メゾフォルテからあなたへ

ちょっと違う視点から歴史を語りたい。

タグ:マッカーサー

他の方のブログのコメント欄で私の意見を書きこんだものは こちら

現在の日本は、マッカーサーのおかげでの平和憲法により
従軍慰安婦を用意するとか軍による強姦といったことから解放されております。

強姦よりも従軍慰安婦のほうがよかろうと考えたかつての日本軍は
まちがっていたのかどうか、この問いの答えはかなり難しいのではないでしょうか。

答えの1つとして日本国憲法前文の

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


が考えられると思います。

少なくとも、上記のような使命が与えられているとすれば、従軍慰安婦問題を抱えた日本がさまざまな交渉で譲歩するべきだ、という方向は違うのではないかと思います。

マッカーサーはアメリカの将来について見通す力を持っていたのではないでしょうか。
マッカーサーの遺志というものをアメリカは尊重する必要があると思います。


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主人の書棚に
ジョン・ガンサー「マッカーサーの謎」 木下秀夫・安保長春訳 時事通信社 昭和26年
という本がありました。
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p.83
・最初にわたしが感じたことは、元帥はわたしの記憶にあるほど、あるいは寫眞から受ける感じほど、たけが高くないということだつた。かれはすばらしく男振りがよい――疑いもなく、現代における最も男振りのいい男性の一人であろう。この美貌はありきたりの美しさというだけではなく、内部からにじみでてくる魅力、生活力の美しさである。

・わたしはマッカーサーの侍醫、C・C・カナダ中佐に、元帥は患者として扱いいい方」かどうかとたずねると、その答えは「わかりませんね。一度も病氣になつたことがないんですから」だつた。事實、元帥は過去ほとんど三十年間にわたり、一日として病氣のため休んだことがない。

・この事實は、かれが自分の仕事に精勵恪勤であることを思いあわせるとき、ますます驚くべきこととなる。だがかれの勤務時間は風がわりであり、これによつてかれは十分うちくつろぐ時間を持つのである。

・かれは朝おそく起きる。そしてゆつくり朝食をとり、朝食後、すこしばかり書類に目を通す。第一相互ビルにでかけるのは、午前十一時ごろ、時としてそれよりおくれることもある。元帥はそこで午後一時四十五分ないし二時まで働き、ついで晝食のため大使館に歸る。晝食後一年三百六十五日、できるだけ晝寝をすることにしている。

p.84
・ウィンストン・チャーチルのように、一時間ばかり熟睡する晝寝である。五時か五時半ごろになつてふたたび第一ビルにもどり、夜の九時あるいはそれよりおそくまで仕事をつづける。夕食は大使館に歸つてからとるが、きまつて夫人とただ二人だけである。社交のために、この日常が破られることはない。元帥は訪問もせず、宴會にも出席せず、社交的に外部の人と接觸することもなく、晝食以外には全然人を招待しない。元帥はおりおり大使館で映畫を見る。そして十二時までには床につく。

・元帥はほとんど運動ということをしないが、ある人々はこれも異常なことだと考えている。だが、かれは自分の事務所で人と話をするときに、非常に部屋のなかを歩きまわる。事實、かれをよく知つている人々は、元帥のこうした習癖によつて、一日に三マイルか四マイルくらいは歩くだろうといつているが、これはもちろん誇張だろう。

p.85
・かれの一日の仕事は、比較的らくなように思えるかもしれないが、しかし一方では、かれには一日として休日というものがない。まさに文字通り休日がないのである。かれは日曜日も働く。復活祭も休まない。元旦も、クリスマスも仕事をつづける。日本に着任してから一日として休んだことがない。

・みるにみかねたある人が、一度この問題をマッカーサーにじきじき訴えて、どうも少し部下を酷使し過すぎるのではないか、これではみんな「死んでしまう」と注意したことがある。すると總司令官の斷乎たる答えはこうだつた。「人間と生れて、自分にあたえられた仕事をしながら死ねるなんて、これほどのしあわせがあるだろうか。」

************************************

やはり、このマッカーサーだから、日本の戦争直後の混乱が抑えられたのではないでしょうか。

アメリカは、現在、マッカーサーのような人物がみあたらないとすれば、侵攻によって混乱を拡大させてしまうことにならないでしょうか。

それは米軍にとって大義なき戦争となってしまい、何より不幸なことだと思われます。




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宮城事件については こちら

ふと日本が戦争を始めるにあたって、昭和天皇の替え玉を何人か用意したのではないか
と考えました。

武田信玄のようなことがあったのでは困る、と誰でも考えそうなことだからです。

実際、戦争の経過のあれこれの場面で、昭和天皇の命が危なかったときがあるようです。

たぶん昭和天皇は必死に守られたことでしょう。

しかし、たとえ「昭和天皇」がリレーされた存在であったとしても
日本を必死で守った人物であることは変わりないと思います。

天皇とマッカーサー















アフガニスタンやイラクの混乱に胸が痛みますが、マッカーサーと昭和天皇の2人の
強い思いはひとすじの希望を抱かせるものとして感じられます。

日本には多くの生き続ける存在がある
たとえ実際の一生が哀しみに満ち、絶望したものであっても

そう思いませんか?




