2018年04月22日

エブリイ(DA64V)のエンジン換装顛末記。(長いよ)

はいはい。

しばらく更新してないのに、たまにアップしたら車ネタですよ(笑)。

知っている人は知っていますが、私の趣味は「機械いじり」です。
動かなかったものが動くようになる喜びはサイコーです。

で、
本題。

2017年の冬にヤフオクで「DA64V」の四駆の中古を発見。
平成17年(2005年)だから1型。
型式はEBD−DA64Vで走行14万キロ。
開始価格は5万円で札幌出品。
「車検30年9月までありますが、エンジン不調なのでエンジン交換か部品取りに」的な説明。
質問欄から「自走出来ます?」って訊いたら「スゴイ音しますがエンジンかかって走れます」ってことだったので入札。
さすがに誰も入札せずメデタク5万円で落札。
リサイクル券料も含めてくれてラッキーだった。

福移の土場みたいなところに放置されていたので、待ち合わせて引き取り。
圧雪路面を夏タイヤのまま東米里のフジワラ倉庫まで走った。
思ったほど悲惨な状態じゃなかったけど「サスガは5万円」って感じだった(笑)。

明るいところで色々確認すると、結構アレコレ壊れていて部品買ったり小細工駆使して直した。
(今現在、全部は直ってないけど。笑)

んで、
肝心のエンジン(K6Aのノンターボ)はオイル管理が悪くて、オイル不足でメタル焼付きって「K6Aの王道」パターン。

メインメタルが逝くことは少ないようで、殆どがコンロッドベアリング(メタルね)が逝くらしい。
世界の広い波を漂ってみると「車載状態でもオイルパン外してコンロッドベアリングの交換が出来る」らしい。

早速スズキ部販でベアリング3セット購入。
3気筒分全部取り替える気で居たからね。

実際作業してみると手順さえ判っていれば、そんなに大変じゃなかった。
オイルパン外すのにエンジンマウント兼フロントのプロペラシャフトの固定用のメンバー外すので、ミッションの上のマウントのみでエンジンぶら下がることになる。
それで可能ならミッションを下からウマで支えるか、タイダウンベルトとかで吊るとかした方があずましいと思う。

ガラガラ君のクランク。

とりあえずオイルパン外してコンロッドベアリング交換したけど、既にガタが有って「終わった」と思った(笑)。
それでも音は気にならないほど小さくなったので「何とかなるか?」なんて甘いことを考えていたが、バリバリこき使う予定だったのでヤフオクで安いエンジン落札。

九州の解体業者さんが郵政で使っていたDA64Vのエンジンを6基出品していたので、前期(平成22年4月以前)の「GBD−DA64V」のエンジンを落札。
16万キロ走行で始動テスト済みで異音無しだけど、要修理品、コア用でって説明だった。
送料が8千円で総額3万円弱とお安かった。

エンジンは正月休み明けに西濃運輸の営業所に届いたので、軽トラで引き取り。
キレイなエンジンだった。
ヤフオク出品時の画像は車載状態だったので「降ろしてから洗ってくれたんだ、サスガは業者さん」とか思っていたんだけど、これが「つまづきの第一歩」だった。

この冬は大型ダンプに乗って昼夜関係なく稼いでいたので、エンジン積み替えなんて気持ちは全く起こらず3月末に。
気持ちも落ち着いてきたので、自宅前のアスファルト部分で「露天エンジン換装」開始。

ほいで、
エンジン降ろして2基並べてハーネス入れ替える。

それはなぜか?
九州から来た郵政エンジン(以下郵政君)はオートマ用だったから。
制御系違ってもイヤだなぁと思ったのだ。

郵政君のハーネス全部外して元々のエンジン(以後ガラガラ君)のハーネス移植。
合わない部分が2ヶ所。
1:スロットルボディのセンサーのコネクタ形状が違う
・仕方ないのでガラガラ君のスロットルボディ一式を移植
2:ラムダセンサー(O2センサーね)が4本仕様
・仕方ないので両方のエキマニ炙って何とかガラガラ君のを移植

そして一番の驚きは「クランク角センサー」が付いていたこと。
クランクプーリーにギザギザ付いてる・・・。
「コレって後期(平成22年5月以降のスパークプラグ長いヤツ)じゃね?」
そうなのだ。九州の解体業者さんは同時に出してた6台のうち3台はHBD−DA64Vだった・・・。
間違って来ちゃったんだなぁ(笑)。

