つれづれなるままに

ろうあ協会のこと、福祉のこと、教育のこと、 日常に起こる些細な「あれ?」と思うことなど、 雑感を書き綴ります。  

分散登校2回目

 今日は分散登校の2回目でした。
 分散登校はこれで終わり、来週からは2週間、給食なしの午前午後に分けての分散授業となります。IMG_4602_LI

 写真のように、先生方のアイデアで教壇と児童席の間にビニールシートを設置し飛沫拡散防止。
 ちょうど「新しい生活様式」をわかりやすく説明しているところです。
 これは一般教室ではなく、集会や研修にも使うホールなので、今日のところは間隔を広く開けることができています。

 前回はマスクとシールドを児童に着用してもらっていたのですが、暑苦しいし聞き取りにくいし見えにくいという感想をもらっていたので、今日は「話を聞くときはマスクだけ」「発言するときは前に立って、マスクは外しシールドを着用する」という方法にしました。手順が面倒になりますが、暑苦しくない、聞きやすい、見えやすいという感想でした。

 これからも、どうやったらいいか、快適さと安全性のバランスをとりながら改善していく予定です。

 今日に至るまで、休校中に感染防止策についてアイデアをかなり出し合いました。恥ずかしながら私はあまりいいアイデアが浮かびませんでしたが、ほかの方々が素晴らしかったのでなんとか前に進めています。
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 一つフェイスシールドを考案しました。
 この頃はマスクも出回らない、素材もあまり見かけないという時期で、百均の店に行って、ものを見ながらああだこうだと考えて作り出したものです。
 こちらは学内品評会で好評ではあったものの残念ながら採用はされませんでした。

分散登校

分散登校
 それは、三密にならぬよう児童を分散させて設けた登校日。
 
 こちらの学校では「まだ感染防止上不安だから」という理由で欠席される方については欠席をカウントしません。というか出席もカウントしません(出席簿上)。ただし健康観察は行うので、学校に来ているという証明はできます。

 私の担任する学年は5月18日を分散登校日としました。
 教師は透明マスク、子どもはマスクとフェイスシールドをつけ、狭い教室ではなく、ホールを借りて授業をしました。間隔も十分にとりました。1時間半だけなので、最初は子どもたちの話を聞き、次に理科の簡単な授業を20分ほどしました。

 子どもたちは、友達や先生に会えてうれしかったと言ってくれましたが、間隔が開きすぎているので(三密を避けるためでしたが)教師との距離が開きすぎて、透明マスクだけれど読み取りにくい、透明マスクを教師がしているので声がこもって聞き取りにくい、と言っていました。

 このような状況ですから、次は、予め大きめの字での紙板書を用意したり、だらだらしゃべらないでわかりやすく発問を端的にまとめたりする必要があると反省しました。

 大阪は、21日には解除とか言われていますが、しばらくは通常には戻れないでしょう。
 フェイスシールドはけっこう、休校期間中に検討したのですが、飛沫は防げるとしても、これから暑くなるので、あせもなどのトラブルが心配です。このときも「暑い」「かゆい」と訴える子がいました。

 コロナ太りということが言われていて、教師の中でも「太りましたぁ」という人がいたので、子どもたちが丸まる太っていたらどうしようと思いましたが、それは心配ありませんでした。外出自粛の間、ご家族の協力もあったかと思いますが、YouTnbeを見ながらダンスしたよとか、体操したよと言ってました。えらいですね。

 

