全く私的な言いたい放題のブログです。社長の学校からの卒業、引退準備を考えて八郷暮らしの隠居としての日記に変更しようと思っています。会社の方は事業継承しつつ、どちらにせよ今までも経営課題は少なかったブログですが、今までの社会貢献活動など個人的な趣味を全面に出す予定です。「百姓倶楽部」が夢だったのですがそれほどのスキルもないので、今までも提唱してきた「SOHO」(この場合、Oはオーガナイゼーションといった組織)的な個人を中心のライフスタイル、ワークスタイルの地域分散ネットワークを考えるといった程度の意味です。

最近はニュースを見ていると辛くなる事件が多い。

おとといは、新幹線の車内で22歳の男が突然隣の席の女性にナタで切りかかり、止めようとした38歳の男性が死亡するという事件が起こったばかりだ。sinkansen殺された被害者は、東大大学院で化学を研究。未来にどれだけ貢献したかと期待されたエリートだったそうだ。
一方、加害者の生い立ちは不明な点が多い。頭はよかったそうだが、家庭環境に何か問題があるのか、単に精神疾患と片付けられる問題ではないような気がする。

また、5歳の女の子が虐待の上殺された事件も胸を締め付けた。
まだ学校にも上がっていない幼児が4時起きで自分でひらがなを自習し、そのいたいけない手紙が涙を誘う。こんな優秀な子供を食事もさせず衰弱死させた両親が憎い。
どうしてこうしたことができるのだろうか?
5sai時々ニュースで問題になりながら、こうした子供たちを救える大人や仕組みがなさ過ぎるのも情けない。

一方、今日の大きなニュースは米朝首脳会議だろう。
アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長が初めて顔を合わせる。世界の平和に少しでも前進が見られるのか期待したい。
この2人の年齢差は大人と子供くらいに見える。だが、どうも2人のリーダが「大人」に見えないから怖い。そして、北朝鮮は戦前の大日本帝国に重なって見えてくるから不思議だ。

戦後、厚木飛行場に降り立ったアメリカ占領軍(GHQ)最高司令官のマッカーサー元帥が、当時の日本人を評して「(精神年齢が)12歳の子供だ」といった話があるのを思い出した。
確かに戦前の日本人は、多くの神がかりや「現人神」を信じ、無謀でも無茶苦茶でも天皇の命令なら虐殺も自決、玉砕まで厭わない。
科学的合理的な国力や物量からの戦力や戦略をまじめに考えていたのか。きちんと考える力のある大人がいなかったのかと思う。

こうしたニュースを見ながら、また前回の記事を見返すと精神的な「大人」と「子供」の違いを考えさせられると同時に精神分析のラカンの「鏡像現象」という言葉を思い出した。
これは簡単に言ってしまえば、人は鏡に映る姿で自分を認識し、確認し、存在の同一性を持っていくということだろう。「自分が何者か」の「自制・自省」する心を鏡を見ることで育てるといった感じだろう。

子供のころの記憶は、アルバムなどの写真で思い出し再生される。あるいは記憶には失いかけていても、その写真と親などの会話から想像され、記録が記憶にインプットされていく。
だから写真や映像、歴史資料の重要性があり、公文書は公共の重要な「記録」であるとともに共有する「記憶」になっていく。それを改ざんしたり焼却する罪だどれほど悪かもわかる。
戦後のどさくさで軍部や官僚は大量の公文書を焼却したのは、その記憶にやましさがあったからだろう。その態度はまるで「子供」だ。

10年ほど前に死んだ母が、その10年ほど前から「認知症」になった。
まだ、第1回認知症学会が開かれる前で「痴呆」と呼ばれた頃で、いくつもの病院や施設を回った。中には鉄格子の精神病院も紹介された時代だ。
この頃、まず母は鏡を見なくなった。そして、ある時アルバムの写真を取り出し破きだした。いつの間にか大量な写真が廃棄されそうになった。今でも行李1つに破られたたくさんの昔の写真が入っている。

母はどんどん精神的に若返っていく。まさに先祖返りのような時期だ。そのうち「少女時代」にまでなっていった。鏡に映る老婆が、精神的に「子供」の自分であるはずがない。写真に写る自分の成長の記録はあるはずのない未来だ。兄弟姉妹はまだ幼く、上の階で寝ている錯覚に陥り、大声で名前を呼びながら「ごはんよ、降りてきなさい」と誰もいない部屋に叫び続けた。
母の脳は、萎縮し始めアルツハイマー型と合わせて急激に認知症となり、やがて脳の萎縮が呼吸や心臓などの臓器を司る小脳へまで侵攻し、80歳で息を引き取った。その間、母が大人から子供時代に帰り、やがて動物としての死を迎えるまでを看取ることになった。
この身体は年老いた母が、子供に返る姿は、今まで見てきた本当の子供たちの成長とは大きく異なる。

ここで「鏡像現象」のもう一つの体験を書いておこう。
それは私の最後の愛犬の話である。名前を「ハイディ」という。
娘が幼い頃、近くの公園に捨てられていたという生後間もない、まだ目も開いていない子犬だった。
仕方なく毛布や炬燵で温めながら、スポイトで牛乳や粉ミルクを与えて面倒を見ることになった。
だんだん大きくなると哺乳瓶になり、乳首の大きさを変えて育てた。その過程で私の腕の中で哺乳瓶を加えながら目がだんだん開いてくるのがわかった。まだかすむ目で私を見ている。
そして、そのうち私と目が合う。乳を与えながらきちんと私を認識し始める毎日は愛情が深くなる時期でもあるのだろう。母親の気持ちを追体験しているような毎日だった。彼は私を母親だと、まさにインプリンティング(刷り込まれて)いく。またおいしそうに、幸せそうに哺乳瓶から飲む姿は、愛らしく、「わが子」という意識すら感じさせるものだ。
やがてこの犬は私を親だと思い、自分の姿も人間のようだと錯覚したのか、鏡を見ては驚き吠え、他の犬に出会うと吠えた。子供という小さい人間に興味を持ち、多分自分が犬であるという自己認識がないまま年老いて死んだ。14年ほど生きたが、とうとう犬扱いすると怒る、へんな犬のまま。

「教育のパラドックス」という言葉がある。
私たちはどんな生き方をすることがいいのかを知らない。哲学で「よきもの」を知らない大人が、子供に「よきもの」を教えたり、そうなるように望んだりする「矛盾」を意味する。
しかし、年齢的に「大人」になる。「一人前の人間」になる自己認識は大事なのだろう。
「覚悟」と言い換えてもいい。
だから、多くの民族や部族では「成人」になる通過儀礼(イニシエーション)を用意している。現代はそうした儀礼がない時代でもある。だから、ペットでも飼うことがきっかけで「生命」を預かることになる機会は大きな教育的時期になるのだろう。
まして、実社会と呼ばれる「社会人」になるとき。結婚や子育てを経験するとき。
人はきちんと鏡に向き合い、自分を見つめることが大切なのかもしれない。鏡に映る姿にふさわしい「大人」になっているか、自己確認する時間を持つことが。同時に「人のふ振り見てわが振り直せ」ともいわれる。世間の「いい大人」たちの姿を見て、自分の姿と重ねることも大切なのか。少なくとも嘘や悪事で人様に顔向けできないことはないよね。約束や法律はきちんと守っているよね。
そういえば最近あまり鏡を見ていないなぁ!写メや庭造りにうつつを抜かしていてはだめだね。
爺さんになったダサい姿は気持ちいいものではないが、心して今日は鏡を見ようか。

DSC_0086脚本家の書いた『終わった人』が映画化されて話題になっている。団塊の世代は大きな塊の人数だから話題には事欠かないのだろう。
月給取りがサラリーマンとして定着して戦後高度成長を支えてここへきて大量の「定年」を迎える。
ちょっと前は定年退職の高齢者を迎え入れる各地域や自治体が「地域デビュー」の講座など、人材としてNPOやボランティアが取り上げられてきたが、どちらにせよ定年後の「会社人間」だった夫が女房や家族に邪魔な「ぬれ落ち葉」扱いされて、居場所がないことからどう再活用されるかは話題にされてきた。

それにしても今度は「終わった人」というのは失礼な言い方だろう。
この言葉で漫画『北斗の拳』だったと思うが、闘いの途中で「お前は死んでいる」といって背を向けていってしまうシーンを思い出した。それは自分の敗北や死を認識することもできず、相手に言われてから突然血反吐をはいて死ぬという次のシーンに続く。
好きな漫画ではなかったから細かなことは知らないが、自分の生死を知らぬ状態で死ぬのはあまりいいものではない。せめて武士の情けだ、格闘家なら最後まで引導を渡すか介錯してやれよと思う。
ある役割を終えて、次のステージが見つけられない時期は誰もが経験するだろう。若くても「浪人時代」や「モラトリアム世代」などの空白感は共通するはずだが、「お前はもう終わっている」と言われれば死の宣告にも感じるひどい言い方だと思わずにはいられない。
DSC_0074これはついこの間まで、やれエイジレスだ、人生100年時代だとおだててられていた反動だろうか。
いい歳こいて若者作りのファッションだ、化粧だと浮かれた高齢者に冷や水をぶっかけている。
「人生これからだ」「第二の人生」「自分探し」「美魔女」「永遠のヤングマン」と踊らされて自分を見失った高齢者の悲哀だといえないだろうか。
「若い価値至上」は、高齢者の「定年」を定義できないのかもしれない。それはまさに「終わった」ことで次への連続性を失うことにつながる。現代は年を取ることを否定したい価値観であふれている。だからこそ高齢者の若さへの憧れが蔓延しているか、自分の年齢を受け入れずに綿々と地位や役職に固執する人間も出る。決して受け入れ入れられない、終わることへの恐怖なのだろう。

話を少し変えるが、実は御三家の西城秀樹さんが亡くなる直前に、テレビで郷ひろみを見て感じたことがある。確かに昔と変わらない軽快な歌と踊り、細いズボンを着熟し、体形も若者そのものに見えた。だが今の4Kだとかのテレビ映像の残酷さは、アップでの顔や首筋から実年齢はごまかせない。その姿に「老」を感じたゆえに、その踊る姿はなんだか哀れを感じてしまった。
DSC_0069いつまでも「子供」なんだ。いつまで若さを売り物にしているのだと。もちろん、これはやっかみだろうし、私には当然真似しようにもできないところで、それゆえ「永遠のアイドル」に違いない。こんなことを書くとフアンから「炎上」されかねない。(ま、それほど読まれていないから大丈夫だろうけど)
これも漫画、アニメで恐縮だが、未来の破壊された東京を舞台にした『アキラ』という作品がある。そこに子供なのに老人の顔をした人物たちが登場する。特別な研究ラボに囚われて生活している。
それの逆バージョンだが、老人なのに子供の姿になっているような感じだ。
最近いつまでも若いいことや青年であることに強迫観念を感じないか。サミュエルソンが言うように若さや青春はその人の心にあり、いつまでも気が若いことは決して否定されるべきことではない。しかし、いい大人になれず、いつまでも「子供」のままでいることが果たしていいことなのだろうか?現代人には「いい大人」のモデルがあるのだろうか。

一方、西城さんが50歳直前に脳梗塞で倒れた際に「引退を決意した」ことをマスコミの前で覆された秘話をもう一人の御三家の野口五郎氏がテレビで公表していた。

アイドルも「公人」である以上、老醜をさらそうが、その出処進退は自分で決めるしかない。だから、いつ、どんな形で引退や卒業も人がとやかく言うことではないだろう。
だが、一度は引退を決意した彼がその後果たして幸福だったのか、はだれも答えを出せない。そこで引退できなかったつらさもまた彼でなければわからない。その後の活動やステージがどうであったかも。

脱線で偏見だが、その点、女性の方が引き際がいい気がする。女性だからの美意識か、山口百恵にしろ、今度の安室奈美恵にしろ引退の仕方が実にかっこいい。むしろ男前である。見事な転身ができるのは、裏にしっかりとした結婚、出産育児といった実生活があり、その覚悟がぶれないのかもしれない。その裏返しがたかだか会社を辞めたり定年でフラフラして「終わった人」といわれてしまうふがいないところが、男なのだろうか。

昔の武士は、各家庭で元服(成人)の年齢は異なり、15歳もいれば18歳もいたが、一度元服すれば大人社会で、家族に会えなくとも主君の命によっては腹を切る覚悟を持たされたという。実年齢は子供でも、もう立派な大人であるし、士分の家督を譲れば「隠居」として家長ではなくなる。身分社会が固定した故の安定感もあったのだろうが、現代はそういう意味で、引退や定年が難しい時代なのだろう。まさに「自由からの逃走」の気分が悩ませるのだ。

DSC_0056ともかく「公人」である以上、70歳を過ぎようが政治家も出処進退は自分で決めるしかない。公人を支えるのはファンであり、有権者であるのかもしれないが、いつまでもその人に若いままの残像を求めて、引退や終わらせることを与えず、表舞台にとどまらせることだけが、その公人を支えることではない。
ダイアナ妃を例えるのが正しいかどうかはわからないが、離婚しようがやめようが追いかけるファンやパパラッチに「ほっといて」と願いながら人生を終える場合もある。静かにフェードアウトさせてやるのもやさしさなのかもしれないと思うこともある。

真面目な小市民が、たかが会社を定年になっただけで「終わった人」宣告をされ、一方で自分の年齢を忘れて子供じみた言動で世の中に話題を提供する公人(芸能人や政治家)が目立つ世の中は、本物の「成熟社会」ではないような気がする。

最近、欧米で有名人のうつ病や自殺が話題になっている。「成功者が必ずしも幸福者ではない」ともいわれる。
また話題が飛ぶが、紀州のドンファンが死んだというニュースを見た。「30億円を4千人の女性に貢いだ」企業家らしいが、77歳で55歳年下の22歳の女性と再婚したばかりだという。
「女を抱くために金を稼いだ」というらしいが、これを羨ましい人生というのかどうかは知らない。不倫や浮気の人数を損得で話す人間もいるが、テレビで知る限り彼の家は愛犬のみが気を許せる家族だけで、どれだけの女性に囲まれ、様々な広い交友やつながりも彼の孤独を癒してはくれなかったように感じるのは私だけではないだろう。

DSC_0072それぞれの人生どう生きようが勝手だが、分をわきまえて人間らしく最期まで全うしたいものだ。肉体的にだめになることがあっても「終わった」と烙印を押すのも失礼な話だし、定年ぐらいで「終わった人」呼ばわりは、スティグマの社会としてもレベルが低すぎないか。
5歳の少女を虐待の上、死なせた大人のニュースも心が痛い。いい大人が、お金や欲情に突き動かされて、子供の命を救えないとしたら、いい人間とはどんな人生を歩むことがいいのだろう。
DSC_0073よく子供たちに問いかけられたことを思い出す。「先生、なんで子供は勉強しなければならないの?なんで学校行かなければならないの?」「それはいい大人になるためさ」本当にそうだろうか?
過去、いい子供にはたくさん出会ったが、果たして「いい大人」はどれくらいいたのだろう。私自身、これからでも年齢に応じた「いい大人」になれるのだろうか?

