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私の将来の夢はオペラ歌手です。
物心ついた時から、その夢は変わりません。

学3では多くの舞台を経験する事ができ、
また年末にはプロのオーケストラとも共演し、
”プロの世界”を少しだけ覗くことができた。

そんな世界に少し混ぜてもらう事が出来て感じたのは、
前にも増して演奏家への道のりに対する恐怖心でした。

演奏家になるにはどれだけ道は険しいのかも、
思い知ったように思います。


練習は大切だけれど、
時に出来ない事、やらねばならない事で頭はいっぱいになってしまう。
でも、そんなことばかり考えていたら、
本当に大切な事を忘れてしまう。

自分がどんな歌い手になりたいのか、
歌い手になってどんなことがしたいのか。
自分にとって、歌とはどんな存在なのか。

大好きなのに、時にそっちのけにして、
前のめりになっていた時もあるように思います。


以前のレポートで、「創造性」について書いた事がありましたが、
なぜ、何百年もの時を越えてもなお、クラシック音楽は演奏され続けるのか。

それは演奏家が創造力をかきたてられるから。
だから模倣ではいけない。
同じことをしているんだったら、CDを聞いていればいい。
伝統に重きをおきつつも、つねに新しい目ももっていたい。

モーツアルトでもチャイコフスキーでも、
芸術家は生きている間に作品を評価されないことが多かった。
没後にだんだん理解されはじめ、
今では「天上の音楽」「ロシア音楽の巨匠」とかおっきいタイトルが付けられる。
評価されなかった原因のひとつは、その斬新さに当時の人がついていけなかった。
モーツアルトなんて、当時は今で言うロック的存在だったって言うほどである。
変化を受け入れられない人は、いつの時代にもいるものだが。
でもそういう作曲家って、先を見据えて作っているのである。
常に新しいものへ、発展へとしていく音芸術のさきがけなのだ。

そういう視野が彼らになければ、音楽は一切の発展を遂げなかっただろう。
つねに先を見る目は、必要なのだ。

そんな音楽を、なぜ自分が今、この時代に演奏するのか。
伝統あるクラシック音楽を演奏していることが、良いのではなく、
何百年も時空を超え、今もなお人々がそれに感動し共感できることに最大の魅力を感じる。
そんな魅力的な曲を、何人もの演奏家によって演奏され続けている事に意味があるのだ。

その歴史の線上に、今、自分が立っている。

いつか叶えたい夢にむかって、
今、私は貯蓄をしている時期です。

今は勉強して練習して多くを蓄える。
きっと蓄えが多ければ多いほど、
この先の人生の可能性も、広がるでしょう。

今出来ることを、精一杯するしかないのだから。
一歩一歩。

出来ない事はまだまだ沢山あるけれど、
いつも歌が好きだという気持ちは忘れずに持っていたい。
いろんな事を知ってしまっても、
純粋に音楽に取り組んでいきたいと思います。

そしていつも「音」を「楽」しむ気持ちだけは、
忘れずもっていたいと思います。
音楽は異なったものを一つに束ねる力を持っている。
そんな素敵な力を借りながら。


これが私の「演奏論」です。