全く私的な言いたい放題のブログです。社長の学校からの卒業、引退準備を考えて八郷暮らしの隠居としての日記に変更しようと思っています。会社の方は事業継承しつつ、どちらにせよ今までも経営課題は少なかったブログですが、今までの社会貢献活動など個人的な趣味を全面に出す予定です。「百姓倶楽部」が夢だったのですがそれほどのスキルもないので、今までも提唱してきた「SOHO」(この場合、Oはオーガナイゼーションといった組織)的な個人を中心のライフスタイル、ワークスタイルの地域分散ネットワークを考えるといった程度の意味です。

市民・住民、人類・国民

DSC_0152埼玉県の戸田市に関わって35年以上になる。生まれは最近話題の茨城県(いばらき)の日立だが3歳くらいまでで東京の大田区で成長。中学時代に隣の神奈川県川崎市に越し、青春時代は代々木や東中野に住み、また川崎から結婚して家を川口市に持ったことで埼玉県人として生きてきた。
最近少し注目されている「二重居住」生活といえるのか、仕事の事務所がとなりの戸田市にあり、生活のほとんどを戸田市で週末は茨城県の加波山麓のログハウスで過ごしているから、「三重居住生活」ともいえるし、PLバーガーの「故郷喪失者」ともいえる。


神奈川県で暮らしながら学校は東京だったので、地元に幼馴染はいないし、いつだかマスコミの取材で最後に「山中さんはどちらの生まれですか?」と聞かれて「茨城県」と答えたおかげで、しばらく「茨城県出身」といわれて困惑した記憶もある。その意味で都民でも神奈川県民でも茨城県民でもなく、敢えて言うなら「埼玉県人」なのだろうが、いくつもの「県人会」のような組織にはなじめない、中途半端な存在感があり、青春時代に出会った何人かの外国人籍の友人に「在日日本人」だと言っていた時期もある。

学校も中退したり入り直したりでどこかどうしてもよそ者意識が残り、単線型のアイデンティティがないところで、「住民票」がなければ就職できない人や「国籍」が大事な裁判などの経験からも、日本人であることや○○県人であることについては時々考えさせられてきた。ところが一番の基本かと思っていた「戸籍」が住民票より簡単に移すことができて、遊び心で皇居やディズニーランドにすることができると聞いて唖然とした。ない人間には大事なものでも当たり前の人々にとっては後生大事にするほどっでもないものでもある。それでもそれで差別を受け、不当に取り扱われる人間が存在するのも事実である。


以前、『エコノミーとエコロジー』や地域主義でも有名な経済学者の玉野井芳郎(東大名誉教授)と新評論で本を出すときに何回も議論になった人種や民族まで話を広げなくても、生物学、人類学でいうところの「人間」ではなく、集団、地域社会で生きる人々のことをどう言えばいいか、署名の頭につくその存在についてのネーミングで頭を悩ませた。
その後のプラグを抜くシリーズでは『民衆の科学技術を問う』といった「民衆」といった言葉が使われたし、最初の本では『人類の希望』という署名になった。それらの言葉には歴史や階級、思想的な思惑や意思が入り込み、中立客観に表現するのが難しい時代背景もあったかもしれない。

また、前置きが長くなったが、学生時代を思い返すと公害問題が「住民」運動と呼ばれたり「学生運動」から「市民」運動が、やがて「市民活動」という言葉になって定着している気がする。
労働者、国民というと何かそのあとに労組や右翼っぽいに臭いがあるところが、ここには政治的にニュートラルで、一般の市民が日常的に活動するという、行動範囲を広げて柔らかいイメージがあるのだろう。ここでは「市民」は抽象的な存在を表す「人々・人間」を象徴しており、あるときは「都民」であったり、「国民」であったりする。

ただ、具体的な生活から見直すと、地域政治は「有権者」に大きな意味があって、先の住民票登録のある「住民」が主役だろう。だから行政単位での「村民」「町民」「市民」「県民」の上位のくくりに「国民」という存在証明が求められることになる。いわゆる「選挙権」だ。

これはどの領域の政治家にとっても譲れないところで、選挙で当選するためには、自分へ当選してくれる支持者や後援会が重要になってくる訳だし、「民意」といってもあくまでも自分に投票してくれた人々の要望や意見に過ぎない。

相対的には限られたもので、そこへの利益誘導で地方政治は成り立っている場合が大きい。だからむしろ「公共の福祉」への「公僕」としての役人の方が中立であるということにもなる。
実際、首都圏や都会の行政職員の多くが住民ではない可能性が多くなっている時代でもあり、その辺がいわゆる「地方」とは構造的にずれがあるのはやむを得ないだろう。住民の移動も少なく、職員も住民であり、有権者と一致している、いわゆる「田舎」に比べれば、都会の「市民」が必ずしも「住民」ではない場合がるというところに、これからの課題が出てくるのかもしれない。

そのいくつかの視点は、ひとつは在日外国人や観光客など、あるいは短期の労働者や留学生などであり、もうひとつは「企業市民」の存在である、と以前から言ってきた経緯がある。
また、同じ住民であっても、昨日来たばかりのものもいれば、生まれも育ちもという生粋の住民との格差や認識の差である。いわゆる住民の中の格差問題であり、縦軸でいううと、地域内の子供会や学校でない子供たちや、「埼玉都民」といった地域政治に無関心の「故郷喪失」の住民である。むしろ、戸田市などではその人口の方が増えているだろう。

この3つの視点で考えようと思っていたところだが、今日は時間切れになった。

政策立案能力と実行力

kuma3昨日は政府の提唱する「プレミアム・フライディー」とかで午後3時に退社するような話だったが、ゴールデンウイーク前の月末、週末にそんな悠長なことを言っていられる企業はないというのが現実のようで、弊社でも朝から支払いだ、休日前の片づけや準備に追われた。それでも3時までの銀行や法務局が間に合わず積み残しが出てしまった。

そんな中でも明日のCode for TODAのイベント準備と7月の企画会議で公共施設の提案も受けて何とか結論が出て、今までの活動の成果か、教育委員会の後援や教育センター使用までも行けそうな感じでスムーズに新年度が動き始めそうだ。
昼前にはさいたま市の役所に行く用があったので、ついでにときわ会館の労福協での会議にも顔を出した。先に書いた埼玉県災害ボランティア登録制度の変更について、防災会議のメンバーだったNさんと、立正大学のG先生、災害支援部会代表らと杉戸のTさん6人での今後のことを検討することになっていた。
先の民主党政権時代も国会議員さんたちとの報告や議論の中で、結局は「ロビー活動」をしてアイデアを政策にするするには時間と人脈が求められたが、この経験は衆議院のSOHO議連や小泉内閣時代のEジャパン協議会、関東経産局での創業支援やコミュニティビジネス関係など同じ道のりが求められる。
実際、国でも県でも政策立案に当たっては少数の官僚が当たる訳で、大臣や議員、上司や組織の意向を「忖度」しながら作られることになる。当然、情報収集能力やそれまでの学習成果も大事になるが、プロと言えどもこの時代すべてを網羅することが難しいビッグデータの時代であり、多種多様な意見や提案にあふれているのだろう。市でも節約志向の中でのビルト&スクラップの話は、前回の「レガシーかデブリか」で書いているので割愛するが、その中で現実的な政策を立案する苦労は理解できる。

今回の県の制度改革は、既に市民に原案を公表する段階では大方の概要が前提になっており、そこに関与していない以上は既定路線を変えるのは難しいかもしれないが、ともかくもう少し、広く意見やアイデアを集める「研究会」レベルでいいので、交渉して担当者と話し合える機会を作ろうということになった。
そんな話し合いの中で、さすが120万人以上の人口を擁す政令指定都市だけあって、面白い政策立案制度をさいたま市が出していることを聞いた。清水市長は戸田の出身ということもあって、NPOでもあってもらったり、今でもfacebookで活動は時々見ている。それがどんなものかは次の説明がある。「さいたま市提案型公共サービス公民連携制度は、これまで行政が担ってきた事業や今後実施する方針を決定している事業について、民間の皆様からの知恵とアイデアを活用した提案を募集する制度です。
皆様からいただいた提案は、学識経験者等からの専門的助言を参考に審査し、行政で実施するよりも市民にとってプラスになると判断すれば、提案に基づいた事業化を進めていきます」とのことだ。

もっともCode forの活動ではそれでも委員会で議論して仕様をつくり、プロポーザルで採択する時間で既に陳腐化する「ドッグイヤー」時代がゆえに、その場でのアイデアソン、ハッカソンといった手法を出しているところで、本当にオープンガバメントの時代はまだまだ先だろう。

それでもこのさいたま市の方法は、これはもうだいぶ前から言ってきた「市民型政策研究所」の方向であり、戸田市でもMさんやNさんとの政策研究所構想の話し合いで考えられてきた理想形だろう。残念ながら戸田市ではまだ首長の政策立案や検証、せいぜい職員や議員の政策立案への勉強といったスタンスに落ち着いてしまった感があるが、それでも国や県、あるいは大手民間企業など時代的には先進的情報を取り入れることができていて、他の基礎自治体よりはレベルが上がっている気はする。この6年、東北に限らずある地位の方がNPOも知らないという世界も見てきただけに、普段からの勉強や情報収集能力の重要性は痛感してきたから、まだまだ仕方ないところだろう。

ともかくこれからの時代は密室でわずかな情報や意見での政策立案は、「〜フライディー」ではないが、実態の理解が不足しての単なる思い付き的な政策として実行性がないということである。政策を実現、実行する主体も含めて、誰が現実的には担うのか、そのためには「協働型」で行ける政策立案能力が不可欠だということだけは間違いない時代なのだ。もう「権力」で一方的に強制できる時代ではないことは間違いがない。

埼玉県の災害ボランティア

kopa14月22日に埼玉県危機管理防災センターで「埼玉県災害ボランティアネットワーク説明会」なるものが開催された。http://www.pref.saitama.lg.jp/a0401/volunteer.html

これは埼玉県災害ボランティア登録制度が、阪神大震災を契機に作られて22年目になり、当時の設立趣旨と現在の状況が乖離し、現状に合わせた見直しが必要とのことで、内閣府(防災担当)や消防庁主催の「平成28年度災害ボランティア等の活動環境整備に関する研修会」などの影響を受けての国の「新たな共助の担い手ネットワーク事業」といった先進的施策でもあるというところだろう。

つまり、個人的な災害ボランティアのネットワークは県社協に任せて、あるいは各市町村で個人災害ボランティア登録が既に行われていて、各社協の災害ボランティアセンター(VC)設置訓練なども行われて、むしろ、県としては様々な災害ボランティア団体、NPO、NGOのネットワークを支援することになり、従来の登録制度を廃止したいという意向のようだ。それはそれで決して反対ではない。

しかし、最後の方で会場からの的を得た質問が出たが、この数年間はこの制度はほとんど機能していなかった。独自の研修や訓練はおろか名簿すら出さず、自主的な連絡やネットワーク形成すらできなかったことは議会の委員会質問でも明らかになった。この間の反省の弁や謝罪がなかったことは、この際追及はしない。4月になって人事が刷新され、今度の職員がやる気になっているのなら過去のことは責めても仕方ないだろう、ということで問題にはしないという雰囲気だ。だが、見かけだけの改革、何もしない改編では今度も全く意味がないことだけは肝に銘じておきたい。

それでも恐らく国の流れからの今回の動きだと想像できるところだが、基本的に市町村がやっていることと県が屋上屋を重ねるようなレベルではやらなくてもいい、といったような発言があったことは気になる。このことは災害対策の基本が市町村など基礎自治体におかれながら現実には一番の被災者になる可能性の弱小基礎自治体では対応が困難な事例こそが課題なのではないだろうか。
県単位で何ができるか、何を準備しなければならないかの基本コンセプトの理解が乏しいところが問題だ。実際、今回のグループ討論でも熊本支援から帰ってきた方が、「市はあれだけ頑張っているのに県は何もしなかった」という意見が出ていた。熊本では、「日本のどこで震災が起こっても不思議ではない。常に備えよ」という教訓を与えている。そして、その熊本での体験報告でも「何も教訓が活かされていない」という訴えがあった。

そもそも阪神大震災時に作られた制度への理解もどうなっているのか、20年経っての見直しには比較できるコンセプトなり、何を考え、今は何を考えようとしているのかの県としての立ち位置の説明がもっと必要だろう。
個人は基礎自治体に任せて、団体をネットワークして社協に丸投げのように聞き取れるのもあまり感心しない。実際、今回も社協に半分は丸投げに近い実務を任せるという。だが、何回かの県社協との交渉での実感では、そもそも社協は福祉関係の日常業務で、災害対応のプロはいないと断言できる。もちろん、県の担当者も2名では多分同じことだろうと理解はできる。

