2020年01月23日

顛末。

はいはい。

久しぶりにココに投げる記事がこんなのでスマンね。
この顛末が正しいかは判らないけど、少なくとも私の言い分だと思ってください。
関わっている同じ事象でも見方や立場で違うものなので、彼には彼の感じたことや言い分が有るでしょうから。

前段として以前から彼が「来年から来ません」ってのは数回有って、最初は七飯のダウンヒルの前泊のときだったと思う。
繰り返されると正直「またかよ・・・」って気持ちになってくる。
今回も原因は別にして「あぁ、そうかい」って若干冷ややかな気持ちで居たのは事実だ。

で、
大会の機材が増えてきているのに、会場での撤収の機動性を優先して軽トラで会場に行きたかった私。
そんな中彼がバスコン(バスコンバージョン)のキャンピングカーを買った。
彼がバスを買ったのは私の気持ちを見越していた部分も有ったかもしれないが、当時は冬季に彼の仲間が宿を取らずにバスで宿泊して転戦出来るからだったと思う。
実際、ベバストの燃焼式ヒーターの取り付けも頼まれて私がやった。

正直彼のバスにスピーカー4発、アンプ2台、スピーカーケーブル、机6卓、折りたたみ椅子6脚、本部テントを常に積んで運んでもらってとても助かった。
スピーカー小さくなった今なら軽トラに枠組んで積めるかもしれないが、常識的に考えれば現在の状態では無理だと思う。
これらの機材は当初から私のところまで降ろしに来るのが面倒で無駄なので、バスに積みっぱなしになることになった。

これらの機材はどりで以外の大会やイベントにも貸し出したし、正直毎度顔合わせる面々なら金も要らないと思っていた。
実際有償(要らないと言ってもどりでの活動費の足しにしてくれ的な)の際も多額の請求をしたことはない。

んで、
去年の秋に「明日〇〇で使いたいんで貸してもらいますか?」って彼から連絡が来る。
「貸すのは構わんが今日の明日はないんじゃない?」って言うと「いや、私が勝手に思いついて押しかける感じなんです」って返事。
そして「〇〇にはいくら請求します?」って言う。
ってことは、〇〇もどりでの機材借りるの知ってるってことだ。
若干不愉快だったが「金は要らんわ」って返事をした。

夏に手伝いに行ったイベントでヘラ辛い目に遭ったので「今後自分の関わるもの以外は手伝わない」と宣言した後だったので
「そういえば△△から頼まれてる?私行かないけど機材使うって言ったら使うのは構わないわ」って話したら
「実は□□からも来てくれって頼まれていて全部じゃないけど機材使うと思います」って言う。
「いや、使うなら□□の人から私に話が無いのはおかしくないか?
 行くのは私に関係ないけど、音以外の機材使うなら挨拶有ってしかるべきじゃないか?」
そこそこ不愉快な話だ。

「そもそも君が機材借用の窓口っておかしくないか?
 確かに預かって管理してもらってるけど、それはどりでの機材だよね?
 貸してほしいって話受けるのは構わんし、私が断ることも無いだろうけど、私に連絡有るべきじゃない?
 君はどりでの大会に無くてはならない人だけど、どりでのメンバーでは無いよ。
 それはずっと手伝ってくれているyetimanだって同じだよ」
って言ったら驚きの返信が来る。

「ここ数年、ちゃちゃきさんの怒りの原因をワタクシが作ってる時点で外注司会者としては失格だと思います。

 本当に申し訳ありません。

 主宰を苛立たせる人材は必要ないと思います。

 今季で最後に致します。」

久しぶりに本気で激怒して切れました。
「外注」ってなんだ「外注」って。
どりでの初期から一緒にやってきた仲間だと思ってきたけど「外注」って・・・。
前述の様に「辞めます」も聞き飽きてる感じだったのでガッカリした。

「なんだそれ。
 怒りの原因作ってるって自覚有るのに、更に「外注司会者」とか言うのか。
 流石に呆れたわ。

 相棒にこの件についてメールと一緒に聞いてみたほうがいいわ。
 君の言ってること相当オカシイぞ。

 「来ない」って言うのは勝手だけど、それが「私を黙らせる為の札」にしか聞こえないのもガッカリだわ。

 とりあえず年内頼むわ。
 来年以降は君に任せるわ」

ほいで、
年内のレース終わって私が「機材は今後全部私は管理して運ぶ」って言ったので彼が機材一式を持って来てくれた。

その際に少し話したのだが彼が語るに「食えない」と。
確かに下り系止めたから4つぐらい減ってるけど、数十万も変わるってわけじゃない。
それで「連盟の仕事も受けてみたら?以前ほどトップの人も感じ悪くないから大丈夫だと思うぞ。」ってアドバイス。
「イベントも何かやりたい」とか言っていたので
「キックバイクのレースとかだったらコースも短いし、タイムも取らなくて良いし、
 ストライダー以外のキックバイク乗ってる層も取り込めるか悪くないと思う」って話をして、
「もし来年来ないんだったらカクがやることになるかもしれん」って伝えて別れた。