焦ってプラグ外したら案の定プラグが長い・・・。
「後期型でも良いけど、カムポジションセンサーだけで動くの?」って疑問が・・・。

そこで「困ったときのケースケ」に電話。
ケースケはスズキのディーラーで長くメカニックやっていたプロなので意見を訊いてみた。

「ディーラーでは型合わないエンジン積みませんから(笑)」と一蹴されるも「動かなかったらカムシャフトだけ交換すればいいんじゃないですか?車載状態でも問題なく出来ますよ」というナイスなアドバイスもらって郵政君を積んでみた。

珍しく緊張してセル回したのだが予想通り初爆も無い(笑)。

でもって、
郵政君を車載状態でカムシャフト交換することに。

1:オイルパン外す
  もちろんエンジンオイルは抜いておく(笑)
2:オイルポンプにつながってるオイルストレーナ外す
  コレ外さないとフロントカバー外れません
3:フロントカバー(タイミングチェーンケース)外す
4:私はウォーターポンプのハウジングごと外しました
  ポンプだけ外すよりも作業するのが楽そうだったので
5:ヘッドカバー外します
  プラグは当然既に外してます(笑)
6:タイミングチェーンのテンショナー両方共外します
7:タイミングチェーン外します
8:キャップベアリング外したらカムシャフト外れます

元に戻すのは逆の手順で。

実際に困ったのはタイミングチェーン張るときの位置です。
結局郵政君のエキゾースト側のカムスプロケットにも、ガラガラ君から外したインテーク側のカムスプロケットにもちゃんと刻印有って問題ありませんでした。
両方のカムスプロケットのスリットが入ってる部分が真上にして、クランクシャフトもキーが真上の状態でチェーンかければ大丈夫です。
※タイミングチェーンに色の違う部分が3箇所有って、カムスプロケットの両方のスリットと、クランクのスプロケットのスリットを合わせればOK。
この辺の情報はググれば結構出てきて「どれが本当?」とか思いますが、多分説明の方法が違うだけです(笑)。

後期にも前期のカム普通に付きます。

カムシャフト交換したのでタペット調整必須です。
規定では0.18〜0.23ミリらしい。
後期型は0.20ってのも見たんだけど、狭いのは問題だけど広いのは音が出るだけで問題ないっぽい。
ケースケも「広い方が調子は良い」って言ってたし(笑)。
※追記
後期型のバルブクリアランス(冷間時)は吸気側「0.18〜0.23ミリ」、排気側「0.30〜0.35ミリ」でした。


そしたら何と交換したインテーク側は0.22〜0.25で私としては許容範囲。
でもエキゾースト側の2番の前側だけが0.13・・・。(追記 2番の後ろ側でした・・・。)
他は0.28なのに・・・。
こりゃ明らかにバルブが痩せてる。
シム薄いの発注して数字合わせよう。そうしよう。
発注したら道内に無かった。
まぁ一般的に必要な部品じゃないもんね(笑)。
とりあえずガラガラ君から外したシムで一番薄いの入れて0.19になったので、シム届くまでの暫定でガマン。

マズイ数字。

そして組んでオイル入れて、またまた緊張しながらセル回す。
かかった!
イエーイ!

と、いうことで。

前期の車体に後期のエンジン積むときはインテーク側のカムシャフトは交換しなきゃならないですよってネタでした(笑)。

左が前期。後期はピックアップ少ない。

ではでは。

※追記
・後期型エンジン排気バルブの保証延長。
http://www.suzuki.co.jp/recall/car/2017/1124b/

・後期型積む時は「スロットルボディ」も前期にした方が良いかも。
 私のはコネクターが合わなかったので前期のスロットルボディ使用しました。
 特に問題は起きてないです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11169619971

doride at 22:10|PermalinkComments(0)車とか | ネタ

2018年01月22日

緩。

はいはい。

ドリデは2018年でMTBレースのシリーズを終了します。
既にダウンヒルは終了しているので、92年くらいから継続されていた北海道内でのMTBレースのシリーズ戦が消滅することになります。
正直、その幕引き係が自分になるなどということはライダー時代には考えもしませんでした。

