太宰治の弁護士役をしたいと思うあまり、持ち上げ過ぎた面があるかもしれない。
ただ、どんな人間でも、赤ん坊のときのような神々しさの面をもちあわせている、と信じたい気がする・・・・・というか、そういう面を引き出したい第二の産婆役というのはどうだろうか。

太宰治の策略らしき術にひっかかり、次から次へと「発見」した気分になってしまう。

太宰治「列車」は こちら
この作品中の「妻」は籍を入れなかった最初の妻小山初代である。
若い太宰治は、芸妓であった小山初代をその境遇から救い出し教育しようとしたらしい。
大杉栄と伊藤野枝のような間柄を目指した?


この作品は、山内祥史「太宰治の年譜」によれば
1932年(昭和7年)3月下旬頃初稿脱稿、1933年1月下旬から2月下旬までの頃に発表稿脱稿で、1933年2月19日付発行の「東奥日報」・日曜特輯版の別題号附録「サンデー東奥」第203号に発表されたのだとか。
「乙種懸賞創作入選」作品として賞金五円を得たとのこと。
東奥日報は青森の家庭で広く読まれている新聞である。 → こちら

さて、太宰治研究者の間では
 なんの符號であらうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ134273といふ文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。
がどういう意味を持つのか話題になって来たのだという。

たしかに洋傘の柄でたたいたりしたのでは、意味ありげな「スハフ134273」である。

太宰治を読むときには年表を手元に、というのが私の持論であるので・・・・
1933年3月に昭和三陸地震が起きている。 → こちら

それから考えてみると
「すわ・・・・死に波」「すわ、ふい・・に波」「すわ・・・夜に波」「・・・意味死に波」
と読めなくはない。波のように読む?

昭和三陸地震の被害は津波によるものが多くて
死者1522名 行方不明者1542名 負傷者1万2053名  であったとか。
青森でも 死者23名 行方不明7名とのこと。

太宰治は、複合的な情報収集能力+予知能力 を持っていた、とするのはやはり持ち上げ過ぎだろうか。

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