でもって、
彼と会う前にこの件を少し呟いたらカクが「彼来なくなったらレース開催出来ないかも」って危惧して
「私内地のレースだけ出て道内のレース出ないでしゃべります」って言ってくれた。
正直すごくありがたかったが、びっくりした。
己の選手としての活動を制限してまでって決断は容易なことでは無いからね。

んでもって、
真駒内も近づいてきているし、ハッキリさせなきゃイカンなと思って連絡。

「今年来ないのか?来ないならカクに頼まなきゃならんし」
「昨年、機材返却時にカクさんに頼んであるとおっしゃってましたので、そちらで進めてください」
ってことだったのでカクに連絡して正式発表。

コレが「私の知る顛末」。

と、いうことで。

ではでは。



doride at 20:38|Permalink思ったこと 

2019年05月02日

移。

はいはい。

お久しぶりでございますなぁ。
ここに書くのも億劫になってはいるのだけれど、ツイッターや顔本に載せきれないダラダラしたことを書けるのは良いわ。

知っている人は知っているんですが、私の先祖が屯田兵とともに富山だかから流れて来て以来の札幌住まい。
白石区菊水元町に本家が有って、私の祖父は嫡男だったのですが色々有って東米里の開拓で入植。
その後白石中央に移り住み、それからはアチコチ行きました。
それでも札幌から出たことはなかったのですが、今回何故か砂川に移住。

北海道五代目にして札幌から出てみました。

砂川でも田舎の方なのでインターネットは未だにADSL。
しかも収容局まで5キロ以上有るので2M強しか出ません。

仕事は移住決定時に予定してた仕事ではなくて、気付いたら某市の嘱託職員に。
キンタロウは隣町の大きな施設で働いていますが、札幌に比べるとテキトー&色々ぬるい様で不満げです。
私も「レースが続けられる」って観点から嘱託選びました。
まぁ最悪札幌戻ることも不可能ではないので(笑)。

砂川はのんびり時間が流れてますな。
良くも悪くも。
正直「感心しねぇなぁ」って思うことも少なくはないのですが、郷に入れば郷に従えってことで生温かく見てます(笑)。

で、
去年のエブリイ復活作業からの機械いじり熱が再発。
数年前に赤平から嫁に来て、鍵も無かった95年製くらいのスーパーカブの路上復帰に燃えてます。

鍵も入手し、錆びてとんでもない状態だったガソリンタンクもキレイにし、キャブレターとかアレコレ直して走れるようになったので、ひび割れているタイヤとか死んでるバッテリーとか交換予定。既に部品はほぼ揃ってます。

書類も調達したので連休明けに登録して路上復帰です。

中古車屋時代のリトルカブも優秀だったんだけど、私にとってのカブってのは14インチタイヤじゃなくて17インチなので正直とても嬉しかったりします。

そのうち画像アップしますわ。

と、いうことで。

ではでは。



doride at 18:35|PermalinkComments(0)思ったこと 

2018年04月22日

エブリイ(DA64V)のエンジン換装顛末記。(長いよ)

はいはい。

しばらく更新してないのに、たまにアップしたら車ネタですよ(笑)。

知っている人は知っていますが、私の趣味は「機械いじり」です。
動かなかったものが動くようになる喜びはサイコーです。

で、
本題。

2017年の冬にヤフオクで「DA64V」の四駆の中古を発見。
平成17年(2005年)だから1型。
型式はEBD−DA64Vで走行14万キロ。
開始価格は5万円で札幌出品。
「車検30年9月までありますが、エンジン不調なのでエンジン交換か部品取りに」的な説明。
質問欄から「自走出来ます?」って訊いたら「スゴイ音しますがエンジンかかって走れます」ってことだったので入札。
さすがに誰も入札せずメデタク5万円で落札。
リサイクル券料も含めてくれてラッキーだった。

福移の土場みたいなところに放置されていたので、待ち合わせて引き取り。
圧雪路面を夏タイヤのまま東米里のフジワラ倉庫まで走った。
思ったほど悲惨な状態じゃなかったけど「サスガは5万円」って感じだった(笑)。

