koike今回までの政治改革のスローガンでは「しがらみのない政治」がキーワードになっているが、戦後70年の代議制という間接民主主義を見ていると、「しがらみ」を作ることがまさに選挙運動だったろう。
代議制の基本には政党政治があるが、日本で政党と呼べる組織は旧社会党や共産党と公明党くらいのもので、それは地域や職域の党員活動でイデオロギー、組織理念を共有し日常からの組織動員力が投票行動にもつながっている。少なくとも選挙での資金や運動員、シンパ勧誘は党が支える。
言ってみれば確固たる党組織という「しがらみ」で党員は拘束されてきた。だから各選挙区での固定票も読め、党の命令ならば選挙区に馴染みのない候補者であれ、勝ち負けよりは選択肢の一つとしての使命感から党勢拡大からも立候補し、地域政党としての党員組織票が一定の集票をすることで落下傘候補でも当選できることも可能だった。
あくまでも「党」が先にあり、党内での立ち位置が重要で、だから旧社会党の飛鳥田委員長のように国会議員でない党首も出た。

一方、自民党はいわゆる地盤・看板・鞄に象徴されるように、地域や仕事の利害関係から地域ボスのまさに「しがらみ」から集票する組織、地縁・血縁中心の後援会といった利益誘導型の政党である。
だから、資金も運動員も自腹で調達し、中間選挙区時代は派閥がそれらを軍資金で補填、公認し、当選することで安堵するという、代議士が党を作った。個人的な思想や政策などに強く影響される。だから党首である総裁選挙はまさに権力闘争であり、個人的な政策や方針を強く打ち出すためには強い派閥か、権力の集中、言い換えれば「数が力」となる。

そして、その代議士の派閥力学で総裁選=首相という権力関係を作る、封建時代の「御恩と御奉公」の関係に似ている。だから、自民党内に派閥というミニ政党が乱立し、意外と右派からリベラルまでの懐の深い人脈を内包しながら、それなりの党内民主主義が確立してきた。大臣の椅子という出世欲や名誉欲でそそられる利己主義的な組織でもある。
つまり、多少の意見の違いや対立はその党内調整で外には見えない仕組みである。各利益誘導でない、本気で思想的や戦前回帰にすれば内部対立で分裂すること。左翼が内ゲバで自滅したことなどの「内部矛盾の解決を敵対矛盾の解決方法にしない」という暗黙のルールがあったのだろう。その意味で理想よりは利害や現実重視の政党である。

ある意味で党を割らない限りの分派活動を容認できる寛容力は古い義理や人情論までを含めて「しがらみ」と利権で維持されてきた。やくざ社会に似て代議士が親分という意味で、国会議員が基本でできている。各代議士の後援会組織もその原理だ。

ところが55年体制崩壊や冷戦構造の終焉、多様な価値観でのミニ政党時代を経て、小選挙区制の時代になって、同じ選挙区での候補の乱立は票が割れるため公認候補を絞れる大政党の絶対的優位性が出てきた。比例区を見ても連携してでも票を集めないと、いわゆる「捨て票」「死に票」が増えて有権者の本意でない当選結果も生まれることになる。
まさに「勝つか負けるか」の選挙優先になったのだ。

その意味で連携、相乗り選挙が増えて「しがらみ」よりイメージや人気取りでも勝たなければ意味がないことになる。党としては「当選できる」候補者が重要になってくる。そこで芸能人や「チルドレン」と称されるにわか候補でもいい、刺客として全てお任せのマーケッティング型選挙に乗っかればいいという輩も出てきた。
ここへきて、地域では全く無名でしがらみもない候補が落下傘降下でも当選できる選挙手法が蔓延する。党本部公認という組織力がものをいう。候補者には党には逆らえない空気が出来てきた。

そこで二大政党制時代になる訳だが、それぞれの政党でどんなことが起こったのだろうか。
まずは自民党ではちょうど中間選挙区や派閥政治の金権、汚職が批判される中で、派閥力学は弱体化し選挙資金の公的化、資金の一本化、党の執行部一任体制という組織改革で現在の安倍一強多弱の現在のような状況が生まれた。執行部に、総裁周辺に権力が集中し、文句を堂々と言える多様性やリベラル派は影を潜め、「逆らうものは切る」という独裁が強まった。
派閥間の抗争もなくなった代わりに、自民党内でも一極集中の権力構造が、まさに「しがらみ」をなくして総理総裁の「お友達優先」他の代議士は党内での「1票」に過ぎなくなった。いよいよ「独裁体制」が整い始めている。従来の人から、党へという流れか。

他方、野党側も最大チャンスの民主党政権時代の体たらくで民主党は民進党と名前を変えようが再び浮上する気配がなくなった。これは民進党(民主党)が共産党型政党でもなく、御恩と御奉公の自民党的な体質のまま、その自民党ほどの地域でのしがらみを構築できなかったことがあげられるだろう。
各地域の候補者は地元への利益誘導というしがらみは少ないにしても自前で陣馬を整え、それぞれの主義主張を唱えて共有すべき理念や党綱領もあいまいのままに、当選すれば安堵されるやり方ではブームはブームで終わってもやむを得ない。政党としてのビジョンや戦略なくして各地域での戦術も組織も作れない。
代議士になれなければ党支部長にも政党交付金もない。まして、党内民主主義体制も構築できないでは、本番の国会での意見の統一も難しくお互いの足の引っ張り合いに陥った。