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私には、まだマッカーサーが生きているように感じられます。

ダグラス・マッカーサーについての過去の記事は こちら



以下は、1951 年4 月19 日、ワシントンDC の上下院の合同会議に出席したマッカーサーの退任に際しての演説について原文は こちら




1951年4月19日

上院議長閣下、下院議長閣下、ならびに連邦議会議員の皆様
私は深い謙虚さと大きな誇りを感じつつ、この演壇に立っています。

これまでに、ここに立った米国の歴史の偉大な構築者たちのことを思えば、
謙虚にならざるを得ません。
立法府の議論が行われるこの場所が、これまでで最も純粋な形で人間の
自由を体現していることを思えば、誇りを覚えざるを得ません。

ここには全人類の期待と願望と信義が凝縮しています。
私はいかなる党派的な大義の唱道者としても、ここに立ってはいません。
なぜなら、争点となっているのは根本的な問題であり、党派的な考慮の範囲を
大きく超えるものであるからです。
我々の進む道が健全であることを証明し、我々の未来を守ろうとするなら
、これらの問題は最高水準の国益に基づいて解決されなければなりません。
従って、私がここに述べることは、同じ一米国国民が熟慮した見解を表明して
いるものと、皆様が正当に受け止めてくださることを確信しています。
人生のたそがれ時にここで演説するにあたり、私には何の遺恨も苦渋もありません。
心にあるのは、ただ1つ、国のために尽くすという目的だけです。
諸課題は世界的な規模に広がり、あまりにも深く絡み合っているため、ほかの側面を
気にも止めずに1つの側面だけを検討することは、全体の破綻を招くことでしかありません。
アジアは一般的に欧州への玄関口と呼ばれていますが、それに劣らず欧州がアジアへの
玄関口であることもまた事実です。一方の広範な影響が他方に及ばないことはあり得ません。
わが国の軍事力は、この2つの前線を守るには不適切であり、我々の努力を分割する
ことはできない、と言う人がいます。
これは敗北主義の表明の最たるものです。もし仮想敵国がその軍事力を2つの前線に
分けることができるのなら、それを迎え撃てばいいのです。
共産主義の脅威は地球規模のものです。共産主義が一つの地域で進出に成功すれば、
他のすべての地域が破壊される恐れがあります。
アジアで共産主義に譲歩、あるいは降伏することは、同時に欧州においてその進出を
阻む我々の努力を無駄にすることになります。

こうした一般的な道理を指摘した上で、アジア全般のことに限って論じたいと思います。
いま存在している状況を客観的に評価するには、その前に、アジアの過去と、現在までに
際立ってきた革命的な変化について、多少なりとも理解しておかなければなりません。
アジア諸国の国民は、いわゆる植民地勢力から長い間搾取されてきており、フィリピンに
おけるわが崇高な米国統治が指針としてきた社会正義や個人の尊厳、生活水準の改善
などを、達成する機会をほとんど与えられてきませんでした。
そしてようやく、先の戦争に植民地主義の足かせから解放される機会を見出しました。
今、新たな機会の到来と、これまで感じることのなかった尊厳と、政治的自由に根ざす
自尊心を目の当たりにしているわけです。

地球の人口の半分と、天然資源の60パーセントが集まったこの地域で、アジアの人々は
物心両面で新たな力を急速に結集させており、これを用いて生活水準を向上させ、
近代化の構想を確立し、自らの独特の文化的環境に適合させようとしています。
植民地化の概念に執着する人がいようといまいと、これがアジアの進む方向であり、
この動きを止めることはできません。これは世界経済の辺境が移動することの当然の
帰結であり、世界情勢の全体的な中心は、巡り巡って、それが始まった地域に戻る
ものなのです。