明るいところで色々確認すると、結構アレコレ壊れていて部品買ったり小細工駆使して直した。
(今現在、全部は直ってないけど。笑)

んで、
肝心のエンジン(K6Aのノンターボ)はオイル管理が悪くて、オイル不足でメタル焼付きって「K6Aの王道」パターン。

メインメタルが逝くことは少ないようで、殆どがコンロッドベアリング(メタルね)が逝くらしい。
世界の広い波を漂ってみると「車載状態でもオイルパン外してコンロッドベアリングの交換が出来る」らしい。

早速スズキ部販でベアリング3セット購入。
3気筒分全部取り替える気で居たからね。

実際作業してみると手順さえ判っていれば、そんなに大変じゃなかった。
オイルパン外すのにエンジンマウント兼フロントのプロペラシャフトの固定用のメンバー外すので、ミッションの上のマウントのみでエンジンぶら下がることになる。
それで可能ならミッションを下からウマで支えるか、タイダウンベルトとかで吊るとかした方があずましいと思う。

ガラガラ君のクランク。

とりあえずオイルパン外してコンロッドベアリング交換したけど、既にガタが有って「終わった」と思った(笑)。
それでも音は気にならないほど小さくなったので「何とかなるか?」なんて甘いことを考えていたが、バリバリこき使う予定だったのでヤフオクで安いエンジン落札。

九州の解体業者さんが郵政で使っていたDA64Vのエンジンを6基出品していたので、前期(平成22年4月以前)の「GBD−DA64V」のエンジンを落札。
16万キロ走行で始動テスト済みで異音無しだけど、要修理品、コア用でって説明だった。
送料が8千円で総額3万円弱とお安かった。

エンジンは正月休み明けに西濃運輸の営業所に届いたので、軽トラで引き取り。
キレイなエンジンだった。
ヤフオク出品時の画像は車載状態だったので「降ろしてから洗ってくれたんだ、サスガは業者さん」とか思っていたんだけど、これが「つまづきの第一歩」だった。

この冬は大型ダンプに乗って昼夜関係なく稼いでいたので、エンジン積み替えなんて気持ちは全く起こらず3月末に。
気持ちも落ち着いてきたので、自宅前のアスファルト部分で「露天エンジン換装」開始。

ほいで、
エンジン降ろして2基並べてハーネス入れ替える。

それはなぜか?
九州から来た郵政エンジン(以下郵政君)はオートマ用だったから。
制御系違ってもイヤだなぁと思ったのだ。

郵政君のハーネス全部外して元々のエンジン(以後ガラガラ君)のハーネス移植。
合わない部分が2ヶ所。
1:スロットルボディのセンサーのコネクタ形状が違う
・仕方ないのでガラガラ君のスロットルボディ一式を移植
2:ラムダセンサー(O2センサーね)が4本仕様
・仕方ないので両方のエキマニ炙って何とかガラガラ君のを移植

そして一番の驚きは「クランク角センサー」が付いていたこと。
クランクプーリーにギザギザ付いてる・・・。
「コレって後期(平成22年5月以降のスパークプラグ長いヤツ)じゃね?」
そうなのだ。九州の解体業者さんは同時に出してた6台のうち3台はHBD−DA64Vだった・・・。
間違って来ちゃったんだなぁ(笑)。

焦ってプラグ外したら案の定プラグが長い・・・。
「後期型でも良いけど、カムポジションセンサーだけで動くの?」って疑問が・・・。

そこで「困ったときのケースケ」に電話。
ケースケはスズキのディーラーで長くメカニックやっていたプロなので意見を訊いてみた。

「ディーラーでは型合わないエンジン積みませんから(笑)」と一蹴されるも「動かなかったらカムシャフトだけ交換すればいいんじゃないですか?車載状態でも問題なく出来ますよ」というナイスなアドバイスもらって郵政君を積んでみた。

珍しく緊張してセル回したのだが予想通り初爆も無い(笑)。

でもって、
郵政君を車載状態でカムシャフト交換することに。

1:オイルパン外す
  もちろんエンジンオイルは抜いておく(笑)
2:オイルポンプにつながってるオイルストレーナ外す
  コレ外さないとフロントカバー外れません
3:フロントカバー(タイミングチェーンケース)外す
4:私はウォーターポンプのハウジングごと外しました
  ポンプだけ外すよりも作業するのが楽そうだったので
5:ヘッドカバー外します
  プラグは当然既に外してます(笑)
6:タイミングチェーンのテンショナー両方共外します
7:タイミングチェーン外します
8:キャップベアリング外したらカムシャフト外れます