リバイアサンこのところ続くマスコミを騒がせている一連の問題や騒動には何か関連があるように感じるのは私だけではあるまい。恐らく多くの国民があちこちに登場する人物や組織、団体に、ある共通することを感じているのではないだろうか。

相撲協会の暴力事件からオリンピック選手の伊調馨に対するパワハラ、長期にわたる「もりかけ」問題の安倍政権へのいら立ちも、財務官僚のセクハラをはじめとする、国家官僚の公文書隠蔽や改ざん事件と、「もういい加減にしてくれ」と言わんばかりの欲求不満状態が続く。

sumoアメフト公益法人や大学、官僚、政府という組織のリーダーたちの雰囲気はまるで同じに見える。そして、その不誠実な大人げない言動に右往左往させられる組織人、現場の悲鳴も聞こえてくる。
そのリーダーたちの当事者能力の欠如と自浄作用のなさが、すぐに訳のわからない第三者委員会だの、捜査機関への他人頼み、依存体質にもイラつく。
嘘や方便で子供だましのような自己弁護で世間を渡ろうとする「人格的」ひどさでもある。
いじめの証言や国家の公文書を隠蔽、改ざん、議会で平然と偽証し、証言を拒否するのは明らかに民主主義制度への犯罪である。まさに組織そのものを崩壊させている。

それらを見事に総まとめしてくれたのが今回の日大のアメリカンフットボールの反則問題でもあるようだ。いい大人がずるずるうそを引きづり、実行犯である若者が単独で公開の記者会見に臨む姿は、大人の狡さ、組織や団体を擁護、体制を維持することに汲々とし醜さを露呈している。
これには政治家やマスコミだけでなく多くの大人、国民も思わず「わが振り」を見つめなおすのではないだろうか。

この一連のニュースを見ていて戦後の東京裁判や311部隊のソ連ハバロスクでの裁判記録を思い出させられた。
ハバロスク戦争責任の裁判記録は、人間が個人になったとき、どうやってあれほどの惨禍を生み出す軍国主義国家を動かしてきたかを詳細に明らかにする。裁判記録は明らかな事実や実行行為者の犯罪を暴いてきた。それでも、その言葉に反省できずに、あくまでも自分の戦争指導や具体的な責任を明らかにせず、結局は他者のせいにし「一億総懺悔」で流そう、体制維持を図ろうとする政治家・軍人という国家の責任を回避した上層部。
一方、歴史の証言は人類が共有すべき記録でもある。人間として恥ずべき実行者という現場の医学の研究者や兵士として、あるいは上官の命令に逆らえない下級兵士の涙ながらに真実を明らかにし、その個人としての過ちを後悔する若者たちの姿でもあった。
今回の日大の学生の真摯な発言に、これら末端の医師や兵士たちの懺悔の言葉が重なった。

多くの日本人は、終戦で初めて「大日本帝国」国家という組織の呪縛から解放された。太平洋戦争は「国家に騙された」「権力者に欺かれた」という禍根と反省、すなわち個人個人の「後悔」の念からスタートしたはずだった。
数百万人の命を代償に、「過ちは繰り返しません」という誓いから戦後は生まれ変わったはずだ。それが「基本的人権の尊重」「平和憲法」による平和国家建設であり、権力に阿ることのない「民主主義」の追求という歴史観そのものである。

しかし、その時代のリーダーたちは本当にその歴史に向き合い、当事者としての社会的責任を、リーダーとしての責任や犯罪を自覚していたのだろうか。
わずか70年ほどでそれらの歴史は忘れ去られ、学ばれることなく、今日の政府の横暴に異議を申し立てられない「おともだち」システムが蔓延していないか。いま、この時代まで生き抜いてきたその「無責任」なリーダーたちの末裔が、同じようにぬくぬくと頭をもたげてきていないだろうか。この一連の出来事はそうしたこれまでの歴史そのものに多くの疑問符を投げかけている。

Leviathan_by_Thomas_Hobbes1651年イギリスのトマス・ホップスが著わした『リバイアサン』という政治哲学書がある。
リバイアサンという想像の怪物を象徴として、彼は「国家」が多くの人間を部品として巨大な怪物として、あたかも一人の人格として生きる時代を現した。本の表紙を飾る国王はたくさんの人間たちの集合体によって描かれている。

ここでは彼の政治哲学には深入りはしないが、その絵は多くの人々が国家を形作るという「民主主義」にも、多くの人々を取り込み自らの一部として君臨する「独裁」という「絶対主義」の姿にも見える。民主主義がヒトラーやトランプも生み出し、専制の独裁体制がスピーディなリーダーシップの「哲人政治」の可能性もあり得る時代なのかもしれない。人間の集合体ゆえの不完全性は、人類の永遠の課題なのだろう。人類はいまだその怪物と共棲していくしかないのだろうか。

日本で女性が参政権を得てわずか70年ほどでしかない。今の平和国家も民主主義もよちよち歩きのままだろう。まだ「戦後」を引きづっていながら、私たちは本当に歴史から学んでいるのだろうか?

またぞろ怪物が動き始めている時代が来ているのだろうか?
そんなとき、日大の学生の姿が一縷の希望なのかもしれない。個人が目覚め、立ち上がることでしか世界は変えられないのだろう。

さて、ブログもfacebookも、いやインターネットからも離れて2か月になる。いつも前置きが長くなるので今回は結論から書いておこうか。

DSC_0047まずはfacebook(FB)をやめることにした。別に8千万人だかの情報流出や最近のアプリ中止などの逆風や話題に影響されている訳でなく、SNSそのもの、今の「おともだち」文化からの距離を置く程度の話ではある。

いつの間にかFBでの「おともだち」も300人を超えて「申請」をほったらかしにしている方が100人以上になる。およそ営業か政治家願望でもなければ、「おともだち」千人だとか(FBは5千人登録が打ち止めらしいが)の意味がわからない。娘のツイッターでフォロワーが数千人だ、3万人になったとかを耳にするが、少なくともツイッターやらインスタやらの「匿名」のフォロワーとは異なるという錯覚でFBを始めてきたが、結局はある種の「情報飢餓感」からの「承認欲求」のはけ口のようなツールに飽きてきたというところだろう。
イリイチやダイアナ妃ではないが、そろそろ「ほっといてくれ」という気持ちかもしれないが、生来の熱しやすく冷めやすい、いい加減な性格からだろう。

3月以降書き込みもなく、体調が悪いのかとわざわざ心配してくれるリアルな友人、知人へのあいさつ代わりに、「やめたよ」という告知ぐらいしておいた方がいいかというところで、このブログはfacebookへ自動的にアップする機能がしてあるので、それも近いうちに外す予定である。

少なくともブログは、まさに自分の「記録」「日記」のようなもので、全くクローズドされた紙媒体や自分のパソコンに書くのと私にとってはそう違いがない。多少「公開」されているという点では完全なモノローグ(独白)というより、もう一人の自分という「読者」を想像するダイアローグ(対話)形式をとっている心理的動機というところが特徴だろうか。このブログの効用についてはどこかで書いた。とりあえず思いついたところで書けるところが最大のメリットであるので、当分はブログだけは細々と続けようか。

というところで元々人のために書いている気がないので、行間がせまい、長文だ、小見出しがないという批判もあるのは重々承知だが、推敲も校正もない、読ませる努力がないのはやむを得ない。

もうひとつは、震災以来、災害ボランティアの体験やこの間、両親を含めて多くの親類、先輩、後輩と友人、知人の死を経験してきたことからだ。心の「友人」を亡くしてきたことからの喪失感、孤独感かもしれない。もちろん、マスコミのようなパワーのない、弱い個人のSNSメリットや効果はいまでも認めているが、少なくとも今の自分には必要ではなくなったというところだろう。

だから、心臓バイパス手術や会社の事業継承の難しさもあって、政治家と企業家の「出処進退は自分で決める」ことから、「残りの人生は自分のために生きよう」という、誰だかが言い始めている「孤独のススメ」という訳ではないが、山小屋でひとり庭造りにいそしむことにしたという「わがまま」でもある。ボランティアやガーデニングは、究極の自己満足に過ぎないのだろう。
今のところ、毎日、夜明けとともに起き、あちこち修理したり、掃除、洗濯と小さな庭や畑に手を入れるだけで精一杯で、夕方1時間の長風呂、安いビールを飲んで気軽に寝たいときに眠る生活で、リハビリになっているのかどうかはわからないが、個人的には満足している。息子の憧れの年金生活という訳か。

「おともだち」というとコミックの『20世紀少年』を思い出しそうだが、日常的に電車に乗ると座席や車内のほとんどがスマホを見ている異常さ、何か「情報」「つながり」の強迫観念から自分が疎外されることへの恐怖社会を連想する言葉になっている気がする。
この感覚は「学校化社会」に共通する。
「おともだち」の恐怖は、このバーチャルな世界だけでなく、アメリカや日本の政治の世界をみてもおぞましい限りだ。

孤独や閉じこもりのマイナスの評価に対して「新入生になったら、ともだち何人できるかな?」といった、お友達の広がりが「社会性」の「成長」であるという強迫観念から、そろそろ子供も高齢者も解放されるほうがいい時代になるのではないだろうか?

ちょっと話は変わるが、先日NHKの『人類』という、最新の人類学や人類史の特集番組を見た。それは従来習った直線状の人類の「進化」ではなく、世界は複線系の進化の中でいくつもの「人類」が誕生、絶滅し、最後にいまのホモ・サピエンスという私たち現人類だけが生き残ったというものだ。私たちが習った「ジャワ原人」「北京原人」「ピテカントロプス・エレクトス」「クロマニヨン人」など結構多様な人類が並行して存在していたというのだ。

その最後に登場する「ネアンデルタール人」は、まさに私たちの祖先と同時代性に生き、シンクロする可能性もあったという。動物学的にはむしろ先に滅んだ彼らの方が優秀であったが、その強さのゆえが「家族単位」という小集団から「文明」の共有が広がらず、反対に弱さゆえのホモ・サピエンスが、家族を超えて「仲間」を作り、さらに大きな単位への「社会」を形成し、その大きな広がりの中で文明や科学を発展させ、「進歩・成長」してすべての生物の上に君臨してきたというのだ。

そして、この人類の生き残る術、装置の「集団」が「おともだち」社会というデメリットを作っている。それは集団維持が目的化し、強制・強要、同化、束縛を生み、それに反するものへの差別、憎しみや憎悪、妬みや恨み、虐待、はては殺人までを生む「幻想」を作り出す。ユダヤ人虐殺でのフランクフルト学派の精神分析が教える人類の病の根源でもあるのだろう。

個や孤独な生物はますます生き残るのが難しくなる。弱さ故、大きな集団への帰属が求められ、それが「集団主義」や「国家」を作り上げる。シンクロしたはずのネアンデルタール人とホモ・サピエンスが争った痕跡はなく、人が殺し合うのは後のホモ・サピエンス同士の「社会」ができた時代であるという歴史も面白い。
彼らが求める「集団」は、人種だけでなく宗教、民族、そして「国家」というより拡大する装置を発展させてきた。その集団ごとの差で同じ人類が「戦争」をも作り上げてきた。より拡大してきたそれらの集団は21世になっても民族や宗教で争い、国家間の戦争は核戦争や自然破壊で地球ごと、人類を絶滅させてしまいかねない。

だが「弱さ」を克服するために生まれた人種や民族、「社会」や「国家」は、大同小異で、それとも人類史的にはまさに「類的存在」としての「人類(地球人)」という、よりグローバルな「世界」に広がることで、ホモ・サピエンスは、最後の「進化」に到達することができるのだろうか?

インターネットは、人類にとって最後の「希望」となるパンドラの箱だったのかもしれない。それが「おともだち」優先の、利己主義の野望となり、世界を破滅させるのか。それともそれらの欠点を解決し、人類をまさにより最大の集団、「地球人」として進化させるツールとなるのだろうか。

そして、二つの人類の出会いは、絶滅したはずのネアンデルタール人の遺伝子をわずかだが受け継ぐ現人類の子孫たちがいることを教えてくれた。この遺伝子がホモ・サピエンスとの遺伝子と交じり合うことで、新しい「人類」が生まれているのかもしれない。
すでに世界は、滅びに至る人間の欠点を補い、滅んだ人類のDNAと滅びゆく今の人類のDNAが、異質な「新人類」をわずかでも生み、長い年月をかけてはぐくんできているとしたら、この全くの異質なDNAが、人類の持つ最大の弱点である、「同人類を殺す」という「幻想」を克服する、「やさしさのゆくえ」であることを祈りたい。

allbar11今日は2011年の3.11東日本大震災から7年目の命日である。
被災地を含めて全国で追悼の様々な催しやあの日の記憶をよみがえらせるニュースがあふれる。それでも実際の地元や市民団体は意外と静かだ。

昨日も市民団体の会合があったが、特段、コメントや感想もあまり耳にしなかった。「風化」とは言わないが、災害は忘れる頃にやってくる教訓と、7年たっても落ち着かない被災地への想い、鎮魂の心は引き継ぐ必要はあるのだろう。この7年、災害ボランティアとしても、個人的にも多くの死と出会い、人の運命や宿命を感じずにはいられなかった。そして、同時に七回忌ではないが、仏への祈りとしての区切りなども付けて自分の人生を振り返り、見直す契機にもしたい気もする。

それでも現地の人から「いつまで被災民なんですかね?」と尋ねられた。その答えを知らないし、応える術もなくしている気がする。
当時、ログでの木造仮設住宅でのクラインガルテン構想や「公地公民」アイデアを話したが、冗談と笑われ、仮設住宅の耐用年数は3年程度と聞いた。高齢者にとって7年間という時間がどういう意味なのか、当時の役人や担当者は想像していたのだろうか?
非常時が故に、その後の時間軸の想像力、判断力や決断力の創造する力の大切さをしみじみ考える。
「備えあれば憂いなし」でなければならないのは、災害対応だけでなく、本当は復旧や復興の実行力にこそあり、寄り添い、共に涙することでごまかしてはいけないのが本物の「支援力」ではないだろうか。

今回の大震災はプレート型の各県にまたがる大規模災害、特に津波の被害と、もう一方で人災の象徴ともいえる原発被害という福島の大規模避難という2つに分けられるのが特徴的だと思う。
PA0_0333鎮魂の在り方がいくつもあるように、「災害対応」も多様であるのだろうが、これだけ具体的に自然変動や地震が大きくある国において、ミサイル防衛どころではない「政策」として国を挙げての「生活防衛」を真剣に考える必要があるのではないだろうか。

5年目になる「協働型災害訓練」について、別のホームページに反省と今後の在り方の提言を少しまとめてみようと書き始めた。
http://saigai-v.net/npobousai/

昨日の会合でも「戸田市は海がないから津波の危険はない」という意見があったが、東北での教訓は「河川津波」の無知と恐怖である。現場で議論していては大川小の悲劇は防げない。「知る」「学ぶ」「実行できる訓練」の必要性もまだまだ伝わっていないのだろう。

そんな鎮魂の日に、2周年を迎える飲み屋を紹介しよう。埼京線戸田駅2分のところにある「ALL*BAR」という小さなお店だ。イケメンで育メンのマスターと美人の奥さんが経営して2年前の今日オープンした。この日が特別な日だとしてオープン記念の盛大な催しもせず、静かに開店した。

今日はそんな2年目をお祝いしながら、静かに(?)鎮魂の酒をふるまうというので来店した方にジョニーウォーカー(赤ラベル)を1本進呈するというので、元県議とNPOの仲間を誘って参加することにしたが、ご近所の方で一杯付き合おうという方をお待ちしています。(くれるといってもボトルキープで、今後この店を利用して飲んでねというサービスですから、1本持って出ていくのはなしですから念のため)

昨日、今日と被災地に行っている知人や仲間も多いが、私は長期に動けるほいど体調も良くなく、あの頃の四駆も廃車になり軽自動車での長旅も難しいところで、今年は戸田のバーで鎮魂の杯を傾けたいと思っています。

現代の個人がどんなアイデンティティ(存在証明)を持っているかは案外難しい問題を教えてくれる。DSC_0158昨晩、映画「リリーのすべて」というトランスジェンダーの話題作をテレビのBS放送で観た。個人が生まれながらにしてなにがしらの制限や束縛、所属を持つことは宿命でもある。心(精神)と肉体の同一性が異なることすら現代では克服することも可能な時代になりつつある。誰もが一度くらいは「鼻の高い白人に」「大金持ちの家に」「男に、女に」「貴族に」生まれたかったと夢を見た経験はあるだろう。反対にそれらのことで差別やいじめを受けている現実もある。

最近、サッカー界で観客やサポーターの差別発言や暴力を監視するNPO活動があることを知った。彼らはサッカー場や観客席でのそうした差別を明確な「犯罪」として断固たる意志で監視、告発している。世界が共有するスポーツにおいて「人類が平等である」権利を守ろうという崇高な活動でもあり、サッカーではチームや選手にも当然なペナルティを課す。料金を払って入場すれば自由に応援できる劇場においても守るべきルールや規則は当然であり、その「正義」を守る義務は人間としての共有すべき価値だろう。それは大きな地球上でも民族的差別や移民への差別は同じだと思う。

また、いくら自由な社会とは言え、生まれや性別、人種や民族など超えるのが難しい領域から、意外と簡単に移動できる民主社会の「国籍」「戸籍・住民票」などまで様々な視点が考えられる。住民票がとれない住所不定では就職や借家もできない割に、戸籍が簡単に皇居やデズニーランドに移せるという不思議も聞いた。自分の意志で存在証明を変えられる時代でもあるのかもしれない。しかし、それを権利として守り、共存していくにはその受け皿でもある社会や行政、国家という周囲の存在も重要になっている。

DSC_0192hutaba今日はあまり深入りしないが、なぜそんなことを考えるかというと、先日行われた杉戸町での「協働型大規模災害訓練」というイベントで昼食を準備してくれた福島県双葉町と浪江町からの県内に避難している方たちの話からだ。この訓練は7年前の震災、原発事故で杉戸町と友好姉妹都市の大熊町から避難した川内村の住人の一部が三町村で国交省のモデル事業の助成を受けて「地域間共助推進協議会」を作り、その事務局を地元のNPO法人すぎとSOHOクラブが請けて、その代表がこの正月に急逝した小川さんという20年来の友人だった。
そこで福島から埼玉県に避難している人が、仲間が既に他県に定住し、職を持ち暮らしを始め、福島県の出身であることを明かさない、忘れる努力をしている話をしてくれた。そして、それでも自分たちは誇りをもって「浪江町の住民」だと言うことにしているそうだ。人様の自治体で他県の町の住人であると宣言することは、震災という非日常が7年目に入り「もう避難民ではないはずだ」という自主避難に対する風当たりや冷たい視線にさらされることも多くなっているのだろう。私たち埼玉県のNPOが継続的に支援していることは、同じ仲間としても頭が下がる。同時にそうした小さな「協働」が支える世界が広がることの大切さを感じる。