このような状況において、わが国としては、植民地時代がすでに過去のものになった
以上、アジア諸国の国民が自力で自由な運命を形作る権利を切望しているという事実に
目を背ける路線を取るのではなく、こうした基本的な進化の状況に共鳴するように、
自国の政策を合わせていくことが死活的に重要になります。
彼らが今求めているのは、友好的な指導、理解、支援であり、尊大な指図ではありません。
尊厳ある対等であり、隷属という恥辱ではないのです。彼らの戦前の生活水準は哀れなほど
低いものでしたが、戦争が終わった今、戦争の残した惨禍で、生活水準は果てしなく悪化
しています。世界中のさまざまなイデオロギーはアジア人の思考にほとんど影響を及ぼして
いませんし、理解もされていません。
アジアの人々が求めているのは、少しだけ多くの食糧を胃袋に入れること、少しだけまともな
衣服を身に着けること、少しだけ頑丈な屋根の下で寝起きすること、
そして政治的自由を求める正常な民族的欲求を実現する機会を得ることなのです。
このような政治的・社会的状況は、わが国の安全保障にとって間接的な意味しかあり
ませんが、それは目下の計画の背景をなすものであり、我々が非現実主義の落とし穴を
回避しようとするなら、それを慎重に検討しなければなりません。

わが国の安全保障により直接的な意味を持つのは、先の戦争中に起きた、太平洋の
戦略的潜在能力の変化です。
それまでは、米国の西方の戦略的国境は、文字通り、南北アメリカ大陸の境界線であり、
危険にさらされた戦線の突出部として、ハワイ、ミッドウェー、グアムを経てフィリピンまで
つながる島々がありました。この戦線の突出部は、わが国の強力な前哨地ではなく、
敵がここを通って攻撃することができる、そして実際に攻撃してきた、わが国の弱さを示す道
であることが分かりました。

太平洋は、隣接する陸地を攻撃する意図を持った略奪軍にとって、潜在的な進攻地域でした。
この状況は、我々の太平洋での勝利で一変しました。
そして、わが軍の戦略的辺境は移動して太平洋全域を取り囲み、保持する限りわが国を守る
広大な濠(ほり)となりました。
実際それは、アメリカ大陸全体と太平洋地域にあるすべての自由な土地にとっては、
防御用の盾の役割を果たしています。
わが国と自由な同盟諸国が所有する、アリューシャン列島からマリアナ諸島までアーチ状
延びる一連の島々によって、我々はアジアの海岸までの太平洋地域を支配しています。
この一連の島々から我々は、海軍力と空軍力によって、ウラジオストクからシンガポールに
至るすべてのアジアの港を支配し― 繰り返しますが、海軍力と空軍力によって、
ウラジオストクからシンガポールまでのすべての港を支配し― 太平洋に敵対的な動きが
入り込むのを阻止することができます。

アジアからの略奪的な攻撃は上陸作戦になるに違いありません。
進路上にあるシーレーンとその上空を統制下に置かずに、上陸攻撃を成功させることは
できません。我々が海軍力と空軍力の優位と、基地を守るある程度の陸軍部隊を擁して
いれば、アジア大陸からわが国への、あるいは太平洋の友邦への大規模な攻撃は、すべて
失敗に終わるでしょう。

こうした状況下では、太平洋はもはや、潜在的な侵略者が近づく危険な通り道には
なりません。
逆に、穏やかな湖の親しげな様相を帯びています。わが国の防衛線は自然のものであり、
最低限の軍事的努力と軍事費で維持することができます。それは、いかなる相手に対する
攻撃も想定しておらず、進攻作戦に不可欠な要塞も備えていませんが、適切に維持すれば、
侵略に対する無敵の防御手段となるでしょう。
この文字通りの防衛線を西太平洋に維持することができるかどうかは、そのすべての部分を
維持できるかどうかにかかっています。非友好的な力によってこの防衛線が一部でも大きく
破られれば、ほかのあらゆる主要部分が決定的な攻撃を受けることになるでしょう。

私の知る限り、この軍事的評価に対しては、いまだにいかなる軍の指導者も異議を唱えた
ことがありません。
だからこそ私はこれまで、軍事的な緊急事として、いかなることがあろうとも台湾を共産主義者
の支配下においてはならない、と強く勧告してきたのです。
もしそうした事態になれば、直ちにフィリピンの自由が脅威にさらされ、日本を失い、
我々の西方の最前線はカリフォルニア、オレゴン、ワシントン各州の沿岸部まで後退を
余儀なくさせられるでしょう。

いま中国大陸で見られる変化を理解するためには、過去50年間にわたる中国人の気質と
文化の変化を理解しなければなりません。
50年前までの中国は、全く均質性を持たず、互いに意見が対立するいくつかのグループに
分かれていました。彼らは儒教の理想である平和主義的文化の教えに従っていたため、
戦争を起こすような性向はほとんどみられませんでした。
ところが20世紀の初め、張作霖政権下で均質性を高める努力が行われた結果、
民族主義的な衝動が生まれました。
蒋介石の指導のもと、この衝動をさらに大きく広げることに成功しましたが、
それが現政権下で見事に結実し、いまでは、より支配的で攻撃的な性向を持つ統一した
民族主義の性格を帯びるという事態に至っています。