おまけに、これだけの説明をわずか20分程度で質疑応答もなしに、どこで仕入れたか一般的な「災害ボランティアとは何か」といったワールド・カフェを15分刻みで2回転で、グループごとに討議させ、結果も出せず、1時間で会合を終わる企画は、何も得るものがなかったと言わざるを得ない。
これは災害ボランティアへのわずかな招集企画が、県社協の入門講座の繰り返しであることからも、全く分かっていないという多くの反応だったのは当然だろう。少なくとも私のテーブル参加者の多くは3.11や熊本までの経験者であり、豊富な意見の持ち主でもあった。これらの人材に匹敵する災害対応団体が県内にどれくらいあるのか私は知らない。
422この会の企画のレベルの低さは、実は行政の抱える課題がそのまま出ているとこの数年感じている。それは既に行政の内部的な政策・施策能力が時代に合わない欠点でもある。まずは市民との「協働」以前に、例えば今回の「危機管理部」の職員がどれくらいの市民担当やボランティア担当の経験者であるかといえば、「危機管理」ゆえの自衛隊や消防出身などの専門家、危機管理監とかの立場でで市民との折衝や交流経験がない場合が多い。
だから市民との会合では聞きかじりのワークショップ、DIGやHUGといったゲーム、今回はワールド・カフェといった新し、珍しものでお茶を濁しかねない。確かに各市町村レベルの焼き直しの県での会では仕方ない。まるで金太郎飴のような組織しか作れないのなら非現実的であるだろう。酷いのは既に知り合いの団体やコンサルのいわれるままという場合もあり得る。広く市民の意見を収集するという知恵がない。

さらに言えば、まずは庁内で各担当部署との「協働」がスムーズであるのだろうか、という疑問である。自治会・町会担当、市民担当、ボランティア担当といった普段から市民に接している職員との合同企画であればもう少し違ったのではないだろうか。また、現実に県社協の担当者が代わりにできるのか、消防団、消防や警察のどの担当者が共通理解できているのかの根回しなど可能なのだろうか?各セクションに横串を刺せる指示命令系統の存在があるのか。庁内や関係部局との連携がどのくらいスムースであるのか、まずはそうした内部努力ができる体制やICSのマネジメントの可能性があるのか知りたいところだ。

iryou次に県レベルでの「災害ボランティア」に何を望むのか、そのボランティアの役割とか意味がわかっているのかというところにある。社協への丸投げ同様、災害ボランティア団体といっても実績のあるNPOやNGOを選ぶのは難しい。団体によっては非営利のくせに補助金目当てのような利権にしたい輩もある。そこが請け負って実際、社協と同じ程度の動きしかできない実例もこの数年間は明らかにしなってきている。

県内でどれだけの団体がノウハウを持って実績や知見を有しているのか?ボランティアのレベルが「プロボノ」といわれるようなスキルを持った、かなりわかっている実績のある人材を集める必要がある。特に、今回の3.11以降は「ボランティアの時代」といわれた20年前と異なり、「IT×ボランティア」の時代といわれるように、ITやSNSへの力量は欠かせない。

そして、県の「災害ボランティア」組織は、町会や自治会の有志で作られる「自主防災組織」でもないということである。災害が必ず地域で起こり、基礎自治体と連携して自助・共助・公助までもがスムーズに行われるシナリオなのだろうが、はたしてそうした過去の例が現実なのだろうか。ならば「阪神・淡路大震災から時代が変わった」という認識はどうなっていいるのだろう。3.11での教訓は役場ごと津波で流され、基礎自治体が機能不全になるような被災地になる「広域大規模災害」への対応である。
同時に様々な自治体や団体からの「外部ボランティア」とそれを受け入れる、各被災地における「内部ボランティア」などの「協働型災害対応」の重要性だろう。だからこそ、熊本でまだ様々な事例が報告されるような「ムリ・ムダ・ムラ」のある災害支援のあり方が反省されるべきであり、課題を抽出する必要がある。こうした市町村の自主防災組織では対応できない、県レベルでの災害ボランティアの養成や構築が求められるのである。県の役割は以前に増して大事になってもいる。

3.11、熊本震災での災害ボランティアへの課題はかなり明確になってきた。団体同士の情報共有の場がない、団体活動へのコーディネート機能が不十分、団体が災害対策本部と情報共有する場がない、という欠点を改善したという方向は国も示している。2年ほど前に県の災害対策本部にようやく市民が加わり、時代は確かに大きく変わりつつある。災害が少ないと考えてきた埼玉県でも熊本の例から、いつどこで地震が起こっても不思議ではないという危機感も出てきた。

4年間に及ぶ杉戸町での「首都直下型大規模災害対応」や「協働型災害対応」の経験で自治体職員や災害ボランティア団体も大きく認識が変わりつつある。それは大規模災害時には住民による自主防災組織とは異なる、外部ボランティアや行政などとの広域連携の仕組み作りの重要性であり、そのマネジメントである。そのひとつがICS(インシデント・コマンド・システム)として私たちは位置付けてきた。

この週末、熊本の災害ボランティアセンターが閉鎖された。当日、集まったボランティアは130人を超えたそうだ。それに対し3件だかの支援要請があったというニュースが流れた。多くのボランティアは復旧支援すらできずに災害VCに待機させられたのだろう。これを「ムダ」といわないのだろうか?こうした現状にも疑問を持たないようでは、後を引き継ぐ社協の職員もかわいそうである。災害対応は国や県レベルでの対応と、被災地や基礎自治体との役割の分業が大切だろう。せめて、担当者はその認識をもってほしいものだ。


レガシーかデブリか

174910昨日は市民活動のCode for TODAで「お花見マッピングパーティ」なるもののイベントが生憎の小雨の中開かれた。戸田市ボランティア・市民活動支援センターTOMATOを5年ぶりぐらいに会場にして、1日12.3人で戸田市内の地域を舞台に地図作りワークショップを行った。(写真は戸田市のゆるキャラ「トマピー」との記念写真)
このマッピングパーティは活動というか、運動に近いところで、「市民が自由に使える地域コミュニティの地図を市民自身が作る」というもので、昔から地図は国家の軍事的機密として幕末のシーボルト事件に代表されるように国外に持ち出そうとして捕まる時代もあったくらいで、まさに平和の象徴のような活動でもある。

今では世界的に観光ブームもあって、旅行ガイドや観光名所ガイドブックと登場して、一方で江戸時代の伊能忠敬になぞらえて現代版伊能忠敬のように各地を巡り足で地図を作ろうというメンバーもいて、最近では世界的にも「街歩き」のブームにもなっている。IT時代でのナビゲーションやGPS機能の発展も影響しているのだろう。
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/doyu009/imgs/b/6/b6b219b4.jpg" title="17495" target="_blank">17495地図では日本では国土地理院の白地図がベースとなって、住宅地図メーカーのゼンリンとか最近の宇宙からや航空写真のGoogleやYahoo Map、ドローンでの測量手法なども話題だが、白地図以外は各メーカーに著作権や知的所有権があり、印刷しての二次配布が禁止されていたり、申請して許諾を必要とするもので、企業や店舗はもとより行政や警察までもが違法なコピーが問題にもなっている。

そこで市民が自由に、そしてコミュニティ情報満載の「地域でみんなで地図を作る」という活動が注目されているという訳だ。これには3.11などの災害時や防災マップ作りなども影響していて、私の体験からも3.11大震災時でいち早くGoogle Mapが避難所をマッピングしてくれたが、肝心のコンテンツ、いわゆる詳細情報(現在避難者人数や物資の状況など)現場で書き込みアップできる人材難で、4月には使い物にならないスカスカ地図になっていた。牡鹿半島でも「通行止め」情報だったが、行くとジモチー(地元の方)から入れることを聞いて目的地まで行けたという経験がある。
つまり、一度作った地図は、常にブラッシュアップされ、地域情報が発信されなければ無用の長物になることもある。特に、区画整理されている戸田駅周辺などは道路もビルもないままの地図さえあるのは、街の行政としてはいかがなものだろう。まさに「地図は生き物」なのだろう。
17491さて、カタカナ用語ばやりで恐縮だが、最近オリンピックでも話題の「レガシー(遺産)」と宇宙ゴミや原発ゴミで使われる「デブリ(ゴミ)」の話題が身近でも登場することがあるが、まちづくりでは助成金や補助金で作った「遺物」はまさにこの話題にピッタリではないだろうか。イニシャルコストだけの予算で、助成金の切れ目が縁の切れ目で2年目、3年目と、長いものでは数年前のものがそのまま残って掲載されているサイトや地図がある。わずかなラーニングコストでいいから計画的にブラッシュアップして財産として残すならばまさに「レガシー(遺産)」になるところを、ただ単にキャッシュとして手つかずでまさにネット・デブリ(ゴミ)として醜態をさらすのは情けない。ここは市民との「協働」が不可欠な領域なのだろう。

地図を所管する専用のセクションが少ない行政だが、戸田市では「市民ガイド」という公共施設が載っている地図は政策秘書課が、その他の電子データーの「eとだマップ」は各課が作ったり利用するところを管理だけが情報政策課が行っているようだ。IT先進の戸田市だが、残念ながらまだ市民が自由に使える地図はないように見受けられる。
また、数年前に作られた「お店マップ」などは、検索エンジンでかなり上位にありながら、どういう経緯で出来たかすら忘れられ、直したいと要望しても誰も手出しもできず、とうとう「デブリ」になってしまった感じだが、これこそ市内の業者や市民がもう一度手作りで「再生」させられればと願っているところだ。
16特に、埼京線が出来て30年、戸田駅前商店会はもとより、60店舗以上が集まっている戸田公園駅前商店会もなく、3駅に中心市街地的な政策がないのも何か不思議な気がするところでもある。もう既に人がいなくなったような、西川口へのバス道路圏の古い商店会がいまだに存在し、新しい商店会が生まれないところにも戸田の企業や商店に対する経済振興策に疑問符をつけたい気分になる。

こうした地図作りは一時の助成金や補助金に終わらずに継続的に行政との「協働」関係が大切であり、マッピングパーティ方式のような、次の時代につなぐ、広がる「レガシー」にしたいものだ。その他の市民活動で作られたものも漫然と助成金を出し続けているものも多く、今ではほとんどが無償のものに代わっているICT時代に、だれも管理しないという点では、リオのオリンピックでの建物などのように負の遺産としての「デブリ」になっている。このやり方でこれからも費用対効果の決断をしない政治が、せっかくの「レガシー」を「デブリ」にしていくのだろう。悲しいかな。

シン・ゴジラ

fainal今更だが、あまりゲームに関心がないというか、やった経験が少ないのだが、娘との話のついでに、「ともかくゲームはいいから映像だけでも見てごらんよ」といわれて『ファイナルファンタジー』のDVDを見ることになった。内容は昔の『スターウォーズ』のようなものだった感じだが(こういうと「違いの分からない老人と非難されそうだが)確かに3D映像の進化に改めて驚かされた。

最近アニメのいくつかが話題で時間があれば見たい作品が2・3あるのだがなかなか暇を創れない。防災関係からも『シン・ゴジラ』を見ておけという意見もあった。

考えてみると親父が映画関係で生まれも日立の映画館というかなり映画とは切れない関係でB級、C級だろうが、今でも時間がゆるせば深夜にBSなどを観てしまう。それでもわざわざ映画館に出向く時間がない。それほどの興味がないのだろう。それでついでに考えてみると、自分の情報を得るメディアは、確実にインターネットが主流になっている。まずはSNSで、次にテレビ、ラジオ、本か雑誌、ビデオや新聞といった順番だろうか。

まだまだネット時代といわれようが実質ネットやSNS人口がどのくらいなのかはわからないがすべての国民などとは決して言えないし、本当にわずかな人数に過ぎないだろう。それでも経済的なメジャーであり、多分、若者層の浸透率はすごいものになっていると想像できる。情報社会で食っている、生きている人間にとってはまさに生活そのものになっているのも理解できる。世界はそれで回っている。

映像の進化やSNS,インターネットの激変はまさに小泉さんが内閣の頃の「IT革命」の真っ最中であり、世の中がライフスタイルを含めて革命的な激動の時代に入っていることを実感させるだろう。ついて行けるかいけないかどころではなく否応なくAIやロボットなどと共になくてはならないツール(道具)、テクノロジーとして世界を席巻することは間違いがない。