自民に比べれば言いたいことをいえるメリットはあるが、右派から左派、日本会議メンバーで自民党員かという輩から反原発、リベラル・護憲派までの個人商店の寄せ集め状態では政権交代可能な近代政党とは言えないだろう。それでも右から左までの、その多種多様で雑多な人間の集団(社団)というのは、まさにこれからの社会そのものであり、その中でのコンセンサスをどうとるのかという課題は、「新しい政治」「新しい公共」に挑戦するいい機会だったはずだ。

ここで小選挙区時代ではなかったが、自民対社会党の二大政党のころを思い出してみよう。この時代は政党の示す国家ビジョンはある意味明確であったが、それは資本主義か社会主義かというイデオロギーに振り回されて、現実的な政権交代は不可能な状況だった。対立は深刻で、決して交わり得る現実は不可能な党派の対立があった。

当然、多くの有権者も高度経済成長での現実主義から、どう腐敗し、戦前回帰の危うい自民党であれ、冷戦構造の中では自民党内の派閥力学でのリベラル・護憲派バランスで行くほうを望み、せいぜい理想主義的な「何でも反対政党」という批判勢力、対抗勢力としての社会党にシンパシーをもつだけでよかった。
万年野党の誕生である。この万年野党という多くの政党は長い間、具体的に国家ビジョンの変革というタイムスケジュールできなかった。

そうした野党の中で唯一、民主党は政権交代ができる野党ということでシャドウキャビネットなど作りシュミレーションしていた政党ではあるが、一番の基本的な政策において国家ビジョン、党としての綱領を明確にせず、党内制度や地方政党組織を構築できなかった。本気で選挙で政権を奪取した後のプランが欠けていた。

結局、党組織でなくあくまで代議士が当選することで地方の主になるという、代議士封建制といった組織、つまり、地方の支部長は議員、政党交付金管理で、党員やサポーターは単に員数調整程度の認識で、名義貸しの問題も表面化した。
常に最大支持母体の連合の顔を見ながらの調整で、地方からの意見や理念のすり合わせ、活発な議論もないままに、言い換えれば国民や有権者目線がないまま、各議員は相変わらず個人商店風なバラバラな政党で来てしまった。既存勢力やブームでもいいからという神風頼み、他力本願での当選。党より大事なのは代議士の当選する力だ。

結果的には選挙目当ての寄せ集め集団、ミニ政党の烏合の衆から脱却できなかった。

それでもただブームに乗った、風が吹いただけだったが、政権交代のメリットに多くの国民の政治意識は変化し、成長したのではないだろうか。

万年野党のどんな正論でも暖簾に腕押し、強行採決で押し通される悲哀を、政権交代というガラガラポンのチャンスは様々な不正やマンネリ化した官僚制に大きな風穴を開けられる可能性を示した。様々な課題や改革すべき現実を暴露させた。

だから、国民は政権交代の可能性と緊張感を政治に持たせるべきだという意見にも傾いているのだろう。
世襲化し、自分たちのご都合主義で政治を私物化してきた政治家たちより、若くて清廉潔白な政治家が国家のかじ取りに参加するほうが、もちろん、混乱もあるかもしれないが、少なくとも贈収賄や仲良しクラブで我が物顔で政治が活力を失い淀むことよりはいい効果があることは確かだろう。

ここで世界的な政治状況はどうだろう。

緊張の冷戦構造がソ連・東欧の崩壊、社会主義の敗北という歴史的展開で勝った勝ったと喜んでいたはずの資本主義は、アメリカ主導のグローバリゼーション、いわゆる多国籍・無国籍企業の世界進出の独占状態を謳歌しつつ、やがて後発の中国、アジアなどに加えてロシアの台頭に苦しみ、湾岸戦争を契機にアラブという未知の世界のハチの巣を突っついて、世界的な貿易摩擦とテロによって自国第一主義のアメリカンファーストを唱えている。いいかえればローカリズムの戦国時代、対立の時代への先祖返りだ。

大きな大戦を教訓に生まれたヨーロッパのEUもその経済統一、連邦国家制という理想主義がハチの巣を突っついた影響の難民問題や反グローバリゼーション、ローカリゼーションの台頭で苦しんでいるのが現状だろう。結局、振り子のように普遍的な人類の共有すべき価値が揺るがされて極右的な自国優先、利己主義的な非寛容な方向へこの実験が向かうのか、世界は大きな岐路に立たされているのかもしれない。

小池百合子の都民ファーストの会はちょうどこの流れの中に位置づけられるのだろう。もともと日本会議の保守派で小泉流の政治手法の小池がここへきて「維新の会」の方向で行くかと思っていたら、今回の解散総選挙を最大のチャンスととらえる政治家としてのセンスが急転直下、民進党の人材と金庫を手に入れる方向で動いた。