これは移民の人たちがリトル・東京や蕨スタンと名付けられるようなミニ・コミュニティを形成するにも通じる。できれば「顔の見える関係」だけで阿吽の呼吸で生きている方が楽であり、落ち着くだろう。仲間だけがわかってくれればいい。最近のアメリカや世界の「〇〇ファースト」はそんな風を感じさせる。

DSC_0173それでも自分たちだけが凝り固まってサークル化することは避けたい。よく「木を見て森を見ない」ともいうが、災害NPO団体の中にも内内だけにまとまって輪を広げないところもある。当然、高齢化で勢力も広がらない。物理的原因もあるのだろうが、それを代表するリーダーの想像力の欠如もあるのだろう。これは政治的な首長にもあるのかもしれない。片方で内部統制をきちんとしながら、もう片方で普遍的な価値を共有して寛容な外に広げる努力が大切なのだと思う。それが「ネットワーク」という方法なのだと。

植物の「木」は人工的な方法でなければ、林や「森」がなければうまく育たない。「森」も1本1本の「木」がなければ森とは呼べない。木は森によって守られ育ち。森はそうした木々によって立派な森が守られる。それを「相互依存」「相互扶助」と呼ぶのだろうが、動けない木々ではない「人間」はそうした「場」を求めて自由に移動できる。それが「協働」という言葉にも含まれているのではないだろうか。
そして、自由に動けるということは、きちんと減速やルールを知って、その責任において決断することでもある。それは「自由」を担保する責任や「自律」だと思っている。まさにリーダーに求められる見識でもある。木を見ると同時に森を見る力でもあり、まさに「想像力」である。

前回の県での災害ボランティアの訓練の時、資料では「9都市合同」の図上訓練が同時開催されていたが、「そんなのは知らない、知らなかった」というリーダーがいた。自分たちだけの訓練に参加したという認識である。
あるいは今回の訓練でチームで動く直前に、話が終わった講師を追いかけて出て行ってしまったメンバーがいた。それを見て追いかける数人が出た。講演会など主催していて一番いやなルール違反でもある。名刺交換の原則違反でもあるが、これは災害時の説明会でも目にしたことがある。言ってみればこれは緊急時の「現場放棄」に近い。緊急時や危機においてはこうした自分勝手な行動は慎まなければならないルールでもある。だからこそ、そうならないために日々の基礎トレーニングが大切にもなる。メンバーやリーダーには守れなければならないルールは多い。

私たちは固定された「森」に住む「木」ではない。自由に移動し、仲間を集う人間である。その自由な個人がアイデンティティ(存在証明)を持つのに、一方で不安定な世界に生きている。

いま、どこかに所属し、そこのルールを守らないと疎外される集まりが増えている。同時に全くルールのない自由な集まりもどんどん生まれている。行政区単位の「住民」と「市民」の違いも判らないボーダレスな社会でもある。
私なども「故郷喪失者」という意識から「在日日本人」であることを言っていた時代がある。今でもよく「住民票はどちらですか」と尋ねられることがある多重居住制で生きている。まちづくりは「若者・バカ者・よそ者」が創るといわれた時代がある。恐らくそれは今でも通じるのかもしれない。それでも内と外の連携やコラボレーションは避けられないのだろう。

災害時には「内部ボランティア(受容力・受援力)」「外部ボランティア(支援力)」ともいわれる。その「協働」のための共通する「言葉(標準語)」やルールがなくてはならない。それが今回の訓練でも筋の通ったマネジメントでありICS(インシデント・コマンド・システム)なのだと思っている。

災害対応で、全く成果がない活動でもよく現場で「拍手会」や「称え合い」でクリティカル・シンキングはあり得ない場合が多い。「参加することに意義がある」というオリンピック精神もいまでは政治と商業主義にまみれている。ケチをつけたら叱られる雰囲気だ。しかし、本物に育てようというときは、実は正確な批判や反省は貴重である。そしてそこから生まれる「教訓」を糧にして本物の木や森は育つのだろう。私の辛口な意見は裏方でいい。目立たなくていい。誰かがしっかり受け止めて、次に活かせてくれることを祈っている。
詳しい訓練の報告は「災害ボランティアネットワーク」(www.saigai-v.net/npobousai/)にまとめた。心ある人に読んでほしいかな?

親父2親父は大正14年12月5日生まれで、20日後には大正天皇が崩御して元号が「昭和」となり、昭和元年生まれともいえる。だからよく「俺の年齢は昭和と同じだ」と言っていた。昨年の9月末に90歳で他界した。だから生きていれば91歳。今年の12月には92歳になるはずだった。言い換えれば親父は「大正」「昭和」「平成」の三時代を生きたともいえる。一番長い元号といわれる昭和も64年までだから、もうそろそろ次の「平成」も30年近くなる訳だが、これを短いと感じるか。どんな評価になるのだろうか。

日本人の歴史や時間感覚の複雑さはさすがだと思う時がある。この元号や西暦だけでなく、企業経営をしていると「年度」という区切りもある。そろそろ年末調整の時期だが、個人の確定申告は「年」単位、つまり1月〜12月で、行政は4月〜3月の「年度」。会社によっては会計年度の区切りは創業時に自由に決められる。税理が楽だからとNPO法人設立時に9月や10月スタートにしてよく混乱した経験がある。西暦と合わせて「一体いまは何年度だ?」と決算書類作成時に年表を作って苦労した。

「平成」という新元号を、亡くなった小渕元首相が掲げる映像とともに思い出す。「平和に成る」元号ということで戦争に翻弄された「昭和」からの決別を感じた。うちの子供たちもいまや「昭和世代の生き残り」といわれる。11月の憲法施行から71年で考えると親父の青春20歳までが戦前・戦中で、戦後が70年かという感じもする。
今度は天皇が生前で引退、せっかくの「平成」が再来年には変わるというが、どんな元号で、どんな時代になるのだろうか。天皇が80を超えて自ら退位を宣言するという時代は、過去に例の少ない時代の到来かも知れない。戦後の「象徴天皇」という存在を強く意識した、今の天皇だからこそできることではないだろうか。そして、それをきちんと受け止めよう、時代を引き継ごうとしているように見える皇太子殿下にも敬意を表したい。この「平成」の終わりが、「戦後」の終わりとなって新たな「戦前」の始まりだけにはしてはいけないと強く心に思う。

私の兄は3歳違いだが、早生まれなので4学年上で共に私たち世代は、戦後ベビーブーム時代の生まれで団塊世代、戦後復興を経て平和国家、高度経済成長を生きてきた。少なくともいいにつけ悪いにつけ「戦後世代」であり、「戦争を知らない子供たち」「20世紀少年」とも呼ばれた平和憲法の申し子だろう。主権在民、基本的人権尊重、平和国家建設は、今の天皇ではないが、過去の教訓を生かして世界で唯一の被爆国としても世界から「戦争の惨禍」をなくすことを使命として育ってきた世代であるはずだ。

1親父親父が生前、終戦までは国を挙げての「15年戦争」時代で、「欲しがりません勝つまでは」を信じてすべての生活や暮らしが「戦争」を意識していて「大人」になるイメージはなかったと言っていた。「少年のまま」死ぬのは宿命だと思っていたし、世界を相手に負けるとも考えたこともなかったそうだ。
同時に、そのすべてを失った喪失感も大きかったといえるだろう。高齢になって思い出すのは、その失われた過去の話が多かった気がする。その懐かしさや憧憬は、長男に軍艦や戦闘機のプラモデルを与えて、まるで戦中や戦前の軍隊がよかったような錯覚を与えてきたのではないだろうか。なんでも「拡大」「大規模」「成長」の欲望に勝るものはないという消費の神話の世代でもある。
親父の世代はゴミでもため込む「欠乏症」の戦後後遺症にも苦しんだ。高齢者施設で北朝鮮の映像をみて、白馬にまたがる「将軍様」は当時の天皇を思い出し、軍隊や国民の様子はまさに「当時の大日本帝国」時代そのものに思えるとも言っていた。
当時の自分たちを思い出し、「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてし止まん」「鬼畜米英」で、誰かが止めなければABCD包囲陣に対し戦争しかなくなると危惧してもいた。軍国少年にとっては、そこで死ぬことに恐怖感はないのだ。むしろ、生き残る方にこそ「展望」や未来は見えていない。

親父は焼け跡の東京に復員して「特攻隊クズレ」「死に損ない」と言われ、戦後「第三国人」に乗っ取られ始めた浅草六区界隈で小屋(映画館)や興行を巡るヤクザまがいの暴れて荒んだ日常で20代を過ごした。高度経済成長時代も何かにとりつかれたように仕事人間だった。常に追いつけ追い越せ、一発当てろと躍起になっていた。そのくせ家庭を顧みず、生活の「質」や暮らしのクオリティには無頓着だったような気がする。

親父が初めて自意識を持った。「目覚めた」のは恐らく「政略結婚だった」と悪口を言いながらも家庭を持ち、子ども(私たち)を生んだ頃だったろう。それでも意識の奥深いところには戦前回帰の残像が残っていたような気がする。「三つ子の魂百まで」といわれるように、戦前の暮らしや学校教育での思い出は、時代がどうであれ心に焼き付けられてしまったのだろう。海軍、陸軍エリートに憧れ、飛行兵として死ぬという「期待される人間像」からは逃げられなかった。死ぬまで人間はどう生きるべきか、何が幸福かを知らずに死んだような気がする。

自分の人生を思い返して、自分がいつ自意識を持ったのか、社会や時代に自分を位置づけ、この国のアイデンティティを身に着けたのかはよくわからない。さすが天才の三島由紀夫は自分が産道から生まれ出る記憶があると言っていたかと思うが、自分が生まれてこの方切れ切れの記憶の中で、初めて「自分」を認識し、意識下できたのかを思い出すことは、「自分史」などを書くときに大切なのかもしれない。

確かにいつも誰かに、何かに促されて、ある種の強迫観念で動かされる。それは親に認めてもらいたい、ほめてもらいたいという素朴な感情から始まる。幼稚園の運動会、学校の通知表やテスト用紙。合格通知。アルバムを開くと切れ切れに自分を動かしてきた「時間」の記憶が蘇る。漠然とした人生の夢の堺でそれぞれの場面や事件に遭遇してきたのを思い出す。
それでもどこかで初めて「自分の存在」を意識し、その存在をかけて行動したはずだ。その行為を促した自己決定の時の意識や自覚。自己決定を思い出そう。そのときこそイリイチがいう『自覚の祝祭』の自分の二度目の誕生日に当たるのかもしれない。それが多分、「自分発見の旅」ということで中高年に流行るブームの深層心理なのかもしれないと思える。

60歳を過ぎて心臓の疾患という大病で胸部を開腹、冠動脈血管移植の心臓バイパス手術を受けた。その術後の意識回復の状況を夢うつつの中で忘れないようにと、病室でこのブログに書いた。まるで実況中継のように薄れゆく記憶を書き留めることができた。
そこに書いてあるように、麻酔から目覚める段階の様子はまるで人生の記憶に近い。苦痛で目が覚めるたびに、人工呼吸が外され、いくつかのパイプが体から抜かれ、場所が手術室、集中治療室、病室と移り変わっていく情景だ。わずかない日数や時間の流れが、まるで自分の人生を巡る旅のように、走馬灯のように思い出の断片の記憶と錯綜する。この医学の進歩を体感しつつの旅はとてもいい経験だった。臨死体験などもこんな感じなのだろうか?
ともかく断続する記憶は人生の輪廻転生のような感じがした。日本人に限らないのかもしれないが、「新年」という区切りは身も心も新しい思いで再出発させてくれる、毎年訪れるイニシュエ―ションみたいなものだろうが、この「元号」というものは独特の時間の区切りを、その非連続性を印象付けないだろうか。
一方で「西暦」は連綿と続く人類の広がりや連続性を感じさせる。「展望(パースペクティブ)」というのは片手を目に近くにし、もう片手を伸ばして同時に両手を見るような手法のことだと習った気がするが、まさにその家、地域や国の特性を身近に感じながら、遙か遠い異国や異文化の歴史や暮らしを想像するという「知性的」な理解の仕方なのだろう。ちょうどこの「元号」と「西暦」を換算しながら時間軸を見通すことが大切なように、何ににでも共通するものの見方だろう。

よく例え話で、どんなに平和が大事で人殺しが悪であっても、現代人がタイムマシンで戦国時代に訪れて、武田信玄に「争いはやめよう」といっても説得できないという話をする。同じように、アジアやアフリカ、中東で目前の敵と戦争している部族に、そうした人類の普遍的価値を納得させて武器を捨てさせることはできない。彼らは私たちが味わってきた19世紀や20世紀をこれから迎えようとしている訳だからだ。
最近の先進国ですら「先祖返り」の20世紀に戻ろうとする勢力が強まっている時代だ。こんなとき最年少でノーベル平和賞を受けたマララさんの言葉が胸を打つ。「1本のペン、1冊のノート、本。1人の生徒、教師」、つまり「教育」からしか世界の「平和」「理想」は始まらないのだろう。
さて、どんな「元号」になるのだろうか。

早いものでもうすっかり秋の気配から冬を感じさせる季節になった。この時間はまだ「夜明け前」で辺りは暗い。思わず「友よ、夜明け前の闇の中で〜」と唄が出てきてしまうのが私たちの世代だろうか?こっちもすっかり高齢者になって家人から嫌がられる早起きになっている。寝ている時間がもったいないという訳ではないのだが、早寝早起きが高齢者の特権でもあるのか。

それでも体の調子もあまりよくなく、震災以来多くの死と出会ってきたせいもあってか、めっきり心も弱ってきたなと自覚する。世では「エイジレスだ」「高齢者時代だ」とアグレッシブで年を忘れたような元気な高齢者も多いが、確かに心身とも健康が第一というのは本当だろう。体が動かなくなってはどうすることもできないのは事実だ。それでも病や死に行く体を自覚するのもまた人生だとも思うようになっている。だから残された時間を考えることも貴重な体験だろう。それを残すのも全く意味がない訳でもないだろう。

昨晩、facebookで同じNPOを立ち上げた障害のある友人が病気の進行で片足を切断した記事を目にした。痛ましく「悲しいね」をクリックすることもコメントを送ることも出来なかった。まさに言葉も出なかった。

震災後、ある避難所の崖下で冷たい雨の中を若い自衛隊員たちが土葬のご遺体を掘り出し、搬送する現場に出くわしたことがある。時々、あの震災後の災害ボランティアの体験や毎日をふっと思い出す。できなかったこと、まだ後始末をしていない反省で心が落ち着かないときがある。
雨合羽を着て、鉄兜に当たる雨水が頬を流れる。ただの雨水なのか涙なのかわからなかったが、隊員たちは黙ったまま車に丁重に収容していく。これからようやく仮土葬から火葬できることになっていた。
こちらはただ雨に打たれて手を合わせるしかできなかった。あの時の寒さ、雨の冷たさだけはいまも忘れられない。結局、当時、自分は何ができたのだろうか。何か手伝えたのだろうか。

今年、10年以上続いた障がい者支援のNPOを閉鎖した。障がい者が障がい者を支援するとして立ち上げた団体だったが、自らが筋ジスの進行や高齢化でそのサポートをする健常者も私のように病気や高齢でメンバーが動けなくなったのが原因でもある。ふがいないが、若い力を組織化できる力ももなかった。先の足を切った彼女が初代の代表であった。リュウマチで車椅子なのに、若年性認知症のご主人を支えて元気に老々介護で頑張ってきたが、神奈川に越して娘家族と幸せに暮らしていると思っていた。

この間、自分の人生の中で多くの知人、友人、家族の死に立ち会ってきた。もうそういう年齢になったともいえるのかもしれない。そして、自分で思っているほど心が強くないのだと思う。ストレス性の原因での心臓バイパス手術など長期の入院体験でここ最近は歩くのもやっとの生活になって、心身の健康の大切さも痛感している。だから支える家族の気持ちも痛いほど感じるし、あの若い隊員たちのPTSDなどの心のケアも心配になる。