こうして過去50年の間に、中国人は軍国主義的な概念と理想を持つようになりました。
彼らは現在、有能な参謀と指揮官を持つ、優秀な兵士になっています。
これによって、アジアに新たな強大な勢力が生み出されました。
この勢力は、独自の目的のためにソ連と同盟を結んでいますが、思想と手段の面では
帝国主義的な好戦性を高めており、この種の帝国主義につき物の、領土拡張と力の
増大を渇望しています。

中国人の気質には、いかなるものであれ、イデオロギー的な概念はほとんどありません。
生活水準があまりにも低く、戦争によって資本の蓄積があまりにも完全に消失させられて
しまったため、大衆は絶望しており、地方の窮乏を多少なりとも軽減してくれそうな指導者
であれば、誰にでも喜んで従おうとしています。

私は最初から、中国共産党による北朝鮮支援は決定的なものだと考えていました。
今のところ、彼らの利害はソ連と軌を一にしています。
しかし、朝鮮半島だけでなく、インドシナやチベットでも近年示され、いまや南に向けられている
攻撃性は、太古の昔から、征服者たらんとする者を駆り立ててきた、力の拡大への欲望の表れ
にほかならない、と私は思います。

戦後、日本国民は、近代史に記録された中では、最も大きな改革を体験してきました。
見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、日本人は、戦後の焼け跡の
中から立ち上がって、個人の自由と人間の尊厳の優位性に献身する殿堂を日本に打ち立て
ました。
そして、その後の過程で、政治道徳、経済活動の自由、社会正義の推進を誓う、真に国民を
代表する政府が作られました。

今や日本は、政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、地球上の多くの自由な国々と
肩を並べています。
世界の信頼を裏切るようなことは2度とないでしょう。最近の戦争、社会不安、混乱などに
取り巻かれながらも、これに対処し、前進する歩みをほんの少しも緩めることなく、共産主義を
国内で食い止めた際の見事な態度は、日本がアジアの趨勢に非常に有益な影響を及ぼすこと
が期待できることを立証しています。
私は占領軍の4個師団をすべて朝鮮半島の戦場送りました
が、その結果、日本に生じる力の空白の影響について、何のためらいもありませんでした。
結果はまさに、私が確信していた通りでした。
日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を知りません。
また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国も
ほかに知りません。


かつてわが国が後見していたフィリピンについては、現在の混乱が消え、長期にわたる戦争の
恐ろしい破壊の、より長い余波の中から、強く健全な国が生まれると、確信をもって期待する
ことができます。我々は、辛抱強く理解を示し、決して彼らを失望させてはいけません。
私たちが必要としているときには、彼らは私たちを失望させなかったのですから。
キリスト教国であるフィリピンは、極東におけるキリスト教の強大な防波堤となっており、
アジアにおいて道徳的に強いリーダーシップを発揮する無限の力を秘めています。
台湾に関しては、中華民国政府は、中国大陸における同国政府の指導力を大きく損なった
悪意あるゴシップの大半について、行動によって反論する機会を得ました。
台湾の人々は、政府機関に多数派が代表を出すという公正で賢明な政権を戴いており、
政治的にも、経済的にも、社会的にも、健全で建設的な路線に沿って進んでいるようです。

以上、周辺地域について短い洞察を加えた上で、朝鮮半島での軍事衝突に話を
転じたいと思います。
大韓民国を支援して介入するという決定を大統領が下す前に、私はなんら相談を
受けていませんでした。
その決定は、わが軍が侵略者を押し戻し、その軍事力の多くを減殺したことにより、
軍事的な観点から正しかったことが証明されました。
わが方の勝利は決定的だったし、目的の達成は目前だったのですが、そこへ共産中国が、
数の上では上回る陸軍力で介入してきたのです。

この中国介入によって、新たな戦争と、全く新しい状況が作り出されました。
それは、北朝鮮の侵略者に対してわが軍が投入されたときには考えもしなかった
状況です。
そして軍事戦略を現実に即して修正するために外交面で新たな決定が求められる
状況となりました。

そうした決定は、いまだ下されそうもありません。

地上部隊を中国大陸に送り込むことに正気で賛成する人はいないでしょう。
実際、そうしたことは、一度も検討されませんでした。
しかし状況が一変した今、かつての古い敵を倒したように、この新たな敵を打ち破る
ことがわが国の政治目標であるならば、戦略計画の根本的な変更が緊急に迫られて
いたのです。

