江戸という名前にこだわってみると
家康は 厭離穢土 欣求浄土 を掲げたはずなのに
なぜ穢土に通じる江戸なのか と思わないでもありません。

厭離穢土 欣求浄土については こちら


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ほんとうに苦しい時代を通り抜けた人たちにとって
子どもに「すて」「おひろい」と名付けたりして、
不幸に向き合う姿勢が必要であったのでしょうか。

それがいわゆる入間詞なのでしょうか。 
入間詞については こちら

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江戸はヨーロッパ人からみて美しい都市だと思える時期もあったようです。

それは秀吉の構想、家康周辺の人たちの技術力が基礎になったと
のではないでしょうか。

そして江戸だけが美しい都市として栄えたのではなく
特色を生かそうと努力してほかの都市も栄えたと思われます。


信長の楽市楽座は こちら
秀吉の検地は こちら、刀狩はこちら

についてはよく知られているところですが

信長・秀吉・家康の人間としての器について
あまりにも卑小化されているといわざるを得ません。

その結果、江戸=東京のみならず、日本のあちこちが廃棄物で穢土となりつつある
のではないでしょうか。









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