語句の表す内容が本来の意味とかけ離れるのをよく目にする。近年、その量は増え、公然と掲げられている。

 平成に入ってから定着した言葉に、「少子化対策」というものがある。出生率の低下に歯止めを掛けようと、政府は児童手当の乳幼児加算や待機児童の解消、女性の継続就業支援などに力を入れてきた。しかし、これらは少子化を促進するものでしかない。扶養控除をはじめとする各種控除を廃止して民主党政権が始めた「子ども手当」のような給付を拡充するのは、結婚への制度的誘因を奪う。夫婦の年金分割も離婚を助長する。厚労省の国立社会保障・人口問題研究所は少子化の要因について「1986年の男女雇用機会均等法の施行などの影響があるのではないか」と結論づけているのに、女性の就労支援を展開している。労働規制の緩和や緊縮財政で、夫婦世帯も共働きしなければ生活できない状況を強めながら。「少子化対策」は実のところ、少子化策ではないか。しかも、この施策を主張する政治家やマスコミは、規制緩和やTPPで不妊の一因である添加物のさらなる普及をもたらそうとしているばかりか、結婚や出産を促すヤジを魔女狩りのように糾弾している。ただでさえ、ストーカーやセクハラを連呼し、男女の接近を妨げてきたのに。

 わが国はTPP参加で経済力も伝統文化も破壊されるのが必至だが、安倍首相は13年3月の交渉参加表明時、「日本の農業、食を守ることを約束する」と発言している。さらに6月、規制改革会議の提言を受けて事実上の農協解体を伴う農業改革を打ち出した。わが国特有の相互扶助制度を廃止し、グローバル企業に農地を明け渡す道を開く内容だが、首相は就任演説で「真に豊かな道義あふれる瑞穂の国の資本主義を私は歩みます」と抱負を述べている。さらに農政について「息をのむほど美しい田園風景」や助け合いの農村文化を「世界に誇るべき国柄」と評価してきた。発言と政策の整合性をどう理解したらいいのか。

 労働規制改革によって全労働人口に占める非正規雇用の割合は36.6%と高まる一方だが、99年に派遣労働の対象を原則自由化する法改正のときに小泉・竹中政権が連呼した言葉が「多様な働き方の実現」だった。労働者派遣法は長期雇用ができるよう、今国会に改正案が提出された。企業は労働組合の意見を聞けば別の派遣労働者をまた雇え、人材派遣会社は次の職場を探す義務を負うが、このやり方ではいずれ全ての労働が派遣になりかねない。貧困化を決定づけるこの法案は「成長戦略の一環」である。国家戦略特区では福岡市が一定の事務手続きをすれば自由に解雇できる革新的連携特区(バーチャル特区)に選定されたが、狙いは「起業しやすい環境の整備」である。

 「個人情報の保護」という言葉も聞かれるようになって久しい。しかし、実態は個人情報の取得を促すものだ。政府のIT戦略本部は6月、個人情報保護法の改正大綱をまとめた。狙いはスマホの位置情報やウェブサイトの利用履歴といった「ビッグデータ」の活用にある。個人が特定できないデータについては、本人の同意がなくても第三者に提供できるとしている。Suicaの乗降履歴販売でJR東日本が批判にさらされたが、「渋滞解消」や「効率的な商品仕入れ」など利便性向上を名目に捕捉対象を広げていけば、権力はいざというとき確実に人物を突き止めることができる。同戦略本部はこれと並行してマイナンバーの利用拡大を検討している。ICチップが埋め込まれた個人番号カードに健康保険証や印鑑証明証、施設利用証、キャッシュカードやクレジットカードなどの機能も盛り込むものだが、目的は「官民相互にメリットが得られるため」である。

 子供を親から取り上げるために使われている言い掛かりが「児童虐待防止」である。虐待の取り扱い件数が増えたのは04年の法改正で通報を義務化したからで、虐待による死亡数は昭和後半から減少傾向にある。08年施行の改正では、速やかな安全確認を義務づけ、虐待の恐れのある親への出頭要求の制度化や、解錠を伴う立ち入り調査も可能になった。厚労省は里親に月10万円を支給しながら「ファミリーホーム」と呼ぶ養育事業を検討している。テレビも児童養護施設や里親家庭を題材にしたドラマを次々と放送している。働く母親の増加は他人に育てられる子供を増やす一方だ。英国ではソーシャル・ワーカーが子供を親から引き離した数に応じて報奨金を得ており、毎年平均約2万5000人の子供が国の「保護」下に入っている。米国も同様で、1980年代以降、養父母に引き渡される子供の数は全米で倍増、カリフォルニア州で5倍に増えている。ロサンゼルス郡では押収した子供1人につき連邦及び州政府から3万〜15万ドルを受け取ることができる。わが国でも民生委員・児童委員や協力員を増やし、未就学児を含めた子供の追跡を強化している。表向きの目的は「子供たちの見守り」だが、いずれ世界国家が子供を一括管理する計画を手伝っている。

 子宮頸がんワクチンは厚労省の助成による無料接種の推奨を13年6月から中止している。予防効果が未知数な一方で痛みを訴える人が多く、むしろ不妊を増やしているから当然だ。接種義務化を唱えるときの口上は「がんから女性を守れ」だった。

 7月初め、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。米国が海外で行う戦争で日本の若者が血を流す道を開いた形だが、安倍首相によれば決定の理由は「国民の命と平和な暮らしを守るため」だった。

 「地獄への道はいつも善意で満ちあふれている」との言葉がある。政治家の吐く麗句は、これまでも国民を体よくだますための手段としての一面があったかもしれない。しかし、ここまで来ると「玉虫色」や「拡大解釈」を超越しており、真逆と言うべきではないか。

 ジョージ・オーウェルの小説『1984』では、政府機関や施設の呼び名が実態と正反対になっている。例えば、うそを刷り込む官庁が「真理省」、戦争を遂行するのが「平和省」、親から子を引き離し処罰するのが「愛情省」、民衆の所得を死なない程度の水準に調整するのが「潤沢省」である。強制労働収容所は「歓喜収容所(joycamp)」だ。

 この原理でいけば、民主主義が少数独裁を指すことになる。実際、4年に1回体育館であらかじめ決められた候補者の名前を記入する過程が介在することで、自公執行部数人の決定が国民全体の判断であることにされているではないか。民衆の意見と政治の流れは見事に逆になっている。

 オーウェルのこの作品では、簡素化された真逆言葉「ニュースピーク」が完成するのは2050年。現実を見れば、戦争を口実にした民衆監視の徹底も国家による家族の分断も恋愛禁止も貧困化も筋書き通りに進んでいるのではなかろうか。彼は漸進的な社会主義運動をけん引するフェビアン協会との関わりから小説の題材を得たと言われる。

 今では、「国際協力」と言えば国際社会の分断と聞こえ、「地域を守る」と言えば地域破壊と解する。「守る」と言えば攻撃が、「自由」と言えば拘束が迫り来ると察する。