吉田満著作集から その3 つづき
著作集にはもう1つの三島由紀夫論である「三島由紀夫の苦悩」がある。
この三島由紀夫に関する2つの評論は1976年、三島由紀夫の7回忌にあたり、
それぞれ別の雑誌に発表されている。
下巻 「三島由紀夫の苦悩」より
・三島由紀夫の苦悩はなんであったか。彼を自決に至らしめた苦悩の本質は、なんであったか。この設問を、彼とほぼ同じ世代に生まれながら、たまたま太平洋戦争で戦死するくじを引きあてた青年たちの苦悩と対比して考察せよ、というのが編集部からあたえられたテーマである。私はやはり同じ世代に属し、一時友人として三島と親しくつきあっていたこともあるが、一個の人間、しかも多才な意志強固な行動力旺盛な文学者に、割腹死を決意させたものの核心が何であったかを、解明出来ると思うことがいかに不遜であるかは、承知しているつもりである。自分なりの結論にせよ、解明出来たと思う時は、永久に来ないであろう。三島はみずからの死の意味について、多くの読者にそれぞれ異る解明の糸口を得たと思わせて世を去ったが、糸口をたどってゆくとどの道にも、近づくことを許さぬ深淵が待ち構えている。彼の死はそのような死なのであり、そうであることをはっきり意図して、彼はあの死を選んだとしか思えない。
・三島が戦後世界の虚妄を痛撃するのを見るとき、ある意味では彼と対極にある存在として、臼淵磐という一青年の人間像が浮かび上ってくる。臼淵は三島より2歳、正確にいえば1年4カ月年長であるが、三島と似た都会育ちの俊才で、生来多分の稚気と人間味を洒落っ気を備え、芸術好き、哲学好きの香気を身につけた美青年であった。彼は父が海軍士官であった機縁から兵学校に入り、選ばれて戦艦大和に乗り組み、沖縄特攻作戦に参加して21歳で戦死する。
・彼は特攻出撃の前夜、若い士官たちの間に、自分たちがまだ春秋に富む若さのままで、帰趨の明らかでない戦争のために、目的も成功の目途も捉え難い愚劣な作戦のために死ぬということは、何を意味するのか、誰に対してどのような実りをもたらすのか、という疑問が提起された時、少壮士官を統括する責任を賭けて次のように答えた。
——進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。——
・臼淵はれっきとした職業軍人であり、もとより彼の苦悩は、死ななければならないことにはなかった。むしろ死の意味を、自分にあたえられた職責を果たすことを通して、平和の日が来るまで日本人の同胞を守ることに見出していた。ただ、自分の死んだ後に来る世代が、力及ばなかった自分たち世代に代って、戦後の新生日本を正しい方向に導いてくれることを、切に念願するほかないというのが、正直な心境であったであろう。(つづく)

この三島由紀夫に関する2つの評論は1976年、三島由紀夫の7回忌にあたり、
それぞれ別の雑誌に発表されている。
下巻 「三島由紀夫の苦悩」より
・三島由紀夫の苦悩はなんであったか。彼を自決に至らしめた苦悩の本質は、なんであったか。この設問を、彼とほぼ同じ世代に生まれながら、たまたま太平洋戦争で戦死するくじを引きあてた青年たちの苦悩と対比して考察せよ、というのが編集部からあたえられたテーマである。私はやはり同じ世代に属し、一時友人として三島と親しくつきあっていたこともあるが、一個の人間、しかも多才な意志強固な行動力旺盛な文学者に、割腹死を決意させたものの核心が何であったかを、解明出来ると思うことがいかに不遜であるかは、承知しているつもりである。自分なりの結論にせよ、解明出来たと思う時は、永久に来ないであろう。三島はみずからの死の意味について、多くの読者にそれぞれ異る解明の糸口を得たと思わせて世を去ったが、糸口をたどってゆくとどの道にも、近づくことを許さぬ深淵が待ち構えている。彼の死はそのような死なのであり、そうであることをはっきり意図して、彼はあの死を選んだとしか思えない。
・三島が戦後世界の虚妄を痛撃するのを見るとき、ある意味では彼と対極にある存在として、臼淵磐という一青年の人間像が浮かび上ってくる。臼淵は三島より2歳、正確にいえば1年4カ月年長であるが、三島と似た都会育ちの俊才で、生来多分の稚気と人間味を洒落っ気を備え、芸術好き、哲学好きの香気を身につけた美青年であった。彼は父が海軍士官であった機縁から兵学校に入り、選ばれて戦艦大和に乗り組み、沖縄特攻作戦に参加して21歳で戦死する。
・彼は特攻出撃の前夜、若い士官たちの間に、自分たちがまだ春秋に富む若さのままで、帰趨の明らかでない戦争のために、目的も成功の目途も捉え難い愚劣な作戦のために死ぬということは、何を意味するのか、誰に対してどのような実りをもたらすのか、という疑問が提起された時、少壮士官を統括する責任を賭けて次のように答えた。
——進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。——
・臼淵はれっきとした職業軍人であり、もとより彼の苦悩は、死ななければならないことにはなかった。むしろ死の意味を、自分にあたえられた職責を果たすことを通して、平和の日が来るまで日本人の同胞を守ることに見出していた。ただ、自分の死んだ後に来る世代が、力及ばなかった自分たち世代に代って、戦後の新生日本を正しい方向に導いてくれることを、切に念願するほかないというのが、正直な心境であったであろう。(つづく)

