映画

2013年01月25日

ライフオブパイ(ネタバレ満載

今日、映画館で見てきました

親と映画見に行ったのはジュラシックパーク以来です笑
虎が人間と漂流する3D映画って聞いただけで興味持って誘いに乗りました


で、序盤は「おー動物だーすげーうれしい」
と思って見てたんですけど、結局この映画すごく考えさせられる難しい映画でした。

ここからは自己解釈で書きます

この映画を象徴すると思われる言葉は二つありました。




一つめは航海前に家族で自宅のリビングに座ってた時、父親が「宗教心を捨てて(ここうる覚えで少し違うかもしれません)、理論的に考えられるようになれ」

もう一つが、トラと二人になったときにパイが言う「人間、苦しいときに愚か者になる」

です



漂流するに当たり、主な登場人物が4者います。船が荒波に襲われる事故により、コックに殺害された主人公パイの母親、船員や母親を殺したコック、船員、そしてコックを殺した主人公パイ


この4者を、動物に擬人化するんですよ。おそらく動物との漂流は主人公パイの妄想(置き換え)だと思います
オラウータン=母親、シマウマ=船員、ハイエナ=コック、トラ=パイ(パイ自身がライターの質問に自分はトラだと思うと語っていました)
そしてそして、、主人公パイは誰かという話しですよね??


僕は「神」だと思います!!!

ここからは漂流時のパイ→神、トラ→パイという表現で書きます。


飢えている苦しい状況にあるパイは他の船員などを殺して飢えを凌ぎます。しかし、神と二人っきりになったとき、餌がついに尽きました。食欲から神を食べようとしますが、神には手が届きません。
神が時には取った魚の餌を与えてくれたりして、パイの「欲と我慢のバランス」を教育してくれるのです
時には棒で戦い凶暴な欲を抑制
また、食べ物がなくなり死にそうな時は、パイの元に寄り優しく頭を撫でてくれます、何か大事なことを言いたげに


こんな場面がありました。●恵みの食料であるトビウオの大群が船に落ちてきて二人で分け合う


このシーンではパイ「おれに、おまえの大魚をよこせや!くそ!!」
神「だーめ、苦しいからといって人のものまで取るのはよしなさい。今、あなたの足下にあるものだけで十分でしょう?」
我々は、目の前の大きなものに対し「欲」を持ったら駆り立てられるようにいけないことをする者もいます。強盗だったり、不倫だったり。落ち着いて、今の現状をみつめて生きなさいという神からのお告げに思えました


もう一つ
●パイは我慢できない食欲から、船から飛び出して海で泳いでまで神の肉を求めました
このシーンはこういう風に考えちゃいました。
船から動かず餌を求めるニート(パイ)がついに船から飛び出して自分で稼ごうと降りたのです
ニートから働きマンになった瞬間でした。
そしたら、結果的に神は食物を与えてくれました
人間、行動が大事だと改めて知らされました


二人っきりで飢えを凌いで、謎の島に着くのですが、あの島は一体!!?
神がパイを教育し、自らも体をぼろぼろにしながらやっとこさ島へたどり着きました。
そこではパイの餌であるミーアキャットがたーーーくさんいるのです
苦しみと教育に耐えたパイへの神からの最後のご褒美なのではないかと感じました
神は何をしてるかというと木の上に登って葉っぱの中に人間の「歯」を見つけていました
正直これが何を意味しているのか分かりません。謎です

そして、ついに神はパイを人間の世界まで送ってくれるのですが、パイは挨拶しません
なぜ?
「ここまで神に育ててもらったのだから、自分自身で理論的に考えて生き、もう神には頼らない!」
という風に、前だけを向いていくという強い意志ではと思いました。
トラはジャングルに
パイは人間の世界へ
戻っていきました。。。。。
ライターとのやりとりを見ていても、涙ありで悲しげ出来事をに語る主人公ですが何か新たなものを見つけたように目を輝かせているようにも見えました
それは、神と出会えたことではないかと
打って変わって、日本人の記者との応対では、そういう感情がなく「事実」を話していました
家族を亡くし、前を向いて生きていこうという強い思いがライターの前には現れたように思えます

