メゾフォルテからあなたへ

ちょっと違う視点から歴史を語りたい。

2009年09月

私の住んでいるところにはあちこちに畑がある。

にんじんの畑がいきいきと美しい。

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秀吉と家康が江戸についての都市計画を話し合ったとき、近郊の

農業なども考慮しただろう。

台風や災害に比較的強く気候もほどほどである関東平野は農業にふさわしい

ところではないだろうか。

安岡正篤記念館に出かけたときも、東武沿線の風景を見ながら

なるほど埼玉は農業に適したところだと思った。

農業をしたい人にとっては、条件が整ったいい土地だろう。

それがどんどん宅地化されていってしまった。

 

働いてもわずかな収入しかない農業をするよりも土地を売れば「億」という

お金が得られる ・・・・・・

安岡正篤が昭和6年に日本農士学校を開いたその土地には

国立女性教育会館の大きな建物がそびえている。

不便なこの場所になかなか女性が電車を乗りついでは行きにくいだろうに。

女性教育会館の問題点については こちら

 

豊かな農地をつぶし、ハコモノを建てる愚かさは、おそらく戦前、農業を志した

若者たちが抱いたであろう急激な変革への志向の引き金と同質のものでは

ないだろうか。

農業へと多くの若者を向けるなら、けっして絶望させない方策を立てなければ

今以上に悲惨な状況が生まれるだろう。

 

いくら汗を流して働いてもただ働きどころかひとたび災害があれば借金となる。

いっぽう相場を動かす人間は空売りなどをして値を下げ、莫大な儲けを手にする。

土地を買いあさり、豊かな農地に税金逃れの建物を建て、荒廃しても

構わない。それでいいのだろうか。大きな間違いではないだろうか。

 

 

安岡正篤記念館を訪れて遺言として、その一帯の空気に感じられたのは

農業を志す若者を守れ 戦場へと向かわせるな

ということだったのである。      

 

戦前は、戦争への道を開いたひとりであったかもしれないが

たしかにその遺言は、嵐山町菅谷に形として残されている、と思った。

                         (安岡正篤の遺言 終わり)

 

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温室効果ガス25パーセント削減のため

各家庭も応分の負担をしなくてはいけない、

たとえば太陽光パネルやハイブリッドカーなんかを

買うべき、ってどういう計算をしているのかしらね。

 

生産をする段階でかなりのエネルギーが使われるし

運搬や古いものを廃棄するために使われるエネルギー

だって半端じゃない。

かえって排出量を増やすはず。

さらに、当然太陽光パネルなどの廃棄をどのようにする

のか、によってはたいへんな環境負荷になると思うけど。

 

排出量25パーセント増量のまちがいじゃないの?

そのうち日本がゴミだらけになるんじゃないかしらね。

 

ゴミ屋敷日本として孤立させられないか心配。

世界は孤立する国を求めているって思わない?

また、日本に順番が回ってくることもありえるわね。

 

理系に強くならなくちゃだめだわ。

疑り深いのもある程度必要じゃないかしらね。

 

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私が高校生のとき、短編小説みたいなものを書いたことがあった、

それは、世界史で「メイフラワー号」が出てきてメイフラワーという花の

花言葉が「希望」であると知ったからであった。

メイフラワー号については こちら

 

小説の内容は忘れてしまったのだけれど

メイフラワーという花は日本ではサンザシと呼ばれているということだけ

記憶に残った。

 

2年ぐらい前、書道を一緒に稽古している方から、中国のお土産として

サンザシを材料にしたというお菓子をいただいた。

甘酸っぱく身体にもよさそうでおいしいものであった。

サンザシについては こちら

 

また私が住んでいるところは小手指で、この地名は小さなバラがあって

農作業のときそのトゲで刺されたから、という1つの説があったとか。

点が繋がっていくという思いがする。

 

アメリカがメイフラワー号に乗り込んだ人たちの気持ちを取り戻すとき

世界は大きく変わるのではないか。

 

メイフラワーの花言葉は 「希望 」

 

ただそれだけで、勇気をもらえる気がするではないか。

 

 

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放射能、多くの電磁波、食物の添加物、

ウィルス、さまざまな病気が人間をじわじわと

追い詰め、誰もいなくなってしまった。

 

ということがないように、原発の廃止、

電磁波対策、食物汚染対策、病原菌の管理

を徹底してほしいと思います。

 

未来の戦争とは、破壊なき戦争であるのかも

しれません。

当然、自滅させることは望ましい作戦でしょうね。

 

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安岡正篤が、蒋介石によって、A級戦犯とされるところを助けられたとのこと

だそうだけれど、やはり昭和天皇と同じ理由があったものと思われる。

アメリカにとって、共産主義の防波堤には、昭和天皇と安岡正篤は

必要であったということではないだろうか。

 

