2016年06月14日

断。

はいはい。

なんか久し振りに書こうと思ったのです。
単純に吐き出したいだけなんですが。

先日の開催された色んな意味でエライ寒かった大会。
来年は開催しない予定です。
地元の人に歓迎されてないなら、わざわざ何百キロも飛ばして行く必要が有るのだろうかと。
歓迎していないのが一部の人でも、軋轢はいずれ禍根になる。
そんな風になるのはイヤなんです。

私に文句言われるのは全く問題無い。
フロントマンだし、実際に運営の殆どを私が担っているのだから。

でも何百キロも遠いところからレースを楽しみに来たライダーに対し、運営についてアレコレ文句言われるのは困る。
「PAの音を下げろ」とか、
「牛が気にするから近くを通るな」とか。

言い訳させてもらえれば、
音はアキラ来てないし、いつものデカイアンプも持ってきていないので例年とは比べ物にならないくらい小さかったはず。
そして、道路を普通に自転車で往来することに何か問題が有るんですかね?
先は行き止まりですが、ここ立派な「道道」ですよ。

ライダーに対してアレコレ言うのは2回目。
役場経由で電話のを含めれば3回目。
役場経由の時は1キロ先のあたりに居たらしい(笑)。

毎年エントリーシートと名刺と酒置いて来ても、私の携帯に電話してこない。
名刺すら保存されることもなく、一瞥して丸めて捨てられてるんじゃないかと疑いたくなる。

本部が置いてある施設が町の管理から「指定管理」になったのは何年前だっただろう。
現会長夫妻が管理人だった頃は、草刈りやその他の対応も含めて町運営時代と変わらなかった。
それどころかデュアルのコースを含む緑地部分の大きくなってしまった木を伐採し、抜根もしてとても観戦しやすくなった。
現在の管理人が悪いのか、単純に指定管理の悪いところが出たのか判らないけど、ここ数年の対応は「何だかなぁ」って事が散見された。

去年からコースの草刈りをしている人が変わったらしく、去年は結構コース幅狭かった。
「忙しかったのねぇ」なんて思ってた。
そんなに大勢作業してる人がいる訳じゃないし。

そして今回。
明らかに狭い。
そして恐らくは10日以上前に刈ったまま。
管理人さんに「草刈りってアレで終わりですかね?」って確認すると、草刈りを担当している方が来て一言。
「草伸びてます?」

いや、伸びてないなら言わないだろ。

色々「お察し」な感じになったので「わかりました〜」と言って去る。
土曜日に試走したライダーは下りきってからのダラダラ上りの草の丈が気にならなかっただろうか?
駐車場からの下りは狭い上に潜在危険になりうる部分も見えないようになっていたので、土曜日の3時半から草刈りした。

大人はきっとどんなにガサイコースでも走れるだろう。
でも小学生低学年はどうだろう?
大人の半分近くの径しか無い安定しないホイールで下れるだろうか?

私はレースで怪我人が出ることは仕方ないと思っている。
でも、それはキチンと整備したコースで起きてしまうなら仕方が無いってことだ。
整備不良による怪我も当たり前だと思っているわけじゃない。
それ故、潜在危険(くぼみや溝)が見て判断出来ないのは困る。
上砂川で毎度バタンバタン落車していても笑っていられるのは、そこにくぼみが有るのが判っているのにクリア出来ずに転ぶからだ。

他にも有るけど、もういいや。

2003年から14回開催したんだなぁ。
「HMA時代からの伝統の一戦」はササダと天狗だけになっちゃうなぁ。
残念だとは思うけど、相互に理解が深まって良い方向に進めるとは思えない。
お互いの不満が大きくなって全く修復できない状態になる前に決断することにした。

楽しみにしているライダーには申し訳ないと思っていますが、来年以降は開催しない予定です。
ライダーも私達運営も面白く無い思いをするためにレースやってるわけじゃないので。

と、いうことで。

ではでは。


※土曜日と日曜日の朝に散々試走してコレ。
 この状態で「草伸びてますか?」言われたら脱力するわ。
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2016年03月20日