学校休校措置で教師にどんな仕事があるか

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、勤務校も5月6日まで休校措置となっています。
 私たち教師は、授業をしてなんぼの職業なのですが、授業そのものがありません。ずっと。児童と向き合ったり見守ったりの職業ですが、児童は来ていません。じゃあ暇なのかというとそうでもなく、4月16日を除き毎日出勤しています。
 三密を避けるため、同僚と話し込むことはありません。話すことは山ほどありますが、あまり話さないようにしています。
 「何したらいいですか〜?」という質問が来る前に、やることを付箋メモに書いて、机の上に貼っておきます。
 年度当初の時間割を組んだり担任間の分担を決めたりするのを、本来なら4月最初の始業式までに終えているものを、引き延ばし検討をします。在宅でも児童たちが勉強ができるようにと、教科書を送りプリントを送り、そのプリントの活用方法をメモして書き込んだり、既存のパソコンから勉強できるコンテンツを紹介したり、しています。
 週に何回かご家庭に連絡して、児童らの健康状態を把握します。
 5月6日までの休校期間が終わり、その後授業が再開されるという前提で、教材研究をし授業計画を作りますが、再開されない場合もあるのでそのときは、家で勉強が進められるように、こみいったワークシートを作成します。このワークシートは、再開されてもノートに貼る形で活用できるように考えています。また、授業で使用するためのパワポの作成もしています。これらの作業が一番時間がかかります。
 今日の仕事はほぼお掃除でした。
 児童らが帰ってきたときに快適な空間を提供しようという意図です。

 こちらはいろいろ、働いて気も紛れていますが、自宅で自粛を続けている児童らのことを思うと、なんだかもう、心が痛みます。遊びたい盛りなのに遊びに行けない、お父さんお母さんが働いている場合は、家で子供だけで過ごさざるを得ないのです。早く収束して日常に戻りたいものです。

5月6日まで臨時休校続く

 3月はじめから臨時休校が続き、4月8日には新学期、と思っていたら、臨時休校が延長されました。大阪府立学校は5月6日まで延長です。
 教師内での担任や分掌や委員会の体制は決まっています。それに基づき、週に1〜2回の登校日を含めて準備を進める予定です。

年度末

 今日は年度末。
 この日限りでお別れになる人も何人かおられました。
 今年定年退職を迎えられる方は、2月の終わりで授業が強制終了になってしまい「教師生活の最後がこんな終わり方になるなんて」ともらしておられました。私などもあわただしく強制終了してしまったものの、やり残したことが多すぎてもやもやした気分でした。なのに、休みになるとわかったとたんネイルサロンで、およそこの仕事には不向きなキラキラの派手派手のネイルをしてくる若い人を見ると無性に情けなくなったりして・・・ま、どんなカッコをするかは個人の自由なんでしょうが。

 さて、この年度末ほど先行きが見えない年度末はありません。
 学校再開はどうなるのか。
 再開しなくても担任は変わり、子どもたちは進級していますので、どのような対応をしたらよいのか。家庭訪問はしていいのか、行事の遂行はどうするのか、学習保障は??などなど。

 東京都立は5月連休明けまで休校を延ばす考えのようです。
 大阪府立はどうでしょうか。今のところまだ分かりません。

 マスクをして授業なんて話ありました。
 聴覚障害の子の学校でマスクして授業?口形見えないし、表情見えないしそうとう不便ですが、何とか工夫して伝わるようにスライドなど準備をして、また表情カードを作ってみたりして、備えています。
 

 

会えずにお別れ

 3月24日は修了式・・・の予定でした。
 新型コロナ感染拡大防止のための休校で、いつもなら、保護者の方も含めて「一年間お世話になりました」と言いあうのが当たり前だったこの日は、電話等でご挨拶することになりました。
 相担の聞こえる先生たちに電話を入れてもらい、子どもたちが元気に過ごしているらしいことを知ると本当にほっとしました。

 次に会えるのは4月の入学式・始業式の予定です。でも確定ではないようです。
 東京オリンピックは延期が決定しました。スポーツ行事は無観客で行なっています。外出自粛の要請がお休み前には出されています。新年度の学校行事はいつも通り行なっても大丈夫なのかどうか、まだはっきりしません。

権力の「有る」「無し」を感じる年度末

 3月は毎年、「権力の有る無し」を感じるときである。
 とはいえ、通常は忙しい季節なのでそんなこと気にしてられないやという状態なのだが、今年度は特殊な「一斉休校」となり、暇しているわけではないが、感じる余裕がある。