思い出せば89年くらいから2年間開催していた「MTBシリーズ戦」ってのが、今までドリデを続けられた原動力だったのかもしれません。
オリオンとロードスターのライダーが中心のシリーズでした。
年間4回くらいやったのかな。

クロスカントリー的なコースはほぼゼロで、不整地を走るだけとか、ターマック(舗装路)のみのこともありました。
基本的にはタイムトライアル。
チーム組んでの耐久とかもやりました。

会場は当時工事中だった石狩湾新港の工事中の道路だったり、前田森林公園の駐車場だったり、消防局の訓練所(現札幌市消防学校)の運転練習コースだったり。
ロードスターの佐々木さんと春木君が「あそこも面白そうだった」とか言って見に行ったり。
雪を踏み固めてコース作ったのに気温が上がって水の泡になったり。
楽しかったですな。

当時普及し始めたワープロで勤務中にリザルトやレポート作って、職場の青焼きやリソグラフで印刷して配布したりしてました。

その後HMA(北海道マウンテンバイク協会)が立ち上がってシリーズを展開。
豊富、豊頃、士幌、天狗山、大沼、白滝、サホロ、トマム、夕張、アンヌプリ、岩見沢、キロロ、滝野、幕別、石狩、白旗山・・・。
道内各地を転戦して本当に楽しかった。
その裏でエライ尽力してる人達が居ることにも気付かないほど。

マウンテンバブルが終わり自治体の「町おこし」的な要素が強かったMTBレースは一気に減少していきます。
以前自分達で小さなレースを開催してた私達は「自分達でもレース開催すればいいじゃない?」的な軽いノリで開催を始めます。

初レースは確か2001年の春の「ファットボーイクリテリウム」。
テイネハイランドの駐車場でした。
ハイランドに大量に有った古タイヤを置き、スズランテープで仕切ったコース。
今思えば相当にグダグダな運営だったはずですが、参加者のほとんどがHMAのシリーズ戦で走っていた顔見知りだったので「生暖かく」見ていてくれたようです(笑)。

本格的にHMA(当時は既に連盟絡みの北海道マウンテンバイク委員会だったかも)のレースが減ってきて危機感を持った私達は、既にレース開催を止めていた士幌で開催できないか画策します。
何故士幌だったのかと言えば、基本的に専用コースで開催が容易に思えたからなのです。

東北海道車連の親分だった鎌田利道さん(鎌田輪業のオーナー)に相談したところ、士幌町に話をつけてくれて何枚かの書類に署名捺印するだけで開催にこぎつけました。

それから勢いづいた私達は拡大を続けます。
HMAや北海道マウンテンバイク委員会の中心だったアイサムの石黒さん達が敷いてくれたレールを走っただけのような気もしますが。

拡大を続けたものの収支は安定せず、大幅な黒字になることはほとんどありませんでした。
表現は良くないかもしれませんが汲々としていたと言うのが正しいような気がします。

ハナゾノのJが終わったくらいから「疲れた」って考える事が多くなったのも事実で、己の加齢と終わりの見えない感に疲弊させられて行ったような気がします。

レースは楽しい。
でもそれ以外の部分が本当に辛くなってきた。
精神的にも体力的も、もちろん金銭的にも。

内心「60くらいまでは」って考えていたのだけれど、現状のレース数では無理だと気付いたのは2016年。
でもレースを楽しみにしているライダーが居る。
もちろん自身も楽しみにしてる。
止めるきっかけが見つけられなかった。

きっかけはキンタロウの一言だった。
「カズは家に居るときに疲れたしか言わない」
気付かなかったが、確かに言っていた。

それでも全部一気に止めようとは思わなかった。
実際に開催準備が大変で、そのせいで収支が厳しいのはクロスカントリーなので、減らそうと。
逆に開催準備が比較的楽な耐久は残そうと。
それなら「疲れた」が口癖にならずに済むのではと思った。
冷静に考えれば、今までの開催数が異常だったのだ。

HCFに頼れないから自分達で何とかしようと歩んできたが、十分頑張ったと思う。
シリーズ戦という形式が無くなるだけで、北海道からMTBレースが無くなるわけではないのだ。
新興勢力も出てきたようだし、年配者は進む速度を落としても良いのでは思っている。

