私の住んでいるところにはあちこちに畑がある。
にんじんの畑がいきいきと美しい。
秀吉と家康が江戸についての都市計画を話し合ったとき、近郊の
農業なども考慮しただろう。
台風や災害に比較的強く気候もほどほどである関東平野は農業にふさわしい
ところではないだろうか。
安岡正篤記念館に出かけたときも、東武沿線の風景を見ながら
なるほど埼玉は農業に適したところだと思った。
農業をしたい人にとっては、条件が整ったいい土地だろう。
それがどんどん宅地化されていってしまった。
働いてもわずかな収入しかない農業をするよりも土地を売れば「億」という
お金が得られる ・・・・・・
安岡正篤が昭和6年に日本農士学校を開いたその土地には
国立女性教育会館の大きな建物がそびえている。
不便なこの場所になかなか女性が電車を乗りついでは行きにくいだろうに。
女性教育会館の問題点については こちら
豊かな農地をつぶし、ハコモノを建てる愚かさは、おそらく戦前、農業を志した
若者たちが抱いたであろう急激な変革への志向の引き金と同質のものでは
ないだろうか。
農業へと多くの若者を向けるなら、けっして絶望させない方策を立てなければ
今以上に悲惨な状況が生まれるだろう。
いくら汗を流して働いてもただ働きどころかひとたび災害があれば借金となる。
いっぽう相場を動かす人間は空売りなどをして値を下げ、莫大な儲けを手にする。
土地を買いあさり、豊かな農地に税金逃れの建物を建て、荒廃しても
構わない。それでいいのだろうか。大きな間違いではないだろうか。
安岡正篤記念館を訪れて遺言として、その一帯の空気に感じられたのは
農業を志す若者を守れ 戦場へと向かわせるな
ということだったのである。
戦前は、戦争への道を開いたひとりであったかもしれないが
たしかにその遺言は、嵐山町菅谷に形として残されている、と思った。
(安岡正篤の遺言 終わり)
考える日本に!