 何の権力かというと、人事をいじる権力であり、それを持っている人と持たざる人に職場は分かれる。しかし、残念なことに、慢性的に抱えている予算不足や人手不足についてはその人たちも権力を持たされていないようだが。もちろん私は持たざる人なので、いくらいつもは「先輩」であっても「4月から私は何処の担任になるんでしょうかねえ」とか尋ねられても「さあねえ」と言うしかない。そして力のなさについて共感することができる。そして人事が発表されたとき喜んだり残念がったりすることができる。
 で、その決められた体制について何ら責任を負わなくてもよい。保護者の方から、または一緒になった同僚から「なんであんたがここなんや」と言われても、「まぁ、上が決めたことですから」と言えばよい。気楽だ。ただし、その体制に従い一年間はその部署の責任を負うことになる。

 どうせこんなことを考える余裕があるのだから、この時期の同僚の反応をまとめてみた。
 仝⇔呂剖瓩い海箸髻覆曚鵑箸篭瓩ないけど)におわせる輩
  「どうやら誰々が、どこどこへ行くらしいで」という話をしてくる。
 ⊆分なりのデザインを描く輩
  「誰々がどこどこへ行くといいと思いますけど」という話をしてくる。
 D戚曚鮗蕕詛
   ↓△力辰望茲蕕覆ぁこの時期に洩らせない情報を握らされているらしい。
 ぜ分以外に興味のない輩
  自分の行きたい部署とその部署を構成する人員にのみ言及する。
 イ弔いΔ辰り、自分の栄転(?)の話を洩らす輩
  まだオフレコであるはずだが自分が特別な役職に抜擢された喜びからその話を洩らす。
  単なる喜びだけの人と、「おまえと差をつけたぜ」的な言い方をする人がいる。
 上記の人たちの話に適当に相槌を打つ輩
  私などがこれである。
 
 あなたはどうでしょうか?
  
 

マスクだらけは少し不安

 外へ出れば、マスクを着用してくださっている方々が多いです。
 私も、通勤時にはマスクを着用します。これが新型コロナには効果ないとかいう意見も多数あるのですが、着けてないと嫌がられるかもという気持ちがあるので仕方なく着けております。

 いきなり臨時休校措置が取られて、三週間が過ぎました。
 子どものいない学校の仕事ほど寂しいものはありません。
 子どもたちはどうしているだろうか?と気になります。休校前にどう過ごすのかご家族で話し合った子もいて、「家でおとなしくする」「ゲームする」「お昼はおべんとうが届く」などいろいろ話してくれました。仮にも高学年の子ですので、今回の急な休みに遊びには行けないこと、その理由が感染拡大防止というものであることは、わかっていたようです。でも、あの日は「いい子」でそのように答えていたとしても、不満は絶対あるでしょう。

 それよりも遡ること数週間、ある日、女の子がマスクをしてきました。そしてみんなに謝りました。
 なぜかというと、マスクをすると口元が見えなくて、話がしづらいだろうからです。
 みんなは怒ることはなかったんですが、確かに、口元が見えないと、手話があっても話が分かりづらいというか、分かったとしてもちょっと表情が見えにくくて不安だとか、そういうことがあります。その気持ちがわかるから彼女は謝ったんですね。
 今、子どもたちは周りマスクだらけの中、不安に思っているのではないかなと思います。マスクだけが今回の不安材料ではなくもっともっと大きなものはあるのですが、些細なことのようで、ストレスにはつながるのではないかと懸念しています。だからマスクはやめて、ということが言いたいのではなく、そういう人間も少数ながらいることを書き留めておこうと思いました。

ああ ついに

 全国一斉休校の、首相からの要請か・・・

何かが足らないのではないかと思うとき

 「あ、そろそろトイレ紙が切れるわ」
 そう思って、慌てて買いに行ったとき、世間ではもう買い占めのあとで、商品棚にトイレットペーパーはありませんでした。おすそ分けいただいたり、手に入るという友人にお願いして少しストックしました。
 それに先んじてマスクはあらゆるところでなくなっていたのですが、家には学校給食用にといくつか買って置いていました。まだあるのですが、買えるときに買っておかなきゃという変な焦りは心にあります。
 その後、何を買っておいたほうがいいか、など考えるようになりました。
 今の時点で困っているわけではないのに、何かが足らない感がぬぐえません。