ともあれ2018年は例年通りのスタンスでバリバリやる。
カッコ悪い終わり方にならないように。

老体に鞭打って頑張るわぁ(笑)。

と、いうことで。

ではでは。

2017年11月05日

回顧。

はいはい。

私の周りでは数人鬼籍に入ってしまいましたが、私自身は元気です。

昨年は「みしょにょBOMBERS」の親分の村上義一氏が、
今年はアマゾンの宮原弘行氏が逝ってしまった。

しかも我が家の「お猫様」のエンツォも私が北海道選手権の準備で忠類に居るときに逝ってしまった。
小次郎の甘えっぷりがハンパなくなったのは、やっぱり長年の相棒が居なくなった寂しさなんだろうなぁ。

で、
私はと言えば、相変わらずMTBレース中心の生活を送って居ります。

最近は「いつまで出来るのかなぁ」って考えることが増えました。
数字の人みたいな年齢までは無理だろうなぁ。
他人に任せることが苦手なダメ人間だから。

それでも以前走っていたライダーが子供連れて復活してきたり、バリバリのレーサーじゃなくてマッタリ復活してくれたりと楽しいことも多い。
でもそれは若干後ろ向きの楽しさでもある。

もちろん新たに参加してくるライダーも少ないわけでないし、若手が北海道や日本から飛び出して走っているのも嬉しい。
だけど、以前(というか昔)の様な濃い時間を過ごすことが少ないので、何か違うのだ。
それは私が単純に年齢を重ねてお互いの適正と思われる距離を測り、ズカズカと踏み込んで行かないのも理由の一つなのかもしれない。

大勢で一緒にメシを食い、色んな話をしてワイワイやる。

コレが昔と違って決定的に欠けている。

HMA時代は「町おこし」の一環的なレースが多かったから、前夜祭が有ることが多かった。
ササダ、豊富、白滝、他にも有ったな。

あんな風には出来ないだろうけど、何かしら考えていきたいと思うのだった。

と、いうことで。

ではでは。


2016年06月14日

断。

はいはい。

なんか久し振りに書こうと思ったのです。
単純に吐き出したいだけなんですが。

先日の開催された色んな意味でエライ寒かった大会。
来年は開催しない予定です。
地元の人に歓迎されてないなら、わざわざ何百キロも飛ばして行く必要が有るのだろうかと。
歓迎していないのが一部の人でも、軋轢はいずれ禍根になる。
そんな風になるのはイヤなんです。

私に文句言われるのは全く問題無い。
フロントマンだし、実際に運営の殆どを私が担っているのだから。

でも何百キロも遠いところからレースを楽しみに来たライダーに対し、運営についてアレコレ文句言われるのは困る。
「PAの音を下げろ」とか、
「牛が気にするから近くを通るな」とか。

言い訳させてもらえれば、
音はアキラ来てないし、いつものデカイアンプも持ってきていないので例年とは比べ物にならないくらい小さかったはず。
そして、道路を普通に自転車で往来することに何か問題が有るんですかね?
先は行き止まりですが、ここ立派な「道道」ですよ。

ライダーに対してアレコレ言うのは2回目。
役場経由で電話のを含めれば3回目。
役場経由の時は1キロ先のあたりに居たらしい(笑)。

毎年エントリーシートと名刺と酒置いて来ても、私の携帯に電話してこない。
名刺すら保存されることもなく、一瞥して丸めて捨てられてるんじゃないかと疑いたくなる。

本部が置いてある施設が町の管理から「指定管理」になったのは何年前だっただろう。
現会長夫妻が管理人だった頃は、草刈りやその他の対応も含めて町運営時代と変わらなかった。
それどころかデュアルのコースを含む緑地部分の大きくなってしまった木を伐採し、抜根もしてとても観戦しやすくなった。
現在の管理人が悪いのか、単純に指定管理の悪いところが出たのか判らないけど、ここ数年の対応は「何だかなぁ」って事が散見された。

去年からコースの草刈りをしている人が変わったらしく、去年は結構コース幅狭かった。
「忙しかったのねぇ」なんて思ってた。
そんなに大勢作業してる人がいる訳じゃないし。

そして今回。
明らかに狭い。
そして恐らくは10日以上前に刈ったまま。
管理人さんに「草刈りってアレで終わりですかね?」って確認すると、草刈りを担当している方が来て一言。
「草伸びてます?」

いや、伸びてないなら言わないだろ。

色々「お察し」な感じになったので「わかりました〜」と言って去る。
土曜日に試走したライダーは下りきってからのダラダラ上りの草の丈が気にならなかっただろうか?
駐車場からの下りは狭い上に潜在危険になりうる部分も見えないようになっていたので、土曜日の早朝3時半から草刈りした。

大人はきっとどんなにガサイコースでも走れるだろう。
でも小学生低学年はどうだろう?
大人の半分近くの径しか無い安定しないホイールで下れるだろうか?