いくつかの団体を整理し、市民活動を自粛し、事業継承に悩みながら人生のクロージングに入った。人生100歳時代で早過ぎるという人もいるし、女房などは趣味の資格を生かしこれから新規にコミュニティ・ビジネスを立ち上げると息巻いているが、去年死んだ若い友人を思い出し、人の「死」や「人生」は常識的な年齢差などではないと感じる。
それはまさに「個性」であり、運命や寿命なのだろうかと思う。

一方で最近、震災前にやっていた市民活動のメンバーを見るとほとんど知らない若い人になっている。子供たちの成長はもっと早い。子供を見ると時間の速さを痛感する。
死んだ仲間で組合の片腕だった男が、高齢者の送迎をしていると憂鬱になると嘆きに来たことがある。高齢者ばかりと話していると老けてしまう。後ろの座席で病気や病院の話か葬式の話ばかりだというのだ。そして、顔触れがどんどん変わる。いつの間にかメンバーが入れ替わると。そして、最期は自分も癌で、勝手に遠くの実家近くのホスピスを手配して、簡単な挨拶だけで逝ってしまった。

結構、言いたいことを言える仲で息子さんも世話した時期もあった間柄だったが、事業がうまくいかず、「所詮、金の切れ目が縁の切れ目」(寂しい言葉だったが)と奥さんと離婚、家庭崩壊だったことなど長い間知らなかった。死ぬ前は新興仏教徒になって来ては偉そうに説教するので口喧嘩に近いこともした。それでも市民活動でも結構面倒みたり、手伝ってもらったり、何回も弥次喜多道中も楽しんだ。葬儀もなく、墓参りもしていない。今は故郷の長野に眠っている。

私より10歳以上も若い同年代の2人の仲間が死んだ。やはり、一人は癌だった。もう一人は大動脈破裂で急死だったが、義姉も、その葬儀委員長を務めてくれた友人も癌だ。震災や事故での突然の死も驚かされるが、癌も分かった時期から意外と末期だといきなり告げられる。それぞれ早過ぎる死だった。

思い出すままに文脈もなく書いた。母は認知症で、何もわからぬうちに死んだが、親父は
毎日日記を書き、手が震えて読めないような文字になっても一行に届かなくても書き続けた。誕生日には毎年恒例で日記帳をプレゼントした。また、「自分史」を必死に書いて、膨大な資料や原稿を遺した。その中のわずかなものだが、彼の漫画を挿入して小冊子にもした。せめて、子供位が読者になってやろうかという親孝行だった。

ようやく夜明けが終わり、日が昇り始めた。こんな暗い日記はよくないのだろうか?それでもたまにはこうした人の死を思い出し、残りの人生を考え、だらだら書くのもいいのだろう。ベッドで考え、思い出したこと、書きたかったことの万分の一も書き残せないのだから。

中国の哲学

そもそも「哲学」なる言葉は、日本では明治期に西周(にしあまね)が英語のphilosophyの訳語として広め、元はギリシャ語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)をphilein(愛する)」という意のギリシャ哲学からきている。だから、東洋哲学、まして中国哲学というジャンルがあるのかどうかは疑わしい。どちらかというと「哲学」を「思想」と同じようなものだという定義で考えることにする。

その意味でギリシャ哲学から見ての形而上学的神学に近いような、シャーマニズムに由来する源流の中国思想の文脈で説明された哲学ということで、春秋時代の諸侯の覇権争いの政治哲学、諸子百家の思想(儒家、墨家、法家、道家、農家、陰陽家、名家のような)ということでみてみよう。
それは支配する、従属させるということからの君子の、為政者の心得、政治哲学の形で発展したといえるだろう。
中国では様々な説の優位性を競って諸子百家が諸侯「群雄割拠する国家(権力者)」へ売り込む歴史が作り上げた。つまり、その思想の優位性はパトロンともいえる諸侯の力によるともいえる。

孔子特に儒家から儒教が、道家の老荘思想と不老不死の神仙思想から道教が発展した。その他の思想は、それぞれの王朝の栄枯盛衰と同じような歴史をたどり、ひとまず儒学が中国で支配的な学派となったといえるだろう。

また道教もそれまでの民間宗教から五行論(西洋の四大元素と比較される万物は木・火・土・金・水の5種類の元素に基づくという)理論性で官僚受け的な部分を取り入れて発展させてきた。特に老子の哲学の「道(タオ)」は、中国人の好きな現世利益とは逆の思想でもあり、中国の仏教に影響を与えたといわれる。老子以上に老子の哲学をわかりやすい形で引き継いだといわれる荘子と合わせて「老荘思想」とも呼ばれる。

そして、遅れて仏教は後漢王朝の時代にインドから中国へ入ってきて、六朝時代には玄学が起こり、中国仏教が盛んになったとされる。その受け皿になったのは「老荘の思想」だったともいわれるが、それでも中国仏教はインド仏教とは異質な発展をし、禅宗や浄土教を生み出し、どちらかというと現世利益を好む民族的精神性からか、世俗性・実践性が強い。

この儒教、道教、仏教を中国では「三教」と呼び、新参者の廃仏を断行した武帝は、その廃仏断行前から、三教談論を数次にわたって開催して、その優劣を、儒者・僧侶・道士に討議させていたといわれ、隋の時代くらいまでそれぞれの対立が、やがて権力の集中と安定の時代で融合していったとされる。

さらに明の時代になると禅宗の影響を受けた「心即理」を説く王陽明の陽明学が隆盛した。
この「心即理」とは、人間は、生まれたときから心と理(体)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致するので、心の外の物事や心の外の理はない。
よって、心は即ち理であると主張するもので、どちらかというと人間中心主義で、孔子などを批判し、反体制派を擁護する思想となって庶民に広まる。

よく知られているように、日本の仏教はこの中国仏教の伝来から始まり、同時に、儒教が大きな影響を与えてきた。
中国仏教の発展は、インドからのサンスクリット語を漢字で当てはめたおかげで日本でもわかりやすい漢字の当て字の教典が広まった。念仏が漢字の意味というよりサンスクリットの意味で理解させるというところでは、音で覚えるしかない。例えば「卒塔婆」は「ストゥ―ヴァ」というサンスクリット語で婆さんも卒業も関係ない、「仏塔」という意味である。
儒教は孔子の教えを集めたものである。
孔子は紀元前551年から紀元前479年まで生きた人で、彼の言説が様々な弟子により広められ、書物となって残された。よく「子曰く〜」(孔子先生が言うには〜)と漢文でも馴染の表現である。彼の哲学の関心は倫理学と政治学にあり、個人及び権力者の倫理、関係の正しさ、誠実さを重視し、論語は儀式の重要さだけでなく「仁」(人の心)と「礼」の重要性を説く。
この君子の哲学、道徳という側面は日本の武士階級には受け入れやすかったようで、江戸時代の国教のような普及があり、明治から昭和にかけては軍人によって大事にされてきた。日本には大きな影響を当てた哲学である。

『釈迦牟尼仏陀』、画家張勝溫中国哲学の特徴は、実に多彩な百家繚乱のようで、同じ語彙と関心を共有することだろう。
道・徳・理・気など、あるいは人間と自然を一体化し、一神教にありがちな宗家中心の思想を弟子たちが解釈しながら、中国の伝統的宗教の対立の原因ともならなかった。
それには哲学の目的は第一に倫理的・実践的指針となることだという信念があったのだろう。人間の生き方、実利的、実践的というある意味で現実主義的な哲学である。

また、よく言われるように、仏教はインドに生まれたが、仏教が最も継続的に影響を与えたのは中国であるのは間違いないだろう。日本の仏教の多様さもこの「中国仏教の影響」であるといえる。

近代に至っては日本と同じように、西洋哲学の影響を受けるが、マルクス・レーニン主義が毛沢東思想になって他の諸国の政治思想に影響を及ぼしたように、思想のるつぼを独自に再編成するパワーがあるのだろう。
中国人は生き物ならなんでも食べるといわれるが、思想的にもそのおおせいな食欲は当てはまるのかもしれない。
残念ながら今の中国共産主義は唯物論的無神論で、その面影が失われたようだが、違った「中華思想(自分たちが世界の中心)」と先祖返りの覇権思想で大国主義国家を作り上げる意志だけはご免こうむりたいもんだ。

どうにか、簡略化で東洋哲学までまとめてみたが、日本の哲学入門研究はしばらくお休みした上で再開ということになりそうだ。

小泉進次郎超大型台風の中、開票が遅れて確定結果が出なかった第48回衆院選はどうやら勝敗が決まったようだ。最終的に与党は、自民党の追加公認3人を含め、総定数465のうち憲法改正の国会発議に必要な3分の2にあたる310議席を超えたようだ。今回の総選挙は実に面白かった。
追い上げた急場しのぎの立憲民主党は、どうにか野党第一党になる見通しで、これで2大政党制は当分見送られながらも、改憲発議での抵抗勢力になる健全野党としての役割には耐えられるだろう。
実際、選挙はやってみなければわからないというところで、当然と言えば当然の結果であり、面白がってばかりもいられないが、次の選挙までこの範囲での与野党の政治編成が焦点になっていくのだろう。この間、「選挙協力」という野党再編でなく、日本の「民主主義のゆくへ」を問う「政策的党派再編成」が進む可能性も出てくるのだろうか。

結果から見れば、選挙での「野党共闘」は実現せず、民進党の分裂解党と小池新党の失速で与党大勝利というところだが、冷静な若き政治家小泉進次郎の言うように、与党安倍自民の力というより、選択肢の少なかった有権者のむしろ常識的な判断であり、与党自民党の内部的改革への信頼であった結果のようだ。その意味でアメリカ型二大政党制をイメージしての小選挙区制は現状において、自民党的政党の勝利であるといえるだろう。

自民党的政党は何だろう。小泉進次郎は自民党の若きプリンスであると共に、「自民党をぶっ壊す」と言って派閥政治外から総理になった小泉純一党の息子であり、当分、目が離せないと同時に、実に「自民党的」政治家である。そのことはいつかで述べよう。

ともかく、統一的対抗勢力のない今回の選挙は、結果的に国民の経済的にも安定政権を望み、不安定な少数政党の連立よりは現与党内の党内民主主義や自浄力に期待するというバランス感覚の健全な民意かもしれない。

小池の「希望の党」は海外メディアが評していたように、むしろ従来であれば自民党内の「派閥」に過ぎなかったものを、外に出ての議員数と政治資金獲得のための苦肉の策で元から分裂気味の民進党を分断し、政治的路線を明確にしたという意味では、混乱の責任者であると共にある種の功労者でもあったろう。また、その分、まだまだ自民党的政党の要望が、一時期の旋風を起こしかねない期待感もすごかったのだろう。そして、急激な衰退も実に自民党的であった。

この選挙は、実は「戦後の自民党的なもの」を考えるとてもいい機会になった。それは現在の安倍一強体制を作る小選挙区制登場で、中間選挙区制度で絶好調だった派閥政治を弱くした小泉の後を継ぎ、その後のコロコロ変わる日替わり定食並みの総理大臣、同じような民主党政権の野党時代を経て、自民党が営々と作り上げてきた、まさに「戦後」を変える歴史や作業の節目にもなった。

それは安倍が変えたいという「戦後レジーム」という言葉に象徴されるだろう。

そもそも「自民党」(自由民主党)とは、1955年に日本民主党と自由党が合同して結成した保守主義を掲げるで政党でであり、世界的な米ソ冷戦構造の中で資本主義・自由主義と社会主義・共産主義という2大イデオロギー、階級闘争の時代を反映して、「万年野党」としての社会党、共産党との対立構造の中で成長してきた。

その成長過程での政治的課題は「戦後の独立国」としての立ち位置ともいえる。終戦直後の連合国、占領軍側の意図は、日本軍国主義の廃絶と非武装化、民主主義体制の推進だった。そのためには世界的な理想ともなる「平和憲法」制定と平和国家建設をスローガンに、基本的人権尊重と国民主権の民主主義的政治体制の構築が求められた。
そのための前提となる日本軍国主義の反省がある。
明治以降に作られてきた絶対的天皇制、軍部と統帥権、天皇の神格化という体制が、大政翼賛会という政党政治を停止させ軍事政権化してきた昭和初期の反省があるが、多くの政治家の反省や内省より、一番過去の教訓を得て、そのことを象徴天皇として戦犯にも問われなかった天皇家ほど過ちを悔いて生きようとしたのかもしれない。安倍批判とも取れる現天皇のお言葉にはそれが感じられる。

つまり、象徴天皇制と「非武装中立」の平和国家から日本の戦後は始まるはずだったが、この冷戦、特に朝鮮戦争をスタートしてのアメリカの「世界の警察」という軍事戦略は、資本主義陣営の尖兵としての役割を現実的に担う日本が、敗戦国への進駐軍から在日米軍という名前だけの変更しての占領軍を受け入れ、その補助的な「軍」としての「自衛隊」をつくり、それらの足枷となる「日米安保条約」「地位協定」「日米合同委員会」なる政治的装置を認めさせられた。世界の情勢から見て、沖縄の基地問題など純粋に日本が独立国とは言えない現状の態勢を作り上げてきたのである。

そして、軍国主義に牛耳られてきた編成の中で戦後の政治家たちは、したたかに「非武装中立」という日米安保条約体制を活用しつつ、平和憲法を盾に戦備や軍事経費に国力を注がず、急いで戦後復興と高度経済成長を実現してきた。
その現実主義的政治手腕は見事というしかないだろう。過去の自民党代議士の中のリベラル派、護憲派、本流保守と言われる政治家にはそうした傑出した人物がいる。
戦中「欲しがりません勝つまでは」と配給で我慢し、「貧乏人は麦を食え」といわれた戦後を生き抜いた日本人は豊かさを実現し、経済大国にまで上り詰めてきた。これがまさに「戦後レジーム」にほかならない。これが日本の「現実主義的」な「戦後保守」、自民党の本流だったろう。

幾度となく「もはや戦後ではない」といわれながら、私たちの世代は「戦争を知らない子供たち」として育ち、自民党という「現実」対社会党という万年野党の「理想主義」の二項対立で生きてきた。そして、経営側も労働者階級もしたたかに戦後の高度成長を支え、総中流社会を作り上げてきたのだ。その意味では左右の政治家に戦後を乗り越えた経験を共有し、戦後の共栄をさせたシンパシーがあった。その成果を「戦後レジーム」というのだ。

恐らく安倍の主張する「保守」あるいは「戦後レジーム」からの転換は、この自民党が作り上げてきた55年体制を崩壊させることだろう。それはむしろ戦後築いてきた自民党的体制を破壊し、戦後の日本の良さを失わさせる政策が垣間見える。
精神的には単純な復古調、軍国主義の再構築する中での自己満足だけで、現実的には対米従属と、経済的世界戦略に追従しての日本だけでなく世界をも壊しかねない、トランプ型経済唯一主義の政治に向かう。その世界的政治経済の潮流、現代の危機は既に地球存亡のレベルにまで来ているのだ。本来の保守派はむしろ、今進み始めている安倍流の破壊から日本を守らねばならないのかもしれない。

確かに戦後の反省から過去の日本史や文化の全否定、日教組の自虐史観は自己否定型の歪んだ精神性を育てながら、内田樹の言うように、全共闘・学園闘争の時代の「反安保」という政治闘争までに進化する青年たちの心情は実は、幕末の明治維新期の志士や昭和初期の北一輝などに見られる尊王攘夷思想に類似する「反米愛国」の尊皇ナショナリズムを描いた。
一見、左翼的な「安保条約反対運動」は、三島由紀夫が見抜いたように学生たちが冠に「天皇」を頂けば、右翼的な反米愛国運動に変質していったのかも知れないほどの、日本人の政治的な「爆発的エネルギー」に満ちていた。
言い換えれば、日本人の深層心理内の「先祖返り」をここで爆発していたともいえるのだろう。
小池百合子な好きな「弁証法」を使えば、まさに正と反という全く対立する潮流が日本人的精神性の中で見事に「アウフヘーヴェン(「止揚)」されていたのかもしれない。

「人間は自分自身の歴史をつくるが、自分が選んだ状況下で思うように歴史をつくるのではなく、手近にある、与えられ、過去から与えられた状況下でそうするのである。死滅したすべての世代の伝統が、生きている者たちの脳髄に夢魔のようにのしかかっているのだ。」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)とカール・マルクスは言っている。

この時代の最先端の戦いに見えた左右のイデオロギー闘争の中で、日本人は20世紀の「先祖返り」を既に克服していたのかもしれない。その意味で実は、欧米や世界の「先祖返り」現象とも呼べる現代を、日本人は既に乗り越えているともいえる。

そうみれば、日本会議や安倍の主張する右翼的主張、復古調の日本主義はあまりにもレベルが低い。日本人が持つ寛容力や自然に対する洞察力が欠けた、中途半端な軍事大国化への幻想に過ぎない。そこには既に日本人のアイデンティティはないだろう。