 こういうのも不安の一種なのかもしれません。
 新型コロナのニュースばかり見ていると、そりゃ不安になりますよ。
 
 しかし、不安だからとその話ばかりになったり、何かが足らない、買わなきゃという話をすることで、他の人の不安にも油を注ぎ・・・そんな今なのですからあまり言わないようにしようと思います。

考えることそのものがすごいやん

 ある日研修会があり、自由討論のときにその日の算数の授業のことを報告しました。
 すんなり理解が進んで、たくさんの活動ができました!という報告だったらよかったのですが、とはいえ自分としては目的としていたことを達成した授業でもありましたので、見た目に遅々として進まぬ授業の様子を報告いたしました。
 その日の算数の授業は、小4の「2桁でわる割り算」の最初のところ、例えば60÷20の答えをどう導くか考えるものでした。60個のアメを20人が、喧嘩しないように、同じ数ずつもらうなら、一人当たりいくつもらえるのか?という等分除の設定で、子どもらに考えてもらいました。すぐに九九を応用して「3」と答える子が一人くらいいてもいいのに、一人もいませんでした。彼らはどうやったら答えがわかるか考え続けて、のちに「かりの商」につながるように、もし5こずつだったら?4こずつだったら?と一つ一つ可能性を考えてつぶしていきました。
 あと10分程度というときになって「3個」という仮説が上がり、それに20をかけると60になることを発見。「あ、これや!」そしてよくよく振り返り、「あれ?九九に似てるような」と言い始めました。
 次に九九が使えるのかという検証で、80÷20、90÷30とやってみて、いずれも九九が使えることがわかり、子どもらはやっとホッとした表情になりました。そこで授業終了です。

 と、報告しますと、「そんな長い時間考える子どもらはえらい!」という人、逆に「さっさと九九が使えることを教えたらもっとたくさん問題が解けたのに」という人、双方いました。もしこれを読まれた方がおられましたら、どちらの感想を抱かれるでしょうか。

 子どもらは、考えるのが最初苦手(と自分らで思い込んでいて)の状態でした。数か月前からタングラムで等積変換しながら形を構成するゲームを5分ずつやっていくのをはじめてから、考える過程そのものを楽しむことができるようになってきました。

 算数の話ですが、国語でも、自分の考えを他の子に伝えるときに、どのように伝えたらわかりやすいかよく考えるようになりました。説明の言葉を選んだり、たとえ話をしてみたり、手話を用いてみたりです。成功するかどうかだけを評価せず、じっくり考えたことそのものをほめますと、「考えることそのものがすごい」ということに気づいてくれるでしょう。
 

2020年 定年まであと何年?

 あけましておめでとうございます。
 毎年、書くことを怠らないようにと戒める新年なのですが、ブログの更新はなんと六ヶ月強ぶりです。何も考えず過ごしているのではないのですが、いい刺激をもらったこと、ある事象についてよくよく考えたことを、よくまとめずに過ごしているには違いないと思います。たとえば昨年10月に富山で開かれた全日本聾教育研究大会に参加させていただいたのですが、もらったものが多かったのにそれを反芻する時間があまりなかったのが悔やまれます。参加した意味がないじゃないかと言われるとそうでもありません。賜った知識や到達点や手法などの中でごく一部は活用しているのです。でも、それをお伝えする時間が少なすぎます。そしてその時間が少ないからと、反芻に手を抜いた自分自身がいます。
 新年のスタートは過去の自分に分析を加えて反省することからですね。
 さて、もうあとがあまりないというか、退職までの年数を数えるようになってきた昨今ですが、どうやら定年が延びるんじゃないかという噂が。うれしいような、いや待て、そんな年までバリバリ働けるのか?という不安なような気持ちがごちゃまぜです。
 あと何年かはわかりませんが、自分の弱点をよく見つめて、悔いのないように働きます。