話は変わるが、今年度4月〜のNHK朝の連続ドラマは茨城県が舞台の「ひよっこ」だが、この60年代の東京オリンピック時代のドラマは日本の高度経済成長や劇的な変化を教えるのではないだろうか? お隣の電話を借りたり、交換台が出たりとこのわずかな時代での変化を思い出すだけで、いまや「ダイヤル回す」や「巻き戻して」などの言葉も通じない変化にどう高齢者がついて行けるかを逆に若い人に伝えてくれるのかもしれない。
http://www.nhk.or.jp/mito/hiyokko/
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さてさて、いつものように脱線で前置きで終わりそうだが、最近勧められた映画のDVDになったというのでレンタルしてきた『シン・ゴジラ』を観た。感想は、特撮や映像がすごいのかと思っていたところで、まるで舞台劇のような登場人物の役割やセリフばかりの人物像の作品だったという意外性であった。
確かに、「ゴジラ」という野生生物を地震や津波という自然災害とすれば、まるでそのまま東京直下、首都圏を襲う大災害にどう「政治」が対応し取り組むかのシュミレーションのようなドラマである。しかもそのプロセスは、時代の激動の中にあまり変わっていない組織や人々の意識、考え方と現実とのせめぎ合いであり、時代に対応した意識改革の重要性を再認識させるものだろう。
もう時代のスピードに人々の意識が追い付かないのだろうか?gijira

いくつかの評論がある。参考に http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434

組織とマネジメント

67972_mediumここ最近は災害ボランティアの活動でICS(米国のインシデント・コマンド・システム)という災害マネジメントに関心がある。
もともとは東日本での体験から、その振り返りやブラッシュアップの意味を込めていくつかのセミナーや災害ボランティア養成講座などを受講したり、今では神戸震災以来、当時の官房長官であった石原信雄氏が尽力されてきた歴史のある公益社団法人などにも関与することになった。

ICSに関しては、漠然とした知識程度だったが、前の在日米軍消防本部次長(日本人トップ)の熊丸さん、岩手県災害対策本部に入ったDMATでもある秋富先生、ナホトカ石油流出以来の立正大学の後藤先生や現実に海上救難事故でICSを導入している現場を指揮している海上災害防止センター(MDPC)の萩原さんのお話などで関心を高めて、ICS学習会やアメリカのFEMAからのwebプログラム、eラーニングの翻訳にトライするなどで独学してきた感じだった。苦労して取り組んでいたところだった。

ところが、遅まきながらさすが厚労省、日本医師会が翻訳本を「ガイドブック」として出版していたことを今更知ったところだが、DMATの秋富先生が岩手県に導入している実績から言っても、あるいは石巻日赤病院などのビデオから見ても現在一番ICSを採用できるのは医療従事者であり、厚労省や医師会が既に取り組んでいたとしても不思議ではないだろう。
せっかくだから、今度はこれを基に日本版、災害ボランティアへの啓発を考えることにしようという気になっている。本場アメリカのeラーニングを学び、学位を取るといったことも意味はあるだろうが、他方、ある程度の知見や知識を得た段階で、日本の現実の中に活かせられるのか、できないとすれば何が原因や課題なのかを考えることの方に意味があるとも考える。

もうひとつこの取り組みで学んできたことは、アメリカは災害や事故の規模に応じて分類し、Incident, Emergency, Disaster, Crisisの4段階に分けているが、災害のマネジメントでなぜ規模の小さな「Incident Command System」なのかというと、一番小さな災害事故やイベント運用のシステムを学習することでどんな種類の大規模災害まで対応できる「組織」をオーガナイズするトレーニングの基本としているのではないだろうかということだ。つまり、マネジメント論の基本であり、マスターすべき基本スキルに通じる気がするのだ。

今の反トランプではないが、アメリカの建国は移民の寄せ集めであり、多言語多民族の連邦制という人類の実験的な国家であって、本当のネイティブといったらアメリカインディアンしかいないことになる。つまり、移民の白人コミュニティがその敵対から同化や黒人奴隷解放、ヒスパニックの大量移民を国力として現在のアメリカ民主国家が形成されてきたわけで、その根幹はコミュニティ・オーガナイゼーションにあると同時に、ボトムアップの意見や活動を、法や連邦国家というトップダウンでのマネジメントにあると言えないだろうか。
また、アメリカの大規模災害、山火事、ハリケーン、地震などは州境やカナダ、メキシコの国境を超えての規模であり、それらの対応をどう一元的に処理できるかという30年以上の苦難の歴史をブッシュ政権の9.11を契機に大統領令で一気にICSが完成したといわれる。

米国が連邦制で各州は独自に法や兵力も持ち、西部劇時代から各コミュニティが独自に文化やルール、自治組織を作りあげてきている。保安官制度や教会など住民との自治権とも密接に関係ある。それらの一方で、在郷軍人会の力で一方で連邦政府との連携も住民パワーに大きくかかわっている。こうした中で政府機関であるFEMAも自主防災組織であるCERTも、ボランティアの力に大きくかかわると共に、アメリカ住民としてのアイデンティティを育成する装置としても機能しているのではないだろうか。
要するに、暗黙知が共有されない新住民にも基本的にこの訓練や組織を共有することで、いざという危機対応だけでなく、普段からのコミュニティを作りあげる効果があるのではないかということだ。日常的に組織力を向上することで、非日常的なイベントや災害対応を効率的にマネジメントするスキルとして住民が、新しいコミュニティを形成する力になると思えるのだ。

そこで思い出すのがマネジメントの神様でもあるピーター・F・ドラッカーである。ドラッカーは民間企業のマネジメント論をたくさん書いているが、後半、そうした営利組織だけでなく、政府やNPOといった非営利セクターのマネジメント論の著作も多くなり、組織を作るリーダーシップの条件などにも大いに語っている。iryou
今回、4回目になる災害ボランティア、行政や消防、警察などの組織との「協働型災害対応訓練」を経験して気がついたことだが、どうもICSを大規模災害時の各組織の連携マネジメントとしてどう理解し活用できるかにとらわれ過ぎていたことだ。このイベント自体はICSを全く生かしていず、実際の避難所や災害VC設置、運営上での課題をそのままで、レベル的には町内会のイベントレベルである。

これは災害対応に限らず、世の多くの営利セクターでない組織、イベントに見られる共通の課題が山積みだという実感である。地域でのイベントの多くが、現場での事前準備での消防、警察対応に始まり、首長や議員といった来賓接待、マスコミ対応、思い付き的なイベントフローで、何とか乗り切っての振り返り(自己評価)の貧しさからは次回への改善が見られず、毎回、同じレベルからは脱しきれない。多くの行政主導のイベントや祭りはこのパターンだろう。

ICSを現実的に「協働型」に導入するには、現状の日本の組織や政治的にはアメリカ以上に年数がかかりそうだが、ありとあらゆる非営利セクターや小さなイベントを作る、あるいは街づくりに応用できるマネジメント論として活用していくことで、様々な組織のイノベーションに資するのではないだろうか。まずは基本に戻り、きちんとマネジメント論として学習しつつ、具体的な単位や現場での実践に耐える理論的な研鑽が大切なのかもしれない。現場で使えなければなんの意味もないのだろう。

この反省をきちんととらえなければ、多分、民主主義の醸成という組織作りのイノベーションは難しい。実はICSはそうした登竜門のマネジメント、自己管理論の話なのかもしれない。実戦は奥が深い。いい勉強になる。

いつか来た道

trump20日、第45代アメリカ合衆国大統領にとうとうあのトランプが就任した。その演説、その後の矢継ぎ早な政策発表は恐れられていた保護主義、アメリカ第一主義、軍拡のナショナリズムへと未来の時代に逆行するそのものの認識に満ちていた。
人類の人口が25億人程度だった時代から急激に増大し、60億を超えあと数十年で90億人を超えるといわれている。今の先進国のようなライフスタイルをすべての人々がとろうとすると地球があと2つほどないと環境破壊で人類は滅亡するとも。そんな地球存亡の時代へ向かいつつある現実の中で、このわずかな期間に新自由主義やネオコン、市場原理主義台頭で経済格差、貧困、イデオロギー的な冷戦構造から体制収斂で世界が人種や宗教に分断された先祖返りも始まっている。その中心課題は何だろうか?

日本人が好きだったマグロやサバが資源枯渇だけでなく、大量な外国人の食文化の移り変わりで食べられなくなる時代も来るだろう。インバウントだ、観光立国だと喜んでいるが、もし、中国人の半分の6億人がマグロを日本人と同じように食べたいといわれてそれが実現できるのだろうか。この数十年で国内の格差や貧困は確実に広まっている。若者にどんな未来を描けるのだろうか。大人たちは子供たちに希望を、理想を語れるのだろうか。いまや幕末、明治維新期、高度経済成長時代以上の地方と大都市の格差も広がり、消滅市町村も出てくる時代でもある。「

私が子どもの頃、1ドルは360円の固定為替だった。アメリカに留学するにもフルブライトなどの恩恵や高額な持参金が出せる裕福なエリートしか可能性は低かった。私たちの世代はまさに「アメリカ至上主義」「アメリカンナイズ」されて育った。米国の小麦、脱脂粉乳がなければ成長できなかったろう。米国は富の象徴、アメリカ大統領はその成長のシンボルであり、ケネディ大統領の暗殺は子ども心に大きなインパクトを与えた。
高度経済成長時代、憧れはアメリカ音楽であり、IBリーグのスタイルだった。でもアジアからの留学生が年収1千万円とかの保証人の日本人がいなければという話も聞いた。戦後生まれの子供たちは貧しさと勢いづく高度成長の中で「戦争を知らない子供たち」と呼ばれ、アメリカの核や軍事力守られながら、沖縄やベトナムの犠牲に「反安保」闘争を繰り返すしか術もなかった。
それが、「Japan as No.1」「世界第二位の経済大国(いまは中国に抜かれているが)」になった。貧困格差が広がったとはいえ、国内で餓死者が出るまでではない。世界に目をやれば相対的でない絶対的貧困格差はレベルが違うだろう。それでも最近の報告にあるように、世界のトップ8人の総資産が38億人の暮らしと同じ資産であるとも言われる。
先進国での中流階級の没落は、従来のやり方では自分たちがそうした世界の貧困層になるか、先進国のトップ層に近いところで生きていけるかの選択の願望を政治に投影することで押しとどめようとしているように見える。今の先進国の要望は、世界から搾取しながら自分たちは安全に暮らしたいという保護主義が台頭しているは、自分たちのライフスタイルを守りたい、経済的なトップ層に入りたいという利己主義だろう。それでもいつか世界はアメリカが与えてきた日本の繁栄のように、先進国が世界を平和で豊かな、民主主義の価値観を共有する「地球人」へと収斂させていくのではないかという淡い期待を持っていた。
しかし、今や金の亡者が「自分さえよければ」と欲ボケ、平和ボケでグローバリゼーションが生んできた人口の流動化や多種多様な価値観への寛容さを犠牲にする政治を招いている。それが今のアメリカではないだろうか。だが待てよ。この間に見るグローバリゼーションとローカリゼーションとの戦いは、本物なのだろうか?各民族や人種、宗教の違う人間が、「国境」という人為的な壁にお互いを孤立していくことで、この境界のない環境破壊や自然災害の世界で生きていける時代なのだろうか?どちらが理想で、どちらが現実なのか。ここはゆっくり人類としての過去の検証、歴史を見ていくことが大切なのではないだろうか?

hitraトランプ大統領の演説を聞いていてナチスのヒトラーを連想したのは私だけではないだろう。歴史上、ヒトラーが世界的な悲劇を生んだことは知られているが、当時の理想的な民主的ワイマール憲法下で選ばれたヒトラーが、憲法改正していく中で独裁者になっていく道はあまり検証されていないのではないだろうか。第一次世界大戦後の1930年代、疲弊し貧困にあえぐドイツ国民に向けて、高額な戦後賠償を、自分たちの富が先進国に搾取されてると説き、金持ちの象徴でもあるユダヤ人を敵視、民族浄化で自分たちの正統性を訴えることで誇りと愛国主義を目覚めさせ、労働階級の生活向上に期待を持たせる侵略戦争に手を出す。
日本もまたABCD包囲陣など当時の世界的な保護主義の中での先進国ブロック経済の打破を目指して、自国の利益のみに集中することでの朝鮮・中国・アジアへの侵略戦争を正当化していく。

