2011年06月

 大泉です。いつも気仙沼から帰ってくると、忙しい中でも、1週間ほどたまっている新聞を読みます。「保健師不足」とあり、思わず写真に撮ってしまいました。
 在宅、新しく移り住む仮設住宅、そして仮設住宅の数が十分でないためにいつまでもの残る避難所のこと、健診等の通常業務もあります。気仙沼では、こちらで周知のお手伝いや健診のお手伝いもして、乳幼児健診ははじまりましたが、成人健診はいつになるかわかりません。気仙沼市を応援している巡回療養支援隊の健康相談班も5月末で他県からの派遣の半分以上が活動終了したため、現在は「どさんこ」の僕や神田さんを受けいれてくれているSHAREというNGOと兵庫県の2名の保健師さんだけになってしまいました。7月からあと2名を派遣してくれる自治体がありそうなのですが、次々とできる仮設住宅の方の健康管理のためにはまだちょっと足りない感じです。
 そんなこともあって本来はコーディネーター役の僕も今回は随分訪問しました。保健師さんになりきれる訳はないので、「医者ですが、今は仮設住宅の健康相談のためにまわってます」と訪問しました。世帯全員の年齢もお聞きするのですが、お嫁さんが対応してくれたときなどは、ちょっと年齢を言いづらそうで、やっぱり女性の保健師さんのほうがいいのだろうなとも思いつつ、それは何でもございの村医者ですので、診察や健康相談などで少しでもお役に立つことでカバーしました。
 世帯調査では震災前後での家族の変化についても聞かなけばならず、誰か亡くなっていたらどう対応しようといつもびくびくしながら質問していました。訪問健康相談はかなりストレスのかかる仕事でした。
 最初の名取市の病院支援では救急医、心療内科医、薬剤師として、気仙沼ではコーディネーターと何ちゃって保健師もさせてもらいました。村でひとりで(今は2人ですが)何でもやってきたこと、自治体の医者として行政で仕事させてもらえたこと、村の中で保健、福祉も含め、チームで仕事をしていることはとてもためになっていたのだと実感しています。
 ちょっと自慢っぽい文章になってしまいましたが、これから医療の道に進もうと思っている人には、地域医療ではこんな素晴らしさがあることも知ってもらえると嬉しいです。避難所の診察では血液検査やレントゲンなんて何もできませんから
 (今日は入院施設のない留寿都診療所がいつもお世話になっている倶知安厚生病院の当直です。めずらしくまだ1台も救急車が来ないので、こんなにたくさん書いてしまいました)イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 今朝も久し振りに大きな地震がありました。震度4で結構怖かったです。きのうブログに書いたホテルのおじいちゃんはどんなに心細かったかと思うと胸が痛みます。そういいながらも僕は所詮外から来ている人間で、午前中で今回の仕事を終え、今帰りの途中です。一ノ関で地ビールなどを飲み、今回の疲れを癒し、安全で快適な北海道に帰ります。しょうがないんですが、なんか後ろ髪をひかれる思いです。
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それでもビールはおいしかったです。

 大泉です。東北地方は昨日から梅雨にはいりました。昨日は雨でしたが、本日は蒸し暑い1日でした。
こちらでは避難所は1次避難所と2次避難所とがあります。
体育館や公民館のようにプライバシーもなく集団で生活しているのが1次避難所で、当初は1次避難所ばかりでした。震災数週間後から、1次避難所では生活が困難な高齢者等を中心に、地元等のホテルや旅館で営業できるところに移られた方もいます。それらを2次避難所とよんでいます。1次避難所に比べれば、避難所用の食事ですが、食事が比較的充実して、入浴もでき、プライバシーも保たれます。
 本日午後から訪問健康相談にはいったのは、気仙沼市内でも立派なホテルです。一般のお客さんの営業もしながら和室部屋を中心に50部屋が2次避難所になっています。確かに体育館よりは暮らしやすいですが、それでもやっぱり大変です。イメージ 1今日2件目に訪問した方は90歳の男性。せまいシングルベットの部屋に一人暮らしです。息子家族はまだ体育館の避難所にいるそうです。現役で昆布・わかめの養殖をしていたそうでお元気な方ですが、なれない1人でのホテル生活でとても寂しそうでした。「早く息子家族と一緒に仮設住宅にはいりたい」とおっしゃっていました。
海岸近くにあった家の土地は地盤沈下のためにもうダメになってしまってこれからどこに住めばいいかともお話されていました。
 
 
 
 
 港を見下ろす高台にあるホテルです
 
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けど、ホテルの下は瓦礫です。黒い車は屋根にのったままです。更に下は無残な港が広がっています。
 
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ホテルのロビーは綺麗で、普通のホテルですが、こんなホワイトボードもありました。

大泉です。6回目の気仙沼に向かっています。
千歳に車を置いて、夜行列車の「はまなす」で朝の5時40分に青森に着きました。列車は結構こんでいてカーペット車両はいっぱいで、やっぱり自由席できました。2人分の座席はとれたので横になることはできました。僕の特技はどこでも眠れることなので、アルコールを買いそびれたにも関わらず、青森までほとんど寝ていました。青森から新青森にでて、東北新幹線で一ノ関までです。盛岡まではほとんどトンネルの中で車窓は楽しめませんでした。新幹線や高速道路ってそうですよね。今北上駅につくころです。気仙沼の活動も震災後100日を経過して大分かわってきました。また、ご報告します。今回は車中からですので写真はなしです。

 フェリーが大島に近づくと地盤沈下で桟橋は半分水没しかかっており、港は周辺のお土産物屋さんがすべて壊れ、瓦礫とめちゃめちゃになった車の山、奥にはもともとのフェリーが打ち上げられたままになっています。島なので重機もはいりづらく、復旧作業に時間がかかっているようです。
 高台の役場支所にご挨拶をしてから、大島総合開発センターの避難所に健康相談に行きました。瓦礫撤去に行って留守にしているひとも多く、10人も残っていませんでした。最長老のおばあちゃんと話をさせてもらいましたが、家や漁が復活するまで長生きするとおっしゃっていました。まだ、医療チームの巡回診療が終わって1週間なので、巡回診療が終わったこともみなさま知らなかったようです。
大島には、今後毎週火曜日に巡回健康相談に伺う予定です。
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フェリーが港に到着イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
陸に上がったままのフェリー
 
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避難所へ
 
 

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