結構宗教色の強い映画だと思います。僕の解釈だと神が荒波の中で「神よーー」なんて言ってるのが??ですよね。もしかしたら、父ちゃんがパイ役なのかと今ふと思いました
航海するまでの言葉にヒントが結構隠れているような気がします。ぼーっと見てたんでもう一回見てみたいです
んー監督に答えを聞いてみたい、いや聞きたくない映画ですね

すごい見る価値のある映画でした。動物可愛いし、3Dで迫力あるし奥が深いし。
あと菜食主義に対するメッセージも含まれていると思います

殴り書きで読みにくくて申し訳ない





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doubutsuningen at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年01月02日

shame4

この映画を見た後、外を歩いたが雨で真っ暗だった。(三日前)とても気持ちがどんよりしてしまった。それほど、僕を感傷的にさせる作品であった。音楽でいうとマッシブアタックのMezzanineにかなりマッチしている。NYという大都市の乾燥した雰囲気の中で何か温かさもあるような感覚だ
終わった後は??な感じだったが、チャプターごとにヒントを探し色々考えてみた
セックス依存症で感情がないセックスを繰り返す愛という言葉を知らない主人公のブラッドリー、同じくセックス依存症(と、いうよりは人間依存症)でメンタルに病を抱え気に入ったら誰でもセックスしてしまう妹のシシー。

彼らの何かの影響により備わった非人道的ともいえる行動を見ているといたたまれない感情になってしまう。


彼らはなんでこんな風になってしまったのだろうか?


 こんな場面があった。バーで妹のライブで切ないアカペラを聴いている最中にあまり感情を表に出さない主人公が思わず涙を流したのだ。もう一つ、妹「私たちには居場所が悪かっただけよ」
この二ポイントから個人的に推測した結果、家庭環境に問題があったと思える。親のどちらか(もしくは双方)がセックス依存症で不倫を繰り返していたではないかと感じた。挙げ句の果て、両親は離婚し主人公と妹は親と決別しNYに生活の場を移すことになるという展開だ。不倫に関しては、主人公が会社の同僚がクラブで狙った女を自分のものにし、バーで既婚者の女性を口説いたため夫に殴打されるシーンがあったので親の影響なのではと考えた。


要するに、家庭環境=居場所が悪かったのだと感じた


 傷をお互い舐め合い、励まし合い生活してきた彼らだが、主人公は妹の過剰な兄依存が気になり妹の自立を求めるようになる。結果、この映画の最後のシーンである悲惨なことになってしまうのだが。主人公は妹を嫌ってはいなく、とても愛していたはずだ。社会的に優秀なサラリーマンである兄、だらしなくまともに働いてはいない妹、二人は違うように見えるが根本的には心に闇を持った似たもの同士で愛し合っていた。


 ラストシーンは電車内で色気のある女性を見て、言い寄ろうか考えているシーンで終えるのだが、愛する妹の死により主人公はショックからか何かを考え悩んでいたように見える。あの後、改心し行動にでないのか、もしくは依然と同様に女性に近寄ってしまうのか。前者を願うばかりである。我々視聴者に妄想を抱かせる終わり方は罪な終わり方であり、罪のない終わり方だったのかもしれない。

現在、世の中では親の離婚、DVなどからトラウマで偏った価値観になってしまう者が多数いる。彼らは、心の根本は純粋であり上手く説得し心の核心をついたら涙を流すものも多いだろう。上辺では偏った価値観で振る舞っているが本質は皆似ている。事実、僕も偏った価値観はあるはずだ。それが社会的に問題となることであるかが肝となるのだが。


 子供は一番影響を受けるのは間違いなく「親」なのである。親が悪くても、それを見て自分自身が良くなる例もある。知人に親が不倫を繰り返し離婚した者がいるが、彼は心が純粋で女遊びなど一切しないのだ。一人の女性(彼女)だけを見て愛している。親が教訓となる例もあるだろう。
 
