寄り道が長くなっております。

平出彬「平出修伝」春秋社 1988年 を購入した。
566ページの部厚い本である。
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中央:平出修
右上より 森鴎外 与謝野鉄幹 与謝野晶子 木下杢太郎 幸徳秋水
左上より 上田敏 石川啄木 吉井勇 北原白秋 高村光太郎

 〔著者略歴〕
 明治43年 平出修の三男として東京に生る
 昭和7年  東京帝国大学法学部卒
 昭和8年  日本国有鉄道勤務
 昭和34年 国鉄常務理事・中部支社長
 昭和37年 八幡製鐵KK入社 
       参与、君津製鐵所長、監査役、歴任。
       その間、日本シールドエンジニアリング社長、製鐵運輸社長兼務
 昭和47年 京浜パイプライン副社長
 現 東京都中小企業紛争処理委員会委員会長
   森鴎外記念館常任理事
   日本資材管理協会専務理事

本文より
・はじめに
 私は四歳にならぬ前に父を失った。父をほとんど知らない子である。それだけに父を知りたいという願望は強い。また私の生きてきた、その一つ前の時代について探ってみたいという興味も湧く。この願望と興味の二つから、父平出修の伝記を書こうと志したのは、もう十年以上前になる。
 
 幸徳の逮捕
・幸徳の先祖は京都の公卿の一人で代々陰陽師であったが、京から流れて中村に落着いたのである。
 父の篤明は銅山に資金を投じて没落した。しかし、篤明の死んだ時秋水はまだ二歳だったので、父の顔も全く覚えていない。
・秋水の風貌については彼の妻、師岡千代子はこう述べている。
   秋水は誰れからも云われるやうに小柄な人間であつた。そして瞥見では判からないが頭だけは優れて大きかつた。顔の色は土佐人らしく何処か浅黒かつたが、切れの長いその眼は吊り上がつて居るばかりでなく、底力のある炯々(けいけい)たる光を帯びてゐた。
Modern-History-of-Women-20

   私の口からこんなことを云ふのは妙なものであるが、考へて見ただけでは物凄く思はれるその眼には、人を魅するやうな不思議な優しさが潜んでゐた。・・・・そして高い鼻と濃い眉と色の好い唇とが、その顔に一種の気品とも云ふべきものを与へてゐた。しかし何時も油断なく正眼に構へて居て、他人に虚を与へない容貌であつたことは事実である。・・・・何時も多少の敬意を以つて人々に慕はれて居たやうだから、性格的に何処か人を引き付ける処があつたのであろう。
                      (『夫幸徳秋水の思ひ出』)