幸徳秋水はその家系と妻の証言から判断を間違わない稀有の人間であった、と仮定してみる。
幸徳秋水は、大逆事件の首謀者ではなく、むしろ明治天皇暗殺事件を止めようとしていた、
ということが後世でわかったようである。
なお大逆事件の弁護団は11名であり、平出修が担当したのは被告26名のうち
高木顕明と崎久保誓一の2名であった、とのこと。
前出「平出修伝」
第六章 義侠と風雅と
・熱情の弁論二時間 より
「平沼検事は無政府主義は国家の組織を現在の手段とすると仮定された。しかしこの仮定には重大な欠点がある。無政府主義というものが、時と所と人により、その説き方、その運動方法が一様ではないという、無政府主義の歴史を閑却せられた、とのことであります。」
修は鷗外の門をたたいて大いに勉学し、互に語り、論じ合ったことを念頭において論旨を進めた。
「たとえばロシヤのような極端な専制国に起こった革命思想と、イギリスのような極端な自由の下に育った無政府主義とでは、全く両者別様の観があります。とくにドイツのごとく社会政策の実行が着々と進行し行なっている国においては、いかに無政府主義を呼号しても、その呼号すべき標識を失ってしまうのであります。ドイツ皇帝は極めて安泰で、ご自分で自動車を走らせ、またしばしば公園を散歩される。すでに世界各国を見聞しておられる平沼検事は、あるいはベルリン公園内をドイツ皇帝が散歩されているお姿をご覧になっておられるのではありますまいか。」
「新思想というものは在来思想からみれば常に危険ということになる。それは新思想は旧思想に対しては反抗、または破壊だからである。どちらの思想が勝つか負けるかは、結局どちらの思想が人間然(ねん)の性情に適合するか否かによって定まるものであります。」
「でありますから、思想自体をもってどれが危険だというわけはない、思想自体に危険とそのことがいうことはありません。」
「人間にある程度圧迫を加えれば無政府主義者でなくても、つまり仏教徒でもヤソ教祖でも、あるいは帝国主義者であっても、過度な抑圧を加えれば反抗の形は違うにしても、ある反抗を起こすものであります。すでに無政府主義が時と所と人とによりその色彩なり、感情なり決して一様でない。そのことがはっきりすれば平沼検事がおかれた第一仮定、つまり日本における無政府主義は暴動を現在の手段とする危険な思想だとする論は破れ去る。したがって平沼検事の組立てた総論の第一角は崩れてしまったことになるのであります。」
・・・・・・・
修の弁論は終った。ちょうど120分、2時間の熱論であった。ひたすらに裁判官が事実に即した公正な判断を下だすことを深く祈念した120分であった。
(注)平沼検事について こちら
**************************************
(弁論後、平出修が幸徳秋水に現在の心境及び文芸趣味について何か書いてくれるよう依頼をしたことに対して封緘はがきが届いて)
・先頃は熱心なご弁論感激に堪へませんでした。同志一同に代りて深く御礼申上ます。年末年始の休みで、検閲がなかった為め、御手紙は昨日漸く拝見、其為め御返事が遅くなりました。御差入れの「酒ほがひ」も昨日其旨達せられましたので、監下げを願つてあります。是又厚く御礼申し上げます。
以下文芸論を展開、今の文学は、人生の実際に余りに没交渉だ、もっと現実の生活に即した文学を望む旨記している。その論は修にも大きな感銘を与えたものであったが、そのあとで、
トンだ文芸論になつて了ひました、御申越の趣きは、今回事件に関する感想をとのことでしたが、事茲に至つては今将(は)た何をか言はんです、又言はうとしても言うべき自由がないのです。想うに百年の後、誰か私に代って言つてくれる者があるだろうと考へて居ます。
修は幸徳の澄み切った心境をかい間見た。同時に百年の後を期する彼の観念し切った態度、修は何とも言えぬ思いに沈んだ。
(注)「酒ほがひ」とは吉井勇の歌集とのこと。
****************************************
陰陽道について こちら
幸徳秋水が無政府主義者であった、ということで納得してよいのだろうか。
三島由紀夫や安倍晋三と同様な系統の人間のように思えたりする。
幸徳秋水は獄中で「基督抹殺論」を書いたのだという。こちら
これは、マホメットを冒涜されたイスラムと同様に、欧米にとって許されることではなかっただろう。当然、死をもって償わせるということになるのだろうが、その前に大逆事件の被告として裁判によって死刑とされた。