 本年もよろしくお願いいたします。

ICT機器の活用で今まで感動したもの

 ICTやプログラミング、と、年寄りなほうの私を苦しめるものがあります。
 向上心は忘れてはならんと思い、聴覚障害教育で有効とされる視覚教材を、切り貼りや描画だけではなく、スライド機能を持ったパワーポイントにまとめて、それを使用してみてはいます。このパワーポイントの作成には玄人の人もいるもので、5月に初めてパワーポイントの講座に参加してみました。月にも参加したいなと思っています。
 さて、ICTを活用した実践を見せていただいて、感動したものはたくさんありますが、中でも、知的障害と聴覚障害のある児童が、校外学習へ同学年の児童と一緒に行き、その間iPadをずっと持っていて、ビデオと写真の機能を使い、自分が見たところを記録していたものでした。見るべきところがよくわかっていて、見ていて、もっともっと詳しく見てみたいと思ったところは、カメラで追いかけ、ズームで撮影していました。それを、事後指導で動画を見る形で発表してもらいましたら、「ぼくも同じところが面白かったよ」などと子どもたちが同感していました。
 さらに驚くことに、たくさんの動画や写真を撮影していたけれど、彼なりにどこを見せたいと考えて選択して、みんなに見せていました。

 iPadはすごい!と思うと同時に、重複障害学級で意思を手話や音声で伝えにくい子の表出の道具として使い慣れさせていることにも感銘を受けました。
 こういうことを言うのは、新しいことではないのですが、むしろ「今更気づいたんか?」と言われそうですが、ICTはすごいな、と思った次第です。もちろんいちばんすごいのは、それを使いこなす子どもです。

 

宿題の枚数

 この時期、学校では家庭訪問をします。
 話すことはいろいろあるのですが、しばしば話題に上るのが宿題の枚数。それについては、枚数が少ないですという訴えもあれば、枚数が多いですという訴えもあります。
 私は、実際にした授業を追体験するようなものを自分で書いて、またはパソコン入力して作るのが半分、あとは漢字のワーク、計算ドリルと言った市販のものが半分、という感じです。

 子どもの性格にもよりますが、宿題の枚数をたくさん出すと、ノルマのようになり焦り、一つ一つを丁寧に思い出したり、問題文をきちんと読んでじっくり取り組むことが難しくなる子どもが多いです。ですから、宿題は最低限、家庭学習の時間が少しでも持てるようにと渡しています。
 それでも、宿題の文を読んでも、授業でやったことと結びつかなくて、適当に( )の中を埋めてくる子もいるものです。授業の最後に、出す宿題が今やったことと同じだよという説明や、よく似ているという説明をして手渡すようにしています。そのヒントを家まで持って帰ってくれれば、多少の間違いはあってもお直しをする時間はぐんと減ります。
 また、出した宿題が百点だったら次の日はなくなるといったご褒美もときにはあります。

 ところで、フィンランドには宿題がないのだとか。
 日本の子どもたちが知ったら「いいなあ」と思うことでしょうね。

 ですが、宿題としてガイドラインを示されない家庭学習って、ほんとうは大変なことだと思うのです。自分で何を勉強したらよいか考えたり、何を体験したらよいか考える必要があるからです。また、遊びが大切とも思いますが、思いっきり遊べる環境や、遊びを通してさまざまなことを体験できる遊び場の確保が必要でしょう。宿題って実は安上がりな対症療法なのかも、と思うこともあります。
 

これからもよろしく

 昭和41年生まれにとって、平成の30年間は、働き始めてからの時代でした。昭和は生まれてから学生を終えるまで、と、なんだか区切りがよろしい。
 この平成もそろそろ終わるのだと、次の時代が来るのだと思うと、西暦で見れば単に連続した時の重なりであっても感慨深いものです。
 平成の最初のころは福祉で働く聴覚障害者はまだ珍しかったですが、今では珍しくはありません。
 教育に転職したときに、教育で働く聴覚障害者はすでに珍しくありませんでした。

