だめサラリーマンの報告書

だめサラリーマンがやる気をだすためにブログ始めました。 神奈川の西湘地域で営業してます。

偉大なる先人たち

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偉大なる先人3

原田雅彦。スキー女子ジャンプを見ようとつけた画面に彼がいた。。。

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Happy Harada。男のおいらも惹かれる笑顔の持ち主。選手としては波乱に満ちていたが持ち前のユーモアと笑顔で海外でも人気な選手だった。

長野オリンピックの活躍。その伏線のリレハンメル。未だに長野の動画を見ると泣けてくる。

先行する若手の3人が大ジャンプを決め普通に飛べば金メダルが取れる状態でラストジャンパーの原田の大失速。銀メダルに終わったリレハンメル

日本中の大バッシングを受け雪辱を誓った4年後の長野。

日本の3番手のジャンパー原田。日本のトップで迎えた1回目の原田のジャンプはスタート時に急激に天候が悪化し失速。

またか、リレハンメルの悪夢がよみがえる。

1回目が終わった時点で4位。そして悪天候で一時中断。

ちなみにこの時おいらはテレビの前で正座しながらワインをがぶ飲みしてました(笑)

中断後の先行する2人の大ジャンプで再び首位にたち原田の2回目。否が応でも蘇るあのシーン。

そして原田が飛んだ。両足が骨折してもいいと挑んだジャンプは奇跡の大ジャンプ。ワインで酔っているせいでこの時点でおいらは号泣(笑)

金メダルのかかるラストジャンパーは船木。4年前の原田の気持ちが分かったという失敗の許されないジャンプ。下で見守るは原田のあの言葉が。。。「ふ~な~き~」

そして船木の大ジャンプ。長く感じる判定の後の金メダル確定。真っ先に船木のもとに駆け寄る原田。

試合後のインタビュー。「やった~やった~」涙混じりに喜ぶ原田。大号泣のおいら。

で今回何でこれを書こうかと思ったかというと実況していたスキー女子ジャンプで金メダルを期待され4位に終わった高梨沙羅さんへのコメント

「高梨さん自身は言い訳をしないと思うので私が代わって言い訳を。高梨さんの時だけ2回とも不利な追い風が吹いていたため飛距離が伸びなかった。踏み切りもジャンプも良かったが、運が味方しなかった」




笑顔で接すれば、笑顔が返ってくる



長野オリンピックスキージャンプ団体

試合後インタビュー



偉大なる先人たち②

知らないことは恥じゃない、 知ろうとしないことが恥なんだ。

そうは言うがこの地に住んで10数年。ここの場所は幾度も通り過ぎ出会う機会は何度もあった。やはりこれだけの偉人を知らなかったのは恥ではないだろうか。

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昭和20年2月16日、相模湾沖に進行した航空母艦から発進したグラマン戦闘機延べ600機が初めて関東地区を襲った。硫黄島上陸作戦を目前にした米軍の本土の目標に対する超低空からの集団攻撃をしてきた。2日目を迎えた当地は朝から空襲警報下にあった。

午前10時頃、攻撃を終えて南下してきた 暗緑色の大編隊の群に単機捨身で突入し た日本軍機があった。衆寡敵せず不運にも被弾してしまった。機は相模湾上で反転し、飛行場への帰還に向かったが、後続し南下する敵編隊の挟み撃ちにあい当地上空で炎につつまれ天蓋から身を乗り出して北方の基地、皇居 に両手を上げて決別しそのまま機とともに自爆し壮烈な戦死を遂げられた。

その姿は当地の人々に現在も鮮烈に残っている。戦死した搭乗者は首都防衛飛行第22戦隊長上原重雄中佐であった。

歴戦の中佐は陸士第52期の卒業で、スマトラ島のパレンバン航空隊を拠点として遠くニューギニア戦線までも遠征し縦横無尽に活躍をし、特にB17爆撃機の迎撃には偉勲の戦士と言われている。前年に祖国に帰り兵庫県加古川航空隊で教育にあたっていたが、20年1月愛甲郡愛川町中津にあった第22航空戦隊長として着任した直後であった。

当日は部隊が朝鮮平壌に移駐が決まり、 軍は迎撃中止を命じていたが、我が物顔の敵機の振る舞いに祖国の末路を案じてか、はやる部下隊員を掩待壕になだめおいて、自らは義憤の単機発進をされたものと思われる。

当地においては故人を偲び、当地区の戦死者として遺影を福泉寺に掲額し遺族会 としても懇ろに供養している。

墓地の記念碑は搭乗機「疾風」のプロペラ4枚のなかの1枚である。

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今の世の中、祖国を思い死を覚悟で行動できる人間は自分を含めいないと思う。

それと同時に未だに花が手向けられているのはそれだけ偉大な人物であったからであろうと思う。

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爆音のたへて 桜とちりぬるも 高きかんばせ 永遠にきへなん





偉大なる先人たち①

写真フォルダを見ていたら以前とった写真があり投稿。

一言言います。

明治を生きた日本人はすごい。

すごいって言葉じゃ足らないかもしれないけど、今の日本人よりも死ぬほど努力して頑張って世界の大国に押し上げたんたから。

明治維新で新しい政府になったけど回りを見れば眠れる獅子の中国は植民地状態。その他のアジアの国はいわんやをや状態。。。


日本もそこまでいかないけど不平等な条約を結ばされて一歩手前。

何がすごいってそこから死ぬほど努力してヨーロッパに追い付け追い越せで国を強くして当時の列強ロシアにケンカで勝っちゃうんだもん。

たしかに運もあったかもしれないし負けたら即ロシアの植民地という切羽詰まった状態もあったかもしれない。

でもものすごい努力があってこその日露戦争の勝利だと思います。

なんか支離滅裂になっちゃいましたがとりあえず今日の一枚

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