三島事件のあった1970年には、日本はどういう状態であったのかということを少しでも
知っておく必要があるだろう。

日米繊維交渉については こちら

国際勝共連合については こちら

中国文化革命は こちら

中ソ対立については こちら
中ソ両軍で核の検討がされたとのこと。

左も右も緊張状態にあったようである。

沖縄核密約については   こちら

アメリカ海軍EC-121機撃墜事件については こちら

よど号ハイジャック事件については こちら
赤軍派が、日本の前段階蜂起 → 北朝鮮の左旋回化革命と革命根拠地化(金体制の変革) → 朝鮮半島の武力統一 → 日本全面武装蜂起と結合 → 毛沢東・林彪派の革命的変革—解体(毛体制の変革) → 中華人民共和国の世界革命根拠地化 → 北ベトナムと結合 → 南ベトナム解放民族戦線のサイゴン攻略 → 東南アジアへの革命戦争拡大
と考えていたとのこと。
三島由紀夫周辺の右派の若者たちは、この対応を考えていたのかもしれない。
右派が少数だとすればテロも視野においての過激な面があった可能性がある。

しかしまた、左と右双方の若い人たちを巧妙に操る大きな力というものがあったことだろう。

さらに、どこかが核ミサイルの脅威を感じて先制の核攻撃をするということがあったかもしれない。
その脅威は全く違う国なり組織が工作するということもあるだろうから
一斉に核ミサイルが放たれる場合もあったのかもしれない、というのは考えすぎだろうか。



001











ランキングアップを目指します☆  クリックをよろしく☆
 
(1日1回有効です)


人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村