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人が死ぬのと同じように、ブログもいつか停止される。その時インターネットから削除されることもあれば、そのまま放置されることもある。住人を失った建物と同じように。



訪問者は更新が停止されているのを見て、家主の不在を思う。

「忙しくなってしまったのだろうか。飽きてどっかに行ってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もうこの世にいなかったりして......」

そんなことを思いながら、ブログに残された遺物を眺める。日々更新されていた日記や呟きの頻度が徐々に減っていて、いつかの日付で終わっている。

 

 

あるいはそれは、少しずつ途絶えていく限界集落のような場所を思わせる。

例えばあなたは、12月の寒空の日に、数年ぶりにそこへ向かう。

前来た時よりもひと気はなく、枯れ草が道端に広がっている。かすかに人の居た痕跡はあるが、もう何ヶ月も前のものだろう。

 

掲示板には8月のお盆のポスターが貼ってある。紙は湿気でてろてろになっていて、インクは雨でやんわりと染みている。あなたはそれを読む。このブログを読むのと同じように。

 

 

数ヶ月、あるいは数年ぶりに見にくる方にはこの記事も「12月のお盆のポスター」みたいなものだと思われる。





ツイッターのようなS N Sも似たような世界だと思うが、徐々に更新が消えていく場合と、突然停止される場合とでは、感じ方が異なるように思える。

 

後者はなんだか少し不気味だ。ランチの写真、眠いとかこれ面白いとかの呟き、何気ない投稿をしていたアカウントが、ある日を境に突如停止される。

 

 

そこはまるで、ついさっきまで人が住んでた空き家のようだ。

ついさっきまで、家主はそこで朝御飯でも食べていたかと言わんばかりに、ナイフとフォークがそこに置かれたまま、ポツンと人間だけが消えている。そんな部屋のようだ。家主は一瞬にして、その空間から消え去ったのだ。どこへいったんだろう、という疑問が残る。


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僕のブログは、どちらかといえば、限界集落タイプのブログだろう。別にそんなブログを目指していたわけではないのだけど、怠惰にしていたので、結果的にそうなっている。

しかしまた旅がしたいので、その日に向かって書こうかなとも思う。

 

そのうちこの終末世界のような日々が終わって、自由に旅できるような日が来るだろう。そうなればまた旅をする。テロテロな旅を。バイクでも買って、なるべく人が居ないところを走り続けたいと思う。ロシアとか。北欧とか、多分その辺。それまでは、何をしようか。