 思えば、昭和の時には、先に大きな戦争があったにもかかわらず私の生まれた時から昭和が終わるまでは大きな災害を身近に感じることもなく、日常が日常として、絶えず続いていくものだと思っていたものですが、平成に入り、平成7年の阪神淡路大震災が身近にあり、東日本大震災あり、昨年などは大阪北部地震、西日本豪雨、台風21号と立て続けに非日常が訪れました。もちろん、住まう地域によってはこれよりもっと多くの脅威を感じながら生活された方々も多いことと思います。

 平成が終わるということは、平成が始まったころまだまだ若かった私自身も相当古くなり、物忘れが気になったり、若いころのようにたくさんの仕事をこなせなくなったりしていることも感じます。
 
 次の元号になった後は、若い人に頼りながら、お勤めを果たしていくことができたらと思います。
 

新年あけましておめでとうございます

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 遅ればせながら明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 昨年11月に、久しぶりにぎっくり腰になりました。
 体を思うように動かせなくなると、それだけで大変で、仕事を休んでいるのが申し訳ないとかまで頭が回らないくらいでした。現在は回復して、腰痛が起きたとしても日常の範囲内です。変な言い方ですが。IMG_3053
 年末年始は特に楽しいこともなかったので、今日三日は、地元のろう者と飲みに行きました。
 ろうあ協会で活動していた以前と比べて、頭がやけに白くなったとか、もう亡くなった方の話とかでしたが、地元の方の手話というのはほんとうに懐かしいものです。聴覚支援学校で勤務しているので手話は毎日遣うしお目にかかるのですが、今日の夜に使った手話、見た手話は学校の中ではほとんど使う機会がありません。世代が違うからということなのでしょうが。

 さて、明日は仕事始め。
 早めに寝て早めに起きれるようにしましょう。


 
 

 

度重なる災害

 6月18日大阪北部地震。7月初旬の西日本豪雨。9月に入って4日には台風21号が襲来。6日には北海道で大地震と、災害のニュースが後を絶ちません。自分が当事者(帰宅困難者)になった場合もありましたが、知らせを聞くだけでも怖く、当地におられた方々の恐怖を思うと胸が痛み続けています。

 大阪北部地震は、電車の中で揺れを体験しました。体が下から浮くような揺れが何度も立て続けに起こり、その恐怖と言ったら。幸いなことに乗っていた車両はちょうど駅の構内にあり、電車の車両からは出ることができましたが、職場にいく足も帰る足もしばらく動きませんでした。
 西日本豪雨のときは電車の運休があらかじめ決まっていましたので、動いている電車を検索していつもとは違うルートで職場へ。しかし、これでも被災地に比べれば幸運だったでしょう。
 その後の猛暑、しばらく暑くとも文句を垂れていても元気でしたが、8月の最後にやられました。積み重なる眠りにくさや疲れがどっと出たのかもしれませんが、1日休みました。夏休み期間中だったのが幸いでした。
 台風の日は、前日に休校が決まっていたので自宅待機としました。台風が接近していた間、雨戸を締め切り絶対に外に出ないようにして、傍らに防災リュックを置いていつでも逃げられるようにして過ごしていました。家は揺れて恐怖をあおってきますし、時折電気は止まりますし、こういう台風での恐怖は、今までのとは比べ物にならないものでした。私のところなどまだ、その後の停電や断水がありませんでしたのでマシでしたが、同僚の中には2日間以上停電になり、冷蔵庫の中を一掃するため、たくさん食べたとか、処分したとか、ろうそくで過ごしたとか、非常事態に陥っていました。早めに帰って、付近の散乱したものの片付けをしようとしたらもう暗くなってしまって、ほとんどできなかったなどの愚痴を聞きました。

 教師はストレスの多い仕事だとよく言われます。たしかにそうですが、チームの運営の仕方によって緩和されると思い、そのような学年経営を心掛けてきました。災害の時はチームでラインなどを通して声を掛け合い、怖い、困ったという声を受け止めあってきました。それくらいしかできることはありませんでした。短期間に度重なると、ストレスも解消しないまま次の災害がやってくるような感じで、とうとう体調を崩されたチームのメンバーもいらっしゃいます。

