September 15, 2009
陶器師、主よ
ふたりでひとつになるもの。
私たち夫婦もその歩みをさせていただいています。
最初はそれぞれの一人暮らしを持ち込んでいるので
鍋もフライパンも2つずつ、
シャンプーもそれぞれ使ってきたものを持ち込んで・・・
それが今は使うフライパンはtoshiの、
シャンプーは私が使っていたもの・・・
という風に、ひとつのものに統一されてきています。
これは形だけにしか過ぎないけど。
ということで、それぞれやっていたBlogでしたが、
結婚1周年の今日を境に、ひとつにすることにしました。
『陶器師、主よ』
http://blog.livedoor.jp/isaiah_64_8/
≪しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの手で造られたものです。 イザヤ64:8 ≫
これからは、↑ こちらをチェックよろしくおねがいします。
リンクなどの変更もお願いします。
September 14, 2009
月日と共に
看護学校2年生の夏。
大好きだった教会の学生会の仲間に
理解されていないんじゃないかって思って悲しくて、
自分の思いを吐き出せる場所が欲しくて始めた。
http://blog.livedoor.jp/dovehouse/archives/9509360.html
どうせなら、ただ愚痴を言うだけじゃなくて、
自分の日常に働かれる神様を感じながら
言葉を紡ぐことができたら・・・
そう願って始めた。
私の人生のテーマソングからBlogの名前をもらった。
月日と共に
少しずつキリストに似た者へと
変えられていくこと。
それが私の人生の目標であり、目的でもあるから。
Blogを始めてから約4年と1か月。
いろんなことが変わった。
状況も変わった。
しかし何よりも自分自身、大きく変えられたって思っている。
そして今日判明したこと。
Blogを始めるきっかけになったあの一言。
「はとこよりしっかりした人なんていないよ」
それを言ったのは、他の誰でもない。
私の夫であるtoshiだった。
4年と約1か月の月日が、
私の心の痛みを喜びに変えた。
私が心から信頼できる人として、
共に歩む人として選んだのがtoshiだったということ。
≪神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠の思いを与えられた。
しかし人は、神が行われるみわざを、
初めから終わりまで見きわめることができない。 伝道者の書9:11 ≫
神様の御業を知るためには、これだけの月日が必要だった。
私には自分を知るために、
自分に向き合うために、
また神様と向き合っていくときに
この「月日と共に」が必要だった。
ちょっぴり寂しいけれど、
「月日と共に」とも今日でお別れ。
今日までありがとう。
「月日と共に」
月日と共に わずかずつでも
主イエスさまに 似た者になれたら
それは 私にとって 一番うれしいこと
朝晩 御顔を 仰いでいれば
主イエスさまに 近づけるでしょうか
もっと あなたのように イエスさま なりたいんです
September 13, 2009
FACING THE GIANTS
今日はJYシアターと題して、
「FACING THE GIANTS」という映画を
JYLC(教会の中高生クラス)で観た。
とあるアメリカの教会が作った作品で、
随所に聖書のエッセンスが詰まっている
ステキな作品だと思う。
ストーリー書いちゃうとネタばれだから
それは描かないことにするけど。
主人公が、どん底と思われる状況に追い込まれた時に
そこでそれを誰かのせいにしたり、
自暴自棄になったりするのではなくて、
もう一度神様と向き合い、「それでも神様を愛するか!?」と
自問自答し、神様を第一とする人生をもう一度選びとる。
これがストーリーを急速に変化させていった。
神様に本気で従っていく人は、
苦難とか困難な状況に本気で追い込まれることがある。
それはただ神様が沈黙を守られているのではなく、
私たちの周りにまとわりつく罪を脱ぎ捨て、
もう一度神様に向き合うチャンスを与えてくださっているということ。
さらに深い交わりへと招いていてくださるということだ。
そうして、神様は物理的な祝福も与えてくださる。(こともある)
ただしその人はその物理的なものに
もう今までのような魅力を感じていないというのはポイントだろう。
