太宰治「饗応夫人」は こちら
1948年(昭和23年)1月に発表されたとのこと。

モデルは桜井浜江とのこと。→ こちら

太宰治の死後、桜井浜江は長く生き、力強い作品を残している。
その中には力強い樹木を描いたものがある。
桜井浜江


桜井浜江は もはや「饗応夫人」にみられるような弱い存在ではなく、この作品によってとてつもなく強い力を授かったかのように思える。
太宰治は弟子の中に女性たちも含めていたのかもしれない。

「饗応夫人」は、太宰治自身の姿であったようにも思える。
作品「津軽」にもみられるように、東北の人間の中には過剰なほど接待に集中してしまう人間がいるのだ。

接待を受ける方はありがたいと思いつつ、自分が接待する時のことを考えて困惑するということになる。

この困惑は、聖書の中の
「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
 だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
  マタイによる福音書 題5章39節
においての悪人が感じる困惑に似ているのかもしれない。

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全く話が変わるのだけれど、「饗応夫人」の中の登場人物、笹島先生とは?

太宰治周辺には笹島という姓の持ち主は見つけられなかった。
名古屋に「ささしま」という地名があるらしい。

たどっていくうちに、三河湾入り口に篠島(しのじま)という地名を見つけた。
篠島について こちら

主人の本家がある広島県・倉橋島はかつて「長門島」と呼ばれていたとか。→ こちら
長門の地名が移動したように、篠島は「ささじま」であったかもしれないなどと思ってしまった。

もしかしたら、太宰治は 笹島 → 篠島 → 三河湾 → 三河地震 のことをいいたかったのだろうか。

1945年1月の三河地震については こちら



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