今回、自民党の圧勝の実態は、野党が勝手に暴れ回って自滅したに過ぎないだろう。政治的には無風といえる。だが、今回の有権者のバランス感覚はこうした55年体制の再評価と共に、戦後に構築されてきた様々な価値観や歴史をきちんと見直し、戦後民主主義の方向を示すだろう。そして、政党政治を継続する気なら、その個人の資質と政党としての組織化を考える時代だろう。
それが小泉進次郎の自民党に対するいくつかの言葉に表されている。少なくとも自民党的な政党政治のあり方、リベラルや保守、革新といった現代の政治哲学を再検討すべき時代であることを気がつかせてくれるいい機会となった。

ここで詳しくは述べないが、今回の選挙での注目点は、相変わらず増えない女性政治家の戦況の動向。特に今回の女性代議士の勝敗や政治家としての生き方はいくつもの課題を明確化した。
そして、自民党的な政党、つまり、地縁・血縁重視の地域封建制的な、言い換えれば先に「政治家」在りき、の実に個人的共同体の政治手法の在り方が、短期間で作れない限界を新党の作り方でよく見えたこと。その対照的象徴的存在が小泉だろう。もう一方で「草の根民主主義」を訴えた枝野幸男の選挙活動だったが、これが一時の風に終わらず、組織としての政党に成長できるかがカギになるだろう。
結論から言えば、「政治家」としての個人の哲学、政治姿勢、誠実な人間性といった「理想的な人間像」が、まともな政治力という「現実」を動かす説得力つながらなければ成功しないということを見せていないだろうか。最終的には個人的な力が政治の力になる現実だ。
いくつもの偽証、犯罪「TPP団k反対」と唱えていながら進めることなどのウソは、政治不信を招き、無関心層を増加するだけだろう。

この両側面から見ると、日本的政党の課題や未来も見えてくるということだ。むしろ、地域が衰退し、自民党支持の地域がいつまで生き延びるのか。現状の地域共同体がどう続くのか。日本社会の持続性の在り方が課題になるのだろう。それは社会がどんな人間を求めているのかでもある。
ここに日本の「民主主義のゆくえ」も見えてくる。それは、またいつか考える時間をつろうか。

ここは時間切れなところで、当面は与党自民党内の民主主義が健全な方向で現在の「単純な政策・政治家」の一強体制を克服できるのか。つまり、党内での規約の任期を順守し、総裁選での、自民党の本流保守への自己変革を待つのか。
そして、選挙協力後の、戦後レジームを引き継いで保守的革新という「寛容性」を持った、戦略的政策協定での連立内閣構想を野党共闘として実現できるかにかかっているだろう。
その方向が、法治国家実現の政党のあり方であると共に、戦後の理想である、平和国家建設の国民主権・象徴天皇制と基本的人権尊重の憲法を実現するという「理想主義的現実主義」にあると、私は思っている。

東洋哲学入門ノート

今日は衆議院選挙の投開票日だ。おまけに超大型台風が関東を直撃するということで、この数日の雨に続き、これから夜にかけて風雨が明日1日続く予報だ。まさに晴耕雨読で外出も庭造りもできないので、続きを書こうかというところだ。

さてもよく短時間でいい加減な西洋哲学をまとめてきたもんだと我ながら感心するが、実は東洋哲学に関しては造詣が深い訳でもなければ、不気味な中国史にはむしろ無知に近い。それでも息子もそうだが、総じて中国人より日本人の方が「三国志」や「儒教」に関心が高いと言われるように、日本人の精神性や哲学を考える上では不可欠なジャンルである。
明治以降の学校教育が欧米一辺倒で、大学の哲学や倫理学でもまずは西洋思想から入るのでやむを得ないのだろうが、ここは西洋哲学よりさらに端折って必要と思われる最低限のところで切り上げるしかない。

結論から言えば、東洋哲学は、西洋哲学のように理屈っぽく「真理とはなにか」「理性とは何か」と「考える」「対話」という方法で「理解していく」のではななく、個人崇拝やパターナリズムのような、ある種の「哲人」が先に答えをもっているようなもので、まず考えたり議論するより「悟り」なさいという方法である。

※パターナリズムとは父権制のような絶対的権威。親父には逆らえないから神のように絶対服従するしかない。)

タージ・マハル(アーグラ)それは仏教にも通じるが、どんな方法を考えようが既に到達すべき解答はある。それをいかに「悟る」かである。だからこの方法を「哲学」といえるのか「宗教」との違いを述べる方が難しいかもしれない。その意味でも「仏教」もこの範疇に加えるということもできるだろう。

そもそも「東洋」という言葉から、欧米中心でアジアをひとくくりにした見方だという批判はあるのだろうが、こっちもヨーロッパを「西洋哲学」って枠組みでまとめているので悪気はない。本来はインド哲学、中国哲学、イスラム哲学など広範囲に入るはずだが、それぞれの影響は考慮しながら、あえて一括りで結論づけることはご了承いただくしかない。

インド哲学

『マハーバーラタ』より「クルクシェートラの戦い『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』のインド二大叙事詩の仮面劇など演出家の遠藤啄郎(横浜ボートシアター主宰)さんの指導をゼミ合宿で仰いだこともあり、少しは関心があるのだが、中国以上に無知であるのでここもかなり端折るしかない。ともかく、インド哲学と言いつつ、「仏教」の話に近いかもしれない。

特にインドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の書物は全て宗教聖典でもある<ヴェーダ - 最も古くに文書化された4つの聖典(『リグ・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』、『アタルヴァ・ヴェーダ』)の名称>。この不可分の関係は、それでもすべての宗教が哲学かといわれればそうではないからややこしい。
インド自体は歴史的には紀元前2600年頃のインダス・ガンジス文明からあるが、ともかくこの紀元前800年頃のインド哲学の源流が、東洋哲学の起源であることは間違いではないだろう。
その頃、イラン辺りにいたアーリア人がインドに侵攻し、部族間の闘争の中で支配部族が自分たちの正統性を主張するためにも神格化や階級制が必要になり、「祭司、王族、庶民、奴隷」という身分を創る。祭司バラモンがヴェーダの神々をまつり、ここにヴェーダの宗教が初期バラモン教としてインド化していった。今でも社会的影響の残るインドの「カースト制度」の始まりでもある。

サンスクリット語のヴェーダ経典には、宇宙の根元をブラフマン(brahman)と呼び、人間に内在する原理をアートマン(atman)と名づけ、その二者が一体化する方法論があり、人間の行為の善悪の果報の原因を、前生の業(karman)に求める輪廻の思想もあり、こうした影響は後の仏教にもすくなからず見られる。

その後、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。様々な部族国家や階級が栄枯盛衰し、そうした変化を背景にウパニシャッド哲学がおこり、その影響下にマハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)によってジャイナ教が、マッカリ・ゴーサーラによってアージーヴィカ教が、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)によって初期仏教が、それぞれ創始され当時のインド四大宗教はそろって誕生した。

また、バラモン教と民間信仰が結びついた形で、ヒンドゥー教がこの時代に民衆に広まったとされるが、このあたりからのインドの歴史に深入りすると訳がわからなくなるので割愛することにして、とりあえず出家した釈迦が「悟り」の境地にたどり着き、仏教の教義を確立することで釈迦のカリスマ性からバラモン教をしのぐインドで最大の宗教の位置に仏教は発展する。

マトゥラー出土の弥勒菩薩像釈迦の死後、100年、弟子たちの学派の対立で大衆化して戒律を緩めた大乗仏教と厳格な修行での悟りを追求する上座部(小乗仏教)とに分かれて、日本には教典「般若心経」ともに大乗仏教が輸入され、各宗派が現代まで続いているが、本家のインドではヒンドゥー教に駆逐され、追って13世紀に侵攻したイスラム教徒が寺院を破壊してほぼ壊滅する。

仏教の基本的哲学はインドの他の宗教や思想の影響を多く持ちながら、「あらゆるものは何かの縁によって起こり、生滅を受け入れ、永遠不変には存在しない」「あらゆる物事や現象は確固たる実体存在ではない」という「空の哲学」の中に輪廻転生していく。それゆえ、他の宗教や神にも比較的寛容な教えともいえるだろう。

もうひとつの特徴は、釈迦という「悟りを開いたもの」が入滅した後に、弟子たちが意見を戦わせて様々な「解釈」や「宗派」をつくっていく過程で、多様な理解の境地を認めるという意味でも実に「寛容」な宗教でもある。キリスト教のように、カソリックとプロテスタントのように殺し合う宗教戦争にまでは争わないというところでは実に「平和」な宗教である。

ちょっと脱線だが、西洋哲学の学派ができるのも同じように先達の考え方、解釈を巡っていくつかに分派する。元々ソクラテスのように著作物の少ない師に続く弟子たちが書き残す学派は、その言葉の理解によって個性が出てしまう。彼の哲学は「暇」「散歩」の中での「対話」から生まれた。多くの弟子がその言葉を残したと言われる。
それでもソクラテスの前提が人は「無知」であり、その「無知の知」を自覚して謙虚に真理を追究する。あるいはイギリス経験論も「生まれた段階では人は白紙」で、学ぶことで、それぞれ「哲人」になれる道を探すようなものだ。その学ぶ過程こそ「哲学」ということになる。
実は「学校」「school」(英)「École」(仏語)のギリシャ語の語源はまさに「暇」であり、今の英語での「学派」は「a school」である。学び方にはいくつかのやり方があるということだろう。
ヘーゲルも著作より講義や対話が多かったから幅広い分派が出来たのだろうか。問題は、それらを「弁証法」的解決でなく、キリスト教の一神教的な態度ではセクト主義に陥り、内ゲバが起こるのかもしれない。

東洋哲学においては、先に「悟り」に到達した「哲人」がいて、特に「仏教」においてはその理想とする人に到達するために、修行して四諦と八正道を悟りなさいという。少し詳しく言うと人生には苦諦、集諦、滅諦、道諦の四諦があり、その苦しみの原因である「執着(欲望)」をなくせば苦しみのない境地が求められる。また、そこに至る道は正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正しい道(行き方)がある。

そのことを厳しい戒律や身体的追体験という修行生活で到達しようという、つまり修行する本人が「超人」(信仰心)になることを重視する小乗仏教と、戒律を緩めて少しでいいから「超人」の「悟り」に近づこうという信者を増やすことで、全ての大衆を救済しようという大乗仏教に分かれたということだろう。

日本に伝えられた仏教も、初期の密教系は少し小乗系を感じるし、鎌倉時代以降は明らかに救済の大乗仏教という方向で伝達、広まった気がする。我が家は、少し複雑な家系で義母が真言宗、義姉が天台宗と密教系、親父が浄土宗、母方は座禅の曹洞宗と、その流れを少し感じるが、今では同じ仏壇に眠るという寛容さだ。

どちらにせよ、「真理はひとつ」とか「神に至る道は狭い」と争う唯一神に固執して争うより、西洋哲学が探し求めた「哲人」への道が、東洋では既に存在していてその道を悟ればいいというところで、結果的には「哲人に至る道」はひとつなのかも知れない。
人類の長い闘争の歴史の中で、争わず到達した人々は背中合わせに同じ境地であることに目覚めるというのだろう。弟子たちは、階段を昇りつめた先の扉を開けるためについたところで、扉の裏表で、お互い開いてみれば同じだったという感じか。人々は結局同じ地平を見ていた。だんだん人類はいい方向に向かっているのだろう。

今日も時間切れで、中国の哲学に入れなかったが、これは今度のでということで。今夜は選挙速報を見るので早めに風呂に入るか。

アメリカの哲学ープラグマティズム

アメリカの哲学を語るには、その前史でありイギリスのベーコンから始まる「経験論」を前提にしなければならない。Francis_Bacon今までどちらかというと理性中心のドイツ観念論的な大陸の哲学が中心で、経験主義をあっさりと紹介してきたが、哲学の大きな流れはむしろ、こちらにウェートが置かれるべきなのかもしれない。

アメリカ哲学を呼ぶ「プラグマティズム(英: pragmatism)」とは、ドイツ語の「pragmatisch」「実用主義、道具主義、実際主義」に由来すると言われているが、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」というイギリス経験論を引き継ぎ、大陸哲学が真理から演繹的に論じる傾向に対して、形而下学的な科学的帰納法で概念や認識を客観的な結果によって論じる。

特にジョン・ロックの自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた「社会契約論」や民衆の「抵抗権」については、まさにアメリカ建国の思想とともにその哲学の母といえるだろう。
John_Locke

「プラグマティズム」

その発祥は、独立を果たした建国間もないアメリカが、60万人の戦死者という黒人の奴隷制度をめぐりもっとも多数のアメリカ人が死んだ南北戦争後に、ケンブリッジで開かれたサークルにあるとされる。
時代は戦争後の人種問題や科学の急速な発展と価値観の混乱の中で、ダーウィンの「進化論」をめぐり「キリスト教徒」としての自分たちの矛盾をいかに解決するかという問題に直面していた。
貧しき移民の白人が神の手に導かれてどう建国するか、原住民であるアメリカインディアンとの対立や解放された黒人を交えて複雑な現実に対処しなければならない、移民の白人たちは「現実主義的」な行動するための力、「信念」を求めていたのだろう。

そこでパースによって「プラグマティズムの祖父」と呼ばれているグリーンは、「信念とは、ある人がそれにのっとって行動する用意のある考えである」という定義をすることで「哲学の議論から無用な意見を整理する基準をもうけた」という。
唯一絶対の真理がある訳ではなく、真理を見つけるための過程が重要で、複数の人間が認めることこそ正しい真理になる。そのための行動に意味があるというのだ。

1910年、ジェームスによって『プラグマティズム』という著書が出版され、その哲学がアメリカ中に広まるとともに、現実的問題解決型の哲学を普及させた。後期にはシカゴ派と呼ばれるジョン・デューイが機能心理学、教育哲学を提唱し、「社会制度は個人に優先し、個人を形作る」のであって社会的配慮は個人の自由を促進するとした。人は人種、性別に関わらず平等な存在として対等に扱われ、違う考えも尊重されなければならない。その制度こそ自由主義国、アメリカの哲学であるとする。

このシカゴ学派はプラグマティズムを完成させ、科学的基準と哲学的基準に差があっても認めるというような多元的な捉え方をするとともに、他者との協働といった民主主義的な真理探求を特徴ともする。それは自分とは異なる意見を尊重するという、アメリカ人の生き方、文化にも影響を与えた。
私などもデューイやジョン・ハーバード・ミードなどにかなり影響を与えられた。それが”「自我」とは自覚されたときから社会の場にいる、つまり「孤立した自我」は本来の自我の状況ではないというのが、ミードの立場である。「個人」「経験」「精神」はコミュニケーションをとおして出現する。”というアイデンティティ論にも関係するところだろう。

学問的にはどちらかというといくつかの思想家の流れに沿って、パースの論理的実証主義的、ジェイムズの倫理的功利主義的、そして、デューイの心理的自然科学主義的な学派があるようだが、1930年代になると大陸合理主義の哲学者たちが移住してくることで、アメリカ哲学界はヨーロッパの影響で、プラグマティズムは哲学というより「社会科学」のひとつと考えられるようになったといえるのかもしれない。

私が高校生の頃、一番夢中になったのは、ナチス台頭のドイツから逃れてきたフランクフルト学派のエーリッヒ・フロムが書いた『自由からの逃走』であったが、それはフロイトの精神分析の知見を社会心理学に応用してファシズムの起源を探り、個人の成長が疎外され、自己実現が阻まれる危機において、人は、権威への従属と自己の自由を否定する権威主義に向かうことになるというものだった。

西洋哲学の伝統がドイツの大陸合理論の流れとすると、「神が死んだ」ヨーロッパにおいて、それでもなお神の信仰を捨てきれない西洋人が二律背反的か弁証法的かはわからないところながらその二重構造の精神性を深層心理に抱え込んでいるのだろうか。

それに対してアメリカ人は現実的な多民族で多種多様な人種や、宗教を受け入れることで社会的に多様性の国家を創っている。もちろん、その摩擦や軋轢もある。白人のカソリック、プロティスタント人口がまだまだ多いとしても、マイノリティの権利や主張を尊重し、この国家は「地球人」として「民主主義的な政治・社会」の壮大な実験に取り組まざるを得ない。それは多様性における「寛容の哲学」でもある。

このアメリカの「現実主義的哲学」は西洋のキリスト教の影響を持ったままの哲学と異文化の出会いの中から西洋以上の矛盾を抱えたままの「民主主義」国家建設に取り組んでいる。それが人々の平等な理性、「良識(コモンセンス)」を前提にした議会制度とともに、間接的代議員が選出する個人の権威による大統領制度のバランス感覚だろう。