松浦修氏を悼む。

私は先日亡くなったサムズバイク店主松浦修氏(以下松浦さん)と濃密な時間を過ごした記憶は無い。
サムズバイクで自転車を買ったことも、スノースクートを買ったことも無い。
おそらくサムズバイクで買った一番高価な物といえば、スノースクートを始めてから買ったオークリーのアウターだと思う。
4万円くらいだったかな。

出会いはサムズバイクが開店して一ヶ月くらい経った頃に、オリオン(二輪倶楽部オリオンという自転車店)のマスターと二人で店を訪ねたのが最初。

「月寒にスゲー自転車屋が出来たらしい」
「なまら高いフレームとかパーツとかが、なまら有る」
と評判になっていたので、
「見てみたい、触ってみたい」が基本のオリオンのマスターは行きたくて仕方なかったっぽい(笑)。
もちろん、私も。

オリオンの定休日の月曜日の午前中に行ったと思う。
「いらっしゃいませー」と伏目がちに、フラットでヤル気の感じられない例の声で迎えられた。
入り口でマスターが
「はじめまして。私、手稲で二輪倶楽部オリオンという自転車屋を営んでいるワタナベと申します。
 すごいものが沢山置いてあると聞いて伺いました。店の中見せてもらってもよろしいですか?」
と挨拶し、私も「オリオンの客のササキです」程度の挨拶をしたと思う。

松浦さんは急に笑顔になり、
「今まで何人か自転車屋だなって思う人が来て、店の中ジロジロ見て何も言わずに帰っていったけど、挨拶されたのは初めてです。
 狭くて汚い店ですが、良かったらゆっくりしていってください」
と言われ店内へ。

二人でホエーホエーと田舎者丸出しな感じで眺めてると、解説してくれたり、天井から下がっていたフレームやフォークを降ろして手にとって見せてくれた。
おそらくは2時間近く居たと思う。
その間、他の客は一切居なかった。

その後レース会場で会ったり、取り扱いの問屋の関係でオリオンで仕入れられない物を買いに行ったりしてた。
「ナイトライド」って毎週やっていた夜間走行イベントにも誘われて数回行ったりしてた。
第一印象が相当良かったのか(笑)、ろくな買い物もしていないのに随分親しくさせてもらっていた。
トマムに大勢で泊まりがけで乗りに行ったりしたなぁ。

私がスノースクートを始めたのは98年だったかな。
サムズバイクに行った時に「スノーボードをやるか、スノースクートやるか迷っている」という旨の話をしたら「スクート楽しいよ〜、スゲー楽しいよ〜」と繰り返し暗示をかけられたのが決め手だった。
付き合いの関係で「申し訳ない、サムズバイクで買わないです」って言った時も例の笑顔で「スクート来たら一緒に中山行こうよ!」と言ってくれた。

その後私がレースの運営を始めた時も「コレ大会の賞品で使ってよ」と毎回何かしら提供してもらった。
私達が本格的にシリーズ戦始めた頃にはサムズバイクの客で毎回レースに出るようなコアなライダーはほとんど居なくなっていた。
要するに「見返り」がほぼ期待できない状況で賞品を提供し続けてくれていたのだ。
ただただ感謝の言葉しか無い。


松浦さんと話していて私の気持ちに引っ掛かった幾つかの言葉が有る。

サムズバイクが開店した頃はアチコチのショップに顔を出すような雰囲気が無かった。
北海道最大の問屋だった「北海道輪業」が結構強力で、ほとんどの代理店から仕入れ値が高くても良ければ北海道輪業経由でほぼ何でも手に入れられたからってのが大きかったような気もする。
今みたいに対面販売についての縛りも無かったから。

「誰々さんは、どこどこのショップの客、みたいな言い方キライなんだよね。
 どこでも好きなところで買って業界全体が盛り上がるほうがイイと思うんだよね。
 オレはそう思ってる」

今なら普通のことなんだけど、サムズバイクが出来た25年前はソレが普通じゃ無かった。
21世紀になってもソレが出来ない店は結構有ったから。

ノーブレピストが流行っていた時、色々な規制でブレーキが付いていない自転車の修理やメンテをしてくれる店が激減した。
最後の砦というか駆け込み寺はサムズバイクだった。
サムズバイクに顔出した時にノーブレピストをいじっていたので「松浦さん度胸有りますね(笑)」と声をかけた。
そうすると松浦さんはため息混じりにこう言った。