小池劇場への淡い期待感でどんな政党になり、どんな党首になるかもわからないで、そこに賭けてしまった能天気な民進党はやはりお粗末としかいえない。

結局は従来の野党の苦渋を顧みることなく、保守の踏み絵で野党勢力、特にリベラル派と護憲派を切り捨てで解体しつつ、自民党の補完勢力になるか、政権担当できる第二保守政党になるかというところに落ち着くのではないだろうか。

さすが、したたかな女帝にしてやられる格好だろうか。それでも現実的には政権交代ができる政党として民進党の残党を結集できる可能性はあるだろう。多分、それだけでも現実的な政権交代のメリットはあるのかもしれない。

かわいそうなのは野合と揶揄されながら、女帝の門前で踏み絵を踏めず流転の旅へ出てしまう民進党のリベラル・護憲派・市民派といわれる方々だろう。ここへきて小池の前に膝まづき審判を仰がなければならない民主党の代議士さんたちの悔しさはわかる。

そもそも「ファースト」とは利己主義的現実主義と呼べるネーミングの政党である。なぜ早々と小池新党の軍門に下ったのか。そこを読み違った前原代表は、自己保身で党を売ったのか、本当に読み違えたのか、切りたかった左派を一掃し、保守の二大政党制時代を小池と目論んでいるのか。少なくとも自民党より強固な「党」的な選別と忠誠、入党と除名という権力構造の小池新党に排除される面々は、公党と思い込んで「個」の権力に従うか、独立するしか道はなくなるだろう。小池の政治思想に「寛容」な情はないのだろう。それこそ「党派」権力の独裁には不必要だからだ。

この短期間に政治家の動向がわかるのは研究家にとっては興味が尽きないのかもしれない。安倍より一枚上手の小池にしてやられるのか。それでも保守同士の二大政党時代をつくるのか。これを契機にリベラル派・護憲派が野党共闘に結集するのか、そして、三つ巴の戦いになるのか?今度の選挙の行方はすぐにわかる。

だが待てよ。そんな政治家たちの思惑や動向に右往左往させられたり、面白がってばかりではいられないはずだ。

世界は民族(人種)・宗教・イデオロギーが動かしてきた。いま、イデオロギーが死に、体制の収斂が先祖返りの民族や宗教対立の素朴な争いの世界を呼び起こしていないか。そんな時代に自己利益や自分たちだけ凝り固まっていては世界は分断と崩壊の歴史を迎えないか。
そもそも「党派」は同類が寄り集まって徒党を組むことから始まる。仲良しクラブやお友達政治と同じ原理の「しがらみ」でできている。「絆」という美しい言葉も裏を返せば、首に巻かれた手綱でしかない。そうした、しがらみがあるからこそ、排除や選別、独裁という権力ができるのだ。

「自由・平等・友愛」の理想から始まった人類の壮大な社会実験が、社会主義が負けて資本主義・自由主義が勝ったと喜んではいられない現実がある。本来なら人類がすべてこの地球上で幸福に生きられるはずのリソースがありながら、貧富の格差から人類同士が相変わらず短い命のやり取りをし、一部の人間の利己的な利益のために虐殺ができる状況を作っているのが現実の政治だろう。

そこに欠けているものこそ、しがらみや党派、利己主義でない「寛容」であり、様々な違いを乗り越えてその多様性を認めつつ理想に向かって現実を動かしていく「政治力」ではないのだろうか。世の中がすべて同類、白人だけ、保守だけ、自分たちのお友達や血縁だけという単一社会ならいざ知らず。現実は多種多様である。それをどう「公共」という理想に向かって共存共栄していけるかを目指すことこそ「政治」のはずである。

そして、いま」起こり始めている動きの方向は、実は近代「国家」や「政党」の終焉の始まりなのかもしれない。言い換えるならば代議制の間接民主制の終わりであり、IT世界の直接民主制時代の始まりなのかもしれない。

私が生きている間には到達しないだろうが、せめてそうした理想へ向けて人類がともに歩む世界を夢見ていきたい。そこに民主主義のまさに本物の「希望」が残されている。まだまだ人類が成熟するには時間がかかるのだろうが。

だが、ここで立ち止まって現実にを見直そう。結論から言えば、代議制を前提する以上、今代議士やその候補者たちが政党を選び、踏み絵を踏まされて選択しているところであり、その政治思想や政策を表明せざるを得ない場所である。従来の党名と個人名を連呼するだけの選挙活動ではすまされない。こうした選挙戦は珍しい。

だから今回の選挙は有権者自身も、政党と身近な立候補者の世辞思想と政策が明確になっている以上、その声に真剣に耳を傾け、実際に当選後、政権奪取の時、どんな国家にしたいのかを想像しよう。その基本は、国家と憲法観、国の安全保障政策の選択である。その本質は、日米安保条約を基軸とするアメリカ追従の国家のままでいいのか。そして、国家と国民の関係がこのままでいいのか、という国家と国民、選挙権、言い換えるならば民主主義のゆくえそのものが問われるではないだろうかということだ。