元に戻すのは逆の手順で。

実際に困ったのはタイミングチェーン張るときの位置です。
結局郵政君のエキゾースト側のカムスプロケットにも、ガラガラ君から外したインテーク側のカムスプロケットにもちゃんと刻印有って問題ありませんでした。
両方のカムスプロケットのスリットが入ってる部分が真上にして、クランクシャフトもキーが真上の状態でチェーンかければ大丈夫です。
※タイミングチェーンに色の違う部分が3箇所有って、カムスプロケットの両方のスリットと、クランクのスプロケットのスリットを合わせればOK。
この辺の情報はググれば結構出てきて「どれが本当?」とか思いますが、多分説明の方法が違うだけです(笑)。

後期にも前期のカム普通に付きます。

カムシャフト交換したのでタペット調整必須です。
規定では0.18〜0.23ミリらしい。
後期型は0.20ってのも見たんだけど、狭いのは問題だけど広いのは音が出るだけで問題ないっぽい。
ケースケも「広い方が調子は良い」って言ってたし(笑)。
※追記
後期型のバルブクリアランス(冷間時)は吸気側「0.18〜0.23ミリ」、排気側「0.30〜0.35ミリ」でした。


そしたら何と交換したインテーク側は0.22〜0.25で私としては許容範囲。
でもエキゾースト側の2番の前側だけが0.13・・・。(追記 2番の後ろ側でした・・・。)
他は0.28なのに・・・。
こりゃ明らかにバルブが痩せてる。
シム薄いの発注して数字合わせよう。そうしよう。
発注したら道内に無かった。
まぁ一般的に必要な部品じゃないもんね(笑)。
とりあえずガラガラ君から外したシムで一番薄いの入れて0.19になったので、シム届くまでの暫定でガマン。

マズイ数字。

そして組んでオイル入れて、またまた緊張しながらセル回す。
かかった!
イエーイ!

と、いうことで。

前期の車体に後期のエンジン積むときはインテーク側のカムシャフトは交換しなきゃならないですよってネタでした(笑)。

左が前期。後期はピックアップ少ない。

ではでは。

※追記
・後期型エンジン排気バルブの保証延長。
http://www.suzuki.co.jp/recall/car/2017/1124b/

・後期型積む時は「スロットルボディ」も前期にした方が良いかも。
 私のはコネクターが合わなかったので前期のスロットルボディ使用しました。
 特に問題は起きてないです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11169619971

doride at 22:10|PermalinkComments(0)車とか | ネタ

2018年01月22日

緩。

はいはい。

ドリデは2018年でMTBレースのシリーズを終了します。
既にダウンヒルは終了しているので、92年くらいから継続されていた北海道内でのMTBレースのシリーズ戦が消滅することになります。
正直、その幕引き係が自分になるなどということはライダー時代には考えもしませんでした。

思い出せば89年くらいから2年間開催していた「MTBシリーズ戦」ってのが、今までドリデを続けられた原動力だったのかもしれません。
オリオンとロードスターのライダーが中心のシリーズでした。
年間4回くらいやったのかな。

クロスカントリー的なコースはほぼゼロで、不整地を走るだけとか、ターマック(舗装路)のみのこともありました。
基本的にはタイムトライアル。
チーム組んでの耐久とかもやりました。

会場は当時工事中だった石狩湾新港の工事中の道路だったり、前田森林公園の駐車場だったり、消防局の訓練所(現札幌市消防学校)の運転練習コースだったり。
ロードスターの佐々木さんと春木君が「あそこも面白そうだった」とか言って見に行ったり。
雪を踏み固めてコース作ったのに気温が上がって水の泡になったり。
楽しかったですな。

当時普及し始めたワープロで勤務中にリザルトやレポート作って、職場の青焼きやリソグラフで印刷して配布したりしてました。

その後HMA(北海道マウンテンバイク協会)が立ち上がってシリーズを展開。
豊富、豊頃、士幌、天狗山、大沼、白滝、サホロ、トマム、夕張、アンヌプリ、岩見沢、キロロ、滝野、幕別、石狩、白旗山・・・。
道内各地を転戦して本当に楽しかった。
その裏でエライ尽力してる人達が居ることにも気付かないほど。

マウンテンバブルが終わり自治体の「町おこし」的な要素が強かったMTBレースは一気に減少していきます。
以前自分達で小さなレースを開催してた私達は「自分達でもレース開催すればいいじゃない?」的な軽いノリで開催を始めます。