アメリカ大統領制度は、自由な大衆を主人公にしつつ民主主義がもつ愚衆政治のリスクを、大統領の個人的権威で担保しようする。つまり、あえてプラトンに由来する個人への権力の独裁という「哲人政治」への可能性を明確化していると言えないだろうか。
むしろ、その強大な個人への権力の集中を制度化し見える化することで、民衆にとって自覚的に「哲人」という指導者に敬意を表しつつ、従属することなく自己の自由を守りながら従うという法治国家を守ることができるのだろう。議会はそのチェックや抑制としての機能を持つ。
それが他の国の民主制度の中での知らず知らずに向かう独裁制を抑制できるのかも知れない。

アメリカが持ついくつもの社会矛盾は、建国以来の「抵抗権」尊重のためにいまだ民衆からの「刀狩り」ができない銃社会や、今でも残る人種差別、イスラムや増え続ける移民、難民など現実的には困難なものがある。だが、キリスト教的な理性を超えて多様な文化や哲学との対話の中で「自分たちは何者であるか」を「考え続ける」のだろう。
アメリカ型の国、文化的な発展している国は似たような歴史を持つ、カナダやオーストラリアなど他にも意外と成功例に近いものがあるのかもしれない。
そこにこれからの新世代が「地球人」として共有できる哲学の可能性もみることができないだろうか。

このアメリカのプラグマティズムを生んだ西洋哲学の中で見てきたものは、長い人間の争いの上に「国際連合型」という「世界連邦制」EUに実験的に取り組むヨーロッパの挑戦という形で、提示されてきたいる。
ナチのヒトラーを生んだドイツのメルケル首相をはじめとする過去のこの国の指導者は、その民主制からの独裁誕生の矛盾を、まさに「アウフヘーヴェン」しようとしてきた。彼らの「理想」は戦争のない、「平和」世界の建設である。そして、その西洋の理想はアメリカにも引き継がれている。

ここが恐らく、現実には少数民族の同様の広大な領土を持ちながら個人崇拝で、「中華思想」が残る漢民族の単一文化国家としての「社会主義的な」強権政治・社会制度を作る独裁国家、中華人民共和国との大きな違いになるのだろう。
哲学の掘り起こし作業の中で、つぎに向かうのはこの中国を中心とする「東洋哲学」の探究だ。

今のところ、いい悪いの評価は別として、この欧州に加えてアメリカと中国の3つの挑戦が、人類の哲学的な未来を形作るのだろう。

しかし、世界は「先祖返りの」単純な思考の指導者に取って代わられそうな混迷の争いの時代に向かおうとしていないか?
この危うい大国主義の中国を目の前にして、アメリカがその理想であった大統領制によって、ひどく単純な利己主義に先祖返りするとき、世界の流動化や移民問題、同時にパンドラの箱を開けてしまったイスラム圏からの大量難民問題で世界は混乱の時代を迎えるのだろうか? 
「アメリカンファースト」「強いアメリカを取り戻す」というトランプ政権の幻想は、野蛮な資本主義と対立を呼び覚ますかもしれない。だが、もう一度、アメリカは哲学を求めている。
オバマ
アメリカではプラグマティズムは一時衰退し、いま再び現実社会から、「西洋哲学的な絶対的真理を求めない哲学」を、分析哲学として「真理とはうまく説明できることだ」とする新しい哲学として再生しつつある。
IT企業の代表としてのスティーブ・ジョブズが語ったように「自分の権利を頑なに守るのではなく、みんなでシェアしよう。」というのは、まさにプラグマティズムの精神そのものだろう。

それぞれの個性を認めつつ、差や対立軸を強調するのではなく、融和を求める姿こそ「希望」である。どんなに面倒であっても、個人ひとり一人が自ら問い、考え、対話を通じて理想社会を形成していくしか道はない。その「現実」こそ地球の未来に他ならない。

我々はいま何をしなければならないのだろうか。それはアメリカ合衆国発の黒人大統領であったバラク・オバマの言葉に象徴されている。日本は世界に先駆けて、このアメリカの理想を現実化できる平和憲法を持っている。その歴史的偶然に感謝し、世界に広げる努力は我々に与えられた使命なのかもしれない。

「戦争がこれからあると知りつつも、平和への努力を続けることができる。(中略)それこそが、われわれが地上で果たすべき仕事だからだ。」(バラク・オバマ)

まだまだアメリカの哲学には普遍性が残されている。

西洋哲学のまとめ

ようやく終盤に来たが、結局、西洋哲学史の先人たちの苦労話から「哲学的思考」の基本は、哲学が「自分は何者かを理解する話」だということだろう。同時に、「世界」、自分と他者をめぐる集団や組織、社会や国家といった「権力の源泉」といったものを、主観と客観といった「物」と同じように存在し、あるいは見ることができるのかという問題である。

men生まれたとき、人間は未熟で、成長過程で周囲や他者の眼差しで育てられ、得られる経験や知識によって「意識」や「認識」ができ、その意識を中心に世界を理解する。だから様々な外的要因で自分を規定することになり、その中に自分の民族や出自、宗教、イデオロギーなど様々な価値観を醸成して「人格」を持つ個人となる。
個人にとって「世界」はすでにあるものであることは間違いない。問題は自分や人間世界は、物や他の自然物のように既に変えられない固定したものなのか、意志や意識で変えられるものなのかということである。

人間は、自分が生まれた、その「世界」観に基づかれた教育によって、存在を規定される。この哲学史で自明とされたパラダイムやキリスト教世界から解き放たれようともがいた先人たちの知恵の歴史や苦悩がわかった。その学びから自己認識を変え、それまでの環境などの呪縛から脱して、何者にでもなれる自由を得ることも可能だということも理解できた。
現実問題、客観的に「世界」を変革するのは困難かも知れない。だが主観的にみれば、世界は変えられる。その存在そのものも変えられるし、「無」にすることもできる。自分が目を閉じれば世界は闇になり、自分が死ねば世界も終わる。しょせん、人は「孤独」な存在でしかない。
それでも自然物と異なり、「変えられる」ということが哲学の大きな進歩だった。主観的には自分も世界も変えることができるのだという自覚が、希望が持てる。

しかし、他人の目や鳥の目になって外から俯瞰すれば、死んでいく自分に関係なく世界は存在し続ける。一人の人間の死など「無」に等しい。客観的には自分がどうであれ、世界は存在し、続いていくのである。世界はちっぽけな自分を置いてけぼりに勝手に存在していくのだ。

それでも自分から見れば反対にその存在自体が死と共に「無」でしかない。世界にとって自分の存在は「無」だが、反対に自分中心でみれば、個人の自分が死ぬとき、自分の存在とともに世界も「無」になる。

自分を視点にすればその世界(客観的世界)そのものも自分の意識(主観)の中にしかない。二元論と一元論の議論も、主体の置き方で変わってくる。認識や意識の世界の話が哲学だとすると、世界は一元論といえそうだ。

結論的には、今でも多くの西洋人はキリスト教の影響下にあり、神の見えざる手の構造という世界に生き、それでも自分の実存を認識することでの、何者にでもなれる「自由」を闘い取る可能性は持ち始めているのだろう。

そのとき同時に心の安定が必要となる。自分も世界も「目に見えざる構造」の中にあり、意識できない無意識や本能など動物的、性的リビドーが人格を破壊させる危険もはらんでいる。無意識の間に、自分が自分でない危険もある。この無意識の世界が自分の行為や行動にどう影響を与えるのか。
むしろこれからの「ステルス型情報ツールの時代におけるバーチャルリアリティやサスティブナル効果など、長い「暗黒の中世」のキリスト教のように、今度は装いも新しく直接的に人間の深層心理や無意識の階層に刷り込むことが可能になるとき、人間は自分の意識化だけで対抗し得るのだろうか?この時、今度の敵は人間が作り出してきた文明や知恵のAIによる新たな神なのかもしれない。その前に人間にできることはなんだろうか。

世界が情報社会で小さくなりながら、この深層心理や無意識から、世界は宗教や民族・部族対立で分断は大きくなっている。そのリスクを知ることが大切でもある。

人はある目覚めの時、宗教や国家といった呪縛から自由になれる。身分や職業からも選択できる。まだまだ偏見や軋轢はあるだろうが、最近の、「LGBT」や「トランスジェンダー」「性同一性障害」も解決できる時代でもある。イリイチはそれを『自覚の祝祭』として祝う。

また私の個人的話で恐縮だが、2つ目の大学での恩師はエリクソン研究の第一人者で「アイデンティティ(自己同一性)」論の権威でもある。
人間はどんなに利己的で孤独を愛そうが、一人では生きていけない。「人間」という漢字には既に「間」という社会性の存在であることを示している。社会の仲間である、どこかに所属して生きるというところでは、「自分が何者であるか」の認識は、このアイデンティティなくしてはあり得ないのだろう。
デカルトは「我思う」から哲学を始めたが、この「我」には単独で本当に自分だけの「我」(純粋理性)とより、既に地理的歴史的に「我々」でできていないか?という意味では常に「我」に影響する「共同体」の影を引きずっているのであり、またそれなしには「人間」としては存在できないのだろう。

この問題は、客観的自由を勝ち取ってもなお、精神的な他者との共存という「共同体的意識」の課題として、いつか語りたい分野ではあることも、付け加えておこう。

さて、最後に、対立する二つの考え方をカントの二律背反(アンチノミー)としてほっとくという手段意外に、「弁証法」という手法があることをまとめて、この項を終わりとする。
この二律背反(アンチノミー)という方法は、イリイチに言わせると「To be left alon.(ほっといてくれ)」という意味で、「矛盾」であれ、相互に出会ったことにかかわりなしに相互で認め合う方法として有効な場合もある。
だが現実には、矛盾を矛盾として受け入れることが人間にはできないだろう。
自分たちの「思う」が絶対的に真理だと主張し合うことで、その矛盾のまま交わることが現実にはできない以上、解決は争いであり、武力による勝敗が決着をつける場合が多い。負けた方は屈辱や怨みを持ちながら征服されるのである。そして、明らかに武力闘争は双方を傷つけ、何らかのしこりや影響を及ぼさざるを得ない。

物理の実験でも、あるモノの何かを探るのに衝突すると、両方に影響を与えてしまうように、特に世界に自分たちの価値観を強要しようというミッションのある存在との出会いは、現実にはその存在を許容し、相互依存できるかは疑わしい。関係性は両刃のリスクとして争いか精神的病魔を生みやすい。
必ずどちらかの同化という争いになるのが歴史だった。キリスト教布教時代、特に大航海時代を経て西洋に範囲をとどめず、未開の文明にまでその価値観の侵略は広がり、現代においても先進国の多国籍・無国籍型消費経済文明は世界征服を進攻している。彼らが目覚めるのは「地球生命(ガイア)」の終わるときなのだろうか。

そこで対立する矛盾を、弁証的に「止揚(アウフヘーヴェン)」するという、いい方法を哲学は作り上げてきた。


弁証法について

「弁証法」とは対話や討論の弁論技法や構造的な考え方と言われている。プラトンが紹介したゼノンが創始者とも言われ、アリストテレスなどのギリシャ時代から使われ、ヘーゲルが完成させたとか、エンゲルスの唯物論的弁証法など、これも細かくいえば様々ある。

いつものようにバッサリ言えば、ある物事の「解釈法」であり、相手との関係では弁論や説得術、納得させる方法ということであろう。辞典では「自己の内にある矛盾をみずからの発展によってなくして、あたらしく統合された統一に到達する理論」ということになる。双方が自己変革することで受容力を高め、相手と融合する「寛容性」を生み出すのだ。

その構造は、ヘーゲル流に言わせれば、まずある命題(「テーゼ=正」自分の意見)に対して対立する別の命題(「アンチテーゼ=反」相手の意見)が出るとき、対話や議論の間にその本質的に統合された回答の命題(「ジンテーゼ=合」を出すやり方ということだろう。
常に世界には「生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。」という基本がある。つまり、どんな考えにも完成形はなく、お互い内部的に必ず矛盾が隠れているのであって、また、先の物理の話ではないが、実験用に速度を調べるのにどんなに影響の少ない粒子をぶつけても、実際には観察される物質にもわずかに影響を与えてしまうという意味で、既に対話や議論の段階で相互に影響されて、その前の内容には変化が出ているのだ。
ここで小池百合子が好きな「アウフヘーヴェン」だ。それは、「最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかし、アウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。」

どうも哲学用語は難しく言うが、二項の対立は、出会いの段階で既にらせん階段を上るように、「否定の否定」は同じ地平には戻らず、一段階上の高みに位置している。対話や議論はそういう構造になっている。まさに「人間」(人の間=コミュニケーション)とは言い得て妙な存在なのだということだ。

アダムとイブ下世話な例えでいえば、全く異なる存在である男(テーゼ)と女(アンチテーゼ)が出会い、性交渉で合体するとき「アウフヘーヴェン」すると、二人の関係は以前と異なり「恋人や夫婦」という同一性を伴う感情や関係(ジンテーゼ)ができるという訳だ。
お互いのあるがままを受け入れながら、お互いのわがままや矛盾を克服し、それぞれが自己変革しながらその共同関係を継続する「知恵」が生まれてくる。それが結婚や恋人関係として高みの生活に成長していくといえるのだろう。

頭から否定したり、金や権力に物言わせて自分の好みを強要するのではなく、お互いの存在を認めて、自分の足りないところを反省しながら、その矛盾を改善し、よりよき高みにらせん階段を上っていけるように、少しずつ共に歩む姿は、対話から始まった哲学の進歩、人間のコミュニケーション能力のステップアップの成果でもあるのだろう。
こうした解決法しか、平和的に相互が納得する方法はないのだろうと思う。

ここで西洋哲学の勉強はひとまず切り上げよう。続きは東洋哲学と仏教、そして、日本人の思想、哲学についての研究ノートという予定だが、その前に、現在、西洋社会が世界的な影響を持っていた時代から比べれば大きな覇権を持っているのはアメリカ合衆国だろう。
アメリカは建国二百年足らずの新興国だが、土着の単一民族の国でなく、未開人に位置づけられる先住民が少数の大陸に移住してきた各国からの白人、奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人、その後の移民大国という新天地を求めて様々な国々から移住してきた東洋人、ヒスパニックとまさに人種のるつぼであり、「合衆国」という新世紀にふさわしい建国の歴史と共に現実主義的な哲学を構築してきた。

これを「プラグマティズム」と呼ぶが、これは今までの西洋哲学に影響されながらも、哲学史としては別のものとして論じなければならないジャンルだろう。だから、この項を別に立てて考えておこう。

それは次の┐箸いΔ海箸砲垢襦

続々現代哲学

私の未達の卒論指導教授の専門はメルロポンティだったが、同じ系譜でもサルトルは学者、哲学者というより、作家でもあり、まさに生き方そのものが実存主義者という言葉がふさわしい。

サルトル彼はキリスト教がいうように、万物の創造主がいるならば、人の存在、その意味(本質)も規定している(「本質が存在に先だつ」)はずだとして無神論になり、「実存が本質に先だつ」「人間は自由という刑に処せられている」のだという。
それは西洋哲学がようやく神の呪縛から完全に解かれて、同時に絶望的な世界に人間が放り投げられたところで、サルトルは哲学が追い求めてきた「世界」を理解しようという呪縛からも解放する。
サルトルの実在論は、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするもので、人間が、自分がどう生きるかによって世界そのものが意味を持つというのだ。

彼は「世界には意味などなく、ただ偶然にそこに存在する。人生にも同じように意味はない。」という。だが、だからこそ自分がどう生きるかによって世界に意味を与えることができる、という積極的な人間肯定を示した。戦争で荒廃したヨーロッパにおいて、戦後の若者に強烈に支持されたのは理解できる。
彼の「アンガージュマン(社会参加型運動論)」は「重要なのは理性より行為であり、行動だ。」という挑発は、「新世代」として当時のマルクシズムのイデオロギー闘争や学生運動と世界を駆け回る。芸術では「ヌーベルバーグ(怒れる若者たち)」といった流れで映画、小説や音楽にまで影響を与え続けてきた。

サルトルの考え方で「即自」と「対自」というのがある。「即自」である事象とは「あるところのもの」であって、A=Aという存在そのものが自己同一性がある。それに対して「対自」とは人間のように自分が意識しているものではない場合がある、つまり、意識が存在とは別に自分を規定できる。しかし、社会によっては他人の眼差しが勝手に規定し拘束する。お前は「女」「学生」だと。それは人間を即自的存在として「物」と同じように疎外する。その究極が人間を対自から永久に即自的存在におく「死」であり、それは「回復不可能の疎外である」という。逆説的には、だから対自的な人間は自由を謳歌できるということにもなる。
簡単に言えば、物とは違って、人は何者にでもなれる。あるいは環境によって何者であるかを規定され、意識が拘束される。例えば「日本人である」「武士である」とか「男である」とか、「会社員」とか身分や職業によって規定されると同時に「自由」に選ぶことも可能な訳だ。

つまり、人間はあらかじめ本質を持っていないので、「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張する。どんな人間になりたいかの想像力や未来像、理想を人間は持つ「自由」を与えられた存在であり、自分の存在の本質は自らが自由に創ることができるということになる。
自分が嫌な状況を変革し、自分が望む存在になれるというのだ。むしろそれが人間の義務でもある。だが、それゆえの責任を伴う。それを自覚しての「社会参画」こそが人間の生きる道だというのだろう。

サルトルのこうした『存在と無』に続く哲学的主著『弁証法的理性批判』は、実存主義(あるいは現象学的存在論)をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論の再構成しようとしたものだが、既に時代はマルクス主義そのものの欠点を克服しているのでもう語る必要もないのかもしれない。

レヴィストロースこうした「人間は自由で主体的な意志を持った存在である」という実存主義を批判して登場したのが、レヴィストロースの「構造主義」である。
欧米の世界は、キリスト教の神の手から逃れようと必死でもがきながら、振り子のように行ったり来たりしているようにも見えるが、哲学も同じようにサルトルの実存主義の自由や個を、「人間の行動や考えは目に見えない仕組みに支配されている」「人間は自分たちで思っているほど自分で考えていない」という批判で揺さぶる。世界には見えざる「構造」があって、「神の見えざる手」と同じように、人間はそれに支配されているというのだろうか?