これが第二次世界大戦への「いつか来た道」でもある。

しかし、実のところ、今のグローバリズムも、例えばアメリカの対中国貿易赤字の多くはアメリカ大企業の中国進出企業からの逆輸入で、国家のお金を大企業がむしり取っている構造ではないか。日本においても海外へ生産拠点を移し、現地での搾取を国内での貿易赤字に転換させ、両方からの収奪で一人勝ちしている大企業が、税金もあらゆる手段で逃れて、タックスヘブンも大いに活用している「富の集中構造」にある。彼らは無国籍企業、多国籍企業としてあらゆるリソースや手段、メディアを活用して、自分たちのグローバル戦略を世界標準にし、それを目標として追従する中小企業、国民の願望を演出しているのではないだろうか。そこから零れ落ちる「利益」に群がる人々、政治家がこの道へいつでも国家を道案内する。

民主主義を守るのは勉強が必要なのだ。賢い人民のみがまさに民主主義を育てるのだろう。

神は細部に宿る

main02最近のNHK朝ドラは、戦中・戦後の女性を主人公にしたものが続いている。「ととねぇちゃん」は戦後、雑誌「暮らしの手帖」を出版した女性起業家であり、いまの「べっぴんさん」も神戸のお嬢様が戦後子供服で成功した女性の物語である。両方ともちょうど母の人生と同じ時代でもある。

特に主人公が女学校時代のシーンでは、数年前に亡くなった母を思い出した。85歳で認知症で亡くなるずっと前に、幼い少女がおばあちゃんの娘時代の写真を見ながら「おばあちゃんも少女の時があったの?」と不思議そうに尋ねた話をしていたことがある。女学校時代の新制学校から旧制の先輩にもOG会のお知らせが来ると出かけたがった。女学校時代が彼女にとって一番楽しい時代だったのだろうか。今やっているドラマでは母の少女時代を連想させる。神戸と日立という港町で、高台のお屋敷が爆撃や(母の場合は)艦砲射撃で焼け落ち、母方の祖父はすべてを失って終戦を迎える。

母は大正生まれで東京育ち。小学校は向島小学校卒で戦前に茨城県に引っ越し日立高女を出ている。母は親父ほど詳しい話はしなかったが、祖父は浅草で映画館を経営していて、祖母は本願寺僧侶の娘で幼稚園の園長をしていたと聞いた。曾祖父は江戸詰めの因島辺りの小藩の武士で帯刀をした写真が残っていた記憶がある。だからか祖父も庭で弓の稽古をしていた。
祖父は関東大震災で東京から疎開して日立で成功したらしい。日立や下館、結城、古賀などに映画館を持っていて、日立の高台にあったお屋敷は玄関の土間だけでも私が育っていた家ほどもあったと子供のころ話してくれたことがある。その時代には珍しいステレオタイプの蓄音機があったり、洋室のベットの部屋で寝起きしたと私を羨ましがらせた。

「べっぴんさん」の主人公は母より数年先輩で終戦時に子持ちだが、母は日立を焼け出されて近くの久慈浜の映画館で親父と結婚。数年後、私はその小屋(映画館をこう呼ぶ)で生まれた。祖母の兄弟は10人と大家族だったらしいが、母も2男5女の兄弟姉妹の上から3人が姉妹の次女だった。長女は大妻を出て久慈浜の大きな網元の嫁に、三女は久慈浜の土産物屋の息子と駆け落ちして今でも青森県八戸に生きているが、そんな境遇で幼い妹、弟の面倒を見ながら祖父の手伝いで小屋の支配人や各館の経営を女だてらに頑張っていたそうだ。だからか勝ち気で家庭的というよりは男勝りで外で働く方が性にあっている感じだった。戦後の混乱期を乗り切ると高度経済成長前に一族のごたごた、いつの間にか映画界がテレビ時代で斜陽産業に。いつまでも働き詰めでオンナらしい暮らしの姿を覚えていない。
eye-cだからこそなのか、今ならPTSDかとも思える艦砲射撃の恐怖で女学校時代の友人の戦死などもありながら、あの時代でも女学校時代が一番楽しい時期だったと思わせるような話をしていた記憶がある。

戦争や大震災が長い時期、女性の精神的な影響やストレスを与えてくるというテーマを今度のNHK特集でやるそうだが、最近、話題なのはもう一つの悲惨な体験の中でも生き生きと「普通の暮らし」が、今の戦争を知らない世代にも通じる、つながることを教えているアニメ「この世界の片隅に」という作品だろう。残念ながらまだ見ていないのだが、制作の視点を聞くと、まさに片隅の片隅でも、そこに普通の人間が暮らし、普通の生活や家族がいるとしたら、恐らくそこには人間的な笑いや涙や、楽しい家族や近所の人々との「平和な生活」があったのだろうと想像できる。
そう母の戦時中の暮らしを想像すると、母にも可愛い少女時代があり、笑い転げた仲間や姉妹との暮らしがあり、それはそのまま私自身のたわいもない平凡な毎日につながっている。戦時中の日本人が何か特別な存在ではなく、もう一人の自分と同じであり、逆説的に今の暮らしが知らずに戦争という特別な時代にふわっと入りこんでしまう可能性があるのかもしれない。
時間の連続性を意識するのと同じように、シリア人やトルコ人という全く異なる人間たちが、その子供たちがこの時間にも爆撃や砲弾で死傷していることも、同じ日々の営みや食べること、家族の団欒といった毎日の暮らしがつながっている気がする。地球が続いていること。同時代であること。それを意識するのは自分が食事をし、暖かい家で眠ることを誰もができているのか、ちょっと想像することで気が付く。
まさに「神は細部に宿る」のだろう。
平和はそうした共通の「思い」から、守るための行動が大切なのだ。今日はちょっと母の記憶をとどめてみたい。

平成29年正月

DSC_0071このブログを書くのは実に半年ぶりだ。月に1回はと言いながら叶えなかった。奇しくも前回は市民活動の友人の13回忌だった。
この間の市民活動といえば、2011年の東日本大震災を契機にそれまでのどちらかというと行政との協働型まちづくりから、言い換えれば阪神大震災でのNPO元年といわれたやり方からかなり方向性が変わったと感じる。
この5年、ICT推進や環境問題、障がい者雇用、NPOなどの活動の総括ともいえる時期になったし、行政からもある距離感がでている。それは組織的だけでなく、こうしたブログやfacebookでの情報発信も含めて、各SNS自体、ある程度の整理やクロージングの時期になったのかもしれない。
同時にこの5年間は、会社や区画整理での移転、新築の問題、事業継承といった仕事面。母や義姉、昨年の親父と幾人かの親しい友人の死といくつもの激動の期間でもあった気がする。

この正月は親父の喪中ということもあって正月らしいことは控えていたが、昨年までのお礼もあってとりあえず初詣には出かけた。昨年は親父の介護を中心に考えようとしていたことで人に任せ切りだったことの反省もあって、正月三が日とこの連休は八郷のログハウスで山積する課題の整理や仕事をする予定だったが、どうも生来の怠け者でやはり事務所でないとどうも趣味的な方向に寄り道してしまう。今年こそはと言い訳しつつ、今日のところは諦めて、相変わらずぼーっと窓からの眺めで薪ストーブで暖まり、のんきなブログで脱線することにした。
DSC_0072ログハウスのある山が加波山といい、地元の神様が加波山神社というので、この25年以上を氏神様としてお参りしているのだが、本殿は山頂にあり、行くのが大変で、隣村にある大塚拝殿や義母の故郷である真壁町の一合目にある拝殿などで済まして、国道50号線N沿いにある常陸国出雲大社に詣でるのが決まりだ。時間があるときは雨引観音などにも寄るが、今年も出雲大社と加波山神社で拝み、お札を新しくしてきた。
面白いことにこの二社とも拝礼が、普通は「二礼二拍手一礼」なのにここでは「ニ礼四拍手一礼」だ。偶然なのかはまだ調べていないところだが、出雲大社がなぜこの茨城県(笠間市)福原に来たのかというところは、日立生まれの身としてはいささか関心がある。
まず、出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は神代の昔、常世之国(常陸国・ひたちのくに)の少名彦那神(すくなひこなのかみ)と共に国づくりに奔走し、古来より日が生まれ立ち上がる処とされていた「常陸国(日立)」が、日が沈み休まる「出雲国(いずものくに)」とを結ぶ東西軸の起点でもある「蘇り」の象徴の縁があるという。
神話にあるように、やがて大国主命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国土を捧げてしまい、以後、国土の守護神、土地、農業漁業、医療や縁結びの「だいこくさま」として位置付けられてきた。神様同士が戦いに明け暮れて、出雲が平定され国を譲り、常陸国でもヤマトタケルが進攻、やがて国家が統一されるという過程なのだろう。近所には橘姫の墓だか猿田彦の名をとった小学校など古跡も多い。
同じ八郷に暮らす元筑波大の岩崎先生は自分の落日荘を起点に方位学的に近隣の山や位置を図解していて、いつかGISなども駆使してこっちのログハウス(日の出荘?)との位置関係など物語風に探るのが楽しみにもなっているところだが、義母も天狗党や加波山事件など郷土史を調べていたことを思い出すと、こうした地域の歴史探訪も興味が尽きない。私のように故郷喪失者には一種の憧憬もあるのだろうか。

ともかく今や神々は争うことなく、各神社のお札やお守りはそれぞれの役割や分に応じての守護神となり、八百万の神が共存共栄するそうだ。
今年は戦後70年を過ぎ、世界動乱の80年周期説もあるという。戦争は100年祟るとも聞く。アメリカがトランプに代わり、中東問題や難民問題が世界を混乱に導くのか、それとも世界は大国や強国の論理でない、多種多様な小さな国々の寛容に導かれて全く異なる政治力学によってグローバルな人類共有すべき価値観に導かれるのか。初詣にいろいろと考えさせられる、歴史のターニングポイントのような気がした。世界が平和でありますように。

13回忌と市民活動

DSC_0071先月の終わりに、まちづくりNPOのKさんが音頭をとって、戸田市の元課長Mさんの13回忌のささやかな催しが海善寺の墓前で開かれた。7回忌には地元の議員さんなども集まって、また別に市職員の集まりもあったようだったが、今回は夜に市役所の元部下たちとの飲み会が予定されていたが、こうしたことを忘れずに企画し、律儀に連絡してくれるNPOのKさんの健気さにも頭が下がる。

彼との付き合いは死ぬ前の5年ほどと考えるともう亡くなってからの方が長いことを改めて考える。彼の葬儀には一介の市職員の葬儀とは思えない、市長などの高名な人物のものかと見間違うほどの盛大なもので、誰もがその列席者の多さに驚いたものだった。多くが市民活動の担い手たちだったと思う。
今回の参加者も戸田市の市民活動を継続的に担ってきた人たちだが、そういう意味では彼は戸田市の市民活動の先駆者であり、「協働」の開拓者でとあった言えるだろう。あれから市内のNPOや市民の活動や動き、行政との協働事業は進展してきたのだろうか?