私が見たところ、鴨緑江の北にいる敵に与えられた保護された聖域を無力化すること
が軍事上必要だったほか、戦争を進める上で、次のようなことが必要だと感じました。
第1は、中国に対する経済封鎖の強化です。第2は中国沿岸部に対する海上封鎖。
第3は、中国沿岸地域と満州に対する航空偵察制限の撤廃。
そして第4は、台湾の中華民国軍に対する制限を撤廃し、共通の敵に対して同軍が
有効な作戦を取ることができるような、兵站面での支援を行うことでした。

これらのすべての見解は、朝鮮半島に送られたわが軍を支援し、米国および同盟
諸国側の無数の人命を損なうことなく、できるだけ早い時期に戦闘行為を終わらせる
ことを意図して、職業軍人の立場で考えたものでした。
軍事的な観点からみると、わが国の統合参謀本部を含め、朝鮮戦争に関わったほぼ
すべての軍事指導者が、過去にこれと同じ見解を持っていたと私は理解しています。
にもかかわらず、こうした考えを抱いたことで、私は主に海外の素人筋から、
厳しく批判されてきました。

私は増援を求めましたが、援軍は得られないことを知らされました。
もしも鴨緑江の北に敵が建設した基地を破壊することが認められないということで
あれば、もしも台湾にいる約60万の友好的な中国軍を利用することが認められないと
いうことであれば、もしも中国共産党が外部から援助を受けられないようにするために
中国沿岸を封鎖することが認められないということであれば、そして、もしも大規模な
増援を送ってもらえる見込みがないということであれば、軍事的にみて、勝利を妨げた
のは司令部の態度であると私は明言しました。

途切れることなく作戦行動を続ければ、韓国でも、わが軍の補給線が強く敵の補給線が
弱い周辺地域では、敵を抑えることができたでしょう。
しかし、もし敵が全軍事力を用いた場合、せいぜい我々に期待できるのは、
わが軍をひどく消耗させ続ける、決定力に欠けた軍事作戦だけだったのです。
この問題の解決に不可欠な新たな政治判断を、私は絶えず要求してきました。

私の立場を歪曲させるための努力も行われました。
要するに私は、好戦主義者であると言われてきたのです。
これほど、事実から遠いことは、ほかにありません。
私は、いま生きている誰よりも、戦争については知っています。
私にとっては、これほど嫌悪すべきものは、ほかにありません。
私は長年にわたり、戦争の完全な撲滅を訴えてきました。
敵も味方も破壊するがゆえに、戦争は国際紛争の解決手段としては無用なものになって
しまったからです。実際、1945年9月2日、日本が戦艦ミズーリ号上で降伏文書に
署名した直後、私は次のように公式に警告しました。

「人間は、有史以来、平和を求めてきた。国家間の紛争を防ぐ、あるいは解決する
国際手続きを作り出すため、さまざまな方法が時代を超えて試されてきた。
個々の市民に関しては、当初から実現可能な方法が見つかった。
しかし、より広い国際的な広がりを持つ手段の仕組みは、一度も成功したことが
なかった。軍事同盟、勢力均衡、国際連盟など、すべてが次から次へと失敗に終わり、
残されたのは戦争という厳しい試練を経る道だけだった。
いまや戦争の徹底的な破壊力によって、この選択肢も閉ざされてしまった。

今が最後のチャンスだ。もっと優れた公平な制度を我々が作り出さなければ、
ハルマゲドンは玄関口に迫ってくるだろう。


問題は、基本的に神学的なものであり、過去2000年の科学、芸術、文学、
そして物質的、文化的発展の、比類のない前進と同調する、精神的再生と
人間性の改善に関係している。肉体を救おうとするなら、それは精神を通してである」

しかし、いったん戦争が我々に押し付けられれば、これを迅速に終わらせるため
には、使えるすべての手段を使う以外に選択肢はありません。

戦争の目的は、まさに勝利であり、中途半端な状態を長引かせることではありません。

戦争では、勝利に代わるものはありません。

さまざまな理由を掲げて、共産中国と宥和しようとする人がいます。
彼らは、歴史の明白な教訓に対して盲目なのです。
なぜなら、宥和政策は新たな、さらに血なまぐさい戦争を招くだけだということを、
歴史ははっきりと強調して教えているからです。
このような結果をもたらす手段が正当化されるような例、宥和政策が見せかけの
平和以上の成果をもたらした例は、歴史上1つもありません。
脅迫と同様、宥和政策は、より大きい新たな要求を次々に招く原因となり、
最終的には、脅迫と同じように、暴力が唯一の取りうる選択肢となってしまいます。

