メゾフォルテからあなたへ

ちょっと違う視点から歴史を語りたい。

堀辰雄が芥川龍之介の心残りを継承する弟子であったなら、太宰治にとってはもしかしたら田中英光がその役目を持っていたのだろうか。
しかし、堀辰雄と違って頑健であったのにも関わらず田中英光は酒と薬によって短い一生となってしまった。

田中英光についての以前の記事は こちら

日本の文化は、紙や布に支えられている面があって、何事にも表と裏がある ・・・・・ と考える人間が多いのかもしれない。
したがって、裏を示すには表というものをことさらに強調するという方法があったりするのではないだろうか。

田中英光が太宰治の墓前で自殺を図ったのは、1949(昭和24)年11月3日であった。
作品「さようなら」は、戦争の現実の姿、戦争でむき出しになる人間の姿を描いている。

そして、田中英光は、今でいうPTSDであったのだ。 PTSDについては こちら
田中英光を弟子としたことにも太宰治の意図というものを感じるような気がする。
その意図を感じた人間の中には、太宰治の評価をできるだけ下げようとしたかもしれない。

この1949年11月3日には、志賀直哉と谷崎潤一郎が文化勲章を受章した。
田中英光は、この日を選んだ。
志賀直哉には太宰治を、谷崎潤一郎には芥川龍之介を思い浮かべる編集者たちがいるはず。

嫌われ者となっていた田中英光の放った矢が、今も飛び続けているように思える。
戦争の醜さに目を背けずに、日本は平和を強く訴えることで償いをするべきではないか。

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DSC01808


右側が田中英光とのこと。
美丈夫であった彼が、飲んだくれの嫌われ者になってしまう、というのが戦争の1つの事実のようです。

平和を訴えるには、戦争の具体的な体験が必要のように思われます。












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堀辰雄の作品の複数に、片山広子、その娘総子と芥川龍之介がモデルとして登場する。
「聖家族」について こちら

また「楡の家」に、芥川龍之介がモデルの森於菟彦(もりおとひこ)が登場する。
「楡の家」は こちら
森於菟彦という名前は、森鷗外の長男である森於菟からであったりする。
芥川龍之介は森鷗外の後継者だという意味だろうか。
それにしても、「楡の家」では、森於菟彦なる人物は北京で亡くなったりするので、森於菟周辺ではどう感じたのだろうか。

片山広子は翻訳者として松村みね子というペンネームだったようで
「森鷗外 松村みね子」で検索すると こちら

なるほど片山広子は翻訳者として、上田敏や森鷗外と交流があったと思われる。
片山広子は美しい女性である。
松村みね子


片山広子については こちら

上田敏「うづまき」から
人間の命は焔のやうだ、刹那々々に繰り返される種々の勢力の會合に因つて、辛らく燈火は消えずにゐるが、是等の勢力も、いづれは早晩離散する。人間の心は渦巻きのやうだ。

片山広子晩年の作品集「燈火節」あるいは翻訳の童話「カッパのクー」といった題名は偶然なのだろうか。
片山広子からの反論はあからさまにはできなかったようだが、残されたものを少し読んだ限りでは、自分にとっては芥川龍之介だけ特別な存在だったわけではない、ということのようである。

遠藤周作「堀辰雄覚書 サド伝」 講談社文芸文庫 2008年
遠藤周作 


遠藤周作は1996年に亡くなっているので、この2つの評論を並べたのは編集側なのだろう。
たしかに、クリスチャンである遠藤周作がこの2つの評論を残していることは興味深い。

今となっては、すべてが芥川龍之介の鎮魂となった、と考えてもいいのかもしれない。
それこそが堀辰雄の鎮魂となる、ということなのだろうか。


「どちらが相手をより多く苦しますことが出来るか、私たちは試して見ましょう」
(聖家族から)
「ある運命がそうやって一つのものから他のものへと絶えず受け継がれるのだ。・・・・・・・」
(菜穂子から)

堀辰雄の考える「運命」とは、相当に使命感の強いものであったようだけれども。


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