その後の市内の市民活動の経緯や歴史を見ると、まさに彼の死期が戸田市の「市民活動元年」だったともいえるのではないかとしみじみ思える。
彼との出会いは、課長になる前の笹目コミュニティセンターでのIT関係のフォローの作業を手伝ったことだった。こちらは小泉内閣での市内のIT講習を受託したことや市職員研修を担当していたこともあり、生涯学習課や情報統計課といった部局、特に公民館や町内会館、市長部局外の学校、教育委員会とも事業者としてのかかわりがあった。その中で勤務外にしこしこ作業をする彼に協力しての関係から、同い年、同じ家族構成など近親感もわき、彼がコミュニティ推進の課長になる頃には、当時の若き市長のアイデア箱として地域通貨懇話会、地域福祉計画やインキュベーション施設、第三次振興計画といくつもの市民委員会に参画することになった。
元々商工会のIT研究会や「戸田市電脳化計画」「SOHOによるまちづくり」ということで、国や県の仕事、Eジャパン協議会や財団法人日本SOHO協会などに携わっていたこともあり、戸田市で組合を作り、仲間から議員も出したりで、また、総務省のITSSP事業、関東経済産業局の市民コンサルタント養成講座を市内で展開していたことで市民活動に参加、身近な行政との協働型事業化には積極的に対応してきたところで、両者が水を得た魚のように、様々な企画、計画に手を出した。
彼は役所の人間としては型破りで、自分のテリトリーを軽々乗り越え、各課を横断、横串を刺して市民側のニーズに応える人間だった。自分を戸田市の「インディアン」と称して土着の感情や人脈を大事にしつつ、勃興する新住民や企業市民にも大きな力を与える行動をとってくれた。本来なら担当でもない市民の100人委員会の多様な分野を開拓し、廃食油回収してバイオ燃料で地域通貨利用のコミュニティバスを走らせ、ITでのコミュニティ活性化、ポータルサイトづくり、リアルな拠点整備や総合的な街づくりの視点を持っていた。だから出来立てのKさんのNPOなども支援してきたし、コミュニティ・ビジネスの走りの市民の店舗づくりにも助成金などを出す仕組みを作った。一緒に自由が丘、所沢、遠くはつくば市の農研といったところまで、市役所のワゴンを運転して視察や見学にも出かける行動力は、並みの市役職員ではなかった。

各課の垣根を超えて、市内の市民活動による活性化のために、ITとリアルな拠点、公民館やコミュニティ・センターのネットワーク、活動資金援助の助成金や地域通貨活用、地域福祉の充実といった施策のために市民パワーをどう結びつけるか、まさに市民との「協働事業」のあり方を模索してきたといえるだろう。
私もいくつかのアイデアをぶつけては議論し、時にはいくつかの助成金を探してきて、担当部署が机の引き出しにしまっていたものを彼と強引に出させて書いたりした。彼も市民パワーを利用するように、私も彼の行政マンとしての立場を利用させてもらった。

彼の死ぬ直前の週末にも、各課の分野を超えた課長会議を設定してもらって、例のバイオ燃料活用バスの運行の議題を話し合う予定が入っていた。彼の突然の死は、それこそ寝耳に水の衝撃を与えた。しばらくは茫然自失に近かったが、その後、彼が戸田市内の市民活動へのいくつもの宿題を与えたのだと思い、「懇話会はやるけど運営委員はやらないよ」といってい委員を引き受け、エコライフDAYとだ実行委員も10年も続けてしまった。

最近、中小企業の社長は議員と同じように出所進退は自分が判断するとはいえ、会社も定年を迎え、役所で言えば再任用の5年も過ぎて、そろそろクロージング時期かと考えているところで、それぞれ10年以上になる自分の組合やNPOも解散し、いくつかの役員も降り始めるところだ。恩師の日本ボランティア学会も閉鎖になり、今まで勉強させてもらってきた、ベンチャー学会、NPO学会、エネルギー学会といった資料も整理し、少し片付けに入ろうと思っている。
その意味でも一定の市民活動の時代をわずかでも担える役目を果たせてきたのも彼の与えてくれた「宿題」のおかげかもしれない。

最期のこの5年間は、東日本大震災から来る「災害対応」のボランティアにおわれたが、それも、ここへきて病気や体力の限界もあり、ICSの導入やアメリカのFEMAやCERTの日本への移植の難しさも痛感しているところで、そろそろ市民活動も整理し、どうクローズしていくか、夜の飲み会では、若い頃から「南の島の別荘暮らし」が理想だと言っていた、今ではそれぞれお偉いさんになっている市職員の相変わらずの愚痴を聞きながら、そういえば長期政権を否定していた市長も、高齢になりながら、相変わらず「降臨」しないまま、老害にならずにどこに落ち着くのかと心配しながら、久しぶりの楽しい飲み会にかなり酔っ払いながら寝付いてしまった。
そろそろ人生そのもののクロージングのあり方を考えるべき時代なのだろう。

久しぶりのブログだが、この長さはfacebookには書けないだろう。便利なものは、軽薄・短小と相場が決まっている(?)のか。13年に至らない、新しい市民の活動に期待したいものだ。
ちなみに、いつものメンバーで昔話もいいが、それだけでは未来が見えないので、あえて組合の代わりに市民活動のボランティアとして立ち上げたCode for TODAのIさん、子のところの支援担当で頑張っている慶応の学生ベンチャーで、オレンジキューブの入居者の若い、ちょうど孫の年齢に当たりそうな生きのいい若者2人を紹介して、新しい仲間も増えたところで、その期待が広がった夜だった。

哲学の道について

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思い付き的なSNSでなく、じっくり考察したロングバージョンで書こうと思いながら、なかなか時間が作れず相変わらず追われてしまう毎日から抜けきれない。それでもブログを時々書き続けることを忘れないようにしようと今朝は早起きで書き始める。
まず「哲学」という学問に魅かれ、勉強しようと思った動機というか、出会いについてだ。哲学とは何かといった根本的なことは後回しで、思いつくままつれづれにといったところは諦めよう。

現国の教師に印象に残る二人の先生がいる。高一の初めての授業に登場したのは退職前の白髪の、いかにも現国、小説家かといった風貌の初老の男性教諭だ。ざわつく教室にはいるなり自己紹介もなく出席を取ると、いきなり教科書の巻頭にあった高村幸太郎の詩を高らかに朗読した。「若いのはいい。若いのはいい。何かがやりたくて、やりたくて…」といった始まりだった。ここでクラスの男子は大爆笑する。

素っ頓狂なパフォーマンスにだけではない。この「何かがやりたくて、やりたくて」という言葉にだ。ちょうど多感な年代の少年たちがこの言葉から想像する共通の内容からといってもいい。共通の想いにだ。この教師の学者風の井出達とのギャップだったかもしれない。

DSC_0804もう一人は、転校して卒業前に授業時間不足の赤点で留年するぞと脅かした中年でバリバリといった男性の国語教師だった。授業も「お前らにはわかるまいが…」といった上から目線のスタイルで、論文形式で出題しながら「君に理解したとは言わせないぞ」といった訓示や嫌味を垂れる赤字でコメントと点数を書くので嫌われていた。

その教師に教員室に呼びだされて、休みの期間にレポートを出すこと、その内容によって卒業単位をみとめてやるという通告で、課題に取り組むことになった。ところで、確かその頃流行っていた庄司薫の小説『赤頭巾ちゃん 気をつけて』とかいう作品にも同じような場面があり、「君に小林秀雄が理解しているとは思えないがね」とどんな評論や感想文を出しても論破されるので、その教師が絶対知らない文学者をテーマにするという策が登場したものがあった。
このやり方は面白いと思って、そういえば授業中に文学や小説は「感動」を中心とする文学的文章に対して、哲学や社会科学は説明的文章で私はあまり好きではなく得意でもないと言っていたことを思い出した。

そこで図書館で哲学入門からやはり流行っていたハイデッカーやフランクフルト学派のマルクーゼなどを読み漁った。何分、中学生のときこの小難しい哲学や思想に目覚め、中3でマルクスの『共産党宣言』を読んだと自負していた生意気な少年だったから、この辺は学校の成績に全く影響のないところで級友たちの一目置く理屈屋であったことが幸いした。もっともこの左翼思想に首を突っ込んだ動機も生来のへそ曲がりの性格に過ぎないのだが、この生まれつきのおっちこちょいが、自分が哲学という学問の端っこ、さわりを学ぶきっかけだったというところが、どうも本物ではなく、大物小物からいっても大成する訳はないと自覚しているところでもあるが。

それでもその時書いた「貧困と無知に関する一考察」という小論は、その嫌味な教師を黙らせたばかりか、後に、大学の何かの記念論文に応募して何かの賞をもらって賞金をいただいた。文章がお金になるのかという経験と、論文の苦手な学生相手にレポートの代筆でアルバイトするなど、駄文で金稼ぎという貧乏性から抜け出せなくなった時代でもある。
人間、書くことや話すことより考えている時間の方が多い訳だが、結局のところ、生活に追われても時間をどれだけかけられるかで「作品」としてのクオリティが高くなるのはやむを得ない。学者、研究者といった人種はやはりそれ専門に集中する時間がなければなかなかなれるものではない。その意味でも一生アマチュアの粋を出ないところが悲しいところだ。

DSC_0807ともかく、その背景はどこにあったかというと、中学時代に時世に押されるように、ガラス工場の転校生たちが制服が買えない、違う学校の制服ではだめかといった押し問答に腹を立て、生徒会として制服制帽の自由化を掲げて集団交渉、生徒規則の変更を学校側と談判した経験がある。時代も私自身の子供時代は世の中が「貧乏」と「高度経済成長」の狭間にあった。
ちょうど時代的に、曲がりなりに制服自由化を求める学園闘争だったが、その先導者の一人として、当時、先輩の高校生からも注目と同時に共産党の民青からもオルグされかかっていた。何分、喧嘩早いくせに、身体は大きくない分、口喧嘩に強い小生意気なガキとしては、常に理論武装というところで歴史や相手の考え方を知ろうといった好奇心は強かった。また、だから世の中でまだ触れてはいけないといった感じの左翼思想やエロチシズムに人一倍魅かれたのでもあるだろう。

ここでもへそ曲がりで、どうも左翼の中でも序列や派閥があって、俺たちの言うことを聞かない奴は除名だ、リンチだといった権力的な臭いが嫌いな性分は、彼らの理論を整理的に受け入れられなかったところだった。当時、実家の引っ越しで東京都から神奈川県に代わりながら生意気にも電車通学していたのだが、子供会や通学区での仲間外れや学校群制度導入での混乱の理不尽さも身に染みて反って孤独感を強めて、精神的に強くなり始めていたのかもしれない。
新しい家の駅前に古本屋があった。駅を降りると必ず覗くうちに店主とも顔なじみになった。そこには今までに見たこともない、今で言うところのミニコミのようなわら半紙印刷製本のような雑誌もあり、黒い表紙の聞いたこともない作家の本が並んでいた。「麦人社」とか「黒色戦線社」、「幸徳秋水」「大杉栄」「伊藤野枝」「石川三四郎」といった名前をそこで学んだ。中学生の子供でも買える小冊子を親に隠れて読んだ。その隠微で見つかるとヤバいぞという雰囲気も憧れでもあったのかもしれない。親父が日活という映画会社にいた影響で吉永小百合ともかすかだが知り合いで、山本学との共演の映画などの影響で左翼学生に憧れていただけかもしれないが、その左翼の中でもマイナーで、アナボル論争などは後で知ることになる。

DSC_0806この古本屋はその方面では知られた書房で、古老の店主もけっこう名の知れた人だったことを知ったのは大人になってからだった。その店で買っていた「リベルテール」という小冊子の購読者となり、三一書房から出されていた「プルードン」の翻訳者でもあったMさんが主宰していた。彼との出会いとこの小冊子への寄稿が私のこの世界への本格的な始まりであったのだろう。
今回も時間切れだが、このいつもの知り切れトンボが「アマチュアの学問」限界かもしれないが、続きはまたの時間に。(写真は休日を過ごしたログビレッジ八郷の庭と周辺の風景。以前も書いたが、この時期の田圃に水が張られた季節や景色が一番好きだ。農家にとっては青々した田や収穫前の金色の稲穂の時期だと叱られそうだが、この湖のような水面がまぶしいところが好きである。)

「欲望」と「希少性」その1

sasukeやっぱりブログに戻るか。今朝は猫に起こされた。餌を食うと満足して勝手に寝てしまうという、このペットの生き方はだから癒されるのか。このブログもやれツイッターだ、facebookだとの流行に押されて、最低でも月に1回は書こうと思いながら年を越して新年初めてが4月になってしまった。ま、年度替わりということでご容赦願おう。それぞれのメディアの特徴があることはまた別の機会に書くとして、ここ最近考えていることをまとめるにはやはりブログに限るらしい。だからまたしばらく飽きるまでブログにしようと思っている。

結局、ブログは日記であり、思い付きの泡のような媒体より、あるいはクローズドされた装いでオープンなコミュニケーションツールでもない古典的なメディアなのだろう。それは完全な自己満足の世界であることに間違いはないが、元々日記には独白でありながら誰かに向けての語りかけや記録に近い。古人曰く「人は考える葦」であり、「ホモルーデンス(遊ぶ人)」である。猫や幼子を見ていると何を優先にしているかといえばこの自己満足そのものが自己充実であり自己実現であるとわかる。それが外へ向かって表現される姿が「生きる」すべてでもあるようだ。

この5年、大震災だけでなく親しい友人や仲間、義理の姉を亡くし、母の位牌も引き受けて新たに仏壇を作ったり、ずっと気にかけていたが家に作れなかった神棚を作ったりしたことも関係して、仏壇で故人と語ることや神殿で神様と言葉を交わすという行為が人類にとって何だったのだろうかということも勉強になる。現代的な意味でこうした行為とブログも私にとっては共通しているのかもしれない。それは山へ入って自然と向き合うことや家庭菜園で土や植物と交わる生活にも通じる。ちっぽけな人間が得体の知れない自然や世界、宇宙と交信する、広がる「命」の存在を感じることなのかもしれない。

最近の流れでは自閉的な生活や自己空間にあって、いい悪いは別にして何でもオープンにする、「自己開放(解放?)」「オープンソース」「オープンデーター」だから死んでから読まれることになるよりオープンな日記としてのブログの効用ということで、このブログのメリットを十分に活用しようと思う。それが共感に飢えている現代の日記としてのブログであり、人間の持つ社会性を強化するいいツールだと思うからだろう。

さて、またいつもように前置きが長くなってしまったが、このブログでは自分が若い頃から継続的に取り組んできたライフワークともいえる人類の地下水のように流れている思想に関することを、現代の文明や文化と関連付けて自分なりのまとめを書いていくつもりだ。それは子どもの遊び同様、ガーデニングや仕事にも通じるが、究極の自己満足、「自由」である。そして「自由と規律」という名著に代表されるように、個人の自由や欲望の追求と社会や共同生活で求められる欲望の抑制、自己規律、道徳、倫理観などの二律背反に関するバランス感覚の話題になるだろう。

最近、置いてきたがゆえに性欲、食欲といった人間の基本的な欲望が減退し、睡眠すら短くなる体力の衰えの中で、老病死という避けては通れない人間の性(さが)について向き合わなければならないという自覚が出てきた。それは、猫に起こされるともう眠れなくなるというのに似て、一度気が付くと忘れられない「覚醒」「目覚め」というところで「オープン系」の現代的な意味にも通じそうだ。人生での大きな恩師でもあるイバン・イリイチが『自覚の祝祭』という本を書いているが、かれの提唱してきたいくつかの概念も交えて、自分の遺書のつもりもあって書き続けられれば本望だ。まずはその長い日記の始まりということで、今朝はここまでとしよう。

年越しブログ?