つまり日本の思想あるいは天皇についても冒涜することは許さない、ということを示したことになったのではなはいだろうか。幸徳秋水は日本の救世主となろうとした・・・・
海外は大逆事件に高い関心を持っていて判決の日にはイギリスとアメリカの大使書記官が傍聴していたのだそうである。応援巡査183名、私服50名、さらに大手町憲兵隊第一憲兵隊から約一分隊が加わってこの判決の日に厳重な警戒網が張られて、被告のうち24名に死刑が宣告された。
これは国内向けというよりもどちらかというと海外への日本の姿勢を示す機会となったのではないだろうか。
今であれば許されないことであろうが、海外では第一次世界大戦直前で暴動や大虐殺が起きていたころであった。
判決の翌日、24名中、12名が恩赦により無期懲役に減刑されて、平出修の担当した2名もその中に入っていたとのこと。
元来、虚弱体質であったという平出修はこの裁判の3年後に命を輝かせるようにして一生を終えた。
その前に亡くなった石川啄木との交流が平出修の存在を目立たせた、ともいえる。
石川啄木は作家森鴎外を動かした、と思っていたが、石川啄木と平出修が
すなわち幸徳秋水が森鴎外や連なる文学者たちを動かした、ということになる。
目を凝らせば日本の苦難の歴史には多くの救世主がいたのだ、といえそうである。

2024年中秋の名月
幸徳秋水は、大逆事件の首謀者ではなく、むしろ明治天皇暗殺事件を止めようとしていた、
ということが後世でわかったようである。
なお大逆事件の弁護団は11名であり、平出修が担当したのは被告26名のうち
高木顕明と崎久保誓一の2名であった、とのこと。
前出「平出修伝」
第六章 義侠と風雅と
・熱情の弁論二時間 より
「平沼検事は無政府主義は国家の組織を現在の手段とすると仮定された。しかしこの仮定には重大な欠点がある。無政府主義というものが、時と所と人により、その説き方、その運動方法が一様ではないという、無政府主義の歴史を閑却せられた、とのことであります。」
修は鷗外の門をたたいて大いに勉学し、互に語り、論じ合ったことを念頭において論旨を進めた。
「たとえばロシヤのような極端な専制国に起こった革命思想と、イギリスのような極端な自由の下に育った無政府主義とでは、全く両者別様の観があります。とくにドイツのごとく社会政策の実行が着々と進行し行なっている国においては、いかに無政府主義を呼号しても、その呼号すべき標識を失ってしまうのであります。ドイツ皇帝は極めて安泰で、ご自分で自動車を走らせ、またしばしば公園を散歩される。すでに世界各国を見聞しておられる平沼検事は、あるいはベルリン公園内をドイツ皇帝が散歩されているお姿をご覧になっておられるのではありますまいか。」
「新思想というものは在来思想からみれば常に危険ということになる。それは新思想は旧思想に対しては反抗、または破壊だからである。どちらの思想が勝つか負けるかは、結局どちらの思想が人間然(ねん)の性情に適合するか否かによって定まるものであります。」
「でありますから、思想自体をもってどれが危険だというわけはない、思想自体に危険とそのことがいうことはありません。」
「人間にある程度圧迫を加えれば無政府主義者でなくても、つまり仏教徒でもヤソ教祖でも、あるいは帝国主義者であっても、過度な抑圧を加えれば反抗の形は違うにしても、ある反抗を起こすものであります。すでに無政府主義が時と所と人とによりその色彩なり、感情なり決して一様でない。そのことがはっきりすれば平沼検事がおかれた第一仮定、つまり日本における無政府主義は暴動を現在の手段とする危険な思想だとする論は破れ去る。したがって平沼検事の組立てた総論の第一角は崩れてしまったことになるのであります。」
・・・・・・・
修の弁論は終った。ちょうど120分、2時間の熱論であった。ひたすらに裁判官が事実に即した公正な判断を下だすことを深く祈念した120分であった。
(注)平沼検事について こちら
**************************************
(弁論後、平出修が幸徳秋水に現在の心境及び文芸趣味について何か書いてくれるよう依頼をしたことに対して封緘はがきが届いて)
・先頃は熱心なご弁論感激に堪へませんでした。同志一同に代りて深く御礼申上ます。年末年始の休みで、検閲がなかった為め、御手紙は昨日漸く拝見、其為め御返事が遅くなりました。御差入れの「酒ほがひ」も昨日其旨達せられましたので、監下げを願つてあります。是又厚く御礼申し上げます。
以下文芸論を展開、今の文学は、人生の実際に余りに没交渉だ、もっと現実の生活に即した文学を望む旨記している。その論は修にも大きな感銘を与えたものであったが、そのあとで、