私は、兵士たちから聞かれました。「なぜ戦場の敵に、軍事的な有利さを明け渡して
しまうのですか」 私は答えられませんでした。

紛争が中国との全面戦争にまで拡大するのを避けるためだ、と言う人がいる
かもしれません。
また、ソ連の介入を防ぐためだ、という人もいるでしょう。どちらの説明も正当な
根拠があるとは思えません。
なぜなら、すでに中国は、全兵力を投入して交戦しているからであり、ソ連は必ずしも
自らの行動を我々の動きに合わせてくれようとしないからです。
新たな敵も現れるでしょう。彼らは、コブラのように、世界的な規模でみて、
自分たちの軍事その他の力が相対的に有利であると感じれば、
すぐに攻撃を仕掛けてくるでしょう。

朝鮮での悲劇は、その国境線の中に軍事行動が限定されていることによって、
さらに高められています。
我々が救わんとするこの国が、海と空からの大規模爆撃による破壊に苦しんでいるのに、
敵の聖域は、そうした攻撃や破壊から完全に守られているのです。

世界中の国で、これまでのところすべてを賭して共産主義と戦ってきたのは
韓国だけです。韓国人の勇気と不屈の精神は見事であり、筆舌に尽くせません。


彼らは、奴隷になるよりも死の危険を冒すことを選びました。
彼らの私に対する最後の言葉は「太平洋を見捨てないでほしい」でした。

私は、戦地で戦う皆様の息子たちを朝鮮半島に残してきたところです。
彼らはそこであらゆる試練に耐えてきました。
彼らはあらゆる意味において優れていると、私は今、なんのためらいも無く、
皆様に報告することができます。

私は彼らを守り、この残酷な戦闘を、誇り高く、最小限の時間と人命の犠牲で
終らせるよう、常に努力してきました。
流血の増大は、私に、この上なく深い苦悩と不安をもたらしました。

私はこのような勇ましい兵士のことをしばしば思い起こし、いつも祈りをささげる
ことになるでしょう。

私は今、52年にわたる軍務を終えようとしています。
今世紀に入る前に私が陸軍に入隊したとき、それは私の少年時代の希望と夢が
成就した瞬間でした。
私がウェストポイント(陸軍士官学校)で兵士になる宣誓をして以来世界は
何度も向きを変え、希望や夢はずっと前に消え失せてしまいました。


しかし、当時兵営で最も人気が高かったバラードの一節を今でも覚えています。
それは誇り高く、こう歌い上げています。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」と。

そしてこのバラードの老兵のように、私もいま、私の軍歴を閉じ、消え去ります。
神が光で照らしてくれた任務を果たそうとした1人の老兵として。

さようなら。



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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを
決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する
崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会
において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有すること
を確認する。

われらは、
いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
のであって、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である
と信ずる。


日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と
目的を達成することを誓ふ。



官邸HPから英訳

We, the Japanese people,
acting through our duly elected representatives in the National Diet,
determined that we shall secure for ourselves
and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations
and the blessings of liberty throughout this land,
and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war
through the action of government,
do proclaim that sovereign power resides with the people and
firmly establish this Constitution.

Government is a sacred trust of the people,
the authority for which is derived from the people,
the powers of which are exercised by the representatives of the people,
and the benefits of which are enjoyed by the people.

This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded.
We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances,
and rescripts in conflict herewith.

We, the Japanese people, desire peace for all time
and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship,
and we have determined to preserve our security and existence,
trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

We desire to occupy an honored place
in an international society striving for the preservation of peace,
and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance
for all time from the earth.

We recognize that all peoples of the world have the right
to live in peace, free from fear and want.

We believe that no nation is responsible to itself alone,
but that laws of political morality are universal;
and that obedience to such laws is incumbent upon all nations
who would sustain their own sovereignty and
justify their sovereign relationship with other nations.


We, the Japanese people, pledge our national honor
to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.