新社屋
早いもので2015年の大晦日も残すところ6時間ほどだろうか?月に1回程度はブログも更新するといいつつ、最近では便利なfacebookに偏ってしまったが、このところ多忙でそれすらままならず、大掃除に来たログハウスでの様子も載っていないから生きているのか娘が心配していると今日、家人から催促のような電話をもらって、大晦日の記事くらい書く気になったところだ。
さて、デジタルデトックス状態で見てみると情報過多で何から書いていいかわからないほどだが、とりあえずの記録としては、仕事からだろう。まず新社屋は、24日のクリスマスイブの日に完成したJR埼京線「戸田駅」の新社屋の正式な引き渡しがあった。何とか年内に間に合った形で、支払いも年越しは気分が悪いので政策金融公庫の入金と同時に残金も工面してすべてを支払い、名実ともに新社屋完成で、何とか新しい年から再スタートと行けばいいところだが、年明け早々にまた大慌ての作業となりそうだ。
戸田市の職員向けのITコールセンターと戸田営業所も何とか引っ越しが完了しそうだが、一部年明けになる。同じ戸田市内なのに以前の移転では電話番号が引き継げないといわれていたのに、今度は光電話だとエリアが広がるので同じ電話番号でいいという話だ。番号が変わっても変更での不具合がないようにとわざわざフリーダイヤルナンバーを使っていた意味がない。なかなか世の中、思うようにはならないものだ。
todaei2駐車場の使い勝手で苦労した戸田営業所だったが、今度は以前と違って3フロアー全部を使うのではなく他のテナント賃貸にもするので、広さは間に合うかなどまだ当分試行錯誤で手探り状態が続きそうだ。
子供向けのプログラミング教室という新しい展開も、ひとまずはワークショップから始める予定だが、戸田営業所の建物でも本町教室として開設する計画もあり、当分は忙しくなるのは相変わらずだろう。

弊社の現在の法人化は12月12日で今期が19期だから来年度は20周年ということになる。確か30年以上も前になるが埼玉県に越してきたのも12月で、親父と息子の誕生日が12月5日と同じであるなど、夜逃げに近い引っ越しだったが12月は私にとっては縁起がいい月なのかもしれない。神無月から戻った神さまが、新年の年神様を迎える準備で総力戦の月なのだろうか、師走の名の通り長いこと12月は走り回っているので、ブログやfbどころではないというのが本音のところか。

次に、コミュニ手の話題を上げておこう。昨日の晦日の夜、福祉で防災ネットワークのSさんからパソコントラブルの電話があり、話のついでに福祉会やエコライフなど多方面に活躍していたFさんの急逝を知らされた。もう知っているものと思ったと、先月入院、今月初めに肝臓がんであっという間にお亡くなりになったことや葬儀のことなど伺って大いに驚いた。
todaei1今期は、特に後半はビルの新築などに追われて全く手伝えず、代わりに若手の女性を紹介、いつも通りの活動だと安心していたところで、けっこうショックだった。もう一つのショックは、こうした情報がいつもなら市内で顔を合わせることができることやそうした人々が全くメーリングリストにもfbにも連絡がなかったことだ。
コミュニティの関係が顔見知りや知り合いだけの、あるいは年中顔を合わせるネットワークに終わらずにと、10年以上も前から地域のICT化に取り組んできたことが、最近ではまた昔に戻って高齢者がネット離れ、NPOや市民団体の高齢化、情報発信不足。若者は若者での多様なメディアでの自分たちだけのツールになっていることで退行していると感じていたところだからだ。
昔の新聞での訃報欄が重要だった話があるが、特に私のように3つ以上の地域に携わっているとICTは重要なツールで、各地域での情報発信のキーマンはより大切な存在である。そのためのコミュニティウェアやeコミュニティ推進だったはずだ。地域SNSでも話題は地域ディレクターや情報発信者、記者の養成でもあったが、それらがうまく機能していないということでもあるのだろう。

震災から5年になるが、この5年間は実に大きな変化が多かった。幾人かの先達や仲間の急逝もあった。区画整理で移転、新築の遅れが重なった。自分自身の心臓手術、義姉の急死と目まぐるしい5年間でもあった。
世界情勢や世の中の流れも大きく変わった。これらのことは、久々にこのブログでまとめられればと思うが、「年越しライブ」で続きが書けることを念じて、まずは大掃除の埃を落としに風呂にゆっくり入り、紅白歌合戦でも見てから考えようか。

Fさんのご冥福をお祈りするとともに、この1年、お世話になった皆様にお礼申し上げます。来年もよろしく。よいお年を!

地域創生から見えるもの?

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最低でも月1にはブログを書こうといいながら、7月以来もう8月も終わりだ。35度の猛暑、酷暑、30度でも涼しく感じるといった猛烈な夏が、今日はあっという間に秋を通り越しそうな寒いくらいの小雨の日曜日だ。今日はログビレッジの午前中に総会と午後には井戸・貯水槽の大掃除の予定だったが、寒いので作業は中止で時間が空いたので何とかブログ(日記ならぬ月記か)を書こう。
この頃はすっかりfacebookやSNSで情報収集・発信は満足で、それだけでも意外と時間を取られるが、今日は、反安保法制、打倒安倍政権と、国会前では最近にはない大規模デモが行われ、一方、各地でのイベントが流れていて仲間の活動も多様になったもんだと感心だか安心だかする。どれもがかかわりが出ると体が足りないところで、返って自分の時間を大切にするのもありだろうと開き直ってのんびりするしかない。

先日は去年の田植以来本当に久しぶりに、ある市会議員さんに便乗させてもらって福島県川内村に出かけた。NPO仲間でもあり、先の統一地方選で落選した同僚が川内村の第三セクターの会社でしばらく働くことになって、県営の復興支援住宅に入居できたということもあって様子を見に行くのと、規制が解除になった常磐道や富岡、大熊町、双葉、浪江町を見学、それに彼が世話になっている会社のホームページを見てくれという依頼もあっての旅行だった。

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当日は、到着後、岩魚の里で焼イワナ定食。村内を見学、会社の社長や施設を回り、それぞれの担当者にホームページのブログの書き方を教えたりして、夕方、温泉・かわうちの湯に入って、ビジネスホテルで夕食後、復興住宅に体験も兼ねて宿泊。いろいろと意見交換した。
翌日、以前は迂回しないと通行できなかったところを通って国道6号を南相馬からいわき近くまでぐるぐる回って案内してもらった。高速道路も国道も全線開通とはいっても途中で下車や窓を開けることも禁止区域があり、また、まだ一時帰宅もできず通行止めの通りもあった。放射線量も川内村では0.04が双葉兆町の国道沿いで3.39uSv/hと整数値のかなり高いところがあり、警備の警察官や作業員の健康が心配になる感じだった。

一時帰宅が許されている地域でも、この4年間での荒れ放題での改修や再建はかなり難しいと思えるばかりか、除染作業での黒いビニール袋が至る所においてあり、家の片づけどころではないだろう。「明るい未来の原子力」といった看板だけが空しく残る立ち入り制限地域もあり、人気のない町並みは既に廃墟でしかない。いくつかの駅前には草が生い茂り津波被害はそのまま放置されていて、4年前の宮城県を思い出させた。
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まずは除染作業で出た廃棄物が簡易の黒ビニール袋の山積みでどのくらい持つのだろうかと素朴に心配になるが、中間保存という発想自体、どうもいつまでたっても付け焼刃の対処療法で、津波で流された駅舎、駅前広場を埋め尽くす黒い除染物質が山のように、あるいは土手のように累々と並べられているが、再度、同じような地震、津波が来たら汚染されたそれらがどう拡散するのかも恐怖に感じた。

第1原発のクレーンや第2原発の建物もあいにくの小雨で見通せなかったが、除染作業者や警察車両、土木関係のトラックなどがけっこうなスピードで廃墟の国道をノンストップで走り抜ける様子は、確かに戻る気持ちを、街を再生させるモチベーションを高めるのは並大抵ではないだろう。ゼネコン各社の半場でも違いがあったが、それらの子会社の作業員宿舎はまさにタコ部屋を連想する。子供や女性のいない地域の異様さも、ここで暮らす覚悟は尋常ではないだろう。

あの年の4月にはチェルノブイルなどの経験からもう新しい「公地公民」の大改革しか方法はないとあちこちで説いたが、当然、無視されたが、地域創生を本気で国家プロジェクトとして考えるならば、今でもこの立地の弱点、最大のマイナス、デメリットである原発被害の想像力から、すべての代替地で県単位での移動を含めて21世紀の「廃藩置県」並みの政策を断行する度量が必要だったのではないだろうかと思っている。小出しでの経済的負担では貧乏人の出し惜しみで、恐らく住民エゴの問題へと貶められ補償額の大小でのコミュニティは分断され、弱者のみが切り捨てられる新しいスラム街区になりかねない。

826fuku昼にはいつもの蕎麦屋で昼食をとって、「農楽塾」の塾長宅へ顔を出して挨拶したが、自分の病気や義姉の看病、葬儀で追われて情報が入ってなかったが、塾長のAさんが昨年軽い脳梗塞で倒れていたことを知って驚かされた。だから、今年の稲刈りイベントは中止になるかもしれないという。人がいいからマスコミの取材から、私たちも含めてボランティア仲間にも気を遣いすぎるくらいだったからストレスもあったのだろう。奥さんが「それもあって気力が萎えている」という通り、いつになく元気がなくモチベーションが下がっている様子が、その笑顔にも感じられた。もし、継続させるとしたら属人的に塾長個人やご家族に頼りすぎない仕組みや組織化を考えることで負担を少なくする必要があるのだろう。

帰り道の車の中と東北、圏央道を降りて、自分の車をおかしもらった元市議のOさん宅でも地域創生の話題が出た。同乗してきた市議は元県庁職員で、このOさんは元の町役場職員で共に行政マンとしての街づくりを議員、あるいは市長として担おうという立場だった。
ここでの話題は、実は地域課題が枝葉末節の利害対立から入るから利権や損得勘定に左右されて根本的な進展に膨大な時間とコストがかかるという点だろう。

実は政府の「地域創生」が原発政策同様、思い付き的で対処療法、官僚が描く小手先の手法で、良くも悪くも田中角栄並の「日本列島改造論」といった大きなビジョンがないのが最大の欠点だと思っている。そして、そのビジョンの共有やコンセンサスを得る手法にイノベーションがないという点だ。せいぜいちんけなコンサルが「緑のあるまちづくり」だとか「住む人々が生き生きと暮らせるまちづくり」といった抽象的でどこでも通用する絵に描いた餅で、これではどこでも大同小異の地域間競争で、これからの都市化した住民はより実現性の高い地域へ、多種多様な選択可能性の中から自分に合った地域へと移住するだろう。世界の半数が首都圏に集中し、地方はますます限界集落化する。それが経済合理性からのコンパクトシティ化にあり、寡占化は避けられないのだ。