蒋介石と親交があり、蒋介石を支援もしたという松井石根は、BC級戦犯として

絞首刑となっている。A級戦犯としてではない。

松井石根については こちら

松井石根は、中国人民を大事に考え、軍紀を厳しく守らせていたそうである。

松井石根と石原莞爾には似たものを感じる。「石」のせいだろうか。

 

南京事件について調べていくと知らないことばかりであったことに気づく。

南京大虐殺論争については こちら

 

阿ロン(土へんに龍)著 関根謙訳 南京慟哭 五月書房 1994年 は

その様子が克明に書かれている。

阿羅健一著 聞き書 南京事件 図書出版社 1987年

では、海軍の従軍絵画通信員であった人物が敗残兵を海軍の兵隊が埠頭で

千人弱ほどを殺害した、それが南京虐殺といわれているものではないか

と語っている。

海軍が陸軍に先立って関与していたとは、という思いである。

 

いっぽう、アメリカの艦船がなぜか南京のすぐ近くにいて日本軍が誤爆をしている。

パナイ号事件は こちら

パナイ号事件や「南京大虐殺」によって、日本はまさに悪の枢軸国となった。

 

日本の戦力が圧倒的に不足しているのを知りつつ、戦争を望んだ人間が少なからず

いたことも確かである。

革命を望んだり、景気浮揚を望んだり、日本の国際上の地位向上を望んだり ・・・・

 

南京虐殺は、言われているほどの規模ではないとしても、当然起こりうる状況に

あったと思う。

無秩序を防ぐために、なかば絶望しつつ戦わなければならなかったはずである。

しかしまた、イラク戦争の経過を見てきた私たちには、故意の情報が最も重要な

場面で流されたのではないか、という疑念が湧いてくる。

 

松井石根の辞世の句に

世の人にのこさばやと思ふ言の葉は 自他平等誠の心 

とある。

この「平等」ゆえに、蒋介石は、恩義ある松井石根の死刑を認めたのではないか。

松井石根は、石原莞爾と同様に戦争に責任があった、ということだろう。

 

それにしても、海軍は昭和天皇を嫌いだったのだろうか。

 

日本の歴史をふり返り、死活を賭けた戦いを覚悟して、だれか皇族の生き残りを

考えたのかもしれない。

安岡正篤記念館にある金鶏神社に祭られている源義家が意味を持って感じら

れてくる。

源義家については こちら

 

安岡正篤の言葉に

「天地のために心を立て、生民のために命を立て、往聖のために絶学を継ぎ、

万世のために太平を開かん」 というものがある。

 

松井石根と安岡正篤の思いを中国と共有できないものだろうか。

そのとき、平和と平等を、平成の今、実現することができるのだと思う。

 

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ようやく本が完成いたしました。

多くの方たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

本棚にあるだけで安心できる本がありますか。

私には苦しいときに開きたい本が何冊か

あります。

それは心に直接に訴えるといったものではなく

さりげなく寄り添ってくれるような本です。

もしそういう働きが少しでもできたらほんとうに

うれしいと思います。

詳細はもう少ししてからお知らせいたします。

安岡正篤は長命であって、間に戦争があったわけだから

多くの残された言葉の中から取り上げるとしても難しいものがある。

晩年を見つめてみたデカルトやパスカルとはあらゆる意味で違っている、

とも思う。

素養のない人間が、少しだけの本を読んで感じるものだけをここでつぶやく、

ということでお許しを願っておきたい。

導かれるようにして、歴史の森を巡り歩いている感じによるものなので。

 

私が購入した本は次の3冊である。

易學入門 明徳出版社 17版 2008年 (初版1960年)

伝習録 明徳出版社 7版 1986年 (初版1973年)

老荘のこころ 第3刷 1992年 (初版1988年)

 

「易経」の解説であるとしても、この易學入門が代表作とのことに

なぜか、と思いを巡らしてみた。

安岡正篤は、楠木正成を意識して生きたらしい。

安岡正篤の先祖は楠木正成の子楠木正行と共に戦って死んだ堀田某であるという。

「正」は楠木正成からの「正」であったか。

楠木正成については こちら

時代は、安岡正篤をより楠木正成に近づけたのごとくであったのだろうか。

 

日本史ではなく東洋史から日本の成り立ちを考えるとき

おそらく楠木正成はもっと特別な存在であるのかもしれない。

楠木正成については別にまた考えてみることにしたい。

 

さて「老荘のこころ」の中で、老子が描いた理想社会はどのようなものか

が書かれている。

1 国が小さくて民が寡(すくな)いこと

2 素朴な生活に満足していること

3 淳厚な風俗を楽しんでいること

4 無欲で、高利的な機械機具などを必要とせぬこと

5 遠国に移りたがらず、したがって他国とあまり交通せぬこと

6 軍備を必要とせぬこと

7 文字や思想を弄ぶことを知らぬこと

 

思想も四季のように巡るのだろうか。

この7つについて、今の中国に伝えたい気がする。

もしかしたら、老子はこちら側にいてこのようなことを考えたのではないだろうか。

 

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