太宰治「人間失格」の冒頭に

・私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 と頗(すこぶ)る不快そうに呟(つぶや)き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

とある。

太宰治の写真をあれこれ見ている人なら、この写真を思い出すのではないだろうか。
左から、三姉あい、太宰治、従姉てい、とし次女光代、次姉とし、四姉京、とし長男逸郎、弟礼治
DSC01873


あるいは、この文章によって多くの人間は太宰治の写真のあれこれに目を通すことになるだろう。
太宰治が芥川龍之介の多くの写真に目を通したように。

太宰治の作り笑いのような表情があるものの、私には、むしろこの写真で、太宰治の姉たちが美しくしっかり者であったということを自慢しているように思える。
三姉あい、四姉京、逸郎、礼治は、「人間失格」発表以前に亡くなっている。

太宰治の妻美知子は、「太宰治研究」4 和泉書院 1997年 
回想記 姉たちとその周辺の人々の思い出  という一文を遺している。

たとえば四姉京について

・わずかの年月の交流、一度会っただけの印象であるが、姉は周囲に細かい気配りを欠かさぬ人柄で、太宰が自分のことを「母親ゆずりの苦労性――」と書いているが、この姉も太宰と同じ体質と、性格の一面とを持っているように感じた。

・華々しい話題をふりまいて小舘家に入った姉は周囲の期待に応えて婚家での受けもよく、弟妹たちにも慕われたらしく、「やがて信頼されて帳場を任された。」と、これは姉の義弟、小館保さんから聞いた。
(戸籍上は小舘で、社名は小館木材、また保、善四郎の両兄弟は戸籍を改姓して、小館保、小館善四郎としたとのこと)

・年が近いため、幼時から接触が多く、最も親しんだ姉であった。お互いに、わかり合えるものを持っていたようにも思う。
 成人後、太宰が著書を贈り、私信を交わしたのは、肉親中、京姉ひとりである。さんざん心配させられながらなお、この弟に、何か期待するものがあったのか、終始、見捨てず、蔭の力として支持してくれたのがこの姉である。姉の死で太宰は、かけがえのない支持者を失った。

と書いている。

この姉が亡くなったのが、昭和20年12月14日、40歳であったとのこと。

太宰治は、女たらしだという見方は違っていて、周辺の女性たちにほんとうの女性の自立というものを与えようとした、と考えてみてもよさそうである。


NO WAR!

ランキングにご協力ください。

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村