私はレースで怪我人が出ることは仕方ないと思っている。
でも、それはキチンと整備したコースで起きてしまうなら仕方が無いってことだ。
整備不良による怪我も当たり前だと思っているわけじゃない。
それ故、潜在危険(くぼみや溝)が見て判断出来ないのは困る。
上砂川で毎度バタンバタン落車していても笑っていられるのは、そこにくぼみが有るのが判っているのにクリア出来ずに転ぶからだ。

他にも有るけど、もういいや。

2003年から14回開催したんだなぁ。
「HMA時代からの伝統の一戦」はササダと天狗だけになっちゃうなぁ。
残念だとは思うけど、相互に理解が深まって良い方向に進めるとは思えない。
お互いの不満が大きくなって全く修復できない状態になる前に決断することにした。

楽しみにしているライダーには申し訳ないと思っていますが、来年以降は開催しない予定です。
ライダーも私達運営も面白く無い思いをするためにレースやってるわけじゃないので。

と、いうことで。

ではでは。


※土曜日と日曜日の朝に散々試走してコレ。
 この状態で「草伸びてますか?」言われたら脱力するわ。
IMG_5951

2016年03月20日

松浦修氏を悼む。

私は先日亡くなったサムズバイク店主松浦修氏(以下松浦さん)と濃密な時間を過ごした記憶は無い。
サムズバイクで自転車を買ったことも、スノースクートを買ったことも無い。
おそらくサムズバイクで買った一番高価な物といえば、スノースクートを始めてから買ったオークリーのアウターだと思う。
4万円くらいだったかな。

出会いはサムズバイクが開店して一ヶ月くらい経った頃に、オリオン(二輪倶楽部オリオンという自転車店)のマスターと二人で店を訪ねたのが最初。

「月寒にスゲー自転車屋が出来たらしい」
「なまら高いフレームとかパーツとかが、なまら有る」
と評判になっていたので、
「見てみたい、触ってみたい」が基本のオリオンのマスターは行きたくて仕方なかったっぽい(笑)。
もちろん、私も。

オリオンの定休日の月曜日の午前中に行ったと思う。
「いらっしゃいませー」と伏目がちに、フラットでヤル気の感じられない例の声で迎えられた。
入り口でマスターが
「はじめまして。私、手稲で二輪倶楽部オリオンという自転車屋を営んでいるワタナベと申します。
 すごいものが沢山置いてあると聞いて伺いました。店の中見せてもらってもよろしいですか?」
と挨拶し、私も「オリオンの客のササキです」程度の挨拶をしたと思う。

松浦さんは急に笑顔になり、
「今まで何人か自転車屋だなって思う人が来て、店の中ジロジロ見て何も言わずに帰っていったけど、挨拶されたのは初めてです。
 狭くて汚い店ですが、良かったらゆっくりしていってください」
と言われ店内へ。

二人でホエーホエーと田舎者丸出しな感じで眺めてると、解説してくれたり、天井から下がっていたフレームやフォークを降ろして手にとって見せてくれた。
おそらくは2時間近く居たと思う。
その間、他の客は一切居なかった。

その後レース会場で会ったり、取り扱いの問屋の関係でオリオンで仕入れられない物を買いに行ったりしてた。
「ナイトライド」って毎週やっていた夜間走行イベントにも誘われて数回行ったりしてた。
第一印象が相当良かったのか(笑)、ろくな買い物もしていないのに随分親しくさせてもらっていた。
トマムに大勢で泊まりがけで乗りに行ったりしたなぁ。

私がスノースクートを始めたのは98年だったかな。
サムズバイクに行った時に「スノーボードをやるか、スノースクートやるか迷っている」という旨の話をしたら「スクート楽しいよ〜、スゲー楽しいよ〜」と繰り返し暗示をかけられたのが決め手だった。
付き合いの関係で「申し訳ない、サムズバイクで買わないです」って言った時も例の笑顔で「スクート来たら一緒に中山行こうよ!」と言ってくれた。