初レースは確か2001年の春の「ファットボーイクリテリウム」。
テイネハイランドの駐車場でした。
ハイランドに大量に有った古タイヤを置き、スズランテープで仕切ったコース。
今思えば相当にグダグダな運営だったはずですが、参加者のほとんどがHMAのシリーズ戦で走っていた顔見知りだったので「生暖かく」見ていてくれたようです(笑)。

本格的にHMA(当時は既に連盟絡みの北海道マウンテンバイク委員会だったかも)のレースが減ってきて危機感を持った私達は、既にレース開催を止めていた士幌で開催できないか画策します。
何故士幌だったのかと言えば、基本的に専用コースで開催が容易に思えたからなのです。

東北海道車連の親分だった鎌田利道さん(鎌田輪業のオーナー)に相談したところ、士幌町に話をつけてくれて何枚かの書類に署名捺印するだけで開催にこぎつけました。

それから勢いづいた私達は拡大を続けます。
HMAや北海道マウンテンバイク委員会の中心だったアイサムの石黒さん達が敷いてくれたレールを走っただけのような気もしますが。

拡大を続けたものの収支は安定せず、大幅な黒字になることはほとんどありませんでした。
表現は良くないかもしれませんが汲々としていたと言うのが正しいような気がします。

ハナゾノのJが終わったくらいから「疲れた」って考える事が多くなったのも事実で、己の加齢と終わりの見えない感に疲弊させられて行ったような気がします。

レースは楽しい。
でもそれ以外の部分が本当に辛くなってきた。
精神的にも体力的も、もちろん金銭的にも。

内心「60くらいまでは」って考えていたのだけれど、現状のレース数では無理だと気付いたのは2016年。
でもレースを楽しみにしているライダーが居る。
もちろん自身も楽しみにしてる。
止めるきっかけが見つけられなかった。

きっかけはキンタロウの一言だった。
「カズは家に居るときに疲れたしか言わない」
気付かなかったが、確かに言っていた。

それでも全部一気に止めようとは思わなかった。
実際に開催準備が大変で、そのせいで収支が厳しいのはクロスカントリーなので、減らそうと。
逆に開催準備が比較的楽な耐久は残そうと。
それなら「疲れた」が口癖にならずに済むのではと思った。
冷静に考えれば、今までの開催数が異常だったのだ。

HCFに頼れないから自分達で何とかしようと歩んできたが、十分頑張ったと思う。
シリーズ戦という形式が無くなるだけで、北海道からMTBレースが無くなるわけではないのだ。
新興勢力も出てきたようだし、年配者は進む速度を落としても良いのでは思っている。

ともあれ2018年は例年通りのスタンスでバリバリやる。
カッコ悪い終わり方にならないように。

老体に鞭打って頑張るわぁ(笑)。

と、いうことで。

ではでは。

2017年11月05日

回顧。

はいはい。

私の周りでは数人鬼籍に入ってしまいましたが、私自身は元気です。

昨年は「みしょにょBOMBERS」の親分の村上義一氏が、
今年はアマゾンの宮原弘行氏が逝ってしまった。

しかも我が家の「お猫様」のエンツォも私が北海道選手権の準備で忠類に居るときに逝ってしまった。
小次郎の甘えっぷりがハンパなくなったのは、やっぱり長年の相棒が居なくなった寂しさなんだろうなぁ。

で、
私はと言えば、相変わらずMTBレース中心の生活を送って居ります。

最近は「いつまで出来るのかなぁ」って考えることが増えました。
数字の人みたいな年齢までは無理だろうなぁ。
他人に任せることが苦手なダメ人間だから。

それでも以前走っていたライダーが子供連れて復活してきたり、バリバリのレーサーじゃなくてマッタリ復活してくれたりと楽しいことも多い。
でもそれは若干後ろ向きの楽しさでもある。

もちろん新たに参加してくるライダーも少ないわけでないし、若手が北海道や日本から飛び出して走っているのも嬉しい。
だけど、以前(というか昔)の様な濃い時間を過ごすことが少ないので、何か違うのだ。
それは私が単純に年齢を重ねてお互いの適正と思われる距離を測り、ズカズカと踏み込んで行かないのも理由の一つなのかもしれない。

大勢で一緒にメシを食い、色んな話をしてワイワイやる。

コレが昔と違って決定的に欠けている。

HMA時代は「町おこし」の一環的なレースが多かったから、前夜祭が有ることが多かった。
ササダ、豊富、白滝、他にも有ったな。

あんな風には出来ないだろうけど、何かしら考えていきたいと思うのだった。

と、いうことで。

ではでは。