だから、地方創生を考えるときフクシマは避けて通れない。フクシマを解決できずして地域創生の本当の政策課題は解決しないだろう。

その晩の議論で、私なりには見えてきたものがあった。それを書く時間は無くなってきたので、また今度にしようか。

7月5日に生まれて

75トムクルーズ主演の映画で、アメリカ合衆国の建国の日、独立記念日の『7月4日に生まれて』という作品があった。それにもじってるほど尊大ではないが、今日は私の誕生日であるので、昨日、今日はせっかくログビレッジに来ても畑仕事も庭造りもできない雨降りで、頂いた誕生祝のお礼も兼ねて、最近、ブログやfacebookにも飽きてきたところだったが、久しぶりの晴耕雨読で書き込んでみようと考えた。(写真はそんなどんよりした遠くの山が見えない風景だ)

来週は台風が9号、10号、11号と続き、その相乗効果、影響がどんなものか。この時期の海水温度の上昇と北上が温暖化の影響とどうかかわっているのかはわからないが、少なくとも今の若い人たちが私の年齢になる頃の地球環境がどうなっているか、現実感をもった想像力が大事な時期になっていることだけは確かだろう。

こうした大きな時代の動きや環境問題などに、それが戦争であったり大災害であっても、まだまだ他人事、リアルな根源的な関心があるようには思えない。全体的に目先の関心や利害、それらの対処療法に振り回されているような気がする。

21世紀になり戦争のない、人類と地球が共存していける世界が作られる期待はあったが、冷戦終結でイデオロギー対立を克服するかと思ったところ、宗教や民族対立という先祖返りの亡霊のような紛争が、相変わらず多くの難民を作り出し、地球規模の大災害でも仮設の被災者対策程度の政治力しか作れない時代である。

多民族多言語世界のコミュニケーションをと、第一次世界大戦の中から生まれたいくつかの人類の理想の中にエスペラント語というザメンホフ博士の考案した人口言語があった。その流れもあって世界共和国や世界連邦というのひとつが国連であり、ヨーロッパのEC、現在のEUでもあるのだろう。その欧州連合も通貨統合しながら財政をどうするか、連携と分権のバランスをどうとるか、理想に対する現実的な解決を常に迫られている。その一つの回答が今日実施のギリシャでの国民投票であるのかもしれない。

欧州の先祖、オリンピックや民主制(奴隷前提だが)原型の国とも思われるギリシャが、先進国のEU加盟国では初のデフォルトで世界から信用をなくすのは残念だが、これは「借金」に対する信頼や国家に対する信用、参加意識など後進国並みの国民意識に起因すると思う。それは当事者意識の欠如であり、何事も自己中心的であくまでも他人事のような政治意識の低さだ。いまでは民主主義義国だと思われている経済成長躍進の韓国や日本も、まさに他人ごとではない。本当に民主国家であるのか、先進国と言えるのか自問すべき時期だろう。

さて、こうした地球規模での環境や災害、各地での紛争やテロはもちろん、最近関心があったのは、こうした現実的な対処療法に対する根源的な理念や理想を立脚点としなければならないこと。ギリシャが救われないのは、そうした人類史上の哲学発祥の地であるのだが、逆説的にはそのパラダイム転換そのものから再出発する必要があるのかもしれない。または、人類的なその思考法や表現法の大切さかもしれない。いまはその深い話はできないから、忘れないように思いつくままに関心ごとのメモだけでもしておこう。

一番新しいところでは、国会の多数政党である自民党の国会運営と安保法制。それに対する若者の動きである。これはどう中国の脅威や韓国の非合理的な主張を出して、その対処療法の軍備増強を唱えようが、まずは憲法第9条の法理論と戦前の歴史の総括を前提とした、しっかりとした議論がなければならない。次に、現状のシングルイッシュー的な代議制での議席獲得で、その政党の論理に白紙委任できる間接民主主義の問題だろう。国会での決議の仕方次第では、今のままでは国民の8割が反対や疑問があっても議員の日程で法案が成立し、既成事実が支配できる。これでは関東軍の独走やワイマール憲法下でのナチス台頭を止められなかった過去を繰り返すことができるということにならないか。

これに対してのわずかな希望は、70年代の対処療法で作られた大学立法を含めて政治離れを政策的に進めてきた中でも若者たちが少しずつ変わりつつあることだろう。その機会はIT革命、特に自分たちのメディアづくりがあると思う。この間の国会での学者の反対意見に対して、「政治家VS学者(マスメディアを含めて専門家)」の構造に、テレビで若いNGOの女性が発した、当事者である「市民」の意見や参加の仕方という意見に大いに同意したが、一部のNGOや若者の意見に目を見張るものがあり、ここへきて少し民主主義のグレードが上がるのではないだろうかという期待である。

問題は、政治家の世襲問題以来の国民、市民の階層の固定化である気がする。政治家に限らず、新しい身分制ともいえる世襲や階級の問題と社会の安定の課題だろう。バブルまでの高度経済成長時代は、親が中卒でも息子を塾にやり、「末は博士か大臣か」幻想が生きていた。そのおかげで猛烈な受験戦争はあったが、学力や学歴が立身出世の流動化を作り出してきた。しかし、最近、政治家の世襲を含めて高学歴、大企業や官僚の世襲、富裕層の再生産は、子どもの貧困の連鎖問題、まさに状況は、ピケティの「21世紀の資本論」である、新しいブルジョアジーを作っている。経済的格差による身分制の固定化である。

貧困の連鎖と資本的蓄積の固定が、労働よりも優位性がある現状は、まじめに働く人間を作らず、ベンチャーや自立したリスクより、寄らば大樹か、他人依存の評論家や投資顧問のような口から出まかせタイプ、汗をかく労働よりお金を操る、自己中心的トレーダー的思考タイプが増える。周りは詐欺師ばかりで誰も信用できない世間が出来上がるというわけだ。落ちこぼれた底辺では過当競争で、勝ち組への願望、ねたみや怨みの世代が増える。だから何でも政治や体制、他人のせいにする。

一方で、カネ、地位や不動産と好きなものを手に入れられる階層でも、家柄や血縁といった手の届かないものへの渇望がロイヤルコンプレックスに出る。欲望は手に入らないものへと増幅され、全てが欲求不満社会である。超えられないものは血と過去、歴史だろう。

だから新しい身分制は、江戸時代の被差別階級を必要としたように、その自己満足できるヘイトスピーチや脅威論で盛り上がるのかもしれない。まさにスティグマ(烙印)社会であり、「あいつがウサギだ」ゲームのようないじめ社会が横行する。敵を作ることでしか自己満足の安定が生まれない、精神病の病魔に侵される。大体どんなドラマでも意地悪で嫌な奴は、金持ちか貴族趣味の差別主義者と相場は決まっている。

もう数十年すると人類の6割以上が都市に住むことになるといわれている。こうした中で新しい流動化した「故郷喪失者」である市民の多くはどんなコミュニティを形成できるのだろうか。
そこで考えられる力が「ボランティアの社会」だろう。多様な市民の目が、いつでもどこでもお互いを助けられる社会を形成できる気がする。むしろ、そのとき邪魔になるのが専門家であり、市民を不能化させる専門家や政治家に問題がある。「政治に市民の声を」「裁判に市民感覚を」という掛け声のいくつかの試みも、最近の裁判員裁判ではないが、結局は高裁で専門家との判断の対立が出て覆っては意味がない。
「ボランティア」が作るコミュニティを研究する必要があるのではないだろうか。

救いはどこにあるのだろうか。それが私の問題意識かもしれないが、一方で人類が幸福に同じように貧富の差がなく生きられる、地球やすべての動植物と共存できる世界は、以前の反対に、恐らく全てが標準化され、人類的コモンセンスの世界市民が究極の管理社会を作り上げるという方向だろうと思いながら、他方で、やはり昔ながらの小さな単位で自分たちの等身大の分権が認められた、つまり自由に好きなように生きられる社会である。この両方を満たすユートピアが、私の理想だろう。これがアンビバレンツな目標だとしても、そらが許される多種多様な寛容さを求めたいところか。

そのために、近代的自我でない、新しい「市民」という人間像、あるエートスを共有できる自律的な人間のあり方を考える。明治期にそれまでわずか国民の6%に過ぎなかった武士のエートスをすべての国民的なエートスにした、明治維新の志士の政策を検討するのが現実的なのだろうか。武士とかサムライとかの身分は、封建制度の中での位置づけにとどまらず実は多様で寛容な人間性のアーキタイプ(原型)であると思える。そうした単なる制度上の階級としての武士でなく、そのエキスをどう思想的に再構築できるか。

昔、好きだった逸話に、フランス貴族の屋敷に、ある嵐の夜更け、親友の貴族が訪問する。パジャマ姿の主人は片手に剣を、もう片手には全財産の金貨を携え玄関へと迎い出る。そして、こんな夜更けに馬を走らせるほどの君に何があったかを尋ねると同時に。「決闘ならここに剣がある。今すぐ共に闘おう。命を懸ける用意はできている。」「それとも金が必要なら、ここに全財産ある。これを使いたまえ。」という。
これはまさに貴族の心構えであり、武士のエートスであったろう。それが志、同志というものなのかもしれない。その意味で新しい市民社会は、誰かの造語だろうが「志民」社会と呼べるものなのだろうか。

介護法改正とNPO

npotv昨日は私たちのNPOが事務所として入居している埼玉NPOハウスの運営団体の総会があり、NPO埼玉と川内村NPO協働センター、災害支援団体ネットワークの一括報告のような状況で、最後は恒例の事務所で宴会となった。
写真は埼玉子どもゆめ基金助成事業で今まではコミュニティFMのスタジオだったところが、今度は映像が配信できる地域テレビ局のスタジオになっているものだ。

この総会の記念講演ということで仲間の認定NPO法人市民福祉団体全国協議会の専務理事でもあり、評論家でもある田中尚樹さんが近著『改正介護保険実務ガイド』を参考書として、その最新状況とNPOによる街づくりについて話をし、意見交換することになった。

話は日本の介護の歴史を振り返り、地域社会や家族介護から2000年の介護保険法によって「介護の社会化」がなされたことから、その介護保険制度のみならず社会保険制度全体が崩壊しつつある現代の日本の社会システムの見直しの重要性から始まった。

戦後、理想とする先進国の社会保障制度は「揺りかごから墓場まで」という福祉行政をモデルに、親父が撮影にかかわっていた映画『にっぽんのおばあちゃん』や『楢山節考』などの時代を経て、「家の恥」や虐待など表には出なかった、それまで公的支援が受けにくい家庭内介護を保険というシステムで進めてきた。
しかし、今話題のように、すでに高度成長時代の復活が難しい先進国が共通に抱える財政負担から従来の「給付」からそれぞれの独立採算型の「事業」へ、国の責任から各自治体や地域社会、もっと言えば「市民の責任」という「新しい公共」へ舵を切る「社会福祉革命」だという。

もともと従来の日本の制度論は、お上が下々へのサービスで行政が直接実行するスタイルだったが、今度の改正でまずは要支援1、2で170万人を切る。3年間で、今までのようにお迎えのディサービスはなくなる。今でも在宅介護やそのための子ども世代の介護退職もあり、年収や地域格差が目立っているが、「地域創生」政策に便乗して団塊の世代に「地方移住」を勧めているところだろう。


そして、次に来るのが要介護1,2をなくす改正だろう。国家予算の1割を超える109兆円に上る介護・福祉予算は早晩そうした要介護者の自立を促さざるを得ないという訳だ。
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つまり、これからの日本の社会においては、市民相互の助け合いを自律的な事業化で基礎自治体との連携で進めるしかないことになる。
この結論に関しては今までも散々言われてきたことであり、NPO法制定や「新しい公共」第三セクターとしてのボランティアやコミュニティ・ビジネスの流れであるが、今回の話ではそのあとで、震災以来の私たちの福祉系NPOの活動停滞という絶望的なモチベーション低下現象でもちょっと変化をもたらすヒントになる気がした。それはその具体案がまちづくりそのものの中にあることであり、大きな意識改革につながる可能性が見えたからかもしれない。

今回の年金機構でのIT情報漏えい問題でも暴露されているが、年金や介護・福祉系は国家事業の中では低く見られているといっても過言ではないだろう。高級官僚の中には閑職か左遷のような位置づけの意識が垣間見られる気もする。介護職員やヘルパーさんの給料を比較しても、現状でも半分ボランティア意識がなければ勤まらないような分野ではないか。
一方、その多くは「お上」と「下々」の封建制時代のような意識に、役所も市民も毒されている。現場や基礎自治体の職員を別にすると、「消えた年金問題」すら本気で解決しないままに、今回の体たらくだ。そのくせ多数の天下り団体や集金・集票組織としての利権構造ががっちり出来上がっており、巨額の資金が動いている。まさに「お任せ」「お願い」民主主義の陰に、地域ボスが生き残る構造を作っていないか。

