メゾフォルテからあなたへ

ちょっと違う視点から歴史を語りたい。

ほんとうに暑い夏でした。
あちこちで被災され、避難先での暮らしを続けられている方にとっては、あの暑さもより厳しいものではなかったか、と想像しております。

私は室内外の気温差のほうが気になってしまうので、クーラーをつけないで過ごしてみました。
何度か書いておりますが、庭木を茂らせておくとだいぶ楽です。
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家の中からは
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びっしょりと汗をかき、何度もシャワーを浴びることができることに感謝しつつ
なんとかクーラーを使わないで済みました。
婆さんの内向きの達成感のようなものですが・・・・
現代版の修行のようなところもあるかもしれません。


家の中があちこち傷んできましたので、これからリフォームの予定にしております。
息子の建築事務所に依頼しているのですが、木を何本か切るべきとのこと。


ともに暑い夏を戦った樹木たちをどうするべきか。
大いに悩んでおります。


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津軽藩というものについてあまり考えたことがなかったのだけれど・・・・・

江戸時代初期、対馬藩の家老であった柳川調興(やながわしげおき)なる人物が津軽藩に流罪となったという話は興味深い。
柳川調興については こちら

対馬藩の藩主と家老の対立という柳川一件については こちら

柳川調興は流罪とはいえ、津軽藩では丁重に扱われて、文化的な人生を送ったようである。
柳川調興の祖父は柳川調信(やながわしげのぶ)で外交で秀吉に重用されたとのこと。 → こちら

「調」とは ととのう、ととのえるという意味と、えらぶ、調べるという意味があるとのこと。
「調役(ちょうえき)」とは、帛(綿織物と絹織物)の貢ぎ物と夫役(公共事業のための強制的な労働力の徴発)のことのようである。

徳川家光のころ、津軽藩にも目を光らせる必要があったのか、などと想像したりしている。
津軽藩や南部藩は流罪の地であって、けっこう大物が送り込まれたということを知って、そのDNAがひょっとして・・・・などとも想像を広げると力が湧いてくるような。

柳川調信の妻は宗将盛の姪とのことだから、柳川調興は宗氏につながる人物と考えてもよさそうである。対馬藩主宗義智について こちら キリシタンであったようである。 

対馬について、古事記では 津島  日本書紀では  対馬とされているとか。

さて、秋山耿太郎・福島義雄「津島家の人びと」 ちくま学芸文庫 2000年
によると、太宰治の津島家に伝わる系図では、姓が対馬から津島に変わったようである。
津島家の出身地については諸説あるようである。
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柳川調興に戻ると
  秦氏←惟宗氏←宗氏←柳川氏
と遡れるようである。

流罪の人間は、公式には妻帯が認められなかったようだけれど
柳川調興の墓を子孫が立てたのだとか、つまりは津軽に子孫がいたようである。→ こちら

惟宗氏は大宰府の役人の家系であるとか。
もしかしたら太宰治は柳川調信の子孫で、したがって惟宗氏および秦氏の子孫ということもありうる?



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