「もうヤツラには行き場所無いのよ。オレが断ったらヤツラコレに乗れないんだ。
 正直ブレーキ付けた方が安全なのは間違いないし、ヤツラだってわかってる。
 でもスタイルってあるじゃん?
 ブレーキ付いてない方がスッキリしててカッコイイし、そのコントロール難しいので色々やるからカッコイイ。
 マウンテンだって今考えたら結構ヤバイこともしてたじゃん。
 オレにとってはあんまり変わらないような気がするんだけどね」

そうなのだ。
本当にそうなのだ。
今でこそ「ハイカーと出会ったら止まって挨拶しよう」とか言ってるけど、90年代初頭は登山道ダーッと下ってた。
ハイカー居てもお構いなしに。
今は愚かな行為だったと思うけれど、当時は年齢も若かったし他者を慮る気持ちが明らかに足りなかった。
本当に反省すべき部分だ。
確かに自分達がノーブレピストのことエラそうに言えるのかって思った。

松浦さんの音楽活動に関してはほとんど知らない。
そもそもキチンと弾いてるのを聴いたことが無い。
私が「ギターオタク」で結構な数の本を持っているのを知って「身近にこんな人居たのかぁ。知らんかったなぁ」と喜んでくれた。
貸したままの本はそのうち回収に行きます。
通夜でナミさんにも「ごめんねぇ〜」って言われたし。
っていうか「通夜の最中の今、ソレ言わなくても良くね?」的な(笑)。

松浦さんは「不真面目なことを真剣に楽しくやる」ってことを北海道の自転車界に持ち込んだ人でもある。
手稲のゴルフ場の向かいの駐車場で耐久レースが有った。
確か2年やったのかな。(一回は大雪で除雪からスタートだった。笑)

松浦さんのチームは3名だった。
一人一周づつしたら全員でコンロで肉焼いてタバコ吸ってビール飲んでた。
そして「残り30分」とか案内が有ったら「よし!もう一周づつするか!」って感じだった。
レースの価値を「勝敗」ではなく「楽しむ」に昇華させた。
コレだって今は当たり前。
コレに影響受けて「3名1チーム」って言われてるのに「3名分払うから一人で走らせて」って言って、ナンバープレート3枚付けて「○○一人旅」とかって私が走っていたのも、間違いなく松浦さんの影響です。
もちろん、今のDoRideが「レースは楽しい!」って思ってもらえるように運営していることも。

松浦さん、本当にありがとう。
深く深く感謝します。
そしてこれからも「楽しくやっていきます」。

 DoRide 佐々木和彦

2016年03月03日

禍。

はいはい。

誰も面倒なことに巻き込まれたいとは思っていないと思う。
私は面倒なことになっている事象に対して突破口を穿つのは嫌いではない。
それ故、面倒なことが好きだと思われているっぽい。
更に転じて面倒な人間扱いされている面もある。

以前はその評価に対して憤慨したことも少なくなかったのだが、
最近は「お好きにどうぞ」的な感じになった。

私は私でしかない。
私をどう見るかはソイツの自由だ。
そして私がどう見えているかは、最早私にとって重要なことではない。
そこに使う力を他に使うために温存したい。
もちろん、気にしていないわけではない。
不当な評価を全て受け入れる程の人格者には一生なれそうになれない人間だから(笑)。

これらを踏まえて、
審判員登録しようかと。
もうどんなに頭にきても大声でアンポンタンな大学のセンセイを怒鳴ったりしないだろうし、
声高に連盟の体制批判をしたりもしないだろうから。
「怒り」という部分において、単純に老いて枯れて萎えてきたのだとすら思う。

それでも以前の私に起因する多くのトラブルの記憶は消えないだろうし、
今後も繰り返し陰口として語り継がれるのだろうけど。

まぁ相変わらず残念な感じの世界に再び足を踏み入れる。
以前と違うのは「改革」とか「変化」を求めていないこと。
彼等には彼等の築き上げて来てしまったスタイルがあるし、
今更そのスタイルが大きく変わるとも思えない。
どうせ彼等も私も長くはないのだ(笑)。
私は彼等に深く関わらずに自分の出来ることをテキトーにやっていこうかなと。