 自然災害への怒りは何処に向けてよいのかわかりません。あとになって建設条件や対処の遅れとか言われていますが、被った被害は変わることがありません。
 日本は、安全対策にもっとお金を使えばいいのに・・・と後で思っても、失った命は戻らず、失った健康は戻るのに時間がかかるのです。
 でも、仲間と声を掛け合い、支えあっていきましょう。そしてもっとよい方策をともに考えることで戦うしかありません。

 

梅雨の折り紙

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 ふた月前、同僚と話していて「私らって、仕事に打ち込んでいるうちはいいけど、退職したら何か趣味とかできるのかな」と不安になりました。そこで、You Tubeにアップロードされている折り紙動画を参考に、おりがみクラブをすることになりました。
 おりがみを選んだ理由は、コストがあまりかからないこと、手先をよく動かしたり、手順を覚えようとすることで、頭が鈍くなるのが防げるのではないかということ。絵などと違い、完成した姿がわかりやすいことです。
 教室の飾りを作るのを兼ねて、今回はかえるさんと傘にしてみました。
 できあがりはまあまあかな?

6月18日から今日までですでに疲弊

 6月18日午前7時58分の揺れを、私は電車の中で体験いたしました。
 その後、その日は学校が休校になり、19日は平常通りでしたが、20日は大雨警報のため休校。
 しかし、職員は勤務日なので通勤しますがそれが大変でした。
 まず、電車を2社乗り継いで行く、その2社とも、ダイヤが非常に乱れておりました。
 遅延証明をいただいたり、代替輸送を利用したりしてたどり着いたのは提示を大幅に回った時間。

 そして帰りはまたそのうちの1社が運転見合わせの事態。

 歩けない距離ではないと、1時間かけて歩き、もう1社の駅にたどり着きました。

 大阪北部地震のその日も疲れ果てましたが、こうも非常事態が続くと、最初の元気もだんだんと失われていくのがわかります。原因の一つにはあまり眠れないこと。余震などが怖くて、ぐっすり眠れないことに加え、いつも当たり前に利用していた電車などがたびたび止まったり遅れたりする。しかも20日は大雨で・・・

 これが関西の人に起こっていることの一部です。日がたつにつれ、疲労がたまらないように祈ります。

 

指文字の導入

 今日は学年団でこんな話をしました。

 キュー記号の表出について、「しょう」とか、「きゅう」とかの、いわゆる拗音、「らっぱ」とかのいわゆる促音について、個々の教師がどのようにしているか、ということです。
 本校幼稚部では「しょう」ならば「さ行」のサインを用いるのみで「しょう」の口形を見せる、という表現が一般的ですが、その口形を十分に意識できていないと、「そー」に見えてしまうし、サインを見ることに意識がいかない場合、「ちょう」とか「とー」とか、に、見えてしまう。そんな子どもがいる場合はどのように表せばよいのか、が、若い教員の疑問でした。
 また「らっぱ」ならば、「ら ぱ」と表すのが一般的だが、そのばあい「らーぱ」と見えてしまう子どもがいるというわけです。
 これが指文字による表出だと、ひらがなで表すがごとく、それ以外の表出はないのではないか、だから、早くそちらに切り替えたいのだが・・・ということでした。
 おお、これで学年団で一致した形で指文字導入に向けての道筋を作ることができるな、と喜ばしいと思う反面、聴覚障害の子どもは、特に本校では、「キュー」「音声と聴覚活用」「指文字」「日本語対応手話」「日本手話」と、いくつもの手段を経なければならないことになり、それを全部網羅できる子どももいますが、ある子どもにとってみればとても負担が大きいということになるなあと、改めて思いました。

 キューは導入している学校もあればしていない学校もあり、また、導入している学校の中でもサインの方法が違っている場合があります。大人になった時、あまり使えない手段です。こういう学校の場合どこから指文字を導入するか、で、過去には小学部段階から、という結論もあったと古参の教員からききましたが、なぜかそういう風にはなっていません。なぜでしょうか。
 とにかく、そのなぜか、も、導入への道筋を共に歩むことで明らかになるでしょう。
 
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