ここで「構造主義」を唱えたのが文化人類学者であるレヴィストロースであるといところが面白い。確かに歴史を見れば、社会の発展には共通した流れや構造を持っていることは想像がつく。どんな組織でも社会的構造があることも理解されやすいだろう。
ただ、彼がソシュールの流れで構造言語学における音韻論などの分野と未開社会のモースの社会学=人類学の分野とでは議論が難しくなり、特に言語学的素養がないのでかなり端折って話を進めるが、社会ができる段階で言語の発展がいかに関わっているかは理解できるし、現代のネット社会でのコミュニケーションのことなど、しっかり勉強しなければならないと反省しつつ、簡単にまとめよう。

レヴィストロースが文化人類学者だということから、ヨーロッパだけに囚われずに、歴史も直線的とは限らない未開の文明などを研究したことから、それぞれの固有で独自な構造を明らかにし、社会ごとの独自の構造を持っているということで、勝手に「未開人」とか評価したりせず、他の文明や宗教からキリスト教文明も相対化できたという構造主義のメリットがひとつあげられる。
西洋哲学に見られる、世界=西洋的な唯我独尊でなく、世界にはまだまだ未知なる価値観の人間が存在する可能性があるという謙虚さが生まれる。

さらに、フロイトなどの精神分析などの過去の「知の系譜」の遺産を活用して、無意識なものに人間がしばられている、その構造に目をつけた。どの文明社会でも現象として目に見えるものではない、隠された精神構造、人を操る「見えざる手」の存在をあぶりだすという二点が構造主義のメリットということだろう。その意味で、構造主義は哲学的手法を進化させる。

ここで、私はイバン・イリイチと出会い、一時期はイリイチ派のように言われたこともあるくらい研究する機会があり、彼の『脱学校論』時代から「コンビビアル」「バナキュラー」「シャドウワーク」などの概念にこの構造主義的手法を出会い、その後のフーコーやらデリダ、バルト、ラカンなどの文化人類学的・構造主義的手法を学ぶことができた。
しかし、「ポスト構造主義」という新しい哲学の流れや様々な流派が乱立する、それこそ最先端の「現代哲学」には会社経営のアマチュア学問研究では手がまわらないところもあって、また「哲学の冬の時代」とも言われる、論争なき昨今を横目で見ながら、ひとまず西洋哲学入門のノートを終わることにしよう。
次には後回しにしてきた「弁証法」について触れておくが、それはГ紡海ということでひとまず西洋哲学入門編を終わりとしよう。

続・現代哲学

さて、フロイトの「無意識」論、性に関する様々な理論は、それまでの二元論(神と人間)や一元論という哲学的問題を、精神分析という科学的分野に広げて、それでいてさらに現代医学や最新の脳科学や様々な科学的実験からの知見でどう評価されるのかは全く分からない。それでも「人間であること」を意識化できずに無意識のレベルや深層心理、潜在的な心理など、あるいは肉体的なリビドー(性エネルギー)に影響され動かされる行動など、あるいは災害や恐怖などのPTSDなど、より複雑化する精神的な状況を生んでいる現代社会においては、これからも目が離せない領域なのかもしれない。

私自身も「精神分析」にはかなり関心があり、フランクフルト学派に首を突っ込み、学生時代もエーリッヒ・フロムやマルクーゼなどに夢中になった。だが、ここでは好き嫌いではなく、現代人の思想、哲学の影響を、特に日本人の根底に流れる「知の系譜」をなぞることに集中するために、全体的な概要をまとめておこう。それぞれの哲学の紹介が正しい、学問的な要約や抜粋でないことは当然ながら、勝手なほんの一部であることは、再三言っている通り、詳しい内容はそれぞれの著書なり専門家の本などをご覧いただくしかない。
これが哲学史的に正しいのかどうかは、浅学の身としてはまさに思い付き的なレベルでしかないが、近代から現代までの激動の中で少なくとも「実存主義」と「精神分析」を押さえつつ、もうひとつ哲学的方法論に首を突っ込んでおこう。
フッサールそれがフッサールの「現象学」である。
この入門を書き始めたときから、それぞれの「哲学」論を紹介しながら、それぞれの論証の方法論を時々出しているのだが、それは「論理学」という分野といえる。プラトンの「イデア論」のときにちょっと出たが、「物」の裏側に理想的な「イデア」があるという考え方だ。それに対して世界は自分が中心に一元的に存在していて、自分が目を閉じればなくなり、自分=世界だ、という考え方や不可知論までいろいろと論じられる。ここにはまると時間がないのでとりあえず、というところで進めよう。

このフッサールの初期の、いわゆる前期の著書名はまさに『論理学研究』という。つまり、彼は「いかなる前提や先入観、形而上学的独断にも囚われずに、現象そのものを把握して記述する方法を求めた。」ということを提唱した。
彼は普通の物の見方は自分の外側の対象をそのまま認識する訳で、「リンゴ」なら当たり前に「リンゴ」と認識し、常識を疑わないが、それを「自然的態度」という。
ところが物の本質を見るためには「現象学的還元」という作業が必要で、そのためには当たり前の「自然的態度」をいったん停止して(「エポケー」という)常識的な「そこにあるモノがある」という客観的世界をカッコにいれるという「超越論的態度」が大事だとする。

例えば「リンゴ」でいえば、常識的な「リンゴ」(丸い赤い果物)が目の前にある、という態度をエポケーして、疑い、「丸くて赤いモノがあるから」、「これはリンゴか?」「そうだリンゴだ」と確信するという捉え方ができる。
同じように「赤いモノ」でもイチゴではないし、赤ピーマンでもないとわかっている。リンゴを見たとき、リンゴだとすぐわかる訳で、人は主観的な認識においてリンゴを見ながら「リンゴにおける共通している本質」を意識の中で理解している。これをフッサールは「本質的直観」という。

フッサールは、リンゴを見るとき意識はリンゴという対象に向けられていて(「志向性」という)、認識するということは、意識が志向性をもって対象を捉えることで、捉えられた対象はあくまでも意識の中に生じるという。そして、意識が対象を捉えようという能動的な側面(「ノエシス」という)と、その作用によって像が構成されるという受動的な側面(「ノエマ」という)があるとして、従来の認識論における主観と客観を意識の中にあるものとしたのだ。

ハイデッカー時間があればフッサールの助手をしていたハイデッカーの「存在とは何か?」を考え、デカルトの「われ思う、ゆえに我在り」の「われ(存在者)」そのものと「在る(存在)」という従来の存在論概念を否定した「解釈学」を、認識論と存在論という哲学のテーマからは対等に置かなければならないだろうが、ここはサルトルが彼の影響を強く受けたということだけで割愛させてもらう。
ハイデッカーについてはナチス時代を乗り越えた「近代の知」の歴史(マルクーゼは批判的だったが)の話や高校時代、彼の『存在と時間』を読んで書いた小論がその後の自分の思考の方向付けをしたことなど、少なからず思い出多い哲学者ではあるが、これもいつか暇ができたらということで次に進めることにする。


サルトルに代表される直近の現代哲学者は、数もさることながらそれぞれの著書や研究も膨大にあることもあって概略を述べるのも大変だろうが、自分たちのこの数十年を振り返るためには、戦後の実存主義、構造主義とポスト構造主義、そして、アメリカのプラグマティズムは避けて通れないところである。


この続きはΔ箸いΔ海箸如
PS。このブログが更新すると自動的にfacebookに投稿される設定になっているのだが、どうしたらそれをやめることができないので、当分はブログを更新と同時にリンクされる。仕方ないのであきらめた

現代哲学

さて、方法論としての「弁証法」に期待したい訳だが、ひとまず現代に至る哲学の系譜をおさらいしておこう。

なぜなら18世紀後半から20世紀、そして、残念ながらこの21世紀に至るまで、地球は分断と対立、戦争と環境破壊でまさに動乱と流血の時代ともいえる状況で、それと共に哲学的な知的闘争も様々な流派、セクトに分派し、激化の一途をたどっているといえるだろう。この歴史的流れを踏まえるとより一層「弁証法」の重要性も理解できるのだはないかと思えるからでもある。

近代哲学のヘーゲルまでの系譜は、デカルトの人間存在の確信からカントの人間の真理追及は正当化され、大ざっぱに言えば、神の存在は存在として、社会は全体的に人間の共有する理性によって、まさに合理的によりよく進化するという流れを提示してきた。イギリス経験論も現実的な野蛮な資本主義ですら、国家を軸に神を内在化する性善説に近い能天気な未来を示している。

ショーペンハウアーところでデカンショ節のデカルト、カントに続くショウペンハウエルを外す訳にはいかないので、簡単に登場させよう。彼はヘーゲルと同時代、同じ大学で哲学を教えている。

ヘーゲルが完成させた近代哲学は、人間存在を神の存在も内在化させることで一元化して歴史の表舞台に登場させたが、どちらかというと当時の時代背景からも国家という形の全体主義的傾向を持っている。
それに対して、不遇のショウペンハウエルは、その個人的な問題意識から仏教(浄土真宗)やインド哲学を学び、ヘーゲルの全体主義に対してして社会がどうなろうが、個人の老病死などの悩みはなくならないと批判する。従来の西洋哲学の流れからは異質なものが生まれた。

つまり、類的な人間観ではなく「個人」という全く「私的」な観点から社会を見つめ直すという新しい主観的人間観を提唱したのだろう。これが、後のニーチェなど多くの思想家に影響を与え、「生の哲学」「実存主義」の先駆者とも言われることになる。まさに個人主義の芽生えである。

実際、世界史、欧州史的にみれば、産業革命で資本主義が誕生し、大きな文明的転換の中で百年近い時間軸で粗野な資本主義が帝国主義国家の世界侵略と、国内的には「労働」搾取で困窮する労働者階級の増大と混迷を極める。

ヘーゲルの全体主義的国家は、帝国主義同士で争いながら、マルクス、エンゲルスといった「社会主義」「共産主義」を誕生させ、「空想から科学へ」の流れは20世紀を席巻するイデオロギー対立の時代を迎える訳だが、「科学的」と名を売ったマルクス主義も今は昔、冷戦時代の終結で死が宣告されたようなもので現代でも後生大事に守ろうとしている流れはわずかになっている。Karl_Marx
それでも私のライフワークでもあった訳でもあるので「アナボル論争」を含めて、哲学の系譜の中でこれは別にいつか議論したいと思うが、今回は割愛させてもらおう。

ともかく離散集合を繰り返しながら、世界は、議会内閣制のイギリスやアメリカ独立、プロイセンなどの振興国家誕生、フランス革命を経てナポレオン登場と百年かかりながら、次の1800年代前後からはアヘン戦争に始まる帝国主義の世界制覇が、南北戦争、普仏戦争、米西戦争、そして、1900年代の第一次世界大戦までわずか50年というスピードで進展する。

そのスピードの速さは、登場する哲学者の数も多過ぎて誰を割愛するか悩ましい。
それでも20世紀のイデオロギー論代表としては、やはりヘーゲルの影響を受け、弁証法を駆使したカール・マルクスは外せないだろう。彼は急激な技術革新と急成長する資本主義を分析し有名な『資本論』を著し、「人間の本質が労働にあること」に対して資本家に搾取され、「疎外」される「労働者階級」が共産主義革命を起こすと説いた。
貨幣経済や商品化への欲望社会は、従来の共同体の原理を阻害し、解体するから、高度に発展した資本主義はやがて終焉し、人間は共産主義によって平等な社会を実現する、それが人間にとって「必然だ」という説である。

私たち世代の恐らくバイブル的な本であったが、原典主義の大学時代では難解な内容をドイツ語、英語、訳の分からない翻訳本を並べて1ページを1か月かけて読むような非効率な読み取りに苦労させられた思い出しかない。本当に読破した学生が当時どれくらいいたかは知る由もないが、ここから解釈の異なる分派が各セクト主義で世界をさらに分断し、混迷に導いたといえるだろう。
こんなことを書くと、北朝鮮の指導者を侮辱したような勢いで暴れるマルクス主義者もまだいるかも知れないが、それでもそれまでの「欲望」を否定してきた哲学やキリスト教に対してNOを突き付けることでの「人間解放」の哲学として、世界的影響力においては20世紀最大の哲学者と評価できることは確かだ。

話を戻して、ヘーゲルの全体主義を批判するキルケゴールを実存主義というところで哲学の系譜について考えよう。
キルケゴール彼は、デンマーク人でヘーゲル派の学徒でありながらショウペンハウエルの個人主義の流れから、恩師を批判し、ヘーゲルのいう真理が人類に普遍的(客観的真理)でなく、あくまでも「私」という個人的な真理(主観的真理)であるとし、「人間とは何か」といった一括りの問いではなく、「私とは何者か」といった、個々の人間が自分の「生」を主体的に生きる、意志をもった存在であることを前提にすべきだということを唱える。いわゆる「実存主義」の始まりである。

キルケゴールの『死に至る病』といった著書からニヒリズムの青年論のような匂いが漂うが、彼はまだまだ神の存在を認めて、生きている限り続く人間の苦悩、死ぬまで至る病として「絶望」を示し、救いは神と対峙することで「私」の生きる可能性を導くことに真理を見出そうとする。実存主義の先駆けといわれるが、実は自分の実存をかけて神を否定する訳でなく、本物のキリスト者として生きることを求めたといえるだろう。そこに彼の哲学の限界があった。

そこで登場するのが、ショウペンハウエルに強く影響を受けたニーチェだ。
彼こそが初めて「神は死んだ」と宣言し、牧師の息子でありながらキリスト教を待っ正面から否定する哲学を打ち立てたのである。彼はマルクス同様、神を否定するとともに、当時の道徳を否定し、プロイセンの国籍をも放棄して無国籍の自由人たろうとする。
彼のこの国家からをも脱するという全体主義的傾向への反抗が、後の極端な個人主義やシュティルナーなどのアナキズムの温床にもなる。
ニーチェ現実社会は野蛮な資本主義の進展で労働者は搾取され、資本家や権力者という強者が我が物顔で善人顔して通る社会でありながら、当時のキリスト教は「強者が悪で、弱者は善である」という建前が道徳にもなっていた。

マルクスの大多数の労働者階級が共産革命を起こして、富を独占する少数の資本家たちが作る資本主義を倒す、という勧善懲悪のストーリーも、実は当時のキリスト教的な「貧しいものは善人である」「強権の支配階級は悪である」という精神的な単純さも労働運動や革命家には理解されやすかったのかもしれない。

ニーチェは、弱者が強者を憎悪し、怨みや妬みを抱きながら、キリスト教的「貧しい人は救われる」(弱者=善)という精神的優位性で満足しているという「弱者の心理」(神への依存での自己満足)が根底にあり、「キリスト教的な道徳」(善人だからいつか救われるはずだ=信仰)で真理をねつ造していると指摘する。それを「ルサンチマン」と名付ける。

むしろ、大多数の弱者は少数の強者に対抗するための生存本能がある訳で、マルクスはゆえに弱者が立ち上がる権利を持つことになるが、キリスト教はルサンチマンを「道徳」という名に変えたことでその信仰による体制安定を維持してきた。それは信仰という現世への諦めであり、しかもニーチェに言わせれば、そのつらい運命は「永劫回帰」し、繰り返し訪れ人間は過酷な人生からは逃れられないことになる。