田中さんの話では、「協働型・共助社会」推進には、3つの覚悟が必要だということになる。
第一は、福祉の責任は国ではなく自治体がとる、という自治体の覚悟。第二に、要介護の切り捨てで介護保険事業、マーケットは縮小の中での事業者の覚悟。そして、三番目に、まちづくりにおける自助と共助の主体となる、市民の覚悟、ということだ。

企業家の端くれとしては、中小企業、事業家としての覚悟も気になるところだろう。介護保険法施行のころ、盛んに中小企業に事業化を勧めた時期があった。そして、異分野進出で、先の旧態然たる「お上」の側につくやり方で、あこぎな商売に手を染めている社会福祉法人やら医療法人よろしく、「福祉で金儲け」という企業論理をかざしている事業者も多い。
だから、ここではやはり本気で覚悟を決めた基礎自治体との連携や覚悟を決めた市民との協働に、「事業化」の要があるのだと思う。ノウハウは中小企業家にあるとしても、まさにコミュニティ・ビジネスとしての「志民」が結集した手法が重要だという意味で、NPOが主役になるべきなのかもしれない。もっとも地域に存在する零細・中小企業の多くは、法人形態こそ異なるが、そのほとんどがNPO的だとは思えるが。

この意識改革を前提に、地域改革を、新しい地域福祉事業をどう現実的に進めるか、その具体策まで報告する時間がなくなってしまったが、このアイデアは先の田中さんの著書をテキストに、地域での市民講座やNPO連携で学習したいと思う。

具体例は実はいくつかを現実に実践してきた中で持っていることにも気づかされた。ITボランティアのサロンづくりやまち研の「お休み処」、今までのコミュニティ・ビジネスの試行錯誤や地域通貨委員会や商工会での蓄積されたノウハウも再構築すべきだろう。それでもなお、一番の課題はそうしたことの実践力だろう。つまり、主体としての「人」づくりに他ならない。

ともかく「新しい介護ビジネス成功の秘訣」は、地域主体となる志をもった人々の結集しかなく、その課題解決の中から、まさに「新しい公共」は生まれるのだろう。今度、時間があればその具体策もどこかで出せれば。

久々に刺激的な話で元気が出た。田中さんには感謝。これからもこうしたセミナーを各地で続ける大切さを感じました。

貧すれば鈍する、か?

yasaどうにか事業協同組合の12期決算、税務申告を間に合わせて、いよいよ解散・清算手続きに入ることになる。何だかんだ自分の都合で延びてちょうど13年目になる訳だが、偶然か市役所の特別枠で大手IT企業からの途中採用されたEさんが、絶対にないだろうと思っていた予想に反して13年目に配置転換、ITに関係ない部署に異動になった。使命が終えたということでか、いつの間にか「IT推進室」も以前の「情報統計課」に吸収されてから数年経つが、それだけIT推進が普通のことになったということか。

ともかく10年でその役割を終えるといいながら、何とか黒字化してきたところで体調を壊した性もあって、今の理事長、専務理事に交代してから自社ビルもなくなり新理事長所有のビルを間借り、その家賃の滞納、大口の顧客を任せていた人間の反逆で大赤字に転落で、事実上の倒産に近い、解散・清算になる。
法的に債権取り立てなども不可能ではないが、追いつめても何も生むものがないとすれば、今の理事長ももう諦められる余裕もあり、ちょうどいい潮時だというところだろう。自分のかかった費用も理解できず、欲ボケで時代遅れのスキルで将来を見失った中堅や家賃も支払わず移転補償を飲んでしまう若者を抱えさせた責任は私にあり、これ以上責任者として負わせる訳にもいかないところで、債権債務は2人で負うことで解散と決めた。

「貸したことは忘れろ。借りたことは忘れるな」とは確か田中角栄の言葉だったと思うが、さすが大物の政治家は言うことがにくい。私も真似て個人的な借金は倍返しとまでは行かないが必死で返したが、おかげで「貧乏暇なし」とこぼす割に実はあまりお金に困らないで来られた気がする。金運がいいのか、借金でピーピーしている割には困った時にお金が引き寄せられる。親譲りの資産もない貧乏人の子倅が、自宅も今度の本社も自分で手に入れ、区画整理で立て直しのいい機会になり、国定公園内にログビレッジも作れ、人から見れば優雅な別荘暮らしも満喫しているし、趣味なのか仕事なのか、本業も含めてNPOも言ってみれば「人生の道楽」稼業で気楽にやってきてしまった。

人にお金を支援したり貸したりも、無担保で細かな契約をすることも多くない。ただし、「こいつは5万、こいつは100万」と人の値踏みは案外深層心理の中でしているのだろう。律儀に返済するものもいれば、「やはりね」と踏み倒す奴もいる。「金の切れ目が縁の切れ目だ」と家族にも去られて孤独死に近い友人の遺言もあったが、お金に限らず人からの恩にどう報いるかが人の値打ちにも思える。だから、5万、10万であっても組合の出資金を返済できないのはつらいが、経営破たんは有限責任の会社、法人の再生への方法でもあるのだろう。

倒産しても何も首をくくる必要はない。明日からもきちんとご飯を食べ、しっかり働くことが大切だと、中小・零細企業を経営している仲間にも話してきた。だから会社も複数で起業、経営してこられた。リストラするにしても従業員を分社化して事業主にしたり、M&Aでもっと大きな企業に再雇用できる道筋を与えて、それぞれのワークスタイルは変わったとしても生きていけることに力を注いできたつもりだ。法人でなく自然人としての人生を全うすることに価値があり、会社は人を幸せにするための装置に過ぎない。

中には起業や労働者としての才覚や品がないので地方政治の議員職が向いているエリート崩れもいた。いい学歴やプライドがある人間にとって政治家は再復活のいい職業でもある。ただし任期や選挙があることを忘れてはだめで、そこは企業経営に通じるものがあって、当選後、その間の後援会や有権者へのマーケッティング力がなくてはいくら現役有利といわれても、落選すればただの人に戻ってしまうところは、会社倒産と同じ憂き目にあう。それでも「捨てる神あれば拾う神あり」で、何とか失敗を糧に成長し、再起を図れるのも現代政治であり、先の大阪市長の橋本ではないが、負けたからと言って命を取られる勝負ではないのが、現代、民主主義のよさだろう。

どんな逆境でも結局はその人の人間性というか「品格」が出るのだろうが、昔から「武士はくわねど爪楊枝」といったやせ我慢をしてでもそれを通せるか。「貧すれば鈍する」ではないが、お金や余裕があるときだけ「いい人」では情けない。もちろん、会社経営と同じように人それぞれ、有限な人生の中でどう生き切るかは考え方次第であることは間違いがない。その意味でも「人生そのものが道楽」なのだろうか。

本当にひと月に1回のブログになりそうだが、昨日の5月最後の日曜日はログビレッジ八郷の臨時総会だった。夜には近くの町のスーパーで半額の寿司とカツオを買ってきて我流の野菜たっぷりのマリネで、飲みながらNHK大河ドラマを見て、今朝、早朝に帰ってきた。夕方は渋滞、夜は目が悪くなったせいで最近はいつも朝の5時前に起きて庭に水をやったりして、ちょうど出勤時間くらいに着くように帰る。

小さな町の地元のスーパーは、鮮魚は夜明け前から那珂湊に買出しに行き、閉店まじかになると半値以下でも売り切ってくれたので助かったが、最近は全国展開の大手チエーンになってそうした面白さがなくなってしまった。
どこまで拡大するのか。高度経済成長型寡占化が国や物流、生産の安定化になるのか。地元が一番といえる地域づくりにカギがあるような気がする。そういえる住民や市民、フアンやサポーターといったステークフォルダーも含めて、地元の零細・中小企業のあり方を考える必要もありそうだ。
現実的にはそのクオリティの低さに泣かされることもあるが、理想を語る「人」の存在に救われるのだろうか。結果が企業なのだろうが、寛容さもまたカギになるのだろうか。

連休とイエ充

554ゴールデンウィークが終わったところだが、無理をしたせいかぎっくり腰が治らず、今日は仕事にならないので続けて2日間休んでこの週末までのロング休暇とすることにした。ワンマン経営者の特典だとお許し願おう。何だかんだ言っても息子なりがいると任せられるところは助かる。

腰が痛くて今年の川内村の田植も無理そうだが、予定のガーデニングも考えていた半分もできなかった。おかげで今日は久々のIT暮らしで、パソコンに向かっている。麻薬ではないが、娘たちのようにスマホを手放せない、情報に触れないと不安でといった禁断症状もこそないが、ネパールや東北のボランティア仲間には多少のうしろめたさは残しながらも、SNSも全く見ずにこの連休は久しぶりにログビレッジに籠り、単独山小屋暮らしができた。
会話もたまに地元の人との立ち話程度で、ログビレッジもほとんど来る人がなく、最終日こそは家族でひたち海浜公園のモネフィラを見て、これも久々の高い肉やお寿司と贅沢したが、普段は実に静かで質素で健康的な糖尿病向け食事で過ごしている。
557556※ひたち海浜公園は、入場料が410円で犬も連れてこれたりのんびりしている。モネフィィラは以前ほどの感動がないが、青い空と海と丘が映えると美しいと話題になってか、今年の茨城は観光地としても珍しく上位になっているそうだ。今年は「地方創生」で話題だが、地方の数だけ多様な暮らしがあるので、ランキングに惑わされないことも大事だろう。

さて、この連休は「安・深・近」で、旅行にも行かず自宅の掃除などに励む人も多かったそうで、「家の生活を充実」させるという意味で「イエ充」と呼ぶらしい。「安い」や「近い」は変わらないが、「深い」というのも面白い。言ってみれば「ディープな暮らし」や人のあまり行かないような、自分好み、趣味的な場所や行動がはやっているということのようだ。言い換えればある種の「オタク文化」のひとつなのかも知れない。
551私もログハウスがある茨城県の八郷で庭造りや部屋のかたづけ、修理などで過ごし、どうも遠出をしたり温泉だ、観光地だと人の多そうなところには行く気がなかったから、まさにこの連休は「イエ充」だった。

もともと地元の人も専従農家が少ないから、この連休が田植えや農作業の期間で、たくさんの人や農機具が田んぼに出て村は賑わいもある。帰郷するひともいるのかもしれない。人々に活気があると、こちらも楽しくなる。また私はちょうど田に水が張られ、辺り一面が湖のようになる、この時期が一番美しく好きな時期でもある。

考えてみると、息子は休日でもほとんど外出せず、反対に娘は週末や祭日は家にいたことがない。私も子どもの頃は家にいたためしがない、外出派、アウトドアー派だったが、それでも基本は「イエ充」らしく、それが自宅でなく別荘になったのかも知れない。家には息子がいて、女房にも気を使い、で部屋の模様替えなども最近では全くできないのもあるだろう。仕事、市民活動やボランティアで家にいないことが多かったツケかも知れない。
女房は若い頃子育てや不自由だった影響か、最近では「おっかけ」ライブで娘と今日は仙台、明日は広島と目まぐるしいが、この女子力ネットワークやパワーのすごさも、対極の「ソト充」といえるだろう。知り合いが増えれば増えるだけ外に出る回数は増える。
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ブログも月に数回しか書かなくなって、この間まで薪ストーブだ、サクラだといっていたのが、もう新緑の5月になって本当に「光陰矢の如し」を実感するが、この調子では死ぬまでに計画の庭は完成しそうもない。だからといって業者に頼んでユンボやブルトーザーで造園してしまってはと思いとどまる。
面倒でも、腰が痛くて作業が遅くなるとしても、試行錯誤を繰り返し、楽しみながらの庭造りがいいのだろう。頭で思い描いても実際の工事はなかなか思うようには進まない。だれか手伝ってくれないかなと支援を求めたくなるが、益にも役にも立たない、究極の自己満足がガーデニングの面白さなのだろうか。
552少なくとも今のフロント・ガーデン、キッチン・ガーデンが年内に終われば、ナチュラル・ガーデンと奥のプライベート・ガーデンまで2年ほどで完成の予定で、完成の頃には仕事の方も完全に現役引退の計画で進んでいるところか。
そうなれば「毎日が連休」となって、より一層「イエ充」になるのか。その前に体の調子が悪くなり、時間切れになるのか。諦めてのんびり続けるしか手はないのだろう。ゴールデンウィークが終わると、今度は夏休みの話題か。あっという間に1年が過ぎてしまいそうだ。
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