この憲法前文は、期間限定で日本国の天皇として君臨したともいうべき
マッカッサーの詔勅のようなものだと、私には感じられます。

今、再びマッカーサーは強く呼びかけたい気持ちにかられているのではないでしょうか。




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ダグラス・マッカーサーが大山巌を尊敬していたということは
知っていたのだけれど、なぜ、ということは知らなかった。

大山巌については こちら

1905年にダグラス・マッカーサーの父であるアーサー・マッカーサー・ジュニアが駐日米軍武官として日露戦争を観戦したのだという。その際、三男であるダグラス・マッカーサーを副官として伴っていたのだとか。

アーサー・マッカーサー・ジュニアについては こちら


大山巌はおそらく西郷隆盛の遺志を継いだ人物であっただろう。
多くの人たちは、大山巌の姿に西郷隆盛を見たのではないだろうか。


マッカーサー親子は、大山夫妻と会っただろう。

25歳前後であったダグラス・マッカーサーは
大山巌の美しい妻45歳の大山捨松と話が弾んだのではないか。

大山捨松については こちら


ダグラス・マッカーサーにとって、大山捨松の面影が
日本という国と重なっていたのかもしれない
とは考え過ぎだろうか。




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どうもね、全国のあちこちにある空港が気にかかって仕方がないんだけど

中国の工作員が日本の欲張り土建屋と利権好きな政治家を動かして

つくったんじゃあるまいか。 

だってね、ミサイルで何発か脅しをかけて、中国からたくさんの飛行機がきたら

1日で制圧できそうじゃないの。

その場合、事前にアメリカと中国が話をつけておくわけよね。

 

戦争を体験した主人にそれとなく空港封鎖ってどーするの?

って聞いたら、車とかを並べて使えなくするんだって。できるかしらね。

だけどね、きっと自分たちは逃げ出したい人たちがいて、

空港を使えるままにしておくんじゃないかしら。

そうすると、そこへ敵の飛行機がやってきて逃げ出そうとしている飛行機を

爆撃をしちゃうわけでしょ。

 

そーいうときのために、大陸に向けての核があればな、って思っている

らしいわね。でも倍になって返ってくるわね、きっと。

 

中国が日本を制圧したとして、中国から人がどんどんやってきて

日本が人であふれて無秩序になって内乱状態。

日本が満州に行った場合とは違うわね。

 

ま、日本も自爆テロ元祖みたいなとこがあるからやりにくいわね。

それとも、中国は「マッカーサー」を用意できるかしらね。

 

というわけで、日本は核武装をあきらめたうえでの

日中友好が望ましいと思います。

 

中国も汚職のない行政や道徳教育をしっかりしてほしいし、

事故がこわい原子力発電所は廃止したほうがいいのではないでしょうか。

日本の環境技術を適正価格でご利用いただければと思いますね。

 

 

原発の廃止を!

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ロバート・M・ゲイツ国防長官様

 

心からこの度のご訪日を歓迎申し上げます。

 

僭越ながら、ひと言申し上げたく存じます。

アメリカは米軍再編を機に、軍産複合体制から新たなアメリカへと

踏み出していただきたいと思います。

歴史を学ばれたあなた様なら、今が千載一遇の機会であることを

ご理解いただけるのではないかと思います。

沖縄は美しい島です。

もう戦争をやめてほしいという声に満ちた歴史をもつ島です。

 

アメリカがアフガニスタン増派によりベトナム戦争と

同じ泥沼へと突き進むのは避けるべきだと思います。

多くの若い命が失われていくのを私たちは見過ごすことができません。

どうか声なき声に耳を傾けてください。

勇気はアメリカの最も優れた資質であるはずです。

 

数多くのアメリカのご厚情に日本がお返しするものがあるとすれば

それはもうアメリカに戦争を止めてほしいと諫言させていただく

ことが一番ではないかと思います。

 

おそらくそうできるのは日本しかありません。

日本はアメリカに対して友情以上の愛情を感じていることは

間違いありませんから。

 

莫大な戦費を負担することや自衛隊を戦争の支援へと

向かわせることは残念ながらできません。

日本は憲法9条により世界の平和に力を尽くす任務を負っております。

それは親愛なるマッカーサーの心からの遺言のようなものであることは

ご存知であると思います。

憲法9条は日本にとって何物にも代えがたいアメリカからの贈り物です。

 

どうか平和な日本の秋のひとときを楽しまれますように。

 

 

*ロバート・M・ゲイツ国防長官の紹介記事は こちら

 

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徳川光圀は、長老として綱吉や柳沢吉保にとって重たい存在であったろう。

藩の財政も考えず、歴史の研究に莫大なお金をかけても誰も止められなかった。

高齢となって、柔軟な思考、とくに他者を思いやるという気持ちを持ち続けることは

難しい。

 

マッカーサーが残した「老兵は死なず、消えゆくのみ」という言葉

Old soldiers never die;they just fade away.

