染予防効果があると結論づけたシステマティック論文はないし、無症状感染は「武漢論文」が否定している。そもそも、新型コロナウイルス(COVID-19)の存在をどの政府も学者も証明できていない。

 「不安に思うお客さまもいますから」

 このように正当化する店員もいるが、迷信を解消するのが施設を運営する者の務めではないか。

 一方、世間は実害のあるマナー違反であふれている。外を歩けば、イヤホンをしてふらふら歩く人間がいる。平衡感覚がにぶっているから、追い越したい歩行者や車の邪魔になっていることに気付かない。壁になって、目の前の商品が取れない。歩きスマホで、駅も街もあふれている。こちらがいちいちよけなければ、ぶつかってしまう。

 図書館に行けば、飲食や私語をする人が必ず複数人いる。シャカシャカとイヤホンから音が漏れている。買い物や手続きで行列があると、割り込もうとする人が必ずいる。列を見るなり、「ちっ」と舌打ちしたり、「何だ、こんなに……」などと独り愚痴るおやじも。私はこのようなことは絶対しない。外でイヤホンは外し、スマホはカバンのポケットへ。図書館ではテープ起こしも控え、列には黙って付く。当たり前のことだ。

 それに引き換え、マスク着用は後生に対するマナー違反だ。大人が着けている限り、子供たちは外せない。ワクチンだって、周りに悪影響を及ぼす「シェディング」現象が確認されている。接種者は、自分の利益しか考えていないことになる。今、最大のマナー違反ではあるまいか。

 このようなことを言うと、「屁理屈だ」と怒る人もいるかもしれない。しかし、マナーとして問題視されるかどうかは、国際カルトのアジェンダ(実現目標)推進に寄与する行動様式かどうかが全てである。そこには当然、メディアが介在する。

 路上喫煙によるやけどが問題にされたのを発端に、あらゆる施設が禁煙に至ったのは、タバコにばい菌を殺す効果があるからとみる。紙タバコの代わりに誘導されたのは、酸化グラフェンを吸い込む電子タバコ。酸化グラフェンは血栓の原因にもなり、免疫系の働きを乱すことが報告されている。

 コロナ騒動下、感染予防の口実で飲食店や居酒屋に対して客への酒の提供を制限したのも、酒を飲むと酸化グラフェンを分解する酵素の増産が促されるためである。つまり、病気の創出と人口削減に貢献している。

 歩きスマホは日常的にトラブルや事故を招きながら法律で禁止されず、メディアでもほとんど問題にされない。民衆監視の道具であり、脳とAIを接続することで将来、人類を亜現実の世界に幽閉する準備になるからだろう。携帯にカメラが付いていて、所構わず「カシャッ」と撮っても肖像権が不問にされるのは、監視網をくまなく広げるためだと思っている。マスクは人間同士の接触を抑制し、機械への親和性を高める役割を担う。マナーになり得るかはカルト次第だ。

 先日、実家に用があり、久しぶりに上越新幹線に乗ったら、出発早々、大声でしゃべる老人の集団がいた。

 「この間から肩が痛くてなあ」
 「おめえ、どこの医者行ってる」
 「まあ、酒いっぺ買ってきたっけ、飲もうねっか。ほれ、ほれ」

 〈田舎者は本当に嫌だなあ〉

 私はその車両に乗ったことを後悔した。田舎者とは、地理的概念ではない。私の定義によれば、「どこへ行っても自分の家にいるように振る舞う人」を指す。郷里で親交を重ねる数少ない人間は、田舎者ではない。貸し切り列車のような態度に閉口したが、すぐに考えが変わった。今時、大声を出し、不特定多数のいる場所で酒を公然と飲むとは、痛快ではないか。似非(えせ)マナーを看破する田舎者こそ、最高の反権力者だ。

 しかし、直後の自動音声アナウンスに、様子は一変した。

 「国土交通省からのお願いです。感染症予防の観点から、大声での会話はお控えください」

 信じられないことに、不良老人たちの声は、瞬く間に聞こえなくなった。いや、不良でも何でもなく、何も考えていないだけだった。私は余計やりきれない思いで、田舎へ運ばれた。


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