と、いうことで。

ではでは。

2015年06月13日

徒然。

はいはい。

久しぶりに開催された「なんちゃら選手権大会」。
今年は忠類で開催でした。

初開催の会場なのに雪解けからの準備期間も短いし、
諸事情からフロントラインに立ってアレコレ出来ないし、
これまた色んな事情で絶対に失敗出来ないしで大変だったようです(笑)。

まぁ今回しくじってたら以後の選択肢は2つ。
・開催を止める
・計測にアホみたいに高い某マトリ○クスを使う

開催止めるのもアレだけど、今回の総予算が吹っ飛びそうな額が予想される計測ってのもありえないよねぇ。
どうやって大会回すんだよ。
コース作製から大会運営まで全部ボランティアかよ(笑)。

で、
今回の大会、開催してみて問題が無かったわけじゃない。
一番問題なのは北海道支部のポイントが与えられない扱いだったこと。

全日本にも繋がらない、しかも「コレって何て種目だったっけ?」ってなるような某大会にはポイント付くらしいのにねぇ。
まぁ全て私が悪いってことなんでしょうねぇ。北海道支部的には(笑)。

んで、
折角だからココにも噛み付いておくよ(笑)。
確か女子ユースの全日本チャンピオンとか居るみたいなんだけどねぇ。
目が無いのか、耳が無いのか、文盲なのか知らんが「強化」ってロードとトラックだけなんだなぁ。
まぁ正直個人的には「こっち見んな!」って気持ちも有るんだけど(笑)、選手や家族やチームはどう思ってるのかねぇ・・・。

ほいで、
このままで良いとは思っていないけど、連盟絡みの大会等で私がフロントラインに立つことは無いだろうから他の面々に頑張ってもらうしか無いかな。
今回の選手権大会を開催に漕ぎ着けさせたように。
もちろん暗躍はするつもりだけどね(笑)。

いずれにしても現役のオリンピアンが居る種目なのにこの対応ってのは無いなぁと。

モッチャンが去った後の北海道支部を考えると寒気がする51歳(笑)。

と、いうことで。

ではでは。





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2014年07月08日

冥。

はいはい。

今日はフッズに行く用事が有ったので7月5日(土曜日)に父と叔父が納骨された墓に行ってきました。

知っている人は知っていると思いますが私が育った環境は普通のソレでは無かったので、父とも6年程度しか一緒に暮らしたことがありません。
生まれてから3歳くらいまでと中学1年の3学期から高校1年の2学期くらいまで。
物心ついてから一緒に暮らした3年も半分程度しか会わなかったような気がします。
父が忙しかったり、私が家に帰らなかったりで。

にも関わらず容姿、思考、言動は相当似ていたようで「色々お父さんソックリだね!(笑)」と良く言われました。
本人にそんな自覚は全く無かったのですが。

父に最後に会ったのは祖父良助の葬儀でした。
その後は内地で暮らす父とも会うことは無く、たまに電話でお互いの生存確認をする程度でした。

一昨年の11月に父の奥さんから倒れて意識が無いと夜中に電話が有った時も、
それに続く葬儀も冬の仕事で休めなかった私は「そうかぁ、亡くなったかぁ」と思うものの実感も無く、
父が内地に住むようになってから会うことが極端に減っていた私には、それが現実なのかも良く判っていなかったような気がします。

今回納骨した5日も私は朝から天狗山で開催するダウンヒルレースの試走の管理をしていました。
「無事納まったかなぁ」とか思いつつ。

そして今日藤野聖山園の墓に行き、いつもと変わらぬ墓の前に立ち、 墓誌を見、墓誌の対面に有る石に力無く座り「全ては現実なのだ」とやっと受け入れることが出来ました。
同時に「自分の持ち時間もそんなに残って無いんだなぁ」と。

家の仏壇に有る父の遺影は私の知っている父のイメージとは相当違い、何だか寂しそうな感じです。
常に家族を含めた周囲に虚勢を張り、見下したような視線で威圧していた父とは違い過ぎ、何だか別人の気さえします。
まぁ亡くなる頃には、そういったものが消えた「普通の人」になっていたのかもしれません。

私はその轍は踏まないようにするよ。

と、いうことで。

ではでは。

boshi