その後私がレースの運営を始めた時も「コレ大会の賞品で使ってよ」と毎回何かしら提供してもらった。
私達が本格的にシリーズ戦始めた頃にはサムズバイクの客で毎回レースに出るようなコアなライダーはほとんど居なくなっていた。
要するに「見返り」がほぼ期待できない状況で賞品を提供し続けてくれていたのだ。
ただただ感謝の言葉しか無い。


松浦さんと話していて私の気持ちに引っ掛かった幾つかの言葉が有る。

サムズバイクが開店した頃はアチコチのショップに顔を出すような雰囲気が無かった。
北海道最大の問屋だった「北海道輪業」が結構強力で、ほとんどの代理店から仕入れ値が高くても良ければ北海道輪業経由でほぼ何でも手に入れられたからってのが大きかったような気もする。
今みたいに対面販売についての縛りも無かったから。

「誰々さんは、どこどこのショップの客、みたいな言い方キライなんだよね。
 どこでも好きなところで買って業界全体が盛り上がるほうがイイと思うんだよね。
 オレはそう思ってる」

今なら普通のことなんだけど、サムズバイクが出来た25年前はソレが普通じゃ無かった。
21世紀になってもソレが出来ない店は結構有ったから。

ノーブレピストが流行っていた時、色々な規制でブレーキが付いていない自転車の修理やメンテをしてくれる店が激減した。
最後の砦というか駆け込み寺はサムズバイクだった。
サムズバイクに顔出した時にノーブレピストをいじっていたので「松浦さん度胸有りますね(笑)」と声をかけた。
そうすると松浦さんはため息混じりにこう言った。

「もうヤツラには行き場所無いのよ。オレが断ったらヤツラコレに乗れないんだ。
 正直ブレーキ付けた方が安全なのは間違いないし、ヤツラだってわかってる。
 でもスタイルってあるじゃん?
 ブレーキ付いてない方がスッキリしててカッコイイし、そのコントロール難しいので色々やるからカッコイイ。
 マウンテンだって今考えたら結構ヤバイこともしてたじゃん。
 オレにとってはあんまり変わらないような気がするんだけどね」

そうなのだ。
本当にそうなのだ。
今でこそ「ハイカーと出会ったら止まって挨拶しよう」とか言ってるけど、90年代初頭は登山道ダーッと下ってた。
ハイカー居てもお構いなしに。
今は愚かな行為だったと思うけれど、当時は年齢も若かったし他者を慮る気持ちが明らかに足りなかった。
本当に反省すべき部分だ。
確かに自分達がノーブレピストのことエラそうに言えるのかって思った。

松浦さんの音楽活動に関してはほとんど知らない。
そもそもキチンと弾いてるのを聴いたことが無い。
私が「ギターオタク」で結構な数の本を持っているのを知って「身近にこんな人居たのかぁ。知らんかったなぁ」と喜んでくれた。
貸したままの本はそのうち回収に行きます。
通夜でナミさんにも「ごめんねぇ〜」って言われたし。
っていうか「通夜の最中の今、ソレ言わなくても良くね?」的な(笑)。

松浦さんは「不真面目なことを真剣に楽しくやる」ってことを北海道の自転車界に持ち込んだ人でもある。
手稲のゴルフ場の向かいの駐車場で耐久レースが有った。
確か2年やったのかな。(一回は大雪で除雪からスタートだった。笑)

松浦さんのチームは3名だった。
一人一周づつしたら全員でコンロで肉焼いてタバコ吸ってビール飲んでた。
そして「残り30分」とか案内が有ったら「よし!もう一周づつするか!」って感じだった。
レースの価値を「勝敗」ではなく「楽しむ」に昇華させた。
コレだって今は当たり前。
コレに影響受けて「3名1チーム」って言われてるのに「3名分払うから一人で走らせて」って言って、ナンバープレート3枚付けて「○○一人旅」とかって私が走っていたのも、間違いなく松浦さんの影響です。
もちろん、今のDoRideが「レースは楽しい!」って思ってもらえるように運営していることも。

松浦さん、本当にありがとう。
深く深く感謝します。
そしてこれからも「楽しくやっていきます」。

 DoRide 佐々木和彦