トンだ文芸論になつて了ひました、御申越の趣きは、今回事件に関する感想をとのことでしたが、事茲に至つては今将(は)た何をか言はんです、又言はうとしても言うべき自由がないのです。想うに百年の後、誰か私に代って言つてくれる者があるだろうと考へて居ます。
修は幸徳の澄み切った心境をかい間見た。同時に百年の後を期する彼の観念し切った態度、修は何とも言えぬ思いに沈んだ。
(注)「酒ほがひ」とは吉井勇の歌集とのこと。
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陰陽道について こちら
幸徳秋水が無政府主義者であった、ということで納得してよいのだろうか。
三島由紀夫や安倍晋三と同様な系統の人間のように思えたりする。
幸徳秋水は獄中で「基督抹殺論」を書いたのだという。こちら
これは、マホメットを冒涜されたイスラムと同様に、欧米にとって許されることではなかっただろう。当然、死をもって償わせるということになるのだろうが、その前に大逆事件の被告として裁判によって死刑とされた。
つまり日本の思想あるいは天皇についても冒涜することは許さない、ということを示したことになったのではなはいだろうか。幸徳秋水は日本の救世主となろうとした・・・・
海外は大逆事件に高い関心を持っていて判決の日にはイギリスとアメリカの大使書記官が傍聴していたのだそうである。応援巡査183名、私服50名、さらに大手町憲兵隊第一憲兵隊から約一分隊が加わってこの判決の日に厳重な警戒網が張られて、被告のうち24名に死刑が宣告された。
これは国内向けというよりもどちらかというと海外への日本の姿勢を示す機会となったのではないだろうか。
今であれば許されないことであろうが、海外では第一次世界大戦直前で暴動や大虐殺が起きていたころであった。
判決の翌日、24名中、12名が恩赦により無期懲役に減刑されて、平出修の担当した2名もその中に入っていたとのこと。
元来、虚弱体質であったという平出修はこの裁判の3年後に命を輝かせるようにして一生を終えた。
その前に亡くなった石川啄木との交流が平出修の存在を目立たせた、ともいえる。
石川啄木は作家森鴎外を動かした、と思っていたが、石川啄木と平出修が
すなわち幸徳秋水が森鴎外や連なる文学者たちを動かした、ということになる。
目を凝らせば日本の苦難の歴史には多くの救世主がいたのだ、といえそうである。

2024年中秋の名月
コメント
コメント一覧 (15)
人間の好奇心で宇宙の調和を壊すな ということかもしれませんね。
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
大小さまざまな救世主がいた・・・・・
そういうふうに感じられたりします。
欲深い人たちもいたでしょうけれどもね。
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
中学校あたりで聞いたりしたんですがほんとうであったのかどうか。
一揆の暴動であるならわかるのだけれど・・・・
と思ってきましたが、そういった不条理さは現代でもありそうです。
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
移動の段階で多くの人間が亡くなっていく
あるいは見えないところに住みつく
強制退去をしても焼け石に水
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
感じたことは何だったのか・・・・・
これについては私にも思い当たることがあって
大家さんがご近所の娘さんの教会での結婚式の見学に
私を連れて行ってくれたことがありました。
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
「寒い」と思いました。床が土間に近いような?記憶違いかもしれません。
そのせいかどうかわかりませんが、宗教の重圧といったものを感じてしまったのです。
日本でも葬式やとりわけ天皇に関わる儀式に外国人が参列することになると
たぶん荘厳さよりも重圧といったものを感じることでしょうね。
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました
むしろ宗教とは自分との対話を促して自立の必要を気づかせる?
メゾフォルテ / 青森りんご@
所沢 / 藤村眞樹子
が
しました