これを観る人には、
この映画を通して‘神様にとって不可能なことはない’
と言い続けていることが、
何か御利益宗教のようなことではないことを理解してもらいたい。
とにかく、いい映画だった。
私は好きだな。
≪あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、
キリストのための苦しみをも賜ったのです。 ピリピ1:29 ≫
ちょうど今日の礼拝や夕拝の説教と通ずるところもあった。
私の人生の上に豊かに働かれる神様の動きを、
敏感に感じられるたましいの静けさがほしいなって思う。
September 12, 2009
おいしい話
おばーちゃんお手製の梅ジュースをもらった。
底には少し砂糖が残っていて、
「朝に晩に、全体を混ぜるのよ」
と言われ、
思い出した時に全体をゆすること数日。
おいしい梅ジュースができた。
酸味と甘みが身体にしみわたる。
おいしい。
toshiシェフによる本日のパスタは、、、
「たことトマトのパスタ」。
トマトのジューシーさと、
たこの風味がマッチしてあっさりした中に
赤唐辛子のスパイスが効いていた。
おいしい。
サラダは、hatoko作。
キャベツ、人参、いんげんを茹でて、
胡麻ドレッシングで和えた温野菜サラダ。
おいしい。
昨日、toshiの実家から送られてきた梨。
秀玉といって、この時期にのみ作られていて、
お店には出回っておらず
農園からの直送でしか扱っていないという。
びっくりするほど甘くてやわらかく、
それでいて梨の歯ごたえはしっかりある。
でも噛むと梨の果汁が口いっぱいに広がる。
おいしい。
食欲の秋。
おいしいものを造られた神様に感謝。
September 11, 2009
つなぐ
特技とか賜物とか、そういうのがあまりよくわからない。
中高生の頃はそれが悩みだった。
「これが賜物です」って言える人が羨ましかった。
今は羨ましくはならないものの、
「これ!」って言えるものがないのは変わらない。
とは言え、好きなことはいくつかある。
その一つが、タイトルに書いた「つなぐ」ということ。
人脈は宝って言葉が私の語録にはあるんだけど、
それは損得勘定に基づくものではない。
人と人とがつながっていく、その出会いが好きだということ。
「あの人知ってるよ〜」とか、「私もあの人の友だち」とか。
人を介してつながるのが面白い。
で、「つなぐ」と言うのは私の持ってる財宝を少しおすそ分けすること。
そのおすそわけが、誰かの人生を豊かにする人間関係を
新しく作っていけるとしたらそれは相当嬉しいこと。
昨日は教会の女子高生をhi-b.a.に連れていった。
ちなみに赤羽集会へ。
私自身、hi-b.a.に顔を出すのは数年ぶり。
定期集会に集えたのは看護学生の時だけど、
高校生時代にhi-b.a.のキャンプに参加していた。
そこで得た恵みは多く、
素敵な出会いである財産をたくさん得た。
駅でSとみと待ち合わせ。
駅を出て集会をするところに着くまでにやや迷子になりつつ、
集会が始まる前には会場につけた。
賛美、自己紹介、暗唱聖句、賛美、学び、分かち合い、
賛美、メッセージ、賛美、祈りを持って集会が閉じる。
終わるころにはすっかり馴染んでいたSとみ。
「毎週行く」と目を輝かせて言っていた。
それを見て、私も嬉しくなる。
新しく「つなぐ」ことができたから。
私の高校時代に加えられた宝であるつながりが、
今の女子高生をまた新たな出会いへと「つなぐ」ために役に立った。
持ってるものはどんどん与えていきたいなって思う。
そうやって考えて気づく。
これも賜物なんだろうなって。
神様は高ぶりやすい私を知っていて、
分かりやすい他の人より優れた能力とカを与えなかった。
謙遜になるようにと、
ゆっくり与えられたものを感謝してから
初めて気づくような賜物を与えてくださったんだろうな。
まとまりないけど。。。
おしまい。
≪神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは、御翼のかげに身を避けます。
彼らはあなたの家の豊かさを 心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを、
あなたは彼らに飲ませなさいます。
いのちの泉はあなたにあり、
私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。 詩篇36:7-9 ≫