はあらゆる意味で哀切な響きをもって感じられる。

マッカーサーについては こちら

マッカーサーは当時71歳であった。

そのころ、マッカーサーは国連軍の指揮官として朝鮮戦争の指揮をとっていた。

しかし、第3次世界大戦への拡大を怖れたトルーマン大統領によって

解任されての演説の中での言葉である。

トルーマン大統領については こちら

 

トルーマン大統領の判断は正しかったといえるだろう。

しかし2人の意識は別として、協力して戦争を止めた、 ともみえないだろうか。

 

朝鮮戦争については こちら

まだ朝鮮戦争は終わってはいないのですね。

私たちはこの戦争を終わらせるために最善を尽くす必要があります。

 

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明治維新前後の男たちに比べて、大山捨松はなんとすばらしい人物であった

ことだろう。

大山捨松については こちら

西洋かぶれになるのならば、大山捨松のようであればよかったのにと思う。

しかし、その一方で捨松のような人材は現代の日本でもまだまだ生かしきれない

だろうと思われる。

捨松の夫となった陸軍大将大山巌は、西郷隆盛の従弟でり、西郷に似た人物であった

ようである。

ダグラス・マッカーサーが、この大山巌を崇拝していたとのことである。

大山巌が捨松よりも大事にしたという児玉源太郎の人物像についてもまた興味深い。

日本の歴史は私欲がない人物をいつの間にか覆い隠すような力が働くような気が

する。

大山捨松の活躍を封じる働きかけは内外からあったのだろう。

小説「不如帰」のモデルとされたことは、心外であったと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%AF%8C%E8%98%86%E8%8A%B1

欧米の男たちにとっても、いろいろな意味で陸奥亮子のような女性が好ましかった

のかもしれない。

 

大山捨松はスペイン風邪で亡くなったのだという。

スペイン風邪は、不思議なことに子どもや高齢者よりも若い人たちの命を奪ったと

のこと。さらに当時の身分の高い人たちが亡くなっている。

高価な薬が被害を広げた、ということがあったのではないか。

捨松のような人間は、いろいろなことを教えてくれる。

 

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オバマ、クリントン氏の「正副大統領」…民主党支持者の5割期待(読売新聞) - goo ニュース

【票流底流 2008米大統領選】クリントン氏、メディアも批判 (産経新聞) - goo ニュース

オバマもヒラリーもマケインも、みな魅力的な人ばっかり。

アメリカのために と声を大きく上げているし、

そんなに私利私欲、権力欲って思えない。

 

でも現実は、食糧危機を招いた元凶であったり、イラクやアフガンを

泥沼化させていて、大丈夫?って聞きたくなるほど。

投資で飢饉を招き、軍産複合体制で国をまわして、

日本から なかば脅迫で吸い上げている国

 

偉大なアメリカは病んでいる。

きっと糖尿病ね。

末端に血液がいかないんだわ。

クラスター爆弾、劣化ウラン弾、核爆弾を使わないっていってくれるなら

日本は苦しい中、思いやり予算で、温泉にご招待して大盤振る舞いするでしょう。

そして、米軍基地も不要だから返還ね。

 

マケインさん、優秀なアメリカ軍を戦争に使うのはもったいない。

アメリカ再生に生かさなくては。

できるだけ早くイラクから撤退させるべき。

もしかして、今まで優秀な人間を政府中核から遠ざけるために戦争を起こして

いたの?って思えるほど。

 

マッカーサーが大統領になっていたら、

アメリカはどうだったのか。

ベトナム戦争もイラク戦争も起きなかったのではないか。

http://blog.livedoor.jp/dorci/archives/51188903.html

 

ヒラリーによって、アメリカのみならず世界中の女性が勇気をもつことができた

と思う。

心からの敬意をもって、ありがとう!

 

オバマ+ヒラリーでアメリカを大きくチェンジしてほしい。

アメリカが変われば 世界は変わる。

大きな期待をもって アメリカよ 栄光あれ!

 

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CHAPTER II. Renunciation of war (Draft)

Article VIII.

  War as a sovereign right of the nation is abolished.
 

The threat or use of force is forever renounced as a means for

settling disputes with any other nation.
  

     No army, navy, air force, or other way potential will ever be

authorized and no rights of belligerency will ever be conferred

upon the State.

*原案では第8条になっています。

 

 

CHAPTER II. Renunciation of war

Article 9.

 Aspiring sincerely to an international peace based on justice

and order, the Japanese people forever renounce war as

a sovereign right of the nation andthe threat or use of

force as means of settling international disputes. 
  

  In order to accomplish the aim of the preceding paragraph,

land, sea, and air forces, as well as other war potential, will

never be maintained. The right of belligerency of the state

will not be recognized.

 

 

ダグラス・マッカーサーはパイプタバコの香りに包まれて、アメリカの将来に思いを

巡らしていたのではないだろうか。

まだ、幼い息子のためにアメリカはどうあるべきかを。

 

 

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