 本作は親の影響で社会生活に支障をきたす価値観を持って生活している二人。我々もこのような人たちを難しいかもしれないが最初から蔑視するのではなく、心の内を見てあげ寛容に接していく必要があるだろう。あと、大事なのは愛する相手と感情のあるセックスをしなくてはいけない。あまり好きでない相手とやっても性欲を満たすだけで虚しさが残るのを感じたことがある人は多いのではないか。僕もその一人だ。
Shameは僕の感情をくすぶる作品であった。とにかくショッキング。。。。。。

自分の妄想で書いた部分があるので真実は分かりませんがご了承を


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2012年12月29日

おとなのけんか5

人と周囲とのコミュニケーションのやりとりの面白さが伝わってくる映画であった。

本作を象徴する発言が二つあった

一つは被害者の親であるペネロペ「正直者が結局損をするのよ」

加害者の親である夫「人間、一番大事なのは自分」

 
 
 簡単に登場人物4人を挙げると




ペネロペ・・・被害者の親であり、生真面目でジョークの効かない人間

マイケル・・・日用品の商売をしている楽天家

ナンシー・・・成金主義の一見意地悪そうな女性だが他人への配慮は多少ある

アラン・・・状況を把握しないで自分勝手な行動をする弁護士、根回しが上手い





 序盤はお互い夫婦の子供同士の喧嘩に関する「会話」であるのだが、時間が経つにつれ子供に関する「口論」、挙げ句の果てにはお互いの人格を否定していくような「口撃」に変わっていく。弁護士であるアランは職業柄、口が上手く生意気なほどに相手の夫婦の意見を操縦する。まるで討論の場である家が法廷になったようだ。



 


 アランは不必要に口を開かないが、時たま発する言葉は場の話題の展開を明らかに左右していた。「人間、一番大事なのは自分」というアランの発言が真になるように皆が心の殻を破っていく。ペネロペはアフリカへ行って貧困者の実情を知っているのは私だと保身に走る、マイケルはペネロペとは対立した立場をとり本来の馬鹿な自分をさらけ出しアランに同調、ナンシーはストレスから夫アランに対しついに癇癪を起こしてしまう。しかしアランだけは終始自分自身を保っていたのだ。



 


 ペネロペは殻を破るまでは俗にいう道徳心溢れる立ち振る舞いをとっており、アラン夫妻と会う前に夫へ立ち振る舞いを指示していたほど完璧主義者。さらに、ナンシーを偽善者と罵った。しかし、自分をよく見せようとしていたのは僕から見ればペネロペであった。実際、アランの携帯電話をナンシーが水没させた時の彼女の喉が飛び出すような爆笑シーンは彼女本来の姿であると感じた。ペネロペは自身のことを正直者だと思いこんでいたのかもしえないが、実は一番の正直者でないのかもしれない。確かに自分を正直者で人格者だと思いこんでいたペネロペは相手に問い詰められヒステリックを起こし、彼女自身では「正直者である私がまた傷ついた。」と思っていたに違いない。



 
 
 
 十人十色という言葉を喚起させられる作品であった。結局誰が正しいのかは僕には分からない。実際答えなんてないと思う。ただ言えることはペネロペのように堅い頭で思いこみが激しい人物は苦労するであろう。現在、日本でも鬱病患者の増加が問題になっているが大抵の人が偏った自分の中の価値観が世間(会社など)との間で乖離していると発症の引き金になるのではないか。自身の価値観・世界観を持つことは非常に大切なことであるが、相手への尊重など客観的に自分を俯瞰する能力が必要であろう。



 

 エンディングがまたまたシュールで、喧嘩した当事者(彼らは作中姿は見せてないが、おそらくそうだと感じている)が温和な雰囲気の公園で仲良くしているのである。結局のところ気づいたら子供のためではなく自分自身のために親が戦っていたのだ。