だからニーチェはキリスト教が説くルサンチマンを「奴隷道徳」だとし、この時代で「神は死んだ」という全面的対決を決意する。
つまり、現実は逆なのに、弱者が善であるゆえ、いつか神が救うだろうという期待や希望は幻想に過ぎない。神は決して救いの手は差し伸べない。弱者は幻想の中に自己満足して生き続けるのだ。キリスト教はそこに限界がある。

その結果、ルサンチマンに捕らわれの身から、つらくても自分の存在全てを肯定し、宿命を受け入れながら自分の生き方や価値を創造できる「超人」という理想の人間像を示す。従来の道徳を否定して個人の「力の意志」こそが、人間の持つ本来の行動原理になると、それまでの道徳的価値観をひっくり返したのである。

現実の野蛮な資本主義や産業革命はそれまでの生活やキリスト教的な道徳も破壊し、現実世界が欲望のままに強者の論理が既成価値観を転換する状況で、ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、世の中は神のいない、規範のない世界に入ったとする。
そこで彼の宣言は、人間の生きる意味や目的を失いニヒリズムの蔓延を招く。だから彼をニヒリズムの代表のように誤解するところもあるのだが、彼はむしろ、権力や成功への欲望を認め、向上心をもって自由に生きよと、人間の神からの自由を宣言する積極的実存を説くのであるだろう。

フロイト
一方でこうしたキリスト教批判、パラダイム転換は、デカルトの「コギト(自我の存在)」を根底から否定した、精神分析からのトラウマや性欲といった理性的でない「無意識」の存在を発見したフロイトや、ユングなどが同時多発的に生まれてきた。

急激な文明の転換は、それについていけない階級や世代には精神障害やノイローゼに陥らせる時代だったろうことは容易に想像できる。人間は神から解放されると同時に、従来の規範を失い、現実にはマルクスの人間解放もなく厳しい階級闘争の現実の中で「絶望」している。
何を信じればいいのか、どこに救いがあるのか、まさに精神的な混迷の時代である。神の国から追い出され、強権国家から個人が逃れる術はあるのか、どこかに安住の地があるのかという現実の中で「人間である自分」の居場所や存在証明を喪失した時代だ。

そこでフロイトのように心理学や精神分析学者といった臨床家が登場するところだが、彼を哲学の系譜に入れるかどうかは議論の余地はあるのだろうが、後のフランス思想の哲学者(ジャック・ラカン、ジャック・デリダ、フェリックス・ガタリなど多数)に大きな影響を与えたことから「無意識の哲学者」として外す訳にはいかない。

このフロイトと、ニーチェとマルクスはこの20世紀時代の思想、哲学に最も影響を与えた人物としては特筆すべきだろう。

※「現代」と言いつつ序章で終わってしまったが、この時代では個人的にエゴイズムのシュティルナーやイギリスの道徳的アナキスト、ウィリアム・ゴドウィン、アナキズムの本流であるといわれるプルードン、バクーニン、クロポトキンなどを書きたいところだが、哲学のジャンルに入るのか、今回の系譜を巡る「入門」にはふさわしくないということで断念する。これもいつか機会があればまとめたいと願っている。

この続きはイ箸いΔ海箸如

近代の哲学

ここまで来て「入門」とはいえ、勝手にバッサバッサと切り捨ててきて大いにそのいい加減さにあきれて赤面逆上したい気分になってきた。しかし、壮大な歴史や哲学者をわかった顔して論じて、時代区分の「近代」の定義もなしにここまで来て、穴があったら入りたい気分だが、仕方がない。プロの学者や研究者からはお叱りを受けるのは覚悟で行くしかないだろう。むしろ学問的枝葉末節を切り捨てて自分の必要なところを自由にブリコラージュできることこそアマチュアの醍醐味でもある。

ともかくデカルトの「コギト(我思う。ゆえに我在り)」は神を否定するわけではないが、人間の「理性」の存在を示し、宗教世界から人間を自由にする方向を示したことは間違いではないだろう。また、イギリス経験論は、その人間も神も、まさに真理すら人間が経験から生み出したものという過激な議論へと導いたことも。

カントここでカントの登場だが、かれは哲学以前に自然科学を学び、恐らくニュートン力学や産業革命などの劇的な変化の時代に影響され、アリストテレス時代への復古的立場、哲学の原点ともいうべき時代に回帰したのではないだろうか。(アリストテレスは確か第一(上)哲学として人間や神の存在論を形而上学として、今でいう自然科学を第二の分野(形而下学)と呼んだ。)
それはその時代、神や人間の外部的事象、物体について分析をする哲学を、本来の哲学である形而上学的=人間探求のためのものへ再定義したということで「コペルニクス的転回」という地動説から天動説へのパラダイム転換したくらいということでも有名だろう。だからカントも天文学、地理学、人種学など、またルソーの影響で教育哲学や様々な学問の開祖ともいえる功績を残したという点で、「近代のアリストテレス」と勝手に思っているところだ。

カントはその哲学の前提として、当時の様々な哲学を「批判する」ことからスタートする。ここでちょっと手抜きで(細かいところは忘れているので)ウィキペディアから抜粋すると「彼は、人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力とくに反省的判断力の性質とその限界を考察し、『純粋理性批判』以下の三冊の批判書にまとめた。「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応している。カントの批判とは否定ではなく吟味をさす。」ということで,だからカントは「批判の哲学」とも言われているところだ。

ともかく当時の知の前提であるいくつもの哲学をそれぞれ批判しつつ、人間学と自分の哲学体系を構築したというところは、近世から近代へかけてのまさに知の巨匠なのである。

その柱はデカルトの理性の存在とイギリス経験論のいいとこどりで、簡単に言えば理性には直感や経験的認識がなく、また同じ経験でも人によって異なる認識が生まれることや経験論では得られない無意識、超越者(神)を理解することができない(当時はまだ神の存在を否定できない時代だ)といった批判から人間には「感性」と「悟性」という認識方法があり、それが先天的(アプリオリ)に備わっているということで両派の折り合いをつけた。
つまり、人間は経験と理解の仕方の共通性をカテゴリー別に生まれながらにもっていて、その共有する認識システムで「世界」を作り上げるという。

同時に、難問である「神の存在」や民族や身分階級の現実の中での「人間は自由か、平等か?」といった経験論では肯定も否定もできない問いには、「理性の二律背反(アンチノミー)」であるとする、つまり、矛盾していても認識では同時に成り立つ、解決不可能な問題があるという回答を出した。

知の巨匠と言いながらこれでカントが終わりかと言われそうだが、もう少し詳しく追加すると、カントは純粋理性と実践理性の批判から実は純粋理性は実践的であり、現象界と叡智界にも属する「人格」として人間が従うべき普遍的な道徳法則(「なんじの意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」)として提言命法として倫理学を確立する。
言い換えれば、理性は自律的な意志として道徳的であり、人の道に導かれた純粋理性が実践的に客観的に実在的であること。つまり、「人格」が確立した人間は自由であると言い切ったのだろう。彼の「定言命法(〜せよ)」は人類としての普遍的な義務として現代までの道徳論の大きな柱になっている。

それは、原始的な資本主義の発展の中で、様々な欲望や利己的な欲求から離れて、理性の自律的に、しかも普遍的な仕方で自分に課したルールのみが道徳的な人間の義務であるという。それこそが人間の完成形としての「人格者」だという理想主義者である。
それでいて彼は『永遠平和のために』という著書で、利己的な欲望から戦争が避けられないから、後の国際連合の基礎になるような構想もして、個々の利己的欲望を調整し、折り合いをつけるという、その点は現実主義的でもある。つまり、今でも通用するような理性的な人格のネットワークを提言するのだ。
そこから流れるカントの美学、歴史哲学、政治哲学、宗教哲学に体系化され、彼の「人間学」として知られている。時代的な限界はあるとしても、カントが現代にも重要な哲学を示しているのは確かだろう。

ヘーゲルこのカント哲学の流れの中で、近代哲学を完成させるのが同じドイツ観念論のヘーゲルだ。
ヘーゲルはカント以上に西洋哲学を網羅的に論じ、近世と近代哲学との分水嶺、近代国家の理論的基礎付けをした巨人であるが、彼の著作は『精神現象学』『大論理学』の他数点と意外と少ない。その代わりに弟子たちの講義ノートや聴講生の記録からの出版や、左派から右派まで多くの学派ができ、大学教師がヘーゲル派哲学者が占めるなどによって近代哲学にも大きな影響を与えてきた。

ただこの頃になるとイギリスのアダム・スミスなどの資本主義・功利主義哲学と分けて大陸哲学と分類されるのだろう。ドイツの観念論よりより資本主義的国家時代の現実を経験的に見つめたイギリス経験論の流れとはかなり分かれ始めて、小難しく頭でっかち的な哲学のイメージはまさにこのドイツの大陸哲学の流れだと感じる。

やがてこの大陸哲学のヘーゲル学派の流れの中から、資本論(共産主義)のマルクス、エンゲルスやキェルケゴールなど20世紀の近代哲学の蒼々たる人物が登場することになる。
ヘーゲル自体の哲学は、彼の研究者として有名な見田石介に言わせれば「神秘的観念論者」ということだ。
また、それまでのデカルトやカントが自己と世界が別に存在し、その自分が世界をどう認識するかという二元論であったのに対し、ヘーゲルは人間が認識する世界がすべてであって、すべては自分の内側で起こる精神現象だという。
つまり、世界=精神現象だという「一元論的世界観」であって、人間と無関係に存在する世界はないというのだ。
だが、ここではヘーゲルの哲学にはあまり深入りしないで、彼の哲学的方法論に限定してみて見よう。それは小池百合子が盛んに使う「アウフヘーヴェン」の弁証法である。

西洋哲学は、キリスト教誕生以来、神の手からは逃れられずに来ている。だから、日本人である私としては、西洋哲学から一番学ぶべきものは、こうした哲学的方法論にある。その一番の有効な考え方が実はこの「弁証法」にあるといっても過言ではない。

現代においても西洋(欧州)人やアリストテレスの影響を受けたイスラム圏は、その哲学において同じルーツを持つともいえる神の存在や影響からは逃れられない双子の兄弟であり、それはユダや人においても同じような気がする。それが、宗教においてのより自由で寛容な、ある意味で普遍性を持つ我々日本人との大きな違いで、それはとりあえずこの西洋哲学の系譜の後に続く、東洋哲学や仏教、儒教などの先に日本人の思想を議論することで明らかになると期待しよう。

ともかく、この弁証法という、西洋人がたどり着いた哲学的諸問題の解決法を学びながら、いよいよ現代哲学に入ることになる。(続きはい如

近世の哲学

人類の歴史は、粗末な平等社会を経て「人間」という字のごとく狩猟社会から農耕社会へとムラやクニという「社会」を形成し、集団や役割分担の必要性からリーダーが求められ、富や権力、格差がついて回る。
大勢の集団が誰かに服従することで集団は維持され、そうした「服従の精神」なしに国家や社会は形成されない。
西洋ではギリシャ世界は大前提とされる「労働」は、その哲学史からは見えない農奴が担い。彼らは上流階級の文化や哲学を支え、奴隷が黙って服従することで哲学は発展してきた。
中世から近世にかけてはキリスト教の誕生で人間の哲学は、神の考えるところである信仰という宗教に置き換えられ、やがて、近代市民革命によってその神から逃れることで再び、人間の哲学へと戻される。
同時にそこでは資本主義の登場で人間同士の「労働」「労動力」が大きなテーマになる。普通の人間が考える哲学という地位になる。

カトリック大本山、サンピエトロ大聖堂中世に入り、西洋のほとんどはキリスト教支配の教会が世俗の隅々までを制覇し、神のしもべとして人々は「信仰」という名の迷信の世界、「宗教」の世界に生きた。全てが神の思し召しであり、教会の権威・権力は絶対であり、国家すら王権神授説という形で服従するしかなかった。
キリスト教布教時代に弟子たちの問答がある。死んだキリストが復活することを信じながらこう問う。「クオヴァデス・ドミネ?(神よ、何処におわす?)」神は応える「ユビキタス(どこにでもいる=偏在)」。キリスト教は西欧を席巻する。教会はすべての民に君臨し、異教徒は排除され、同化するか、魔女狩りで火あぶりにされた。疑問も回答も神へ聞けばいい。神への信仰さえあれば思考は停止する、哲学不在の時代だ。

ルターやがて大航海時代などを経て、異文化との出会いなどの影響で教会権力に世俗の国家・王家の権力が抵抗し、ルターの宗教改革などにより内部からプロティスタントが誕生する。ルネサンスはギリシャ時代への先祖返りともいえるだろう。それでもすべての原理原則は神への服従を前提として、科学や理性も神との折り合いをどうつけるかという妥協の産物として発展してきた。

特筆すべきは宗教改革後の最後にして最大の宗教戦争といわれた三十年戦争だろう。これはカソリックとプロテスタントの戦いに始まって、神聖ローマ帝国からの各領邦君主国の独立戦争、国際的な主権争いの戦争として、現在のスペインやフランスなど分権、自治州独立などに関係する先祖返りの根っ子になっている。
同時に、この戦いの中で疲弊した人々の中から、第一次産業革命を経ての欧州先進国の発展は、欧州連邦制といった理想に向けての「寛容」(リベラリズム=小異を認めてお互いを尊重しようという自由主義)の精神が芽生えたことだろう。現代の独立分権と連邦制への志向は、まさに双子の兄弟なのだ。

プロテスタンティズムは、一方で教会が独占していた神を解放し、各個人の心のうちに内在化することでその教会権力から自由な市民社会を作る。
マックスウェバーの『プロティスタンティズムと資本主義の倫理』に著されたように、市民が自由に金銭労働に従事することや大航海時代の国家が経済的侵略をすることで、従来の都市国家や部族対立からでなく、宗教的布教や資本主義的動機での植民地争奪といった争いの時代に入る。
それは裏返せば台頭する市民階級の「近代国家」「帝国主義」時代誕生への序章でもあるだろう。

デカルト哲学史的には、デカルトに代表される大陸合理論(スピノザ、ライプニッツなど)と、ベーコン、ホッブス、ロック、ヒュームといった近代市民社会国家へのイギリス経験論とに分けられる。もちろん、モンテーニュのモラリストやモンテスキュー、ルソーなど啓蒙思想など細かく言えば、西洋哲学が開花し、第一次産業革命を経て近代は本格的に哲学の時代を迎えることになる。ここでようやく神への問いかけは、哲学という人間自らへの「問い」に対する「答え」を考える学問であることを再び開花する。

ともかく、神への絶対的服従、依存の時代に、「自分で考える」ことを主張したデカルトに代表される大陸合理論は、神の示す秩序から生まれながらに人間が持つ「人間の理性」への信頼で今度は人々を解放したのだ。デカルトといえば、「コギト(我思う、ゆえに我あり)」だが、「疑っている」という自分の存在だけは確かだという自己肯定から、理性に導かれた答えは世界の真実の姿(プラトンのイデア。理想)と一致するはずだという「理性は正しい」という人間肯定へ導く。
さらに、人それぞれがその理性を持つ存在であるというところから「人は平等」に、社会はその人の「良識(コモンセンス)」を共有し、それゆえに「自由」に生きることを許容し、民主的に選出する指導者に服従する「契約」的な代議制、議会制度も生まれることになる。これがのちの「自由・平等・友愛」というフランス革命に代表される近代の精神性(エートス)を醸成することになる。
この段階では神や信仰は否定された訳でなく、今から見れば妥協ではあるが、今でも使う「合理性」が社会全般に認知され、広がった。

これに対して激しく対立したのがイギリスの経験論だ。これはデカルトのように人が生まれながらに持つ理性の存在を信じるのは危険で、絶対的真理は理想に過ぎないといった批判から、人も神も真理も、人間のあらゆる知識の源泉は経験に基づくという経験主義を唱える。人間界の現象を観察し、事実に基づいて知識体系を作りあげるべきだというところは、現実主義な哲学でもある。
デカルトの理性は生まれながらの平等な生得説だが、その批判では、人間の 心は、誕生の時点においては、いかなる観念や原理も刻み込まれていない白紙の状態にあり、すべての認識は、感覚や知覚を通じてもたらされる経験によるとする。彼らは、帰納的方法で経験の中から後天的な習得で.感覚や知識を得ていくという。

近代哲学の誕生

政治的に世俗的王権や封建制がイギリスの名誉革命などを経て市民社会が誕生し、経済的には資本主義が生まれ、第一次産業革命が起こる中で、この大陸合理論とイギリス経験論は、そのあとのカントによって対立から融合され、新しい近代哲学が誕生することになる。そして、カントの流れを継いで、いよいよヘーゲルに代表され、弁証法が近代哲学を完成させるというところに入る。(続きはへ)

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