昭和天皇は山県有朋を評価していた、ということにまだこだわっている。

というか、明治維新が美化され過ぎてきたためか、最近では身分の低さを取り上げて明治の元勲バッシングがあったりするので、山県有朋を見つめ直したい思いがする。

山県有朋について  こちら

明治維新を軍人クーデターから始まったと考えると、その先頭集団にいたということらしい。

生き延びて畳の上で亡くなった、ということだけでも、今後に役立つことがありそうである。
また、国際関係についてのセンスがあったということが驚きである。


山県有朋は、1922年2月に亡くなっている。

同じ年の7月に森鷗外が亡くなった。森鷗外の死について以前の記事は こちら

森鷗外が袴をつけて亡くなったのならば、山県有朋に対しての殉死の意味かもしれないと感じて以前の記事を書いたのだが・・・・・

森鷗外は晩年に帝室博物館総長となり『帝諡考』を刊行し、『元号考』は未完であったとか。
ふと山県有朋は隠れされた身分が高かったということでもあったのではないか。

山県氏を調べてみると、大国主命につながると称している凡氏(オオシ)の系統であるらしい → こちら
それぐらいのDNAでないと、乱世を仕切れないだろうな・・・・・
と思ったり
周辺に伝説を上手に作り出す人間がいるんだ
と思ったりである。

人物評については評者自身の器に影響されることは間違いがない。
評者についての人物評を調べてみる必要がある。

またさまざまな視点が必要だと思う。

山県有朋も森鷗外も明治維新後の安定に多大な功績があった、ということだろうか。

そして昭和天皇の資質は十分であったということなのだろう。


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コメント

 コメント一覧 (1)

    • 1. メゾフォルテ
    • 2019年01月23日 12:37
    • 畳の上で死ぬとは
      ヒトの恨みを買わないで済んだ
      もしくは
      多くの人間から守られた
      人脈や人望があった
      といった意味があるでしょうか?



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