邦題の「おとなのけんか」と名付けた方のセンスはすごいと思う。漢字ではなく平仮名で表現したとこが妙にこの映画を言い表している。大人による子供のような喧嘩なのだ。

こどもに口述能力が備わっただけの大人同士の喧嘩である。






 性格・価値観の異なる4人の茶番を傍観できて幸せな時間だった。人間って一人一人面白いなあと改めて思った。笑いもありで家族・恋人・友人などいろんな人と楽しめる映画だと思う。僕も嘔吐のシーン以外はまた見てみたい笑















doubutsuningen at 01:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年12月28日

ベニーズビデオ5

 ファニーゲームを見てミヒャエル・ハネケ監督の映画の概念を覆す姿勢に驚嘆し、私は次にこのベニーズビデオを借りて観賞した。上記作品を通じ、我々が受動的でなく能動的にそこに与えられた作品が何を訴えているのか真剣に脳を働かせることを学んだ。その経験を活かし本作に挑んだ。ハネケ監督はこだわりの強い監督で、聴衆が一見気づかないところに自らのアイディアで工夫を凝らしたりしているので集中が必要である。ぼーっと見ているだけでは、本当に意味もないただの時間の浪費になってしまうこともあるのだ。彼の映画に答えはない。自分独自の考えを持てるかどうかが重要である。


 本作を一度見て思ったポイントを二つに絞ろう。まず一つは人間の「残虐な心」だ。冒頭から衝撃的なシーンが訪れる。家畜であろう豚が銃殺されてしまうのだ。その瞬間を巻き戻しして何度もそのシーンに焦点をあてる。私は、思わず声をあげてしまい目を覆いたくなった。その後に、この映画の展開を左右する場面である少年が少女を殺すシーンがあるのだが正直にあまりショックはなかった。なぜだろうかと私は考えた。それは、冒頭の豚は現実に殺されている豚であるのに対し、少女はスクリーンの中で殺されているだけで現実には殺されていないのだ。要するに、ノンフィクションとフィクションの違いである。さすがに、人間を殺すことなど実際に撮ることはできまい。動物ならそれが許されて しまうのである。少女が殺された後には、そこら辺のドラマのように犯人である少年を保護する親とのやりとりになるのだが、茶番にしか見えない。なぜなら、演技にすぎないからだ。それほど、冒頭の場面は私に衝撃を与えた。



 人間という生き物は恐怖をお金で買う生き物でもある。ジェットコースターなどが典型的である。同時に罪な生き物で、自分の近くで「交通事故が起きて、車に轢かれて脳が飛び出しているような死体がいる」と聞いたらどこかで見てみたいという気持ちが起こってしまうものである。冒頭のシーンは二度と見たくないが結局のところ一番見てみたいシーンだったのかもしれないのだ。その後の「フィクション」を見ていると余計そう感じて嫌になってしまった。我々は動物を殺して食物を得て生きている。中にはベジタリアンもいるが、植物も生き物には変わらない。そのような使命として、豚の悲痛なシーンを見なければいけないとも感じたのだ。

 
 

 もう一つは少年が少女を殺害する「動機」である。薄暗く光の当たらない地下室のようで、寝てる時以外はパソコンかビデオしか見ることがないような部屋で生活している少年は、社会との関係性が薄い。その中で例の豚が殺害するシーンを繰り返し見た影響を受けたのか、熱い動機ではなく冷たく何食わぬ顔で犯してしまうのだ。彼にはおそらく罪という意識があまりない。


 我々が生活する現代でもこのような、社会との関係性が希薄になった人物の無差別殺人が度々起こる。彼らの動機は様々な社会的・家庭的要因があるだろうが、問い詰め探るほど分からなくなるだろう。なぜならば、「どうなるか見てみたかった」という無意識に近い中での行為なのではないかと考える。現実世界とバーチャルな世界の区別がつかなく脳内が歪んでしまった結果、脳内が「麻痺」してしまったのだ

 




 一度見ただけでは隠された部分や分からない面もあるので、あと数回は見て考えを出してみたいところである。ハネケ監督作品独特の、自分が映画の中にいるように錯覚させられるカメラアングル。さらに静寂で台詞がない場面が多いので考えながら見る楽しみを与えられているようにも思える。



doubutsuningen at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)